2016年12月10日

思想性の高みを今一度問う


 これはだいぶ以前のわが空手道場で講義したことである。

 われわれ流派の人間ならば、アタマは訓練でよくなる、が共通認識になっていなければならない。アタマの良さが先天的だと巷間信じられている向きはあるが、間違いである。
 諸君らのなかには、年配になって入門してきた者もいるが、よく体は固いし、型の順番も覚えられない。いくら練習しても前蹴りがうまくならないので、やはり私には才能がないのでしょうか? と相談にくる者がいる。

 そういう諸君は、南ク継正先生の『武道の理論』シリーズも、教科書として指定されている『空手道綱要』も読んでいないのだろうか?
 きちんと勉強してから、そういう質問はするべきである。南ク先生の本を読んだが、まだよく理解できない、というのならいいが、初めから読まずに才能がないのでしょうかもあるものか。

 頭の良さも、初めから(生まれつき)決まっているのではないことぐらい、南ク継正先生のご著書を読んでいれば、理解していなければならない。私はうまれつき音痴だ、などという人もいるが、それも間違いである。すべて訓練しだいである。

 南ク先生の著作は、定年退職後に時間ができたら読みます、それまで愉しみにしてますと言う者がいたのには仰天したことがある。120歳まで位来るつもりか? それでは暇つぶしにはなっても、人生手遅れである。

 感情像も訓練で育ち、それで脳細胞が創られるのだ。逆に疑いながらやれば、その感情を通して脳が覚える。そうすると訓練するほどに頭が悪くなる。「嫌だ」が増幅されていくのである。
 空手部にせっかく入っても辞めていった人は、「こんな練習やって強くなるのか」とか「なんでこんなことをやるのか」とか「くたびれた、もうやめたい」とかの感情を抱きながら稽古をやったから、もうやめた!となったのだろう。

 難しいことを修得するのだからその訓練は辛いに決まっている。しかしその辛さが「快」になる感情でやらないとものにならない。この辛さを克服すれば夢がかなう、といったことがあるから皆がんばっているのだろう。
 指導者たるものは、辛さを「快」の感情を抱かせながらやらせる、というのが大事である。

 先日、メールで私に質問してきた者がいた。
「“10年後の豊かな自分”、それを明確にイメージすることが辛さを“快”とする原動力になるということでしょうか?」との質問であった。
 それはそうだ。だが、それだけではない。
 思想性の高み、誇り、大志、情熱、論理性のような精神もありようが、辛さを克服する原動力となるのだ。

 あるいはわが流派ではよく言われるのは、「恥を知らないやつはがんばらない」「がんばる原動力は恥を知ることだ」「劣等感がなければ人間はがんばらない」といったことである。
 先週の稽古で、Aに皆の前で足腰の鍛練をやらせたのは、彼自身あまりの足腰の弱さを恥じるようにするためであった。恥ずかしいと思ってくれただろうか…。

 つまりわれわれの掲げる「玄和精神七か条」のような自分になっていないことを恥じればよい。玄和精神七か状は、市販されている『空手道綱要』にも掲載されているが、「大志を忘るなかりしか」「情熱消ゆるなかりしか」などの項を言う。恥じなければ何もしない。
 思想の高みは、思想の高みとして実在はしない。例えばBが乗っているジャガーはジャガーそのものが思想の高みである。諸君なら当然に前蹴が思想の高みになるはずである。

 例えば時計でも、セイコーのものなら諸君は買うだろうが、支那人が作ったセイコーの偽ものを、諸君は買うか? これは諸君が思想の高みゆえに買っているのだ。こう言うと、日本製は性能が良いから買うのでは? と言う人がいるだろうが、それは当然のことだ。われわれが例えば時計一つ買うにしても、性能だけ見てとか、美人が広告に出ているからという理由だけで買えないことはないけれど、それだけではいけない、と言っているのである。

 それだけではいけない、とあえて言うのは、別に一般大衆は安いとか性能がよいだけで購入していい。しかし何がしか、己が人生をワンランクあげたいと希求するならば、思想性の高みの堅持は必須である。

 思想性の高みのことを、私がブログで書いたら、「おれは人から生き方をとやかく言われたくない。思想の高みなんかなくていい」と文句を言ってきた人がいた。別に私はそんな人に語りかけるつもりはないのだ。お好きにどうぞ、である。

 支那には思想の高みはない。だからサッカーの観戦のあり方一つにも思想性はでる。ペットボトルを投げ込む観客は、マナーだけの問題ではなくて、その国の思想性の高みの有無によるのだ。
 しかしセイコー社のように、思想の高みを堅持するのは辛い。努力が必要だ。支那人はそんなものがないから楽ではあるだろう。ドローボーさえしてたらいい、というのが支那人だからだ。恥を知らない連中だ。しかしセイコー社の人たちは、ただ辛いだけなのか?

 われわれの流派の空手をやる、ということは、こうした思想の高みを堅持するということである。だから前蹴ひとつが思想の高みになる。
 冒頭の話に戻せば、何かがやれないことを、たいていの人は才能のせいにして弁解するのだ。そう思ったほうが楽であるからだ。才能のせいにしたのでは、唯物論の堅持という思想性の高みは把持できない。できないことを才能のせいにするのは、それは逃げであって、要は努力すればいいだけのことである。

 加えて我が流派では「大志は少年期に創っておかないと、大人になってからではビビる。十代までは『それ行け!』になるから、憧れが強い。脳細胞の像が大きい。ヤクザだって、十代からなるだろう。ヤクザになるには20代からではむずかしい。それはもう世間がわかる年齢になるからだ」と教えられる。

 かく言う私も、十代で大志を創っておかなかったから、苦労した。これはまさに反省を含めての話になる。
 私の道場でも冒頭に取り上げた弱気の男は、しょっちゅう自分は空手を続けて黒帯になれるでしょうか、と自信なげに言ってくる。ちょっとした演武会に出場するようにと言っても、自分はまだ型もよくできないから出場は見合わせたいのですが…などと、いつも後ろ向きの話をしてくる。この人物は一流国立大学を出て、一流の会社に勤めている者なのだが、「なんでいつもお前はそう後ろ向きになるんだ」と叱責することになる。

 まさに十代なら『それ行け!』『やったれ!』になるものを、別に誰かに取って食われるわけでもないのに、失敗したことばかり予想してビビっている。受験秀才ではあったが、大志を抱きそこねたせいである。負けてもいいから組手で闘ってこいと言われると、きっとビビるだろう。負けても勉強になると思えばいいのに。度胸がない。



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(1) | エッセイ | 更新情報をチェックする

2016年12月09日

ナチの制服に似せた舞台衣装の何が悪い?


 ハロウィンの行事は実に下らないが、年々賑やかにされて、アタマの良くない若者が騒ぎたて、バレンタインデーのごとくに定着されるに至っている。
 そんななか、「欅坂46」という少女の歌手グループが、10月22日に開催されたハロウィンイベントにおいて着用した衣装について、「ナチスドイツの軍服がモチーフではないか」とクレームが付けられた。

 少女等が所属する音楽会社「ソニー・ミュージックエンタテインメント」が、自社のホームページに「私どもの認識不足により、衣装の色やその他を含む全体のデザインが、そのようなイメージを想起させる部分があり、ご不快な思いをさせてしまったことに対し、心よりお詫び申し上げます。また、当該の衣装に関しては、今後一切着用いたしません。」と謝罪した事件があった。

 「欅坂46」をプロデュースしている秋元康も、同HPで「ニュースで知りました。ありえない衣装でした。
 事前報告がなかったので、チェックもできませんでした。スタッフもナチスを想起させるものを作った訳ではないと思いますが、プロデューサーとして、監督不行き届きだったと思っております。」と謝罪(弁解?)した模様である。

 秋元康は、在日の噂がかねてからあって、しかもあの中学生高校生くらいのタレント志望の女の子を、商品に仕立てるあくどい商売をしている。女の子に「枕営業」をさせているとの噂もある。
 この無責任で、プライドのかけらもない発言を聞くと、さもありなんと思わされる。「俺は知らない」「スタッフが勝手にやった」これは日本人のマインドではない。

 さて、苦情を言い立てたのはユダヤ人協会である。
 そういうことを言うなら、ナチスの映画は良いというのか。ユダヤ人が牛耳っているハリウッド映画界では、これまでさんざんナチを悪者に描いた映画を創ってきた。ナチの制服、ドイツ軍の軍服を着せなければ映画になりゃしない。

 それは許して起きながら、日本の歌手がナチの制服に似ているかも…という服装をしただけでいきり立つとは、ユダヤ人も狂っている。
 少女たちがハロウィンの仮装でナチの制服に似た衣装を着たって、彼女等がナチの信奉者になったわけではないし礼賛したわけでもない。そもそもナチがなんだか知るまい。

 別に芸能プロも秋元も謝る必要はまったくなかった。「は?それが何か?」と言い返せば良かったのに、屈してしまったあたりが「河原乞食」とバカにされる所以である。

 宇野正美氏(国際時事問題評論家)も、ナチのホロコーストに疑問を呈したら、さんざっぱらユダヤ人協会から脅された過去があったが、謝らなかった。

 欧米では、少しでも真実を知ろうとする人がいれば、ユダヤ人の団体によって潰される。知ろうとしただけで犯罪にされる。ホロコーストに疑義を唱える本は発禁処分を受ける。
 厳しい法律があるのだ。
 なぜそんなにまでして? と問うならそれはユダヤ人がカネを儲けるためであると、宇野正美氏は解く。
http://www.youtube.com/watch?v=JYBFJ0qHrcY&NR=1

 たとえばドイツでは、ユダヤ人の企業は無税だそうだ。それはユダヤ系ドイツ人がドイツを支配しているから出来る。もしドイツ人が、ユダヤの企業にも税金を払ってちょうだいな、とお願いすると、「貴様らドイツ人はヒトラーとともに俺たちユダヤ人を迫害して、600万人も虐殺したじゃないか、それを忘れたんか!」
 と、すごむのである。これでドイツ人は参ってしまう。
 問答無用がまかり通る。
 
 600万人という数値はニューヨークのユダヤ人協会なる団体が発表したものである。いささかも科学的裏付けがあるものではない。日本軍の「南京大虐殺」と同じプロパガンダである。
 戦時中、ナチドイツだけでなく、フランスもアメリカもユダヤ難民を受け入れなかった。フランスはナチに占領されて命令されたとの口実で、せっせとユダヤ人狩りをやって強制収容所に送り込んだ。アメリカは船でやっと逃げ延びてきた人たちを船ごと追い返している。
 そういうことをしなかったのは日本だけであった。
 その恩を仇で返すのがユダヤ協会である。

 東条英機はユダヤ難民をずいぶん救って、上海などで戦争終結まで住まわせた。その事実を隠したいから(戦後利権を奪いたいから)極東裁判で東条を殺したのかもしれない。
 戦時中、欧米諸国はユダヤ難民を受け入れなかった後ろめたさがあったから、無理矢理ユダヤ人たちがパレスチナの地にイスラエルを建国して、パレスチナ人を追い出したことに異議は言えなかった。

 むしろ、イスラエルを創るためにホロコーストを捏造したのではないかとも言われるほどだ。
 もし本当にナチが600万人もユダヤ人をガス室で殺していたのなら、私なら戦後ドイツには戻れない。ドイツ人は恐ろしいと思うだろうし、迫害の像が強烈だからだ。

 だが、ユダヤ人たちはすぐに戻った。つまりユダヤ人たちは、本当のことを知っていたから平気だったのだろう。むしろ捏造したユダヤ人迫害を逆手にとって、金儲けができると踏んだからではないか。

 このユダヤ人の真似をやらかしたのが韓国人どもで、日本に不法入国した難民のくせに、強制連行されたの、20万人も慰安婦で連れていかれたのとウソをデッチあげ、日本からカネをゆすろうとしてきた。
 バカで不勉強な日本人が騙され、また、事を荒立てたくないとの弱腰になって、奴らの横暴を許したのがいけない。

 今度のソニー・ミュージックエンタテインメントがユダヤの言い掛かりに屈したのも、それらと同類で、後々禍根を残す仕儀であった。もっともああした芸能関係は在日がやっているから、平気でユダヤに謝ってしまうのかもしれない。

 それにつけても。
 日本のマスゴミはこの「欅坂46」の事件に関して、ユダヤを批判する言説はいっさい書かない。これではユダヤの言い掛かりをそのまま認めるのと同じである。



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(1) | エッセイ | 更新情報をチェックする

2016年12月08日

特攻拒否者が得たもの、失ったもの


 今日はたまたま日米開戦記念日であるけれど…。大東亜戦争の話をしたい。
 女性の友人からこんな話をメールで聞かされた。
 94歳になるご長寿の男から、ディナーに誘われたそうだ。これだけ高齢なので断るのも気の毒と思い、受けることにした。
 この94のご仁は、当然、軍隊の経験がある。その時代のことをよく自慢話としてしゃべる。
 だが、その友人女性は戦前の空気がわからないから、話を聴かされてもどうもピンと来ないと嘆いていた。

 東京帝国大学の学生で、昭和18(1943)年に学徒動員された。
 第1回学徒兵入隊を前にした昭和18年10月21日、東京の明治神宮外苑競技場では文部省学校報国団本部の主催による出陣学徒壮行会が開かれた。
 しかし彼は、軍隊が嫌いで東条英機のキンキン声も嫌いだったとかで、この雨の中の壮行会をさぼった。

 軍隊に入って戦闘機乗りに配属され、特攻に行くかと問われたが彼は紙にバツをつけて出撃を拒否。だから生還できたのであった。
 件の友人は、そういう自慢をされても、知識はあるが意味がわからないと言うのである。
 そこで簡単に私なりに「意味」を説いて差し上げた。

 94歳の男のように、軍隊は嫌いだったというのは、『きけわだつみの声』があるくらいで、冷めていた奴はいたとは思う。
 特攻を志願せよと言われても、任意なんだからとの建前で断ったのもあり得る話だが、戦後になってガラッと態度を変えた可能性はある。三笠宮みたいに。

 話を進める前に、ここで書いた『きけわだつみの声』と三笠宮について述べておきたい。

 『きけわだつみの声』は戦後、光文社カッパブックスから出版された戦没学生の手記、遺書をまとめた本で、当時、ベストセラーになった。ただ、左翼全盛の時代を背景にして、そのほとんどが反戦思想の持ち主の学生の手記で埋め尽くされ、いわば偏向していた。

 靖国神社が発刊している『英霊の言の葉』も、戦没者の遺書を集めたものだが、『きけわだつみの声』と真逆で、戦争に行くのは嫌だとか軍隊は理不尽だなどと愚痴をいうものは皆無である。
 お国のために喜んで逝きますなどと書いた戦没者は、軍と天皇に騙されたバカで、軍国主義者だとレッテルを貼られた時代が長く続いた。

 私は『きけわだつみの声』を、中学のときに読んで、戦前の日本はひどかったと摺り込まれたクチであるが、後年、自虐史観の縛りから溶けて思うのは、『きけわだつみの声』には戦後創作された“遺書”が相当あったのではあるまいかということだった。

 戦後、日本は間違っていた、軍部が暴走した、日本は侵略国家だったとGHQから押し付けられ、官民あげてそれこそ「一億総懺悔」状態だったから、みんなが『きけわだつみの声』に涙した(させられた)のである。
 戦前、戦中に「お国のために」と戦った人たちは口をぬぐって、自分は戦争に反対だった、特攻なんて犬死にだった、軍部にはひどい目にあったと平然と考えをひるがえした者ばかりであった。

 先きごろ死んだ三笠宮は、陸軍少佐にまでなった軍人だったが、戦後には「私は間違っていました」とか「悔いています」と著書に書いて、戦没者を裏切った。昭和20年8月14日から15日の二日間に発生した「8.15宮城事件」、世にいう「日本のいちばん長い日」、これは昭和天皇が起こしたクーデターでもあったが、三笠宮は天皇の指示のもとに動いた男である。

 鬼塚英昭氏の『日本のいちばん醜い日』は、皇居内で発生した近衛連隊による玉音版強奪計画は、三笠」によって仕掛けられた巧妙な偽装クーデターであるとするものであった。
 その犯罪行為をごまかすために、戦後、三笠宮は「古代オリエントの研究者」の面を被って逃げおおせたのだ。

 話を戻せば、94歳の元軍人も、こうした輩と同じく、戦後に変節したのではないかと思われる。
 さらに聞けば、復員してから高等学校の教師になったとか。日教組に染まったのだろう。
 「反戦」と「民主主義」信奉者に変節し、戦争中から軍には反抗的だったんだと言うために、学徒出陣壮行会をさぼったの、特攻には志願しなかったのと、話を作ったのではなかろうか。その可能性は高いと思われる。

 神宮外苑競技場で行なわれた学徒出陣壮行会に参加しなかったのなら、勝手ではあるが、学歴のない小学校しか行けなかった多くの兵隊をバカにしている。俺は東大のエリートだから、さぼってもいいんだということだ。一兵卒はそんなわがままはできない。赤紙1枚で決められた。
 当時は、学生はわずかしかいなかったし、エリート中のエリートであった。

 多くの一兵卒は家が貧しく、成績が良くても大学になんか行けなかった。
 学徒動員で軍隊に入ったものは、いきなり少尉である。戦争末期になればそれは優遇でもなくて消耗品としか見られていなかったものの、将校は将校である。叩き上げの兵卒から見ればどう映るか。

 軍隊で、兵隊たちは戦争反対の、冷めた少尉殿が自分の隊の上官に来られたら、不愉快だったろうし、憎むだろう。その94歳のご仁はわかっているのだろうか。自分の考えを持つのは構わないけれど、自慢するとか変節を隠して「おれはもともと平和主義だった」とうそぶくのは卑劣ではないのか。

 もう一つ言わせていただく。
 特攻隊で出撃した若者は、戦後の日本の精神を支えた面は絶対にある。一方で特攻を忌避したその男のような存在は、生命は長らえたし、「平和主義者」を標榜することはできたが、日本民族に何も残せず、貢献もできなかった。

 白人と支那人は特攻をやった日本人を怖れた。最終的には日本は敗北したが、緒戦ではイギリス、オランダ、アメリカ、オーストラリアの軍隊を圧倒して勝った。支那も同じく、個別の戦いではほとんど日本軍に勝てなかった。
 そして日本軍は、全部がそうではなかったにせよ、白人の植民地を解放して独立を果たしている。
 
 アジア諸国は日本を尊敬した。戦後になって、歴史は大きく動いて、アジア、アフリカ、南米などが次々に独立国家になっていった。日本が白人支配を覆したのである。人類史に燦然と輝く名誉である。
 
 この94歳のご老体のように死ぬのは嫌だと逃げた奴は、日本の尊厳や歴史性については何も言う資格はない。その人の勝手ではあるが、特攻の死はかくも偉大であった。
 特攻は、作戦的には愚策であったが、白人どもの言うようなクレイジーではなかった。

 己れを棄ててでも、公のために生きる道を選んだ若者の志、そして決断こそ、我々日本人の誇りである。
 94になった反戦老人が高校教師だった時、教え子だったある女性は「あの先生は自分勝手な人で嫌いだった」と言っているそうである。「あの自分勝手さが彼の長生きの秘訣だ」とさえ言われている。
 
 さもありなん。学徒出陣に冷ややかで、特攻にも志願しなかったのは、そのときの判断だとしても、それを戦後に自慢するとは愚か過ぎだ。自分勝手さが前面に出ただけのことであったのだから。

 壮行会に出て雨中の行進をした学徒のココロ、特攻を志願して亡くなっていった同世代の青年たちのココロに、どうして少しでも寄り添うことがないのだろうか。だから「自分勝手な人」という侮蔑を浴びせられる。



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(4) | エッセイ | 更新情報をチェックする

2016年12月07日

石巻大川小学校訴訟に異議あり


 本ブログ2013年9月18日付で「津波犠牲、石巻・園児死亡訴訟は正しいか」と題して、3・11津波での幼稚園児が犠牲になった問題を取り上げた。
 今回は、同じ石巻市の大川小学校の訴訟問題を取り上げたい。

 津波で犠牲になった大川小学校の74人の児童のうち23人の児童の遺族が訴えた裁判で、1審の仙台地方裁判所は、10月26日、石巻市と宮城県に対し、原告全員に合わせて14億円余りの賠償を命じた。裁判では「津波が到達するおよそ7分前までに、市の広報車が避難を呼びかけたのを教員らが聞いた時点で、津波が到達する危険を予測できた」と指摘。石巻市と宮城県は、津波は想定外の大きさで予見はできなかったとし、この判決を不服として7日仙台高等裁判所に控訴。これを受け、原告の遺族たちも仙台高等裁判所に控訴した。

 宮城県石巻市立大川小学校では東日本大震災の大津波で全校児童108人のうち74人の児童が死亡・行方不明となった。地震発生の午後2時46分から津波到着の3時37分までの51分間もあったにも関わらず、教職員たちは有効な避難行動をできなかった。
 教職員13名やスクールバス運転手も犠牲になったが、裁判は起こしていていない。

 大川小では地震発生後、子どもたちを寒空の下で校庭に座らせ先生の指示を51分間待たせていた。「校庭にいてはだめだ」「山に逃げよう」と何度も先生に訴えていた子供もいたそうだ。なのに、教員たちはなす術を知らなかった。
 子供は地元の子で、祖父母や親から、地震後の津波の恐ろしさを日常聞かされていたから、とにかくもっと高台へと思っただろうに、教員たちはそれがなかったのではないか。

 宮城県も石巻市も昭和三陸大津波レベルなら大川小学校には津波が来ないことを公言し、それ以上の大津波への対応は全く考慮していなかった。もし大津波が来たらここは危険との意識が住民にも希薄だったようだ。大地震だったにもかかわらず、教員たちは10分で完了可能な裏山への避難が選択肢の後方へ押し下げられてしまったのは、大川小学校に集まった人々のほとんどに危機意識が欠けていたためだろう。

 そのように仕向けてしまった大きな要因は行政にあった。大川小の裏山へ避難して、土砂崩れにでも遇ったら自分たちの責任にされると教員たちは怯えたのかもしれない。だから裏山への避難は誘導できなかった。
 行政は、大川小が高台だから安心と言っておきさえすれば良かった。それ以上の津波は想定外と言えば訴訟は逃れられるからだ。

 犠牲になった子供の親たちの無念の想いはわからないではない。
 しかし、私には訴訟に訴えるやりかたはどうも納得できない。それは冒頭に触れたように、石巻市の幼稚園児の訴訟についてブログに書いたときと変わらない。

 訴訟で親側が勝てば、税金から支払われるのだ。県や市の行政官が獄につながれるわけではない。税金を回せばそれでお仕舞いになる。親たちは行政の責任を明らかにしたいと言うけれど、勝訴になってもそうはなるまい。

 武田邦彦氏が11月11日の虎ノ門ニュースで語っていたが、最も責任があるのは、地震研究所と研究者たちだから訴えるなら彼らを、というのも一理ある。
 地震の予知はできるとウソを言って、国家予算を4000億円もぶんどり、東大と名古屋大学で分けあって、東海地震や首都直下地震がくるとさんざんウソを言って、東北、熊本、鳥取など大地震が来たところへの警鐘を鳴らさなかったのだから、一番の責任は奴らにあり、それを鵜呑みにして予算をつけている政府や官僚にある。

 上がそうやっていい加減に「やったこと」にして責任逃れ体制を敷いているのだから、県や市のレベルも右へならえになる。そこを問題にしないで、小学校の教師の責任にするのはいかがなものかと思う。
 親も、本当に責任のある地震研究者を訴えずに、行政や学校を訴えるのは、弱い立場の教員のほうを狙っているのだとも武田氏は語っていた。

 たしかに後になって思えば、教師たちにもっと的確な判断が求められたかとは思うけれど、それは後付けである。彼らとて、子供たちを救わなければと必死であったはずだ。
 それを訴訟によって糾弾する性質のものではないのではないか。教師は助かって児童が放置されて死んだのなら重大な責任があるだろうが、先生たちも犠牲になっているのだから。
 
 大川小の訴訟についていえば、行政側と親とが話し合って和解に持って行くべきではないか。もしかして左翼の弁護士が裏でとことんやれと煽ってはいないだろうか? 
 また武田邦彦氏は、石巻市のハザードマップやマニュアルに不備はあったが、子供を守るのは第一に保護者であって、行政に全部任せるのはおかしいと指摘していた。

 親たちはなぜ地震の前に市や学校に出向いて、マニュアルが不備であることにクレームを付けなかったか。
 大津波が来ると予測できたときは、裏山へ避難すべきと学校と親とで合意できていたら、万一に備えて裏山へ登る階段をつくるとか、避難所を親の手で建てておくとかすれば良かったのである。つまり親としても打つべき手はあったというのが武田氏の主張である。
 私もそう思う。

 私は強いていえば、大川小学校の悲劇は日本全体を覆っているいわば「空気」のせいであろうかと思っている。
 今年7月11日に「出汁が消えた日本への絶望」としてブログに書いたことにつながる。
http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/438734306.html
 
 主旨としては、本物の鰹節や煮干し、昆布などできちんと出汁を取るべきなのに、ほとんどの家庭では、インスタント顆粒出汁の素で済ませている、として嘆いたものだった。
 出汁なんか安ければいい、化学調味料でも味さえ出ればいい、手軽が一番、そういう考えが偽物をはびこらせるのである。

 だから。
 石巻市にしても、行政がハザードマップをつくってあればそれで良しとする思考になってしまう。おそらく「防災デー」なんかも設けて地域で避難訓練もやっていたろうが、それがかえってアダとなっている可能性もある。避難訓練しているからもういいや、と。念には念をいれて万一を考えることをしない。

 もしも大川小学校の親御さんのなかに、熱心に防災意識を問い、裏山への避難も訓練しようとか働きかけていた人がいたなら、学校や行政にきっと煙たがられ、そこまでやらなくてもいい、かえって混乱や不安を煽るとか言って忌避されたであろう。それが「空気」である。
 要するに、悲劇が起きてからあとで責任をいわばなすり合うのは本筋と外れている。



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする

2016年12月06日

アメリカ大統領選は誰が敗北したのか(2/2)


《2》
 昨日はトランプ勝利を予測した識者を取り上げたが、彼らは今回のアメリカの大統領選で最も問題だったのは、マスゴミの腐敗が露呈したことだと異口同音に語っている。
 私も同感である。昨日も書いたが、マスゴミがこぞってヒラリー勝利を予測するだけでなく、彼女を支持してトランプを罵倒し続けたことが、彼らマスゴミ自身の怠慢と偏向によることを見抜いていれば、結果は予測できたのである。

 大きな変化は、やはりインターネットの力である。新聞テレビが如何に誘導、洗脳しようとしても効かなくなった。ネットがなかったら、メディアの思惑どおりヒラリーだったかもしれない。

 武田邦彦氏は11月11日の虎ノ門ニュースのなかで、「もう報道は要らない、ということだ。報道とは、事実をわれわれに伝えることによって、われわれが正しい判断をできるよう、根拠を与えてくれる役割を担うものである。今回の大統領選挙でマスコミが挙げて間違えたのは、もうマスコミは解散しなければならない」と言い切っていた。

 選挙が終わっても、日本のマスゴミはトランプでは先行き危ういだの、これは大衆迎合だとか居丈高になって、反省の弁なし。
 私たちは情報提供を間違えました、と言うべきをしらばっくれる。
 最低でも、アメリカに駐在する記者が、もっと社会にまんべんなく浸透してピープルの声を集めていれば、はじめからヒラリーだけがふさわしいなどと言い続けることはなかったろうに。

 もっとも傑作だったのは、日本の左翼系新聞が、トランプが大統領になったら日米安保が揺らぐ、大変だと言い出したことだ。昨夏の安保法制騒動で政府をクソミソに罵っていた連中が、である。
 は? 日米安保に反対だったんじゃあ? 沖縄の米軍基地に反対だったんじゃあないの? なのに、日米安保で東アジアの安定が保たれていたのに、米軍が撤退していくと不安定になるって言い出した。
 お前ら、それほど節操がないのか?

 アメリカのマスゴミもそうだが、日本のマスゴミは真実を見ようとしなかった。奴らはトランプは暴言を言うの、女性差別だの、イスラムやヒスパニックに偏見があるの、政治は素人だの、大衆迎合だのと決めつけていた。
 アメリカでも日本のメディアでも、自分たちは政治や社会体制をこういう方向に持って行きたいという願望で報道していた。

 それに加えて、いかにアメリカ大統領選挙に支那の介入があったかでもある。日本で言えば、(おそらく)産経以外はチャイナマネーが注ぎ込まれていたからヒラリーを応援していた。クリントン家はチャイナマネーで汚れきってる。支那はなんとしてでも多額のカネをつぎ込んだヒラリーに大統領になってもらって、いいように世界にのして歩こうとしていたから、日本のサヨクメディアにも働きかけて、ヒラリー大統領実現への期待を煽っていたのである。

 だから世論調査も、意図的にねじ曲げた数字を公表した。支持率が常にヒラリーが優位になっているように操作したことも明らかであった。ユダヤ金融資本だけでなく、支那が国ぐるみヒラリーへ誘導しようとしていた。トランプになって支那は落胆したろうし、慌てている。
 藤井厳喜氏は、アメリカの世論調査でもいろいろある。どこが公平で正確な数字をだすかが見抜けるかどうかにかかっていたんだと言う。
 大手のメディアはみんな操作された数字を出していたのだ。

 そして勝負が決着してもなお、全米各地で反トランプのデモが起こり暴徒化しているということばかり報道している。トランプに期待していると喜んでいる人の声は取り上げない。

 馬淵睦夫氏は、昨今の世界ではグローバロズム対ナショナリズムの戦いになっていると指摘していた。それが争点だと。
 英国のEU離脱でもマスゴミはグローバリズム支持だから、英国のEU離脱はあってはならぬという思いで、離脱はないと予測していた。だが、ナショナリズムが勝って英国がEUから抜けることとなって、EUの存続が怪しくなった。

 大統領選もそれと構図は同じで、グローバリズムを掲げるヒラリーが勝つに決まっている。ナショナリズムを掲げるトランプは間違っている、引っ込むべきだとして、トランプ排撃のキャンペーンを張った。それがユダヤ資本右派だか左派だかの意向だからでもある。

 マスゴミは、トランプがTTPに反対を表明していることをもって、保護主義への回帰だとわめいた。当選しても尚、保護主義は時代に逆行すると主張している。またヒラリーなら移民はどんどん受け入れると言い、同性愛者にも優遇してくれる。それが正義だと抜かす。
 毎日新聞ではトランプ勝利を報じる日の1面で、性的マイノリティの女学生を登場させ、トランプになったらアメリカにはいられないわと言って泣いているなんて愚劣な話を載せていた。

 マスゴミは自分たちが掲げる価値観やグローバリズムだけが正しい(すなわちワン・ワールド・オーダーに向かうべきだ)、世界はそうなるべきだ、そうなるように報道を通じてバカな大衆を正しく導いてやるのが俺たちの使命だと自惚れ、上から目線で大衆を指導しようとした。
 それが英国のEU残留か離脱かでも、アメリカ大統領選でも同じ間違いを奴らは犯したのである。

 馬淵氏は、この英国とアメリカでの出来事の本当の敗者は、メディアだったのだと語っている。(DHシアター「和の国の明日を造る」第29回)
 馬淵氏は、日本の最近の国政選挙でも、マスゴミは民進党を応援したが、いずれも安倍首相の自民党が勝った。これは野党が負けたというより、本当はメディアが負けたのだと言う。そのことが、今度の大統領選でも証明された。

 私は馬淵氏の見解は半分しか賛同できない。昨日紹介した武田邦彦氏の「メディアは出直せ」もそうだが、メディアの敗北は当たっているが、メディア自身の腐敗と、メディアを支配する勢力(つき詰めればユダヤ資本)との二重構造なのである。

 トランプがどこまで本気かわからないけれど、彼はホワイトハウスに乗り込んだら、ワシントンのドブ泥を浚って浄化するんだと宣言している。ユダヤとそのオコボレにあずかりたい既得権益にしがみつくワシントン政界の(民主党も共和党も)、腐った連中を一掃するというのである。
 
 そうされては困る連中が、メディア界にも大勢いる。だから既得権益を破壊するトランプを罵倒する。しかしアメリカのサイレントマジョリティは政界のドブ浚いをトランプに期待して彼に投票したのである。
 日本にも、アメリカとの軍事的同盟という既得権益にどっぷり漬かっている連中はいるのであって、そういう輩にとっても利権が壊されては困る。これから熾烈な戦いが始まるのだろうか、それともやっぱりトランプも既得権益の意向を受けるロボットになるのであろうか、これまでどおりに…。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(3) | エッセイ | 更新情報をチェックする