2015年08月01日

支那人「爆買いツアー」の終わり(2/2)


《2》
 爆買い支那人観光客を見るたびに、私はどうしても武田節の一節を思い出さざるをえない。
 「祖霊まします この山河 敵にふませてなるものか」
 私たちの日本、それは神社仏閣でもそうだし、富士山などの自然でもそうだし、新幹線やホテルでもそうだ。

 この愛してやまない日本、先祖が努力して創り維持してくれた美しい日本を、心ない連中が土足で踏みにじることには耐えがたい。その国の文化を尊重するのなら、外国人観光客に来ていただくのは結構であるが、支那どもはそのレベルに達していない。ただ身勝手なだけ。

 支那人が観光に来てくれれば、相互理解が進むからいいじゃないか、と喜ぶ奴は鳩山や菅なみの間抜けである。人を見てものを言えよ。未来永劫、支那に暮らす支那人がマナーが良くなって、人の気持ちがわかる人間になるなんてことはありえない。

 副島隆彦は自分のHPの「今日のぼやき」でこんなことを言っている。

 「中国の巨大な成長を、日本人は今も正面からきちんと見詰められないし、ヨーロッパ、アメリカの白人たちも理解できないそうです。何でいつの間に、こんな巨大な成長を、たった30年で中国が遂げたか、がわからない。分からなくて、貶(けな)しているだけだ。

 この中国の巨大成長への驚きこそは中国分析の非常に大事なところです。だから、中国のことを悪口ばかり言って、けなして見下して、気持ち悪いとか、穢(きたな)いと書き続ける人たちの気持ちが、私はわかるけれども、やはり中国という国が超大国にはい上がっていくプロセスとして見なきゃいけない。」


 「支那人の悪口ばかり言って、けなして見下すな」、と副島は言うが、それはオヌシが媚中派だからであって、現実の支那人と街で遭遇してみろ、彼らが嫌われるには嫌われるだけの言動をしていることを、誰でも見てとるのである。それも日本だけではない、世界中で嫌われている。支那人は見下されたくないなら、自分たちの「民度」を上げればいい。

 支那の経済規模はいかにも成長しただろうが、そんなことで副島が言うような一等国にはなれはしない。顔つきを見れば、多言は要しない。「気持ちが悪い、穢い」などと言う軽いレベルではない。
 「超大国」の振舞いが奴らにはできない。ただの成金。

 急成長を遂げた理由なんか誰でも見抜いている。彼らがどんな汚ない手を使い、ユダ菌の方針にしたがってカネを儲けたかだけの話だから、人間としての土台がなってなく、まさにあっという間に終焉がやってきたのだ。

 副島は「なぜ30年で中国が巨大な成長を遂げたか、分からなくて、貶しているだけ」と決めつけるが、一般大衆やマスゴミの記者じゃない者はちゃんと「分かって」、そのうえで冷静に貶している。ユダヤの陰謀で投資を支那に集中させただけ、技術を日本から盗んだだけ。

 それに欧米や日本が、共産党独裁の中共によるへんちくりんな資本主義ふうの経済を大目に見た、つまりデタラメに目をつぶって、バブル崩壊まではせかせかと儲けてしまえという態度だったからである。
 簡単なことで、副島隆彦は昔から庶民でも知っている諺、「悪銭身につかず」すら知らないのだ。

 背景にはアメリカが、ハードウェア製造で地道に稼ぐよりも、ソフトウェア(金融やIT)で稼ごうと国家ぐるみで舵を切ったからだ。
 本来あるべき企業の目的は、優れた商品をつくり、優れたサービスを提供し、もって社会に貢献することである。
 ところがアメリカはコーポレートガバナンス(企業統治)を「企業は株主のもの」とする考え方をとるようになって、短期的に儲けて株主に利益を還元するばかりに走った。

 だからアメリカの経済界は、ハードウェアを外国(日本、韓国、支那)に下請けにさせることで、額に汗して働くことを嫌がるようになった。
 そのおかげで、労賃の低い、というより奴隷労働をまださせることが可能だった遅れた支那にハードウェアを作らせることにした。

 だから支那の経済は大きく伸びたのである。何も副島が偉そうにいうほど難しい話ではない。
 そうした煽りで、支那人どもが爆買いに押しよせることとなったのだ。

 アメリカ人は昔から支那に対する幻想は昔からある。やつらから見ると、独自の文化があると勘違いしているらしい。アメリカ映画で、支那の街や米国内の支那街なんかを描いているものを見ると、日本の街や文化を描くときのような偏見が少ないように感じる。
 アメリカを牛耳るユダヤ勢力にしてみれば、支那の広大な土地と人口は、新たな儲け口に思えるのだろう。

 アメリカは戦後、日本が軍国主義を棄てて民主国家になり、驚くほどの経済成長したのは、オレッチの指導が良かったからだ、指導が成功したからだと自惚れた。
 それなら支那も同じようにカネと技術を日本から注ぎ込ませれば経済成長して、民主国家にもなれるとユダヤ勢力は見込んだ。そして番頭のキッシンジャーをはじめとして多くのアメリカ人(ユダヤ人)はせっせと支那に肩入れしていった。

 それだけのことで、何も副島がもったいぶって言うほどのことはない。実に底の浅い仕掛けだったから、たちまち化けの皮が剥がれ、株の大暴落が始まったのである。

 支那の経済成長は外国からの資本投資と技術によるものである。カネ儲けのためなら日本などの外国をたらしこんで始めは近代化を行うように見せかけたけれど、習近平の時代になって中華思想的な排外主義が出てきて、外国企業を締め出すようになってきた。
 約束は破る、ウソはつく、労働者は賃金を上げろとストを起こすわ、材料や工具を盗むわ、さんざんなトラブルが起きて外国資本は引き上げを始めた。

 支那人には自律的な経済成長や科学技術の発展は難しい。支那人は商売上手だとしても、世界の国々から信頼される近代国家になるには民度の向上が欠かせないのにそれは絶望だった。
 法律や約束やモラルを守る精神が育たなかったから近代国家は成立しない。

 彼らの多くは、真面目にこつこつ働いて生活するよりも、株式投資で一獲千金の夢に掛けるのはギャンブルにはまる。もともと支那人は、ギャンブルが好きだ。これは不治の病気である。だからまともな努力で産業力を育ててきた日本人が、支那人を見下すのは当たり前である。

 明治以来、人のよい(間抜けな)日本人が、さんざん支那を助けてあげようと支援をしてきた。孫文やらなんやら…。だが、魯迅を除けばすべて失敗した。支那は今度こそまともになるはずだと、言う日本人がいるが、本当に愚かである。

 そもそも、アメリカに文化がないように、支那にも文化がないのである。形ばかりは…であって、わが国に比べたらあんなものは文化とは言うまい。
 アメリカ人がそもそも人種のごった煮、寄せ集めの人工国家であるように、支那にも漢民族なんてものはいない。北方のモンゴルあたりから流れてきた遊牧民の成れの果てである。

 大昔の、例えば三国志だとか、李白、陶淵明といったあたりの文学が花開いた時代の支那とは、民族としての血のつながりがない。
 極端な例でいえば、日本人が絶滅させられ朝鮮人が支配するようになったときに、京都や奈良の文化やなにかを、朝鮮人があれは俺らの伝統文化だというようなものである。今の支那人はそういう「民族」である。

 アメリカと支那はだから似たもの同士だ。







posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(8) | エッセイ | 更新情報をチェックする