2015年08月05日

あまりに自堕落でネクラな若者たち


 わが空手の流派には、年に何回か合宿がある。
 昔は真夏のお盆のころに、海辺で5泊6日の強化合宿があった。
 朝は3時ころに叩き起こされる。まだ満天の星空の下で、誰もいない砂浜を存分に動き回ったものだった。
 春や秋の合宿は山間部で行なわれたが、これも早ければ3時ころには全員起床がかかる。

 大学に入学したての新入生が空手部に入って、我が流派の合宿に初めて参加すると、まずこの未明に叩き起こされて練習が始めることに驚くようだ。
 こんなことに驚いているのは、普段の生活があまりに自堕落で、緊張感がなさすぎるからである。精神が弛みきっている。

 受験は緊張感がありました、と反論するかもしれないが、あんなものは緊張のうちに入らない。世界情勢を見れば、惰眠を貪っているのはわが日本だけである。
 中東も、ウクライナも戦火のただ中である。
 入試のときにも爆弾が飛んでくるかも…という中でなら緊張があると言ってもいい。

 大地震に見舞われたチベットでは、親を亡くした子供たちが続々と支那人らにさらわれ、人身売買の危機に見舞われている。チベットだけでなく、人身売買はどこでもある。必ず、弱者や緊張感がない人間が狙われる。

 日本だけが平和ボケであって、「戦争は反対」だとか、徴兵は嫌だとか言っていられる。だから空手の合宿で、未明の3時に起こされただけでびっくりするガキが多発する。
 最近は自称イスラム国は、ロシアあたりにも若者をリクルートに行っている。ロシアの若者に職がないから、高給に引かれて地獄の戦場に赴くらしい。

 そんな危機感を日本人だけが持っていない。支那や韓国を刺激するから安保法制の整備はやめろなどと平気で言っていられる。
 どの国も、生き残りに必死である。金満国家で、どこのラーメン屋がうまいか探訪して歩きたい、などとノー天気が言っていられるのも日本だけ。

 どこもかしこも国家の存亡が懸かって、必死である。外野のわれわれが、ロシアはけしからんとか、イスラエルは汚いとか言っている場合ではない。それぞれに言い分があって、何が正義かなどというものはない。

 アメリカの大統領は悪で、プーチンや習近平はきっと善人なのだなどと言いきれるものはなにもない。なのに、サヨクは昔からアメリカの核は汚いが、ソ連や支那の核はきれいだなどと、“お笑い”をかましていた。

 林秀彦さんの言葉として「戦争自体に『過ち』という添加物はない」「現文明に平和の概念など、実は含まれていない」を紹介したが、今日ただいまの世界情勢を見ればただちにこれは納得が行く名言のはずなのである。

 世界は瞬きする間に激動している。なのに、「安倍総理はなぜ今、戦争法案を通そうとするのか」などとほざくのは、ノータリンにも程がある。
 明日、家に泥棒が入ると決まっているわけではないのだから、今、家にカギをかける必要はない、というようなものである。アホか。

 現今、安倍内閣が提出した安保法制で騒がしいけれど、彼の祖父は60年安保のときに首相だった関係で、よく安倍晋三は比較される。
 60年安保がなんであったかは、すでに本ブログで説いた。あれは財界と池田勇人、右翼が仕組んで、全学連に資金を渡して大騒動に発展させたものであった。誰も改訂する日米安保条約の中身を知ろうともしないで、マスゴミに煽られて「アンポはんたい」「岸を倒せ」と叫んだだけである。

 財界、右翼、池田勇人の仕掛けは成功して、樺美智子も殺されて、岸信介は退陣に追い込まれた。岸はCIAの手先であったが、梯子を外されてというか、日米同盟改訂だけ終わったら、退陣させられる運命だったのだ。
 世界とはそういうものだと、まじめに考えなければならない。

 今度も裏ではいったい何が仕組まれているか、われわれには計り知れない。衆院での可決以来、サヨクは国会周辺の無法集会で「安倍を倒せ」に転換しつつある。マスゴミも安保法制では負けそうなので、安倍内閣打倒にシフトしつつあるかに見える。財界はいまだに支那で儲けられると勘違いしているから、もっと親支那派の首相に替わってほしいだろう。

 財界や支那、南北朝鮮がカネを出して、安倍内閣を引きずり降ろそうとしてきていると思われる。自民党の中にも、テメエが首相になりたいからそろそろ安倍政権をひきずり降ろしたい勢力もいるだろう。
 こういった連中は、資金援助してもサヨク活動家を煽っているのだろう。ところが彼らが期待するほど、つまり60年安保のころのようには盛り上がらない。

 どう転んでも大衆は政治に翻弄される運命ではあるが、にも関わらず、我々は一度しかないこの人生を、あたら無駄にはできない。平和ボケでは世界の激動に対応できないのだ。

 多くの日本人は、権力者によって、あるいは周辺国の陰謀によって、日本の真実の姿を知ることもなく、学校時代には受験一辺倒で、さらにどこのラーメンがうまいだの、タレントの誰が結婚するだの、しょうもない話題に取り囲まれて、ボケきっている。

 若者の顔が、これほどまでに情けないありさまになってしまった。
 目に輝きがない、誇りがない、情熱がない。で、ガタイばっか、能書きばっか、権利ばっか、謙虚さの微塵もない…。
 夢中になっているのは、スマホなんかのゲームばかり。
 それでマスゴミに煽られると、自力で考えもせずに「戦争法案なんでしょ? じゃあ嫌だわよね」となる。

 及ばぬながらも自分で勉強して、世界情勢を摑もうとか、そもそも世界とは、自然とは、を究明しようとかの誇りも情熱もない。
 雄志勃々の野望なんか、どこにもないテイタラク。雄志勃々という四字熟語すら知らないって? 人間、情熱や誇りがあるなら、こういう自己を奮い立たせる言葉くらいは覚えて、遣いたくなるものなのだ。
 人様の怪しげな、根拠のないブログを夢中になって読んで、世界の陰謀がわかったつもりになってはならないのに。

 なんでも対象を、自分のわかりやすいレベルの引きずり降ろして、そのレベルでわかることは簡単である。テメエの情けないレベルで分かったつもりになって、人を批判するのもたやすい。
 そういうアホには野心がなく、情熱もないのだ。

 人のブログを荒らして、揚げ足をとって不愉快にさせれば嬉しいという輩のいじましいこと。どうしてそう根暗になれるのか私には不可解だ。ネクラを相手にする暇はない。
 人間プライドがあれば、人様の見解を嘲笑する前に、自分の主義主張の旗をしっかり地面に刺しているだろう。

 例えばアレキサンダーの映画を観たなら、自分はこう思ったと述べるのがスジであり、それがプライドある人間である。間違っているとかいないとかは別問題だ。なのに、自分では同じアレキサンダーの映画を観ることもなく、ただ人の意見、感想にイチャモンをつけるだけの人間は、あまりにネクラで哀れである。

 人生に野望がある人間ならば、英雄のことを知ろうとするものだし、戦争を勉強しておかなければと思うものである。野望とは、即、戦いに挑もうとすることなのだから。





posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(6) | エッセイ | 更新情報をチェックする