2015年08月06日

護憲派の病理の一考察


 近視は近くを見すぎることで起こるものとされている。
 読書、テレビ、パソコン、携帯、スマートフォン、DSなどを長く見続けている生活を送っていると近視が進みやすくなるのだと。

 それは端的には間違いである。
 「読書やパソコン、携帯、スマートフォン、DSなどを長く見続けて」という中身が、正解へのヒントとしてある。
 読書やテレビを見る形態は、あれは目を使っていないのだ。「見て」いるのではなく「見えている」。

 「見ている」と「見えている」の違いを解くことが、視覚の構造論である。
 本来、生命体にとっての目は、「これはなんだ? あれはなんだ?」と能動的に問いかけるように見るようになっている。人間も本来はそうである。ところが読書やテレビなどは見る努力をさほどしなくてもいわば目に映っている。見ようと必死に努力しなくても、楽に目に入ってくる。

 見ようと努めるように目を使わないから、それが量質転化して近視になるのである。
 嗅覚も同様で、目の前の大福が数日経ったものなら、腐ってないか? と鼻を近づけて臭いを嗅ぐだろう。これが本来の嗅覚の使い方だが、例えば部屋の中にいて、とくに臭いが気にならなければ、私たちはその部屋だって必ずなんらかの薄い臭いはあるが、嗅覚は能動的にならない。

 こういう構造上の違いがある。
 構造上の違いは、そもそも感覚器官は脳が統括しているのであるが、人間は動物と異なり認識が統括する。五感器官の感覚は人間だけが、認識次第となる。
 だから動物の感覚は一重構造だが、人間は二重構造になる。
 
 そのため、視覚で限っていえば、その資格の働かせ方は直接に認識の働かせ方になるのが人間である。
 人間にだけ認識が誕生したのは、サルが樹上生活のなかで視覚を二重化させたことから始まっている。このことは『看護のための「いのちの歴史」の物語』(現代社刊)を熟読していただくとして先に進む。

 やさしくいうなら、ボーッと、受け身で、なんとなく、見えている見方をしているのは認識がそのように統括しているからで、当然そこにおいても量質転化は起きるのであって、認識の働かせ方が能動的ならざるあり方になっていくのだ。

 受験秀才で理系研究に進んだ者、テレビをボケッと見てばかりいる者、役人、大学教授、スマホゲームに夢中になった者、こういう連中はだいたい目が死んでいる。
 しかし漁師をやっているとか、農家でも研究熱心な生産者になろうとしている者などは、目が生き生きしていることが多い。

 さて、おたちあい。
 またもや、であるが、護憲派サヨクたちの病理につながる話だ。彼らは、受験勉強の絞り滓が多く、幼い頃から「現実」に対して「これはなんだ? あれはどうしてだ?」と問いかけるように認識を働かせてくること、はなはだ少なかったのだと推測できる。

 端的には数式を覚えなさいと言われて、それをただ暗記することのみ得意になったのであって、好きになった異性にどうやってキスするかに胸ときめいたことなどなく育ってしまったのである。
 答えは与えられるもので、その正解を言えればよいと育ってしまっている。

 受験秀才は、眼光を鋭くする、なんてことはやったことはなかろし、考えたこともなかろう。目を能動的に使ってこなかった。

 だから認識の近視とも言える宿痾になっている。
 9条があるから戦争にならずに済むとか、「集団的自衛権は保有しているが行使できない」という詭弁が信じていられるなどというのは、認識の不全や未熟、病気としか言いようがない。
 
 メルマガ・国際派日本人養成講座 ■■ H27.08.02 ■ からの引用。

     *    *    *

 2004(平成16)年4月、ペルシャ湾で日本のタンカー「高鈴(たかすず)が武装勢力に襲われたが、アメリカの海軍と沿岸警備隊が護ってくれた。「高鈴」の乗組員は全員無事だったが、米海軍2名、沿岸警備隊1名の合計3名の若者が命を落とした。

 しかし、アメリカ側は「同じ活動をやっている仲間を助けるのは当たり前だ」と語った。当時、陸上自衛隊がイラクで人道支援活動で展開、航空自衛隊はクウェートからイラクに支援物資などを空輸し、海上自衛隊がインド洋で同盟国の艦隊に給油活動をしていたからだ。

 しかし、その後、小沢民主党が「インド洋での給油は憲法違反」としてテロ対策特措法の延長に賛成しなかったため、給油活動を行っていた海自は帰国を余儀なくされた。

 その途端、日本に対する評価はガタ落ちとなった。「日本の油を守るためにアメリカの若者が死んでいるのに、日本人は国内の事情で帰るのか」とアメリカは反発した。イギリスのファイナンシャルタイムスは一面で「これは武士道ではない。日本は臆病ものだ」とまで書いた。

「高鈴」の逆のケースを考えてみよう。日本近海で米海軍の艦船が中国の軍艦に襲われた、とする。救援依頼の電波を受信して、海上自衛隊の護衛艦が駆けつけたが、国内法の事情から、海自は米国艦船を守るために中国の軍艦と戦うことができない。

 米海軍の艦船は日米同盟によって、日本近海で日本を守るために活動をしていた。それを日本が助けないとは何事か、と米国民は激高するだろう。その瞬間に、日米同盟は深刻な危機に陥る。いくら条約があっても、米国民は身勝手な日本を守るために、米青年の血を流すことに猛反対するだろう。

 日本を含む太平洋の西半分を自らの覇権下におこうとする中国にとって、唯一の障碍は日米同盟だが、その同盟にクサビを打ち込む最も簡単な方法がこれである。

     *    *    *

 これはアメリカがペルシャ湾で軍事行動をしていたこと自体に問題がある、と、言えぬことはない。にしても、だ。日本のタンカーは戦争に参加していたわけではないのに、テロリストに襲われたのである。これを見て見ぬふりをしろと、護憲派サヨクはのたまうのである。

 そんなことで自衛隊を派遣したら、たちまち全面戦争に巻き込まれ、若者は戦場に送られ、悪夢の徴兵制が復活し、愛する支那を怒らせてしまう、…というのだから、精神病というほかない。

 近視になる理由のように、現実を見る努力をしないで、新聞なんかで「見えている」ものだけで、なんとなく平和がいいなあというだけの認識に、サヨクはなっているのだ。

 こうした当たり前の、きびしい現実を見ない、見たくないで育ってきたから、認識的近視になって、憲法さえ守ればあとはなんとかなるんだ、世界中が平和を守ったと尊敬してくれるんだと強弁するとは、あきれてものも言えない。

 すでに本ブログで説いたが…、
 磯崎首相補佐官の発言は、「法的安定性は関係ない」と言ったのは失言であるけれど、彼が言おうとしたことは、国と国民を護るために必要な措置が大事であって、法的安定性はそれよりも重要な問題ではない、と語ったのである。
 ところが野党とサヨクメディアはこの「関係ない」と発言した点の言葉尻を捉えて、審議をストップさせ、辞職しろなどとわめく。またもや税金のムダ遣い。

 公的安定性と、国民の安全とどっちが大事なのか、これがサヨクどもには見えないのだから、ほとほと嫌になる。
 明らかに戦力である自衛隊は9条違反である。野党はそれを根底から問うなら馬鹿は馬鹿なりにはスジは通るが、自衛隊は合憲だけど、集団的自衛官は違憲だとは、まったく狂っている。





posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(7) | エッセイ | 更新情報をチェックする