2015年08月08日

護憲派の「おもねる、へつらう、デタラメを言う」


《1》
 安倍首相が7月20日、フジテレビの「みんなのニュース」に生出演して「国民の疑問」に答えたそうだ。私はYouTubeで一応見た。
 フジは「国民の疑問」と言いながら、ほとんどはザイニチを出演させたり、タレント事務所所属の左翼コメンテーターばかりを選んだり、実に恣意的な番組だった。
 
 司会のフジテレビの伊藤利尋アナウンサーの態度も、一国の総理に対して無礼な振舞いが目立った。バイアスがかかった者を司会に起用すべきではない。
 フジはバックの映像に、先般の衆院特別委員会での採決で、民主党が「強行採決をしたかのような芝居」を流し続ける失礼な演出をやらかしていた。

 本来的には、あんなサヨク贔屓の映像を流すのだったら、首相は出演を取りやめて、席を蹴って帰ってくるべきだった。いつも不機嫌を絵に描いたような顔をしていた佐藤栄作や橋本龍太郎なら、怒っていただろうに。

 なんとかして、安倍総理を吊るし上げたい、野党に替わって貶めたい、という意図が露骨であった。せめて賛否両論あるんだから、公平な立場で放送すべきを、ザイニチに支配されているフジらしく、下品な振舞いに終始していた。
 まるで韓国のテレビ局で、安倍首相が一生懸命説明しているかのようだった。

 安倍首相も馬鹿なことをしたものだ。民放のそれもザイニチ牙城のフジテレビに出るとは…。TBSよりはまだしもいいか? NHKも偏向しているが、公平性の担保という点では安保法制の説明に安倍首相が出演するなら、NHKを使うべきだった。

 安倍首相の火事を例にした絵解きは、大衆向けにはわかりやすいだろうが、国家の高みからの安保法制の必要性を説くものではなかったのは、不満が残る。
 しょせんテレビは、大衆白痴を相手にしているのだから、首相が自ら出向いて説明すること自体に、彼の志の低さが表れていた。

 首相もっと悠然と構えて、世界を睥睨する姿勢を見せれば良い。
 テレビ出演なんかは、官房副長官あたりにやらせればいい。

 「安保法案に反対で、国会前で違法の無届け集会をやっている人たちは『平和を願えば平和が続く』と言っているが、それなら、ウクライナでもいいし、イラクやシリアに行って説得してきたらどうなのですか?」と言えばすんだ話である。
 現地の人からはひとこと「アホか」と言われて追い返されるだけだろうが。

 国家が自衛権を持つと、近隣諸国を侵略しはじめるとか、子や孫が人殺しになるとかサヨクは言うけれど、どうしたらそういうデタラメな理屈になるのか、わけがわからない。
 しかし、多くのメディアはそうしたデタラメやデマを真面目に信じて偉そうに報道するのだから、精神病である。

 戦後70年、日本はアメリカの属国にされた。だからアメリカの直々の軍事力に守られて、他国から侵略されずに済んできたのであって、憲法9条のおかげなんかではない。
 そのおかげで軍事費が抑えられ、経済発展できたとはいいながら、アメリカが仕組んでザイニチにひそかに乗っ取らせてきたのだ。
 だから、日本人の魂が滅んでいった。

 アメリカ、支那、韓国の思惑どおりに、日本人は腑抜けにされた。
 それが大問題であって、安倍首相は「日本を取り戻す」と言った中身でなければいけなかったのに、なんとフジテレビにのこのこ現れて、火事になったら…の「わかりやすい」説明をやらかすテイタラク。


《2》
 俳優・宝田明(81)は、サヨクのアジテータになることを決心したそうだ。彼のことは2月2日の本ブログで、NHKの番組で安倍政権批判に通じる見解を述べようとしてアナウンサーに制止された件を取り上げた。

 今度は日大芸術学部でのトークイベントで、心置きなく「反戦を訴えた」と、わざわざ毎日新聞が記事にした。(8月3日付夕刊) 
 俳優だから政治・思想に中庸でなければと控えていたが、還暦すぎてから、ノンポリをやめて、(サヨクになった)んだと。

 「今また、暗い時代の到来を危惧しているという。『戦争放棄をうたった憲法を70年近く熟成させてきたのに、その大事な樽のたがが簡単にはずそうとしている』と怒り心頭の様子で安倍政権の安保法案を批判。『決して忘れてはならないのは、戦争の現実だ。今、政治が危ない』と学生や参加者に向かって声を張り上げた。【奥村博史】」

 こいつもサヨクの常として、言葉でものを考えていて、像で考える実力がない。戦争放棄の9条が熟成してきた? なんのこちゃ?
 これは日本語ではない。デタラメである。現実をなにも反映した言葉ではない。
 先に言ったように、戦後70年の日本はアメリカの属国だから、支那の国共内戦にも、朝鮮戦争にもヴェトナム戦争にも武力で参戦させられなかっただけのことである。

 さらに「忘れてならないのは戦争の現実だ」というが、戦争で殺し合ったり、庶民が苦しんだりするのは一面の事実であって、それが戦争のすべてではないのだ。これがいくら解いてもサヨクには理解できない。結果として、日本軍がイギリス、オランダを破ったために植民地解放の端緒になったことをどう捉えるんだ、宝田明は?
 
 戦争が行なわれていなければ、いまだにインドネシアはオランダ領だったろうし、インドもシンガポールもイギリスの植民地だったはずだ。宝田は、では、アジアは植民地のままで良かったと主張するのか?

 「阿る」という言葉がある。「おもねる」と読む。「諂う(へつらう)」という言葉もある。どちらもほぼ同じ意味だが…。
 「阿る」も「諂う」も、自分の考えや気持ちを曲げて、人の喜ぶことをしたり言ったりして、取り入ろうとすること。自尊心のかけらもなく、お世辞を言ったりご機嫌をとったりして、相手にごまをすること、といったところか。

 宝田明にしても、毎日記者の奥村博史にしても、こいつらは阿る、諂うが身に付いている。宝田は俳優=河原乞食だから、根っから阿る、諂うが商売だし、マスゴミの記者も大半は広告主やサヨク読者に取り入ろうとするのが商売である。

 彼らは「戦争はいや」「戦争反対」「戦争は辛かった」とするレベルの一般大衆におもねて、へつらっているのである。観客や視聴者、読者に媚びている。
 それだけではない、憲法を押し付けて民主主義を教えてくれたアメリカ様にへつらって9条はすばらしい、理想だと言う。

 また一方で、支那人や朝鮮人には、ほら僕たちはいつだってこうして謝っているでしょ、悪かったのは僕たちだって反省し続けているし、「従軍慰安婦」も永遠に賠償すべきだって主張しているんだよ、ね、良い子にしているでしょう、と。阿諛追従。ご都合主義。

 こんなザマは主体性ある人間、誇りある人間の為すべきことではない。宝田明も毎日の記者も、どう言えばサヨク大衆が泣くか、怒るか、笑うか、安倍晋三を罵ってくれるかを熟知している。それを戦前から知りつくしてやってきた。だから毎日新聞は「南京戦で百人斬り」などという戦意昂揚のための大ウソをこいたのだ。

 今もその体質はいささかも変わらない。
 9条を護れ、戦争法案を阻止しろなどと言うやつは、これはもはや主義主張の話ではないのだ。その人間の人格の問題である。もっと言えば精神病理の問題であろう。

 宝田明の言うことは反戦ではなくて、大衆を馬鹿にし、見下し、見くびっている。当人は傲慢になり、大衆はこんなものだと高を括っている。
 大衆に主体性なんか説いてもわかりゃしない、戦争は嫌だよねと言っておきさえすれば、注目してくれる、拍手してくれる、と。






posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(9) | エッセイ | 更新情報をチェックする