2015年08月11日

戦後日本文学の蹉跌(1/2)


《1》
 昨日、触れておいた大江健三郎の問題に関してであるが、これは大江に象徴されているが、戦後日本文学の宿痾というべきテーマにつながる。
 大まかに言って、戦後の日本の文学界(とくに小説)は、大東亜戦争をどう捉えるかから出発した…はずであった。

 「はずであった」と書いたのは、その姿勢がズルから出発したからである。
 戦前の日本と戦後のアメリカに強姦されたあとのような日本との齟齬に目を向けた作家もいた一方で、あの戦争を非人間的な行いだったとする見方を中心とする作家がいた。後者のほうは、マルクス主義的な歴史観や社会観を持った作家、つまりはサヨク思想に染まった作家がいた。

 戦争中は、軍部にへつらって戦意昂揚の従軍記を書いていた作家達は、コロッと転向して戦後のGHQ民主主義に迎合していく。
 そのありようが実は醜悪だった。
 吉本隆明は昭和30年の論文『前世代の詩人たち』で、壷井繁治や岡本潤らプロレタリア詩人を俎上に上げて論じた。戦前は愛国詩、戦意昂揚詩を書いていたくせに、戦後は共産党に入ってGHQ民主主義を礼賛する転向を行なった。にも関わらず、戦前の詩ですら実は「戦争反対」と「抵抗」の詩だったと強弁するようになった。

 ごぞんじ、日本共産党が戦時中に潰滅して転向したのに、軍部に最後まで抵抗した唯一の組織だったなどとウソを言ったこととそっくり。韓国が日本として戦争に参加したのに、戦後になって実は米英と共闘して日本軍と戦った戦勝国になったとウソをついているのとそっくりである。こう言えばわかりやすいだろう。

 プロレタリア詩人どもを左翼の同伴者である、小田切進や平野謙ら評論家がグルになって、壷井や岡本のような転向組の文学者どもを、持ち上げたことを吉本は暴露した。
 吉本の指摘で、彼らは本心はグウの音も出なくなったが、それでも破廉恥に商売は続けた。

 戦後民主主義の作品にケチをつける奴は、反動、反共主義者、民主戦線の撹乱者との罵声が浴びせられた。今も安保法案に賛成の声には罵声を浴びせるサヨクと、体質は同じである。

 吉本の『前世代の詩人たち』は、この論壇文壇を覆う空気とタブーへの戦闘宣言であった(吉本隆明全著作集第5巻、所収)。
 三浦つとむの弁証法に関する論文は、こうした戦中世代のイギタナイ転向への激しい反発があったから、後に「試行」で吉本と三浦は同人になるのである。

 吉本は(三浦も)これがために文壇、論壇から異端児扱いを受け続けた。
 吉本が発行した「試行」は論壇、文壇からは徹底して無視された。出版界もその動きに同調した。それでも編集者のなかには良心的な人間もいたから、「試行」に論文を書いた人間に注目して引き上げようとしてくれた者もいたのだが。

 だから南郷継正先生が「試行」に論文を掲載したために、それだけの理由で、論壇や出版界か無視される運命にあったのである。
 こうしたことが、日本の戦後文学のスタートだったし、戦後サヨクのずるいスタートであって、それが反省なく今日につながっている。

 作家たちが戦争に協力し、戦争翼賛の記事や詩を書いたとしても、なにもそれを一夜にしてひっくり返して、実は軍部に協力したのではありません、民主主義を守ろうと抵抗していたのですと弁解し、文壇でよってたかって隠蔽することはあるまいに。

 いかに戦前から作家や詩人たちのアタマがお粗末で、文学のかけらも分かっていなかった証左でしかなかった。
 このタブーに振れさせないいわばシンジケートが文壇、論壇、出版界、そしてマスゴミに結成されたのである。

 何度も言うが、そこから戦後の文学も学的論文も出発させられた。だからあとから登場する作家たちも、この世界の「掟」に逆らえなかった。
 左翼かそれに近い第一次戦後派の作家たち(野間宏や梅崎春生ら)は、戦争そのものを文学でどう捉えるかを考えていたろうが、自分たちが軍隊に自由を奪われたとか、理想とする西洋に逆らい、しかも敗北させられたみじめなありようを見つめていたかと思う。
 しかし見つめ方がボロすぎた。

 第二次戦後派作家の多くは、西洋の小説を範にとる傾向が強かったのもその影響だったろう。
 西洋の、フランスやイギリスの第二次大戦で「間違わなかった」組の文学や学術に憧れるというか、自分の教養はそちらにあるんだ、日本国民もそっちの教養に身を任せるべきだと、「文化人」どもはなびいた。

 大江もその手合いで、薄汚い遅れた日本の文化や政治をアタマから拒絶したところから出発した。あまりにみじめな敗北を喫した日本に愛想をつかせたのも当時としては無理もなかったが、それを主導した知識人たちはやはり大きな間違いをかかえていた。

 戦争を経験して、戦争をどう捉えるかに挑むべき時期に、多くの作家が西洋への敗北感とか、社会主義的捉え方で総括しようとしたことは日本文化にとっては第一の悲劇であった。

 戦前は軍部の翼賛をこととし、終戦を境に進歩派を任じるという破廉恥に、食うためとはいえ、自分が確固たる信念を持てない無様さに忸怩たるものがなかったはずがなかろう。だがそれは出せないし、よしんば出したところで異常者扱いされるだけだから、ウソでもいいから戦後民主主義などの既成概念にすがったのだ。

 次に周知のように、戦後文学のさらなる新傾向というべきだろうが、「第三の新人」群が登場する。第三次戦後派の意味である。これは文藝評論家の山本健吉が唱えた分類で、安岡章太郎、吉行淳之介、遠藤周作、庄野潤三といったあたりが代表的作家とされた。

 第三の新人をうまくまとめた評者に服部達がいた。それを引用する。

     *    *    *

 青春時代すなわち戦争の時代が経ったあと、彼らの手に残されたものは、いっこうに見栄えのしない、みずから信じこもうとする熱意も大して湧きたたない、平凡で卑小な自我であり、そうした自我を背負いながらともかく今日まで生きてきたという、起伏に乏しいだけに扱いにくい記憶に過ぎなかった。

 (……)彼らは、逆手を使う以外になかった。外部の世界も、高遠かつ絶対なる思想も、おのれのうちの気分の高揚も信じないこと。おのれの自我が平凡であり卑小であることを認めること。
 (服部達「劣等生・小不具者・そして市民」)

     *    *    *

 日本の戦後文学はここがひとつの転換点となった。「逆手を使う」と服部は書くが、そうではなかろう。それしか考えられないアタマになっていったのだ。
 時期的に第三の新人を継ぐ世代として出てきた作家、開高健も大江健三郎もそうだったし、最近の芥川賞作家達も、文学は極私的で、非政治的で、非学問的で、いじましく小さくまとまって、何を書くかよりもどう書くかのテクニックを競うばかりになっていった。
 
 それを出版させる文藝誌の編集者たちも、彼らと相互浸透し、それで売れるものしか登竜門を通さなくなっていった。
 自分はなんでもないもの、とりたてて自己主張をしないもの、等身大にすら生きられない落ちこぼれの自分、信じられるものがないことに開き直る自分、こんな作品ばかりが世にはびこった。

 こうなったのは、昨日のブログで説いたように、作家も対象の構造に分け入る実力を身につけるスベを追及することなく、自分の思いが大事、自分の思いから行動するの愚を身上としたからの誤謬だった。
 だから大江に代表される作家たち、そして最近の新人作家のほとんどが(村上春樹のように)護憲派になびき、「戦争反対」になっているのも故なしとしない。

 「戦後派」の作家は、すくなくとも戦争体験を極私的にだけは捉えず、社会の問題は社会の問題として究明しようとする魂はあったろうが、第三の新人以降は、対象(社会)の究明より、自己の思い、感じをどうやったら安らえるかにばかり関心を向けるようになっていくのである。

 開高健は、自己の戦争体験をふまえて、社会事象や戦争という自己の外に存在する対象をどう捉えることが自己を安らうことになるのかと問いかけ、社会派的作品を目指し、またヴェトナム戦争を取材するなどして外へ目を向けつつあったが、自らの生活の乱れで心の病まで発症させて、結局、私小説に拘泥することで終わった。

 大江は東大生のときからいっぱしの作家になってしまったがために、サラリーマンなどの実生活の経験を積まなかった。よって現実と格闘する実力を身につけず、外国の思想家や作家を参考にするしか己の生きる道を見つけられなかった。書斎にこもって本を読めば賢くなれると勘違いした。対象の構造を自力で学的に解明するに至る道は放棄したのだ。

 彼ら小説家の欠点は、むろん現代の知識層にも相互浸透した。社会という対象の構造に文学としての切り込みをできず、自分の想いだけをこねくり回すだけの人間が、それを読む人間を同じような私小説的人間にしていったのだ。

 自分だけが人から認められていないとか、何をやっても中途半端だとか、さりとて社会主義を信奉してすべて社会が悪いせいだとするほどにアホでもない。いじましいだけ。 
 だから、世界の荒波に対峙しなければならない事態を極端なまでに忌み嫌う。それが「戦争法案反対」「徴兵制反対」「9条を守れ」の叫びになる。

 どこにも対象の構造に分け入る魂がない。何度も言ってきたが、ダチョウが敵に襲われた時に砂に頭だけ埋めて隠れたつもりになっているのと同じ。
 どうやったら対象の構造に分け入れるかとは、例えばアメリカ、支那、韓国などが過去にやらかしてきた悪事をしっかり分析しなければならない。それを日本人の共通認識にすることである。

 そのために、自らを知ること、つまりわれわれ日本人の特殊性は何なのか、そして欧米人や支那人や朝鮮人を知ることは欠かせない。彼らも世界市民だとか、話せばわかるはずだとか「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して…」とお題目さえあげておけば、みんなわかってくれるなどというのは、ただの怠け者である。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☁| Comment(4) | エッセイ | 更新情報をチェックする