2015年08月13日

骨の髄まで自己喪失した奴隷民族


 1977年9月、日本赤軍のハイジャック事件が起きた。首相・福田赳夫は「人の命は地球より重い」との迷言を吐いて、人質と交換に応じ、犯人の言いなりになって獄中犯6人を釈放したばかりか、彼らに税金から600万ドル(当時の16億円)をくれてやって、国外逃亡を認めた。

 世界に日本の恥をさらした瞬間であった。
 テロリストに屈した。まさに「命(ぬち)どぅ宝」の世迷い事を実践したからだった。
 このたびの安保法制審議で、サヨクが主張する「戦争はいやだ」「9条を守れ」などと聞くと、あの事件を思い出す。

 福田赳夫にその決断を促したのは、おそらく害務省の官僚と、自民党、それに社会党あたりだったのだろう。多くの国民も、なんとなく釈然としないながらも福田のとった措置を支持したのではなかったか。とりわけサヨクは。

 人質に犠牲が出ても、断固戦え、妥協するなという声は当時は少なかった。「超法規措置」に多少の批判が出ただけだったように記憶している。きっと超法規的措置を認めたら9条も廃棄されちゃうかもと心配したのだろう。

 もう一つ世界に恥をさらしたのが、アメリカが仕掛けた湾岸戦争のときに、ときの海部内閣は自衛隊を派遣しない代わりにと、110億ドル(1兆1千億円)のカネをパパブッシュ大統領にふんだくられた。どう使われたか、いまだに不明といわれる。
 クウェート政府は、軍隊を派遣した国には感謝したが、日本は含まれていなかった。

 この2つの事件では、いかにも日本人に犠牲者は出さずに済んだ。だが、めでたしめでたしで終わらなかったことは、まともな日本人ならば理解できたのである。

 日本人はいっせいに「日本の常識は世界の異常」とか「腰抜け国家」とか軽蔑されるようになった。
 それでなくても、もともとイエローモンキーと馬鹿にされ、アジアで無謀な戦争をやらかし、白人から植民地を奪った許されざる奴と言われていたところへ、追い打ちかけてこうした2つのみっともない事件を起こしたのだ。

 もともとよろしくなかった世界中の日本に対する悪感情は、くすぶっていたレベルから、修復できないほどに憎しみの炎となって燃えさかった。そして日本は脅せばいくらでもカネを出すという評判が定着した。
 支那もアメリカに教えられて、日本を脅しては巨額のカネを搾り取り、経済大国にのし上がった。

 韓国も北朝鮮も、「従軍慰安婦」だの「徴用工」だのと同じ言い掛かりをやり続け、さらに日本を脅してカネを奪おうとしている。北の拉致が解決しないのは、北が日本をゆする種にしているからである。
 その原因の主要な部分は、福田赳夫の日本赤軍釈放と、海部俊樹の湾岸戦争への寄付行為である。

 私の尊敬する作家・林秀彦さんはこう言っていた。
 
     *    *    *

 もし「ジャパン・バッシング」が「嫌われている」という意味だけならば、まだいいのである。日本と日本国民にとって一番のマイナスは、その世界の意識の中に軽蔑が強く含まれているということなのだ。ジャパン・バッシングがその常套句として用意し、実際に外国の新聞に雑誌にテレビに、そして人々のじかの会話として使われているものは、ざっと挙げても以下のような言葉だ。

 偽善者、無責任、義務からの逃避者、利己主義、無能、無為、無策、臆病、偏狭、近視眼、名誉心皆無、無礼、傲慢、誇りなし、矜持なし、破廉恥、裏切り者、自尊心皆無、独立心皆無、意気地なし、成り金、ケチ、ズル、……。

 同じような意味も重なっているが、こうした言葉は実際に私が外国で直接間接に受けた言葉である。今日だって受け続けている。
 いや、外国だけではない。国内の日本人が日本を憂い、悲しみをこめ、同じ批判の言葉を投げ掛けている。
 (中略)

 われわれは敗戦により、完全にアメリカの植民地となったのである。一見そうと気付かないのは、植民地化のアプローチが時代で変わり、昔と同じ形態でないだけのことで、ある意味では、もっと狡猾な、手の込んだ複雑なアプローチがなされている。そのため、国旗や紙幣を変えられる以上に、始末におえない属国になった。独立自尊の意識は国民から徹底的に喪失した。

 骨の髄まで自己喪失した奴隷民族が目下の日本民族の姿なのだ。必然的に、われわれは世界の人々から根っから馬鹿にされているのである。嘲笑されているのである。
(『ジャパン、ザ・ビューティフル』中央公論社 より)

     *    *    *
 
 9条を護れと叫ぶお馬鹿さんたちは、骨の髄まで奴隷根性になっていることを自覚することすらもうできなくなっている。
 国家も個人も、自己責任と独立自尊の魂を堅持しないではいられないのが、世界中の人々なのである。
パレスチナ人たちを見よ、クルド族の人々を見よ、東トルキスタンの民を見よ、彼らの抵抗が「9条を護れ」の馬鹿者どもにはわかるまい。

 「戦争しません」と言っていれば、戦争しなくて済むなどと言えば、世界中の人たちから馬鹿にされる。
 世界中の人が、平和を願いながらも、命より大切なものがあることを知っているからだ。
 集団的自衛権すら嫌だと言えば、林さんが挙げたような、「偽善者、無責任…」などと罵声を浴びることになるのに、気付きたくないのが護憲派どもだ。

 ただ、奴隷の平和だけがいいとする。支那や韓国にどれほど犯されても、耐え忍んでいればきっといつかは認めてくれると、オシッコをもらしながら念じているだけ。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☁| Comment(4) | エッセイ | 更新情報をチェックする