2015年08月24日

寝屋川の少年少女殺害事件の闇(1/3)


《1》
 大阪府寝屋川市立中木田中学1年の男女2人が相次いで遺体で見つかった事件。平田奈津美(13)星野凌斗(12)とも凄惨な殺され方をしている。

 毎度こういう中学生や高校生の重大事件が起きるたびに思うのは、親の無責任である。
 どうして親は、中学1年生の子供を深夜に外に遊びに行かせるのか、外泊まで許すのか、異性と付き合うのを許すのか。
 マスゴミは、被害者が殺害されたことを慮ってだろうが、絶対に親を責めない。そんなバカな。

 深夜、それも徹夜で寝屋川市駅付近の街中をうろつけば危険がいっぱいであることは、当人たちもわかっていないはずがなかろう。でもまさかと高をくくって街中を徘徊している。
 しかし、一番悪いのは犯人よりも親である。

 殺害した犯人が裁かれるのは当然ではあるが、それ以上に、子供をちゃんと家で寝かせない親が悪いのである。残酷な言い方だと誹られるだろうが、子供を殺したのは親である。あとで書くが、教師も重大な責任がある。

 二人とも、親に見捨てられているも同然である。
 星野凌斗は8月12日午後9時ころ、「女の子の家に泊まりに行く」と行って自宅から出かけた。なんでこんな非行を親は黙って許したのか。少年が男友だちの家に泊まりにいくなら、わかるし、その場合でも親同士で連絡をとるものだが、そんな気配はない。

 平田の母親は翌13日午前1時ごろに帰宅したときに2人は家にいなかったと報じられている。この親は深夜まで何をやっているのだ? 無責任きわまる。
 母子家庭では母親が働きに出ざるを得ないから、おそらく食事もきちんと健康な心身をつくるものが与えられていなかっただろう。それもまた子供と親の認識を歪める。

 平田奈津美は家から簡易テントを持ち出しているから野宿も覚悟だったのだろう。
 その晩はずっと徹夜で街中を徘徊していた。商店街の防犯カメラに映っていた。星野凌斗はその後、別の女子生徒に「2人で泊まりに行っても良いか」と繰り返しLINEでお願いしたということだが、いずれも断られている。信じられないやりとりだ。

 中学生の子供がなにがなんでも家に帰りたくなくて、深夜に徘徊するなどは、本来は起こりえない。それをあえて、親にウソをついてでも家出を強行したのは、よほど家庭に問題があったからである。いずれ週刊誌あたりが家庭事情を暴露するのだろう。

 でも、新聞やテレビは親を非難しない、その“優しさ”が、読者・視聴者に受け入れてもらえるからにほかならない。お追従でニュースに仕立てるから、誰にも責任を問わないでいられ、要するに不運だったとか、犯人が悪いと言ってすませる。皮相の見である。

 親をきびしく反省させないこの日本の風潮があるかぎり、こうした未成年に危害が加えられる事件は後をたたないだろう。
 
 8月21日になって、容疑者逮捕、少年の遺体発見と事態は進んだ。
 22日付の毎日新聞には、遺体発見を知らされた少年の家族のことが載っていた。

     *    *    *

 「いやや」。星野さんとみられる遺体が見つかったという速報が入った午後9時過ぎ、星野さんの自宅からは女性の絶叫が響いた。叫び声は5分ほど続き、いったんおさまったが、その後、おえつが漏れた。

 星野さんの家族や友人はこの1週間余り、街頭に出たり、通行人に情報提供を呼びかけたりして、無事を祈りながら行方を捜した。星野さんの母親は京阪寝屋川市駅近くの駐輪場に置かれた星野さんの自転車の荷台に「りょうとへ はやく帰ってきて。おこらないからママ、たおれるよ。おねがいやから ママとこ帰ってきて」とメモを張り付けたが、かなわなかった。

     *    *    *

 このウチは母子家庭だそうで、そこにこうした事件を招く要因の一つが隠されていると思うが、この母親の反応も異常である。
 死を知らされて、受入れたくないという感情が「いやや」の絶叫となったのは分からないではないが、少年宅の外に待機している記者連中のところにまで聞こえる大声とは…ちょっと日本人のマインドとは言いにくい。

 外部に聞こえるように意図して大声を何度もあげたとみえる。いかに自分がかわいそうかをわかってくれ、であろう。
 こういうのは、韓国人や支那人がよくやっている。
 それから母親が少年の自転車の荷台にくくりつけたメモも、異常とまではいわないが、おかしい。「ママ、たおれるよ」と書き付ける母親の認識が、である。

 ここにも、自分が、自分が、の認識が表れている。少年の安否よりも自分の不安をおさめてほしい、が優先している認識なので、こういう文言になる。
 少年が家出をせざるを得なかった何かが、母子の間にあったと思われるが、母親はこれからもそれを隠しとおすだろう。

 また、少年の母は「いやや」とともに「どうして!」と叫んだそうだが、どうしてと尋ねる(?)までもない、自分が招いた惨事なのだ。「どうして」と言うのは、自分には責任はないのに、とする認識である。

 夜9時に単に同級生の女の子と遊ぶからと言って、外出するとは思えない。一時は「京都に行く」と言っていたらしいから、これは家出と見たほうがいい。日常的にそういう母子の約束がないデタラメな家庭なのかもしれないが、少年が帰宅する時刻も告げていかないのを親が問題にもしなかった理由は何だ?

 殺された少年は韓国のボーカルユニット「ビッグバン」の歌が好きだったそうで、ここにもなにがしかの“特徴”は表れている。
 渋々彼らの歌を聴いてみたけれど、白痴音楽で、まともな神経では聞いていられない。
 顔つきも「醜悪」の一言。

 日本にもザイニチかもしれないあの手の歌手グループはいくらでもいる。エグザイル、ダパンプ、AAAとか。
 あれらは本人だけでなく、周囲のスタッフも気品のかけらもなく、気品などバカにしている。例えれば、夜の繁華街の認識で歌っている。そんな堕落した歌を中学生や高校生が好むことは異常である。

 まして中学1年生が聴く歌ではない。下品で無内容で、聞いているとこちらまでアタマが空っぽになるような不快感。

 親や教師が、どういう歌を好きになりなさいと教えず、ほったらかしにして、程度の低い友人たちで相互浸透した結果、あんな連中に憧れを持つことになった。韓国人どもは、チンピラふうの品性下劣な格好をして、へたな歌を歌っている。それを好きで聴くことで、いじましい認識に育っていたから、平気で異性との深夜の徘徊ができることになった。

 また産経新聞WEB版には、犯人は少年時代、枚方市の団地に現在とは異なる姓で、両親と妹の4人で暮らしていた、という記事が載った。つまりは朝鮮人だったものが、帰化したのか、通名を使って日本で暮らしていたのである。産経もなにに遠慮して、こうしてぼやかすのか。

 中学だけ卒業して高校へも行かず、万引きしたりしてぶらぶらしていたとか。中学時代、友人とは距離を置き、「1人でいることが多く、ひとりぼっちという印象。急にハサミを振り回すこともあった」という。
 犯人山田を知る中学の同級生は、「あいつならあり得ると思った」と語っているそうだ。朝鮮人として日本人にいわれなき「怨」を抱いていたと考えれば、彼の行動の原点は見えてくる。

 犯人がザイニチだとして、こうまで認識が歪むのは大きくは韓国が激しい反日をやっているからだ。山田は自分が社会で恵まれない、落ちこぼれている、友人もいない、将来は真っ暗、この現実をすべて日本が悪いと思うことができる。それを祖国韓国が後押ししてくれている。

 もともとカッとなりやすい民族性なところへ、悪いのは俺じゃない、日本人だと思い込む。だから残虐な殺人をやっても彼のなかでは許されると考えるだろう。
 韓国の反日は、ここまで影響を及ぼしていると思う。
 少年少女は、その韓国が仕掛けた戦争の犠牲者とも言える。





posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☁| Comment(12) | エッセイ | 更新情報をチェックする