2015年09月30日

チェ・ゲバラはヒーローなのか(1/2)


《1》
 映画『チェ 28歳の革命』(2008年 西・仏・米制作)
 2部作の前編にあたる。後編は『チェ 39歳別れの手紙』。いずれもゲバラが主人公で、前編ではキューバ革命を扱い、後編ではボリビアでのゲリラ戦と処刑されるまでを扱う。

 前編『チェ 28歳の革命』はこうなっている。
 アルゼンチン国籍の青年医師エルネスト・ゲバラは、放浪好きでメキシコに旅しているときに、フィデル・カストロと出会う。カストロとともにバティスタ独裁政権下のキューバで革命を目指すことになる。彼が武闘家・革命家として変わっていくさまを描いている。

 映画では、キューバ革命が成ってからゲバラが国連で演説するために訪米し、そこで米国のテレビ局からのインタビューなどに答える様子(モノクロ)と、回想的にキューバのジャングルで軍事行動を行なっていく様子(カラー)とが、交錯しながら進んでいく。

 キューバ革命は、カストロ率いる勢力が首都ハバナに侵攻し、バティスタが海外に逃亡することで成功をおさめる。
 高校くらいでキューバ革命を知った当時もかすかに疑問だったが、最後のほうはあれよあれよとバティスタ軍のほうが負けていき、楽々とハバナが反乱軍によって制圧される(無血入城)のは不思議であった。今はもっとはっきりした疑問がある。

 第二次世界大戦後、支那で蒋介石軍がボロ負けして毛沢東の共産軍が勝って、革命が成功する過程とよく似ている。
 どちらも気が付いたら革命が成功しているのである。
 どこかに八百長の臭いがする。

 カストロの革命運動はそもそもは社会主義革命をめざしてはいなかったとされる。カストロはバティスタ政権を支配するアメリカを憎悪していたから、必然的にソ連に接近し、共産主義国家を目指すことになる。

 キューバはアメリカとは断交し、アメリカによって経済制裁をうけるので、貿易相手を求めてソ連など東側につくしかなかった。売れるものは砂糖しかないのに、最大の輸出相手のアメリカを失った以上は、ソ連だけが頼りになってしまう。

 ソ連など東側は、善意の連中であるわけがなく、足下をみられて砂糖は買い叩かれるし、貧しい東側諸国にとっては砂糖より明日食う食料のほうが喫緊の問題だった。

 武装闘争は成功したものの、財布の中は空っぽ。砂糖の大消費地アメリカがあってこそ成り立ったキューバが…であった。もともと貧富の格差が大きい国だったが、地主階級を打倒しても、かえって貧しくなった。
 こういう事態はカストロ自身も、アメリカもソ連もわかっていたはずなのに、あえて革命をやった。

 これは偶然だったのか…あるいは陰謀か。それとも根源的問題として共産主義の思想に欠陥があったからか。
 共産主義思想の大欠陥は、現在の日本共産党を見ても同じだが、あくまで思想が過剰で、もっといえば道徳論であって、そこに社会がないのである。だから失敗する。

 最近は安倍政権が竹中平蔵あたりに騙されて、日本農業を、農協をつぶして外資の参入できる株式会社化しようと企んでいるが、こういうのは、地に足のついた農村と農協の現実を知らずに、妙なグローバリズムとやらを上からかぶせて農業計画を農水省が立てるようなものである。いわばこれが共産主義社会であった。

 キューバ革命が1959年、キューバ危機が1962年。日本でも60年安保闘争があり、左翼全盛時代と言える喧噪のなかで、革命を成功させたキューバは、左翼でなくとも若者の憧れであり、なかでもルックスも良く、医者の地位を捨ててまで革命に身を捧げたチェ・ゲバラは格好いいと、絶大な人気となった。

 しかも次の革命を目指してボリビアに潜伏したがわずか1年、1967年に逮捕され処刑されたので、いやが上にも「殉教者」とまつられて、「英雄」の仲間入りしたのである。

 いまでもゲバラをあしらったTシャツを着た若者がいる。
 このTシャツ現象が示すところは、いかにもゲバラはスピリットがあった人間ではあるが、その思想が金持ちは悪だとする道徳論であったことに由来している。実務家的実力が持てなかった。

 そのゲバラの人気をもとにして、キューバは善、アメリカは悪と操作されてきたように思う。それは大衆の描く像であって、我々は真実はどうなのかを知りたい。

 キューバで革命を成し遂げた彼らは「7月26日運動」と自称した。共産軍とか解放軍とは名乗らなかった。それはまあ勝手であるが、地主階級を倒したい、アメリカの傀儡バティスタを倒したいとの思いはあっても、革命後の国家運営に関してはズブの素人であった。小作農や農奴などからは圧倒的支持を集めて、人数も増え、資金も得られていったが、それからどうする?がなかった。

 反乱軍、革命軍はそういうものである。明治維新でも、薩長の下級侍どもは、ただ幕府打倒で一気に突っ走ったが、権力を握ってから「さあどうしよう」となった。カネもないし、国家の運営も国民への指導法もわかっていない。税金のかけ方さえわからなかった。
 そこをユダヤ勢力にいいようにつけ込まれたのだった。

 この映画でも描かれているが、カストロやゲバラは最後までジャングルの戦闘に明け暮れ、キューバ内の反政府勢力の各派と離合集散を繰り返しているだけである。国家とはも、政治とはも、経済をどうするかも勉強していない、そんな暇もなかった。
 それで突然、国家運営を任されたって、手におえるわけがない。

 映画の後半、バティスタの崩壊が近くなると、キューバ内の反政府勢力がカストロらと共同戦線を作ろうと、ジャングルのカストロのもとでしきりにやってきて交渉するようになるシーンを描いている。
 革命と言っても、主力勢力は他の政治集団を利用して権力を握ったら、用済みにして斬り捨てるものである。

 前政権の見よう見まねか、アドバイスしてくれる人間に頼るしかどうにもならない。きっとユダヤがカストロらを影で操ったのだろう。
 どうやって統括し、国民を従わせるかといえば、手っ取り早いのは夢をばらまくことと、恐怖で有無を言わせないことである。
 だから革命政権は、反革命を恐れつつ、自由な言論を徹底して弾圧し、前政権のメンバーを粛清して国民の反抗・批判の芽を摘む。

 コミュニストといっても、国民を幸せにしようとか、共産主義の理想国家を創るなどは彼ら自身信じておらず、詐欺である。間抜けなシンパを使い、大衆を熱狂させて権力を握り、テメエたちは一族と豪奢な暮らしをする。ソ連、支那、キューバ、北朝鮮、カンボジアなどなど、みんな同じパターンである。

 革命勢力、革新勢力なるものはみんな実務能力がない。反対ばかり、そして政権奪取ばかりやってきたのだから、できるわけがない。
 日本でも、民主党が政権をとったときに、一応官僚組織があるからなんとかなったが、国家運営に無知なだけに、政治家として振る舞った施策は全部失敗したことからもわかる。

 かつて東大医学部の学生らが、70年の全共闘運動の際に「青医連」などと言って政治運動にのめり込んだために、大事な教育期間が抜け落ちてしまい、その世代の医者がヤブばかりになり、後進の指導にも悪い影響が出て、今や東大病院に行ったら生きては戻れないと揶揄されるザマになっているではないか。

 現在も、安保法制反対を叫ぶ連中は、戦争のない世界をなどと理想というより空想、愚想にひたっていて、それが正しいとだけ思い込んでいるが、実際にどうやって国民の安全保障を担って行くかは何もない。彼らサヨクがもし政権をとったらどうなるか、国家運営ができない現実にただちに直面する。

 革命勢力は、国家権力を握った瞬間に隙だらけになるのである。
 例えば、中学校で非行少年が、先生を追放して学校を乗っ取ったとしても、学校の運営を続けていける実力はなく、途方に暮れるのみ。
 なのに、前政権が簡単に(?)撤収し、敗退してくれるはずがないではないか。

 カストロの軍は、そもそも武器弾薬がないところから始まる。購入しようにもカネはない。だからキューバ政府軍を襲って奪うしかない。映画では政府軍の列車を襲って武器弾薬を奪うシーンが何度か登場する。そういうことも可能であろうが、そもそも国家の軍と少人数の反乱分子では、実力差は圧倒的で、たやすく次々に武器弾薬がカストロ軍に渡っていくはずがなかろう。

 日本でもし、革マル派や中核派が政権奪取をめざすために、自衛隊を襲って武器を奪おうとしたとしても、国家を転覆されるほどの重武装が可能になると思えますか? あり得ないでしょ。キューバだってそうだったのに、カストロ軍が政府軍に勝つのだから、摩訶不思議なのである。

 きっと、裏でアメリカ軍が反乱軍に兵器を渡していたはずなのである。キューバで内戦を引き起こして混乱させるためか、カストロに政権を取らせるためかのどちらかだったのではないか。




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2015年09月29日

国家は民意と権力の意志との対立物の統一


 日本では、新聞は瓦版の昔からお上にイチャモンをつけることで売っていた。
 お上にも咎はあるにちがいないが、大衆は国家の統括もできないくせに文句だけはイッチョマエで、床屋政談が大好き。それにつけ込んで新聞は、「空があんなに青いのも 電信柱が高いのも 郵便ポストが赤いのも」みんな政府が悪いのよ、と言い立てて銭を稼ぐ。

 大衆は昔から妬みだけはイッチョマエにあるから、お上の悪口はいつも大歓迎なのである。

 一方で、新聞記者はどこかの企業の不始末を見つけると、新聞に載せる前に企業におっとり出向いて「こんなスキャンダルみつけたんやけど…」と強請に行く。企業側が参って、巨額の広告を打つから勘弁してちょうだい、と屈する。
 企業は、大衆の正義感というより妬みを恐れて、臭いものに蓋。

 テレビにいつも出ているコメンテーターと称するご仁は、ほとんどが芸能プロと契約している。評論家、作家、大学教授、弁護士、俳優などがそれである。
 青山繁晴氏が「虎ノ門ニュース」で言っていたのは、彼にも芸能プロから誘いがあったそうだ。「ウチと契約してくれはったら、もっとテレビに出られるようになりますワ。ギャラは2桁ちがいまっせ」と。

 つまり芸能プロに属していないと出演料は1万円、でも芸能プロと契約すれば100万円になる、そういう世界なのである。自由にしゃべっていいんですよと言われるけれど、100万円ももらったら、芸能プロの意向に逆らえるわけがないから断ったそうだが。
 
 つまりは、日本のテレビ番組は局ではなく芸能プロが仕切るのである。その芸能プロは、ほとんどがザイニチ系で、抱えているタレントも大半がザイニチとなっている。

 だからザイニチが、テレビ局にお笑いであれ、ニュースであれ、言いなりの発言をするタレントや評論家らを送りこんで、反日的番組を垂れ流す。
 安倍政権(に限らないが)のやることに、いちいち楯突いて、悪口を書き、貶める言動をやらかすのは、隠されているがそういうカラクリがある。

 国会前で、無法の抗議集会を開いて「アホかお前は!」「ファシストくたばれ」と、安倍首相に向かって罵倒していたあの大学生たちも、マスゴミにやたら出ずっぱりになったのは、ザイニチ芸能プロまでが絡んだ仕掛けなのである。
 ああそれなのに、それなのに、媚中副島隆彦は彼ら学生を優秀だ、歪んだ考えがない、などと褒めちぎった。

 安倍政権は安保法案が可決されたから、これからは経済立て直しに全力をあげると宣言した。
 すると、いつものパターンだけれど、サヨクマスゴミはいっせいに政権の悪口を言い始めた。

 皮膚病は掻かずにいられない、マスゴミは政府の悪口を言わずにいられない。
 余談ながら、アトピーなんかは掻くから悪くなるのであって、放っておけば治る。食べ物のせいなんかじゃない。だから皮肉でいえば、マスゴミが政府の悪口をやめたら、世の中はもっと良くなる。

 安倍政権がこれから経済に軸足を移すのは、国民に不人気で批判も多かった安保法案や原発再稼働、あるいは戦後70年談話などで支持率を落としたから、その退潮局面を打開するために経済重視の方針を改めて打ち出すのだ、と解説する。

 これは相当醜悪、勝手な憶測である。日本を戦争ができる国に、アメリカの戦争に巻き込むために、思いっきり右傾化しているから、そこから国民の目をそらすために、経済問題に目を向けさせようと奸計を巡らしている、とまじめな顔で解説する。それが「優秀な」大学を出た論説委員さまや編集委員さまたちなのである。

 根っから妬み根性の大衆は、欣喜雀躍して形ばかり眉をひそめて政治不信と偉そうに言う。政治家はいつも私利私欲で政治を決める、今度もまただ、と。
 しかし大衆を、そういう政治不信にしているのはマスゴミなのである。それがマスゴミのビジネスではないか。

 政治家が私利私欲や、地元の利益を優先させるのはたしかにけしからん話である。実際にあるのだから、是正するにしくはない。
 しかしそういう事態は国家のレベルで考えた場合は、現象論である。

 サヨク護憲派は、「民意を無視した」とわめくが、国家とは簡単に言っても、他共同体との対峙ないし、支配と被支配の関係であって、民意だけで成り立つものではない。
 民主主義なんだから民意が第一だとか、三権分立だから司法判断(それも憲法研究者にすぎない愚か者や、元最高裁判事なんかの私人)だとかは、国家の本質からいえば、些末なことである。

 そういうことは、サルの研究、ヒトの研究、そして人間とはの研究を踏まえなければ究明できないことである。現代の国際関係や現代日本の体制だけでわかった気になってはいけない。
 そこは大衆に分かれと言っても無理だから、大学教授や政治家、メディアの本来の論説委員などが説かなければいけない事柄なのである。

 それを勉強しないで、大衆におもねる記事ばかり書くからアホか、というのである。
 国家を成りたたせるには、民意と国家権力の意志との対立物の統一、つまり二重構造で捉えなければならないのである。

 もしも、某国が日本に侵略してきた場合に、民意は反撃してはいけない、何があっても戦争は嫌だとする見解が過半数を占めるかもしれないが、国家権力は民意なんかに左右されずに国家意志として戦うことを選択しなければならないのであるから、である。

 沖縄の基地問題も、サヨクどもはここが何もわかっていない。民意が辺野古移設に反対だから、それが全てに優先する、などと途方もないバカを叫んでいる。国家の本質が他共同体との対峙である以上は、国家意志で他共同体の対峙を最優先の問題にしなければならず、それがために国家意志として決定したことは遂行されなければならない。

 その原理を研究してこそ国家学とも言えるし、その国家学のなかの憲法論の究明を為すのが、本当の「学者」である。すでに書いたが、憲法と新しい法律の整合性なんかを調べるレベルでは「学者」と称して良いわけがない。

 媚中副島隆彦はHPで、「私、副島隆彦のような、総合知識人で、世界基準(ワールド・バリューズ)で、コツコツと知識を積み上げることのできる人間が増えないと、日本は、知能をヤラれている…」(9月21日付)としたためていい気になっている。だが、世界基準つまりは欧米白人社会の基準なんてものを云々するのは再三言うように、評論レベルであって学問ではない。

 その低度だから、必然、媚中副島は安保法案反対の愚にもつかぬ主張をわめく学生(民青)を褒めちぎってしまうザマをさらすしかなかった。本当は国会前で人様の悪口を言っていないで、ちゃんと国家とは何かを学問レベルで勉強しなさい、政治に口を出すのはそれからだよ、と諭してやるべきだったのに。

 しかもマスゴミ自身に政治家はアホだとか、不潔だとか、正義を振り回す資格があるのか?
 貴公らも政治家と一緒に、大衆の見えないところで旨い汁を吸っているではないか。

 官房機密費はどうした? 首相外遊にひっついて政府専用機にただ乗りしているのはどこのどいつだ? なんだかんだと国民から集めた税金にハエのごとくにたかっているのが記者ではないか。
 そのくせ、俺っちがバカな大衆を指導してやるとの傲慢不遜をかます。

 マスゴミが根底的に愚かなのは、いかにもお上は間違いも冒すし、私利私欲の腐った政治家も多い、だからと言って国家の全否定に及び、国家は悪だ、国民は個々の人権や自由勝手を楽しめばいいんだ、とまで突き進んだことである。
 国家学がな〜んにもわかっていない。

 大衆は政治家への妬みや怒りでいい気になって、そうだそうだ、国家がなければ税金はとられないし、徴兵もなくなる、戦争だって拒否だ、と浮かれた。





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2015年09月28日

オランダ軍、汚なし、人悪し


 1993年5月4日、カンボジア北西部の村で駐在している国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の日本人文民警察官5人が、UNTACオランダ海兵隊部隊の護衛を受け、車両6台の編成でパトロール巡回していた。その移動中に武装集団に襲われ、1人が死亡、4人が負傷した。

 日本人文民警察官死傷事件である。文民警察官とは、UNTACを構成する非軍事部門のひとつで、カンボジアの警察官を監督し、「選挙監視」など警察行政が民主的に行われるよう助言・指導するものである。

 武装集団は正体は不明だったがポルポト派の犯行と思われる。十数人の一団は、UNTACの先頭車両に対戦車ロケット弾を連射、車列が停止すると自動小銃で一斉射撃を浴びせた。
 警護のオランダ海兵隊も応射したが、武装集団の攻撃に恐れをなして日本人警察官を置き去りにして逃げた。

 取り残された現場で、高田晴行・岡山県警警部補(33)が死亡した。ほかの4名も重軽傷を負った。
 オランダ海兵隊員5人も負傷したから、激しい戦闘だったことは明らかだが、真っ先にオランダ兵が逃げたことは、どういうわけか伏せられたのである。

 それから十年後、2003年から2009年まで、わが自衛隊はイラク特措法に基づいてイラクのサマーワの復興支援に派遣された。
 周知のように、自衛隊は敵ゲリラに襲われても反撃できないので、代わりになんとオランダ軍が護ることになっていた。

 サマーワの自衛隊部隊宿営地には何度かロケット弾を打ち込まれている。たまたま不発弾だったから命が助かったそうだ。
 小泉純一郎首相が自衛隊のいるところが非戦闘地域だとデタラメを言ったから、偶然死者は出なかったが襲撃されたことは伏せられたのだろう。

 それにしても、オランダ軍はわが自衛隊を護れなかったのだ。
 自衛隊を護るためにゲリラと交戦すれば、テメエたちにも死傷者が出るからと、知らん顔をしたにちがいない。

 英軍将校は、あの腰抜けのオランダ軍に警護を任せるとはいったいどういうことだと呆れもし、怒ってもいたという。
 あのカンボジアで日本人警察官を置き去りにして逃げたと、世界中が知っているのだ。

 これはアメリカがイラクでの多国籍軍の役割分担を決めたのであるから、日本人の軍隊には意図的に臆病で弱いと定評のオランダ軍とセットにしたのであろう。
 なにしろインディアンを皆殺しにし、ハワイやパナマを乗っ取り、フィリピンで虐殺してきた連中だから、大東亜戦争で逆らった日本をいたぶるのは当たり前の所業であったろう。

 そうした実態をわが国国会では議論することなく、蓋をしておいて、やれどこが戦闘地域かだの、銃火器を持って行くのは9条違反じゃないかなど、バカとしかいいようのない話に終始していた。与党も野党も、無責任きわまる。

 おかげで現地の自衛隊は、ロケット弾を打ち込まれても反撃ができないで、アタマを抱えてひたすら弾が当たらないことだけを祈る仕儀となった。自衛隊に対してただ「人を殺すな」「戦争はダメだ」の妄想で縛って、大変な危険に晒したのが、サヨクであり、自民党公明党らであった。

 すべては支那や南北朝鮮の圧力による、あるいはサヨクがアチラ様を慮って自主規制。
 自衛隊は違憲だから、とか、人殺しになるから武器を持つなとか言う奴は、利敵行為であり、極刑にあたる。

 自衛隊は、国内では災害救助にあたるのは当然としても、本来は武力行使のための「暴力装置」以外のなにものでもない。海外の紛争国に国連の要請で出向いて、平和維持に協力するのなら、武力行使はあって当たり前だ。
 それなのに、道路工事や学校の建築に駆り出すというのは、自衛隊に失礼であるし、なによりわが国の屈辱である。

 自衛隊がイラクでただで道路を作り、病院を支援し、学校を建ててやればいかにも感謝はされるだろうし、そうやって国際協力をし、イラクの人たちと仲良くなるのは、二次的には結構なことであるが、本来的にはナンセンスである。

 道路や学校って…、それが「復興」支援なのか? 戦争で壊れたわけではなくて、ただ現地人が怠けていただけのこと。それをなんで日本から出向いて、われわれの税金を使って作ってやらなければいけないんだ? しかもイスラム信仰しているおかしな連中が日本軍もアメリカのなかまだからと攻撃してくるのだから、そんな命懸けでやらなければならない話か?
 ちゃんとカネを払えよ、イラク人!

 彼らも、ただで道路や学校を建ててもらえば、どうせ大事には使わない。補修もほったらかしになるだろう。自力で国造りをしなければ、一流の国にはなれはしない。
 そのためにはイスラムを棄てろとまでは言わないが、相当薄めなければ無理である。

 話をもういちどオランダ軍に戻そう。
 もっと遡れば、1941年大東亜戦争の初期、日本軍はインドネシアに君臨するオランダ軍を攻めた。オランダ軍はほとんど戦うことなくあっという間に全軍降伏した。当時のオランダは、本国がナチドイツに蹂躙占領されていたこともあったろうし、植民地くんだりで戦死するのはバカらしいと思ったのだろうが、恥をさらした。
 なにがABCD包囲陣だ(DはダッチのD)。

 45年に日本が連合軍に降伏して、インドネシアからも撤退すると、オランダ軍は戻ってきて再び植民地にしようとした。
 しかし日本軍が鍛えたインドネシア独立軍(ペタ)は敢然と立って、オランダ軍を駆逐しようと頑張って、ついに独立を成し遂げた。
 強いもの(日本軍)には腰砕け、弱いもの(インドネシア人)には高飛車かつ残虐に出るというタチの悪さ。

 欧米の植民地国家はどこも同じだが、軍事力の弱い相手には残酷なまでに傲慢に出て乱暴狼藉のかぎりをつくすくせに、日本に堂々戦いを挑まれると、そそくさとシッポを巻いて逃げる。

 マッカーサーは戦争初期、フィリピンのバターン半島に逃げ込み、勝てないと見るや自分だけが逃げた。その裏切りをしらばっくれるために、「バターン死の行進」をデッチアゲて、本間雅晴中将を戦後に処刑した。
 
 日本が戦争に負け、インドネシアでも戻って来たオランダ軍に降伏して捕虜になると、今度はオランダ軍が復讐に燃えて日本軍を残酷に扱った。
 映画『ムルデカ17805』(2001年)にはそうした卑劣なオランダ軍の様子が描かれていた。無抵抗な者には暴虐を尽くすその卑怯。
 それがオランダなのだ。
 そんな過去があるのに、あろうことかサマーワではオランダ軍に護ってもらおうというのだから、ひどすぎた。

 オランダは植民地にしていたインドネシアを、日本のせいで失ったので、今でも恨みは持っている。そんなオランダの軍にイラクでは命を預けるしか許さなかったのが、当時も今も日本なのである。
 自民党も無責任だったが、なにがなんでも自衛隊は違憲だとわめいたサヨク野党やマスゴミのせいである。
 長崎のオランダ村なんかに嬉々として遊びに行く人の気が知れない。

 日本人にとって、自衛隊は災害出動でもいざ支那や韓国が戦争を仕掛けてきたときに防衛してくれる、最も頼りになる存在である。
 東北大震災のときにも、先の鬼怒川の氾濫のときにも、よほどのへそ曲がりでなければ、自衛隊に対して涙がでるほどに感謝したはずである。

 なのに、イラクでもその他PKOでも、ひどい仕打ちをする。サヨクどもがそうするのである。媚中副島隆彦にいたっては、自衛隊なんか前線の米軍のウンコを処理しているだけだと罵倒する。どこまで下品な男なのだろう。
 媚中副島は、なにせ「ありもしない南京大虐殺」をあったと言い張り、私たちの高潔な父や祖父の健闘を侮辱したのだ。その時点で彼は評論家として終わったのだ。





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2015年09月26日

イソップ寓話に学ぶ団結


 古代ギリシアの寓話作家として有名なイソップについて、悠季真理氏の『哲学・論理学研究 第一巻』(現代社)に解説がある。
 引用させていただく。

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 古代ギリシャという社会は貴族社会であって、その生活は無数と言えるほどの奴隷によって支えられていたのである。現代の羊飼いが多くの羊を持っているように、貴族は無数の奴隷を使役させることで生きていた。羊が反乱しないのと同様に、奴隷の反乱などあり得なかった、そういう時代である。

 かの寓話作家として名高いアイソポス(イソップ、前600年頃)という大学者もその奴隷の一人でしかなかったのである(なおこのアイソポスについては、決して現代の物語レベルの作家と捉えてはならず、アリストテレス『弁論術』の中でもその名が記されているほどの代表的な賢人なのである。

 アリストテレスによれば、当時「寓話」とは政治的弁論の中で用いられたものであり、アイソポスは民衆指導者の演説のために数々の寓話を作ったという。奴隷の身でありながら高い知力を有していたために、後に解放され、王侯貴族の助言者として活躍したと伝えられる)。

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 さてその賢人イソップの寓話のなかに「三頭の牛とライオン」がある。みなさんも子供のころに聴いたことのある話だろう。

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 3頭のウシは、いつも仲の良い友だちでした。外へ出るにも一緒で、いつも仲良く一緒に草を食べていました。
 そこへ1頭のライオンがやってきました。ライオンはウシたちを食べてしまおうと狙いをつけました。
 しかし、いつも3頭一緒にいるので、いかに強いライオンでも襲いかかることができませんでした。
 3頭が力をあわせてきたら、ライオンでもかなわないからです。

 そこでライオンは、ウシたちを仲たがいさせようと思って、それぞれのウシに、
「きみの仲間は、かげではきみの悪口を言っていたぜ。1頭がいなくなると、あとの2頭でそいつの悪口を言い、その1頭がいなくなると、またあとの2頭で悪口をいっているんだぜ」
と、作り話を言って回りました。

 仲良しだったウシたちは、そのためにお互いを疑うようになって、もう一緒に草を食べるのは止めて、1頭ずつバラバラにいるようになりました。
 これを見すましたライオンは「しめしめうまく言ったぞ」と、順番にウシに襲いかかって、3頭とも全部食い殺してしまいました。

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 この寓話は、冒頭の悠季氏の解説を読んだ上でなら、これは政治的弁論の助言として作られたものと理解できよう。
 単にイソップの教訓話をして読めば、悪い奴には気をつけろとか、悪口を言ってはいけないとかのような人生訓的解釈になるだろうが、大本は政治状況を説く目的だったのである。

 したがって、ウシとライオンの寓話は、現在の私たちの政治状況の譬え話として示唆していると見なければなるまい。
 悪い奴はこのライオンのように、私たち日本人をバラバラにしようとしている。そして最後はすべてを餌食にしようと企んでいる。

 悪い奴とはいろいろだが、まずはアメリカ、支那、南北朝鮮、ロシア、在日、共産党、民主党、自民党などであろう。
 アメリカは、日本と支那と韓国北朝鮮を仲違いさせようと画策し、一方の支那は日本、アメリカ、韓国をいがみあわせておきたいのである。

 韓国はアメリカと日本をケンカさせようと謀(はかりごと)を巡らす。
 それが世界の現実だ。副島隆彦が言うように、アメリカだけが腹黒くて「アジア人どうしを戦わせよう」と企んでいて、支那は善玉だなどとウソをつくものではない。

 さらに反日勢力は、3頭のウシつまり日本人を仲違いさせようと奸計を巡らせてくる。
 たとえば原発をとってみても、支那や南北朝鮮らは、日本人のなかに推進派と反対派をいがみ合わせ、分裂させようとしてくる。

 あるいは農協についても、潰して市場原理に従わせろという勢力(竹中平蔵など)と、協同組合として存続させて国家の安全保障に資するべきだと言う勢力とをいがみあわせるよう工作してくる(アメリカや支那だ)。

 今般の安保法案を巡っての馬鹿騒ぎにしても、支那や韓国らは法案の阻止も工作しながら、同時に、日本国民を激しく反目させ、憎悪をかきたてる狙いもあったと思われる。
 そういう意図を、彼らは背後に回って隠しながら、マスゴミにカネを渡し、北京やソウルに呼んで豪遊させ、国民同士のいがみ合いを助長させたのであった。

 「自発的、自然的に集まった」とされる反日学生も、それを支持表明した媚中・副島隆彦も、国民の分裂を支那に指示されて諮っているのである。

 その企みを、絶好のタイミングで阻むことになった事件の一つが、先きごろの鬼怒川などの決壊で自衛隊が獅子奮迅の救助活動を行ったことである。
 災害に遭われた方には気の毒ではあったが、自衛隊ヘリの英雄的活動で、日本人はサヨクに毒されたアホどもを除けば心を一つにすることができた。

 自衛隊を称讃し、感謝することで、日本人は気持ちを一つにできたのである。だから、反日サヨクはクソ面白くなくて沈黙し、マスゴミはできるだけ小さく扱うように仕組んでいる。

 とはいえ、では自衛隊はすべてに渡って日本国民を護るのかといえば、そうではない。例えば革命が起きそうな不穏な情勢になれば、彼らは国民に銃を向けるものである。
 もしくは、日本はなんといってもアメリカの属国だから、アメリカ様が自衛隊に命じて、(極端に言えば)日本国民に銃を向けろと命じれば従わざるをえなくなる。







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2015年09月25日

悪意のデマを流すサヨク


 国会前抗議集会でわめいていた連中(媚中副島隆彦が絶賛した連中)について、産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が9月12、13日の両日に実施した合同世論調査を行なった。

 この市民団体と自称する「戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動実行委員会」(中身は共産党ら反日左翼)が主催して8月30日に国会周辺で行われた集会は、「一般市民の怒り」を前面に出し、党派性を薄めた印象を与えた。だが、共産、社民、民主各党などの支持層が中核を担っていることが調査結果からうかがえると指摘していた。

 これに対して、毎日新聞は分母が少ない(調査数が少ない)と文句をつけたが、テレビで観るかぎりでも、人の顔や幟旗等を見るとこの調査はほぼ的を射ていると思われる。

     *    *    *

 産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が12、13両日に実施した合同世論調査によると、国会周辺など各地で行われている安全保障関連法案に反対する集会に参加した経験がある人は3.4%にとどまった。共産、社民、民主、生活各党など廃案を訴える政党の支持者が7割を超えた。最近注目を集める反対集会だが、今回の調査からは、「一般市民による」というよりも「特定政党の支持層による」集会という実像が浮かび上がる。

 集会への参加経験者の41.1%は共産支持者で、14.7%が社民、11.7%が民主、5.8%が生活支持層で、参加者の73.5%が4党の支持層だった。
 集会に参加したことがない人は96.6%で、このうち今後参加したい人は18.3%、参加したいと思わない人は79.3%だった。

 (中略)
 参加経験者を年代別に見ると、最も高いのは60代以上の52.9%で、40代の20.5%、50代の14.7%が続いた。20代は2.9%で、20代全体に占める参加経験者の割合は0.8%にとどまった。各年代での「今後参加したい人」の割合を見ても、60代以上の23.9%がトップ。20代も15.5%だったが、「60年安保」や「70年安保」闘争を経験した世代の参加率、参加意欲が高いようだ。

     *    *    *

 だからいくつかの媒体や評論家が指摘していたように、あのデモは60年安保、70年安保を懐かしみ、夢よもう一度、あのころ俺は若かったなあとの思いに浸りたいアホどもが主力だったのである。
 彼らにしてみると、自分の青春だった反権力は夢の夢となり果てていたのに、またあのころを思い出して声を張り上げられる喜びに胸躍っていたのだろう。しかも若いお姉ちゃんまでが一緒になって賛同してくれる。励ましてくれる。有名人の顔も見られる。

 テレビのニュースで見るデモ参加者に年配が多かったことは誰でも見てとれたのである。バカ騒ぎ、お祭り騒ぎでしかない。
 産経の世論調査では、あの国会前デモを共感しないと答えた人は50%だそうだから、いくらマスゴミが扇動しても大衆は踊らなかったということだ。

 自民党にとっては本音では痛くも痒くもない烏合の衆である。
 民主党や共産党にとっても、来たるべき選挙では自分たちを支持してくれる人間たちだからおべんちゃらを言いに、あるいはだまくらかすために、党首らが集会に出かけてみせた。

 大学生や高校生の有志が多数、とサヨクマスゴミでは言われはしたが、実態は民青だと言っておいたとおりであり、ずいぶんと朝鮮高校の生徒が動員されたようだ。奴らの母国が一番集団的自衛権行使を嫌がっているからだ。

 17日の乱闘でも、民主党の白眞勲と福山哲郎(陳哲郎)、社民党の福島瑞穂らザイニチが目立っていた。とくに陳と白が自民党の佐藤正久議員に襲いかかっている。懲罰対象とすべきだ。

 ネットにあった「帰化国会議員一覧」を見ると、いかに民主党が反日勢力かがわかる。彼らにとっては日本人に成り済まし続けたいのであり、絶対に素性が割れてはいけないのである。
 喪服で現れた某は、国会での無作法な挙動、さらには園遊会で天皇に手紙を直に手渡すなどの非常識は、善良な日本人の振舞いとは思えない。
 こうして見ると、国会議員も地方議員も3親等内に外国人がいる日本人や帰化人には被選挙権はなくさないといけない。1票の格差問題より、こちらが重要である。

 さて。
 国会前で気勢をあげていた烏合の衆の中で、戦争法案が通ると、いずれ僕たち若い世代が戦争に駆り出される、強制的に徴兵にとられて、戦争に連れていかれ、罪もない人を殺したり、自分も殺されるようになる。
 戦争の被害者になるのは僕たちであって、憲法違反の法律を通した政治家ではない。そんなの嫌だ。

 とブーたれる声をニュースで幾度と無く耳にした。
 これはネットで竹田恒泰氏が言っているが、「そんなお前なんか来なくていい。足手まといになるだけだ」と反論している。
 私は竹田は好きではないが、これは正論である。
 「こんな人を戦場に送るほど日本人は耄碌していない。いざとなったら日本を護るという自衛官がダーッといる。こんな若者は戦場に行かなくていい、というか、行くな。迷惑だから。
 今は赤紙で兵隊に引っ張られることはない、素人が戦場にいたら迷惑なだけ。」

 今は非常に高度に戦闘技術が発達しているから、仮に半年や1年徴兵で訓練しても間に合わない。ついでに言うと、徴兵制を復活させろという私の持論は、自衛隊を経験することで多くの軍事知識を得られるだろうし、国防の意識が高まるし、何より集団生活で認識が立派になることを目指しているのである。

 竹田氏のいうとおり、軍人兵隊は素人やら闘魂のないバカには務まらない。
 国会前でわめく連中は、「安倍さんが戦争を起こそうとしている、僕らは、あるいは我が子たちが、強制的に戦争に連れていかれる国になる」と言うけれど、そんなことにはなるわけがない。

 だから共産党なんかは、ウソをついて無知な学生や高校生を集めるのである。「戦争に行かされるぞ詐欺」。戦争に駆り出されるぞと騙して、人数を動員しても、国会前には最大集まってもわずか3万人。ほとんどが労組活動家や在日。頭の固いサヨクばかりの無惨。

 愛国心もない、人のために尊い犠牲になる気もない、そういうバカは国防に参加されては困る。
 先の戦時中の学徒や少年兵はみんないい顔をしていた。それだけに一層、彼らを想うと胸が痛む。

 けれど、はじめからアメリカの傭兵になるのは御免だなどと、デマを信じて個人の幸福にだけしがみつく輩の顔つきの悪いこと。彼らには、社会に出てもまっとうな人生は得られないことだけは断言しておく。
 選挙権も被選挙権も年金も健康保険も没収すべきである。

 ついでながら、愛国心も闘魂もない若者をそのまま徴兵して戦場に連れて行くことがないのと同様に、ご主人のアメリカ様は実戦経験のない、しかも現代の超ハイテク化した戦争では、日本自衛隊には作戦は任せられないと思っているはずだ。後方支援くらいしかできない。

 鬼怒川の堤防決壊で救助に当たったヘリはたくさん飛んだけれど、警察や消防、まして民間機ではどうにもならないケースがあった。
 自衛隊ヘリにとってはかえって警察や消防のヘリは出てくるな、と思っていたのかもしれない。
 つまり実戦では、アメリカ軍が自衛隊ヘリに相当し、警察消防のヘリは自衛隊に相当する。

 とはいえ、媚中・副島隆彦は、自衛隊はPKOで行っても米軍のウンコを後方に運んだり、水を運んだりしているだけとバカにする言い方は良くない。自衛隊に経験を積ませれば十分戦力になることは承知しているはずだ。

 目下のところ、反日左翼どもが心配するような、日本の若者がアメリカの侵略戦争に巻き込まれる可能性はほとんどない。




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2015年09月24日

鬼怒川決壊で証明された自衛隊ヘリの頼もしさ


《1》
 鬼怒川の氾濫で一時行方不明者15名と公表され、泥の中を自衛隊、警察、消防隊員らが二千人体制で、くたくたになりながら1週間も懸命に捜索してくれたわけだが、なんと9月14日には全員生存の確認がすべて取れていたにも関わらず、その情報が行政から自衛隊に伝わったのが翌15日になってからだったという事態が出来した。

 常総市は、緊迫した状況になっても避難指示メールを市民に発信しなかったそうだから、心底無能、無責任なのであるが、加えて行方不明者の無事が確認されても自衛隊連絡しなかったのは、常総市が意図的に、自衛隊を蔑ろにして、無駄骨を取らせるためにやったこととしか考えられない。自衛隊は頭に来ただろう。しかし文句も言わずに引き上げた。

 これは役所に巣食うサヨクなり在日なりがわざと自衛隊に教えなかったのである。悪意である。
 当然処罰の対象とすべきだし、防衛省は無駄に税金を使わされたのだから、常総市役所の担当者を告訴すべきである。

 しかも行方不明者の氏名を市側は把握していたのに、公表せず、それがために行方不明とされた本人も探されているとは気付かず、名乗り出ることが遅れた。
 プライバシーを重視しろというこれもサヨクの常套手段が、無駄な捜索を続行させた。

 しかも、ネットで検索すると、自衛隊らが15人の不明者を懸命に捜索を続けているという記事はたくさんヒットするのに、行政の不手際と言うか悪意ある措置についての記事はほとんどヒットしないのである。

 YouTubeでも「依然、行方不明者を捜索中」という動画はヒットするが、常総市役所の悪意の措置についての動画はない。テレビのニュースでは結構、なぜ行政の伝達が遅れたかなどとやっていたようだが、それっきり報道されなくなった。 

 これもどこからか悪意の、自衛隊を貶めたい反日勢力が工作していると思われる。
 これが戦争法案だとデマを流したサヨクどもの正体である。
 いいったい共産党の志位や民主党の岡田は、自衛隊の活躍に感謝、称讃の言葉を発表したのか? 無視だった。だから国民から軽蔑され、議席を失うのだ。

《2》
 自衛隊のヘリコプターによる救出は水際だっていた。電線が交錯する中を縫うように避けて救出していった。消防や警察のヘリではむずかしいところを果敢に挑んでくれた。如何に高度で厳しい訓練をしているかをまざまざと見せられた。

 道ばたの電柱の側で、濁流に飲まれそうになりながら立ち尽くしていた男性がいたが、誰もがハラハラしながらもきっと自衛隊ヘリなら助けてくれる、と確信していただろう。 

 電柱から離れられない男性の上から直接はヘリから救助者が降りられない。それで3メートルくらい離れたところに降下して近づき、男性をロープ等でくくってから、ヘリは微妙に電柱のほぼ真上に来て、みごと電線にひっかけずに救い上げた。
 映画を見ているようだった。

 それこそ1ミリもブレずにホバリングをして、ピタリと救助してのける。「頼もしい、すばらしい」と日本人なら思うのだが、サヨクはそうではないから呆れる。
 少しでもヘリが風にあおられたり操縦でミスすれば、ロープが電線や屋根や樹木にひっかかって、墜落の危険があった。

 彼ら隊員にいくら職務とはいえ、いくら感謝しても足りない。国民栄誉賞をさしあげてはどうだろうか。
 それだけに自衛隊を潰したい反日サヨクや支那や韓国の者どもには見たくない光景だったろう。

 周辺国はちゃんと自衛隊の動きのレベルをウオッチしているのである。だから今度の河川決壊の救助によって、住民を救っただけでなく、自衛隊ヘリ部隊の優秀さを誇示でき、十分に支那や韓国北朝鮮らに抑止力が発揮できたと思われる。

 産経新聞は、一面に大きく自衛隊のヘリが救助活動をしている写真を載せていたが、朝日や毎日は、一面は洪水の空撮写真。自衛隊の活躍は中面で紹介してはいる。テレビの実況中継で、あれだけ自衛隊が台風のなかでシビアな救助活動を展開していた以上は、かたくなに載せないのはまずいと思ったのだろう。

 沖縄の「琉球新報」にいたっては、自衛隊に関しては完全無視らしいから、実に徹底している。

 阪神大震災や3・11の津波の場合も、自衛隊が活躍してくれたが、あれはいわば震災の後のことだが、鬼怒川の決壊はリアルタイムで、報道のヘリが撮影していたから、国民がみんな自衛隊の実力を知ったのである。
 大変なリスクがあるなかを、敢然と救出に向かってくれ、次々に成功してみせ、全員無事という快挙。

 ところがサヨクは、リスクがあることはやるなと安保法制で猛反対をやった。


《3》
 鬼怒川決壊の直接の原因がソーラーパネルを設置する工事の際に堤防を削ったせいだと判明した。
 このニュースは、テレビでは報じていたが、毎日新聞は無視していた。

     *    *    *

 茨城県・鬼怒川の氾濫で、国土交通省は19日、自然堤防の役割を果たしていた 川岸の砂丘を掘削して大規模太陽光発電所(メガソーラー)を建設した民間業者に昨年4月、 「洪水時に(周囲の住宅などに)浸水する恐れがある」と掘削の中止を要請したが、拒否されたと明らかにした。

 国交省は緊急措置として掘削部に大型土のうを設置していたが、 今回の水害では、土のうが流され、それを越えて川の水があふれる「越水」も発生。住宅や田畑に大きな被害を与えた。
 国交省は「掘削や土のうの設置状況が氾濫に影響を与えた可能性は否定できない」とし、引き続き検証する方針を示した。
2015/09/19 【共同通信】

     *    *    *

 国交省が掘削の中止を要請したのに、私有地だと言いはって拒否した業者は、どういうわけかマスゴミは名称を報道しない。すでに本ブログで書いたように、これは死刑もありうるケースである。
 国交省は、木っ端役人だし、ソーカが大臣をやっているからこういう反日業者に強く言えなかったのだろう。
 それが決壊を招いた。

 メガソーラーの業者が第一に悪いが、国交省も危険と知りながら放置し、あそこは民間の土地だから法的には問題にできないと言うのは本末転倒、許されざる弁明である。
 また民主党の責任を問う声もあがったが、太陽光発電を推進しようとぶち上げた、菅直人や孫正義にも責任はある。

 マスゴミはこういう重大問題を取材しない。売国奴である。そんな卑劣漢が、口をあければ安保法案は戦争リスクを増大させるなどと、よくもシレッと言えたものだ。





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2015年09月23日

ラグビー雑感


 9月21日、ラグビーW杯で日本が優勝候補の南アフリカに勝ったというので、日本中が湧いた。
 私も日本が堂々勝ったなら悪い気はしないが、もともとラグビーが嫌いなのでどうでもいい。

 ラグビーが嫌いになったのは高校時代に遡る。体育の授業でラグビーを教わった。教わったとはいえ、直接教えた者は体育の教師ではなくて、ラグビー部の同級生だった。
 体育教師は手抜きをしたのと、人数が多くて手取り足取り教える余裕がなく、知識のあるラグビー部のやつなら初心者は教えられるだろうと思ったのだろう。

 そのラグビー部の男は、いつもシンナーやタバコをやっていて、目が死んでいるヤクザのヒットマンそのものという奴だった。学業成績はオール1に違いなく、常に虫の居所が悪くて「おはよう」と言っただけで殴られそうな雰囲気だった。
 そういうクズに指導を任せたのだから、体育教師も頭が悪過ぎた。

 奴は当然、自分より勉強ができる同級生をいたぶりにかかった。授業なのに、怒声を上げるばかりで「教える」態度ではなかった。
 それ以来、ラグビーを嫌悪するようになった。

 私の高校は世間的には「お坊ちゃん学校」などと揶揄されたけれど、実態はどこの高校にも行けなかった非行少年が、親が金満家だから多額の裏金を払って裏口入学してきていた。

 「お坊ちゃん学校」という軽蔑的表現は見当違いで、それは言わばメッキである。中身は私学という名の集金機関だ。それゆえ、一応勉強はまじめにやろうという生徒は半数、あとはやる気がないか、もろに不良たち。

 だから心ある教師たちは、そうした不良どもからまじめな生徒を守るのに懸命だった。

 ラグビーは紳士のスポーツなどと言われるが、そんなことはあるまい。高校でいえば、よほどの進学校は紳士的にスポーツとしてやっていると言えるかもしれないが、二流三流の高校になると不良の溜まり場で、公然と取っ組み合って暴力が振るえるからやっている者ばかりになる。

 他県は知らないが、首都圏ではラグビー強豪校と言われる高校は、そりゃあもう普通の神経では行きたくない学校、恐ろしい不良の溜まり場と世間では認識されていた。
 日本では野球やサッカーに比べるとラグビーに人気がないのは、そういう背景があったからである。

 本家の英国ではいかに紳士のスポーツと言おうと、ケンブリッジやオックスホードを出た連中が、世界中で残虐きわまる植民地支配をやりつづけた。彼らジェントルマンは、血で血を洗いながら、平然とやましさのカケラもない人間になった。その奴らが好んだのがラグビーである。

 周知のようにラグビーは、英国のラグビー校が発祥のフットボールである。これは日本で言うと中高一貫校である。初めは村のお祭りに、2チームに分かれ、ざっとしたゴールにボールを持ち込んだほうが勝ち、とし、村中の人間数百人もが入り乱れて、タックルはもちろん、殴打も踏みつけもなんでもあり。なかには家屋を壊し、財貨を盗み、ケガ人続出の無法状態だった。

 為政者は、そういう野蛮な騒動をおおっぴらにやらせることで、住民の不満のガス抜きをやった。それをイギリス人は植民地にも持ち込み、原住民に暴れさせて息抜きとしたので、その伝統が英国植民地に残る。

 今度のワールドカップの出場国をみれば、その傾向の一端は垣間見られる。
 強いところは、英国(イングランド、スコットランド、ウェールズ)とその植民地だったところだ。
 ニュージーランド、南アフリカ、サモア、オーストラリア、アメリカ、フィジー、ナミビアなど。

 ワールドカップというから、一応世界中からかき集めているが、基本は英国連邦が主導権を躙る。つまり英連邦の運動会だが、世界に広げてカネを儲けようとの魂胆である。
 日本のラグビーが実力をつけたことは確かなのだろうが、奇跡のように強豪南アフリカを破ることができたのは、4年後に日本でW杯を開催するからではないのか。

 2002年のサッカーW杯がそうだったように、大イベントを持ち込むことで日本人のラグビーの関心を高め、スポンサーを付けやすくして、大儲けをできるようにするためであろう。
 今回のラグビーでまたも惨敗、日本チームは世界レベルにはとうてい叶わないとして撤収させるより、南アあたりに言い含めて負けてやることによって、一気に日本人が有頂天になって、ラグビー人気を高められる。

 サッカーW杯では、アジア枠では日本や韓国を予選で勝ち抜かせて、本大会に出場させないと、FIFAにはカネ(広告料や放映権収入)がはいってこない。FIFAにしてみると、カネもなければ国民の関心も低いアジアの国に勝ってほしくないのである。

 今回のラグビーでは、日本チームに世界的な名伯楽と称されるエディ・ジョーンズ・ヘッドコーチが指導して、飛躍的に上達させたと言われる。
 それは確かなのであろう。しかしW 杯寸前に大会が終わったら日本チームを辞め、古巣の南アチームの指導者に戻ると宣告した。

 理由は明らかにされていない。ただ何か…国際ラグビー評議会(IRB)の思惑がなにかしらあってもおかしくないだろうなと思うだけ。
 ラグビーのファンは、純粋にいい試合が見られて良かった、しかも日本が勝ったと喜べばいいじゃないかとお怒りになる向きもあろうが、オリンピックにしてもサッカーにしても、スポーツ界とはそんなキレイ事の世界ではないことは知っておいたほうがいい。

 冒頭の私の高校時代のラグビー経験で言い残したことがある。
 体育教師はラグビーの「ラ」の字も知らない生徒に、しかもあまりやる気のない生徒に、部活でラグビーをやっている同級生や上級生に指導を丸投げするのは、最低の所業である。しかもそいつが暴力団さながらであればなおのことだが、真面目な指導者であっても、絶対にやってはいけない。

 それは指導の根幹である。
 私の空手流派では、例えば大学では入学して来た初心者には、絶対に先輩に指導させてはいけないと言われている。必ず監督が直に指導に当たれ、と厳命される。
 いうまでもなく、初めが肝心だからである。

 監督や指導者が初心者に絶対服従を叩きこまねばならず、尊敬を克ち得なければいけないからだ。先輩が指導してもできないことはなかろうが、それは形ばかりは…でしかない。魂が注入できないのだ。
 
 ある程度、練習に慣れてきたなら上級生の、技の見本となり得る者に部分的に任せることは出来てはくるが、それをも厳しくチェックしていなければいけない。
 なにしろ、指導者とは指導したくてしょうがない者であって、三度の飯より指導が好きでないと務まらない。
 どんな理由があれ、他人任せにできるなら、その時点で指導者失格、教育者落第である。





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2015年09月22日

野党が安保法案を通過させた


 日本のアカデミズムの歪み、腐敗はとてつもない。
 学界の利権問題を別にすれば、端的にはそこに弁証法がないからにほかならないのだが…。
 憲法を不磨の大典とみなして、憲法にあっているかどうかだけを研究するのが圧倒的主流で、この憲法がどこがいけないかどこが良いか、良くないところは直し、良いところは伸ばし…を研究している憲法研究者はほとんどいない。

 青山繁晴氏がラジオ番組(9月17日)で語っていたことを以下にざっと紹介する。
 青山氏は、初めに作られた蒸気機関のまま、あるいは最初に発明された自転車のまま使うのか、法律も同じで、人間の作ったものは良い所も良くないところもあるのだから、変えていくのは必然だと説く。
 
 まったくそのとおりだ。
 今の憲法だけが絶対で、憲法に他の法律が合っているかどうかだけを云々する…これが学問なのか。良く言って「知的お遊び」でしかない。

 より正しく言うなら、世界は弁証法性であって、つまり運動しているのであって、まさに飛んでいる矢を止められないのと同様に、現実は刻一刻変化発展のただなかにある。
 変えてはいけないもの(こと)と変えなければならないもの(こと)との統一で考えなければいけないのが、学問であるし、政治である。

 現行憲法だけが絶対だ、動かすな! なんてことを頭の悪い人が主張するのは勝手だが、国立大学私立大学を問わず、こんなことに税金を使うことはやめるべきだ。人間の作ったものを変えてはいけないというのは学問ではない、それは宗教だ。
 国政や言論の自由への宗教の介入そのもの。

 そんなことをな〜んにも考えていない野党議員に、さらに審議が尽くされていないなどと言って、下らない主張を延々と聞いたって、どうやって国民を護るのかのアイデアすら出てこない。
 憲法研究者に聞いて、有効な安全保障の方策を出してくれるのか?

 今度の安保法案審議で、参考人招致や公聴会では、北朝鮮に拉致された被害者家族とか、イラクに実際に行った自衛官を呼んで話を聞くならわかるし、それを鴻池委員長が怠っているから不信任だというなら話のスジが通っている。そうではなくて、国家の安全保障問題ではただ反対しかわめかない福島瑞穂なんかに何時間しゃべらせたって意味はない、というように青山氏は説いて行く。

 集団的自衛権の権利はもっているが、行使はできないと内国法制局の法匪どもは言ってきたが、究極のアホである。
 誰でも両性の合意に基づいて結婚できる権利はあるが、行使することは認められない、という法律があったら奇怪だと思うだろうに。
 昔のように、御領主様の許可、両親の許可がないと結婚できない時代があった。それはおかしいということで、自由になったのではないか。

 青山氏はまたこんなエピソードを紹介していた。
 青山氏が共同通信の記者時代、当時首相だった村山富市(社民党)は、海自観艦式の場で「シーレーン防衛をやらなければならない」と発言した。シーレーン防衛とは、海自と空自が中心になって中東まで行って戦争に参加するということを意味する。
 オイルタンカーが襲われたら、そこで反撃する流れになる。
 これをやっていいとは、憲法には書いてない。国の交戦権は認めないというのだから。

 こういうのを首相の「暴走」発言というのであって、曲がりなりにも国会で審議されてもいない事案に、勝手に「日本は戦争できるんだ!」と言っちゃったのも同然なのである。
 いかにも村山が言ったように、シーレーン防御はやらなけれればなるまいが、法律も整備されていないのに、自衛隊を動かすわけにはいかない。そんなことも知らないバカが首相になった。

 村山が無能だったために、阪神大震災で自衛隊が救助に出動するのが遅れ、無駄死にした人が多かったのも、むべなるかな。
 反日サヨクどもは「安倍が暴走した」と騒ぐが、ちゃんと国会で正当な手続きを踏んで承認されているのである。

 国会の17日前後の動きは、昨日も書いたように八百長だった。
 安倍政権にとっての最大の危機は、自民党総裁選が実施され、野田聖子が候補として認められた場合だった。首相は総裁選のために全国遊説しなければならなくなるから、国会審議に欠席する。
 
 そうなれば野党は、審議に首相が出席しないなら委員会開催には応じないと妨害に出ることが可能になった。それなら、安保法案は廃案にできたのである。
 だから自民党の古賀誠は反安倍の動きを見せて、野田聖子に指示して総裁選立候補に挑ませた。

 現下の情勢で、野田が総裁になれる確率はゼロなのに、あえて討って出させたのは、古賀の嫌がらせでしかなかった。古賀は自民党内極左である。幸い、野田の立候補は見送られ、国会審議に集中できる環境が整った。

 もしかすると、野田聖子の立候補を妨害したのは、安倍に近い自民党だけではなく、民主党や共産党、小沢らだったかもしれない。
 そういう魑魅魍魎の世界なのである。
 野党は、今国会で安保法案が(抵抗したあとで)可決されて欲しかったのだと、青山氏は解説する。

 そうでないと来夏の参院選で争点にならないからだ。それゆえ、後のほうで野党がやらかしたことは、抵抗しているフリをしたただけなのである。

 参院選では安保法案を蒸し返して、安倍内閣は立憲主義を蹂躙した、平和を葬った、国家のリスクは高まった、数を頼んで国民の声を無視した、などなどと罵る材料を十分得たのである。無意味であるが。
 そのために、16、17日に妨害を派手にやり、乱闘までやって、テレビに映させたのである。

 もう一つの考えられることは、乱闘騒ぎはサヨクどもがわざと日本国会のレベルの低さを世界に見せて、日本の声望を落とそうとしたのではないかと、東海子こと落合道夫氏は言う。ありえない話ではないが、うがちすぎではなかろうか。

 安倍内閣の支持率は高い。米国議会での演説も、戦後70年談話も成功させ、安保法案も中韓以外の国では歓迎されている。経済も今のところ突っ込むところがない(ほんとうはあるのに)、東京五輪の不始末も素早い対応で白紙に戻した(まだ不十分だが)、というように、確実に安倍内閣は点数を稼いでいて、野党は完全に守勢、打つ手がない。
 このままでは参院選で惨敗は免れない情勢なのだ。

 だから、安倍はファシストだ、暴走だ、戦争が起きるぞとわめくしか、有権者の注意を引き付けられない。
 生活の党の山本太郎という乱暴者が、喪服で数珠を持って本会議に現れたそうだが、むしろ、9月17日は「野党が死んだ日」なのである。

 青山氏は、特別委員会で野党が委員長の不信任動議をかまして、一見抵抗しているように見えても、実際はあとは一瀉千里でまたたく間に法案成立に流れができたのだと解説する。
 実際、そのとおりになった。抵抗は見せかけであり、国会前に集まったおバカどもが、来たる参院選で興奮したまま野党に投票してくれる布石を打ったということなのである。

 これが昔から与党と野党が繰り返してきた八百長の一幕である。
 マスゴミもそういう八百長を知っていながら、自分たちもそのオコボレに預かろうと、裏で政党と協定を結び、国民に誤った情報を垂れ流してきた。

 もうひとつ。
 9月13日に朝日、毎日、東京の各サヨク紙に「強行採決反対! 戦争法案廃案! 安倍政権退陣!」の全面広告が掲載された。
 出稿したのは「戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動実行委員会」で、連日国会前で違法の集会を開いてデマを叫んでいた連中だ。
 このなかでは朝日新聞の広告料が図抜けて高額で、全面広告なら1回出すだけで数千万円かかる。

 金額に幅があるのは、広告主が期日と何面かを指定すると、定価で請求されるが、スペースが空いたらどこの面でもいい、という場合なら値引きしてくれる。

 13日に指定して3紙一斉に出したのだから、総額では1億円以上かかったと思われる。
 こんな巨額がにわか造りの組織に出せるわけがなく、また退潮著しい労組にもできる芸当ではなかろう。

 主催者によると「カンパ」だというのだが、あり得ない話である。
 要は支那共産党か韓国政府が資金援助したのである。
 新聞は広告主には逆らえない、逆らわないから、サヨクや支那様の意向に沿った記事をこしらえるのである。





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2015年09月21日

安保を弄ぶ反日サヨク


 国民をどうやって護るかを議論するのが国会の役目である。
 そうした国家安全保障の中身とは、サヨクどもがいうような武力行使だけではない。
 三橋貴明氏の『亡国の農協改革』(飛鳥新社)に列挙されていることを紹介しておく。

     *    *    *

● 国土を外国から防衛する (防衛安全保障)
● 国民を大規模自然災害から守る (防災安全保障)
● 国民を犯罪から守る (防犯安全保障)
● 国民を飢えから守る (食料安全保障)
● 国民に安定的にエネルギー(電力など)を供給する (エネルギー安全保障)
● 国民に高品質で安価な医療サービスを高いアクセンシビリティで提供する (医療安全保障)
● 非常時でも物資の流通を実現する(物流安全保障 いわゆるロジスティクス)

     *    *    *

 一言でいえば、「経世済民」。これが政治家の仕事である。
 ところが、ここ半年程は安保法制のくだらない審議に振り回されて、防衛安全保障以外の安全保障に関わる国会論議は完全にストップ。防衛論議だってお粗末でしかなかった。
 最近でも警察官の強盗殺人事件が起きているが、こうした防犯安全保障の問題なんかそっちのけにされているからの醜態を招いているではないか。

 間近に迫る財務省の奸計たる消費税増税をどうするかとか、宗教法人の悲課税をどうするかとか、論議しなければならないことは山積みなのに…。

 わが国の周辺国は、同盟国でも反日国でも日本のこうした安全保障を切り崩そうと仕掛けてくる。アメリカは日本を属国にしているから、一番やりやすい。支那や韓国は「お隣りの国」だの「友好親善」だの、過去の歴史の謝罪などを搦めて侵攻してくる。

 ところがそうした世界の情勢があるのに、議員どもは、飛行機も新幹線グリーン車も乗り放題。年間支給給与は2200万円、「文書通信交通費」は月額100万円の非課税で領収書提出が不要。

 政党交付金として議員一人当たり年間約4000万円、立法事務費として月額65万円が会派に支払われる。このお金のほとんどは政党が使い、議員個人に支給されないが、政党によっては政党交付金の一部、年間数百万円から1000万円程度は各議員に支給されている。

 こうした経費など一切合切を含めて、年間4400万円ほどのお金が議員本人の口座や政党支部の口座に分けられて振り込まれている。
 国会議員ほどおいしい商売はない。
 いきおい、奴らは国民のために働くより、自分の議席を維持することに血道になる。

 宗教法人を非課税のままにしておくのは、政治家が宗教を儲けさせてやれば、お返しに信者らがまとまって政治家に投票してくれると見込めるからで、宗教法人と政治家がもちつもたれつになっているからだ。

 国会運営費は一日あたり3億円も費用がかかる。年間で1千億円もかかっている。費用がかかり過ぎじゃないのか。そのカネは国民が汗水流して稼いだカネを集めたものである。
 こんな放漫運営をしていて、まだ足りません、消費税を上げますのなんのと、よくも言えたものだ。

 そんななかで、野党は多数決で決めるのは嫌だとわめいて、審議引き延ばしをやらかし、はじめから法案成立が決まっているのに妨害して、税金をムダ遣いしていやがる。
 中身のある議論ならまだしも、冒頭に書いたように、国民をどうやって護るかが議論されない。

 憲法9条を護っていれば、それだけで国民を護れると主張するのは狂気である。
 これは青山繁晴氏がラジオ番組で語っていたが、憲法にはどうやって国民を護るかの文言は、一字一句ない(!)のである。9条は国民がどうなっても反撃することもダメ、兵器を持つこともダメと規定しているだけ。

 前文には、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあるが、たったこれだけが我が国民を守る“手段”なのである。
 大江健三郎が憲法そもそもの精神に戻れとわめくとは、国民を護るなと言っているのだ。

 そんな馬鹿げ切った「お約束」があるために、韓国には李ラインを敷かれて日本人が拿捕され、竹島を占領され、北朝鮮には拉致され、ロシアには正当な漁民が拿捕されてきた。アメリカには一例では「年次改革要望書」を突きつけられて、日本国民の財産を奪い続けられる。TPPを仕掛けられて、たとえば日本の農業や医療がブチ壊されようとしている。

 支那に進出した企業は(それ自体過ちだが)、約束を破られて資産も儲けも毟り取られる。尖閣諸島に侵攻され、小笠原諸島海域ではサンゴが取られ放題、東シナ海のガス田では石油が勝手に吸いとられている。

 このどこに「諸国民の公正と審議」があるから「安全と生存」が保持されたというのか。
 大江健三郎らは戦後70年、9条があったから平和だったとアホを抜かす。いかにも銃弾は飛び交うことはなかったにせよ、戦争がなかったとか平和だったとか言うのは欺瞞である。

 「9条があったから平和だった」の論拠が、北による拉致だけでも覆されるから、卑怯にも大江は、拉致された同胞を取り戻そうとは絶対に言わない。その苦汁を慮って、新聞も出版社も大江に問いただすことは遠慮する。

 これがこれまでの国民の安全保障法制の欠落が招いた「危機」と「損害」である。
 近隣諸国に対し日本人が丸腰で「仲よくしようぜ」といえば、平和が守れるとするのは、好意的に言っても「空想的平和主義」であり、端的にはビョーキである。

 副島隆彦はそんな国家の危機の実態も考えられない安保法案反対をわめく学生を、絶賛したのだ。サヨクマスゴミも同然。
 政治家のみならず、官僚にもアメリカばかりか支那や韓国朝鮮の意向を受けている者が大勢巣食っている。彼らアメリカや支那などの指示で動き、日本を弱体化させ、損をさせるためにあらゆる手段をこうじてくる。

 副島のやっている言論もそうした一環であり、国会前に集まって反対を叫ぶ学生も労組の活動家も、そうした外国反日勢力の日本攻撃の一環である。

 テレビで17日の委員会での乱闘騒ぎを見ていて、つくづく日本の政治状況の後進性に情けない思いをした人は多かろう。あれを野党は良くやった、などというのはアホである。
 結論は決まっているのであり、安倍内閣に対する支持率はむしろ上がっているのだから、反日野党がいうような国民は「反対している」というのはウソである。

 反日サヨク政党は、「戦争法案に抵抗した」という面を支持者や支那、韓国に見せるために派手にパフォーマンスをやらかしただけ。
 議会のルールにのっとって採決すようとしたのが自民党であって、それを妨害する、阻止する姿勢だけをテレビに映させるだけが奴らの狙いだった。

 どうしても阻止したかったなら、昨年7月の段階で安倍内閣は安保法制の概要を閣議決定したのだから、それ以降に反対運動を展開すれば良かったのだ。年末には総選挙があったのだから、そこで国会へのデモをかけるなり全国レベルで自民党を倒すチャンスがあった。なのに何もしなかった。自民党は少なくとも、選挙公約にこの安保を掲げていた。

 民主党や生活の党などは昨年暮れの選挙で、自衛隊は廃止します、憲法さえ護れば侵略されても抵抗しません、という公約を掲げるべきではなかったか。

 それでいて、反日野党どもは今になって、土壇場で暴力沙汰をやってのけるのだから、呆れてものも言えない。野党が暴力沙汰を起こして暴れるから、見た目には「強行採決」しているとか、「立憲主義に傷がついた」とか、マスゴミは書くが、話が逆である。

 池田信夫氏は自身の「アゴラ」動画で以下のように解説している。

 昨年7月の閣議決定で、野党も大筋で合意していた。議会制民主主義のルールでは圧倒的多数の与党に、賛否では太刀打ちできない。つまり決まっていたのである。あとは野党は各論で詰めるしかない。
 国会でもはじめは各論で審議していたのに、自民党が憲法審査会で船田が大ちょんぼをやって反対派の長谷部という憲法研究者に発言させてしまったから、にわかに「違憲だ」と反日サヨクが勢いづいたのである。

 野党も法制局の憲法解釈の変更で合意していて、各論で審議していたところに、自民党推薦の憲法研究者が違憲だとやらかしたので、話がいきなり振り出しに戻った。そこから「戦争法案」だの「徴兵制復活」だのという飛躍も飛躍の言い掛かりが前面に出てきた。国会前の「60年安保の真似事(それも共産党系の)」が起こり、大騒ぎが勢いづいたのはここからだ。




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2015年09月19日

強行採決でなく「野党、またも採決妨害」


 はやりの言葉でいうと、デジャブというのか…、昔から国会で繰り返される騒動を見るにつけ、社会党の流れをくむ民主党は、数で負けると暴力で審議や法案の成立を阻止しようとする。

 野党は、日ごろの政治活動で怠けているので有権者の支持を集められていないから、選挙で勝てないでいる。それに政策でもイデオロギーでも負けている。
 国政への国民の意志の反映は、選挙だけじゃないのはわかる。世論があり、デモが認められ、言論も自由である。

 しかし国会議員の場合、ちゃんと国会審議の場が設けられ、自由に政府を言論で追いつめる機会はある。
 そこで戦えばいいのに、委員会を開かせないだの、不信任案を出して嫌がらせをするなどは、幼稚過ぎる。

     *    *    *

 16日の参院平和安全法制特別委員会は、安全保障関連法案の採決に向けた大詰めの総括質疑が野党側の激しい抵抗に遭い、開始が延期されるなど、大荒れの展開となった。野党議員らは“人間バリケード”で委員長らの行く手を阻み、「廃案」を訴えたが、実力行使に与党のほか野党の一部からも疑問の声が漏れた。

 同日午後6時からの特別委開催前の理事会が行われる第1理事会室には午後5時50分ごろから野党議員が続々と押し寄せた。
 (中略)

 同日午後6時25分ごろ、鴻池祥肇委員長が委員会室前に姿を現すと、「女性の声を聞け」などと野党議員は激しく反発。委員長を囲み実力で委員会開催を阻止する構えを見せた。
 (産経新聞web版9月17日付)

     *    *    *

 国会では暴力をふるって妨害することが「実力行使」か…。「実力」という言葉をはき違えている。マスゴミの記者も同様に。
 言葉の意味だけでいえば、自民党が国会で多数の議席を獲得していることが「実力」がある、と称するのである。

 鴻池委員長が委員長室から出るのを野党が阻止しようとし、それを国会の衛視が守り、野党議員が妨害し怒号を浴びせる。
 …いや、それだけではないのだ。それを取材しているマスゴミの記者、カメラマン、音声係などがドッと押し寄せて、この混乱の輪に加わっている。

 野党の妨害行動を映像におさめたってしょうがなかろうに、そういう下らないことに労力を費やして、さも重大事であるかのごとくに報道する。そんなものが「国民の知る権利」の行使かよ。
 混乱でケガ人だって出る可能性があるのだから、どうしても取材したければ、代表一社が出てくればいいのに、よってたかってバカみたいにどの社も数人を派遣して、そのもみくちゃの中に突入させる。

 あの怒号渦巻く集団の半分の責任はマスゴミの連中が野党と一緒になって妨害しているからだ。記者やカメラマンは妨害に参加しているつもりはないと言いはるかもしれないが、明らかにあれは衛視たちの行動を妨害している。
 朝日や毎日のサヨク記者ならもっと明白に、安保法案阻止を打ち出しているので、野党とタッグを組んで「実力行使」に及んでいる者もいるのだろう。

 あの「実力行使」の光景は、昔から変わらない。社会党・共産党が何かに付けてやらかしてきた。
 混乱が予想されるのなら、委員会での採決はテレビ会議ででもやるとか、パソコンで賛否を集計するとか、なにもわざわざ旧態依然の会議形式でなくても良さそうなものなのに。
 そうすれば、とりたたて衛視の仕事も要らないだろう。

 もっともそうなると、野党は国会の電源を遮断しようとするかな? あほらしくてやってられんわ。
 委員長席の周りには金網を巡らせて、鳥かごのようにして山本太郎のような暴徒の妨害を防ぐ必要がある。

 それにしても、野党のやりくちは子供の教育に良くない。多数決で決めるのは嫌だといって、採決させないなんてことを、子供が学校で真似したらどうなるんだ。

 マスゴミと野党は17日の参院特別委員会での採決を、「強行採決」と叫ぶが、私なら「野党、また採決を妨害」と見出しにする。
 別に自民党を支持しているわけではない。公平に見れば、醜態をさらしたのは民主党と共産党であった。
 
 民主と共産は、反対のための反対で、法案が通れば戦争になるなどと、まったく根拠のないことを言い立てただけ。審議では言葉尻を捉え、イチャモンをつけるための誘導質問ばかり。日本の安全保障をどうするかの議論はしなかった。自衛隊のリスクが高まる、徴兵制が敷かれる、アメリカの戦争に巻き込まれるなどと、ナンセンスなイチャモンばかりつけてきた。

 何も言うことがないものだから、審議の仕方がけしからんと罵るしかできないで、あとは妨害して引き延ばすことで廃案に持ち込もうとする。
 そんなことやっても、衆院で通過した以上、法案成立は決まっている。本会議場で不信任案や問責決議案を連発しても、否決されるのはわかっているのだから、ただの嫌がらせと税金の無駄である。

 副島隆彦はHP「学問道場」の「重たい掲示板」に投稿して、国会前の抗議集会にいる学生どもを絶賛している。

 「私は、遠くから、彼ら学生たちの様子をネット(ユーチューブとか)で見てきたが、真面目でしっかりした若者たちだ。 ゆがんだ考えをしていない。私は、彼らの行動を支持することに決めた。」
 「私は、シールズの運動を自主的、自然発生的に始めた学生たちを支持する。これに全国の大学の敏感な学生たちが、参加して、集まってきている。彼らは優秀な若者たちだ。今の日本が生んだ、緊要に必要な若い人間たちだ。」

 「彼らを育てて見守っているのは、高橋源一郎という作家だ。彼は、明治学院大学の教授をしている。それから、内田樹(神戸女学院の教授をしていた)と、上野千鶴子(東大の女性学の指導者)たちだ。 おそらく山口二郎(長いこと北海道大学にいた。今は、法政大学のようだ)もこれに加わっている。」


 あのアンポンタンの学生たちは、自然発生的に始められた運動じゃない。民青がしらばっくれて一般学生を装って出てきている。
 その背後には支那や南北朝鮮の工作員がいて、指示をだしている。
 そんなこともわからないで、副島は「優秀な若者」と呼ぶ。

 おいおい、評論家のくせに人を見る目もないのか…。かれらのリーダー奥田愛基は、父親が韓国系キリスト教会の牧師。すなわち韓国工作員の関連が濃厚である。
 明治学院大の学生ということになっている。実に人相が悪い。真面目な学生とはとうてい言えない顔つきである。

 普段は茶髪なのに、国会に呼ばれたときには黒く髪を染めていった。まじめな学生に見せようと…あざといねえ。しかし、顔つきは髪を染めたって一夜では良くならない。

 副島も支那工作員から指示を受けて、あの連中をもちあげているのだ。
 高橋源一郎はまごうかたなきサヨクである。学生運動をやって逮捕歴がある。二流の不真面目な小説を書いているうえに、競馬評論まで手広くやっている。
 5度の結婚歴。はすっぱなキャラで売っている室井佑月と不倫し、結婚したがすぐ離婚。

 明治学院大はなんでこんな男を教授にしたのかね。学生に不倫の仕方や競馬を教えるためか? 作家がデタラメな生活をするのは勝手だが、教育者としては失格である。なにが「見守って育てている」になるんだ?

 端的に言って、やつらは国防を懸命に妨害しようとしている。これが支那や南北朝鮮の工作ではないとどうして言えよう。民主党も共産党も平気でウソをつく。副島もだ。
 最大のウソは、「戦争放棄の憲法さえあれば、日本は戦争にならない」である。こんなバカを本気で信じる日本人は精神病である。






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2015年09月18日

『隠された記憶』の膿み爛れる傷口


 移民・難民問題を取り上げたところで、それに関連した映画について語ってみたい。
 2006年のフランス映画で、ミヒャエル・ハネケ監督、『隠された記憶』というサスペンスもの。

 舞台はパリ。テレビのキャスターをしているジョルジュと妻の出版社勤務のアンのローラン夫妻は、そこそこ上流の暮らしを送っている。そこへ1本のビデオテープが届けられる。ビデオには彼らの家(一戸建て)が正面から映っているだけ。送り主もわからなければ、その目的もわからない。主人公たちが見知らぬ誰かに見られていると認識し、不安に脅かされる。

 と同時に、子供が描いたような感じの稚拙な感じの、人間が口から血を吐いている絵や、ニワトリのクビをはねている絵がしきりに届くようになる。
 さらに届くビデオは、ジョルジュが育った農家が、次には郊外を走る車が団地に向かう様子が映っていた。相変わらずメッセージがあるようには見えず、たいしたことのない内容と言えば言えた。

 主人公のジョルジュは誰が犯人かを確信したが、自分の愚かだった子供のときの過ちを妻に知られたくないために隠し、ごまかそうとする。そこには犯人が誰であるか以上の秘密が隠されていたのだ。
 『隠された記憶』のしだいに息づまる謎と人間関係の描き方はヒチコックの映画を思わせる。

 ジョルジュが子供(6歳)のときにその事件は起きた。
 生家ではアルジェリア人の家族を雇用していたが、アルジェリアの内戦の煽りで、その両親が亡くなり、一人息子だけが残される。
 ジョルジュの両親は気の毒に思い、その遺児を養子にしようとする。
 使用人の子と同じ待遇、同じ部屋に寝起きさせられることになった幼いジョルジュはこれに反発し、親に告げ口して、アルジェリア人の少年を追放し施設送りにする。

 そのときの映像は、少年がニワトリのクビを鉈で叩き殺すシーンとそれに怯える少年とが映っている。どっちがどっちだからわからない。しかしこの事件が、アルジェリア少年が追放される契機になったようだ。

 ジョルジュは、そのアリジェリア少年が成人になって復讐を始めたと思い込む。だが、そのアルジェリア人にも息子がいるのだが、二人ともビデオの件では否定し続ける。 
 結局、最後まで犯人は分からないまま映画は終わる。とはいえ、明らかにこれはアルジェリア人の父親か息子のどちらかの犯行にちがいない。
 映画は犯人探しの体裁をとりつつも、主題はそこにはないということだろう。

 この映画は、フランスで幸福に暮らす一家族の設定ではあるが、先進国がかつての植民地(アルジェリア)からの移住者の労苦や不幸をベースにして豊かで平和な生活を送っていることを鋭く突いていると思える。
 フランスだけでなくイギリスやスペインなどは、植民地の人々という「隠された記憶」を抱えながら生きている。

 その心の底に澱のごとくあるはずの、民族としてのやましさを、不気味なビデオや絵を送りつけることでえぐり出そうとしている。
 彼ら白人どもには、隠してはいるが、じくじくと傷口が膿を出しながらいつまでも爛れて癒えないでいる。

 ジョルジュは、かつてのアルジェリア人の使用人の子だった男に、真相を語るからと貧しいアパートに呼ばれる。
 すると、そのアルジェリア人の男は、ビデオの犯人は俺じゃないと言って、これをお前に見せるために呼んだ、というなり、ジョルジュの目の前で自らクビを切って自害する。

 これが作品のいわばクライマックスであろう。観る者に強烈な問いかけで迫る。なぜ自害する? その目的は? と思わせつつ、実はそこに白人らの民族的病理や、犯罪性を際立たせていると見える。

 フランスは地中海を挟んだアルジェリアを植民地にし、そこから低賃金で働くアルジェリア人を移住させて、底辺の仕事をやらせてきた。国家レベルでは植民地の支配・被支配で語られるし、それは一応もう済んだことなのだろうが、現実の暮らしの中では、主人たるフランス人と使用人のアルジェリア人との交流や、差別、いじめや、憎悪などが渦巻いたのである。

 その罪を問い、真実に迫るのが人間の真っ当なありようである。フランス人にしては触れられたくない、蒸し返されたくない過去であるが、しかし現在のフランスの豊かさ、文化の質の高さ、民度の良さなどの現実は、全部がアルジェリアやその他のアフリカやヴェトナムなどの犠牲の上に立っていることを、「隠しながら」「とぼけながら」生きているのである。

 現在のアフリカ、中東、東欧などからのEU 諸国への移民・難民の大量流入は、おそらく彼らにとっては、その「隠された記憶」を嫌でも思い出させるに違いない。
 思い出したくない、また隠しておきたい過去をしらばっくれるために、奴らは国連やEUをこしらえて「難民問題」はそこの総意ですといい、もしくはナチに責任を押し付けて、自分たちは善良だと思わせようとしている。

 白人どもが有色人種を植民地にし、自国に呼び込んでは嫌な仕事を押し付けてきたことは、末代まで祟るのである。『隠された記憶』という映画はそのことを観るものに問うている。
 
 主人公ジョルジュは、犯人の目星がついたあとも、妻に本当のことを告白しない。逃げ回りつつ開き直る。アリジェリア人の男を団地に訪ねたときも、激しいやりとりがあったにも関わらず、妻には誰もいなかった、とウソをつく。しかしその様子も隠しカメラに撮られていて、ビデオテープを自宅に送りつけられ、妻に露見することになる。

 ジョルジュは自分が幼いときにアルジェリア人をいじめたことを思い出させられて苛立っている。妻にも会社にも虚偽の取り繕いをさせられることに怒り、それをアルジェリア人に向ける。
 この態度。まさに白人キリスト教徒どもがカラードの異教徒を虐待してきた過去を指摘されるのを激しく拒絶する姿の写し絵である。

 そしてまた、EU は大量の移民・難民を抱えることになる。その本当の災厄は、50年後、100年後に、きっと「隠された記憶」となって、欧州人を苦しめることになるのだろう。





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2015年09月17日

難民受け入れが歴史的混乱を招く(2/2)


《2》
 日本でもサヨクゴミ新聞の論調は「戦争難民かわいそう」「なんとかしてあげてほしい」「日本も協力すべきだ」などと言う。民主党の無能・細野豪志も、受け入れを検討しろと言い出した。バカ言ってんじゃないよ〜♪ 先にも言ったように「難民」かよ、あれが。

     *    *    *

 毎日新聞漂う民:安住の地求め 難民認定1%未満 際立つ日本の「鎖国」 さらに厳格化、国際世論に逆行
毎日新聞 2015年09月11日

 ロイター通信は9日、「欧州は難民に扉を開き 日本はさらに厳格に」と題する記事を配信。昨年の日本の難民認定数が5000人の申請者に対しわずか11人だったことを紹介し、法務省が事実上の制度厳格化を検討していると伝えた。英紙ガーディアン(電子版)も同日、日本の難民に対する門戸の狭さを批判的に報じ、欧州の難民問題によって「日本政府への圧力が高まっている」と指摘した。

 国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」は4日、高所得国でありながら難民受け入れに消極的な国として日本、ロシア、シンガポール、韓国を挙げた。

 欧州の難民危機を巡っては、欧州連合(EU)の欧州委員会が9日、加盟国に新たに計12万人の受け入れを義務化する案を示した。さらにベネズエラが2万人、豪州が1万2000人の受け入れを表明するなど欧州以外の国も相次いで協力を表明。消極的だった米国も、ケリー国務長官が同日、受け入れに前向きな意向を示した。

 対照的に、日本は菅義偉官房長官が7日の記者会見で「現時点で具体的な政策を追加することは考えていない」と述べ、受け入れに及び腰だ。

 法務省の統計では、難民申請者数は増加しているものの、認定数の割合は2012年以降、1%未満にとどまる。NPO法人「難民支援協会」(東京都)によると、日本政府がこれまでに難民認定したシリア人は昨年の3人のみという。他に約40人が「人道上の配慮」として在留を許可されたが、難民認定者と異なり、日本語や就労の定住支援が受けられず、家族の呼び寄せにも厳しい制約がある。

 法務省は近く、難民認定制度を含む出入国管理政策の今後5年間の基本計画を新たに策定する方針で、6月に計画案を公表した。保護の対象は拡大される方向だが、就労目的の「偽装難民」対策として再審査や就労資格の制限を盛り込むなど審査の厳格化に内容が集中しており、日本弁護士連合会は「申請抑制策に特化した内容となっている」と批判する。

 海外メディアの取材にも応じた難民支援協会の石井宏明常任理事は「資金援助だけでは日本は『難民に冷たい国』との印象がさらに強まる。受け入れ要件を緩和するような政治決断が求められる」と指摘した。【河津啓介】

     *    *    *

 「国際世論に逆行」「鎖国」などとエキセントリックな表題をつけて、アホか。難民・移民を大量に受け入れろ、の大合唱である。こういう善意を持ち出せば、人はなかなか逆らえない。そこを奴らは突く。
 「日本政府は及び腰だ」とか、日弁連だって批判しているぞとか、海外メディアも国連も日本の対応を非難しているじゃないか、といつもの手口で記事にする。

 サヨクバカの「良い子ぶりっこ」でしかない。
 日本は「難民条約」(難民の地位に関する条約及び難民の地位に関する議定書)に加盟して、律儀にその基準で申請者を審査している。優等生なのだ。サヨクが言うように冷たく厳格過ぎるのではない。世界中で安直に難民をうけいれてはいけないというコンセンサスができている。

 難民を受け入れないなら、応分の支援金を出せとEUどもは言ってくるだろう。
 もともと中東に紛争の種を撒いたのは、アメリカ、英国、フランス、それにロシアや支那だったのだ。直近ではアメリカが、イラク戦争、アフガン戦争、シリア戦争、パレスチナ紛争を仕掛けて、ムチャクチャにしてきた。それをマスゴミは言わない。
 アメリカもイギリスも、すべてテメエで責任をとれ。
 「難民に冷たい国」で結構だ。そんなことよりわが国文化と人命を守るのが優先である。

 日本では、難民ではないが支那や朝鮮から密入国やら留学やらで侵入されて、とんでもないことになっている。難民は受け入れてはいけない。それにまじってイスラム過激派も潜入してくる。
 お引き取り願うのが一番よろしい。

 せめて難民を10万人は受け入れてくれ、とEU は言い出しかねない。
 「かわいそうじゃないか」「人権を考えてくれ」と。
 しかしそうした甘言は敵のだまし工作と理解しなければならない。

 似たような事例に、例えば性犯罪者が刑期を終えて娑婆に出てきたときに、あなたは受け入れて身元引受人になりますか? 家にしばらく居候させてやりますか? 家には奥さんもいるし、高校生の娘をいたとしても、平気ですか?

 刑期を終えて出てきた元受刑者は、住む家もなく仕事もない、かわいそうといえばかわいそうだ。深く悔恨して二度とやりませんと、誓っているだろう。でも……ではありませんか?
 難民のなかには善意の人も多数いるのだろうが、どんな人物なのかはまったくわからない。言葉も通じないそういう連中が、日本というわが家にいきなり居候するのである。

 ひところ、東京にはイランからの出稼ぎ労働者が来て、ホームレスをやりながら上野公園などにたむろしていた。とくに犯罪が増えたわけでもなかったが、それでも当時は上野公園には行きたくない気分にさせられたではないか。

 イスラムの人にうっかり豚肉を食わせたら、抗議され、ひょっとしたら殺されるかもしれないのだ。

 先日、日本の刑務所でイスラム犯罪者にマカロニサラダを出したところ、その中にハム(豚肉)がはいっていたので騒ぎになった。イスラムでは豚は穢れた肉として食べてはならないことになっているからだ。日本の刑務所側が謝ったそうだが、狂っている。
 イスラム信者がハムを食わないのは勝手だが、ここは日本なのだから、刑務所側に落ち度はない。わがまま勝手なのはイスラムの人間だ。まして犯罪者がなにをぬかす。

 異国にあっては異国の文化を尊重しなければならない。異様な宗教習慣を持ち込んで、人権問題としてイスラムに叩頭するのは、法曹界がサヨクに汚染されているからだ。
 豚肉が食べたくないなら日本に来るな、というだけの話。あるいはマカロニサラダの中からハムを自分ではずせばいい。

 法曹界がこのアタマの悪さだから、もしイスラムから難民を受け入れたらとんでもないことになる。おそらくドイツやフランスでも、難民の食事でもめていることだろう。イスラムの人間は助けてもらっておきながら、図々しくなっていくだろう。

 日本中のレストランやラーメン屋が、あるいは編入してきたイスラムの子が入学した学校では給食で、通常メニューと別にイスラムのために豚肉抜きの料理を作らされる事態になったら、その手間や不快感を、もっと難民を受け入れろと抜かすサヨクどもはどう責任をとれるんだ!?

 難民支援協会なんて輩は偽善者である。情緒でしかものを考えられない豚だ。





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2015年09月16日

難民受け入れが歴史的混乱を招く(1/2)


《1》
 EUでは中東、アフリカ、東欧から難民を受け入れている。EUと言っても、主にドイツとスウェーデンは歓迎で大量に受け入れて、英仏などは限定的、あとは拒否である。
 イスラム過激派もヨーロッパに侵入し放題、その結果がフランスやイギリス等でのテロ事件につながってもいる。

 さはさりながら、「難民」とマスゴミは言うけれど、実態はビジネスである。シリアのような紛争地区ではない最貧国のアルバニアやマケドニアなどからも、ドイツに行けば仕事がある、今よりましだというので、ある程度カネがある連中がカネを払って脱出するのだから、厳密には難民とは言いがたい。

 「難民」の50%が20代の若者だというから、言うなれば「就活」ではないか。ドイツやフランスに行ければ、ゲストハウスもあてがわれ食わせてもらって、お小遣いまでもらえる。金持ちのところへ押し掛けるのは当然である。

 そういうドイツ行きを望む連中を手引きする商売がある。シンジケートになっているのだろう。
 竹中平蔵がやっているパソナのような口入れ屋が、大儲けを企んでいる。
 どうせ悪辣なユダヤが考えそうなことだ。

 難民・移民の移動途中のギリシャやイタリアは無法者移民を知らん顔してドイツへ通してやる。無料で列車やバスに乗せるはずがなく、通過料金くらいはふんだくっているのだろう。こういう商売にマフィアがからみ、政治家がからみ、役人がからむ。

 今度の難民騒ぎでは、EUはそれによって支配地域を直に中東に広げているとの見方もあるようだが、そうはなるまい。逆だ。庇を貸して母屋を取られる事態に進展するのではないか。
 そこまで行かないまでも、賃金格差への反発、民族対立、宗教対立が各地で勃発するだろう。

 移住して来たイスラム人らは、はじめはどんな仕事でもいい、食っていけさせすればシリアや東欧にいるよりましだ、と言うだろう。しかし彼らはドイツ語ができないから最底辺の汚物掃除なんかしかやらせられない。

 ドイツ人は学校に行き、勉強して大学に行けるのに、俺たちは差別され教育の機会もない、もっと賃金を上げろ、待遇を改善しろと言い出す。
 もともとヨーロッパは、自分らがやりたくない汚物処理業なんかはカラードにやらせてきた。昔は奴隷にやらせた。そういう伝統があるから、いくらかは難民を受け入れてもいいと思うだろうが、その数が膨大になってきた。

 ドイツ人はドイツ人で、今は60万人ほど労働人口が足りないから受け入れ歓迎とメルケルは言ってしまったが、このまま事態を放置すれば何千万人の人間が、シリア、エジプト、リビア、アフガン、イラク、そして東欧から移動してくる。やがてドイツでももう労働力は十分だ、いらない、という日がくる。

 それを止めるには武力しかなくなる。実際に、メルケルはぼちぼち方向転換しそうになっていて、入国規制をはじめたとの報道もある。どうせみんな腹黒いのだ。

 貧しいドイツ人や移民して来ていたトルコ人らが低賃金の仕事をアラブ人らに奪われて行くし、福祉は税金で賄われるからこれはさらに不満がたまっていく。ネオナチが台頭する。
 マスゴミでは、移民・難民に反発しているのはネオナチだというが、移民・難民のほうもドイツ国内で放火などのいざこざを起こしているそうだ。それはそうだろう。こちらの狼藉は「人権」を考慮してか、サヨクマスゴミは報道しない。

 今年だけで80万人の移民・難民がドイツに入国するそうだから、混乱は収拾がつかなくなるだろう。
 ドイツでは難民・移民対応でかかる費用が、日本円にして1兆3千億円になったという。
 難民受け入れに関するダブリン協定では、ヨーロッパではいわゆるアフリカの難民キャンプに見られるようなテントはダメで、ちゃんとした住居に住まわせなければならない。

 公民館みたいなところが一杯になれば、ホテルを借り切って飢えて汚れきった難民を入れるのだ。
 飯も食わせてやらなければならなし、食えば出さなければならないから、移民・難民の糞尿やゴミはいったい誰が始末するのか。
 ドイツ国民にしてみれば、おれたちの税金をなんでおれたちのために使わないんだと反発するのは自然であろう。

 反発する人を十束からげて「極右」「ナチ」とマスゴミは呼ぶが、それはいかがなものか。感情的になっているだけだ。難民善意派も結構汚いことをやっているはずだ。そもそもメルケルが、ずるい打算で始めたことで、ゲルマン民族大移動や、ユダヤ人(アシュケナージ)の流浪のような歴史的大混乱を招来してしまった。

 9月2日に、トルコのエーゲ海に面するボドルムのビーチに幼いシリア少年の遺体が漂着した。この少年はシリアの難民で、トルコからギリシャのコス島を目指すボートに乗っていたがボートが転覆して、その後海岸に打ち上げられた状態で発見されたという。その写真と動画が世界中に発信され、世界に衝撃を与えた。

 しかし動画を良く見ると、いかにも作為を感じさせる。湾岸戦争のときの油まみれの海鳥とか、ボストンマラソンのテロでの血の流れていない負傷者とか、いつものやらせの類いと見られる。
 救助者の男が抱きかかえているが、死んだ少年の顔は映らないように、前もってカメラがスタンバイしていたと思われる。自然なようで、不自然な画像である。

 なんとかして世界の同情を集めたいとの、この難民騒動を仕掛けた誰かの意図を感じる。
 おそらくそれがワンワールドを狙うユダヤの狙いであろう。殺し合い、奪い合いを煽って金儲けを企み、支配を広げる。
 内戦があるなら、自分たちで片をつけろ。シリアなどの難民は、国際社会が放置したからこうなったと言うけれど、それにしても自分たちの力でなんとかしろよ。

 いったいなぜドイツは先行きにリスク一杯のこんな難民・移民を受け入れるのか。国境をなくす方向性が、ヒューマニズムだとでも思っているのか。そんなことは馬鹿げている。

 遡れば流浪の民ユダヤ人をヨーロッパは受け入れ(押し掛けられたわけだが)、ために「ユダヤ差別」を生み、ナチスのよるユダヤ迫害が起こり、ユダヤがそれを“共同演出”して600万人が殺されたとの「アウシュビッツ神話」をデッチあげ、中東にイスラエル人工国家を強引に建設したからこその、現在の中東の戦乱があり、また因果は巡るで、今度は非ユダヤ人がドイツへ押し掛ける。

 その流浪の民化したドイツ流入の移民・難民が、再び「ユダヤ化」するのだ。
 貧しい人、虐げられた人は現実にはいる。だが、その存在自体、あるいは彼らへの人権派の善意が紛争を呼ぶ、この絶望的状況がある。

 それがこれまで繰り返されて来た歴史であることを理解すれば、国家が難民・移民を厳しく規制するのは当然である。禍いのタネは未然に防がねばならない。むやみな善意が、取り返しがつかない悪を育んでしまう。
 難民を助けてあげたいのは人情ではあるが、かといってネオナチなどの反発を一方的に断罪するのもよろしくない。

 以下のYouTubeでは難民がドイツで嫌われている様子が報道されている。
https://www.youtube.com/watch?v=qhh4hxEEmag

 難民反対の人と、支援するボランティアとの対立、さらには難民を支援する赤十字にも反発派の攻撃が及んでいる。赤十字はつまりはユダヤの組織だから、いかにこの難民・移民がユダヤの企みかが分かる。アムネスティもユダヤの組織である。
 要するに国際世論を、「難民・移民はかわいそう」「助け合わなければいけない」とする方向、情緒重視の世論へ持って行こうとしている。その先が「ワン・ワールド支配」につながる。




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2015年09月15日

フランスでテロリストを制圧


 面白い…といっては不謹慎だろうが、小さな事件がフランスで起こった。

     *    *    *
 (引用開始)
 フランス:特急で発砲の男、乗客の米兵に殴られ気絶(毎日新聞 2015年08月22日付)
 【ブリュッセル斎藤義彦】21日午後5時45分(日本時間22日午前0時45分)ごろ、仏北部を走行していたアムステルダム発パリ行きの国際特急「ターリス」の車内で、自動小銃などで武装した男が発砲したが、乗り合わせた米国人乗客らに取り押さえられた。男は仏北部のアラス駅で逮捕され、乗客3人が負傷しただけですんだ。

 事件は特急電車がベルギーのブリュッセルを発車した後に仏北部で発生。発砲したのはモロッコ人の男(26)で、テロ対策を行う仏治安当局の監視対象者だった。
 AP通信によると、お手柄の米国人は幼なじみの20代前半の3人組。うち2人は大西洋のアゾレス諸島(ポルトガル領)の米軍基地所属の空軍兵と7月にアフガニスタンから帰還したばかりの州兵という。

 1人がAPに語ったところでは、銃声が響き、自動小銃を持った男が車両内に入ってきた直後に、空軍兵が男にタックル。州兵が組みついて男の手から自動小銃を離させた。男はカッターナイフを取り出して空軍兵を切りつけたが、3人に殴りつけられて気絶したという。
 当時、特急電車には数百人が乗っていたとみられ、カズヌーブ仏内相は「米国人の勇敢な行動がなければ大惨事になっていた」と勇気を称賛した。
 (引用終わり)

     *    *    *

 このアメリカ軍人の勇敢さはたいしたものだ。
 アメリカではこの3人のために凱旋パレードまでやっている。
https://www.youtube.com/watch?v=JR8hAzn-pI8

 フランス政府は、テロを予防した勇敢な米国軍人3人を最高位の勲章(レジョンドヌール)で顕彰したという。
 一人の軍人のコメントは、「本能的に対応した」だった。
 普段からの危機意識が軍隊で鍛えられているからだろう。これが日本では武士の心得であった。
 おとなしく降伏すれば無事に生還できるとの保障はなく、むしろ皆殺しになるのが当たり前の世界だ。我々も大いに学ぶべきだ。

 その後の日本の“識者”によるコメントは読んでいないが、およそ想像がつく。
 反戦平和主義者ならきっとこういう。
 「極めて軽率な行動です。犯人が単独犯ではない可能性やテロリストの仲間がスリーパーとして乗客に紛れている可能性もあるのだから、まずは犯人の要求を聞いて、プロのネゴシエーターに任せるべきでした。
 自爆目的で爆発物を身に付けていたら大惨事になっていたかも。
 人命最優先でないといけません。

 これは過剰防衛のそしりは免れない。なにがあっても殴るなど暴力はいけません。
 仏政府が勲章を与えたのは、かえって無謀な行為を英雄視する若者が出てくる懸念があります。
 一般市民は絶対に危険なので米軍人の真似しないでください。見て見ぬふりをするのが一番でしょう」

 ね、目に見えるようでしょ。これがサヨクの戯れ言だ。
 あるいは、「そういうテロリストがやってきたら、まあまあと言って酒をもっていって腹を割って話をして、一緒にカラオケを歌って、盛り上がればテロリストもわかってくれる」と言うのだろう。

 これを世界では腰抜けと呼ぶ。
 今や、テロの時代には話し合いや交渉はない。殺すか殺されるか、である。
 日航のダッカ事件のようにテロリストに人質をとられて、法外な要求をされたら、多少の犠牲は厭わず敵は殲滅するべきなのである。

 それに、日本のサヨクは車内でおきたこの事件でいえば、格闘している私服の米兵に、応援を呼ぶとか、縄を渡して縛るのに協力するとかして助けようとするのは、「集団的自衛権」にあたるから、違憲だ、やってはいけない、と主張するのである。

 もし米兵を助けて一緒になってテロリストを制圧できたとしても、きっと過激派組織に反発されて、アメリカとテロリストとの全面戦争に巻き込まれ、多くの日本人が死ぬことになる。
 だから見て見ぬ振りをしろ、と。

 これが今国会で審議されている安保に対する、民主党、共産党、生活の党、自民党の古賀誠、そしてマスゴミなどサヨクの言い分なのだ。
 イスラムテロリスト組織と日本のサヨク以外では、この米軍人3人の行動は称讃されているのに…。







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2015年09月14日

反体制共産党が体制である憲法の擁護になぜ回る?


 ここに若手の漫画家がいたとする。
 昨今の安保法案をめぐる騒動に関して、なにか政治漫画を描いてみようとする。
 それが仮に私のブログのように、サヨクに批判的な作品になったとしよう。

 それを意気込んで出版社に売りこみに行く。編集者が逢ってくれたとしても、テーマを見て「これは売れないよ」と断られる。編集者が安保反対、政権批判の漫画でないと売れないから、と答えるだろう。もし良心的でアタマのいい編集者で、漫画も面白いと思ったとしても、営業部が「うん」と言わない。

 営業は漫画が売れてなんぼの世界だから、漫画の主義主張や面白さなんかどうでもいい。今はサヨクが流行していると判断していれば、それしか売る気はない。
 さらに、もしも編集者も営業も「これは面白い」と評価してくれても、最後の壁が立ちはだかる。

 それが取次である。書籍の問屋に相当する。東販、日販などの取次が、「今は安保反対のものでなければ売れない」と言われれば、それっきり。漫画は陽の目を見ない。
 だから売れる漫画家になりたければ、自分の信念より時代の流れを読み、世間知に長けなければ成功はおぼつかないと知るべきである。

 社会はこうなっている。出版ばかりではない、当然新聞もテレビもだ。
 これがいわゆる資本の論理と言われるものではある。だが、そればかりではない。ひとことでいえば、この世は利権で動くのである。そういう実態を知りもしないで、ノー天気に国会前に出向いて抗議集会で大声をあげることはすべきではない。

 安保法案をめぐる審議のなかで、防衛省の高官がアメリカに対して、昨年のうちに2015年夏までには安保法案を成立させると“約束”していたという文書が洩れて、共産党に渡ったとかで、新たな火種となった。

 どうして防衛省の秘密文書が共産党に洩れたかは、国会では問題にならず、民主党らが意味のないイチャモンをつけている。
 国家安全保障の相棒であるアメリカと、情報を共有し合って何が悪い。問題にするほうがどうかしている。

 しかし、国家機密が漏れて共産党に渡ったことのほうが重大である。国家機密の漏洩にあたるから犯人は極刑をもってすべきであろう。サヨクマスゴミは、政府の失態になるなら「なんでもあり」でやっている。

 共産党はもともとはソ連共産党下部組織として発足した。戦後はソ連がつくった支那共産党にも忠誠を尽くしてきた。日本で共産主義革命を起こそうとするのは建前だけで、実際は中共、北朝鮮、ロシアなどの工作機関である。

 社民党(旧社会党)も同じようなものだったが、運営に失敗し今や泡沫政党だ。巨大労組組織にオンブしてもらって、選挙になれば確実に票がはいる仕掛けに安住して、政治に真摯に取り組まなかった、中選挙区制なら一位自民党で、二位社会党もありえたので国会議員をほどほどに出せたが、小選挙区制にされてその手が使えなくなった。

 共産党はどういう工作をやるかというと、民青(民主青年同盟)という下部組織が東大にもあって、ここで有望な青年を釣り上げ、民青の活動家にする。
 その人物は国家公務員試験をパスし、共産党の指令によって防衛省や自衛隊に入る。官僚としては優秀だし、すでに共産党工作員が入りこんでいるから、どんどん引き上げてくれるわけだ。

 その人物は共産党員であることは一切隠して、ひたすら職務に精勤する。で、ついに幹部に上り詰める。そうすれば国家の機密文書に触れられる。それを共産党に流す。
 そればかりではない。
 防衛省の偉いさんになった人物は、その肩書きを利用してマスゴミに登場しては、反日的言動をするようになる。
 
 安保法案は違憲だとか、集団的自衛権はダメだとか、偉そうに言うようになる。共産党とまったく言うことが同じだが、大衆は共産党は信じないが、なんと防衛省の偉いさんが言うならばきっと正しい、と思い込む。
 それが共産党の仕掛けである。

 https://www.youtube.com/watch?v=qim1R1fEvEk
 この動画は8・30国会前の抗議活動の様子だが、はじめにマイクを握ってアジる少女は、まごうたかなき民青である。大衆の盛り上げ方も、シュプレヒコールの音頭取りも水際だってうまい。ただの学生有志じゃない。訓練された民青の活動家である。かわいらしく髪にリボンなんかつけちゃって、いかにも…という嫌らしさ、あざとさ。見てとれますか?

 拡声器にしても街宣車にしても、学生有志では揃えられない。共産党が与えたのである。
 「シールズ」とは、英語のなんだかの略だというけれど、これは共産党委員長の志位(シイ)からとった言葉であるのは明らか。

 ああいう娘がやがて官僚になりすまして、堂々共産党工作員の仕事をやってのける。
 しかし、大学時代に民青でしたというと、一般企業でもそしておそらく国家公務員でも、採用されにくい。
 だから民青であることを隠して、一般市民、一般学生の有志がやむにやまれず集まった自由な組織です、ということにしている。

 マスゴミはそれと知りながら、共産党の工作で抗議集会が催されていると本当のことを書くと、読者の不審を招き、共産党の御用新聞かと疑われるから、政治色のない人たちまでが立ち上がった! ということにしてウソの報道をするのだ。

 これが支那や韓国、あるいは欧米であったら、政府はただちに敵性活動とみなして鎮圧に乗り出しているだろう。日本は共産党に甘い。

 毎日新聞 9月4日付夕刊に、「安保法案:最高裁元長官が「違憲」 「政府の論理に矛盾」と題した記事を書いている。

     *    *    *

 元最高裁長官の山口繁(82)が3日、共同通信の取材に応じ、安全保障関連法案について「集団的自衛権の行使を認める立法は憲法違反と言わざるを得ない」と述べた。政府・与党が1959年の砂川事件最高裁判決や72年の政府見解を法案の合憲性の根拠と説明していることに「論理的な矛盾があり、ナンセンスだ」と厳しく批判した。

 「憲法の番人」である最高裁の元長官が、こうした意見を表明するのは初めて。高村正彦自民党副総裁は、憲法学者から法案が違憲と指摘され「憲法の番人は最高裁であり憲法学者ではない」と強調したが、その元トップが違憲と明言したことは、波紋を広げそうだ。
 (後略)

     *    *    *

 「波紋を広げそうだ」じゃなくて、サヨク毎日の意図は、よ〜し、波紋を広げてやるぞ、である。
 山口繁は、つまるところ、本稿で説いているように、東大学生のときからの隠れ民青だったのであり、法曹界に入ってずっと隠忍自重してきてトップの地位を確保し、退任後もこうして共産党の、あるいは中共の指令を受け、サヨク共同通信と組んで、安保法案反対工作の片棒を担いだ、という次第である。ただのバカかもしれないが。

 あほくさ。元最高裁長官だったと言っても、今はただの私人、一般大衆であって、そんな人物の発言が社会に注目されると思うほうが狂っている。
 自分では質問のネタさえ拾ってこられない泡沫社民党の吉田忠智が、9月11の国会審議で、やっぱりこの「スクープ」に飛びついて、安倍首相に問いただしたが、首相は「今や一私人の発言にはコメントしません」と、当たり前の答弁をしている。

 この毎日新聞の記者は常識を知らない。例えば毎日新聞を定年退職した元主筆がいたとして、その爺さんが毎日新聞にしょっちゅうやってきては、社長や編集局長に対してああだこうだ、それではダメだ、こうしろと指図するのを、テメエは許すのか? 現役時代は現役時代の話、退職したら私人になるのである。

 もうなんども書いたから繰り返さないが、そもそも国家とは何かの学問の原則からいえば、9条は間違いである。擁護に値しない。

 昔から奇ッ怪なのは、反体制である共産党が体制である日本国憲法の擁護に回ることである。
 そのことからも、共産党とは外国勢力の下部組織であることは明白である。

 サヨクどもは、(自民党だって同じだが)、その活動は信念ではなく儲けの話で動くのである。信念で動こうとする者は、最初に例にした漫画家志望のように、がんじがらめの利権の構造に跳ね返される。
 民青のように、賢く共産党の利権が浸透している官界、マスゴミ界、学界、農協などに就職して出世できる道を選択するのは賢い。賢いけれど、奴隷の浅知恵である。




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2015年09月12日

日本の小麦はなぜまずい?


 これは2011年5月に書いたグログ記事の再録である。
 昨日のブログで食料自給率のウソに触れたので、より詳しく書いた記事を載せることにした。

■ ■

 昨今またぞろ小麦の価格が上昇して、パンや菓子、うどんやラーメンの値上げが迫っているとか。つい2007〜08年にかけて輸入小麦の価格高騰によって食料品の値上げに見舞われたものだった。
 なぜそんなことになるのかは、本稿後半で書いているが、「食料自給」が叫ばれるわりには国産小麦粉はあまり流通していないようである。

 なぜかというと品質が悪いからだとのことである。
 たいていの国産小麦粉は質が悪く、パスタにもならないので、業者は「外国産の半値でも買わない」そうだ。

 生協では国産小麦粉100%のスパゲッティを販売している。一度買ってみたことがあるが、これはコシがなくて旨くない。タダでもお断りのシロモノであった。「国産小麦100%」などとパッケージに示されていると、ついうかうかとポストハーべストの問題でも安心だろうし、なにより自給率アップに貢献できるかも…などと考えて買ってしまいかねないが、大間違いである。
 パスタはデュラム・セモリナ小麦でないと、おいしくない。

 ただし、私は「季穂 地粉」という国産の全粒小麦粉で丸元淑生氏が推奨していたチャパティ(タネを入れないパン)を作る。「季穂 地粉」は「もやし研究会」(http://moyashiken.com/)で扱っている。
 「季穂 地粉」は非常に高品質の全粒粉である。たぶんちゃんと栽培すれば、日本でも質の良い小麦はとれるのだろうが…。

 浅川芳裕著『日本は世界5位の農業大国』(講談社+α新書)にはこんな解説がある。
 「自給率の低い小麦や大豆を作付けすると、農家は転作奨励金という補助金が支給される。小麦や大豆を作るだけで収入が得られるため、単収(単位面積当たりの収穫量)や品質の向上に真剣に取り組まない農家が増加している。」


 農家に「転作奨励金という補助金」を支給するシステムにしたのは、農水省官僚と自民・公明の政権であり、民主党政権時代でもであった。
 こういうシステムを作れば、人民は自努力をしなくなり、依存体質が骨がらみに身に付いてしまう。だからますます行政に頼る。
 行政は依存されるからいよいよ仕事が出来、我が世の春を謳歌できる。

 「小麦や大豆を作付けすると」とか「小麦や大豆を作るだけで」とあるように、別に収穫しなくても良い、という意味である、これは。
 タネを畑に蒔いて(作付けして)、栽培すると見せかけただけで補助金がもらえるとなれば誰がまじめに働こうとするか。害獣、害虫に食わせるばかり、か。

 われわれの納めた税金は、かくのごとく無駄遣いされる。役人と怠け者にされた(なった)農民の不労所得になっていく。これでなんで消費税を上げるのか。
 これだから小麦粉を扱う業者は「国産小麦なんか外国産の半値でも買わない」と突き放すことになる。

 冒頭に述べたように、今また輸入小麦の高騰によってパン、うどん、ラーメンなどの小麦を使った食料品の値上げ、品薄でダメージを被りつつある。
 マスゴミは品薄の理由として、「国際的な穀物価格高騰が原因」とした。別にマスゴミは自分たちで取材、調査して記事にしたのではない。農水省の官僚に言われるままに報道しているだけだ。それに農水省の御用学者どもに発言させる。いつものことである。

 浅川芳裕氏は、「2000年から2008年までの国際小麦価格と日本における外国産小麦価格を比較すると、日本の価格は国際価格より2、3倍も割高だ。つまり日本では一貫して『国際的な穀物価格高騰』とは別次元の高価格が維持されていることになる」と説く。
 つまりマスゴミの流す情報は大ウソなのだ。

 そして農水省の悪辣なところは、「国際的な穀物価格高騰」とセットで、「だからこういう事態に備えて食料自給率を向上させることが大切」とするインチキ・キャンペーンを打つことにある。

 浅川芳裕氏の『日本は世界5位の農業大国』は、小気味良い筆致で真相を暴露している。つまりは国策、というより農水省の陰謀で小麦価格が吊り上げられているのであって、世界中で小麦生産量が減ったからではないのである。農水省の陰謀とは何か。
 少し長くなるが、引用する。
 
     *    *    *

 答えはシンプルだ。農水省が自ら小麦価格を高騰、維持させているのである。
 建て前上、民間企業は小麦を自由に輸入することができる。しかし農水省の政策に沿って、国は小麦に対して250パーセント(1キロ当たり55円)という関税を課している。

 これは、海外から1トン3万円の小麦を買う場合、税関にその2.5倍の7万5000円を支払わなければならないという法外な税率だ。3万円の原料が10万5000円になる。これでは正味の国際価格で原料を調達し、食品を製造する海外メーカーに太刀打ちできるはずがない。

 そこで農水省は、「少しは安くするよ」とばかりに、高関税に比べ低価格を提示できる強権的な仕組みを持っている。それが国家貿易だ。

 政府はユーザー企業から必要量をヒアリング、商社に国際価格で買いつけさせた小麦をすべて買い取り、無関税で輸入する。その価格に1トン当たり1万7000円の国家マージンを乗せて、製粉業者などのユーザー企業に政府売り渡し価格で卸す。

 つまり、国家が小麦の貿易と国内価格を一元的にコントロールできる仕組みになっているのであり、完全な価格統制としかいいようがない。7万5000円と1万7000円、どちら余計に支払うか二者択一を迫られれば、誰しもが後者を選ぶしかないだろう。

 では、なぜ農水省は企業や国民の負担を増やしてまで、小麦貿易に強制介入する必要があるのか。こちらの答えも単純だ。それは財源と天下り先を確保するためである。

 年間の小麦輸入量は約570万トン。それに1トン当たりの国家マージン1万7000円を掛ければ、約969億円になる。さらには、企業に「契約生産奨励金」という拠出金を1トン当たり1530円上納させている。これは約87億円にもなる。これを前金で支払わなければ、国は小麦を売ってくれない。締めて約1056億円が農水省の財源になるのだ。

 これは、農水省の一般会計予算とは別に計上される特別会計である。農水省のなかでも、これだけの特別会計を持てる部署は、国家貿易を独占する総合食料局食糧部食糧貿易課くらいしかない。だから、「小麦の国家貿易担当は省内ではエリート、有望な天下りコース」と公然と囁かれる。
 そして、主な天下り団体は、特別会計の61億を握る「全国米麦改良協会」と、同85億円の「製粉振興会」の2つだ。
 

     *    *    *

 かつての民主党「事業仕分け」作業でも、これらは検討対象としてカスリもしなかったであろう。民主党もこのカラクリを知らないわけではあるまい。グルなのである。
 テレビのニュースは、末端のラーメン屋やパン屋などがインタビューに答えて「オーストラリアで干魃が…」とか「カナダで小麦が不作らしくて…」とぼやき、「なんとか値上げせずに頑張っていますが、これ以上輸入価格が上昇したら、お客さんに負担してもらわないと…」なんて言っているが、みんな農水省に騙されているのである。

 農水省は国民を騙してテメエたちの特別会計というお手盛りにむしゃぶりついている。その既得権を手放すまいとて、TPPに絶対反対なのである。関税がゼロにでもなったら、国家貿易という仕掛けで国民や業者からふんだくるカネがなくなってしまう。

 さらに冒頭で書いたように、農水省は農家に転作奨励金という補助金(税金)を支給して、国産小麦を保護しているかにみせかけて、まずい小麦を作らせのは、小麦はなんとしてでも輸入ものでまかなう事にしたいからだ。輸入すればするほど、農水省の懐にカネが入る仕掛け、これを手放すはずがない。
 これを陋劣陰険と呼ばずして何とする。

 もしTPPが実現したら、小麦がもっと安く手に入るようになるし、国産小麦も競争のために上質のものを栽培するようになるだろうということだ。ラーメン1杯は今、500円だとすると、100円くらいで食べられるようになる! 
 ふざけた貿易上納金を廃止するだけでも、パンもうどんももっと安価に食べられるのだ。それを阻むのが農水省の木っ端役人どもなのである。
 
 浅川芳裕氏は『日本は世界5位の農業大国』で農水省の大ウソ(小麦生産国で減産になっている)を次々と打ち破ってくれる。以下に挙げてみよう。
 
 中国とインドが経済発展と人口増で小麦輸入が増えていると言うが、昨日今日激増したのではない。順調に輸入量が伸びているのであり、2008年や今年、突発的に起きたのではない。小麦が足りないのは中国やインドのせいではない。
 
 バイオ燃料の需要拡大もよくニュースで語られるが、これもウソ。どれだけ小麦生産量を押し上げたかといえば…。
 「世界のバイオ燃料作物生産の7割を占める米国とブラジルの小麦生産量は、それぞれ6800万トンと580万トン。米国は減るどころか新興国の需要に対応して増産している。
 ブラジルは気候的に小麦作に適していないため、従来から小麦の生産が減っているわけではまったくない。」
 とのことだ。

 オーストラリアで旱魃があったことは事実だが、あの国は旱魃が起きても起きなくてもどうでもいいという農法なのである。灌漑すれば旱魃は避けられ、収穫量も上がるのに、灌漑インフラ整備にカネがかかりすぎ、コストが上がってしまって国際競争力を失ってしまう。だからオーストラリアは旱魃のリスクは織り込んで、自然の雨水に頼るだけの農法を採用している。そのほうが「長期的に収益性が確保できるという農業経営を、自ら選択しているだけ」なのだ。
 それにオーストラリアは日本企業が発注した小麦の数量を100%守っているので、旱魃が理由で減産したわけではない。

 しかもオーストラリア産の小麦で日本に輸出するものは、日本人好みのうどんやラーメンの需要と嗜好に応える品種にしてある。独自に開発したものだ。だから日本人がうどんやラーメンを食べないと余ってしまう。売り先がほかにない。

 ロシアもアルゼンチンも、自国の食糧が優先すると日本に売ってくれなくなると心配するのもウソである。農水省はロシアからもアルゼンチンからも一度も輸入したことがない。ロシア産小麦は、日本人が求める品質に到達していないのだそうだ。

 日本が長期にわたって輸入してきたのはアメリカ、カナダ、オーストラリアの主要3国である。小麦は世界的に少しも減産していないから心配ない。ただ農水省がウソの情報をマスゴミに流して、価格を操作しているから日本で品薄になる。

 というように浅川氏は次々に農水省のウソを論破していく。
 農水省は小麦の輸入を独占して、国際価格の2〜3倍で家計を苦しめている。
 それでも平然と犯罪行為を続けるのは、「食料安保」「食料自給率向上」を旗印に、官が管理・統制しないと国民が飢えるからと言って、自分たちの存在と仕事を必然と見せかけるためである。




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2015年09月11日

サヨクの左建外易


 左建外易(さけんがいえき)という四字熟語があって、意味は、正しくないやり方で自分の勢力や権力を大きくすること。または、地方で反旗を翻すこと、とされている。
 左は正しくないこと、よこしまなことの意、建はたてる、さだめる。易はとりかえる。出典は『史記』である。

 左つまり左翼の「左」の意味は、正しくない、よこしま、だというから、これは笑える。古代支那の人は21世紀の社会を予見していたのかね?
 
 日本のサヨクはまさに左建外易でやってきている。
 サヨクが正しくないやりかたで日本人を貶めてきたのは、支那、韓国、アメリカ等に使嗾されて、日本人にずっと加害者意識を植え付けるキャンペーンを張ってきたことが第一である。

 大東亜戦争については、日本はナチドイツと同様の徹底した悪い国で、そもそも日清・日露のときから侵略国として突っ走ってきた悪辣非道な国だった、と。
 ここからサヨクは、悪かったのはA級戦犯たちや軍部であった、日本の庶民は被害者だった、植民地にされた朝鮮も被害者だった、侵略された支那やアジアの国々も被害者だった、という立場に無理矢理立つのだ。

 その先頭に立って来たのが、朝日新聞を筆頭とするサヨクメディアであった。その彼らが性懲りもなく、それ自体たいした問題でもない安保法案にしゃにむに反対をわめいている。
 さらにサヨクメディアは、霞ヶ関官僚と組んで日本は「海外依存の国」と信じこませてきた。

 日本は貿易立国だとか、食料自給率が異様に低いとか、海外からエネルギーや資源をもらわないとやっていけないなどと、学校教育のころから刷り込まれる。人様の善意のおかげで生きて来られたのだから、外国に強く出てはいけないと教えられつづけてきた。

 こういう言論活動、政治活動がすべて左建外易であった。
 日本だけが加害者だとするのはウソである。実際は日本は列強にはめられて戦争に引き込まれ、また「性奴隷」やら「大虐殺」やら「強制連行」やらもウソであった。 

 食料自給率もウソであった。農水省が利権を握って天下り先を確保するためであった。
 以前紹介したことがあるが、浅川芳裕著『日本は世界5位の農業大国』から少し紹介してみる。

     *    *    *

 日本の国内農業生産額は2005(平成17)年時点で、826億ドル、8兆円相当の規模で、これは中国、米国、インド、ブラジルに続き、世界第5位を占めている。

 米国(1775億ドル)のちょうど半分程度だが、大雑把に言えば、人口も米国の半分程度なので、国民一人あたりの農業生産額はいい勝負と言える。

 また欧州の農業大国と言われるフランスは6位549億ドル、広大な領土を持つロシアは7位269億ドル、オーストラリアは17位259億ドルで、日本の生産額はこれらの「農業大国」をはるかに上回っている。

     *    *    *

 こういう実態は報道されない。詳しくは明日のブログで。
 すべてサヨクが垂れ流してきたいかさまキャンペーンである。

 日本の経済が海外依存度が高いとされるのも、ウソである。GDPのほとんどは内需である。日本の輸出依存度は11.4%程度でしかないが韓国は43.4%もある。輸入依存度は、日本が10.8%、韓国 38.8%
となっている。だが、日本のサヨクは決して言わない。
 ついでに言うと、支那への輸出はGDP(国内総生産)比3%以下、投資は1%強でしかない。サヨクメディアが言う、支那を大事にしないと日本の経済はつぶれるなどというのはウソである。

 支那にべったり依存しすぎている愚かすぎる企業はそれは打撃をこうむるだけの話。
 朝日は、日韓関係や日支関係は大事だ、お隣の国だから仲良くとか、植民地支配したのだから言いなりになるべきだ、未来永劫謝罪を続けるべきだと言いつのってきた。おれたち個人は軍部の被害者なのに、加害者にされてきたから、同じアジアの友として被害者の立場にたちたい、というわけだ。

 だから日本は韓国と敵対してはいけない。李ラインで日本漁船が拿捕されても文句は言うな、竹島は差し上げろ、とこういう姿勢。

 こうやってサヨクは、「日本はダメな国だ」と言い続け、国民に劣等意識、罪の意識、奴隷根性を植え付けてきた。
 戦後はずっと日本はダメだと言っていさえすれば、新聞は売れた。

 そうすることが国際化なのだとか、正義なのだとか、ウソ八百。
 それらがネットの普及も一因となって、隠され押しつぶされていた真実や自由な意見が表に出てくるようになった。
 情報発信や意見の発信は新聞テレビの独占ではなくなり、一人ひとりがものを言える社会に激変したのである。

 そして昨年8月5日、「朝日新聞敗戦記念日」を迎えることになった。共同通信や毎日新聞なども、まだ命脈は保っているが、いずれ潰れるであろう。
 媚中・副島隆彦は、産經新聞なんか潰れそうだと口汚く言うが、むろん産経も含めて、新聞は売れなくなっているのである。

 これが世紀が変わることの中身、つまり人間の認識が変わった実際のことなのだ。

 日本人をして自信をなくさせ、加害者意識を持たせ、内向きにさえしておけば良い、それが「オレっちの利益になるのさ」とうそぶいてきたのが、米・支・韓らである。彼らが日本の間抜けサヨクをつかって、徹底した情報戦争を仕掛けてきていた(いる)のである。

 日本文学がいじましい私小説レベルしか書けなくなっているのは、この洗脳が効いているせいでもあろう。
 はじめに書いたように、安保法案大反対の運動をサヨクが張りきってやっているのは、性懲りもなく、この戦後の流れである。

 日本が悪い国なんだから、自衛権を持たせるとまた加害者になる(自衛官すら被害者になる)、支那や韓国を敵国にすると海外依存度の高い日本は貿易でも失敗するぞとか、言いはって、日本人を内向きのままにさせておきたい。
 それが支那様韓国様のお眼鏡にかなうことだし、サヨクメディアが売れ続けるから、である。

 ブログ「株式日記と経済展望」でも8月28日付記事で、「中国は、日本の左翼活動家にカネを配って国会前にデモを仕掛けていますが、日当は2000円位なのでしょうか。とにかく中国は日本に多くの工作員を送り込んでいる。韓国も中国からの意を汲んで反日で共闘しています」と書いている。

 そのとおり。支那も韓国も日本を押さえつけたくてしょうがないのだから、安保法案ができあがっては困る。それだけの騒ぎだ。
 表立ってそれが言えないから、野党も理屈では政府を追及ができないでおかしなことばかり言っている。






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2015年09月10日

「ミリオンダラー・ベイビー」の要諦


 クリント・イーストウッドが監督し、主演した「ミリオンダラー・ベイビー」(原題 Million Dallar Baby)は、2005年の作品。「百万ドルの娘」とでも訳すか…。

 ボクシングジムを経営する孤独な老トレイナー、フランキー(クリント・イーストウッド)のもとに、ある日31歳のボクサー志望の娘、マギー(ヒラリー・スワンク)がやってくる。マギーはフランキーの指導を受けたいとジムに通ってくるが、フランキーは女はダメだと決めつけて相手にしない。

 押し掛けられて迷惑していたフランキーだが、マギーの練習に励む姿に根負けして、ボクシングを基本から教えるようになる。やがて実力をつけた彼女は、世界タイトル戦に出場することになるのだが…。
 前半は女性ボクサーが頑固者の師と師弟関係を描き、成功の階段を駆け上がる話。後半は一転してマギーの尊厳死を巡る話。
 
 ジムの雑役夫を名優モーガン・フリーマンが演じ、フランキーとマギーと3人がとてもいい味を出している。

 さて、私が注目したのは、フランキーがマギーの境涯を知り、その情熱に負けて、指導を引きうける場面であった。あとの話は、エンターテインメントで、どうでもいい。

 ただ、タイトル「ミリオンダラー・ベイビー」の意味は、ボクサーで百万ドル稼いだものという意味はむろんあるだろうが、マギーにとってはフランキーが百万ドルの価値ある師であり“父”であったし、フランキーにとってはマギーこそが百万ドルの“娘”になった、という物語であると思う。

 マギーは家族に恵まれず、極貧でトレーラーハウスから抜け出してウエイトレスをしながら、ボクサーを夢みている。年齢的に32歳にもなっていて、上達するのはもう困難である。
 フランキーも愛する娘に疎まれて孤独な老後を送っている。情熱を傾けて弟子を指導する気力がなくなっていた。

 そういうなかで2人の出会いがあり、それを元ボクサーの雑役夫(モーガン・フリーマン)がこっそり後押しする。
 マギーは話すチャンスをつかんで、フランキーにどうしてもコーチになって指導してくれと言う。必ずチャンピョンになるから、と。

 フランキーはマギーにこういう。
「俺とやる気なら…」
「がんばってみせるわ」
「それが間違っている。オレのやることに口をはさまず、何も質問するな。『なぜ?』と問わずに、『はい、フランキー』とだけ言え。そうしたら女ってことを忘れよう。ケガをしても泣いたりするな。泣き言は聞かん。それでなきゃ俺はひきうけない」

 これは、私が空手流派に入って、じかに師の指導を受けられる僥倖に恵まれたときを思い出させた。非常によく似ていた。私も出立するには遅い年齢だったので、マギーの気持ちはよくわかる。
 指導者と被指導者の関係は、要するにこういうものである。絶対服従。疑問を挟むな。これでなければ成功しない。栄冠は勝ち得ない。

 南ク継正先生は、ご著書の中で再三、三浦つとむ氏に私淑した経緯を書かれている。三浦さんの『弁証法はどういう科学か』を何冊もボロボロになるまで読み込み、誤字すらも信じて読んだと語られている。
 「修破離」でいうなら、実力が十分ついて「離」の段階になるまでは、フランキーが言ったように「なぜ?」と疑問をはさんではならず、指導に対しては「はい」とだけ言うしかないと。それを三浦さんの弁証法修得にあたって貫徹したのである。

 だが、たいていはそれができない。
 自信があるがゆえに、師とて間違うこともあるだろうとか、多少は個性を認めてくれていいはず…と、うぬぼれる。絶対服従に穴があく。それまででおしまい。
 素直のつもりなんだが、つい「なぜ?」と聞いてしまう。師を疑ったわけではないと言いつつも、これですべてが終わる。

 プロ野球ヤクルトの山田哲人はたしか去年くらいから、一躍頭角を現してスターになった選手である。
 YouTubeで彼の特集を見ていたら、高校時代の途中までは自信満々で野球をやっていたが、あるとき授業で「素直さが大事だ」と教わり、そこから野球に対する姿勢を入れ替え、指導者のいうことはなんでも素直に聞くことにしたそうだ。

 山田選手は高校からプロ入りして2〜3年は鳴かず飛ばずだったが、杉浦打撃コーチの指導を素直に受け入れて言う通りの練習をやったら、グングン伸びた。今年は三冠王も見えてきている。 
 ミーハーレベルのプロ野球ですら、こうである。

 南ク学派を知ってはいるが、非難する人は、要するに素直になれず、ついて来られなかった哀れな人間である。自分のほうが正しいと思ったら、根っきり葉っきりそれっきり。
 世の中には、大学教授が偉そうにもの申したり、新聞や雑誌が既成の著名人の原稿を載せるから、どうしたってそれらが正統に見えてしまう。

 南ク学派? そんなもの、メディアに出てないじゃないか、と蹴飛ばす。そうして「ミリオンダラー・ベイビー」になり損なう。




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2015年09月09日

なんのための新聞倫理綱領?


 日本マスコミ文化情報労組会議(略称MIC)の反日活動について書いたついでに、日本新聞協会の悪業についても述べておこう。
 日本新聞協会は麗々しく「新聞倫理綱領」を発表している。

 以下のHPに「新聞倫理綱領」が掲載されている。
 読めばごもっとも、立派な文章である。
 ぜひみなさんもご一読をと奨めておきたい。
http://www.pressnet.or.jp/outline/ethics/

 「新聞倫理綱領」の一部を引用すると、
      *    *    *

自由と責任
 表現の自由は人間の基本的権利であり、新聞は報道・論評の完全な自由を有する。それだけに行使にあたっては重い責任を自覚し、公共の利益を害することのないよう、十分に配慮しなければならない。
正確と公正
 新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである。
      *    *    *


 ご大層なことを書きつらねているが、誰でも笑っちゃうだろうが、実態はまったく正反対のことを平然とやらかしている。
 サヨク御用新聞はとりわけ、支那や韓国の意向を受けた反日報道でそれこそ名を馳せてきた。

 一例をあげれば、国家の安全保障や自衛隊に関する政策や法案整備について審議されると(されなくとも)、実態とかけ離れて「正確かつ公正」にあらざる「記者個人の(歪んだ)立場や信条に左右され」た報道が必ずなされてきた。

 安保反対、自衛隊反対のキャンペーンを張り、ただただ政府や自衛隊を非難する報道に終始してきた。
 例えば、60年、70年安保の騒動でも、新聞は日本がアメリカの戦争に巻き込まれる、平和が壊されると大騒ぎをやってのけた。
 PKO(連合国国際組織の平和維持活動)協力法成立のときも、日本が侵略国となると批判していた。

 しかし、アメリカの属国状態は続いているが、戦争に巻き込まれることはなく、PKOもまずまず諸外国から評価される活動が続けられてきた。
 まったくサヨク政党やマスゴミの批判はまちがっていたことが、はっきりしている。

 なのに今度もまたサヨクは、憲法が壊れるの、平和が踏みにじられるの、自衛隊が殺し、殺されるのと、また同じ芝居を打ってきている。
 新聞倫理綱領はどこに? となっている。なのにまだ騙されて安保法案にしゃにむに反対するアホがいる。

 反対するならするで、ちゃんと新聞倫理綱領を堅持してやったらどう? と言うべきであるが、「安保反対」「安倍は死ね」「バカかお前は」と叫ぶ連中は、倫理綱領なんか無視していいから、とにかく反対キャンペーンをやってくれ、と言うのである。
 綱領は法律ではないし破っても罰則はないとは言うものの、これはテメエで決めたいわば憲法のようなものではないのか?

 磯崎首相補佐官による法的安定性の発言では、彼を辞任させろと大騒ぎをするくせに、テメエたちの掲げる綱領との整合性、安定性は知らんぷりとは、どこまでツラの皮が厚いのか。

 要するに、新聞倫理綱領を書いた連中と、日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)とは、同じ人間が書いていると言うべきであろう。

 ところで、8月初めにまたもや朝日新聞が卑劣をやった。
 朝日新聞記者の冨永格(ただし)特別編集委員が、自身のツイッターに、ナチスの旗などを掲げてデモをする人たちの写真を載せ、英語とフランス語で「東京であった日本の国家主義者のデモ。彼らは安倍首相と保守的な政権を支持している」と投稿した。

 富永は長く「天声人語」の筆者をやり、現在は朝日のフランス支局長だそうだ。
 自民党や一般読者の抗議を受けて、朝日新聞と本人は不適切な投稿だったとし、削除した。

 朝日本社は、冨永の投稿について、事実関係の裏付けをしておらず、写真も撮影者の許可をとらずに転載していた経緯について説明したのち、「報道姿勢に疑念を抱かせる行為だったと重く受け止め、社名などを名乗ってツイッターを利用できる「公認記者」から外すとともに、コラム「日曜に想う」の執筆者からも外す措置をとります。」と紙面で回答した。

 冨永のツイッターは、朝日新聞のホームページにある記者紹介のページからリンクが張られていた。富永は、ツイッターの紹介として「あれこれ含め個人の責任で本音をつぶやきますので、ヨロシクでごんす」としている。下品な言葉遣いですな。
 これは個人の責任や言論表現ではなく、朝日という虎の威を借りたキツネだったのだから、処罰の対象になる。

 冨永氏は書き込みを削除し、ツイッター上で「嫌韓デモに参加する人たちには安倍首相の支持者が多いという趣旨でしたが、英語ツイートに『一般的に』の言葉が抜けていたので、彼らがこぞって首相を支持しているかの印象を与えるツイートになってしまいました。失礼しました」と釈明、謝罪した。

 この低度が、朝日の看板である「天声人語」を執筆している。
 富永がこういうことを言いたければ、公平に、サヨクたちはゴロツキ支那を支持し、竹島を奪った韓国や日本人を拉致した北朝鮮がすきな人たちが、安保法案に反対している(一般的に)と書けば良かったのだ。

 かくのごとく、朝日は新聞倫理綱領を蔑ろにしている。
 朝日は富永が「事実関係の裏付けをしておらず、写真も撮影者の許可をとらずに転載していた」ことだけを認めて、削除したと言うけれど、その政治的信条の偏向や歪曲には謝罪しなかった。
 
 富永のやらかしたことは、「記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである」としたためられている新聞倫理綱領に抵触する卑劣だと、朝日本社は謝罪しなければならなかったのである。富永の論評はサヨクにおもねているではないか。

 沖縄の論客新星、我那覇真子(がなはまさこ)氏は、沖縄の2紙(琉球新報と沖縄タイムズ)を正す集会で、次のような言葉を語った。(YouTubeより)

 「ある特定のイデオロギー、主張をマスメディアが主導し、支配することの危険性を公に論じることがこれまではありませんでした。マスコミがある特定の思想の主導下にあって、ある政治目的達成のために偏向、情報操作、捏造の報道を行なっても、表現の自由、報道の自由をもって、これを押し通すことができるからです」と。

 まさにしかり。日本の報道機関は、みずから新聞倫理綱領などをおごそかに定めていながら、実際は言いっぱなしで、チェック機能がなかった。
 先の東芝の不祥事などがあると、新聞はコーポレートガバナンスがない、チェック機能がないと非難するが、テメエたちこそ、一番デタラメをやってきたのである。

 沖縄の性悪2紙は、「沖縄の世論は俺たちがつくる」とうそぶく。これはあきらかに新聞倫理綱領違反である。

 報道をチェックすべき政治家も官僚も大学教授も、みんなグルでやっているからである。
 その体制に綻びが生じてきて、チェック機能が働くようになったのは、一つにはネット社会の発展、充実によるのである。






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2015年09月08日

日本マスコミ文化情報労組会議の反日工作


《1》
 安倍内閣が成立させようとしている安保法制を巡る反対派(護憲派)については、いい加減飽き飽きしているのだが、次から次にバカをやるので、こちらも反論したくなる。

 今回は日本マスコミ文化情報労組会議が垂れ流す害毒について取り上げたい。
 彼らのHPによると、こういう組織だ。
 「日本マスコミ文化情報労組会議(略称MIC)は新聞、印刷、放送、出版、映画、広告、音楽、コンピュータそれぞれの労働組合の連合会、協議会等で構成された組織です。
 平和と民主主義の課題をはじめ、各産業の発展とマスコミ関連労働者の権利・労働条件の向上のために賃金問題プロジェクト、時短・労働問題委員会などさまざまな活動を行っています。」


 ここにある「平和と民主主義の課題」のようなキレイ事や、労働者のため市民のため、を掲げて言論暴力を展開している組織である。
 NHK労組は抜けたことになっているが実質は強い人脈でつながっているそうだ。民放、新聞、出版などの労働組合の上部団体が日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)になる。

 この組織はかなり政治的なアピールの強い団体である。建前では支持政党はないことになっている。そういうことにしておかないと、一般の政治に疎い組合委員を抱え込めないからである。
 実質は、民主党その他泡沫左翼政党の支持を打ち出している。

 “国内事情”でいえば、報道機関が反日とサヨクになるのは、伝統的にサヨク色の強い東大閥が支配していること、NHKや朝日などの一流といわれ、財力もある団体がのさばる(音頭取りになる)からである。
 また「報道は権力に対して批判的でなければいけない」という偏見と、「他の社でやっていることは自分もやらないといけない」や「特ダネを自社だけ落としたら困る」という、談合してまで横並びにしたがる報道姿勢というか慣習がさせている面もある。

 それから、“国外事情”でいえば、彼らのエリートはアメリカに留学や駐在によって、CIAやユダ金から脅されたりアメをもらったりして洗脳されて帰国し、アメリカ様の指示通りに言論や情報活動を行うせいである。
 また、支那や韓国からもカネをもらいオンナを抱かせてもらうから、これまた言いなりになってほいほい活動を行う。

 それで最近では、特定秘密法案反対、NHK籾井会長への辞任要求、百田尚樹氏と自民党議員の沖縄2紙批判への抗議、そして安保法案を「戦争法案」だと言い募るなどを展開してきている。
 過去に、NHKの会長人事に激しく介入し、島桂次や海老沢勝二をスキャンダルをネタに首を飛ばしてきた。

 島桂次や海老沢勝二を叩くに際して、どれほど新聞、出版、テレビなどがまさにメディアスクラムを組んでさわぎ立てたか、皆さんもご記憶にあろう。「島ゲジ」「海老ジョンイル」などと歩調をあわせてあだ名をつけて、嘲笑のかぎりを尽くしたのも、こいつら。
 今度も安保法案に関しては、またもすさまじいメディアスクラムやらメディアミックスやらで、安倍批判を展開して留まるところを知らない。

 現在のNHK会長の籾井氏については、就任会見からしてサヨク記者がおよそ会長就任とは関係ない「従軍慰安婦をどう思うか」と質問して、ごく常識的に返答した籾井の発言を、大仰に「会長の資格なし」などと大騒ぎし、それが落ちつくと今度は、籾井が私的にゴルフに行ったことまでスキャンダルとしてさわいだ。きっとNHKの労組がMICに垂れ込んだのだ。

 こういう反日組織を立ち上げ、大きくしたのが昔の社会党だった上田哲であった。上田はNHK職員からのしあがって、マスコミ労組を大きくし、「NHKの闇将軍」「上田天皇」などと言われた男であった。
 MICの父というべき人物だった。

 社会党委員長になり損なっては、離党したあとは泡沫政党を何度か立ち上げたがついに国会復帰はならず、国民から忘れられた。人望が欠落していたからだ。
 写真を見ればおわかりのように、悪相をしていた。

 1989年、北朝鮮の拉致工作員・辛光洙の釈放要望書を韓国政府に出した政治家のなかに、上田も入っていた。
 当然、彼らは北朝鮮による拉致はないと言いはっていた連中であり、真実が明らかになることを妨害してきた。
 例の小泉訪朝で菌正日が拉致を認めて謝罪したときには、うろたえたようだが、その後は口をぬぐって、反権力だの民主主義だの、偉そうなことを言っている。
 絶対に中韓の悪口は言わないし、言わせない。

 上田が在日帰化人かどうかは定かではないが、なにしろ電通に君臨した成田は在日だったのだから、疑わしい。電通と歩調を合わせてマスゴミに隠然と勢力を誇った労組の“天皇”となれば、同類と見られる。

 こういう性悪の労組がいて、国民の情報統制を行なっているかぎり、おかしな憲法が改正されるわけがない。そしてみごとにおバカどもが護憲に洗脳される。
 自民党政府は言論の自由や学問の自由を侵害していると彼らは言うが、オヌシら自身こそが自由の妨害をやってきている。

 言論や学問の自由には、自分の主張見解に反していようがいまいが、自分が意見を言う権利は、同等に反対する相手にもあらねばならない権利である。これがルールである。
 ところが、MICはこの平等の権利があるのに、自分たちの意見に反対するものを排除する、あるいは糧道を断つ(社会的に抹殺する)ことを常にやらかしてきた。

 全マスゴミ挙げて、あることないこと叩きまくる。国民も煽られて信じるから目的を達するが、後になって実はまったくの事実無根だったとわかっても、煽動した連中は知らん顔だ。
 そんなやり口は主権国家、民主国家では許されない。ヤクザも顔色を失うほどのやり方である。

 これは評論家・三橋貴明氏が言っていたことだが、「日本には日本を貶める言論の自由と、中韓を称える言論の自由しかない」と。
 これを背後で国民に見えないようにやっているのが、日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)なのである。


《2》
 安倍政権が打ち出した「『日本再興戦略』改定2014」において、日本の「稼ぐ力」を取り戻すための施策の一つとして、企業統治(コーポレートガバナンス)の強化が明示された。それを受けてコーポレートガバナンス・コードの厳格化が求められるようになった。
コーポレートガバナンス・コードは企業統治規範と訳される。

 そのなかに、例えば朝日新聞による事実無根の「従軍慰安婦」報道や福島原発事故に際しての故吉田昌郎所長の指示歪曲報道など、社会的に大きな損害をもたらした企業に対しては、スポンサー企業が広告を出したり資金融資したりすることは許されなくなったのである。
 
 これは安倍政権の成果と言ってよい。
 しかしながら、法曹界が真っ赤に染まっているので、仮に朝日新聞をコーポレートガバナンス・コードにのっとって告訴しても、サヨク判事やらなんやらによって妨害される。
 こう言う流れだから、MICなどサヨクは危機感を持って、反安倍をなりふり構わず押し出して、なんでも反対を言い募るのである。

 安保法案の審議のはずが、やれ徴兵制とか、やれ戦争法案だとか、学問の自由が侵されるとか、植民地支配をわびろとか、およそ見当違い、バカじゃなかろうかの特別委員会になっている。
 安倍政権がいくら説明しても、まあかなり揚げ足をとられることを警戒して抽象的にしか答弁しないけれど、サヨクが相手の言論を認めない反民主、反自由の姿勢であるかぎり、国民には何が問題かは知らされない。

 選挙で多数を握った党が、組閣して政権を持てば、政治力をつかって法案作成や外交を担当するのは当たり前である。
 それが気に食わないのなら、選挙で勝つしかない。だが、現下の情勢では民主党や共産党が政権に近づく可能性はゼロだ。政権の足を引っ張るしかできないバカどもだと国民は知っている。

 それが議会制民主主義を選択している日本の今である。
 勝てないものだからサヨクどもは、相手の方針や自由や手続きやらに難癖つけるしかやりようがない。首相や閣僚に、あのときはこう言ったが、昨日は違っているなどと、ささいな表現の違いを言い立てて時間つぶし…。

 毎度俎上にあげるが、副島隆彦は世界の真実を暴露すると息巻き、右派を「チンコロ右翼」などと口汚い言葉を遣っている。身内サヨクのこうしたメディアスクラムでの悪辣行為についてはだんまりを決め込む。

 なぜかなら、彼は売文家なので自分の本を出してくれる大手出版社の編集者(MICに入っているか同調者)を敵に回したくない思惑があるからだ。サヨクの腐敗ぶりを暴いたら、支那からお小遣いももらえなくなるだろうし、本を出版できなくなってしまう。
 「おれは暴き系の評論家」だというなら、サヨクの実態も暴いてみろ。





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2015年09月07日

空母「かが」を歓迎する


 8月27日、ヘリコプター搭載護衛艦「かが」が進水式を行なった。
 今年3月に就役した「いずも」の2番艦で、護衛艦としては最大規模だそうだ。5機のヘリが同時に発着できる。

 この「かが」の名称で、サヨクがまた騒いでいる。
 毎日新聞はヘリコプター搭載護衛艦「かが」は旧海軍空母「加賀」と同名だとし、海自内で名前募集があったと伝える。
 自衛官が名前を付けたことを事実として伝えたのではなく、言外に「そんな旧海軍=悪を懐かしむことをしていいのか」、「サヨクの皆さん、問題にしましょうよ」のニュアンスが明らかにうかがえる。
 
 朝日新聞は、この艦が進水式を行い、「かが」と命名されたことを伝えたあと、「太平洋戦争中にミッドウェー海戦で沈没した日本海軍の空母『加賀』と同名。」とわざわざ記事の最後に付けている。
 「太平洋戦争」という呼称を臆面もなくつかう、この奴隷根性のみっともなさ。日本では正式に「大東亜戦争」と言ったのだ。

 産經新聞は、「海上自衛隊の新型ヘリコプター搭載護衛艦の命名・進水式が27日、横浜市内で開かれ、「かが」と命名された。」と淡々と事実だけを記事にしていて、旧海軍の「加賀」のことには触れていない。当たり前で、何の関係もないからだ。

 海上自衛隊は、これを「空母」とは決して呼ばない。サヨクやその背後の支那に遠慮しているからだ。なんてバカバカしいことを。
 ジェット戦闘機の発着はできないが、ヘリコプターやオスプレイは運用できる。まごうかたなき航空母艦である。

 しかしサヨクは日本が空母を持つことに神経をとがらせて、必ず反対する。このヘリコプター搭載護衛艦も「空母」だと言っては非難してきている。
 いかにも空母だ、それがどうした。国家が軍備を整えることが何が悪い? 日本はアメリカの属国だから大陸間弾道ミサイルや核兵器を持たせてもらえない。哀しい現実。

 毎日新聞の記事に戻るが、1面で大きく写真付きでとりあげたあとに、もういちど26ページの「総合」面でも大きく記事にしている。
 「旧海軍の船名が海自艦船に命名されることは多いが、海自は空母と認めていない護衛艦に旧海軍空母の名をつけたことになる」と、わざわざ断っている。

 かつてイージス艦の命名でも「こんごう」と名付けたら(1991年進水)、これもサヨク新聞が旧海軍の戦艦「金剛」と同じだと言って、イチャモンをつけた。
 毎日の記事でも、いわゆる“識者”に発言をさせている。

 山田朗(明治大学教授“軍事史”)は「旧海軍の空母の名前を引き継いだと受け止められる、やや強気な命名だ。艦名はあまり目立たないようにとの意識が以前は感じられたが、近年はそうではなくなってきた。空母的な艦船という位置付けをかなり意識した本音をのぞかせたものだ。」

 まったく…アホか。海自もサヨクも、である。海自も旧海軍を連想させると気遣って、なんとひらがな名をつける。漢字ではなにがいけないのかわけがわからん。むしろ旧海軍の伝統を継承する意図を明確にしたほうがいい。

 自衛隊すべてに言えるが、階級名にしても「少尉、中尉、大尉」じゃなくて「三尉、二尉、一尉」と、異様な命名をさせている。海外に行けば英語で「少尉、中尉、大尉」と言われているのに、国内だけ、それが通用しない。

 サヨクも「本音のぞかせた」とイチャモンをつけて悦に入っている。
 そして、「かが」の前に就航した同型艦「いずも」のときもそうだったが、必ず支那や韓国にご注進に及び、「ねえねえ、自衛隊がまた軍国主義の過去を忘れ、軍備拡大を図ってますよ。きつく叱ってやってくださいな」とこうなる。

 今回も「『いずも』命名時には、中共各紙から『準空母』だと指摘された」、と自慢げにしたためる。
 なんで日本が日本の自衛艦に命名するのに、ゴロツキ支那におうかがいを立てなければいけないの? 理由を聞かせてほしい。
 準空母だからなんだって? テメエらはソ連のセコハンの空母を鉄屑にするからとウソをついて引き取り、見た目には空母に改装しちゃったくせに。

 「空母遼寧」はいまだに戦闘機の発着ができない欠陥空母ではないか。そういうことは絶対にサヨク新聞が言わない。「脅威だ」などとウソを言う。
 仮に支那が空母の存在を誇っても、いざ戦争になったら艦から全員が逃げる。真っ先に司令官や艦長から逃亡する。それが支那人の気質である。その恥ずかしい根性を直してから、日本にイチャモンをつけてみろ。 

 支那は昔から海戦で勝ったことがない。武装していないヴェトナムの漁船は体当たりで沈没させても、自慢になりはしない。
 なにを言っても、支那や韓国は日本を非難してくる。すべてが宣伝だからだ。そんなことにいちいち気にして何になる。相手にするだけ時間と労力の無駄。

 自衛艦の就航は、わが国の問題である。命名もわが国の問題である。自分の子供に親が命名するのに、いちいち他人の、しかも悪意に満ち満ちている奴の意向を気にしながら名前をつけるか?

 親が子供に命名するのは、それは最高の人生の贈り物として考えられる。あくまで、両親、祖父母などの身内が、将来きっとこの赤ん坊も気に入ってくれるだろうという名前をつける。
 いちおう名前につかっていい漢字が決まってはいるが、極端にいえば「太郎」と書いてもこれを「はなこ」と読ませても構わないのだ。

 要するに、親と子の間だけの問題だ。
 だから自衛艦の命名に、自衛隊内で公募してなんら問題はない。

 自衛艦を創るのも、それに命名するにも、その善し悪しは「まわりの人(国)」が判断するのか?
 支那、韓国に気に入ってもらう命名をすることが、なんで大事なの? なにをいおうと文句しか言わないクズどもの意向を後生大事におしいただく。バカとしか言いようがない。

 日本は大東亜戦争に負けた。しかし戦争を仕掛けたのは実は蒋介石であり、アメリカであったことが今や明らかになっている。日本は属国だからそれが言えないだけである。

 支那も韓国も昔からいささかの変わっていない。謝罪しなければ、「謝罪しろ!」と批判され。謝罪したら、「謝罪が足りない!」と批判され。何回謝罪しても、「日本は一度も謝罪してない」といわれる。
 そういう異常なケダモノが支那韓国なのだ。




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2015年09月06日

佐野研二郎の背後に見えるもの(2/2)


《2》
 さて、次の問題。
 なぜあのエンブレムは失敗したのか。
 あれは一応実力のあるデザイナーによるコンペであったことになっている。有名なデザイン賞を取った者に応募の資格を与え、その中から優秀作を選んだことになっている。

 しかし、実際ははじめから佐野を選ぶシナリオがあって、だから原案をニ度も手直しさせているのだと言われる。
 その気配濃厚だが、一応、コンペがあったことにして話を進める。

 以下は坪松博之氏の著作『壽屋コピーライター開高健』(たる出版 2014年)からの引用である。広告についての話であるが、五輪用エンブレムとして読める。

     *    *    *

 競合という方式はクリエイターが凌ぎを削り、優れた広告が生まれるように感じられるが、実はそうとは言い切れない。必ずしもその商品にふさわしい広告が選ばれ、つくられるとは限らないからである。
 競合方式が採用されるということは、クリエイティヴを選ぶプロセスに競争原理が導入されることになる。したがって、その結果として競争に強いプランが採用される。

 競い合う場所はプレゼンテーションの場である。それは実際に広告が露出される環境とは異なる。したがって選ばれる広告の基準はそのクリエイティヴそのものの良し悪しではなく、プレゼンテーションの良し悪しになってしまう。

 競争に強いクリエイティヴとは、つまりは目立つ、わかりやすいクリエイティヴである。その商品との親和力、つまり商品の魅力を増幅させるフィット感は二の次になってしまう可能性がある。
 その結果、いわゆる競合受けする作品が勝ち残る。

 競合が繰り返されると、その都度、目立つプランが選ばれる。ということは企画がころころ変わるということでもある。広告をいくら重ねても、それは決してその商品のブランド力の蓄積にはならない。広告が独り歩きを始める。そして、この競争の繰り返しがクリエイターを疲弊させる。これぞと思う企画が没になる。自分の中で良し悪しの基準を見失ってゆく。

 自分のプランのブラッシュアップができなくなる。そのうち誰かの作品が通ればいいや、という投げやりな雰囲気も生まれる。

     *    *    *

 これはサントリーの広告が開高健、柳原良平、山口瞳、坂根進らの黄金時代の前の、要するにコンペで広告を創っていた時代の欠陥を述べているのである。これを反省してサントリーは社内に広告専門部署を立ちあげて、社員に好きなように広告を創らせた。
 おかげで芯の通った広告、商品とみごとに親和力のある広告が出現し、華やかな一大文化を築きあげたのだ。

 また、これはおそらく佐野研二郎その人、あるいは東京オリンピック組織委員会の老害どもの犯した失敗ではなかったか。
 別の例でいえば、学校の入試も競合である。競合させて成績の良い子を獲得できる面はあるが、おかげで受験の弊害がますます顕著になっている。受験で答えが出せれば「優秀」と烙印が押される悲劇。

 それが証拠に、エンブレムの羽田空港の展示例で、他人の著作権のある写真を無断で使用してしまったことにも現れている。
 いかに目立つかを、佐野は組織委員会にプレゼンしたのである。クリエイティヴより、「ほら、空港でもこんなに目立っていいでしょう」とやったのである。

 受験的に、クライアント(組織委員会)が喜びそうなデザインや仕掛けに目が行き、誰もが幸せになれるようなという配慮はなし。
 組織委員会は、競合させるとどんなマイナスがあるかに無知な連中だから、目立てばいいと佐野のエンブレムを評価してしまった。

 江戸千代紙はこの広告の話とは違うけれども、クリエイティヴをいかに発揮するか(させるか)のテーマとしては共通していると思う。
 江戸千代紙の図案家たちは、競合プレゼン目的で創ったわけではないから、良い質のものができた。

 佐野も若いころは斬新なデザインを創ることができたのかもしれないが、坪松氏が説いたように、コンペ、コンペのくり返しのうちに、「クリエイターを疲弊」させていったのではないか。その結果の、弟子に丸投げしたり、人様の作品をパクったりするしかできなくなっていったのではないだろうか。

 マスゴミもアホだから、もっと透明性を高めた競合にすれば、良い作品が出てくるだろうし、もっと市民が参加できるようにすれば公平に選べるのではないかと書いているが、競合方式だからダメだった事の反省はかいもく…、である。







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2015年09月05日

佐野研二郎の背後に見えるもの(1/2)


《1》
 東京五輪のエンブレムが撤回された。
 私はあまりオリンピックに関心がない。
 とはいえ、招致してしまった以上は、成功してほしいし恥をさらしてほしくはない。

 佐野研二郎のエンブレムを見たときには、まず不快感を覚えた。実につまらない、デザインのためのデザインと言うべき、見てくれだけのエンブレムだと思った。
 要するに「TOKYO」の「T」を、丸、三角、四角であしらっただけで、招致用のエンブレムのような、日本の心が表現されていない。

 それが盗用疑惑が出て、いっそうの嫌悪感が増幅された。
 あれはまごう方なき「パクリ」である。多くの日本人がそう感じて、これでは恥ずかしいとまともに考えているのに、森喜朗や武藤敏郎らオリンピック組織委員会はごり押ししようとしたから、余計庶民の反発を招いた。国民感情を汲み取れていなかった。

 多くの日本人が、今度の撤回を受けて、招致のときのエンブレムでいいじゃないか、と感想を抱いたのも当然であった。

 宮崎正弘の国際ニュース・早読み (2015年9月4日号)の読者の声に、私がなんとなく感じていた不快感を的確に書かれている投稿を読んで感心した。
 以下引用。

     *    *    *

 東京オリンピックのエンブレムが白紙撤回されました。
 模倣、盗用かどうかはともかく、オリジナリティも温かみも感じられない図案が使われなくなったことは喜ばしいと思っています。オリンピック組織委員会の不備や、今後の後始末を考えると、また税金の無駄遣いか…という気持ちもありますが。

 それはともかく、佐野氏の、この問題当初の会見を改めて見直して、オリジナリティを感じない理由がわかりました。
●TOKYOの「T」に注目した。
●Tという字の欧文書体である、ディビット、ボトニをモチーフにした。

 以後は技術展開で、要は使いやすいアルファベットのTを使ったというだけで、あとはプロならうまくできますよ、といっているにすぎないのです。

 この点も問題なのですが、気になるのは、この人の意識に「日本」が全くないことです。例えば、オリンピック招致で美大生が作ったエンブレムは、桜を全体に使い、大きな円を描いて、日の丸を連想させます。
 他の方が、自分ならこうする、というエンブレム案もいろいろ見ましたが、ほぼすべてに、桜、扇、日の丸など、「日本で行うオリンピックであること」を表す表現が含まれています。なぜ当然の要素である、「日本」が佐野氏のエンブレムになかったのか。

 単に、Tを使えばいくらでも似たサンプルがあるから、ということだけならまだしも佐野氏は韓国にこびているとか、在日、とかいう噂があるのが、ちょっと気になります。オリンピック組織委員会も、もう少し真面目に考えていただきたいものです。日本で行うオリンピックなのですから。
   (NS生 千葉)

     *    *    *

 この千葉NS生さんが指摘するように、佐野には日本の心がない。そこが一番の国民の反発だったと思う。「オリジナリティも温かみも感じられない図案」であった。

 なのに、佐野は撤回に当たっての報道機関への弁明では、俺は悪くない、誹謗中傷を受けた被害者だと開き直っている。ネットの誹謗中傷で家族もスタッフも傷ついた、と。
 あんなことを書けば、いっそう嫌われるのに。
 佐野が在日かどうかは問うまい。そういう問題とは違う観点からこの問題に迫ってみたい。

 私が決定的にもうダメと思ったのは、佐野がサントリーの景品バッグのデザインで模倣、盗用をしておきながら、本人は雲隠れして奥さんに「あれはトレースです」と言わせたことだった。トレースだと言って、責任を逃れようとした。つまりウソをついた。
 だからほかのすべてが信頼されなくなった。

 もう佐野自身が「事実無根です」とおかしな日本語で否定してみせたが、国民のほとんどはもう疑惑の目でみるようになったのである。ああいうときに「事実無根」という言葉は適当ではない。

 佐野の記者会見も不快にさせられた。あのいかにもデザイナーっぽい、パツパツの疑似背広を着てきて、まじめさが感じられない態度を示したうえに、終始眉間に皺をよせて不愉快そうに、俺は被害者だという態度をとった。
 あの服装は逆効果だった。釈明会見場なのに、浮ついた機能性のないデザインだけの格好しやがって、ただの気取り屋じゃないかと、誰もが思った。
 
 広告業界、デザイン業界ではあの服装が「とっぽいじゃん」「かっこいいじゃん」と思われているのはわかるが、一般社会や企業では顰蹙を受ける。

 どんな泥棒だって、警察に逮捕されたときには「おれじゃない」と言うものだ。だから、ボクは一度もパクったことはないと言っても、事実、サントリーやその他で盗用が発覚しているのだから、みんながドッチラケ。
 ベルギーの劇場のエンブレムとはデザインのコンセプトが違うと言ったって、もう誰も味方になってくれなかった。

 話は飛ぶが、東京は千駄木に「いせ辰」という千代紙屋がある。
 「いせ辰」のHPから引用させていただく。

     *    *    *

 江戸千代紙とは華やかな色彩の模様を和紙に木版手摺したものです。
古くは宮中で使われた短歌などを書く紙に模様が施されたのが始まりで、大名に伝わり、江戸文化の開化とともに広く庶民に伝わりました。

 そのモチーフは伝統的な衣装にあるもの、花鳥風月を表したもの、また歌舞伎といった風俗習慣などで、江戸庶民の好みが反映され、粋や洒落が特徴です。浮世絵の発達とともに多色摺りで色彩豊かな千代紙が錦絵屋で多く売られました。
少女達はこの美しい千代紙を集め、姉さま人形を作り、また包み紙や菓子敷きなどに使われ、千代紙は庶民生活の彩りとなりました。千代紙に摺られた模様の一つ一つが日本人の生活の詩的な側面を写し出しています。

     *    *    *

 これは一例であるが、デザイナー志望の人はぜひに、江戸千代紙を買い求めて、よくよく研究すると良いだろう。ネットでも多少は出ているから参考にされたいが、本当は実物を触って、臭いを嗅いで、鶴でも折ってみて、五感器官で感じ取ってほしいものだ。
 どれもまさに温かみがあって、洒落ていて、日本文化への誇りが感じられる千代紙である。

 日本人の豊かな感性は、こうした千代紙で遊ぶことでも育まれたのである。佐野のデザインには、そんな日本人の感性を豊かにするような要素は何もない。トイレの「男/女」の表示レベルで、美が感じられなかった。
 
 江戸千代紙は昨今見かけるところの、温かみも心も感じられないただの格好付けているだけのデザインとは全く違う。佐野のようなただの“格好”はデザイン、温かみのあるのは“図案”とか“意匠”と呼ぶべきではなかろうか。
 彼ら千代紙職人たちは別に世界の何とかゴールドメダル賞を取ったわけでもないが、実に優れている。

 その違いは何か。言い換えればなぜ佐野研二郎は、盗用しないとやっていけないデザイナーになってしまったか、である。
 それはやはり「人間とは何か」の大本から解かねばならない。
 人間とは、赤ん坊のときから実体(脳や感覚器官など)も、その機能たる認識も創り創られて人間になるのである。

 その脳や感覚器官、それに認識をみごとに生育させなければ、藝術家にはなれず、それより落ちるデザイナーにすらなれないと知るべきである。
 江戸時代のいまや無名の図案家たちが創った千代紙が、みごとなのは、当時は脳細胞も実力も感覚器官の実力も、そして認識(感性)の実力も、ことさら鍛えるまでもなく鍛えられていたからである。

 電車もない、クルマもない、どこへ行くにも歩くしかない。食べ物は粗食、住居は電化されていないから何でも自分でやる、必然的に感覚器官が鍛えられた、そのアタマとココロで、とくに美術学校で習わなくても、すばらしい意匠の創造ができたのである。

 江戸時代の常識として、徒弟制度であったから、師匠について千代紙の制作を教わる。おそらくは入門して3年は、炊事洗濯、水汲み、便所掃除といった雑用ばかりやらされ、それが効果があって、感覚器官も感性も一人前になり、そのうえで絵を描いたり、版木を彫ったりすることを教わる。

 ところが今は美術大学に入って、はじめからデザインの見方や創り方を授業で教わる。だから本物の実力が身に付かない。
 毎日新聞9月4日付に、タレントでデザイナーでもある松尾貴史が、7年前に佐野と対談したことがあった、書いている。「印象に残っているのは、デザインは何と何を組み合わせるのかが重要だという趣旨の発言をされた」

 佐野はこんな低度のデザイナーか。機能のことも考えないで、自分が(あるいは他人の?)発想したものをいろいろ組み合わせて、インパクトのあるものを選べばいいということだろう。そういう考えではパクリが生じても不思議はない。

 感覚器官や感性を育てる土壌がもう現代日本には乏しい。美術学校に入る試験でさえ、どうでもいい英語や数学ができなければダメ、だから受験勉強をやらないとダメ、そういう環境では、江戸時代の職人がただの千代紙ですら発揮した圧倒的センスが生まれない。

 佐野のパクリやウソは咎められなければならないけれど、これはおそらく彼だけの悲劇ではないのである。
 1964年の東京オリンピックのエンブレムは亀倉雄策が創ったものだったが、「あれは良かった」とだけ言うのではなく、これは国家的課題として、前回五輪のころによりもなお日本人全体に感性の実力が落ちているということに気付かなければならないのである。

 オリンピック組織委員会の老害や審査の不透明性をマスゴミは問題にしているが、それもあるけれど、佐野に限らず日本人の感性自体がなぜ落ちたかの問題のほうが深刻なのである。

 ついでと言ってはなんだけれど、あの国会前の民青主導の抗議集会でみられるプラカードは、いまやパソコンで作ったものばかり。だから読みやすいというか、整っているというか、要はデザイン的にはちゃんとしている。カラフルでもある。

 私の若いころはプラカードは手書きだった。
 何が違うかといえば、昨今のパソコンで作ったプラカードには心が籠っていないことが見てとれるだろう。手書きのほうが、感情がこもったのである。

 皆さんも年賀状をもらったとき、宛名の名前がパソコンで書かれたものか、1枚ずつ手書きなのかで、印象が全然違うのが見てとれるだろう。
 早い話が佐野のエンブレムは、パソコンでいじったデザインだから、心が籠らなかったという面も大きいのである。
 だからネットの他人のデザインを、コピペしてしまう癖がつい出てしまった。







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2015年09月04日

8・30国会前抗議集会の哀れ(2/2)


《2》
 国会前で抗議する連中のプラカードも、あまりに幼稚で気の毒になる。
 「敵を作らない外交こそが日本人を守る」って…オヌシ正気か?
 では聞くが、チベット、ウイグル、内モンゴルは、中共を敵視したから“解放”されたあげくに何百万人も虐殺されたのか? 

 日本が韓国を敵に回したから、奴らは竹島を奪い、李ラインを勝手にひいて日本漁船を拿捕したのか? 北朝鮮による拉致は、あの横田めぐみが北を敵にしたから拉致されたのか?

 「I‘m not ABE」も有名になったが、これもただの嫌がらせだ。意味不明で、中身がない。評論家・渡邊哲也氏によると、大文字で「ABE」と書くと、ユダヤ教、キリスト教、イスラムでは「預言者」の意味になるそうだ。だから「私は預言者じゃない」というプラカードを掲げれば、ガイジンからは「当たり前だ」と嘲笑されるのだ。

 それで、同じ日の毎日新聞。
 「著名人次々国会へ」とある。これでは著名人が国会議員に当選したかのような日本語だが、ちゃんと「国会議事堂前へ」と書けよ。
 で、そのおバカさんたちとは、映画監督・園子温、作家・森村誠一、高橋源一郎、平野啓一郎、美術家・奈良美智だそうだ。

 その言っていることが、お粗末すぎだ。
 森村ははっきり言って共産党シンパだが、「戦争が始まったら女性の人権が破壊される」と言い、高橋は「安倍はやめろ」のシュプレヒコールに声をあわせて「こういう行動ができるのはすごくすてきなこと」と女みたいな口調で「称讃した」。なにが「すてき」なんだからわからない。大声で怒鳴りちらすことが、か?

 平野は「国会前にいた。とてつもない数の人。法案は廃案にすべし」と「つぶやいた」そうだ。
 奈良は「人々の声が塊となって響く」と「実況中継した」と、こうである。

 作家どもの言葉の貧しさもさることながら、記事にした記者やデスクの言語能力にそぞろ哀れをもよおす。
 人の迷惑なんかお構いなし、それが作家か?
 論理能力のかけらもない。国家とはなにかが何もわかっていない。それならそれで、つましくもいじましい私小説でも書いていなさい。政治的発言をするものではない。みっともない。

 平野クン、「とてつもない人数」ってねえ、たかだか3万人で、か? そのくらいなら東京ドームとか、国際マッチのサッカー場に行けばなんぼでも体験できる。それに理由もいわずに「廃案にすべし」はないだろうに。ある法案に全人口のうち3万人反対者がいたら、廃案にすべきなのか?
 ああ、ただの付和雷同…。

 もともと、マスゴミは政権に対して良い評価などしたことがない。
 いつだって、意地悪な記事をデッチあげては脂下がっている。多少世間的に評価されそうな法案や政治方針が出ると、必ず(自分の意見ではなく) 評論家や野党などの意見を(それも匿名で)持ち出しては、「〜の懸念がある」「〜のおそれは否定しきれない」「説明が不十分だ」「これには支持率をあげたい別の思惑がある」などとお定まりのセリフを載せる。

 奴らも私企業だから、売れれば何でもやる。戦後教育で自虐史観を叩きこまれて、日本は悪いと思い込まされているおバカさんが多いから、依然として朝日新聞や東京新聞が売れる。

 新聞記者どもはそのくせ、首相が外遊するときにはただで政府専用機に乗り込んで、海外を豪遊して歩き、お小遣いもいただいている。それらは全部税金である。
 報道の自由を隠れ蓑に、やりたい放題。
 謙虚さの微塵もない。盗人猛々しい。

 そういう不埒をやらかしたから、今度の安保法案も、「戦争になる懸念」がやがて「戦争法案」と呼ばれ、「安倍はファシストだ」「学問の自由が侵害される」などと、おバカさんサヨクがエキセントリックにさわぎ出したのである。
 だが、この騒動の責任をサヨクメディアは取ろうとしない。

 マスゴミは政府をけなせば、あたかも自分は賢いと思われ、また自分で酔うことができる。万一、政府を褒めると、御用新聞と言われかねないから、という理由も手伝って、なんでもいいからイチャモンを言い続ける。

 阪神タイガースのファンが、いつでも監督をこきおろし、あいつじゃ優勝できない、無能だとさわぐ様子によく似ている。

 それを、ものを考えない大衆が真似をする。とりわけサヨクが。
 こうやって、大衆はマスゴミに騙されて、ただのイチャモンを世論に仕立て、政権を追い込むことにもなり、政権が腰を据えて日本の未来のために(譬え嫌われても)何かやろうとする計画も意欲もなくさせて、大衆迎合主義ばかりが蔓延る。

 これが現今の醜悪な民主主義の実態だ。
 サヨクメディアは、大東亜戦争で、日本はいわゆる悪いことはしていない(連合国のほうが卑劣)し、正々堂々まじめに戦争した(毛沢東の八路軍は延安に籠って何もしなかった)し、捕虜虐待もやっていない。非戦闘員を空襲で殺戮したのはアメリカだ。ソ連は条約を破って満州や樺太に侵略して、無辜の日本人を陵辱した。

 それなのに、サヨクメディアはアメリカや支那にへつらって、日本は悪いことをしたと言い続ける。

 こういう卑劣な連中が、今度もアホな大衆を煽って、戦争を抑止するための法案を潰そうと躍起になっている。
 法案がもしも、サヨク護憲派の思惑どおり、めでたく廃案になったとしても、大衆を煽ってとにかく勉強もしないでケチだけつける人間を大量生産した罪は消えない。

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」2015年9月2日号の読者の声に以下の投稿があった。安保法制反対の抗議集会についてだ。
 「参加者の一部から、『なんだ、まるでコミケじゃね?』とかいう言葉があったと、ネットのニュースで見ました。たぶん若い人でしょう。」

 コミケとは『コミックマーケット』の略で、アニメとか漫画の同人誌即売会だそうだ。国会前の抗議集会は「元々おたく集まりだったところから始まった、アニメのお祭りだと思えば、大まかに言えば間違っていないと思」と述べている。

 要は、やっちゃダメといわれるところで、逮捕される心配もなく、デカイ声で鐘や太鼓でわめく爽快感が若者を集めたのだろう。
 「ノリノリで、あるいは物見遊山で参加した人も少なからずいたようです。『お祭りを楽しんでいるような』というご感想はもっともだと思います。(NS生、千葉)」

 こういうノリでいいから集まろうよ、と煽ったのがメディアである。「オレっち、国会前にいけばテレビに映るかも」というレベル。
 
 これに対して宮崎正弘氏のコメントは、「安保改訂の条文も読まないで『アンポ反対』と叫んでいたのが、西部遭、唐牛健太郎らの諸氏でした。70年アンポ前の全共闘やノンセクトラジカル、そして『べ平連』は一種風俗でした。組織に属することをいやがる、それでいて世の中を騒がせたいスノビズムが混在していた。
『ベ平連』の偽善をいち早く見ぬいて運動から抜け出したのが開高健でした。」

 そのとおり。開高は正解だった。彼はまたベ平連そのままの同人誌『人間として』(筑摩書房)からも手を引いた。
 べ平連は市民の声といいながら、実態は小田実や鶴見俊輔ら真性サヨク(共産党、社会党、ラジカルセクト)とイデオロギーは同じくしていた。目的のためには平気でウソをつく連中。

 今もまた同じである。サヨクメディアが煽った「祭り」で、ものを考えない大衆を量産する意図がありありである。





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2015年09月03日

8・30国会前抗議集会の哀れ(1/2)


《1》
 8月30日に国会前で安保法案に反対している連中が抗議集会を開いたようだ。
 その参加人数は、警察発表で3万人、主催者が12万人と傲慢な発表をやらかしている。空撮写真をみるかぎり、あれは多めに見ても3万人であって、12万人は大風呂敷だ。

 評論家・渡邊哲也氏がオモシロイことを言っていた。
 あの国会前にどれだけの人数が集まれるかを計算した人がいるという。グーグルアースでかなり正確に出した数字である。
 国会前広場は4万平米あるが、人間が立ち入れない樹木や池を除くと有効面積は30%、1.2平米になる。

 人を追い越せない程度の混雑レベルは、1平米あたり1.2人、これが4になると完全停止状態。
 数時間の集会ならば3〜4万人が限界だと。これは東京のラッシュ時の電車内くらい(身動きがとれない)の混雑だから、どうがんばってもこれ以上の数字は無理である。
 だから主催者発表で12万人、などとマスゴミまでが発表するのは大ウソ(得意の)だとなる。

 例によって毎日新聞は、舞い上がって「安保デモ海外が注視」として、夕刊に大きく記事に仕立てた。

     *    *    *

 BBCは「日本の若者は政治に無関心で無気力だと批判されるが、彼らは目覚め、沈黙することを拒否しているようだ」と報じた。デモ参加者へのインタビューを交えながら、「(安倍晋三首相が)この声を聞いているのかが問題だ」とも。
 英紙フィナンシャル・タイムズは、中国の領土的野心への懸念から法案が準備されたと伝え「安倍首相は軍国主義の過去から学んでおらず、中国も同じ道を歩む危険がある」とのデモ参加者の声を紹介した。

 (中略)
 中国では、国営新華社通信が「『安倍首相は辞任しろ』などのスローガンが国会の上空に響き渡った」などと報道。国営中国中央テレビも夕方7時の定時ニュースで取り上げた。

 また、韓国の京郷新聞(電子版)は「日本の誇る坂本も怒った」と、音楽家の坂本龍一さんが国会前でマイクを握ったことを伝えた。

     *    *    *

 海外メディアは、そもそも公平でも中立でもない。いかさま野郎ばかりだ。とりわけ日本が嫌いな記者が多いことは、高山正之氏の評論を読んでいればよくわかる。
 それを日本のサヨクメディアは、悪意に満ちた海外メディアにシッポを振って、すぐにお墨付きをもらいたがる。腐った乞食根性である。

 支那や韓国ばかりではなく、ドイツやイギリスの報道機関は、日本を貶めるのが大好きで、足蹴にしたくてうずうずしている。
 そこへサヨクのバカが大勢集まって、国会前でさわぐのだからおもしろがって取材している。

 「週刊新潮」9月3日号のグラビアには、国会前で抗議活動するメンバーの女(福田和香子)が、肩もあらわのタンクトップにヘソだしでプラカードを持っている写真が載っている。やや美形だが、場所柄、こういう風俗嬢みたいな露出過度な服はいかがなものかと思うが、海外メディアはこの「艶なる装い」に涎を流して取材が引きも切らないと書かれている。親はたしなめないのかね。

 こうして「女」で海外メディアをおびき寄せて、報道してもらおうとする「市民団体」の魂胆の下品さ。お前は食虫植物か!? と突っ込みを入れたくなる。
 国会前で鐘や太鼓を叩いて大声をあげ、道路を占拠するのは、よしんば私が安保法案反対の立場であっても許しがたい無作法である。同じ仲間にはなりたくない。
 道路は公共のものであって勝手に占拠して、クルマや歩行者の通行を妨害していいものではない。

 だいいち、声を大きく張り上げれば自分の意見が国政に通るなら、それは民主主義の否定であって、サヨクこそ立憲主義や議会制民主主義の破壊者である。
 あれはまことに「造反有理」「愛国無罪」を叫んで狼藉を働く支那人そのままではないか。だからサヨクの活動は支那や韓国から指令が出ている、というのである。

 しつこく言うが、政府の出す法案が気に食わないのなら、選挙で訴えて政権を奪取するのが、民主主義の手続きである。
 いつも国会前で、反原発、反安保、反なんとか…と、太鼓を叩いてわめくために集まるサヨクどもは、単なる迷惑行為である。嫌がらせでしかない。

 なにも国会前や首相官邸前で、大声で国会議員や官庁の仕事を妨害しなくても、誓願という手もあるし、官邸にハガキを送ってもいいし、法にのっとった、他人に迷惑をかけないやりかたはある。
 デモは、本来的には自分たちの主張を道ゆく人たちに訴える手法であって、暴徒化してクルマをひっくり返したり、商店から略奪したりすれば、それはデモではない。

 今の国会前のサヨクは、暴徒化寸前である。
 さわぐサヨク連中は、国民から自分たちの主張が聞き入れられない、支持も得られていないことに苛立っていると思われる。「戦争法案」だなどとはデマである。「学問の自由が失われる」も、およそトンチンカンである。

 今度の法案で日米同盟が強化されるのは、衆目の一致するところだろうが、サヨクは「だから戦争のリスクは高くなる」といい、政権・自民党と保守は「だから戦争のリスクは減る」と説く。
 同盟が強化されることは、本来の日本の自立の観点からは望ましくないが、現実に支那や韓国からの侵略にさらされている以上、この選択がやむなくベターなのである。

 サヨクどもは安保法案反対の根拠が薄弱なのと、「戦争する国にする気か」と煽っても、大多数の国民には相手にされない、その苛立ちで、さらに大声でわめくのである。
 訴えても訴えても相手にしてもらえないから、困って鐘や太鼓まで持ち出して大声でわめく。なんとか国会や議員会館にいる議員に嫌がらせをしたくてしょうがない。

 嫌がらせをするのではなく、理詰めで反対の論陣を張ったらよさそうなものだが、そんな自信がないので、60年安保から変わらぬ妄言で騒ぎ立てるだけ。

 すでにブログで書いたが、いったい日本で誰が戦争をしたがっている? 安倍氏がいくら俺は戦争をしたいんだ、北京を占領したいと言ったとしても、同調する政治家も官僚も自衛官もいないではないか。国民も絶対に認めない。

 その意味では悪辣なアメリカといえども、日本を引きずり込んで戦争を支那とやらかすことはできないと考えているはずである。
 日本、支那、アメリカどうし…戦争したってメリットは何もない。どこかで小競り合いは生じるかもしれないが、いざ戦争となったら、支那軍はまっさきに逃げる連中である。

 アメリカも中東やウクライナで手一杯。うっかり余計なことにクビを突っ込むと、議会に来年以降の予算を減らされる。
 だからいかなユダ金が戦争を起こしたくとも、むかしのようになんでもいうことをきく情勢にはない。

 ただ中共の軍(党の私兵)の統制がとれていないから、勝手に暴発する危険性はあるし、じわじわと日本を壊そうとして来ている。そちらに警鐘を鳴らすべきを、安倍憎し、アメリカ憎しで、われを忘れて「戦争は嫌だ」ばかり。

 アメリカは日本に対して、支那や北朝鮮の脅威をぶらかして在日米軍の維持費用をもってもらいたいのと、軍事兵器を買わせたいのである。ただのビジネス化状態。圧力を常にかけ続けておくのが彼らの方針なのだ。
 副島隆彦は、アメリカは日本と支那に戦争をさせようとしていると「暴露」していたが、現実にはその後、実現していないではないか。自分の言論に責任をとれよ、副島。

 しかし万一のときのために、法整備がなくて日本人同胞を自衛隊が護れないのではいけないから、法律で決めておこうというだけだ。
 こういう常識は国民はだいたいわかっているから、サヨクみたいにトンチンカンな反対をしないのである。





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2015年09月02日

国家と憲法の関係に補足


 昨日の国家と憲法の関係記事に少し補足しておきたい。
 国家は観念的実体である。むろん領土や国民、インフラなどの実体もある。これを吉本隆明が言ったように「共同幻想」と見るのはあまりに皮相である。

 国家を「いわば実体」とみれば、憲法など諸法令は機能に相当する。
 例えば手は実体であるが、それが握る、つかむ、なでる、道具を用いるなどが機能である。実体と機能は直接の関係にある。切り離せない。

 サヨク護憲派や法律研究者は、この国家の機能たる法を、それだけ取り出して論じようとするところに大きな過ちがある。
 手でいえば実体を無視して、握る、さわるなどの機能だけを大事にしようというような話である。
 国家という実体を解かずに(説かずに)、機能=法だけを論じ、国家の防衛は憲法が禁じるから違憲だと途方もないバカを言う。

 国家はそれじたいの実体を護る。人間がケガや病気から身を守るように、だ。国家の場合はその防衛を担う実体が軍隊や警察である。実体が(国家が)失われるとは、人間でいえば、死ぬ=肉体(実体)が消滅するということだ。

 サヨクは、絶対に実体つまり国家とは何かから機能を説こうとしない。多くの医者も同様に、人間のカラダという実体(赤ん坊のときから現在までの、それが生じてきた原点)は抜きに、機能たる病気のみで診断しようとする。だから平気でカラダの機能の一部でしかない血液検査の数値ばかりをパソコンで見て診断する愚を冒す。

 「戦争反対」をわめくことは、要するに機能さえ保守できれば実体はどうでもいい、とする愚かすぎる話である。
 安倍首相の提起した法案は、誰でもわかるように国家の安全保障にかかわる。サヨクがわめくように、大学の自治やら学問の自由うんぬんには関係がない。

 国家という実体、国民や領土などの実体をどう護るかの話である。
 しかしサヨクは、この実体と憲法などの機能面をごちゃまぜにしている。区別と連関がまるでわかっていない。だから風呂敷を広げるように、「戦争になる」「学問の自由がなくなる」「ものも言えなくなる」…と度外れのイチャモンをつける。
 
 ごちゃまぜにして平気だから、ものごとの解明にはそれが生じてきたあるいは発展してきた大本、原点に遡って考えていかねばわからないのに、今の現象で見るならまだいいほうで、個人的感情で学問世界の問題をうんぬんしようとしているのがサヨクである。

 国家とは何かは、国家の誕生せざるを得なかった大昔の、人類が樹上生活に別れを告げて地上に降り、ヒトとなっていった過程をひもとかねば解明はできない。
 サルが集団であったように、人類も集団として誕生したのである。

 集団には統括が欠かせない。そのために集団内の規範(掟)ができる。それがやがて集団という実体の機能、すなわち法となっていく。集団は同時に他共同体との対峙が必然としてあり、獲物や領土、異性、川や海の占有権などを巡って奪い合う。
 だから当然軍隊がいるし、統括者がいる。

 それが国家の成り立ちである。この本質は現代に至るも変わらない。「地球市民」なんてことは、一部分のヒトとヒトとの付き合い方でしかない。
 われわれはそうした解明に当たっては、実体と機能、あるいは実体と実体性(まだ実体になっていない鵺的段階)などが、区別と連関でわかる頭脳になっていなければならない。

 しかしサヨクは、戦争反対、死ぬのは嫌だ、だけで、なんらそうした学問が可能な頭脳になっていないのが問題なのである。彼らは原点を問うことをしない。つまりは弁証法がわかっていない、とも言える。

 国家の本質論よりも、憲法に違反しているかいないかが大事などというのは、まさに観念論であって、私に言わせれば唾棄すべきものでしかない。
 サヨクは実際はあわれな観念論者である。

 詳しく述べてみよう。
 これは南郷学派の新刊であるが、悠季真理(ゆうきまこと)著『哲学・論理学研究 (学的論文確立の過程的構造)』第1巻/現代社である。
 ここに「唯物論を自分で創り出していくとはどういうことか」ことの大事性が説かれている。

     *    *    *

 物理というとどうしても、まずは大学までに教わってきたいろいろな数式をアタマに思い浮かべてしまうということである。しかしそういったことなども一つ一つ具体的に挙げてみて、それは観念論なのか、唯物論なのか……と考えてみることである。単に数式一般を取り上げることがダメなのではない。数式をどういう状況の中で、どういう認識で用いていくのかによって、それは唯物論的にも観念論的にもなり得るものなのである、と。

 例えば1+1=2というのも、極めて特殊な条件下で、特殊な物質(ないし物事)の場合について、それらの共通性を取り出して、一般的な関係性としての人間のアタマの中でそのように把握したものにすぎないのである。

 例えば、リンゴが1個あるところにリンゴをもう1個持ってくれば、それらが合計で2個となる。というように、足し合わせてもその実体が変化しない場合などがそうである。

 しかしもし仮に、相互に浸透し合って溶けてしまうような物質の場合には、その関係性は成り立たない。また、1人だけでがんばる場合と、2人で切磋琢磨してがんばる場合とでは、2人でやったほうが成果が10倍にも20倍にもなることもある。単純に2倍ということにはならないのであろう。

 よって1+1=2というのは、かくかくしかじかの条件下で、こういう場合に限りの物体の場合にのみ共通して、(人間のアタマの中で)捉えられる量的関係性である、としっかり意識して用いるのであれば、それは物が観念に先行しているわけだから、唯物論的と言える。

 しかしながら、もしも1+1=2という関係性を、すべての物(ないし物事)の関係性において成り立つものと思って、それが成り立つ条件を顧みずに世界全体に押しつけてしまうのであれば、これは観念を物より先行させてしまっているわけだから、観念論的な考え方となってしまうのである。

 したがって、自分が普段使っている数式などを具体例に挙げていって、それをどういう対象にどのように用いているのか、それは観念論なのか、それとも唯物論と言ってよいのか、あれこれ考えてレポートに書いていき、そうやって自分の扱っている問題で一つ一つの思索を重ねていくことが、「唯物論を自分で創り出していく」ということに繋がっていくのである。

     *    *    *

 弁証法の教科書とされる三浦つとむさんの『弁証法はどういう科学か』には、唯物論とは「世界が物質的に統一されていると捉えることだ」と解説されているが、それを初心者は知識として覚えるのは当然のことながら、それを知識のままにしていたのでは学問的解明はできない、と説かれているのである。
 
 すなわち、「世界観としての唯物論を自分で自らの頭脳の内に創り出していくことが、学問的な頭脳の創り方の第一歩である」と。
 脳細胞が唯物論的にしか考えないような技化がなされなければダメなのである。

 サヨク(に限らないが)は、みんな自称他称で「学者」と肩書きにあるが、こういうお粗末さで、安保法案は違憲だ、とわめく低レベルなのだから、話にならない。
 長く引用した悠季真理氏の文章を、数式などを憲法論として読み替えて理解してもらいたい。

 たとえば条件ぬきで1+1=2は成り立たないのであって、ある特定の法案が審議されるときに、それが憲法という条件に絶対に、条件は考えずに当てはめなければいけないとするなどは、学問のイロハさえわかっていない輩だとなるのである。

 いくら憲法9条を決めて、不磨の大典のごとく崇めてきたって、現実世界の物事の変化発展、あるいは条件の変化が起きる必然にいわば裏切られて、解釈変更でなんとか糊塗するしかない醜態を政府も内閣法制局も、司法や大学の法匪どもも、晒しているのである。

 つまり現実には1+1=2が成り立つのは、特殊な条件下のみであって、現実には1+1=0になることや、1+1=1になることもある。他国を侵略するはずのない共産主義国が実際はソ連や中共に見るごとく、侵略をやらかしてきた。戦争がない世界は夢であって、現実はさまざまな形で共同体の対峙があり、戦争がある。

 そういう唯物論的捉え方でなければ、国家とは何かも、戦争とはも、憲法とはも、解けない。だからサヨクは観念論だというのである。





posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☁| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする

2015年09月01日

日弁連の不見識を詰る


 表題の「詰る」は「なじる」と読みます。
 これは池田信夫氏のブログで知ったのだが、日弁連の法匪どもによる安保法案反対のアピールに関してである。

     *    *    *

 弁護士ドットコムニュース
http://www.bengo4.com/other/1146/1287/n_3600/

《「憲法の危機だけでなく、知性の危機」安保法案反対の学者・弁護士300人が会見》

学者と弁護士300人以上が安保法案への反対を訴えた。
安全保障関連法案に反対する学者の会と日本弁護士連合会は8月26日、東京・霞が関の弁護士会館で共同記者会見を開いた。会場には、全国から学者と弁護士あわせて300人以上が集まり、安倍政権が推し進める安保法案の廃案を訴えた。

日弁連の村越進会長は冒頭のあいさつで、「日弁連は強制加入団体だが、立憲主義の破壊だけは認めることができない。そんなことがまかり通れば、憲法が憲法でなくなる。国家権力に対する歯止めがなくなる。その一点で、安保法案に反対している。人権擁護を使命とする法律家の団体として、憲法論に立った行動だ」と口火を切った。

小林節・慶応義塾大学名誉教授は「この法案の違憲性は完全に立証されている。平和、平和といいながら専守防衛をおろそかにし、戦争費用で国に破産をもたらす。このような法案を、聞く耳をもたずにゴリ押しする安倍政権の存続を許すか、許さないかに本質は向かっている」と強調した。

上野千鶴子・東京大学名誉教授は「最初に憲法学者が違憲という声をあげて、『立憲主義』が国民の間に定着した。ついで、学者・大学人が立ち上がった。単なる法の危機、憲法の危機ではなく、知性の危機、大学の危機を切実に感じ取った」と述べた。
 (後略)

     *    *    *

 このサイトを見ていただくと、日弁連の法匪どもが「違憲」と「廃案」のプラカードを持って記念写真に収まっている不気味な写真がある。どういう神経をしているんだか…。
 池田氏は「去年の閣議決定で法案は出てたんだから、民意を問うなら総選挙までに反対するのが民主主義。法案も読まないで、今ごろ無意味な集会をやる連中こそ知性の危機。」と書いている。

 それも異常の一つであるが、なんども本ブログで言ってきたように、国家論がわかっていない弁護士ども、あるいは護憲サヨクにはほとほと愛想が尽きる。知性のかけらもないのが、オヌシら日弁連である。
 
 サヨク日弁連は、憲法と国家の関連の問題がまったくわかっていなくて、ただ支那や韓国の意向で動いている。
 国家における統治行為論ともいうが、この70年間、ずっと議論されて来て、とっくに答えは出ている。

 国会でもまた話題になったが「砂川裁判」における最高裁の判断でも言われている。
 決着済みの話をまた蒸し返しているのが、民主党、共産党、維新の党、生活の党らである。
 実にやつらは60年安保から、いささかも進歩がなく、時計が止まったまま。

 端的に言って、敵国から戦争を仕掛けられて、人々が殺戮され占領されても、憲法9条さえ守ったらいいのさ、という馬鹿げ果てた屁理屈はどの世界でも通用しない。
 戦争に負けたけど、憲法を守ったから正しかったね、良かったね、とサヨクどもは言うらしい。

 人間は国家なしでは存続できない。国家は人間の敵だと思っているマルクス主義者やアナーキストに洗脳された者どもには、どうしてもこれがわからない。ならば国家がなくても存続できる人間がいたら教えろ。
 ロビンソン・クルーソが一時的に社会と隔絶した孤島で生きたかもしれないが、彼の話す言葉も、着ている衣服も、そこまでやってきた船も、食物の探し方も、なにもかも、孤島に来る以前に国家があったから修得できたのである。

 そもそも国家がなければ憲法は成り立たない。国家がなくても憲法さえあれば、人間は生きていけるのか? それを考えれば簡単なことである。
 国家学の論理では、国家が上位概念、憲法は下位概念である。下位概念が上位概念の上にくる論理は成り立たない。

 だから9条そのものが、あまりに非常識で、狂っているのだ。

 法匪どもはたったこれだけのことが分からない、分かりたくないでダダをこねる。
 国家の重要な事態、存立の危機にあるとき、政府は高度な政治的判断を迫られる。この場合に司法がのこのこやってきて判断に介入することは許されない。

 司法はつまるところ、国家のなかの法の問題である。法は国家の統括のために必要な概念であり、いわば道具であって、憲法もその道具の一つである。
 戦争とは国家どうしの対峙であって、その存立の危機にあるときに、国家にとってルールにすぎない憲法が上位に来て、存立の危機より優先するなんてことがあろうか。

 人間は個として誕生したのではない、集団として、共同体として、誕生した。その成り立ちからして、他共同体との対峙があり、そのために国家が形成された。それが国家の本質論なのである。
 だから他共同体との対峙を否定したら、国家はむろんのこと、その構成要素である個人も成り立たない。

 安倍内閣が提示している安保法案は、国家の自衛のために必要な行為をあらかじめ決めておくだけのことである。当然の自衛権の発動が、憲法によって制限されるわけがない。
 だから立憲主義を護れとわめくこと自体がナンセンスである。 
 こんな愚論が表に出てくるような国は、世界中で日本だけであろう。

 寝屋川で殺された中学1年の男女が、暴漢に襲われて生命の危機にあるときに、学校の規則ではケンカしてはいけないというルールがあるからといって、抵抗してはいけない、という理屈は成り立たないのと同様である。

 自分が敵に口をふさがれ、首を絞められている最中に、いやこれは抵抗したら学校の規則違反になるなどとして、いっさい抵抗してはいけないな、などと思いを巡らせるのか?
 まったく自衛権、抵抗権と、憲法や規則は合致しないことなのである。

 上野千鶴子が「最初に憲法学者が違憲という声をあげて、『立憲主義』が国民の間に定着した。ついで、学者・大学人が立ち上がった。」と嬉々として言うが、これは渡邊哲也氏(経済評論家)も言うごとく、そもそも国会の参考人に憲法研究者を呼んで意見陳述させたこと自体が間違いであった。

 いかに国会議員どもが国家をわかっていないか、恐ろしいものがある。国会だけではない、法の番人と自称する連中も、官僚も、マスゴミ記者も、とんでもないバカばかり。







posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☁| Comment(5) | エッセイ | 更新情報をチェックする