2015年09月01日

日弁連の不見識を詰る


 表題の「詰る」は「なじる」と読みます。
 これは池田信夫氏のブログで知ったのだが、日弁連の法匪どもによる安保法案反対のアピールに関してである。

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 弁護士ドットコムニュース
http://www.bengo4.com/other/1146/1287/n_3600/

《「憲法の危機だけでなく、知性の危機」安保法案反対の学者・弁護士300人が会見》

学者と弁護士300人以上が安保法案への反対を訴えた。
安全保障関連法案に反対する学者の会と日本弁護士連合会は8月26日、東京・霞が関の弁護士会館で共同記者会見を開いた。会場には、全国から学者と弁護士あわせて300人以上が集まり、安倍政権が推し進める安保法案の廃案を訴えた。

日弁連の村越進会長は冒頭のあいさつで、「日弁連は強制加入団体だが、立憲主義の破壊だけは認めることができない。そんなことがまかり通れば、憲法が憲法でなくなる。国家権力に対する歯止めがなくなる。その一点で、安保法案に反対している。人権擁護を使命とする法律家の団体として、憲法論に立った行動だ」と口火を切った。

小林節・慶応義塾大学名誉教授は「この法案の違憲性は完全に立証されている。平和、平和といいながら専守防衛をおろそかにし、戦争費用で国に破産をもたらす。このような法案を、聞く耳をもたずにゴリ押しする安倍政権の存続を許すか、許さないかに本質は向かっている」と強調した。

上野千鶴子・東京大学名誉教授は「最初に憲法学者が違憲という声をあげて、『立憲主義』が国民の間に定着した。ついで、学者・大学人が立ち上がった。単なる法の危機、憲法の危機ではなく、知性の危機、大学の危機を切実に感じ取った」と述べた。
 (後略)

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 このサイトを見ていただくと、日弁連の法匪どもが「違憲」と「廃案」のプラカードを持って記念写真に収まっている不気味な写真がある。どういう神経をしているんだか…。
 池田氏は「去年の閣議決定で法案は出てたんだから、民意を問うなら総選挙までに反対するのが民主主義。法案も読まないで、今ごろ無意味な集会をやる連中こそ知性の危機。」と書いている。

 それも異常の一つであるが、なんども本ブログで言ってきたように、国家論がわかっていない弁護士ども、あるいは護憲サヨクにはほとほと愛想が尽きる。知性のかけらもないのが、オヌシら日弁連である。
 
 サヨク日弁連は、憲法と国家の関連の問題がまったくわかっていなくて、ただ支那や韓国の意向で動いている。
 国家における統治行為論ともいうが、この70年間、ずっと議論されて来て、とっくに答えは出ている。

 国会でもまた話題になったが「砂川裁判」における最高裁の判断でも言われている。
 決着済みの話をまた蒸し返しているのが、民主党、共産党、維新の党、生活の党らである。
 実にやつらは60年安保から、いささかも進歩がなく、時計が止まったまま。

 端的に言って、敵国から戦争を仕掛けられて、人々が殺戮され占領されても、憲法9条さえ守ったらいいのさ、という馬鹿げ果てた屁理屈はどの世界でも通用しない。
 戦争に負けたけど、憲法を守ったから正しかったね、良かったね、とサヨクどもは言うらしい。

 人間は国家なしでは存続できない。国家は人間の敵だと思っているマルクス主義者やアナーキストに洗脳された者どもには、どうしてもこれがわからない。ならば国家がなくても存続できる人間がいたら教えろ。
 ロビンソン・クルーソが一時的に社会と隔絶した孤島で生きたかもしれないが、彼の話す言葉も、着ている衣服も、そこまでやってきた船も、食物の探し方も、なにもかも、孤島に来る以前に国家があったから修得できたのである。

 そもそも国家がなければ憲法は成り立たない。国家がなくても憲法さえあれば、人間は生きていけるのか? それを考えれば簡単なことである。
 国家学の論理では、国家が上位概念、憲法は下位概念である。下位概念が上位概念の上にくる論理は成り立たない。

 だから9条そのものが、あまりに非常識で、狂っているのだ。

 法匪どもはたったこれだけのことが分からない、分かりたくないでダダをこねる。
 国家の重要な事態、存立の危機にあるとき、政府は高度な政治的判断を迫られる。この場合に司法がのこのこやってきて判断に介入することは許されない。

 司法はつまるところ、国家のなかの法の問題である。法は国家の統括のために必要な概念であり、いわば道具であって、憲法もその道具の一つである。
 戦争とは国家どうしの対峙であって、その存立の危機にあるときに、国家にとってルールにすぎない憲法が上位に来て、存立の危機より優先するなんてことがあろうか。

 人間は個として誕生したのではない、集団として、共同体として、誕生した。その成り立ちからして、他共同体との対峙があり、そのために国家が形成された。それが国家の本質論なのである。
 だから他共同体との対峙を否定したら、国家はむろんのこと、その構成要素である個人も成り立たない。

 安倍内閣が提示している安保法案は、国家の自衛のために必要な行為をあらかじめ決めておくだけのことである。当然の自衛権の発動が、憲法によって制限されるわけがない。
 だから立憲主義を護れとわめくこと自体がナンセンスである。 
 こんな愚論が表に出てくるような国は、世界中で日本だけであろう。

 寝屋川で殺された中学1年の男女が、暴漢に襲われて生命の危機にあるときに、学校の規則ではケンカしてはいけないというルールがあるからといって、抵抗してはいけない、という理屈は成り立たないのと同様である。

 自分が敵に口をふさがれ、首を絞められている最中に、いやこれは抵抗したら学校の規則違反になるなどとして、いっさい抵抗してはいけないな、などと思いを巡らせるのか?
 まったく自衛権、抵抗権と、憲法や規則は合致しないことなのである。

 上野千鶴子が「最初に憲法学者が違憲という声をあげて、『立憲主義』が国民の間に定着した。ついで、学者・大学人が立ち上がった。」と嬉々として言うが、これは渡邊哲也氏(経済評論家)も言うごとく、そもそも国会の参考人に憲法研究者を呼んで意見陳述させたこと自体が間違いであった。

 いかに国会議員どもが国家をわかっていないか、恐ろしいものがある。国会だけではない、法の番人と自称する連中も、官僚も、マスゴミ記者も、とんでもないバカばかり。







posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☁| Comment(5) | エッセイ | 更新情報をチェックする