2015年09月06日

佐野研二郎の背後に見えるもの(2/2)


《2》
 さて、次の問題。
 なぜあのエンブレムは失敗したのか。
 あれは一応実力のあるデザイナーによるコンペであったことになっている。有名なデザイン賞を取った者に応募の資格を与え、その中から優秀作を選んだことになっている。

 しかし、実際ははじめから佐野を選ぶシナリオがあって、だから原案をニ度も手直しさせているのだと言われる。
 その気配濃厚だが、一応、コンペがあったことにして話を進める。

 以下は坪松博之氏の著作『壽屋コピーライター開高健』(たる出版 2014年)からの引用である。広告についての話であるが、五輪用エンブレムとして読める。

     *    *    *

 競合という方式はクリエイターが凌ぎを削り、優れた広告が生まれるように感じられるが、実はそうとは言い切れない。必ずしもその商品にふさわしい広告が選ばれ、つくられるとは限らないからである。
 競合方式が採用されるということは、クリエイティヴを選ぶプロセスに競争原理が導入されることになる。したがって、その結果として競争に強いプランが採用される。

 競い合う場所はプレゼンテーションの場である。それは実際に広告が露出される環境とは異なる。したがって選ばれる広告の基準はそのクリエイティヴそのものの良し悪しではなく、プレゼンテーションの良し悪しになってしまう。

 競争に強いクリエイティヴとは、つまりは目立つ、わかりやすいクリエイティヴである。その商品との親和力、つまり商品の魅力を増幅させるフィット感は二の次になってしまう可能性がある。
 その結果、いわゆる競合受けする作品が勝ち残る。

 競合が繰り返されると、その都度、目立つプランが選ばれる。ということは企画がころころ変わるということでもある。広告をいくら重ねても、それは決してその商品のブランド力の蓄積にはならない。広告が独り歩きを始める。そして、この競争の繰り返しがクリエイターを疲弊させる。これぞと思う企画が没になる。自分の中で良し悪しの基準を見失ってゆく。

 自分のプランのブラッシュアップができなくなる。そのうち誰かの作品が通ればいいや、という投げやりな雰囲気も生まれる。

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 これはサントリーの広告が開高健、柳原良平、山口瞳、坂根進らの黄金時代の前の、要するにコンペで広告を創っていた時代の欠陥を述べているのである。これを反省してサントリーは社内に広告専門部署を立ちあげて、社員に好きなように広告を創らせた。
 おかげで芯の通った広告、商品とみごとに親和力のある広告が出現し、華やかな一大文化を築きあげたのだ。

 また、これはおそらく佐野研二郎その人、あるいは東京オリンピック組織委員会の老害どもの犯した失敗ではなかったか。
 別の例でいえば、学校の入試も競合である。競合させて成績の良い子を獲得できる面はあるが、おかげで受験の弊害がますます顕著になっている。受験で答えが出せれば「優秀」と烙印が押される悲劇。

 それが証拠に、エンブレムの羽田空港の展示例で、他人の著作権のある写真を無断で使用してしまったことにも現れている。
 いかに目立つかを、佐野は組織委員会にプレゼンしたのである。クリエイティヴより、「ほら、空港でもこんなに目立っていいでしょう」とやったのである。

 受験的に、クライアント(組織委員会)が喜びそうなデザインや仕掛けに目が行き、誰もが幸せになれるようなという配慮はなし。
 組織委員会は、競合させるとどんなマイナスがあるかに無知な連中だから、目立てばいいと佐野のエンブレムを評価してしまった。

 江戸千代紙はこの広告の話とは違うけれども、クリエイティヴをいかに発揮するか(させるか)のテーマとしては共通していると思う。
 江戸千代紙の図案家たちは、競合プレゼン目的で創ったわけではないから、良い質のものができた。

 佐野も若いころは斬新なデザインを創ることができたのかもしれないが、坪松氏が説いたように、コンペ、コンペのくり返しのうちに、「クリエイターを疲弊」させていったのではないか。その結果の、弟子に丸投げしたり、人様の作品をパクったりするしかできなくなっていったのではないだろうか。

 マスゴミもアホだから、もっと透明性を高めた競合にすれば、良い作品が出てくるだろうし、もっと市民が参加できるようにすれば公平に選べるのではないかと書いているが、競合方式だからダメだった事の反省はかいもく…、である。







posted by 心に青雲 at 01:33| 東京 ☁| Comment(4) | エッセイ | 更新情報をチェックする