2015年10月02日

なによりダメな新聞記者


 はるか以前の新聞の切り抜きをスクラップして保存してあったのを、パラパラとめくっていたら、1988年ごろ奥谷禮子氏のインタビュー記事を見つけた。
 記事元と日付を書いておかなかったから、いつどこの新聞かは不明だが、たぶん朝日新聞ではなかったか。

 奥谷は後に労働者の過労死は「自己管理がなってない」と断じたり「労基局はいらない」「祝日もいらない」「派遣切りで文句を言うのは労働者の甘え」「格差はしょうがない」などなど大胆な口吻で相当物議をかもした。

 各方面から大変評判を落とした女性だが、この記事の当時、日航のスチュワーデス(CA)から転身して新しい人材派遣会社ザ・アールを立ち上げ、勢いに乗っている女性社長だった。
 通訳、秘書、コンパニオンなどのやや高級な人材の派遣を主にしていた。

 彼女は結婚していたが、夫から仕事を持つことを反対されて、あっさり離婚した。結婚生活は有限の世界だが、仕事は無限でチャレンジのしがいがある、と。
 私は奥谷の主張に賛成なわけではないが、政府の諮問機関などにこういう人物がいてもいいと思う。さまざまな意見を自由に戦わせてほしいものだ。

 無難な、世間受けする識者ばかり集めたって発展はない。
 さて、それはどうでもよくて、インタビューの最後の記者とのやり取りが面白かったので、切り抜いて保存しておいたのだった。

     *    *    *

 −−−−奥谷さんは「感性を育てるべきだ」とよく言われてますけど、感性って、なんですか?
「五感で何かを感じるというか、あらゆることに好奇心を持ち、仕事をするのも何するのも、そういう感性が基本じゃないかな、という気がするんです。良く女子社員が『仕事が面白くない』『もっといい仕事があるはず』と言うんですけど、手紙の書き方ひとつ見ても、感性があるとは思えない。なんか基本的なことが狂っているんじゃないか。いつも受け身なんですよね。自分を磨いて自分が変わらない限り、仕事も変わらないんです」
 (中略)

−−−−−僕たち新聞記者の感性はいかがです?
「一番遅れてるんじゃないかしら。世の中の変化をつかみきれてないみたい。新聞の考え方というのは、なんかワンパターンでね。新聞同士の競争が少ないせいじゃないのかしら」

−−−−−競争はやってますよ。特ダネ競争も、部数競争も。
「そういった物理的な競争じゃなくて、ソフトの部分での競争はどうなのかしら。第一、新聞社に電話して『だれだれさんをお願いします』と言ってもちゃんと答えられる人はいないんですもの。『いません』とだけ言ってガチャン。そういう社会常識のない人たちが社会の常識をつくるわけですからね」

−−−−−じゃあ、一度、社員教育に来てくださいよ。
「ほんとに新聞社が一番、社員教育が必要じゃないのかな。なんか悪口言っちゃった」
−−−−−いえいえ、きょうは勉強になりました。  (岩城 元)

     *    *    *

 私の経験でも、新聞社にまともな人はいるけれど、奥谷が言う社会常識のない、しょうもない奴は多い。
 まさしく世の中の変化を摑み切れていない。
 新聞社だけでなく、テレビもNHKから民放までディレクターは傲慢不遜である。
 自分はエリートだ、一流会社の人間だと言う思い上がりで膨れあがっている。

 鼻持ちならないとはこのことである。
 新聞記者多くが社会人として出来損ないであることは、昨年8月以降の朝日新聞騒動でも示された。「従軍慰安婦」などを捏造しておきながら、社長以下、謝り方一つ出来ない。欠陥人間の集団だ。
 一流大学を出て、若いうちに特殊社会に入り、世間的には高給を食んで天狗になっているからだ。

 しかし今やマスメディアはインターネット世界の広がりを受けて孤立し、馬鹿者扱いされている。それなのにまだ気付かない。
 社説なんかをはずかしげもなく掲げて、主に政府あたりに指図するかのように駄文を草する。「〜せよ」「示せ」とか命令調。
 謙虚さの微塵もないから嘲笑される。

 さらに外国の黒幕が日本の言論を支配してきた。彼等の独裁には日本のマスコミは沈黙だ。強いものを恐れる事大主義の根性無しだ。






posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☁| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする