2015年10月03日

朝ドラ「あさが来た」を批判する


 NHKの朝ドラ「あさが来た」の初回放送を見る機会があった。
 途中で見る気が失せた。ドラマだから目くじら立てるほどのことはないのだけれど、相変わらずに「朝ドラ史観」を匂わせる。

 話は幕末の京都。主人公のあさは豪商今井家の次女。
 主人公は例によって朝ドラお定まりのおてんばな女の子で、長女はつは箏や裁縫が上手という設定。
 姉妹には、生まれた時から親が決めた許婚がいた。あさの許婚は、大阪の大きな両替屋の次男、新次郎だったが、遊び人であった。

 そのため、許婚との結婚に納得できなくなったあさは、「自分の道は自分で決めたい」と学問をはじめる。しかし母は「女に学問は必要ない」と叱る。

 こういうスタートである。
 たまたま3回目も見たのだが、あさの一家が大阪を訪ねる話だったが、もう不自然な脚本と演出で白ける。無理に話を作っている。
 いくらなんでもそんな偶然は起きまい、とか、いくらおてんばでもそこまで非常識はやるまいとか、あきれるばかり。

 脚本は大森美香である。駄作だった「風のハルカ」以来、朝ドラは2度目だそうだ。「風のハルカ」については以前、指摘したが、母親役の真矢みきが母親を勝手に放棄して気ままに生きることを選ぶストーリーに呆れたものだった。あのときも女房に棄てられる夫を渡辺いっけいが演じたが、大森もNHKも本当にうだつのあがらない無能な亭主を創るのが大好きのようだ。

 今度の朝ドラでも主人公の亭主はだらしない甲斐性のない設定にする。女の自由を認めないとか、女房の尻に敷かれているとか、頑迷な封建亭主であるとか。前作の「まれ」でも、主人公の父親が無能で放浪癖のあるバカに描かれていた。
 下らない、やっぱり今後は見ることはない。大森美香には脚本家の才もないし、常識もない。

 必ず、NHKは江戸時代は悪い時代、自由がない、封建的社会だったという前提でものごとを進める。
 そしてだいたいNHKのドラマでは戦前も暗黒の時代で、軍人が威張り、ささいなことで民衆を殴り、自由がなかったとする。

 つまり戦後、アメリカが日本を解放してくれて、とくに女性は職業も結婚も学問も自由にできるようになった…とする史観を根底に据える。
 ヒロインは社会の封建制と戦って、女性の自由や生き甲斐を勝ち取ったと、もう相場ができている。

 しかし、私はおおいに疑問である。 
 江戸時代が真っ暗だった、女性は虐げられ奴隷のように扱われたとする史観は、共産主義から来る。あるいはアメリカ流の社会観である。
 では本当に江戸時代に女性は差別を受け、不幸のドン底だったのか? 本ブログで何度か紹介したが、江戸時代から明治にかけて来日した外国人の記録を見れば、当時の女性たちは決して不幸だったとは言えない。

 今日の野方図な社会に比べれば、制約が多かったのは確かであるが、それと幸不幸は別である。
 もし江戸期の女性がワープしてきて、今日の社会を見たら、果たしてうらやましい、素晴らしい社会だと思うのだろうか?

 当時は当時で、皆が納得して暮らしていた社会だったのであり、女性が生まれたときから許嫁を親に決められていたからとて、暗黒だったわけではない。むろん意に染まない嫌な婚姻もあったろうが、では今日では自由で好きな異性と結婚できるからといって、すべてが幸せになるのか? むしろ、現代では好きだからと結婚したものの、失敗した! と嘆いている女性も多いではないか。

 戦後、アメリカのせいで家族制度は崩壊した。子供は勝手に独立して行く、田舎は限界集落ばかりになり、親の面倒もみなくなった。
 だから介護保険が必要になり、老人ホームが雨後の竹の子のように建ち、ために若い労働力が老人の世話という何も生産性のないことに費消されて留まるところを知らない。

 安倍首相は、介護離職ゼロを打ち出した。親の介護のために働いている人が仕事をやめなくて済むように、とご親切に言うが、いったいどうやって実現するのか。介護専門家を増やし、老人ホームを拡充しようとしている。

 安倍首相は一方でアベノミクスで経済を伸展させると言いながら、若い労働力を介護に向ければ、経済は停滞するのである。まったく矛盾した施策である。
 介護市場を拡大することが3本の矢の成長戦略か?
 介護ビジネスをやっている企業だけがウハウハと儲かるだけ。

 江戸時代から昭和初期にかけては、女はいかにも学問は授けられず、結婚は親が決め、亭主が遊郭で遊んでも文句は言えないとか…であったろうが、当時は老人介護施設もなければ健康保険もない社会である。女には家にいてもらって、子育てだけではなく老いたる親の面倒を見るしかなかったのである。

 それをNHKの朝ドラのように、今日的尺度で侮辱し非難してはなるまい。
 それに、女が教育を受けられなかったと決めつけるのも間違いである。町の寺子屋には女の子も通い、なんと先生が女性だったことも珍しくはなかった。こういう国は世界中でも珍しかったのだから、日本はずいぶんと先進的だった。

 結婚を当人の勝手にするだけでいいのか、家族の見解を入れるほうがいいのかは、そう簡単な話ではない。
 また、老人の介護にしても、すべてを政治任せにするのもよくないし、家族に押し付けるだけも良くはないだろう。役割を分担して気持ちのいい社会を創っていくしかない。伝統の家族制度を全部棄てるのはどうなのか。

 昔は姥捨て山があった。北極のエスキモーは高齢になると、1人で氷原に出て行き凍死する掟だった。そうしないと食料が限られているので孫が死ななければならない。そうしかできなかったのだ。
 今日の老人ホームの林立は、昔で言えば本来は山に棄てるべき高齢者を家に置いておくようなものだ。だから経済が停滞してしまったのだ。





posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☁| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする