2015年10月07日

映画『白いリボン』とVWの不正(1/2)


《1》
 9月初め、フォルクス・ワーゲン(VW)の壮絶なイカサマが米国で発覚した。
 ディーゼル車の排ガス規制を逃れるための不正ソフトウェア問題は、VW 単独の犯罪であるのみならず、ドイツ政府やEUが組織的に隠蔽に関与していたことが明らかにされてきた。
 これは、トヨタが数年前に欧州の規制当局に対して告発したのに、当局は黙殺しているからである。

 私もうかつではあったが、まさかドイツ車が!の衝撃を受けた。
 よく考えてみれば、白人の腹黒さは身にしみて分かっていなければならないことであるし、何せドイツはナチスを生んだ国であり、かつ戦後はナチスに責任をおっかぶせて自分たちドイツ人に罪はないとしらばっくれた奴らなのだ。
 この事件はドイツ車が高度な技術力があるという幻想を全世界で破壊した。

 「国際情勢の分析と予測」氏は10月2日付の記事でこう分析している。
     *    *    *

 これはこれから始まるコペルニクス的転換の始まりに過ぎない。これから、民主主義=正義、米英=正義、白人=正義、連合国(日本では国連と翻訳されている)=正義、グローバリズム=正義、欧米巨大金融機関=正義、英語=一流言語等の従来の価値観が全て誤りであり、これらの組織や事柄が実は犯罪そのものであるという真実が世界の一般庶民を震撼させることになる。

 その時、北朝鮮の亡命政権を中心に今も大東亜戦争を戦い続けている大日本帝国が勝利を収めるだろう。第二次大東亜戦争である朝鮮戦争は大日本帝国亡命政権と米帝の戦いであり、現在は休戦状態に過ぎない。傀儡である南朝鮮政府は休戦協定に関与していない。

 今後朝鮮戦争が再開され、大日本帝国亡命政権=北朝鮮軍が中国人民解放軍や大日本帝国の陸海空軍(米帝崩壊後に大日本帝国憲法に復帰、自衛隊が名称を改訂)、ベトナム軍・インド軍・イスラム軍・ロシア軍・独仏軍などと共にアメリカ合衆国・カナダ・豪州・NZ・英国を占領・統治し全ての戦争犯罪者を処刑するという未来を私は予想する。これは第二次世界大戦での枢軸国の勝利であり、大東亜共栄圏の鬼畜米英に対する完全勝利なのだ。

     *    *    *

 後段の北朝鮮は大東亜戦争の日本軍残存部隊だと言う話は、「国際情勢の分析と予測」氏のおはこだが、私は疑問である。
 でも前段の、「民主主義=正義、米英=正義、白人=正義、連合国(国連=正義、グローバリズム=正義、欧米巨大金融機関=正義、英語=一流言語等の従来の価値観が全て誤り)」との主張には賛成である。
 コペルニクス的転換はどうかと思うが、そうでありたい。

 媚中副島隆彦は、これら価値観こそが世界基準なのだから、黙って従えとボケをかまし続けている。こういう嘘の裏側で、白人どもがどれほど世界中で不正を行い続けてきたか。媚中副島は見てはいけない、ご主人様の言うとおりにしろとわめくのだ。
 ご主人様らが「南京大虐殺があった」というからには、それはあったことにして従順にやっていけばいいと。

 媚中副島のことはさておき、VWの不正は、彼ら白人どもが常にワルをやってきたその延長の話にすぎない。またやったか、である。
 VWはおそらく倒産するだろう。それでもドイツ政府や世界銀行などから資金を援助してもらって生き伸びるであろう。

 VWの不正で思い出したのが、ミヒャエル・ハネク監督(オーストリア人)の映画『白いリボン』(独・英合作 2009年)で、これは非常に深刻なドイツ人(あるいは白人)の病理を抉った作品だった。

 Wikipedia をもとにしながらあらすじを紹介しよう。

 1913年、ドイツ北部の名も無き村。物語は村の学校に勤務していた教師の回想によって語られる。モノクロ映画である。
 男爵とプロテスタント牧師が権力者として支配する村。最初の事件はドクターの落馬事故であった。屋敷への道に細い針金が渡されて、馬が転倒させられたのだ。重傷を負ったドクターは町の病院で療養することとなる。

 二度目の事件はその次の日。怪我によって製材所へ移されていた老小作人の妻が、そこで転落死した。二階の床が腐っていたのだ。家族全員が男爵に雇われて暮らしていたので、小作人は男爵と争うことは出来なかったが、我慢できなかった長子のマックスは数ヶ月後の収穫祭の折に、男爵のキャベツ畑を蹂躙したのだった。
 しばらくして老小作人は男爵家から解雇され、自殺して果てる。

 呼応するかのように第三の事件が起こった。男爵の子・ジギが行方不明になった挙げ句、製材所で暴行を受け逆さ吊りの状態で発見された。
 また男爵家の倉庫が放火される。

 犯人は不明のまま。
 これに対し、礼拝の席で男爵はこう告げた。「犯人を見つけ出せ。果たされなければ、村の平和はない」これによって、村には言いようのない不安が立ちこめるようになった。

 事件はまだある。ドクターの家政婦兼愛人の女の知恵遅れの子供が、何者かによって目を潰される。
 次々に社会的弱者が犠牲になっていく。

 だが、真犯人はついにわからないままに映画は終わる。
 とはいえ、明らかに犯人は牧師の子供たち(6人もいる)とその友だちと思える。
 牧師は極めて厳格に子供たちを躾けている。不正や悪戯は絶対に許さない。純真無垢の心を忘れないようにといつも腕に白いリボンを付けさせる。

 その重圧に反発してか、子供たちが次ぎ次に残酷な悪戯どころか犯罪を犯すのだ。
 しかし警察からも大人からもいくら「お前たちだろう」と責められても、子供たちは頑として口を割らない。知らぬ存ぜぬとしらばっくれる凄まじさ。それが実に不気味な映画である。

 現在のドイツ人が戦争もユダヤ人虐待も、あれはナチがやったことで、国民は知らぬ存ぜぬとしらばっくれているのと、そっくりだ。
 誰かが仲間を裏切って大人にチクれば、陰惨な制裁が起きることを知っている。そういった極限的状況を、子役たちが見事な演技をしてみせる。

 しかし父親の牧師が息子を問いつめて、映画では見せないが、真実を息子がしゃべったと思われる。同じく子供たちを疑った教師が牧師の長女と長男を問いつめるのだが、そこへ戻って来た牧師がいわば逆ギレして、教師を恫喝するのである。
 我が子と私に対する侮辱だ、お前を教師の座から追放するぞ、と。

 そして犯人不明のまま、翌年には第一次世界大戦が始まっていくところで映画は終わる。

 ところで、この映画のドイツの村は男爵家が支配している領地である。
 貴族だからこれは代々引き継がれて来、これからも引き継がれていくはずだった。
 ところが史実では、第一次世界大戦後に社会主義が勃興し、地主階級、貴族階級に風当たりが強くなっていくのだ。そしてナチス、すなわち国家社会主義党が政権を取る。

 民主的選挙によって、ナチ党による政権奪取、そしてヒトラーによる独裁がはじまり、貴族階級は形の上で打倒されて行き、富は分割されていく。ヒトラーの初期政策は社会保障と福祉を中心にした、生産力の拡大と完全雇用をめざした失業抑制政策だった。だから大衆はナチスを熱狂的に支持した。
 この映画の村にもその影が忍び寄る。それが子供たちによる凄惨な反逆である。地主階級、貴族階級は存立が脅かされはじめている。

 しかし、ナチスもそうだったが、社会主義は失敗するのである。このことはゲバラを論じたときに示唆しておいた。
 貴族階級は時代の流れで打倒されていくのではあるが、それを現代では貧しい側の立場から非難し、鬼のように嫌われ、悪の象徴のように扱われる。

 貴族階級にはそれを成り立たせている社会の論理があり、虐げられたる階級にとっては怨嗟の的であろうとも、それにはそれなりのいわば冷酷なばかりのシステムがあった。農奴階級には断固無慈悲を貫き、同情を寄せない、それが貴族である。貴族がお人良しだったら、他国からも使用人からもつけ込まれるのだ。貴族を世襲し続けていけなくなる。
 家督、家業を潰してしまっては社会が成り立たない。

 そういったありよう(大人のありよう)も、この『白いリボン』には描かれている。地主の傲慢冷酷、それは悪とだけ断じていいのだろうかとわれわれは問われている。ところがその社会を、暴力で覆したあとは、本当の意味での社会が抜けたナチスの政策は破綻し、国家滅亡を招くのであった。






posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする