2015年10月12日

支那事変はどうやって始まったか


 『上海陸戦隊』(1939年制作、熊谷久虎監督 大日方伝、原節子らが出演)
 支那事変の火ぶたが切られた第二次上海事件は1937年8月、蒋介石軍の無法な攻撃で始まった。
 映画はそのときの様子を、事件の2年後に国民に見せている。日米戦争は1941年12月からだから、その2年も前の映画になる。

 これは事実に基づいたきちんとした映画である。
 国際協定に基づいて上海に駐屯していた海軍陸戦隊と民間の日本人が、一方的かつ いきなり蒋介石軍に襲撃されたものであった。
 通州事件よりはるかに大掛かりな狼藉で、支那事変が本格化するキッカケとなった。

 蒋介石は戦争を拡大する企図を持って襲いかかったので、この映画を見てもそれがしっかり描かれている。日本軍に悪いところはいっさいなかった。
 日本軍はまさかの油断があったようだが、上海には陸軍はほとんど駐屯しておらず、海軍の陸戦隊がわずかに駐留していただけだったので、蒋介石軍の総攻撃を懸命に防衛しようとしたが、8月に陸軍の師団を派遣されるまでの間に全滅させられた部隊が続出した。

 それでも上海に派遣された日本軍は2週間で1万人もの戦死者と負傷者を出し名古屋第三師団は壊滅した。これは明治以降の日本の戦争では日露戦争の旅順要塞攻撃時を上回る最悪の被害だった。
 苦しい戦況を打開するために11月に別の3個師団が上海の背後の杭州湾から上陸した。すると中国軍は挟撃を恐れて総崩れとなり南京を目指して壊走した。

 結局、日本側は3ヶ月で戦者10076名、戦傷者31866名を出した。

 映画で原節子は支那人の娘役で、日本軍を憎悪している役回りが、危険を避けるために日本の租界で避難している、との設定である。それを日本軍の隊長が気を遣うという話になっている。

 当時の上海は外国人が治安を管理していた租界があった。日本租界、フランス租界、イギリス租界などがあって、自国の軍隊を駐留させていた。租界は治安が良く、ゴロツキと変わらぬ蒋介石軍や馬賊などより外国軍のほうが安全だったため、支那人が大量に入り込んでいた。
 これは満州も同じで、治安が良いし商売ができるから、支那人が大量に満州に不法移住してきた。

 戦後、「支那事変」の呼称は忌避され、日中戦争と呼ばれることが多いが、それは間違いである。
 支那事変は日本対蒋介石軍閥の戦争だったから、日本と支那全体との戦争ではなかった。
 それに日本が蒋介石軍に宣戦布告すると、本式の戦争となってアメリカの介入が起き、すぐさま対日禁輸措置に出るので、やむなく「事変」と呼称した。

 中共は日本軍は鬼畜で、人民を殺し苦しめたと抜かすが、事実は全く逆で、支那住民は日本軍を歓迎したのである。
 治安が良くなり、略奪や強姦などが起きない地帯になるからだった。また、共産匪賊にすぎなかった八路軍はほとんど日本軍とは戦闘をしていない。現在の支那共産党の戦時中の話はすべてデタラメ。

 盧溝橋事件も上海事件も、そもそもそこに日本軍が他国の領土にいたこと自体が侵略だ、とサヨク日教組は言うけれど、それはまったく当時の情勢もルールも知らないたわごとである。
 租界が設けられ、外国軍隊が支那の主要都市に駐留していたのは1901年の北京議定書による、今日言う所のPKO国際平和部隊の一部であった。

 北京で調印されたから通称、北京議定書と呼ぶ。支那側ではその年をとって辛丑条約という。義和団の乱における列国と清国・義和団との戦闘の事後処理に関する議定書で、外国軍による侵略ではない。
 盗賊集団の義和団が北京に押し寄せて、乱行のかぎりを尽くし、住民や外国居留民を殺戮したため、外国軍が治安出動したのである。

 それに義和団事件に火をつけたのはドイツだった。経緯を高山正之氏の『変見自在(習近平よ、反日は朝日を見倣え)』にある解説を引用しよう。

     *    *    *

 義和団が暴れ出した発端は布教にきたドイツ人宣教師らの傍若無人な振る舞いにあった。
 彼らは特権を笠に着て、仏教寺院を壊してはキリスト教会に建て直していった。彼らは専横で乱暴だった。

 仏教徒は怒って抗議したが、白人宣教師と中国人信徒はそれに暴力で応えた。
 争いは広がり、山西省太原ではついに230人の宣教師とその家族、尼僧らが義和団や同調する仏教徒によって虐殺された。
 彼らは北京を目指し、その道すがら家々を襲ってキリスト教徒なら火炙りにし、あるいは生皮をはいで殺して家財を奪った。
 キリスト教徒でなければ強姦と略奪だけで済ませた。
 
 (中略)
 彼(ドイツ救援軍の司令官ワルデルゼー)は義和団を蹴散らした後、ケトラーを殺した暴徒を捜し出して惨たらしく殺すと「ドイツ皇帝のための3日間の略奪」を部下に命じた。

 それが終わると彼は「自分たちのための3日間の略奪」を許した。野蛮なドイツ将兵は義和団がやったのと同じに家々を荒らし、女子供まで殺し、略奪し、北京を血まみれにした。
  (中略)

 しかしやがてナチスを生み出すドイツ人にそんな節度はなかった。市民はドイツ軍の殺戮を逃れて唯一の安全地帯だった日本軍守備街区に避難してきた。ここだけは秩序が保たれていた。
 

     *    *    *

 こんな次第なので、北京議定書を支那側が「屈辱条約」とか「植民地政策」などと騒いで「抗日」の根拠にするのは、まったくのお門違いで、歴史の歪曲である。
 以後、北京、上海には日本のほか米英仏伊も居留民保護のため戦車、大砲までも装備する部隊を駐屯させたのである。

 ところが蒋介石軍閥は日本軍部隊だけを盧溝橋で攻撃し、さらに大山中尉事件、通州事件、そして上海で挑発を繰り返した。なんとしても日本を怒らせて大規模戦争を仕掛けようとした。

 当時、蒋介石は毛沢東の共産匪賊を駆逐して、全土の統一国家を樹立させようとしていた。「支那統一の最後の5分前」とさえ言われた。その状況の中で、西安事件が起きる。
 今ではこの事件の背後にソ連がいたことが明らかになっている。
 スターリンは独ソ戦を予期していたので、東方の憂いを断っておくために、蒋介石軍と日本軍を争わせる工作をした。

 蒋介石は満州軍閥の張学良をつかって、延安に籠る共産匪賊を潰滅させる方針で、西安に赴いて張学良と最終的作戦打ち合わせるつもりだったのに、囚われ、屈辱的条件を飲まされて、毛沢東を攻撃することを中止して、攻撃対象を日本に定める。

 背後には直接にはソ連がいたが、それだけではなく、アメリカも蒋介石をつかって日本と支那を戦争させる戦略だった。ソ連やアメリカから、莫大な資金援助、軍事援助が行なわれた。

 今となってはこうした工作は、すべてユダヤ勢力が仕組んだ第二次世界大戦への道であったことが判明している。
 映画『上海陸戦隊』を見ると、当時の日本軍の将兵がこうした仕掛けを知らされることがないなか、健気に戦争を回避しようと努力するさまには、胸が傷む。

 作家トレヴェニアンの作品に『シブミ』があって、これはゴルゴ13みたいなヒーローが活躍する冒険小説。
 そこに、往時の上海の日本の防衛戦の短いが詳しい描写がある。
 日本軍の戦闘振りは、ドイツ軍のスターリングラード戦以上の勇敢さであったと評される。

 こういう事実は、戦後まったく蓋をされたが、大きな間違いである。
 ちょうど、落合道夫氏がメルマガで引用抜粋されているので、それを借用する。

      *    *    *

 引用:1937年7月7日に支那の英字紙は北京の近くの盧溝橋で日本軍と中国軍が銃撃を交わした、と報じた。上海のバンド地区の英国の実業家達は、これは迅速に手を打たないと収拾不能になる可能性があるという意見で一致した。そこで北(南京)へ急行して上海以外で抗戦してくれと蒋介石総統に伝えた。

 しかし総統は共同租界を危険にさらすことにより、外国の介入を期待できることを期待して拒否し上海で戦争することにした。
 8月9日、車で郊外(紅橋飛行場付近)の紡績工場の検査に向かっていた大山勇夫中尉と運転手の斉藤与蔵一等水兵が中国兵士に停止を命ぜられた。そして蜂の巣のように撃たれ性器を切り取られた二人の死体がモニュメントロードで見つかった。

 日本は居留民保護のために軍艦から陸戦隊一千人が上陸した。前面には既に塹壕を構築した蒋介石の数万の精鋭部隊が待ち受けていた。
 欧米の大使は、安楽な暮らしを楽しんでいた英国人らの要請で、上海を戦闘地域から外すように東京と南京に要請した。日本政府は双方が非武装地帯から撤退するという条件で同意した。

 しかし8月12日、蒋介石側は日本総領事館と商社間の電話線を切断した。8月13日の金曜日には蒋介石軍第88師団五万人が北停車場に到着し、租界から外に通じる道路をすべて封鎖した。それはごく少数の日本軍と自分たちの間に緩衝用に出来るだけ多くの一般市民を閉じ込めておくのが狙いであった。

 8月14日に蒋介石軍機(米国製)が上海地域を盲爆した。高性能爆弾がパレスホテルを直撃した。さらに31分後に別の一機が大世界娯楽センターを爆撃した。1千人以上が爆死し、一千人以上が負傷した。(注:後のライシャワー大使の令兄がホテルで爆死)

 その夜、蒋介石軍の砲兵が日本の艦船を砲撃した。蒋介石軍は支那事変中、上海で一番頑強に抵抗した。日本軍ははるかに兵力が少なかったが、支那兵を駆逐するのに3ヶ月もかかった。蒋介石は外国の干渉を誘い出すつもりで、連日空軍による無差別爆撃を繰り返した。

     *    *    *

 この引用箇所からも、いかに蒋介石がひどいことをやったかが伺える。
 習近平が、抗日戦勝70年なる軍事パレードをやらかしているのだから、本来なら日本の国を愛するマスメディアなら、史実を掲げて反論しなければならないのに、あちらに対してご説ごもっともと平伏しているのは、醜悪にして卑劣である。

 国会前で安保法案は戦争法案だなどとデマを叫んでいた者どもは、上海事件の真実すら知らないタワケである。
 マスゴミは真実をいっさい国民に知らせないが、ネットで真実が徐々に明らかにされてきており、ためにサヨク反日勢力は敗退を余儀なくされてきているのである。
 真実に勝る武器はない。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 🌁| Comment(10) | エッセイ | 更新情報をチェックする