2015年10月20日

脳細胞の真の実力をつけるとは(2/2)


《2》
 次はわが流派の大会で見た、別の後輩の係員の様子について。
 大会の係員は、試合に出ない若手、大学生などがやるのが普通である。大事な武道大会の担い手であるが、組織的には係員の上に実行委員会があり、さらにその上に本部組織がある。
 あるいは別の系統でいえば、係員を出すのは各支部からで、支部には支部長がいて采配をふるう。

 それで私の後輩は係員をやっていたのだが、年齢的にはもう下っ端の係員は卒業で、支部長か実行委員会入っていて当然と言える立場である。
 それなのに、係員とは何事!? と私はいぶかった。
 彼はまじめに偉ぶることなく、べテランらしい動きで係員をやってくれて、それは感謝したが、それはそれとして、もう係員ではあるまいに、と…。

 知らない学生なら、なんで支部長が係員をやっているの? と見えるだろう。
 後で聞くと、今大会では係員になる者が少なく、乞われてやむを得ず引き受けたのだそうだが…。誰が「乞う」たか知らないけれど、乞うほうが間違っている。

 しかし。
 自分はもっと上にいなければいけないという意識がなければいけない。本来なら、最低でも実行委員になっていなければなるまいに。

 信長、秀吉、家康は、若い時「おれはこんな境遇で終わる人間じゃない」という認識があったはずで、だから向上心を滾らせたのだろう。
 彼には余計なことを言って申し訳なかったが、もしかして現状を肯定しているのではないか? がんばっていればそのうち認められて…とか? と糾しておいた。

 背伸びしてもっと上の立場とか役職とか、指導者になるとかしていくべきではないか。
 地位が人を変えるとか、器が人を創るとか言う。
 国会議員で譬えれば、初当選したばかりの議員に突然首相になれと言ったら、無理ですと言うだろうが、しかし首相の実力がなくても、頑張るうちに首相らしくなるものである。

 世間には、安倍晋三はお坊ちゃんで学歴もいい加減で…と悪口を書きまくっているアホがいるらしい。いつどこでなにをしたかなんて、くだらない「知識」ばかり持ち出している。

 いかにも過去は消せない。さはさりながら、そういう奴は人は地位や肩書きが創る面を知らない。安倍晋三は官房副長官や自民党幹事長をやらされているうちに、宰相たるの実力を身につけたのだ。一度は失敗して挫折したが、再登板をしゃしゃり出て来た。だからニ度目は、国会運営や人事などで堂々たるものになった。

 むろんそれは彼のやっていることがすべて正しいとか言っているのではない。それとこれとは相対的独立の関係にあることを理解しなければならない。
 安倍首相が三流大学卒だから、人望的にも政治力も問題がある、とする論点はあり得よう。だがそれを持ち出すなら、逆に東大の受験秀才なら首相は100%任せられると言えるのか。

 先に挙げた、信長、秀吉、家康は出自も怪しく、それこそ東大を卒業しているわけじゃない。奸計を巡らしたり、殺しあいをしたり、女房を取り替えたり、男色までやった。
 それじゃあ国のトップとして失格なのか? 経国済民ができなかったのか? 今なら朝日新聞が反対のキャンペーンを張るだろうから、信長らは国会議員にさえなれない。

 しかし、そんなことは為政者のトップになる人間にはどうでもいいことなのである。安倍首相の出自が卑しいじゃないかと抜かす人間の器量の狭さったらない。認識が蚤の金玉ほどに小さい。
 くり返し言っておくが、私は安倍首相を支持しているのではない。
 彼が言った「一億総活躍」だなんて、腹が立つ。偽善だ。

 突然下世話な話になるが、プロ野球の阪神タイガースは今年優勝を逃したので監督が事実上更迭される。
 まだペナントレースが終わっていないうちから、和田監督の退任を発表しちゃっては、選手が頑張れない。

 次は阪神OBの金本が監督になるのだとか。たしかに器が人を創ることはあるが、コーチの経験もない、ただ現役選手としては一流だっただけの男にいきなり監督を任せるのはムチャである。
 それに彼は、連続出場の記録だかを持っていて、どんなにケガをしても頑張って試合に出た。それをマスゴミはヨイショするが、これはわがままである。
 同僚の選手は必ずしも金本の態度を快くは思わなかったに違いない。実力の世界とはいえ、金本の前途はむずかしい。

 人の上に立って、人を(選手や裏方を)動かしてみて、失敗して学んで、それでやっと監督になっていくのだ。
 叩き上げ、は大事なことなのだ。

 話を戻す。
 実力ある地位や役職は、階段をのぼるようにしていくべきもので、一段上がったら、そこでは次の段に上がれるよう実力を付け、また上に上がったら次の上の段に行けるよう力をつける。そのくり返しだ。

 実力より少し以上の立場に就く、そしてその地位にふさわしい人間になるべく努める。
 これは弁証法でいえば「非敵対的矛盾の創出」である。力がついたら自然に次のステップにとか立場に、と言っていたら、「百年河清を俟つ」になる。

 しかしながら、私たちはややもすれば、否、ややもしなくても日常生活が多忙で、ドップリ漬かっている。
 たとえばスキルを上げようと思ってもなかなか勉強する時間がない、などと嘆く場合が多かろう。

 どんな習い事でも勉強でも、誰しも1日24時間は決まっていて、スキル向上などの使える時間はごく限られている。
 われわれの空手の場合、空手の技として創出される過程を1日何時間持っているだろうか。手はさまざまな運動をしているから足よりは技が創出しやすいが、足は歩くばかりで愚鈍だから、空手の足にするのは大変である。

 私たちは幼児のときから、人間の足として創出する過程は一日あたり十何時間もある。自然成長的に立つこと、歩くこと、走ることがまあ技化するにはたっぷりある。

 しかし1日のうちでは、空手の足の創出練習はわずかしか持てない。いきなり仕事も学業も止めても食って行けて、プロの空手家になれるならともかく、これでは空手家の足にはならない。1日30分しか練習しなくて蹴りが上手になるわけがない。
 量で勝負したら、日常の圧勝になる。

 これはどんな習い事でもそうだ。英会話とか、ピアノ演奏とか。
 ではどうするか。このギャップをどうしたら埋められるか。それは『思想性高く! 情熱高く! 誇り高く! 躍動感を持って!』が答えになる。

 心を込めたものは、無意識でやったものより効果がはるかにある。これは目的意識性の問題である。量質転化の逆の「質量転化」の例である。
 習字をならうにも、喜んでやる者と、嫌々やるのでは上達が違ってくるのは、誰でも知っている。

 だから少ない時間でも効率よく…というと語弊があるが、それを実現させるかは、いかに『思想性高く! 情熱高く! 誇り高く! 躍動感を持って!』が脳細胞の実体の実力にできるか(できているか)が勝負の分かれ目になる。

 スマホやゲーム機で、ゲームをやっている人の側で見ていると、目をむくほどの超スピードで指を動かし、ゲームを動かしまくっている。カミワザに見えるほどだ。
 しかしそうしたゲーマーは、スマホに向かって(思想性はないが)、「情熱高く! 誇り高く! 躍動感を持って!」、対象たるゲームにのめり込んでいるから、神業レベルの運動ができるようになっている。

 もう一度言うが、安倍首相は議員になってから、俺は三流の大学しか出てはいないが、いつか首相になってやる! との志を抱いたのだと思う。ただ漫然と、6回も当選していけば大臣にはなれるかも、の程度ではなかった。
 あげつらえば彼にも欠点はあるだろうし、再三言うように彼の経済施策は賛成できないし、安保法制も不十分だ。長州出身であるのも気味が悪い。

 とはいいながら、宰相の器になったその過程は、決してバカにしてはいけない。東大には行かなかっただろうが、それでも宰相足り得たのは、『思想性高く! 情熱高く! 誇り高く! 躍動感を持って!』が脳細胞の実体の実力にできたからなのである。

 人と同じ24時間を、濃密に目的意識的に使ったはずなのである。
 これは好き嫌いの問題ではない。

 「安倍はやめろ」「ファシストくたばれ」とわめいている連中にはいくら言っても聞く耳は持つまい。
 私は、『思想性高く! 情熱高く! 誇り高く! 躍動感を持って!』が脳細胞の実体の実力にしたいと及ばずながらも願っている。 
 それが分かりたくないご仁とは会話しない方針を貫いてきている。

 他人様のブログに潜入してきて、罵詈雑言、揶揄嘲弄をコメントしては嬉しがっているおバカと遊んでいる閑もないし、相互浸透したくないから、このブログにもそうした超低次元のコメントが紛れ込んでも読まずに廃棄している。

 論争(というより揚げ足取り)してお互いやり込めあっても、意味はない。そんな無意味なやりとりは、『思想性高く! 情熱高く! 誇り高く! 躍動感を持って!』が脳細胞の実体の実力になるよう努めたい私にとっては邪魔になるだけである。






posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする