2015年10月27日

龍安寺石庭の謎を解く(2/5)


《2》
 さて、話は多少変わって、禅には「公案」がある。よく「禅問答」と称されて、普通なら理解不能な問答の、いわば定型的というか模範的というか…とされている。
 彼らに言わせると、公案とは禅の祖師達の具体的な行為・言動を例に取り挙げて、禅の精神を究明するための試験問題というか、日ごろの思索(?)のネタである。

 公案集に「無門関」、「碧巌録」などがある。 こんなものを読んだところで、一般人に禅がわかったり、悟りを開いたりすることなどあり得ない。一休の頓智話は、禅問答の庶民版のようなものである。

 ある友人から昔、面白い話を聞いた。うろ覚えだが…。
 禅の試験があった。高僧が若い者をどれだけ禅がわかっているかを試すのだ。それで、「目の前に機関車が突進してきた。これを止めてみせなさい」という質問だったかと思う。
 若い僧は、やおら高僧の前に立ち上がって、両手を広げて「わーっ!」と叫んだ。すると高僧は「よろしい、合格」と言った。

 その話を後輩が聞いてそれはいい手だと思い、自分が試験のときに、同様に機関車の質問がでたので、「わーっ!」と叫んだら、「ばかもの!」と怒鳴られたとか。真似はダメなのだ。
 最初の若い僧の逸話は、アホみたいな答えだが、自分で考えて即答したところが評価されたらしい。

 試みに、私が勝手に考えた「公案」を披露してみよう。禅家からそんなの違う、と言われそうだが…当たらずとも遠からずだと思う。
 「ここに、天から絹糸が1本下がっている。昇るためにはどうしたらいいか」とする問いがある。
 これに答えを出すのが禅の問答である。

 「そんなアホな。絹糸を摑んでは昇れまへんで、だいいちその前提がおかしいですやろ、天からどうやって糸が垂れてまんねん?」と、こういう現実的答えは禅では失格、意味がない。
 そもそも公案には「正解」はないのである。自分がどう捉えるか、自分がどう答えをだすかの人のココロだけが問題なのであり、あるいは問題を問題とするココロを否定するのである。

 で、禅の修行者は、この愚にもつかぬ「問題」を真剣に考えるのである。大仰にいえば四六時中、何年も。天から下がっている絹糸を昇るにはどうしたらいいか、と。
 むろん現実の具体的なやり方なんか、はじめからあるわけはない。
 それでも答えを出さなければいけない。いや、答えをだすかどうかも自分で決めるしかない。

 禅宗以外の宗教は、神や仏に答えを出していただき、それを信じるのだが、禅は本来は自分で問題を立てて自分で答えを出す流派である。
 
 南ク継正先生の『武道講義第一巻 武道と弁証法の理論T』(全集では第9巻)には、「悟りとは何か」とする論文が入っている。
 「禅とは何か、悟得とは何かと問われて、はっきりと解答を出せる禅師・禅学者はほとんどいない」とあるような禅の世界の住人たちのテイタラクであるが、南ク先生は見事一刀両断にその答えを解いておられる。引用する。

     *    *    *

 本来的に、禅は生きるという原点から生じる全ての問題を自らを主体と化して一気呵成に一刀両断する一大流派である。これが、問題の問題点を一つずつ解決していかんとする学的立場とは異なる分水嶺である。すなわち問題を対象から解かず、問題を問題とする己れを問題にし、問題を問題視する己れこそが問題が起きる問題点だと把握することにより、いかなる問題も問題にすることなしには主観的には問題になりえないという問題の構造を問題にして生きる問題を解決せんと欲したのである。

 (中略)
 端的には、前者が学問であり、後者が宗教である。
 認識論的にいえば、学問は自己と対象との矛盾が対象の解明によって、一つまた一つと解決し、それについての安らぎが生じることに着目した解決法といえようし、後者は、絶対者あるいは己れを信じることによって、つまり己れの常態を乱されざることが安心であることに着目しての解決法なのである。

 そして、学問でそれを主題として生き続けてきたものが哲学である、宗教で特に、ここに留意して発展してきたのが禅宗であったといえよう。

 日常語を用いていえば、アタマ(知識)が不安を起こす原因であるから、アタマを使ってその不安の元をつきとめて一つ一つと消していくのが哲学だったのである、アタマがいくら騒いでもココロさえ安定していれば、つまり周囲に煩わされなければ、何らの不安もないことを知ってココロの安定を図ってきたのが禅宗だったといえば分かりやすいであろう。

 これこそが、哲学と宗教が他に比して見事に人生を語れるゆえんである。

     *    *    *

 全文を引用したいがあまりに長くなるから端折らせてもらうが、禅に関心がある方は是非に読まれることである。
 ここに引用した部分で解いている、宗教がココロを直接に安堵させるレベルでの人生の役立ち方、禅で言うところの「平常心」は、あくまでも日常生活レベルでの論理であると、南ク先生は説かれる。

 だが「修行を重ねることによって得られる求道的な禅宗本来の平常心ではない。それはもっと質的変化を含んだ高い次元の困難に安らう心である。禅宗の人達にはこの点についても、大いなる曲解があるようである」と締めくくっておられる。
 そうだ、曲解があるから、彼らは平気で「日曜座禅教室」なんかを開催して、カネを稼いだりできるのである。

 龍安寺の枯山水とは、凡人がその庭をじっと1時間眺めているだけで何やら悟得を得られるようなレベルではなくて、本来的には「高い次元の困難に安らう心」に関わるものなのである、ということは、誰も思ってもみない。

 本来的には石庭が認識の高みで創られ、維持されてきたことが分からなければ、謎の解明の一歩にすら入れない。
 しかるに今や龍安寺は、高い拝観料を取るテーマパークのように成り変わっている。そこへ押すな押すなとやってくる観光客に、いくばくかの理解を期待するほうが間違っている。

 このように説いてくると、必ずや世間には「いや鈴木大拙はそうは言ってないぞ」とか「大森曹玄はこう言っている」とか知識をひけらかしてくる人がいる。
 そんな雑魚はどうでもいい。大事なのは、「人間とは何か」との一般論(本質論)を把持して解くことなのだから。

 南郷先生が、みごと禅の謎を解いておられるのは、人間とは何かが解けているからである。あるいは世界は物質において統一されているという唯物論から解くからだ。その全体から部分の認識や、禅を見るから解ける。禅家として著名な鈴木大拙や大森曹玄は興味を持った部分、つまり禅を禅から解こうとするから、結局解けない。

 龍安寺は臨済宗の修行の場であったのだから、室町時代にはその時代なりの問題解決のありようとして創建されたのである。
 ずっと500年間、娑婆っけを断ち世俗を排して、己れと向き合うだけ、あとは炊事洗濯、掃き掃除拭き掃除。そして愚にもつかない、石庭の白砂をならし、スジ目を入れる毎日である。

 石庭の白砂に模様を薄く描くことに世間的な価値観では意味はまったくないのである。だから観光客にわかるわけがない、「謎です」、となって当然なのだ。
 しかし、白砂にスジを入れて整えることがまったく愚にもつかぬ作業でありながら、そこに心を込め続けることの修行にだけ意味(?)がある。

 もしここにある修行僧がいて、こうした愚にもつかぬ作業を毎日やっているとする。石庭の白砂をならすのでなくても、毎日の掃除、洗濯などをこなしているとして、そのときの認識が立派かどうかが運命の分かれ目になる。名僧になれるか、愚僧で終わるか。
 愚にもつかぬ行動は、続けることはむずかしい。これがもし、あることをやれば佳人が結婚してくれるとか、大金持ちになれるとか、目的がわかっているなら頑張りようもある。

 だが石庭の白砂を掃除してならして何になる? 今なら観光客に見せて拝観料がもらえるとかだろうが、昔はまさに愚にもつかぬ作業である。誰が見て褒めてくれるわけではなかった。
 その場合に、嫌々やるとか、適当でいいやと思いながらやると、その感情で自分を創ってしまうことになる。

 ここがおそらくは修行の根幹である。愚にもつかぬ行動だからこそ、立派な感情を創るにふさわしいのだ。これは否定の否定である。
 弁証法を知らなくても、龍安寺の往時の僧らはこれを見抜いたのだから、すごいことだった。
 自分の感情でものごとを為そうとしてはダメで、禅の感情なり、その寺の開山の感情にならないといけない。

 再三本ブログで説いてきたが、人様のブログに蠅のごときにやってきて、誹謗中傷、揶揄嘲弄を投稿しては悦に入って、自分が優位になったつもりでいる者どもは、人を嘲らずにはいられない感情を創っているのである。
 それでもいい、俺は正しいんだからと主張したいであろう。
 そこが運命の岐路である。よしんばそこで正しいと自分で思えても、積み重なれば、変えようにも変えられない感情ができあがってしまう。

 禅の修行は何十年もかかるとされる。観光客が「体験教室」とか称して、胡座をかいて目をつむっていれば何か悟りが得られるものではない。坊主がときどき肩を棒で叩いてくれても、痛いだけ。
 あんなもので講習料なんかを取る寺が堕落している。あれで何か「さわやかな気分」になれるというのも、イカサマである。

 お手軽コースで何か体験できると錯覚する向きが、いくら石庭を眺めても謎は解けない。
 禅とは何かを知りたければ、南ク継正先生が解いた「悟りとは」の論文を、熟読すれば良い。

 「アタマがいくら騒いでもココロさえ安定していれば、つまり周囲に煩わされなければ、何らの不安もないことを知ってココロの安定を図ってきたのが禅宗」であるから、私が試みに出した「天から下がった絹糸を昇るには?」についても、それを問題にしないことが正解になるのであろう。

 たとえば、「絹糸を信じることです」も一つの答えである。糸を伝って空に昇れるかどうかにココロを悩ませる自分を問題にしないことなのだから。
 あるいは心の底から呵々大笑してみせるのも、答えかもしれない。

 そうしたココロの安寧とは何かを、室町時代の禅僧は、一つの答えとして、あるいは修行法として、枯山水の庭の作庭と掃除し続けることを発見したのであろう。白砂をきれいに仕上げることは、見学者を感嘆させるかもしれないし、「これは海のミニチュアか?」と思わせるかもしれないが、そんなことはどうでもいい。

 そうした現世的意味を否定するために、石庭があり、維持する意味がある。その「否定の否定」でココロの安寧を得ようとした。
 先にも述べたが、毎日、白砂を掃除して、真っ平らにならして、スジをつけるなんてことは、実に愚にもつかぬ行為なのである。愚にもつかぬということを何千日も何万日も黙々と続けることのなかに、ついに意味を見出さない、見出さないことに最後の答えがある。

 意味があるかどうかは、自分のココロが決めることなのだから、そうした現世的欲求をなくすためには、まさに愚にもつかぬことをやり続けることでついに悟るしかない。
 欲の塊であり、煩悩の鬼である己れを棄てるには、愚にもつかぬ営為を黙々と、しかも喜んで続けるのだ。いや、喜んで、ですらないであろう。喜怒哀楽を脱却することが狙いなのだから。

 「乞食にキリッとした顔の者はいない」と、われら流派では説かれることがある。しっかりした顔では乞食になろうとしてもなれはしない。龍安寺の枯山水が、キリッとした庭になっていることは、逆に、いかに創建した僧たちの意識が高かったか、なのである。
 そこが華やぎに通じ、「美」に通じる。

 白砂の庭を美しく見せようとしたのではなくて、その欲を棄てきったところに現れる「美」を、私たちは500年の時を経て、発見しているのである。だから最初に述べたように、創建者の禅僧が、今に生き返って庭を見たら、驚嘆するはずなのである。

 彼・特芳禅傑(どくほうぜんけつ)は、第一の否定をしようとしただけのはずであって、今日の第二の否定をなした、「否定の否定」の姿を想定していなかったのだから、驚きを持って眺めるはずなのだ。そこには500年前とそっくり同じ枯山水がある。にも関わらず、それが見事に藝術の域に達しているからだ。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする