2015年10月30日

龍安寺石庭の謎を解く(5/5)


《5》
 本稿の最後に、この龍安寺石庭についての論考の“成果”が自分なりのレベルで出来た理由を書いてみたい。
 実は、京都に行って長年の尊敬する友人と行動を供にした。彼は京都生まれ京都育ちで、今も京都に住んでいる。

 午前中に鞍馬山に行って、山道を歩いて貴船神社へ抜けた。午後に龍安寺に行ったのである。その夜、居酒屋で一献傾けながら、龍安寺石庭について本稿の内容を簡略にしゃべった。

 龍安寺石庭の意味は謎だというが、謎じゃない簡単に解けるとしゃべりながら、自分で驚いたのだ。
 自分でなんでこんなことが話せるのだろうと。「なんだこの程度のことで大仰な」、と揶揄されるかもしれないが、これは自分のレベルとしては、の話である。

 言ってみれば草野球で、練習でも試合でも内野ゴロしか打ったことのないヘボバッターが、初めて外野にフライを打って自分で驚いたような感じであった。
 これは端的には険しい山道を手足を使い、脳を駆使して昇り降りしたから、普段やっていない運動を強いられたために脳細胞が瞬間的に活性化したおかげであろう。

 鞍馬から貴船への道は大変峻険な昇り降りだった。予定ではケーブルカーを利用して本殿近くまで行って、頂上付近を少し歩いてみる予定だったが、なんとケーブルカーが工事中で動いていなかった。

 しかたなく歩きだしたが、本殿までなんとか行けば、あとは貴船までは緩やかな下り坂だから楽ですよ、との友人の言を信じて、じゃあ全部コースを歩こうかとなった。約2時間かかった。

 山道も険しいが、山そのものが上から下を見ると絶壁といった感じで、道はつづら折りになっている。鞍馬山は岩盤で固く、杉の木が地下深くに根をはれないので、ぼこぼこと地上に根が出てくねっている。ために歩きにくいことおびただしい。
 登山靴を履かなければ歩けないほどではないけれど、還暦過ぎた肉体で、山登りの経験は最近とんとないのだから、最後はヨレヨレ。

 でも、私はケーブルカーが工事中でやっていないとわかったとき、「これは行くしかない」と決めた。たとえて言うなら、これは祖霊・義経が、『楽をしないで奥の院まで行ってこい、経験しろ』と言っているんだろうな、と前向きに考えたのである。
 鞍馬山はニ度目なのだが、今回、どうしても鞍馬に行きたかったのは、義経の体験をもう一度考えてみたかったからだ。牛若丸の気持ちを少しでも分かりたい、と。

 牛若丸がいた当時の鞍馬山にはたくさんの僧がいた。みんなけわしい山の中で苦労して生きていたわけだが、牛若丸だけが「源氏再興」の志を抱いたからこそ、素晴らしい頭脳を創れたのである。やがてチンギス・ハーンとなって世界史を変えた。
 本稿初回に、バレエの高みはクラシック音楽の高みを目指し、ともにあったからだと説いた。

 バレエはアンナ・パブロワが創り直すまでは卑猥な踊りだったのであって、いわば鞍馬寺で寝起きしていた当時の僧のレベルと同じことだ。パブロワはクラシック音楽の高みを目指し、義経は「源氏」を高みに置いて心身を鍛えたのだ。

 ただ山の道が嫌だなと思いながら歩くのと、志を抱いて歩くのでは、脳のできあがりが違う。それがささやかながら実感できた。偉大な源義経が睨んでいるぞと思いつつ。
 それで私なりの頭脳の活性化ができたところで、龍安寺の石庭を見たので、龍安寺の謎が(私なりの推測だが)解けたのである。ケーブルカーが動いていなかったおかげであるから、京都在住の彼にも感謝、感謝であった。

 山道はきつかったけれど、少しも嫌ではなかった。私も志を抱いて昇り降りしたからである。義経=チンギス・ハーンの謎を解きたいという志だ。義経の高みを目指すのなら、弱音は吐けない。
 義経もきっと俺は源氏の子だぞ、ただの僧侶見習いじゃない、との誇りがあったから、厳しい鞍馬時代を頑張れたにちがいない。
 
 さて、もう一度龍安寺の石庭の話に戻ると、「中世の華やぎ」とは何かを考えるに、それは平安時代の社会にはなかったもの、との視点が欠かせない。
 これは藤原氏の「一極支配」社会で動きのない時代から、源平の戦い、元寇、南北朝争乱、応仁の乱、さらには戦国時代へと到る、疾風怒濤の時代へと変わったのである。

 その戦乱の社会の、一方の成果が「中世の華やぎ」であった。
 本ブログでアレキサンダー大王の出現が、その戦乱が人間の認識の質を変えたとする論考を書いたが、日本でもこの源平争乱から戦国時代に到る社会のありようが、日本人の認識を大きく変えたのだ。
 本ブログ「アレキサンダーはかく語りき」を再録しよう。

     *    *    *

 人類史の英雄たちは、アレキサンダーもチンギス・ハーンも、ナポレオンも、戦争はやった。
 戦争はいったい人類に何をもたらしたのか、もう日本人は誰も考えようとはしない。人を殺すという現象だけしか見ない低能。
 彼ら英雄は、犠牲と引き換えに、あるいは犠牲にもかかわらず、人類に「主体性」という認識をもたらしたのではなかったか。

 戦争は、生死ギリギリのところに追い込まれる。誰だって死にたくない。自分だけ傷つかずに勝利だけ得られたらどんなにいいかと内心で思ったとしても、その思いを卑怯未練と断ち切って、武器を持って戦場に突撃しなければならない。

 よしんばそこに欲得があったにしても、よほどの認識の高揚、主体性がなければ戦えない。認識のシビアさが否応なく生まれてくる。それを史上、大規模にやった英雄たちが、人類の認識を新たなステージに上げたのに違いない。
 その創成しかつ発達した主体性ある認識で、人類は立派な国家を建設し、技術を発明発見させ、見事な藝術を創作できたのである。 
 人類は戦争をしたから、サルから人間になれたと言ってもいい。それが戦争の構造論である。

     *    *    *

 平安時代以降の源平戦から戦国まで、日本社会で天下人たちや武士たちは、生死ギリギリのところに追い込まれ、かつてやったことのない運動を激しくやり、認識をフル回転させていった。そのシビアさが、今日につながる輝ける日本社会を創ったのである。

 当時、そこに真摯に向き合った藝術が、五山文学の漢詩であり、和歌では京極派による『風雅和歌集』の完成であり、龍安寺石庭であり、光厳院がつくった常照皇寺であり、また能であり…、政治では北条氏の善政で農村の生産性が飛躍的に上がったことなどの「実果」が実ったのである。

 先の大東亜戦争も、サヨクによって悲惨な面や加害者責任ばかりが強調されるけれど、今日の工業の圧倒的隆盛は戦争のゆえにシビアな体験をした日本人が、その脳細胞を飛躍的に変えたからである。
 大東亜戦争は、司馬遼太郎がある日本軍の兵士の言として紹介していたが、まるで元亀・天正時代(信長のころ)の武器だけで戦ったようなものと評されるほどにみじめな工業力しかなかった。

 戦前日本が外貨を稼いでいたのは、ほとんど生糸だけの繊維産業だった。あとはブリキの玩具が少々。
 アメリカの女たちが絹の靴下をどうしても欲したから、日本は絹を売って、アメリカから軍事物資や自動車などを買えた。
 それがアメリカでナイロンが発明されるに及んで(1939年=昭和14年)、日本は切羽詰まったのだ。アメリカが禁輸したこともさることながら、鉄も石油もレアメタルも全部買うカネがなくなった。
 
 資源だけではない、資本財も中間財もアメリカからの輸入に頼っていた。それが戦後から現在の段階で大逆転し、世界中で日本の資本財、中間財なくしては工業が成り立たぬほどになった。
 アメリカに戦争に追い込まれたとはいえ、窮した日本はインドネシアの石油を奪いに行き、ヤクザを使って支那や東南アジアでアヘンを売り、金(ゴールド)の略奪に走ったのだった。

 アジア植民地の解放は、結果論であり、末端の兵士らの志である。先に支那事変は蒋介石とスターリンに嵌められたとしたためたが、それでも戦線を拡大していったのは日本の責任である。
 そんな情けない産業力しかなかった日本が、今や世界一と言っても良いほどの工業力を実現したのは、敗戦の悔しさとかもあったろうが、戦乱のおかげで脳細胞が鍛えられ、それを真摯に受け止めた人達がいたからである。

 一方で、ヒロヒトが戦争責任を逃げまくったせいで、せっかくの戦争でのシビアな認識が誕生できたのに、わざわざ主体性を喪失する道を選んでしまったから、奴隷根性、無責任体質の政治や文化となって現れている。
 ヒロヒトには責任があったのだ。彼が最低でも責任をとって皇位を退いていたら、日本人はきっと「天皇に見倣え」とばかりにシャキッとし、あの鎌倉・室町時代のような素晴らしい文化を創造していただろうに、無念である。

 早とちりのおバカさんのために言っておくと、私はだからといって戦争を賛美しているのではない。戦争にはこういう論理構造があると述べているだけのことである。
 ヘーゲルは、国家が戦争で負けてなくなってしまうことは、人類史にとっては必ずしも悪いことではない、と述べているそうだが、これこそが部分ではなく、全体で考えることである。

 だから、戦後には理系の分野では成功してきたが、文化系では惨憺たる現実に見舞われている。ノーベル賞文学賞は川端康成と大江健三郎だから、あんなものは日本の恥でしかない。ついでながら、川端の「眠れる美女」はポルノ小説であるし、死は薬物中毒のせいであった。大江は9条の会のメンバーでわかるようにアホだ。

 戦後は石庭を越えるような藝術も出現しても良かったはずなのに、処理を間違えたがために全部失敗に終わり、あまつさえ石庭の意味をわかる脳細胞を日本人はなくしてしまったのではあるまいか。

 南ク継正先生は、人類最高レベルの頭脳を獲得された方である。その方がなぜ誕生したかといえば、戦時中に多感な思春期や青春期を過ごし、学校では教師や先輩の鉄拳制裁が当たり前の厳しい生活を送り、大学以降は空手修行を実行されて、脳細胞を極限にまで鍛えあげたからである。

 私がほんのわずか鞍馬山を歩いた程度でも脳細胞が活性化したが、南ク先生は日常的にそうした運動を何十年と続けてこられている。だから、数々の学問の世界で世界的発見を続けておられる。
 それはちょうど日本の中世が源平争乱から戦国時代に到る厳しい社会で華やぎを獲得したように! 
 
 サヨク護憲派どもは、仮にこれから戦争がなかったとしてもいわば平安時代のような、のんべんだらりの社会を創るつもりか? 発展のなにもない、文化はギリシャのように過去の遺跡を外人に見せるだけで自慢している、馬鹿げた国になるのか? アメリカから支那の属国に鞍替えして、奴隷の平和を貪るつもりか。

 日本は戦争で多くの犠牲を払った。将来ある若者を多数失った。領土も失った。国は滅びた。にも関わらず、脳細胞は飛躍を遂げ、理系の分野でしかないが、世界を発展させ救う発明と技術革新を次々に生み出している。毎度いうが、だから戦争をしましょうというのではない。世界史はもっと巨大な運動なのだと知ることである。





posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(4) | エッセイ | 更新情報をチェックする