2015年11月17日

ロッククライミング糞尿譚


 最近は、群馬県の谷川岳で遭難する人はほとんどいなくなった。しかし私の子供のころは、毎年厳冬期やあるいは5月ころによく遭難者が出たものだ。子供心に、なんて親不孝なことをするんだろうと思っていた。自分はいいだろうが、遭難すれば救助隊に迷惑がかかり莫大な費用がかかる。ヘリコプターを飛ばすにしても只ではない。家族も悲しむ。命は救ってやりたいが、なんで勝手な、無謀なことをしておいて、生きているものが苦労させられるのだろう。

 山の景色は美しかろうが…私の登山嫌いは子供の頃の印象で決まった。

 「アイガー北壁」は2008年公開の映画である。実話に基づいている。舞台はナチが台頭してきていたころのドイツで、アイガーはスイスの巨峰であるが、その北壁を史上初めて登攀しようとする2人組のドイツ人青年の話である。途中からオーストリアのペアが追いついてきて、4人で登る。

 アイガー北壁の初登頂を成功した場合は、翌年開催されるベルリンオリンピックで金メダルを授与することになっていた。
 現在とは装備のレベルも違うし、今や気象予報もかなり正確にわかるので、ロッククライミングの苦労も減り、事故も少なくなっているのであろうが、それでも大変な艱難辛苦を嬉々としてやる人たちだ。

 アイガー北壁は、ほとんど垂直に切り立った岸壁である。映画では2〜3日で頂上まで行けるはずが、天気が急変し、ケガもして、結局断念して下山することになる。あんな垂直の岩場で、いったいどうやって寝るのか、飯を食うのか、それになにより排泄はどうするのか知りたい。
 映画では1回だけ放尿するシーンがあるが、排便シーンはない。登山のドキュメントものを見ても、そういう場面は見せないから、当事者でしかわからないのだ。

 それであるとき、垂直の岩場を何日かかけて登った経験のある人に聞いたところ、「あれは糞尿の世界です」との答えだった。さもありなん。少なくとも3000メートル以上の山を登るから軽装ではすまない。厚着をする。それを切り立った絶壁にロープに摑まりながら、尻をまくって用をたす。糞はそのまま落下させる。そのあとから拭いた紙がひらひらと落ちて行く。

 複数の人間と登っているときは、メンバーに断ってトイレにするから、止まってもらわねばならない。脱糞する人が上にいると悲惨だ。下痢していたら風にも煽られて飛散し、下にいる人間に降り掛かる。岩場に張り付いてやり過ごすというのだが…。

 同行者に女性がいると「見ないでね」と言ってから、尻をまくるそうだが、そんなところは見たくもない。男女混合でロッククライミングをすれば、当然異性に脱糞のさまを見せることにもなるのに、それを覚悟で行くとは、信じられない神経である。

 岸壁で脱糞しなくていいように、なるべく食べないようにするそうだが、食べなければエネルギーが出ない。
 厚着している服を脱いでといっても、なにせ垂直の岩場だからそう体は自由にならない。ハーネス(安全ベルト)は外せない。
 失敗して手や服に糞がついてしまう。で、それを洗えるかといえば、水は貴重だし、どうにもならない。臭いをともないながら登ることになる。

 最近では簡易トイレのようなものを持って行って、その中に用をたして持ち帰るとか、紙オムツに用を足す場合もないではないようだが。
 登山中なら、昔は尻をまくって、足を突っ張って岩壁からできるだけ離れてそのまま出すか、紙袋にして袋を放り投げたりしたが、岩場が汚れてあとから来る登山者の迷惑になるので、廃れているらしい。
 ヒマラヤあたりでは昔ながらのやり方が許されているそうだ。

 ヒマラヤの話が出たついでに言うと、あそこでは低酸素と低気圧に慣れるために(体を作りかえるために)、長期にキャンプをしなければならない。多少登ってはその日のうちにキャンプに降りてくるをくり返す。
 だが、キャンプは建物があるわけではないので、トイレが問題になる。

 それぞれのグループごとに、穴を掘り、見えないように簡易テントを張る。何日も経つと便が積もってうずたかくなってくる。それが尻にくっつかないように、腰を浮かせたりして…。
 しかし岩場なので、しゃがんだときに石ころがぐらつくと、あわれ、糞ツボに足が踏み込んでしまうことになる。
 ここでも水で洗うわけにはいかない。それを草で拭ったって取り切れないから、臭いをさせたまま寝起きするテントに戻ってくる。

 便所のなかで寝起きする感じになるだろう。恐ろしいことだが、山男たちは平気らしい。
 ついでながら、第二次世界大戦のころの戦闘機乗りは、例えばラバウルからガダルカナルまで飛んで帰ってくると、中にはトイレがないのだから、尿はサイダー瓶にいれていたようだが、糞は垂れ流しであった。映画を作ってもそういうところは描写しないから、真実は知られない。

 戦場でもトイレは苦労する。ヴェトナム戦争の映画を見ていたら、米軍は野営地に木造の簡易トイレは作ってあり、たまった糞尿は野外に引き出して、ガソリンをかけて燃やしていた。米軍は金持ちだからそういうまあ衛生的なことができたわけだ。同じヴェトナム戦争で、北ヴェトナム軍は例の地下トンネルを掘って移動しているわけだから、さて、トイレはどうしたのだろう。

 旧日本軍は、支那戦線では行軍中、小休止か大休止のときに一斉に兵隊が排便するから、部隊が去ったあとの道ばたや草むらはウンコだらけになった。
 南方の島嶼で戦ったときは洞窟に入って抵抗していたから、ここでも糞尿の処理は大問題であった。たしか映画『硫黄島からの手紙』のなかで、糞尿の入った桶を洞窟の外に棄てにいくシーンが描かれていたと思う。

 洞窟の中は、何日も風呂にも入らず悪臭を放つ者どうし、また負傷していれば血の臭いがし、おまけに糞尿の臭いに満ちていて、目も口も開けてられない状態であったろう。

 ロッククライミングでは岩場にハーケンを打ち込んで、体や荷物が落下しないようにするのだが、私はやったことがないからわからないが、ハーケンが抜けてしまうことはないのか? すべての岩がちゃんとハーケンを食い込んでくれるのだろうか?
 
 次は寝るときである。映画「アイガー北壁」では、絶壁のいくらかへこんだ岩陰に座ってまどろむ程度のようだったが、あれでは疲労は回復しないだろうに。
 ハーケンで2か所を止めて、ハンモックを吊るして寝る方法がある。ハンモックだと体は腹に向けて「くの字」になり、寝返りも打てずに眠る。しかも野宿であって、高所で強風が吹き荒び、吹雪になることもある中で堂々と寝るのだから、肝は座っている。

 そういうハンモックに吊るされながら、排便するのも度胸がいる話である。尿は携帯した瓶にいれ、それは温かいから抱いて寝るそうだ。
 最近は、以下の写真で見ると、ベッドを吊ったり、テント(ポーターレッジ)を吊ったりして、いくらかは水平に体を横たえることができるようだが、落ちたらどうする(どうするって、死ぬだけだが)とは思わないのだろうか。
http://karapaia.livedoor.biz/archives/51962904.html

 映画「アイガー北壁」は、私が山が好きな人間ではないから、「なんでこんな苦労をするんだ?」という思いでしか見ていられない。
 山登りが好きな人に「なぜ?」と聞くと、「そこにいかなければ見られない景色があるからですよ」との答えであった。たしかにそうだろうけれど、命と引き換えになる危険を冒してでも? あるいは、文化的な人間を投げ捨ててまで? である。

 糞尿まみれになってまで? それで文化人と言えるのか? 
 映画ではきれいごとだが、実際は彼らは糞尿にまみれ、氷点下の吹雪のなかで排泄するのも命懸けなのに、そういうシーンは出てこない。
 人類はそうした汚れたものを排除して、清潔を実現していったから、伝染病も退治できたのだ。「自然に親しみましょう」は、きれいごとであって、自然のままでは不潔になるから人類は努力してきたのだ。

 映画では、彼らが途中から下山する様子を延々と見せられるが、もういい加減結果を見せてくれよ、最後はどうなるんだ、と言いたくなった。サスペンスが堪能できる、と言えばそうかもしれないが、同じようなシーンばかりで、嫌になる。

 映画では、名誉欲にかられた連中が怪我したり体調が悪くなったりしているのに、無理して頂上に登ろうとしたがために、結局判断を間違えて大失敗するという教訓だけが残る。
 彼らがアイゼン(シュタイクアイゼン、靴に装着する滑り止め)をなくした装備で登るのを強行するのは、一番乗りをしたがためであった。本来ならそこで出直すべきを、「えい、やったれ!」とタカを括って登攀に賭けてしまうのは、登山に限らず共通した人間の愚かさである。

 ナチが国威発揚のためにアイガー北壁登頂を煽って、若者に無理をさせ、死に至らしめたのだとする批判が込められているのだが、それでもやはり登ったのは当人たちの責任である。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☔| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする