2015年11月30日

ウィッシュフルシンキングの罠(1/2)


《1》
 wishful thinkingとは希望的観測、とか甘い考えなどと訳される。
 これは以下の「チャンネル桜」の動画で、評論家の伊藤貫氏の「米中衝突は起こらない」の中で彼が説明していた言葉だ。
https://www.youtube.com/watch?v=Kla8vz0fx-U

 「こうあってほしい」が「こうにちがいない」に入れ替わるというか、現実を思い込みで間違えて認識してしまうことを指している。アメリカの政治家や知識人は軒並み(伝統的に)、支那に対してwishful thinkingになる傾向が強いと伊藤氏は言う。

 支那は今は共産党独裁国家で民度も低いが、いずれ国際社会と協調することで、民主主義に目覚め世界をリードする国家になるだろうというのだ。いくら嘘つきと言っても、ボクとの親愛関係なら本当のことを言うだろう、とか。約束したんだからきっと守ってくれるさ、とか。

 日本にも副島隆彦や経団連の財界人など、媚中派がゴロゴロいて、wishful thinkingをかましている。
 先の安保法案反対をわめいた護憲派サヨクも、見事にwishful thinkingに凝りかたまっている。日本が支那、韓国などを刺激したり逆らったりしさえしなければ、平和なんだという考えがまさにそれ。

 動画で伊藤貫氏の語る「米中衝突は起こらない アメリカが日本を守らない理由」は、とても勉強になった。
 伊藤氏は、肩書きは国際政治・米国金融アナリストとなっていて、ワシントンD.C.に在住しており、ときどき日本に来る。

 アメリカは、ほんの0.5%のトップの富裕層が、アメリカ上院・下院の議員たちへの巨額の政治資金を援助していて、政治は彼らの思うままに操られると説いている。伊藤氏は決して0.5%のトップの富裕層がユダヤ人であることを言わないが…。

 そのとおりで、戦争するかどうかの最終決定権は大統領にはない。その大統領を選ぶのも、民衆が決めるのではなく、0.5%のトップの富裕層が決めている。
 0.5%のトップの支配層が、大統領を始め政治家を支配するのはカネ儲けのためであって、平和とか人類の幸福とか貧困の追放とかでは決してない。彼らは支那で大儲けしたいだけのなのである。支那共産党支配層も志を同じくする。テメエたちさえ儲かればいい。

 だから支那は南沙諸島や尖閣諸島で侵略を仕掛けてきて、覇権を唱えてきているが、アメリカの支配層はこれからの支那の市場は有望で、しかもアメリカ国債を大量に保有してくれているから、口先だけ南支那海の支那の勝手放題を咎めはするが、断固阻止することはあり得ない。

 先日、アメリカは一隻だけイージス艦を南沙諸島へ派遣して、いわゆる支那が主張する領海近くを航行してみせたが、まったく事を構える気がない。あれは日本向けにサービスして見せたにすぎない。相変わらず支那は着々と人工島に軍事施設を建設しつづけている。
 これはオバマ大統領が優柔不断だからと言う向きもあるが、大統領の意志なんか関係なく、すべてはユダヤ国際金融資本の意向で決まっていくのである。

 米中自身は決して衝突しないが、両者が仕組んで日本を日支戦争に引き込むことはあり得る。
 そういうことを伊藤氏は(ユダヤを抜きに)語っている。

 それが世界の厳しい現実である。支那はアメリカはもちろん、東南アジア諸国の政府、日本や韓国の政府にカネを使ったり、ハニートラップを仕掛けたりして籠絡して、媚中人間を創り、意のままに動かす。

 カネと女で正義とか民衆の利益とかは容易く踏みにじられ、そうして世界を支那が創り出しているし、これからますますそうなる。
 だから決して米中の衝突なんか起きるわけがない。米中で日本を潰すか、利用しようとするだけである。

 媚中・副島隆彦は『中国 赤い資本主義は平和な帝国を目指す』(ビジネス社)を2008年に書いた。これのどこが平和な帝国なの? アホか。
 だが、いかに支那が悪辣をやらかしても、アメリカは必ず許し、アジア諸国は、その指導層が買収されているから、言いなりになる。
 その政治状況を指して「平和な帝国」というのなら、皮肉な話である。
 
 本ブログでも何度かとりあげたが、媚中副島は支那共産党トップを「善人」と「悪人」という風にふたつのカテゴリィに分類している。胡錦濤、温家宝、李克強らが改革派だから「善人」、江沢民、李鵬、羅干、曽慶紅、賈慶林、周永康らを「ワル」と断定している。なぜそういえるかの根拠は何も示さない。
 その後、副島が絶賛した「善人」がどれほどのワルだったか分かっても、副島は知らんぷりだ。

 宮崎正弘氏は、中国の指導者に「善人」と「悪人」は分類法として間違いであり、「悪い」か「もっと悪い」の二分類しかない、と言い切っている。その通りである。宮崎氏のほうが副島よりはるかに支那を知り尽くしているからである。

 この伊藤貫氏がしゃべる動画を見ると、彼がアメリカ人と相互浸透していると感じられる。日本のことは他人事のようにへらへら語っているのが、不快である。また、語り口が気障だ。アメリカ人ふうな喋り方がかっこいいと思っているからだろう。
 さらに「あのー、あのー」が耳障り。アメリカ人はしゃべるとき、やたらとこの手の「えーと」とか「あのー」とかを(むろん英語で)入れているが、それがうつっているのだろう。

 アメリカ人は、映画で見るとあれはセリフだからすらすらとよどみなく言葉をしゃべっているが、テレビ等でインタビューに答えるアメリカ人を見ると、実に聴き取りにくい「えー」や「あのー」が多くなっている。そういう人間がとても多いように感じる。英語そのものが曖昧なだけにしゃべりながら、適切と思われる言葉を探しながらになるので、「えー」などと言いながら考えてしまうのではないか。

 これは言語はしょせんというか認識を外化するものだから、どうしても若干のタイムラグが生じるのはやむを得ない。認識は刻一刻と変化しているし、像のなかから瞬時に言葉を選ばなければならないからだ。その場合に、言語自体の特性と、それを使う(語る)の回転の良し悪しの二重構造になるのだろう。

 そういう訓練をきちんとしないと、言葉をよどみなく語る実力はつかない。これも訓練次第なのである。アメリカは歴史が浅く、伝統文化がないから、しゃべり方も適当になる。子供のときから理屈をこねることは訓練されても、正確かつ美しくしゃべるかはダメなのだろう。

 文章を書く場合は、手で書いていく際にはある漢字なら漢字を書いて行く間(時間)にもろもろの思いや感情が駆け巡るというか、豊かに動くから、味わいのある文章にしあがっていくが、パソコンなどで指だけ動かして一瞬である漢字がパッと現れてくれると、ゆっくり自分の像を味わう間がなくなってしまう。

 しかも書く道具が、毛筆か万年筆か、ボールペンか鉛筆かによってもずいぶん像の豊かさは変わってくる。
 話を戻せば、どういうわけかアメリカ人は喋るのが下手なのだと思う。澱みがありすぎる。伊藤氏の喋り方もだから相互浸透した結果なのではないかと思われる。




posted by 心に青雲 at 07:13| 東京 ☁| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする