2016年01月04日

ベルリン陥落の悲劇から何を学ぶか


 映画『ベルリン陥落1945』(2008年 ドイツ映画)は、第二次世界大戦末期、ソ連軍によるベルリン陥落の前後、数日間のべルリン市民の過酷な生活を描いている。

 原作は『ベルリン終戦日記 ある女性の記録』で、白水社から翻訳本が出ている。原題はEine Frau in Berlin 直訳すれば「あるベルリンの女」だろうか。
 これはベルリン陥落前後、ドイツが戦争に負け、国家の庇護をなくした市民の惨状を赤裸々につづった記録。爆撃、市街戦、窮乏、略奪、陵辱が映画では「記録」の事実に基づいて描かれているそうだ。
 初めはアメリカで出版されたが、ドイツで激しい非難がおこり、匿名にして再出版されたという曰く付き。

 占領されたベルリンの女性たちがどのように生き延びていったかの真実。実際には幼女から老婆まで、ほぼ全女性が強姦されており、5000人以上が自殺したとも言われる。
 主人公の女はソ連兵の果てしない蛮行から身を護るため赤軍少佐の「愛人」となって、生き伸びる決心をする。

 ドイツでも、赤軍による性暴力は戦後長らくタブー視されていたそうだ。この匿名の日記刊行は陥落の実態を記録した一級資料として、専門家から認められ、遅まきながら映画にもされた。
 勝ち奢った赤軍兵士が無抵抗の市民や女性に対して陵辱を繰り返す残虐さには目を蔽わせるものがある。

 どうしたって、日本の敗戦とも重ねて見てしまう。日本人女性も樺太・沖縄・満州そして本土…いたるところでソ連兵、朝鮮人、そしてアメリカ兵から暴行・虐殺の被害にあった。
 ただ、赤軍兵士による残酷な陵辱は、ナチドイツがソ連に侵攻したときにひどいことをした報復の意味もあった。
 そこをきちんと映画では見据えているのは立派である。

 しかし、日本軍は戦地でそんな暴行・虐殺はしなかったから、報いを受けるいわれはない。アメリカなどの連合国に加えて支那人朝鮮人らは、野蛮な戦犯容疑をでっち上げたのであり、日本女性を陵辱したことを隠した。

 しかし、戦後70年経ってもドイツがあの戦争の意味を問おうとする姿勢がありながら、日本ではかいもくないのが情けない。
 例えば戦後、米兵が進駐して来て多くの日本女性が強姦された。赤軍がドイツでやったのと同じである。米兵もドイツで赤軍と同じく暴行を働いたからソ連兵だけが悪いのではない。

 そういう事実を真正面から向き合い、また自分たちもソ連の人を陵辱した反省をしている。
 そういう映画が日本では作られない。
 高倉健主演で『三代目襲名』(1974年)が作られ、終戦後の在日朝鮮人の蛮行狼藉を描いたものはあったが、“ヤクザ映画”とくくられて真面目には扱われなかったようだ。今はそんな映画は作られない。
 例えば通州事件を描いた映画などは誰も作らないし、仮に作っても見ないだろう。

 どこか日本はキレイ事にしてしまう。とことん人間性に醜い現実を暴くことができない。
 だから、憲法9条さえあればひどいことにはならないなどと思いこむ。支那軍が来たら、さっさと白旗を掲げて降参し、支配下に入ってうまい支那料理を食ったほうがいいと、漫画家やくみつるが言ったそうだが、とんでもない無知である。

 この映画の赤軍と同じ暴力が支配する状態になるのが、安保法制に反対した連中にはわかっていない。サヨクの人ほどこういう映画(『ベルリン陥落1945』や『三代目襲名』)を見て、戦争の恐ろしさに身震いしてほしいものだ。こうならないために、国軍の武力充実は必須なのである。
  
 映画のなかでソ連軍の少佐が、ヒロインに赤軍兵士の暴虐を示して「彼らはクズだ」と語るシーンがある。赤軍でも佐官クラスは教養、知性があるのだろう。
 映画ではソ連兵のどれほどクズかの実態を、俳優たちが見事に描いていると思えた。下品、無教養、民度の極端な低さが顔つきや振る舞いでしっかりと演じられている。

 ざっといえば、当時ドイツ人は平均すればその学歴教養は中学生くらいだろうが、ソ連人は小学生のそれも5段階評価で「1」ばかりの子供が兵士になっている、といった感じである。

 ソ連がドイツに勝てたのは、ひとえに第二次世界大戦を企画したユダヤ勢力のシナリオだったからである。ユダヤは工業力のあるアメリカを使って、はじめはナチの国力と武力を伸長させたが、途中から援助を打ち切って、ソ連に勝たせるべく莫大な軍事援助を行ったからだ。

 別にナチがいいというのではないが、文化文明レベルでいうなら、中学生を小学校の劣等生が殺しきったのが、ヨーロッパ戦線である。ベルリンの女性がソ連兵に陵辱されたのはその現象面でしかない。
 わが日本も同様である。当時でも先のたとえで言うなら、日本は中学生、アメリカはソ連よりいくらかましでも、小学生の成績「2」くらいの民度のゴロツキGIが武力で圧倒した戦争であった。

 ユダヤ勢力は、一つの学校に譬えれば優等生だったドイツと日本を、どうしようもなく頭が悪くて下品な劣等生のソ連やアメリカに勝たせて、優等生をダメにしたのだ。ケダモノの劣等生ばかりにすればユダヤの好き勝手がしやすくなる、と。
 
 劣等生を好き放題にさせれば、優等生に劣等感を抱いているから強烈に優等生に襲いかかる。世界を支配したいユダヤにとっては、優等生だけが邪魔なのである。自分たちに対抗しようとするのは優等生だからだ。劣等生はそんなことは考えないし、ユダヤに刃向かってこない。セックス、酒、バクチ、麻薬、オートバイ、そんなものでもあてがってやれば喜んでいる。

 現在もユダヤ人の一派、イスラエルは、中東のイスラムを常に戦乱に叩きこんでいる。アラブ人たちは勉強して優等生になることができない。劣等生、ゴロツキのままなのだ。今年、ヨーロッパに偽装難民で移動したイスラムの人たちを見ればわかるだろう。ユダヤ勢力は彼ら劣等生をドイツに入れることで、優等生ドイツの力を殺ごうとしている。

 また、わが国では支那人、韓国朝鮮人を使って、日本を優等生にさせない策謀が次々に行われている。夫婦別姓とか同性愛を認知するとか、在日に地方参政権を与えようとかも、そういった流れである。

 この映画を評価はしたが、一方で人間の無惨さ、残酷さ、汚さは歴史に積み重なっていくばかりであることも確かで、反省しているようで、いささかも…ではなかろうか。歴史は繰り返すと言われるけれど、今も例えば中東で戦乱が絶えないし、支那のチベットやウイグルでの蛮行もとめどない。

 われわれはどこでこの連鎖を断ち切れるのだろうか。その考察もそれこそ浜の真砂が尽きるとも…で膨大な量になっているにも関わらず、戦乱も陵辱も止むことがない。

 貧困、無教養、戦乱は、常に意図的に起こされている。全部が全部ユダヤ勢力のせいではないだろうけれど、貧困、無教養、戦乱が誰かによって作りだされると知ることが人類の覚醒の第一歩でしかないだろう。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする