2016年01月22日

コメントについて


 本ブログは、読みたい方にだけ読んでいただこうとの主旨で発信しており、読みたくない人は遠慮してもらう。頭のレベルが低い人、イチャモンを付けるのを喜びにしている人、嫌がらせが好きな人のコメントは読まず即ハネている。HNを替えても機械的にはねる仕掛けだから無駄。

 まじめな質問や


反論は受けますが、知能が一定レベルに達してない方、南郷学派の書物を読みもしないで文句をつける人にも、コメント返しは不毛なので受けつけない。
 
 また、ハンドルネームがおちゃらけているとか、下品なものも読まずに削除する。
 これが私の方針なので、ああせいこうせいと指示してきても逆効果だから念のため。

posted by 心に青雲 at 12:51| 東京 ☀| Comment(5) | エッセイ | 更新情報をチェックする

鬼の指導を受けられる幸運(2/2)


《2》
 シャピローに弟子入りした渡部氏ら弟子のチェリストたちは、鬼のしごきにあって、おそらくはその人自身の甘さと怠け心を木っ端みじんにされる。鬼であり、理不尽なしごきであっても、それが自分自身の成長に必須と思えばこそ、またそれに耐えさえすれば名演奏の技が自分のものになるという未来が見えているから、それに耐えられる。

 ところが、南ク継正先生は(私がいうまでもなく)そういう師をまったく持たずに、まさに前人未到の、未来がまったく見えない、誰もやったことがない弁証法の創出を、対象を究明するなかで反映してそれを弁証法としたのであった。つまり、ご自身のなかで、シャピローとその弟子の役割を一人二役されたのである。こんなことは常人のなせるものではない。

 理不尽なまでのしごきにあうと、たいていの人は自分かわいさのあまり、師から遠のいていく。
 誰もがたいていは、「練習すればうまくなる」と勘違いしているからだ。練習すればうまくなる、とは、半面の真理でしかない。

 これは一歩一歩歩んで行けば、エベレストの頂上に立てる、というような勘違いと同じだ。例えば、富士山に登るレベルなら、多少登山の練習をすればまず一歩一歩で頂上には立てるだろう。
 だがエベレストとなれば次元が違うのである。身体の能力を完璧に作り替えなければ無理である。

 真性の藝術の高み、学的弁証法の高み、武道の高みは、言ってみればエベレスト登攀の困難さ、厳しさに似ている。

 指導に理不尽と思うことには素人レベルではまあ根拠もあり、その弟子のほうがそのレベルではたぶん正しいのである。だが、そんな正しさなんかクソくらえ、なのだ。問題は自分が一流になるかどうかなのだから、いっときの自分の正しさなんか何の役にもたちはしない。

 それがシャピローのような指導者には経験的ながらも、わかっていたのであろう。その指導のありようを論理化することは望蜀であったが、世界に冠たる一流チェリストを輩出したのが、彼の指導が正しかったなによりの証左であった。

 だから、こういう鬼の指導に出会わない人は逆に不幸だと私は思う。それはせっかくの自分の人生を「積算」するチャンスを逃すからである。学問や修行を、「自由闊達」レベルで十分と捉えている人には、絶対に、何事かを成し遂げることはできまい。

 かかる論理からすれば、教育とは(あるいは指導とは)強制であることは明らかである。
 仲良しクラブで、お互い褒め合ってぬくぬくしたい人たちなら、どうぞ楽しくやってくれ。そういうブログも世間ではいくらでもある。

 話はやや脱線するけれど。
 戦前の日本軍が強かったのは、江戸時代からの武士の強靭な精神の伝統が培われていたことと、明治になって陸軍が範としたのがドイツ陸軍であり、海軍は英国艦隊であったからだろう。
 当時、陸軍ではドイツが、海軍ではイギリスが世界最高だった。その訓練の厳しさを日本に学び入れたことが成功だった。

 戦後に創られた戦争映画なんかでは、ハリウッドは当然としてドイツ軍が悪役にされ、ドイツ映画でも悪役ではないにせよ悲劇の軍隊みたいな描かれ方しかなされないのは残念である。
 ドイツ軍の軍人の訓練の様子を描いてくれる映画があると良いのにと思う。

 ただドイツ軍の行進や、整列の仕方、敬礼のありようなどから、それがいかに厳しい訓練があってのことかが想像できる。だから強かったのだ。武器弾薬され十分なら、ヨーロッパ戦線では無敵であったろう。

 なんどか本ブログで紹介したが、映画「海軍兵学校物語 ああ江田島」(1959年大映)の冒頭部分は、先輩が新入生を「挨拶の仕方」の指導でしごく場面で、あれは名場面である。
 冒頭の一部がYouTubeにある。
 http://www.youtube.com/watch?v=gcu4ZP5qTKQ
 
 上級生(1号・2号生徒)が下級生(3号生徒)を、声が小さいとか、はっきり発音しろとか、怒鳴りまくる。戦後生まれの軟弱な環境で育った人は、たまげるであろうし、なんて野蛮なんだと眉をひそめるかもしれない。上級生徒が理不尽にがなり立てまくっているようにしか思えないのではないか。
 もっと穏やかに説明したっていいじゃないか、あれじゃあ「無理偏にゲンコツ」だ、と。だから軍隊なんてろくなところじゃない、と。

 私のブログ記事「スジを通した音楽批評とは」に文句をつけてきた「元演歌歌手」氏は、あのシゴキが理解できまい。「なにをムキになっているんだ?」とキョトンとするだろう。
 あの訓練で、みんな実体も認識も図太くなったのである。だが、あのシゴキがなくなったから、日本はダメになったのだ。

 ぜひとも徴兵制を復活させないと…。
 
 ハーヴィー・シャピローもこの映画「ああ江田島」のシーンのようなシゴキを音楽生徒にやっただけのことだ。
 ついでながら、天寿堂の稲村氏も私も、わが空手流派でそうしたシゴキに耐えた経験を持っている。そういうことも分からずに、揚げ足をとったり、イチャモンを付けたりする幼児性の発揮には呆れるばかりだ。

 そういうシゴキを受けず、理解せず、新興宗教に逃げて「やさしく癒してくれ」と、みっともない主体性放棄をしておきながら、シゴキによって魂レベルのスピリットを獲得した人間に、「あんたは間違っている」とはよくも言えたものだ。






posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☔| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする