2016年02月02日

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 コメントの投稿ができないという苦情を何度かいただいております。申し訳ありません。どうもこのSeesaaブログの欠陥らしいので、引っ越し先を考えておりますが、目下いろいろ研究中です。
 それまでの間、バックアップ用に設定した以下のブログサイトからコメントを投稿していただけないでしょうか。
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posted by 心に青雲 at 10:00| 東京 ☁| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする

船員予備自衛官化を進めよう


 「これは異なこと!」と思わず呆れたのが、民間船員を予備自衛官化したいとする防衛省の計画に、海員組合が反発したと報道で知ったからだ。それを、サヨク毎日新聞は、行間に反日感情を滲ませて以下のように報道した。

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船員予備自衛官化「事実上の徴用」海員組合が反発(毎日新聞2016年1月29日)
 
 民間船員を予備自衛官とし、有事の際に活用する防衛省の計画に対し、全国の船員で作る労組の全日本海員組合が29日、東京都内で記者会見し、「事実上の徴用で断じて許されない」とする声明を発表した。防衛省は「強制はしない」としているが、現場の声を代弁する組合が「見えない圧力がかかる」と批判の声を上げた。

 防衛省は、日本の南西地域での有事を想定し九州・沖縄の防衛を強化する「南西シフト」を進める。だが、武器や隊員を危険地域に運ぶ船も操船者も足りない。同省は今年度中にも民間フェリー2隻を選定し、平時はフェリーだが有事の際には防衛省が使う仕組みを作る。今年10月にも民間船の有事運航が可能となる。

 一方、操船者が足りないため、民間船員21人を海上自衛隊の予備自衛官とする費用を来年度政府予算案に盛り込み、有事で操船させる方針。
 この動きに海員組合は今月15日、防衛省に反対を申し入れ、29日の会見に臨んだ。森田保己組合長は「我々船員の声はまったく無視されている。反対に向けた動きを活発化させたい」と述べた。
 申し入れでは防衛省幹部から「予備自衛官になるよう船員に強制することはない」と言われたという。だが、森田組合長は「戦地に行くために船員になった者はいない。会社や国から見えない圧力がかかるのは容易に予想される」と強調した。

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 いかにも新聞は、防衛省と海員組合の双方の言い分を、事実として取り上げているかに見える。しかしあからさまにこれは、海員組合の主張を正しいとして紙面に提供して、防衛省がいかに悪だくみをしているかと非難する目的である事がわかる。

 サヨクメディアの特質でありつづける「個人主義」の全面展開そのものだ。この記事を書いた記者もデスクも、要は国家は悪で、個人は自由でなければならないと信じ込んでいることは簡単に見て取れる。完全に国家とは何かのまっとうな認識が欠如している。

 船員の方のなかには、まっとうな人もいるだろうに。有事の際には一身をなげうち、「私」を一擲してお国のために馳せ参じると言う高貴な方もいるだろうに、この組合長は、テメエのわがままだけが総意だという。

 私は防衛省の計画は当たり前だと思う。おおいに推進すべきだ。
 こんな当たり前のことは、支那、韓国、北鮮、ロシアなどなどの脅威があろうがなかろうが関係なく、当たり前の国家態勢の整備である。

 大江健三郎や副島隆彦などは「戦争準備だ」とわめくだろう。そういうことをやると支那を刺激するとほざく。知能程度が低過ぎる。

 国家の存在あっての個人、この認識が悪い事のように私たちは戦後、教えこまれてきた。個人が大事で、国家は個人の自由を奪う悪いやつで、ないほうがいい存在と、反射的に思考してしまうように、私たちは刷り込まれる。
 その一つの現れが、俗のレベルでいえばオリンピックに出る選手が「楽しみました」と平然と言ってのけるあの風潮である。

 「兵隊にとられる」「税金をとられる」というのは、庶民にとっては実感レベルであろうし、実際、お上がほしいままに国民を勝手に利用する悪はある。
 しかし、にも関わらず、私たちは国家から離れては生きられない。
 この人間の定めというか、存在の根源を棄てようとしても棄てられないのに、あえてサヨクどもは棄てなければならないと暴言を吐く。

 そのくせ共産党が天下をとれば、国家意志のもとに国民を奴隷状態に押し込めるのだからタチが悪い。
 国家は悪だ、国家は廃絶しろ、まったき個人の自由を認めろという考えが、こうした組合などのサヨクの思いだろう。
 ならば問う。

 お前は、お金を使わないのか? 学校にも行かないつもりか。日本語も使いたくないのか、いや、そもそも言語は使いたくないのか。道路は舗装されてないほうがいい? 信号機もなくて交通ルールも邪魔か。電気もガスもいらないんだな。水道も下水もない社会がいいのか。人も勝手に殺せる代わりに、自分もいつ誰に殺されても文句も言わないのだな。自分の建てた家に、他人が押し掛けて住んでも構わないのか?

 と、こうなるのである。これが国家を否定した末路だ。
 船が航行できるのは、そこに海が広がっているからではない。国家があるから、その規制が行き届いているから安全に航海できるのである。その安全を確保しているのが国家であり、それを支えるために税金を払い、選挙で投票行動をし、航行のルールに従う。

 そもそも海員組合があるということは、自分勝手には船を浮かべて走らせることができないのを認めているのだ。
 大東亜戦争では多くの船と船員が徴用され、亡くなっているのは事実であるが、だからもう二度と徴用はダメだとする結論に導くのは、いたずらに敵国を利するだけ。無茶苦茶な短絡思考である。

 防衛省もこうしたサヨクの無理解、反国家主義に怯えて「強制はしない」と逃げるのがいけない。堂々国家の危機に際して、操船技術を持った船員がお国の役にたって、護るべきは当然だと言う論陣を張ってしかるべきである。
 私的感情や都合は排除されなければならないのである。

 先に言ったように、国家の恩恵を日にち毎日享受して生きていて、自己も成り立っているのに、「戦争だけはいやよ〜」とは、勝手過ぎる。
 海員組合の意向を無視するな、意見を聴けとはなんたる暴言。
 これは何も国粋主義でもないし、軍国礼賛でもない。国家とはの本質を捉えれば、有事に際して国民が軍に協力し、できるかぎりの奉公をするしかない。

 やや他事ながら、先の天皇訪比ではパラオに続いて、海上保安庁の巡視艇「あきつしま」がマニラに派遣された。パラオではホテル代わり、そしてパラオとフィリピンではタクシー代わりにヘリコプターまで天皇の自虐的な日本の英霊を貶める謝罪行脚に使われた。
 これはれっきとした「徴用」である。海保の船は天皇の物見遊山のために税金で作られたのではないからだ。

 これに対して、海員組合もサヨクマスゴミも、一言も問題にしない。天皇が国家元首という位置づけだから、徴用は当たり前としているのであれば、戦時に民間船員を徴用して何が悪い?

 災害があれば、炊き出しをし、寝る所を提供し、水を配る。誰に命令されなくても「お互い様」のココロで、助け合うではないか。それは困っている個人を助けるだけではない、社会を維持させるためである。社会が正常に維持されないと、個人の生活も営めないことを、誰もが無意識的にわかっているからである。
 日教組がいくら反日を刷り込もうとしても、ついに一端緩急あるときは、健全な国家意識、社会意識が国民の間に残る現実がある。

 船員が戦時に徴用されるのは、操船技術が高度に専門性があるからで、その特殊で有用な技術を社会の維持のために活用させてほしいからだ。人はその得意分野を生かして社会に役立っているのだし、それがゆえに社会で生かされる資格がある。

 大東亜戦争のとき、すべての家は夜間、灯火管制の下に置かれた。灯火が洩れれば、敵に空襲の目標を与えてしまうからだ。
 よくドラマなどでは、これは市民生活の圧迫だった、迷惑だったとする視点で描かれる。暗闇のなかでは生活しにくいから、登場人物が思わず愚痴を言う、電灯をつけると近所から厳しく注意される。
 なんて嫌な、相互監視の世の中なんだ、といった主旨でドラマに描かれる。

 ならば。俺に灯火管制を強制するな、おおっぴらに電気を点けさせろと言うのか? 電気を点けて生活したい俺たちの声を無視しているとでも言うのか?
 そんなことを許せば、灯りのついた家が敵の目標になって、周囲の家も空襲にさらされる。

 灯火管制も、戦時の船員徴用も、国家の存立という論理のなかでは同じことである。
 何度も書くが、国家の本質は他共同体との対峙である。人間は一匹狼としては生きられず、共同体と「直接」の存在である。共同体は必ず他の共同体との軋轢が生じ、対峙する存在となる。だから国家にならざるを得なかったのだ。
 右翼でもなんでもない。学問上の常識である。
 
 その本質論を把持しないで、個人の自由のみを言い募るのは愚の骨頂である。




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