2016年02月04日

音楽教育論(1/2)


《1》
 学校教育における音楽の授業は、多くの場合、音楽は音楽の勉強をすることだと思われていないだろうか。実際、私が小・中・高と受けてきた学校での音楽の授業はそういうものであった。上手に歌えればよし、音楽の知識があればよし、音符がわかればよし…。なので、以下、私が本当は受けたかった音楽の授業を、かくあるべしと述べる。そのいわばラフスケッチである。

 まず、小学校のうちは、歌や楽器演奏や鑑賞を楽しくやればいいと思う。音楽は好きになればいい。中学くらいからは音楽教育は本格化するべきであろう。
 音楽は世界を把握するための出発点であることを生徒に認識させなければならない。音楽を通して、人間とは何か、文化とは何かを学ぶのである。
 これがどういうことかを、これから説いていく。これを説くことで、なぜ学校教育に音楽が必須なのかが子どもにも親にも納得がいくようになるだろう。

 学校では、音楽を聴かされ歌わされるわけだが、そもそもその前に「音楽がわかる頭」にする教育がない。それをするべきだと思う。
 また音楽の授業は、音楽に親しむと“直接”(切り離せないこと)に「考える」ことを教えることでもある。国語も社会も、「覚える」ことばかりで、「考える」ことをあまり指導していないのではないか。音楽は歌い、演奏し、楽譜を読めるだけでなく、音楽を通して考えることがないがしろにされてきたように感じる。

 音楽はそんなものではない、楽しめばいいと言われるかもしれない。だが、ことは学校教育のなかでの音楽なのだ、それは性教育にも通じる問題提起になり得る。
 性教育も、日教組がやらかしているのは、性器のことや男女の体のこと、いわゆる性のことを知る、覚えることばかりで、「性」を考えることをしていない。それが問題なのである。
 以下、音楽教育を性教育と読み替えることもできる。

 さて、では。例えば。
 歌のある音楽と、歌のない音楽のちがいは何か。歌がある場合とない場合で、音楽はどのように人間の認識に反映するのか。ここを説くには人間にとって認識とは何かを踏まえなければならない。それがわかったとして、小学生のときに歌のある音楽を聞かせ、歌わせる意義は何か。成長過程にとっていかなる意義があるか。

 歌のない音楽を聞かせたり、演奏させたりする意味は何か。中学生ではどうか。高校生ではどうか。歌わせるのは何歳からがいいのか、演奏させるのは何歳からがいいのか、またその理由は、人間の成長過程の一般性を踏まえてどうなるのか。

 そもそも歌うことの意義は何か。認識の発達の面と実体(体の生理構造)の面へと影響は何か。実体面でいえば、歌うとき唇はどうするのが正しいのか。喉はどうか。立って歌うのと座って歌うのでは、実体にどう影響するのか。
 演奏するとは、認識と実体にどう関わるのか。ピアノが楽譜どおりに弾けることは重要だとしても、その演奏という行為は子どもの成長過程にどう関わるか。

 これらのことから音楽を通しての教育、認識と実体への関わりを子どもに理解させる。歌い、演奏することの楽しさを実感させつつ、なぜそれが楽しいと感じるのか、それがどう体や心の成長に有意義なことなのかを理解させる。

 以下、つづける。
 歌がうまい、とは何か。なぜ「うまい」と感じるのか。へたとは何か。音程はなぜ崩れるのか。崩れるときの認識は何か、実体はどう影響しているのか。
 人前でしゃべったり歌ったりすると「あがる」ことがある。
 「あがる」とはどういう状態か。認識の問題か、実体の問題か。
 音痴とは何か。なぜ音痴になるのか。音痴は先天的か後天的か。後天的なら、どうやって音痴はつくられるのか。どうしたら直せるのか。音痴は認識の問題なのか、それとも実体の歪みなのか、実体の歪みとしたら、実体のうちのどの部分がどう関わるのか。放っておくことはいいことなのか。音痴になると、いかなる社会関係の問題が生じるか。そこから、人間にとって社会とは何かを学習することができる。

 これらを学習することで、人間の技化過程(習得過程)とは何か、どうあるべきかが学習され、他のスポーツや習い事、勉強に応用できるようになる。人を好きになること、異性とつきあうことも、一種の対人関係の技化の過程が必要だから、そうした技化過程ぬきに単純に好きになったからキスしていい、とはならないことを学ぶことに通じる。 

 レコードとCD と生演奏では何がどうちがい、それが人間に与える認識への働きかけはどう変わってくるのか。音の「質」とは何か。そこを踏まえて、では人間はどのような反映の「質」を追及するべきなのか。音楽だけではなく、当然人間関係の学習そのものにストレートに関わる。人間性の質、文化の質にも関わる学習になる。

 性教育であれば、異性との恋愛=ふれいあいを、人形で学習した場合と、本で学習した場合と、映画やテレビで見て理解した場合では、何がどうちがうのか、どうあれねばならないのかを学習することになる。
 
 歌唱力とは何か。上手に歌えることか。力強い声が出ることか。歌唱力があがるとはどういうことか。歌唱力がつくとは、人間の内臓(肺や心臓)、血液、神経にどう影響するのか、あるいは内臓の実力は歌唱力にどう影響するのか。
 亡くなった本田美奈子が「歌唱力抜群だった」と褒めそやされるが、その意味はわかって使われているとは思えない。概念のないところに言葉がやってくる、の典型である。

 演奏する楽器によって、足を使わない楽器、手だけ使う楽器、口を主に使う楽器などがあり、これは人間の生理構造にどう影響するか。人間の生理構造をふまえると、どういう楽器を習わせることが子どもにはふさわしいのか。

 和歌や詩吟、長唄など邦楽を朗詠するとはいかなることか。西洋音楽とは形式だけでなく、どのように人間の認識や実体に関わるのか。どうして邦楽は日本独自のものに育ったのか。歴史や地理の学習につながる。

 合奏とは何か。合唱とは何か。どのように生成し発展してきたのか。単独で歌う(演奏する)場合と、合唱(合奏)の場合のリズム、メロディー、ハーモニーはどう形成されるのか。リズムやハーモニーは人類史のなかでどのように発見されたのか、それはどういう必然があったのか。

 国歌とは何か。国歌にみられる格調や威信とは何か、どう感じなければならないか。国歌には国家の精神が表明されているが、それはなぜか。君が代は世界の国歌のなかで、どのように評価するべきか。どんな精神が君が代にはこめられているか。先進国と後進国の国歌は何がちがうか。それはなぜか。この学習から、国家とは何かを学習するとともに、人間が国家とは離れて生きていけないことを自覚していくべきである。

 宗教音楽とは何か。信じるとはのイメージ形成につながる。決してキリスト教の信仰を勧めることではなく。端的には「信じる」とはいかなる認識か、を理解することであり、親や先生を信じた場合と信じないで自分勝手に勉強したりした場合の違いを理解させることにつながる。同じように…、異性を信じるとはどういうことか。また、異性に信じてもらえる人間になるのはどうするのか。
 
 音楽は人間社会でどのように発生し、発展してきたか。宮廷音楽の発生と発展、民謡の発生と発展を理解する。では校歌とは何か。なぜ校歌があるのか、その前になぜ人類は学校を発明することになったのか。学校の目的とは何かを理解したうえで、校歌の意義を理解させたい。

 これは性教育でも同じで、学校とは何かを踏まえて、学校で性を教えることの是非如何が問われ、性教育が行われるとしたら、どのような観点で教育されることになるのか。学校とは何かを踏まえないと、どういう性教育になってしまうか(これは生徒に言う必要なし)。人間は性をどのように捉えてきたか、その歴史性を教育することである。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☁| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする