2016年03月21日

動物実験の闇(1/2)


《1》
 私は昔から化粧品を使ったことがない。男だからまあ当たり前ではあるが、整髪料もなし、スキンケアもなし、ひげ剃り後もなし、歯磨きすら何もつけずにブラッシングだけ。シャンプーは使わず石鹸で頭も体も洗う。ドライヤーさえ持っていない。自然のまんま。
 粗塩で顔を洗うとか、梅干しを日本酒に漬けた液を顔に塗ると良いと言われて、試したことはあるが、面倒なので止めてしまった。

 女に生まれなくて良かったとつくづく思う。女性は化粧品をまったく使わないわけにはいかないのだろうから、苦労が多いだろうし、出費もバカになるまい。化粧を止めろとはいわないけれど、いつも内心ではいかがなものか…とうめいている。

 テレビを見ていると、女性向けの化粧品のCMは怒濤のごとくあふれている。これでもかこれでもかと新商品が発売されて来る。すべての商品が、これまでより良くなった、もっと美しくなる、肌に優しい、などなど口上を述べている。
 しかし…。化粧品会社が新商品を開発するのに血道をあげているそのバックで、多くのいたいけな動物が残虐な目にあっていることは、いったいどうなのだろうか。

 昔、たしか女優ブリジッド・バルドーが、日本女性に対して、毛皮を身にまとうのはやめたらどうかと非難の声をあげたことがあった。日本の女は、カネがあるからといって、キツネやテンなどの毛皮を好んで買い漁るが、動物がかわいそうじゃないかという理屈だった。日本側はうやむやで終わらせたかと思う。
 また彼女は、中共の江沢民に宛てて雑誌に公開書簡を発表した。支那ではで媚薬のために熊や虎、サイが殺されており、それに抗議したのだった。

 日本の女たちは、日にち毎日、もっときれいになれる化粧品を求めて血眼である。化粧品を開発するには、膨大な数の動物、例えばウサギを実験台にして、その新開発の化粧品でかぶれたり癌になったりしないように試さなければならないのだ。
 ウサギは身動きができないように、首輪で固定され、餌だけ与えられる。因幡の白ウサギみたいに毛を削がれて、そこへ化粧品を毎日塗りたくられる。

 その実験データを、化粧品会社は厚生省などに出して販売許可をもらう。客によっては皮膚のトラブルも起きる可能性があるが、揉めたら、いえ、これだけ動物で実験して安全を確認してます、と答えるために、何百匹だか何千匹だかのウサギちゃんが犠牲にされる。

 若い人は、テレビ局とか広告代理店とか、化粧品会社に就職したがる。給与はいいし、友だちに自慢できるだろう。でもその背後で動物をアウシュビッツみたいに痛め付けている部分があるということに、思いをいたしたことはあるのだろうか。「わたしには関係ない」と言いきれますか? 涙さえながせないで、苦しみながら死んで行くかわいいウサギたちの姿が目に浮かびませんか?

 そんな嫌な想像はしたくありませんか? 自分さえ美しくなれればいいですか? 昔(江戸時代)の女は、顔は米糠で洗い、髪も糠や汚れを落としてくれる木の実なんかで洗っていただけですが、そんな時代とは違うといいますか?

 『医療の犯罪 1000人の医師の証言』(ハンス・リューシュ編 三交社)この本では、多くの(1000人にも達する)医師が、動物実験、動物生体解剖は、医学医療にまったく貢献しないどころか、かえって危険な薬を作りだしているとして、批判、告発している。

 「生医学研究において、動物実験ほど、まやかしであるものは他に見つけられない」
「生体解剖の有用性は、はっきりしていない。動物に実験した製品(薬)は人間には効果のない結果しか生まない」
「動物実験は、人間に間違った、あるいは結論の出ない結果を提供し続けているということを、我々は薬害から思い起こす。ありていに言ってしまえば、動物実験は科学ではない。」

「多くの癌研究は詐欺であり、主要な癌研究機関は、研究者らを支持する人々に対しての義務に無責任である」
「癌研究には膨大な数の動物を使ったが、何一つ具体的な成果があがっていないといっていい」

 こういう証言が延々と続く。外国人の著作によくあることだが、証言の羅列で、論理的展開がほとんどないのは飽きるけれど。

 BCGは、結核のツベルクリン検査で確か陰性になると予防接種させられるものだが、これがなんとウソだったのだ。WHOとインド医学研究調査委員会が調査したところ、BCGが結核に対して何の保護効力もないことが立証された、という。
 狂犬病も、予防接種は効果ないそうだ。そういうことも書いてある。

 「世界中で何百万という人々が飢餓に苦しんでいるとき、そして我々の経済状態がこのように困難なとき、アメリカ議会は目的もない動物研究に、毎年何十億ドルという助成金を計上している」
「動物実験は法的理由でなされているのであって、科学的理由でなされているのではない。このような研究が人間に与える価値は意味のないものが多い。」

 では何のために動物実験が行われるかというと、どの先進国も事情は同じで、医学論文、博士論文には、動物実験のデータを付けないと、そもそも提出させてもらえない仕組みになっている。新薬の開発も、動物実験が不可欠になっている。そう法律と慣習で決められているのだ。

 その理由は、動物実験をするシステムで儲かるようになっているからである。動物輸入業者、飼育業者、販売会社、実験動物の死体処理会社、そしてそれを許可する官庁、リベートで潤う医者、学界。はては新薬や新しい医療機器を次ぎから次に開発しなければならない製薬会社などが儲けるためなのである。

 つまり花粉症とか、インフルエンザとかをそもそもどうやったら作りだせるかを、医者や製薬会社は研究し、大量の患者をつくりだしておいて、そこから新薬をつくるためにこれまた大量の動物を実験と称して購入し、虐殺するのである。決して困っている患者がいるから、ではない。

 患者をつくりだし、大量に薬を消費させないと儲からないから、新薬や新医療を開発する。
 医者にしてみれば「風邪なら暖かくして寝ていれば治りますよ」では商売にならない。次々に患者に薬を与えないと病院は成り立たないのだ。
 抗がん剤などはその典型である。癌に効きもしないのに、これがダメなら別の抗がん剤をと試していって、さんざん薬で儲けておいて、患者副作用で苦しめばさらにあれやこれや薬を投与し、…最後に死ぬのである。



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(3) | エッセイ | 更新情報をチェックする