2016年03月23日

「なでしこ」落日の責任はどこに


 女子サッカー「なでしこジャパン」は、リオ五輪予選に敗退して、佐々木監督が退任、かつての主力メンバーも引退が報道されている。「スポニチ」紙3月8日付【なでしこ落日】という記事で、スポニチはチーム内外にあった問題点を検証するとしていた。その一部を引用する。

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 転落の始まりは、4年前にさかのぼる。12年ロンドン五輪。選手も指揮官も、そのメンバーで戦う最後の大会と信じ、死力を尽くして戦った。初の銀メダル獲得に沸いたが、その直後に状況は暗転。同五輪で勇退するはずの佐々木監督が一転、残留となった。そこから不協和音が流れ始めた。

 選手と監督の微妙な距離感は、大きな溝に変わった。互いに歩み寄ることができず、指揮官は選手と一線を引く。「冷たい」「もっと見てほしいのに」と選手が訴えても、指揮官は「おまえらは俺から何を言われても聞かないだろ」と吐き捨てたこともあった。11年W杯ドイツ大会では東日本大震災などの映像を見せるなど、女心の分かるモチベーターだった指揮官の求心力は急降下。かつて「ノリさん」と慕われた指揮官は「選手が“ノリオ”と呼ぶ。リスペクトがない」「俺をバカにしている」などと話し、冷戦状態に陥っていた。

 意思疎通も欠如していた。ある主力は「外される理由を言ってくれるだけで違う」と言う。多くの若手を試すため、指揮官がメンバーを入れ替えることは仕方ない。だが、最大の功労者である澤さんにも、選考漏れの続いた1年間、その説明は一切なかった。今予選も「ベストコンディションではなかった」と説明されて選考外となった安藤の状態も問題なかったという声もある。

 「選考が謎すぎる。本当に戦えるの?」と主力がつぶやく中での直前合宿。25人から20人へメンバーを絞り込んだ際は宿舎でのメンバー発表は行われず、落選者にだけ通知された。その5人を知らない20人がいきなり見送りをさせられるなど一体感を欠いた。

 9年続いた佐々木体制。4―4―2に固執した戦術は、アジア諸国にまで研究し尽くされていた。メンバーも戦術も変わらない“マンネリ化”が招いた悲劇。その根底には選手と指揮官との溝があった。(特別取材班)

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 新聞は、事実よりも読者が喜ぶもの、納得する記事を書くものと相場は決まっている。五輪予選敗退となれば、選手や監督に非難を集めて、よく言われるように「戦犯」探しを始めるものである。読者はそういう「戦犯」の記事を読んで「わかったつもり」になれる。
 「なでしこ」の場合は、佐々木則夫監督を「戦犯」に仕立てようという意図が見え見え。

 退任する監督にはいくら悪口雑言を言い散らしても、読者受けさえすればいいという魂胆。
 新聞の底意への留保はつけつつも、これが事実だとすれば、今度の敗退は必然だったようだ。この記事で読むかぎり、むしろ悪いのは選手のほうではないのか。

 だいたい、女子のスポーツ選手を指導するのは至難の業である。わがまま、嫉妬深い、妬み、そねみ、派閥をつくる、互いに足を引っ張る、チクる、実力ないのに目立ちたがる、すぐ自惚れる、指導者を独占したがる…などなど、それはもう大変な“生き物”なのである。
 しかも、女の集団を男が指導し率いるにあたっては、「女心」だけでなく「カラダ」が違うので、男にはわからない。メンスのときの気分なんてものは、男にはわかりようがない。

 それが一般性である。だからスポーツ記者ならば、そうした取材対象の女たちに関して、もめごとがあるのは簡単にわかっているだろう。このスポニチの記事のような事実はどこにでも、いくらでもあって、いっかな珍しい話ではない。女のいるところ「不協和音」がないわけがない。

 したがって、そうした女の軍団を率いるには、絶対君主になるしかない。甘い顔をしたら、ただちに選手に舐められ、侮られる。絶対君主になったらなったで、すさまじい陰口に晒されることは覚悟しなければならない。それにひるむことなく、女たちを従わせるには、そうとうのコツが必要だろう。

 ある選手が「外される理由を言ってくれない」と文句を言ったとあるが、監督がそんなことを言う必要はない。何を勘違いしているのか。世界レベルの競技で「民主主義」が通用するか。この愚痴を「うんうん」と共感して聞いていた新聞記者も何もわかっていない。
 選手が試合で外されたのなら、自分の実力がないだけのことで、悔しかったら努力して認めてもらえ、で話は終わりだ。

 「冷たい」「もっと見てほしいのに」も同様の、甘ったれたもの言いである。ただの愚痴。こんな甘やかされた環境では、負けるのは当たり前だ。
 しばらく前に女子柔道の選手が、合宿で暴力を振るわれたと訴え、マスゴミが騒ぎ、たしかコーチのクビがとぶ事件が起きた。
 暴力の程度にもよるけれど、世界中でW杯やオリンピックに出て来る選手は、しごきにしごかれて、それに耐え抜いて出て来るものだ。

 それが嫌なら、一流選手になる夢はあきらめなさい、というまで。
 これだから日本人がやわになる。徴兵制を復活させて、軍隊並みのしごきが当然の社会に戻らないかぎり、「日本を取り戻す」ことなどできない。
 女子サッカー界で想像できるのは、国どうしのすさまじい嫉妬、憎悪の感情でのぶつかりあいだ。人種偏見も加わるし、前回負けていれば復讐心も強烈になる。

 しかもサッカーは選手同士、カラダがガチでぶつかり合うのだから、テニスやバレーボールみたいにコートが分かれていないだけに、優しい心根の女の子では務まらない。監督がもっと優しく接してくれたら…などと甘い認識でいては、勝てるはずがなかろう。
 たぶん、佐々木監督が「なでしこ」を率いて優勝したW杯ドイツ大会やロンドン五輪銀メダルあたりまでは、その意識が徹底していたから勝ち抜けたのだろう。

 だが、このスポニチの記事にあるように、新聞記者が多数頻繁に接してくるようになり、愚痴を聞いてまわる。いやがうえにも選手はチヤホヤされるようになった。選手にしてみれば、記者たちが愚痴と不満を聞いてくれる。監督の頭を超えて、サッカー協会の偉いさんに声が届けばしめたもの、と監督批判をするようになる。
 新聞記者は、要するに読者が喜ぶ記事さえ書ければいい仕事だから、無責任に、選手達の愚痴を聞いて回る。

 その結果、選手は精神の牙がにぶくなっていったのだ。それでなくとも、女は先に述べたように文句垂れなのだ、それを言わせない(蓋をする)指導が必要なのに、新聞がチヤホヤしてその蓋を取り除いてしまったのだろう。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする