2016年04月04日

歴代法相の死刑執行一覧表の陰謀


 3月25日、大阪市の小学3年生女児ら女性5人がバラバラで殺害された事件(1985〜94年)の死刑囚・鎌田安利の死刑を執行したと発表された。同時に看護婦らによる福岡連続保険金殺害事件で3人を殺した吉田純子死刑囚も処刑されたという。
 こういう残酷な殺人をやるのは…おそらく在日であろう。

 毎日新聞でこのニュースを読んだが、記事では「岩城光英法相が命令した」「第二次安倍内閣発足以降では9回目で、計16人が執行された」と書き、さらに「法相別の執行命令数」が表となって掲載されている。
 いつも新聞では死刑執行がされると、1面で大きく扱われ、こういう歴代法相の死刑執行一覧が掲載される。

 このサヨク新聞の意図はあきらかに死刑反対の世論を作りたいのである。「安倍内閣で9回目で、計16人が執行」とは、いわなくていい事実である。なんでわざわざ言う必要がある? 法で裁かれた死刑囚がやっと処刑されただけのことで、きちんと法が護られている、それだけのことなのに、言外に安倍首相はほら、死刑をこんなにたくさんやる残酷な奴だというニュアンスが滲んでいる。

 どうしても新聞記者はアタマがわるいので、こういうバイアスをかけた数字しか書こうとしないが、あの残酷な事件の背景や概要を書くとか、裁判でどんなやりとりがあったかとか、死刑囚はどんな態度だったかなどを取材して書けよ。あるいは、死刑囚は判決確定してから何年も刑務所で只飯を食わされて延命できるのはなぜなのかという問題を扱ってもいい。

 それにいつもの「歴代法相の死刑執行一覧」がくせものだ。誰が何人の死刑を執行したかを見せる必要はない。鳩山邦夫が13人も殺した、仙谷由人は一人も殺さなかった…などと言いたいのである。
 まあわずか1カ月しか任期がなかった法相はともかくとして、仕事をやらずに死刑囚をほったらかしにした奴のほうが悪い。刑が確定したら、有無を言わさず執行すべきだ。何年も無駄飯を税金で食わせるな。
 判事、検事、警察、弁護士などがたくさんの税金を使い、時間を費やして考え抜いて出した結論を、法相が勝手に放置する権利はない。努力している法曹界や税金を払っている国民への侮辱である。
 死刑を執行する刑務官も社会のために嫌な仕事を引き受けてくださっている。その尊い気持ちをもっと尊重すべきではないか。

 法相になれば嫌でも死刑執行の命令を出さねばならないのに、善人ぶって「死刑反対の信念で」とか「クリスチャンだから」などと言う奴は法相になる資格がない。死刑反対論者はそもそも国会議員になるな。法の番人たるべき者が、法を守らないのだから呆れる。

 国会議員に選ばれるのは、死刑執行も含めて法をねじ曲げない、自分の感情で歪めない約束の上で立候補し、選んでいただくのだから、そこに好き嫌いだの信条だのを入れる余地はない。むろん国会で、死刑制度に付いて議論することは構わないし、死刑反対を掲げて国会議員に立候補しても構わないが、現状ある法は変わらないかぎり護らなければいけない。
 こんな明白なことすら分からずに議員になり、法相になるのか。
 
 「歴代法相の死刑執行一覧」は新聞記事に不要だが、もし出すなら、命令ゼロだった怠け者か卑怯な法相はどいつだったかを出して、議論の参考にするならいい。法相は最後の決定をするから慎重に…と言うのは欺瞞である。法相が真剣に一つひとつの死刑事案を検討していると? ウソつけ。

 法務大臣が死刑執行のハンコを捺せば、のちのち新聞が歴代法相の執行数一覧表を、死刑のたびに掲げて、記録と記憶を引っ張り出すからだ。誰それは3人だった、誰それはゼロで、心やさしい人だった、と言わず語らずのうちに表が示してしまう。へたすりゃ孫の代まで祟る。

 それが嫌で法相は執行命令から逃げる。また新聞は法相が嫌がることをわざとやって、プレッシャーをかけている。ただの何気ない一覧表ではない。
 新聞が死刑制度反対を掲げるのも、それは一つの意見だから結構だが、こういう姑息極まる記事の体裁で、執行をためらわせ、世論を死刑廃止に持って行こうとするのは間違いである。

 死刑制度は民主的手続きで決められたことなのだ。マスゴミやサヨク日弁連は、現今ある死刑制度を護るなと抜かすけれど、それは民主主義の否定である。「民主主義って何だ!」などとアホを叫ぶ一方で、民主主義で決まった法を破れというのはスジが狂っている。

 私は日本の死刑制度は一応優れていると思う。人を殺めたら、自分の命で償うしかない。この原則だけでいい。安楽死殺人や身を守る過程でやむなく殺してしまった場合は、情状酌量すべきだが。
 先きごろ、三鷹女子高生ストーカー殺害事件で、犯人の池永チャールストーマスが懲役22年の判決がくだったが、とんでもない、身勝手に人を殺した以上は死刑が相当である。

 今は人殺しでも複数でないと死刑にならない。そんなバカな。これはサヨク日弁連の陰謀である。明治時代につくった刑法を未だに(微調整しながらも)変えないのはおかしい。明治時代とは国民の認識も違えば、日本人の寿命も延びている。それに朝鮮人や支那人が大量に住み着いて悪さをする。

 日本人が懲役10年の刑ならば、外国人はその倍にする刑法があってもいいではないか。
 大事なことは罪を償わせるだけでなく、犯罪の抑止なのだから、外人は刑が重くなるとしたら、それは抑止になり得るだろう。

 日弁連や裁判官が、死刑に反対し、甘い判決を出すのは、彼ら業界が在日に汚染されているからで、日本では同胞在日の犯罪が多く、殺人事案があふれているからだ。できるだけ同胞を助け、日本社会を汚すのが彼らの陰謀だからである。
 それに彼ら法曹界の連中もマスゴミも狂っているのは、個人中心の考え方に染まっているからだ。

 強盗殺人犯であっても、個人でみれば生きているし、家族はいるし、かわいそうだとの感情が湧くのは分からぬではないが…。
 なぜ死刑があり、法があるかが分かっていない。個人はほとんど関係ない。社会、国家、それを健全な状態に維持する、端的にはそれだけが大事なのである。だから犯罪を犯したものは社会が裁いて処罰するのである。むろん殺人がもっとも社会にとって重大な行為だから、最高刑たる死刑を以てするのだ。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☁| Comment(10) | エッセイ | 更新情報をチェックする