2016年04月08日

アメリカ戦争映画の傾向の考察


 戦争映画『フューリー』と『アメリカン・スナイパー』をDVDで2本見た。アメリカの映画である。
 『フューリー』は2014年作で、ブラッド・ピッド主演の戦車もの。第二次世界大戦の超末期(1945年4月)、すでにドイツ国内に侵攻した米軍の戦いが描かれる。Furyとは「憤怒」という意味で、主人公の乗る戦車に付けられた名前。
 米軍シャーマン戦車と、ドイツ軍のティーガー戦車が激突する。

 以下の公式サイトで予告編が観られる。戦闘シーンはド迫力である。
http://fury-movie.jp/
 映画で使われたドイツ軍のティーガー戦車は現存する唯一の走行可能な戦車で、それだけでも見応えがある。
 当時米軍のシャーマン戦車はドイツ戦車に比べて脆弱とされ、苦戦した。ティーガー戦車1台をシャーマン4〜5台でやっと打破できたとされる。

 『アメリカン・スナイパー』も2014年作で、ブラッドレー・クーパー主演。監督はクリント・イーストウッド。イラク戦争を描く。主人公は海兵隊のスナイパー(狙撃手)として4度の派兵に及んだ。米軍史上最多の160人を射殺した実話の男をモデルにしている。
 公式サイトはこちら。
http://wwws.warnerbros.co.jp/americansniper/

 戦争映画は好きで、よく観てきた。ドンパチやるのもあれば、スパイ戦もある。自分が戦争に行ったことがないのだから、せめて迫力ある映画で仮想体験するしかない。
 多数観てきたなかで、最高傑作をひとつだけ挙げるとしたら、1965年制作の『アルジェの戦い』だろうか。高校時代に観て大変衝撃を覚えた映画だった。アルジェリア独立運動をドキュメンタリー・タッチで描いた戦争ドラマだった。

 『アルジェの戦い』のなかで、フランス軍に捕らえられたアルジェリア解放戦線の戦士が、司令官に尋問される。「お前らは無辜の市民を標的にしたテロをやるのは卑劣だ」と詰問すると、戦士は傲然と「俺たちに、お前等のように爆撃機があったら、それでパリを空爆しているさ」と答えるのである。正論だった。 
 軍事大国は爆撃機を使って、無辜の市民を殺戮しておいて、独立戦争を戦うゲリラにはカネがなくて爆撃機は使えない。

 それ以来、私はテロというものを一方的に非難する気になれない。
 シリアでもイラクでも、米軍、ロシア軍、フランス軍、みんな爆撃機、ミサイル、無人機を飛ばして、兵員と非戦闘員の区別なく殺しておきながら、テロリストがパリのキャフェを爆破するのは卑劣だとは言えまい。テロが卑劣なら、女子供まで殺戮する爆撃だって卑劣である。

 米軍は今もアフガンやシリアで無人機を飛ばして爆撃しているが、遡れば大東亜戦争で日本の都市を空襲し、原爆を落とし、ヴェトナム戦争ではジャングルをナパームで焼き払い、枯れ葉剤を撒いた。
 兵器で非戦闘員を殺したくせに、テロは卑劣だとよく言えたもんだ。

 むろんどちらも、悪いというなら悪いけれど、戦争とはそういうものだ。
 映画『フューリー』のなかで主人公がこういう。「理想は平和だ。だが歴史は残酷だ」と。私たちはいわば歴史のなかに生きているというか、やがて歴史となる今を生きている。だから常に残酷な現実を突きつけられる。それを嫌です、と言っても意味がない。

 ずいぶん長いこと戦争映画を観てきたけれど、昔はアメリカは善でナチは悪、あるいはアメリカ騎兵隊は善でインディアンは悪、そのワンパターンであった。
 しかし、いつのころからか…たぶんヴェトナム戦争の映画あたりからだろうが、単純にアメリカは常に正義で、明るく、道徳的に戦って勝つ話にはしなくなってきた。

 アメリカ軍部の闇、兵士の心の病いなどに焦点を当てるようになっているような気がする。むろん基調はナチが悪で、敵が負ける話にはなるが、ナチの側にも心はあったとするストーリーになってきた。
 冒頭に言った『フューリー』にしろ『アメリカン・スナイパー』にしろ、単純な勧善懲悪の物語ではない。登場人物の心理が昔より陰があるのだ。
 昔の『史上最大の作戦』とか『ナバロンの要塞』なんかはドンパチを観て、「ああ、スカッとした」といいながら映画館を出て来るので良かったのだが…。

 もしかするとこういう傾向は、日下公人氏が説くように、今のアメリカ人の若者は、日本のアニメを観て育った世代になってきたせいかもしれない。日下氏は、日本のアニメも戦うのだが、最後は仲良しになって終わる、そこ欧米の話と違うところだ。むこうは徹底的に殺し尽くしてどちらか雌雄が決するまで戦いぬく。皆殺しの思想である。インディアンに対してそうだったように。

 それが日本のアニメでは敵同士が、仲良くなって終わるのだ。それに影響されないわけがないと日下氏は言っている。例えば「ワンピース」なんかがそうだと。面白い考察だった。
 しかしそれよりも、昨今、アメリカは自信をなくしている。パパブッシュがやらかした湾岸戦争では国民は湧いたが、ジュニアブッシュがやらかした自作自演の9・11テロから始まるイラク戦争、アフガン戦争で事実上アメリカ軍は敗北し、すごすご撤退している。

 そうしたアメリカの軍事的退潮に加えて、国内の所得格差の広がりで若者の多くに希望が見えなくなっている。大学にはみんな行きたがるが、行くには莫大な学資ローンを組み、一生かかっても返済できるだろうかというほどの借金を抱える。
 大学を出ても、首尾よく金融界に行くか、弁護士になる以外にはまともに夢が描ける産業はない。

 だから、アメリカ人たちは、おれたちの過去はなんだったのかと思うようになっている。それがドナルド・トランプのような「偉大なアメリカを取り戻す」とか「利益はアメリカだけで占めよう」などというスローガンが支持される背景だろう。
 その内向きさが、戦争映画にも微妙に反映されるようになったのではないだろうか。

 行け行けドンドンで、戦争をやってきたが、その内実はなんだったのかと、若い世代は問いかけるようになったのだ。いくらかはまともになってきたか…。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☁| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする