2016年05月20日

生理的に受けつけない文章(3/3)


《4》
 『誇り〜 伝えよう この日本のあゆみ 〜』は、30分弱のアニメで、第一次安倍政権のころ、文科省の教材として採択されるはずが、反日勢力に潰されたいわくがあるアニメだそうだ。
 YouTubeで見られる。

 物語は、現代っ子の典型であるある少女が、日本の近現代史に関心を持つ青年と出合って、彼から明治以降の歴史の概略を聞くのである。
 青年は少女を誘って靖国神社を参拝し、こう言う。
 「敗戦によって、アメリカにいたぶられ、日本人は自虐史観に犯されて、それが日本人から自信と誇りを奪っている」と。

 少女が尋ねる。
「国のために亡くなった人たちが、今の日本を見たらどう思うかな。こんな国にするために俺たちは戦ったんじゃないって、きっと怒るよね。私がいうのもなんだけど、なんか最近、世の中荒んでいるし…」

 それを受けて青年はこう言って、立ち去っていくのだ。
 「もちろん、問題はたくさんあるけど、それでも焼け野原だった状態からここまで国を立て直し、今も平和を守っている国を誇りに思っていると思うよ。ただ、もっと日本に大切にする心を持ってほしいと言うだろう。
 かつての日本は美しい国だった。自然の恩恵に浴し、神様に感謝し、四季折々の季節を楽しむ豊かな心があった。人を思いやり、礼儀や作法を重んじる国、今はそういう心が失われている。」

 実はこの青年は、少女のおばあさんの兄で、特攻で戦死した霊魂だったとわかって終わるのだが、味わって欲しいのは最後の言葉だ。
 「かつて日本は美しい国だった。人を思いやり、礼儀や作法を重んじる国」だった、と。

 人様のブログにコメントを投稿するとか、論争を挑むとかする際に、2チャンネルが典型であるが、文章も態度も美しくなく、人を思いやる心もない、揶揄、罵倒、卑小、嘲り…礼儀も作法も踏みにじってくる者がいる。しかも自分は匿名で。こういうのを、汚い言葉で申し訳ないが「ブタ小屋」だと言うしかない。

 自分と異なる意見やものの見方が存在することや、相手にも一定の理があることを頭から認めず、レッテルを貼って貶価する。自分の主義・主張を訴えるなら、自分のブログとか本をだすなどして、江湖の評価を得たらいいだけのこと。

 自分が気に入らない、わからない論理や認識を引きずり降ろす狼藉を平然とやらかす。自分が正しいと思うなら、相手を思いやらずとも構わず、礼儀も見識も必要ないとする態度である。
 こういう輩が吐き出す罵辞は見ないことにしているが、うっかり見てしまうと、その文字の奥から吹いて来る荒涼たる陰風にうそ寒くなってくる。
 こんな輩が跋扈する社会になったことを、英霊たちは悲しんでいると思う。

 昨日もしたためたが、以前から私はこういう輩とは関わらないと宣言してきている。生理的に受けつけないのだ。論争を挑まれているのに、逃げるのかという人もいるらしいが、大間違いである。読む気にさせてくれないほうが悪いのに、逃げるも逃げないもない。人に反論する、質問をする場合、日本人なら文章も美しく、人を思いやり、礼儀を重んじていなければならぬのだ。

 高級レストランは客にも厳しくマナーを要求し、スーツにネクタイ着用でないと入店させないほどだ。それをホームレスの格好でやってきて異臭を放ち、カネは払うから食わせろと言って、通る話か。

 ところが「そんなの関係ねえ♪」(芸人小島よしおの台詞)とばかり、意見交換できればいい、先輩だからいい、触発されればいい、と言うのなら、それはドナルド・トランプさながら、言いたいことを言って何が悪い、の態度である。あるいは「愛国無罪」を叫んで日本大使館に汚物を投げつける支那人と同じ。
 いったい昔の「美しい日本」を創ってきた先達が聞いたら何と言うだろうか。

 日本で知識人なるものは、外ズラは正義をかざし、無欲を衒い、人格者のように振る舞うけれど、常に己れを高しと自認する(自惚れる)ために、必ず他者を侮蔑し擯斥(ひんせき)する。実に醜い、それの極端に露骨なのが2チャンネルに投稿する者である。また人様のHPやブログを荒らし、貶価せずにいられず、揶揄するを好むものが後を絶たない。一種の嗜虐症ではあるまいか?
 かかる者を相手にすれば、それは相手と同等と見られることになる。

 大学などの学術世界は、学問の府ではなくて、互いに激しい足の引っ張り合い、嫌がらせ、嫉妬、妬み、抗争の絶えない地獄である。
 私も編集者という商売柄、多くの大学教官と仕事で付き合った。「大学教官は、好きな研究ができていいですね」とうらやましがると、「君ねえ、それは大学の内実を知らないからだよ」と言って、いろいろ愚痴を述べるのだった。

 地獄と言えば、山本鈴美香さんの漫画『エースをねらえ!』に忘れられないエピソードがあった。亡くなった宗方コーチの親友の坊さんが、主人公(岡ひろみ)に“天国と地獄には同じものがある”と説くのである。
 同じ物とは、ご馳走の入った大きな皿と、人間の身長より長い箸。天国でも地獄でも、人々が車座になって座っている。その中央に、ご馳走の入った大きな皿がある。そして、座っている人達が長い箸をもっている。

 違いは、地獄では人々は我先にと、ご馳走を箸でとって我先にと自分の口に持っていこうとする。けれど、箸が長すぎて口に届かない。だから、ケンカが絶えず、いつまでたっても誰もがお腹を空かせている。
 一方、天国では、箸でとったご馳走を互いに「あなたから先にどうぞ」と、向かいに座っている人の口に入れてあげる。だから、みんなが穏やかで、ちゃんとご飯を食べられる。

 うまいことを説くものだと感心した。つまり日本の大学が地獄とはこういうことを言う。
 その地獄の様が個人ブログにまで及ぶ。人様のブログにケチをつけるだけに夢中になる輩は、地獄の住人である。日本人の良さはこの天国の住人のようであるからだ。

 大学の例は世間一般の話である。そういう世界に足を突っ込めば、マスゴミに登場できて、市井に名は知られるようになるかもしれないが、魂は腐っていく。
 私ごときブログに嫌がらせをしてもしょうがないだろうに、それでもイチャモンをつけずにいられない者がいる。よく閑があるもんだ。

 そうした大学の教員たちが、仮に論理のすごさがあったとしても、それだけ能事足れりでは、人は尊敬しない。
 中学高校で、教師は圧倒的に知識や論理力で生徒に勝っている。なのにどうしてほとんどの教師が生徒に軽蔑されてゆくのか。それは生徒が教師の人間性の美醜を見抜くからである。 
 その意味では、冒頭に紹介したアニメの中の言葉、「かつての日本は美しかった」が、今でも子供たちにはひそかにつながっている。





posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(13) | エッセイ | 更新情報をチェックする