2016年06月16日

人工芝マットは欠かせない


 私の空手道場では、会員に人工芝マットを踏むように推奨している。
 ホームセンターなんかで1枚200円くらいで売っている、緑色した人工芝マット、その裏側を踏む。
 百円均一ショップでも売っているが、やや質が悪い。
 竹踏みでもいいが、私は人工芝の裏側が適当だと思っている。

 内臓に疾患がある人は、相当痛いと思うが、我慢してはじめは1分からでもやって、1回あたり1000回を目安に踏むといい。
 さらに、掌でも人工芝を叩いて刺激している。
 このことは以前にも書いたと思うが、また改めてしるしておきたい。

 もちろん、アスファルト道を裸足で散歩することもやっている。
 仕事を持っている人はたいてい、日常生活のなかでくたびれて、神経が鈍い統括で済んでいる状態だから、空手道場では、その神経をシャキッとさせてから練習しないと、鈍いままで技が創られる(良い技が創られにくい)。練習前にしっかり素足で足踏みをさせている。

 これは南郷学派の措定した〈生命の歴史〉から発見された論理である。
 樹上生活をしていたサルが、なぜヒトになれたかの謎解きがここにある。決して神様がヒトを創ったのではない。

 詳しいことは、南ク継正先生の『なんごうつぐまさが解く 看護学科・心理学科学生のための“夢”講義』(現代社)に書かれている。
 足裏と手のひらを鍛錬したから、サルはアタマがよくなったというのだ。
 ゴリラやチンパンジーなどのサルは今もサルのままで人間になれなかった。犬や猫も人間になれなかった。これが何故かは、誰も解いていない。

 哺乳類のほとんどが四つ足を均等に使っている、昔も今も。人間に進化したサルだけが、手と足をそれぞれ別個に、相対的独立的に使った。そうせざるを得ない状況が、大きくいえば地球の変化によって、創らざるを得なかったのである。
 人間になったサルは、右手と左足というように別個の動きを何百年、何千年とくり返したのである。
 
 犬や猫を見れば、四肢を別個には使えない。それで地球環境に適合しているからだ。
 だから、どうやら、哺乳類動物をサーカスなんかでもし芸を仕込んで四肢を別個に使えるようにしたら、寿命は短くなるそうだ。
 逆に、人間は別個に使わないと寿命が短くなる。現に、狼少女のアマラとカマラは哺乳類として育ったから少女期に死んでいる。

 手を例にすれば、日本人の食事は、左手で茶碗やお椀を持ち、右手で箸を持つ。しかも箸は指先と箸の先端に意識を込めないとうまく使えない。こういう食事のありかただから、頭がよくなった。
 西洋人はナイフ、フォークを使うこともあるが、たいていはスプーンでしゃくって食べていて、左手は遊んでいる。しかもスプーンやフォークは指先の神経が鈍くて済む。だからあまり頭が良くならない。

 若いときに頭をシャキッとさせたいなら、また老いてボケたくなければ、足裏と掌をしっかり鍛え、刺激する毎日を過ごさなければいけない。靴下や靴を履かない時間を持てばいいし、ときどき掌を叩いて刺激するのも良い。それが脳を活性化させる。

 老人ホームなんかでは、とにかく怪我がないように、おとなしくしていてくれだから、老人はどんどんボケる。
 四肢を別個に使う運動をやり、足裏や掌を刺激するように頑張らせれば、ボケを防止できる。
 老人はなにもしないでテレビ漬けになって怠けておいて、大事に大事に介護してほしいとはなんたるわがままか。東北大の川島隆太の提唱する「脳トレ」なんかはいかさまである。

 老人ホームに入ってから、脳トレやリハビリで頑張りましょう、では遅すぎる。若いころから、しっかりした体力を身につけ、健康を維持し、手足の感覚器官を鍛える習慣づけをしておくことだ。

 社会が、老人になって動けなくなったら介護が充実しているから何とかなるにしているから、ますます老人はつけあがる。怠けてしまう。
 あげくに莫大なカネが怠惰な老人のために消えていく。若者が弱年のときから介護保険料を払わされ、それが怠け者で、もうなんの生産性もない老人に消えていく。

 老人が若い頃に働いてがんばってくれたから老後を大事にしてあげなければ、というのは御為倒し(おためごかし)である。今はそれでいいとしても、若い人たちが50年後に老人になったころには介護保険料はもう払底して納めた保険料の半分ももらえないみじめな社会が到来する。老人のために若者の夢がつぶされていく。

 年金もあれはねずみ講である。50年後の保障はあるまい。どんどん支給年齢があがり、支給額も減っているではないか。年金や介護費が足りなくなるからといって消費税を青天井で上げていけば、国民の消費マインドは下がり、いよいよ不景気になって国家はジリ貧である。
 国家を潰さないためには、いずれ老後を年金や介護保険に頼るシステムは大幅に見直さざるを得なくなる。

 本ブログではくり返し述べてきたが、個人の社会保障なんかに未来はない。肝心なのは、国民全員が食えるとか、老後に楽ができるとかではない。あくまで共同体が存続できることだけが大事なのである。マスゴミは国民に甘い幻想を振りまくものではない。
 現実に、難民になったら99%は野垂れ死にである。国家が保護しないからだ。

 シリアでもリビアでも、為政者は個々の国民を救うことは大事ではなく、それぞれの共同体が存続できるよう必死なのである。権力者個人の利益のためという面はあるが、国家論で説くなら、国家は国家を存続させるにふさわしい人間だけを優先して生かす道を選択するからだ。

 だからみじめな、介護士に頼る老後を迎えないよう、今から健康を維持してボケないように努力しなければならない。政治家も官僚も助けてはくれない。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする