2016年06月23日

今日はブログ記念日(2/3)


《2》
 前回、「語彙の像が明晰な文章が理想だ」と述べました。今日はそこを少し詳しく説いてみたいと思います。
 一つの文章を批判的に取り上げてみます。たまたま読み終わったばかりで手元にあった『余命三年時事日記2』からです。

 「情報が隠蔽され捏造されてという時代には洗脳工作は有効だったかもしれないが、現状ではネットにおいては情報があふれ出している。そしてその利用と享受者は紛れもなく若者である。(サヨク)の連中が騒げば騒ぐほど醜態をさらけ出し、若者は知れば知るほど離れていく。」
 
 とあります。かっこして(サヨク)としたのは、原文は具体的な組織名が書いてありますが、書くのも穢らわしいので省きました。
 先般書いたのですが、私はこういう文章が生理的に受けつけないのです。『余命三年時事日記』は、ザイニチに関する情報を知ろうとときどきブログも読むのですが、いつも苦痛に耐えながら読むのです。
 みなさんは、この文章をどう思いますか?

 本全体を読んで来ると、筆者がここで言っている「情報」とはどういうものかはわからないではありませんが、これではどんな情報のことを言いたいのか分からないのです。
 以下は読みながら私の頭によぎってくる疑問や不快感を( )に入れてもう一度引用します。

 「(どんな)情報が隠蔽され捏造されて(どのように、いつ)という時代(という、をここで使うか? 話がとびすぎだ)には洗脳工作(誰がどのように?誰に対して?)は有効(どのように?)だったかもしれないが、現状では(じゃあもうその“時代”は終わったのか、なにを証拠に?)ネットにおいては(どこのネット?)情報(どんな情報?)があふれ出している(なにをもってあふれているというの?)。

 そしてその利用(その、は何を指している?)と享受者(なにをどのように享受している?)は紛れもなく若者である。サヨクの連中が騒げば騒ぐほど(なにをどのように騒いでいる? たとえばどんなことをどこで?)醜態(どんな? そこで?)をさらけ出し、若者(は? 若者がネット情報を享受していると言ったかと思えば、こんどは離れる? 何から離れるの?)は知れば知る(どんなことを知るから?)ほど離れていく。」

 こんなに読み手を疲れさせるのは悪文です。文章も言葉も雑なのです。ネットユーザーは若者が多いけれど、サヨクが「戦争法案」などのようにスジの通らないことを主張するので、若者のなかには嫌気がさして、サヨクの主張からも、ネット社会全体からも離れてゆくものもいる…ということを言いたいのだろうと思いますが、『余命三年時事日記』の文章は、読み手が恣意的に理解できる余地を残し過ぎなのです。冒頭に書いたように、語彙の像が明確になっていません。

 ではもう一つ。これはある文章を学問的文章を書かれる方が添削した例です。
 まずは元の文章。これはテニスのコーチが弟子にいろいろと教えるとして、弟子がその教えられたとおりにラケットを振り、コーチもそれでいい、と太鼓判を押したとしても、ボールが当たらない場合がある。それはどうしてかを説いた一部です。

「端的には筋肉の使い方が間違っているからである。つまり実体として間違っているのである。それは力の入れ具合で、踵や爪先などへである。」

 これがどのように修正されたかが以下です。添削箇所を( )に入れてあります。

 「端的には(、)筋肉の使い方が間違っているからである。つまり実体(の運動形態)として間違っているのである。それは(たとえば)力の入れ具合(など)で、踵や爪先などへ(の力の入れ方など)である。」

 短い文章だからわかりにくいかとは思いますが、手をいれたので俄然分かりやすくなったでしょう。
 添削する前は言葉で書こうとしており、後者は像で書こうとしているのです。先の「余命…」の文章も、言葉で考えており、像で展開してくれないので、わかりにくい文章となっていました。

 私はこれでもがんばって、「テニスの筋肉の使い方うんぬん」の文章のように、観念的に二重化した、いわば論理に曖昧さが残らない文章を書かなければと、この10年チャレンジしてきました。
 コメントで何人かの方が、私の文章を「読みやすい」と言って下さって、本当に嬉しかったです。

 4〜5年前に、私は師の著書にサインをいただく幸運に恵まれました。そこに私の名前と著者のお名前、そして一言「優れた筆の冴えをいつまでも」と達筆に書いていただきました。天にも昇る気持ちとは、こういうことだと思いました。これは家宝です。
 人間、やはり努力だなとつくづく思わされたものでした。

 なんの取り柄もない私が、これだけは人に認めてもらえるようにと高校のときから努めてきた文章力を、師は見てとってくださり、これからも頑張れよと激励してくださったのです。
 『ガラスの仮面』の主人公「北嶋マヤ」も、なんの取り柄もない少女でしたが、演技することだけが好きで、一意専心、努力していったことが認められていくマンガですが、私も一瞬、北嶋マヤになった気分でした。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする