2016年07月02日

蒲島熊本県知事の波乱の人生


 熊本の震災が起きて、被災者の救援、支援、復興の陣頭指揮に立っている蒲島郁夫熊本県知事は、ゲスの舛添なんかと大違いで、極めて有能だと評価の声がある一方で、サヨク韓国人・姜尚中を熊本県立劇場の館長に就任させる愚挙を犯した。

 姜尚中を館長にした理由は、「英国の大英博物館の館長にも外国人が採用されているから韓国人でもかまわない」「広い視野と高い見識があり、メディアでの活動がある「熊本への郷土愛にあふれている」が答えだったという。
 これは「余命三年時事日記の投稿」にあったものだが、熊本では地震の後処理で知事に対する不満が爆発している、とあった。
 
 この人は大変ユニークな経歴である。生まれは熊本の貧農の出で、9人兄弟の7番目。勉学劣等で人生やる気のない少年だった。高校卒業後、農協職員を経てから牧場主になる夢をかなえるべくアメリカに渡る。研修生とは名ばかりの農奴として、アメリな人の牧場主にこき使われた。それから一念発起して、アメリカのネブラスカ大学で畜産の勉強をし、そこで教授らに認められてなんと志望を180度変えて、政治学を勉強すべく、ハーバード大学大学院に入る。

 しばらくアメリカで学究生活を送ったのち、日本の筑波大学が彼を招聘し、政治学の大学教員、そして東京大学の教授にまで昇りつめ、現在は2008年から熊本県知事を務めている。「くまもん」の観光キャンペーンでも知られる。

 彼の自伝『逆境の中にこそ夢がある』(講談社)を読んでみた。たしかに波瀾万丈で、かつ努力家なのはよくわかった。生い立ちの悪さにもめげずに努力ひとすじで逆境を跳ね返したことは立派の一言に尽きる。人生、こうでなければと思う。
 だが、惜しむらくは文章がまったく面白くない。出汁のとっていない味噌汁、スープのない湯だけのラーメンといった感じである。
 別に作家じゃないんだから、面白おかしい話にしなくてもいいけれども…、書き様によっては傑作になっただろうにと惜しむのだ。

 この文章の味気なさからすると、やはり韓国人・姜尚中を県立劇場の館長にする下劣さがわかるというものだ。

 これは悪口として言うのではなく、一つの教育・学習の問題として問うてみたいのだ。
 蒲島知事は両親が満州からの引揚者で、満州では警官として裕福な暮らしをしていたようだが、熊本に戻って、祖母の家(江戸時代に建てられたボロ家)に転がり込んで一家で生きるのがやっとの暮らしを始める。

 小学校のときから本を読むだけが好きで、勉強も運動も全部ダメ。成績も高校卒業までビリ。
 私もほぼ同年代だが、東京育ちのため、周囲にこんな極貧の家庭はなかった。わが家も金持ちとはほど遠かったが、極貧家庭に比べると裕福だったんだと思う。

 蒲島はもっぱらアメリカで勉学に励んだので、日本での勉学がお粗末だったからアメリカでは苦労されたようだが、もしかしてアメリカだからこそうまくいったのかもしれない。学校教育の中身が違うから、いわばゼロからやり直せたのだろう。
 アメリカでは見違えるほど成績優秀で、特待生として大学や大学院で学ばせてもらっている。

 6月3日の本ブログで「変わりたくない自分の感情」を題して書いた。「自分は心底バカだという感情になり切らなければ、変われるわけがない」と述べておいたが、蒲島はたぶん21歳でアメリカに渡るときには、「自分が頭が良くて、やがて勉強して東大教授になれる」とは毫も考えていなかったろう。

 だから見事自己変革に成功したのである。いささかでも自分だってバカじゃないとか、俺は頭が良いと自惚れていたら、何事もなし得まい。自分はものを知っている、自分は出来る人間だ、という思いが、人様のブログに入り込んでイチャモンをつけ、くさし、揶揄する愚劣を働くようになる。

 さて、そこだ。彼を称讃するにやぶさかではないし、ケチをつけているわけでもないが、彼の自伝の文章のつまらなさには、このアメリカで学んだことの欠点が如実にあらわれているように思う。
 彼は日本での文化遺産の修得と、日本語の像の創り方では半端なままアメリカに渡った。

 20歳くらいの若さでアメリカに言って、アメリカ語で生活したのである。途中で結婚されて日本人の妻と家庭では日本語を話したかもしれないが、読む本も、聞く講義も全部アメリカ語なのだ。アメリカ語は哀しいくらいに論理的でないから、留学するのは愚かなことだ。
 そのうえ、彼は畜産学から政治学へと転身した。どちらも言うなれば像が現実身を帯びにくい分野である。

 ブタの精子の研究なんかに没頭すれば、端的には「人まじわり」がキメ細かくならない。まして政治学、それもアメリカの、となれば、ウソばっかり。アメリカには「学問」がないのだ。日本やドイツの学の伝統であるように体系的にものを考えない。感情も豊かになるチャンスがどちらもない。

 それで平気で韓国人サヨクと親しくできるのだ。
 要するにあちらはプラグマティズムが主流なのである。厳しい言い方をするようだが、ブタの精子の研究もアメリカ政治学も、一般教養の蓄積が乏しくとも感情薄くてもなんとかなる分野である。

 彼はのちに筑波大と東大大学院法学部で政治学の教授になるわけだが、東大の学生も教授も、ほとんどが受験秀才なのである。まして大学院とは…。彼も遅まきながらアメリカで受験勉強的学習を必死にやったのだ。だから、帰国してからおそらく違和感なくそうした一流国立大学で教鞭をとることができたと想察する。

 蒲島がアメリカに渡って、頭が急激に良くなって勉学に意欲を燃やすことができたのは、農奴として現実と格闘した期間があったからだろう。それまでは彼は勉強も嫌、スポーツも嫌、本だけ読んでいたい人間だったのが、ここで牛やブタと糞まみれになって手足を動かしたので、脳細胞の変革ができたのである。

 結局のところ、この彼の自伝を読むと、彼の大学での講義が聴いてなくても見当がつく。失礼ながらつまらないだろうな、と。何にしてもかににしても、東大には弁証法がない! 感情豊かな思春期や青春期を過ごしてきた学生もいない。それで世界の役に立つ学問研究ができようはずがない。

 東大で学生・院生は何を勉強しているの? 研究者に残るのはわずかだろうが、基本は財務省か外務省の官僚になるために勉強する。
その連中が国家を動かし、財政を恣にする。だから日本はガタガタになっている。

 そういうところに、招聘されて教授になって、教壇に立てるって…いったい正常なことなのか? 誰もがハーバードとか東大とか言われると、頭脳優秀と思い込むが、実際はまったく中身がない。 
 政治学ってこんなに面白いんだよ、なんて話がない。どんな教授を交流して、どんな学位をもらったとかって話ばかりなのだ。だからアメリカのハーバードでも、あれは元は阿片貿易の事務方を養成するユダ金による私立学校だったのだから、帰根到底(つまるところ)、ドイツみたいに学問をやろうという主旨ではない。

 蒲島氏は努力した、成功者になった、逆境を乗り越えて夢を実現した。それは立派であったが、そのせっかく得たものが、つまらないとは、おそらく当人も周囲も夢寐にも思うまい。
 最近、九州では熊本の震災の影響で、観光客が減った。とりわけ支那からの大量の観光客が激減したので、彼ら自治体は慌てて、支那人観光客どもが日本に何泊かの条件を満たせば、補助金3万円を出すと決めた。

 観光産業を守ると称して、国民の血税を使って支那人においでいただくというのだ。
 こういう信じられないバカを蒲島は音頭をとってやっている。だから受験秀才は頭が悪くなる。日本を「観光立国」なんぞにしたら、支那の大量の観光客もどきに依存しないと経済的にやっていけないようにさせられる。こんな簡単なことがわからないのが東大教授の一人、蒲島なのだ。






posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする