2016年07月05日

認識の論理レベルをあげるには(1/2)


《1》
 以前、日本航空で空手を教えていたときには、パイロットたちが多かった。そこで聞けば、パイロットは家からは契約したタクシーで行き来できていた。
 理由の一つは安全対策で、電車やバスで通勤させると、よからぬ男が尾行してパイロットの家が特定されるからだとか。
 それにあの制服で電車に乗るのは目立ちすぎる。結局、だんだんパイロットの優遇は経費削減と体のいい理由で落とされていった。

 巷間、パイロットは高給をとっているとか待遇が良過ぎるとか言われて、風当たりが強かった。そういうことを煽ったのが、さもしさにまみれたマスゴミだった。
 このことは以前にも書いたが、パイロットは待遇を良くしなければいけないのであって、高級取り過ぎなどとマスゴミが煽り、庶民が同調するのは、本当に愚かしいやっかみであった。またカッコいい制服をパリッと着こなしていなければいけない。

 パイロットは何百人という乗員乗客の命を預かって、飛行機を高度な技術を駆使して飛ぶのだ。いつも時差で苦しむ生活でもある。年がら年中、資格審査があって勉強しなければならない。事故の危険度も高い。だから高給をもって遇するべきである。
 それになにより、船長も同じであるがキャプテンはヒラとは待遇が違わなければいけないのだ。そこに思想性を持てなければならない。
 それを庶民もマスゴミもわかっていない。

 韓国でセウォル号というフェリーが沈没した事件があって、まっさきに船長が乗客を置き去りにして逃げたことで、世間は非難の大合唱になった。むろんあの船長は重罪である。ただ、あの民度の低い国ゆえに、会社が船長を高待遇で雇わないで臨時雇用にしていた罪は重い。
 船長が臨時雇いで高待遇でないなら、逃げ出すのも当然のなりゆきである。まさに韓国が一流国家になれない訳である。誇りも思想性のかけらもない。

 どこの会社でも社長は高給をとる。日産のカルロス・ゴーンはいくらなんでも自分だけ巨額の報酬をとるのはやり過ぎだが、一理がないわけではない。社長より現場のほうが働いているから、社長は搾取者だと主張するサヨク労組がいるだろうが、それは間違いである。(搾取がないとは言わないが)
 あまりにもの格差はいけないけれど、ドングリの背比べはダメだと述べている。

 日本の昔の家庭は、家長が良いものを食べ、子供はいわば冷遇された。お父さんがタイのお頭付きなら、子供はメザシである。これが正しい。
 今は親も子供の「民主主義」とかで一緒のものを食べる。テレビのCMでも、食卓で家族揃ってカレーや麻婆豆腐を食っている様子で、世相を反映しているのだが、これではいけない。

 父親が家庭で特別待遇を受ければこそ、大黒柱としての重責を自覚して、仕事に頑張れるからである。
 いわば「ノブレス・オブリージュ」とでも言うべきか。あるいは「驥尾に付す」だからとでもいうか。

 北海道駒ヶ岳山麓で小学2年生の少年は6日間行方不明になった事件があった。おそらくあの家庭では一家全員同じものを食べていたのだろう。父親に特別権威があれば、子供が(正常なら)いくら注意してもいうことをきかないなどという不埒が生じることはない。

 相撲部屋でも、親方と上位力士が一番にチャンコを食い、地位が下がるにつれて順番に食っていき、「ふんどし担ぎ」の下っ端は最後は具が残っていないチャンコをすする、それが習わしだった。
 これが大事なことだった。
 われわれの道場でも、掃除は原則、上級者の黒帯は免除である。下っ端が掃除する。この待遇の差があるから、初心者は「先輩はいいな、俺もいつか見ていろよ、偉くなってやる!」となるのである。
 
 『弁証法はどういう科学か』の三浦つとむさんは、子弟関係を嫌っていた。弟子もない、自分が先生でもない、いつも「若い友だち」と呼んだ。だから、残念ながら弁証法の啓蒙家で終わったのだ。そんなやり方では後進の者に憧れが育まれない。
 だから三浦さんに私淑しただけの南ク継正先生や滝村隆一氏だけにしか成功者は出なかった。

 現在のマスゴミは、誰であれ首相をこき下ろし、腐すだけが商売になっている。首相にも間違いや失政はあるから、批判するのは必要だが、待遇は上に置かなければいけない。首相と知事ごときを同列に置くなどもってのほかだ。沖縄の翁長知事の振る舞いをサヨクマスゴミが持ち上げるのではなく、たしなめなければいけない。

 首相や内閣を差し置いて、勝手にアメリカに渡って沖縄から米軍は出て行けなどとわめくのは重罪である。それを反日新聞が良いことのように言う。
 建前は首相も、庶民に選挙で選ばれただけの存在に見えるだろうが、いったん国家のトップになったら、最大級の待遇を以てしなければならない。

 その点で、わが国には天皇が存在して、日本人の高い精神性の頂点にいたのは、素晴らしいことだったと思う。譬えるのは適当ではないかもしれないが、天皇は日本の家長であったから、お父さんが自分独りだけタイのお頭付きをいつも食べていて、庶民はメザシを食う関係が保たれていた。

 権威をいただくべきを、戦後の天皇は愚かなことに民衆に降り、気安く手を振り、庶民から嫁を娶り、ネクタイもせずに被災地に出かけている。堂々と国民を睥睨しなければならぬのに。

 美智子皇后は天皇より前に出て歩き、死に装束みたいな服を着て、民衆に対して天皇より手を高くして振る。お辞儀は朝鮮式コンス。あり得ざる馬鹿げた振る舞い。天皇も皇后に腕を支えられて歩き、大学を卒業できないほど頭が悪い、などなど、権威はガタ落ち。雅子にいたっては論外。まったく日本国天皇の自覚がない。

 社会も自然も「平等」はない。ライオンを見ればわかる。強い一匹のオスだけが子孫を残せる。負けたオスライオンは「村八分」にされて、荒野をさまよってから死んで行く。どの雄ライオンにも平等にボスになるチャンスは与えられるが、勝って全部のメスを総取りできるかは不平等なのである。

 「平等」はいわば幻想であるのに、強引に民主主義などが最高の価値観だとしているから、日本も世界も凋落する。
 これまで説いてきた「非平等」の世界こそが、認識論で言うなら、認識の論理のレベルを上げるのである。三浦さんはそれを蔑ろにしたから残念な結果になった。

 日本人の優秀さは、一つには天皇がいたからだ。「上の人」を創って、革命なんかで転覆せず、祭り上げて「上の人の待遇」をしたからだ。
 学の頂点には東大があった。その東大も、ただの受験点取り屋の集合に落ち、もう日本を牽引する力を失った。



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする