2016年07月18日

“皺”の作家・太宰治のいじましさ(1/2)


《1》
 もう先月のことになるが、6月19日は桜桃忌であった。
 来る年も来る年も、マスゴミは取り上げて、この太宰治の命日におべんちゃらを書く。よく飽きないものだ。

 太宰は、新戯作派・無頼派の作家と言われた。
 1948年6月13日、太宰は愛人・山崎富栄とともに東京都三鷹市付近の玉川上水に入水自殺した。没年38歳。だが、遺体が上がったのは6日後の6月19日。この日は、太宰の誕生日だったので、太宰を偲ぶ日となった。

 桜桃忌には、ゆかりの寺に愛読者が毎年やってきて線香をあげてゆくそうだ。今はどうか知らないが、以前は新潮文庫(文芸もの)の人気ナンバー1は漱石の『こころ』、二番目が太宰の『人間失格』だったと記憶している。私も中学・高校生のころに太宰作品はいくつか読んだが、いっかな琴線に響かず、怖気をふるってむしろ軽蔑の対象となった。

 太宰が入水自殺を遂げたのが、愛人との心中だったことが許せなかった。それまで自殺未遂をなんどもやらかし、心中しようとした女は死んで太宰が生き残ったこともあった。
 愛人を持つには理由があるとしてもいいけれど、いくらなんでも奥方も子供もかわいそうである。太宰を愛読する人たちは、そのことをどう思うのだろうか? 自殺するならせめて奥方と離婚してからにしろよ。

 不倫したタレントは口を極めて罵るくせに、太宰ならいいのか?
 太宰は麻薬パピナールの中毒者だった。覚醒剤をやったタレントには厳しくして、太宰がやったことはしょうがない、苦しんだろうねと同情するの?

 太宰本人だけが気の毒な人間なの? それに、佐藤春夫宛に「どうしても芥川賞をください」と泣訴した書簡が公開され、いっそう軽蔑の思いが強くなった。みっともない男の極地じゃないか。
 要するに、彼の小説のタイトルのまま、奴は人間失格だったのである。そんな小説を読んだって、何の足しにもならない。

 こんなゲス男が世間で今も持てはやされるのは、一つにはマスゴミが評価するからだ。彼らは俗世で人気さえあればいい、読者が関心を持つだろうからいい、それだけである。
 太宰の小説はいったい何だったのか、文学といえるのか、などを問う向きはほとんどない。「昭和の文豪」などとすら言われる。

 何をいうておるのや、おたんこなす!

 『人間失格』の主人公すなわち太宰は、大人になっても世の中の仕組みを不満だけで認識し、人の気持ちを思いもしない欠陥人間だった。太宰も一応秀才だったから、自分が一般社会に適応できない欠陥を持っていることを表には出さないようにしつつ、それ周囲に「道化」てみせるのである。そんなもって回った芝居を打たなくても、まずは食事、睡眠、運動をちゃんとやれば愚劣な狭い世界に閉じこもる必要はなかった。

 太宰の系譜は今も日本文学界の主流である。昨今の芥川賞作家のものは、いかに主人公が沈湎(ちんめん)している人物かを押し出そうとしているものばかりであって、その巧拙を競っているようにしか見えない。
 純文学系と言われる小説のテーマは、当人以外にはとりたてて問題にする能わざる低度の、煩悶、懊悩、失落、不全、沈殿、厭悪、喪失、孤独、不毛、不適合、惨落、悄然…のオンパレード。

 いじましい状況をいかにたくみに筆を行(や)るか。自慰行為である。
 自分が傷ついているというが、周囲がどれほど迷惑を被り、傷ついているかの頓着なし。その典型が太宰だった。
 彼も今となって思えば鬱病だったのだろうが、人に迷惑をかけるなよ、である。

 大正・昭和のころの作家は、太宰がそうだったように、大地主なんかの息子が多く、たいていは小説なんかにのめり込んで親から勘当された者が多かった。貧乏で生きるのに精一杯なら、さもないことで煩悶したりしていないものなのに。贅沢病である。当時の作家たちには、現在より「家」の問題が重くのしかかっていたろうが、ここではテーマが広がりすぎるからカットする。

 太宰の少し前、無頼派と呼ばれた作家どもは、田山花袋にしても、アホかというものであった。『蒲団』なんて読んだことあります? なんでこんなのが文学なのって、思いませんでしたか? 酒に溺れ、ろくに生業に就かず、女を求め、いじましき己に酔うばかり。
 そもそもこういうのは漱石や鴎外、芥川龍之介なんかが、上質な文学とは、どこか精神の欠落がある人生というお膳立てをしつらえるものとされたあたりから始まっているやに聞く。

 そういう軟質で陰気な作品でないと、読者受けしないと作家も思い、編集者も信じた。
 フランスの小説だが、レイモン・クノーの『地下鉄のザジ』はユーモアあふれる痛快な作品であったし、英国のアンソニー・ホープの『ゼンダ城の虜』も、わくわくドキドキの物語で、愛読したものだった。でも日本ではほとんど文学の埒外に置かれる。
 お高くとまった岩波書店は、そんなものは貶価の対象だが、『蒲団』は岩波文庫に入れた。

 私がかつて愛読した開高健は、初期のものは社会性があり、ユーモアもあり、ひたすらの陰鬱な作品ではなかった。いずれ取り上げるつもりだが、『日本三文オペラ』は一番好きな作品だった。たっぷり笑えた。
 後年の『夏の闇』が高い評価を受けたが、これとそれ以降のものは彼のなかでは内面に沈潜する私小説となっていて、私はあまり評価していない。

 だから生前、私小説に傾く前の開高作品は批評されることがとても少なかった。日本文学の異端扱いだったのだろう。太宰の系譜につながる陰気な大江健三郎のほうが江湖の評価は高かった。おかしな話…。

 開高はこう書いていた。
 「本邦の現代文学界においては“笑い”よりも“皺”(しわ)が重んじられる。笑いのうちにこめられた知恵の閃きは見すごされ、メッキでもよい、苦悩の皺があればホメられる。皺は一流、笑いは二流とされている。笑いというものは表現するにあたっては皺よりもはるかに精神力を必要とするものなのである。」(『魯迅に学ぶもの』)

 開高が「皺の小説」と呼ぶのが、明治以降の日本の文学界の特質なのである。しかし、日本では開高の指摘は閑却され、ユーモアや笑いを描く作家を1ランク下に見てきた。これが出版事情というより、わが国の精神風土だから困ったものなのだ。それが21世紀になっても延々と続く。その一風景が桜桃忌の賑わいなのだろう。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする