2016年07月20日

あのころは…それがサヨクだった


 文芸評論家・江藤淳が敗戦後の日本のジャーナリズムと言論界を「閉ざされた言語空間」と呼んだ。発端はGHQによる言論弾圧であったが、GHQが引き揚げたあとも日本では自主規制が続いてきた。
 とりわけ、左派・リベラル派の人たちが、戦後長く、日本の言論空間を主流派としてほしいままにしてきた。自主規制めかしてサヨク利権にたかってきた。朝日新聞がその代表だった。

 ところが最近になって、サヨク・リベラルの牙城が崩れ始めている。一つには支那、ロシア、韓国、北朝鮮の露骨というか、半面で拙劣な日本叩きによって日本人が国益や誇りに気づき始めたことがある。インターネットの普及で、サヨク・リベラル派が独占してきた情報源が崩されてきたことが大きい。都知事選で、癌末期の鳥越を担ぎ出すしかない凋落ぶり。

 以前は自分たちの主張をかしこまって傾聴していたはずの国民が思うように操れなくなって、サヨク・リベラルは慌てている。苦し紛れに、「みんな、安倍政権の陰謀だ〜」と騒いでいる。それが「あべ政治をゆるさない」とか「I am not ABE」などと中身の説明ができない愚劣なキャッチフレーズを掲げては、なんとか夢よもう一度、と叫ぶ。

 サヨクが慌てるこの状況は、我が国もようやく当たり前のことを当たり前に言える健全な社会になってきたと感じずにはいられない。
 それでもまだ、例えば日本人は国連信仰が抜けない。そこをサヨクは利用しようとさもしい芝居を打って来る。
 慰安婦は性奴隷だっただの、皇室は男尊女卑だの、日本の報道の独立性が脅かされているだの、世界記憶遺産だの、国連の口を借りては、テメエたちの正当性を担保しようとする。

 それを影で操ろうとしてきたのが、とりわけザイニチであることが、どんどん暴露されてきたことも喜ばしい傾向である。
 4月に来日した国連人権理事会の回し者、デービッド・ケイは記者会見で「日本の報道の独立性は重大な脅威にさらされている」と指摘した。政府の圧力がメディアを萎縮させていると。このオバカはさだめし左翼国会議員や報道機関関係者ら左に偏った人たちのから話を吹き込まれたのだろう。

 時を同じくして、国会で高市早苗総務相が「政治的に公平ではない放送をするなら電波を停止することはあり得る」と法律の説明をしただけで、テレビキャスター(電波芸者)どもが「私たちは怒っています」の横断幕を広げてみせて、盛んに「報道現場の息苦しさ」「自己規制」などを強調してみせた。安倍首相は「独裁的手法」で「立憲主義を破壊」した結果、現代日本では言論の自由、そして民主主義そのものが危機を迎えていると、ことさらに眉をひそめてみせた。

 しかし、国連の回し者も間抜けなキャスターどもも、誰も具体的に政府からどんな圧力がかかったのかは語らなかった。何もないから語れないのだ。民主主義も立憲主義も、テメエに都合のいいように得手勝手に解釈して意に沿わぬ相手を「右翼」として攻撃材料にしているだけだ。

 高市答弁を元民主党や破防法対象の共産党どもは、憲法改正反対と言ったら公平ではないのかと、トンチンカンな屁理屈で騒ぎ立てたものだった。誰でもが、放送法で言っているのはテレビでは公平な立場で報道しなさいと言っているだけなのはわかるのに、どこをどうねじ曲げたら、こんなおぞましい主張になるのか。

 1999年「自自公政権」で、元衆院議員の西村慎吾が防衛政務次官のときに、日本も核武装の是非について議論したほうがいいかもしれない、と発言しただけで、野党とマスゴミの袋だたきにあって辞職に追い込まれた。そういう狂った時代があった。鳥越なんぞはそうしたマスゴミに巣食ったゴミだった。
 今なら、この程度の発言ならクビにされるには至るまい。それがサヨクどもに焦燥感をもたらしている。

 サヨク・リベラルとは意見を異にする発言(本当のこと)をしたならば、右翼だの反動だのとメディアの批判にさらされ、袋だたきに遭っていただろう。まさに言論弾圧が当たり前だった。

 現在では、いわゆる「従軍慰安婦」についても、それが虚構であり、政治的プロパガンダであることがあらわになってきた。かつては「従軍慰安婦」という言葉が戦後の造語であることを指摘するだけで、「慰安婦の存在を否定する右翼」と偏見に満ちたレッテルを貼られたものだった。サヨクとはそういう連中なのだ。

 軍や官憲による強制連行の証拠は見つかっていないという事実を述べると、元慰安婦の人権を無視する暴論だと反発された。
 サヨクは「元慰安婦の前でも同じことが言えるのか!」と怒鳴り、意見を言うことさえ許さなかった。言うべきことをいうのは、サヨク集団によるリンチを覚悟しなければならなかった。

 私も友人と話をしていて、福島の原発事故はさほど被害はないと言ったら、「それを広島で言えるのか」とか「じゃあ原発施設近くの水を汲んできて、飲んでみろ」などと罵倒された。
 これで話のスジが通っていると、サヨクは信じているのだから、噛み合ない。鳥越を含めたサヨクとはそういう連中なのだ。

 戦後長く、特権的な立場にあってヌクヌクしてきたサヨク言論人、ジャーナリストらは時代に逆行して、「政権批判を自粛する空気が広がっている」などと盛んに吹聴しているのである。

 ジャーナリズムと言論界では、昔から保守系の言論を根拠なく蔑視し、時に無視し、また時には危険で有害なものだと決め付けて「弾圧」してきた。昔であれば福田恆存が代表的で、サヨク批判の急先鋒だったから、多くの媒体が彼に原稿を依頼しなかった。
 また言うが、サヨクとはそういう連中なのだ。

 サヨクどもはこれまでの嫌がらせ方式がしだいに通じなくなり、逆上するようになった。
 先の参議院選挙での元民主党のスローガンは「まず2/3をとらせないこと」であった。あれほどこだわったマニフェストも止めてしまい、昔の社会党のように反対の反対しかできず、また憲法を守ることしか政策のない万年野党になってしまった。

 まだ政権や保守派への嫌がらせをしていたら、ある程度の票が稼げると勘違いしたまま。
 鳥越俊太郎は今年三月に「安倍政権はテレビ報道を神経質に気にして、監視チームをつくってチェックしている」と語っていた。なんだって? 監視チームがどこに実在するの? これは実態の伴わない被害妄想である。

 鳥越もサヨクを商売にしているから、苦しいのだろうが、報道機関の偏向やジャーナリストのいい加減な発言を監視・検証しているのは、インターネットという情報収集・発信の手段を手にした市井の人たちであって、政府や与党ではなかろう。
 左派・リベラル系の言論人たちは、一般国民の向ける厳しい視線に耐えられなくなってきている。

 そういう世間の趨勢を、元民主党や共産党らは読めずに、鳥越を大物ジャーナリストを見誤って、都知事候補に担ぐ愚を犯した。都政のビジョンもないのに、国政の課題である憲法改正問題をもち出すあたりは、完全にボケ老人である。

 だからその現実から目をそらし、存在しない空想の敵を相手にファイティング・ポーズをとり、「俺は正しい」と言い聞かせている。
 ああ、サヨクとはそういう連中なのだ。

 それが昨夏に騒いだ、安保法制を「戦争法案」やら「徴兵制復活」だの、安倍はヒトラーだのと、空想・妄想に浸った。
 安保法制を、安倍が戦争をするための布石だと言い募った連中は、まぎれもなく、ウソばかりついて、支那や韓国の手先として「閉ざされた言語空間」を支配してきた、おお、それが左派・リベラル派だったのだ。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☁| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする