2016年08月12日

南スーダンを見れば「9条」の無力は明らか


 南スーダンが独立して5年目だが、すでにして内戦が激化し、泥沼に。邦人などを自衛隊が救出するとか、「かけつけ警護」の対象になるかならないかなどと、7月半ばくらいに話題になった。内戦は、キール大統領派と、マシャール元副大統領派の間で起きた。
 南スーダンの人口は1100万人。うち200万人は住宅を捨てて放浪を余儀なくされつつある。都市市民はキリスト教会に逃げ込んでいる。
 しかし、マスゴミは肝心なことは何も報道しない。

 兵頭二十八氏のブログ「放送形式」2016年7月12日付は、以下のように解説している。

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 記事は肝心なことを何も解説してくれてないから補うと、アラブ系イスラムの支配する元のスーダンから、黒人クリスチャンが多い南部を、仏英米の後押しで切り離したのが南スーダン。そこには石油資源があったから、英米仏が関心を持ってくれて、数十年かけて独立できた。

 しかしこんどはその石油利権をめぐって内部抗争になっている。じつはアフリカ諸国はひとつの例外もなく、マルチ部族国家。「一部族一国家」になっているところがひとつもない。一国の大統領は、その出身部族(とうぜん、最有力部族だ)の福利だけを徹底的に図る。石油だってもちろん独占。他の多数の部族には国家の税収を1文も分けてやらないばかりか、逆に徹底的に搾取し弾圧する。おそらく南スーダンの「元副大統領」とやらは、二番目に有力な部族の代表者だったのだろう。

 そいつすら、不公平にブチ切れた。被支配部族は国家からの庇護がまるで得られないから、最初からみんな小銃で武装している。三番目以下の部族は、人らしく生きるためには、隣国ゲリラと結託して「逆転」を狙うことも考える。このようにして、部族と部族の修羅地獄が無間に続く。

 アフリカではこの構造は絶対になくなることはない。だから第七師団の人々よ。命を惜しんでくれ。そこは命を懸けるに値しない場所だ! かつての宗主の欧州人こそがそこで責任を取らなくてはいけないのだ。 近年は近隣国の正規軍がアフリカ難民キャンプの警備を担任することがあるが、これもけっこう危ない。

 今年2月にはルワンダ正規軍が、国連平和維持部隊のキャンプ近くに蝟集してくる南スーダン難民たちを襲撃に来た武装勢力(難民とは部族が違う)を撃退してくれたのはいいのだが、そのあとで死体を数えてみたら、難民の死人の方が多かった。ルワンダ兵にすら、難民と武装ゲリラの外見上の識別ができず、ゲリラだと思って、走り回る難民たちを射撃していたのだ。

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 アフリカは悲しい。独立はしたけれど、どこもかしこも、こうした内戦や部族対立を抱えてきている。
 南スーダンの場合は、兵頭氏は米英仏と書いているが、支那やロシアなども絡み、おそらくはもっとルクセンブルグだとか金融で食っているような国もひそかに絡んで、利権を貪っている。
 
 映画『ザ・バンク』を取り上げたのは2015年2月23日の『「ザ・インターナショナル」とは何か』であった。
 映画モデルとなったのは、国際商業信用銀行(BCCI)であって1991年に経営破綻した途上国向けのメガバンクである。BCCI銀行本部はルクセンブルグにあった。

 現実のBCCIは、世界のあらゆる紛争に介入し、CIAやらイスラム原理主義者など、怪しげな連中と裏で手を結ぶことで大きく成長したバンクだった。ユダ金が差配する世界中のワル御用達の金融機関である。1991年に経営破綻した。

 乱脈経営に加えてマネーロンダリングや武器密輸、麻薬取引への関与、更には核兵器の流出やCIAを始めとした諜報機関との関わりなど数々のスキャンダルが明らかになった。
 潰れた銀行ではあったが、こういうことはどこのユダヤ系銀行は影できっとやっているはずだ。

 南スーダンを、スーダンから切り離したときは、キリスト教圏だからと表向き言ったが、部族対立を煽って、武器を輸出し、難民へ届ける食糧や薬品でまた稼ぐことをやってきている。
 そういう裏側は、日本のマスゴミはいっさい報道しない。

 だから…。兵頭氏が言うように、日本から善意で支援に出向くJICAの人や自衛隊の人は本当は利用されているだけである。飢えた難民に一杯のミルクは分けられても、本質的解決にはまったく寄与しない。
 兵頭氏は叫んでいる。「命を惜しんでくれ。そこは命を懸けるに値しない場所だ! かつての宗主の欧州人こそがそこで責任を取らなくてはいけないのだ」と。そのとおりだ。

 日本からアフリカへ助けにいくことは、麗しい行為ではあるが、実態をしっかりと分かってから行ってほしい。朝鮮人と同じく、援助しても感謝しないどころか、逆恨みはするは盗むは、殺すは、であって、裏切られること必定である。「それでもいい、アフリカの自立の妨害になってもいい」「白人やその金融業界だけが旨い汁を吸ってもいい」とするなら、しょうがないが。

 それにつけても、わが国ではざっと二千年の歴史で、アフリカ各地で起きているような、大規模なジェノサイドは起きていないのではないか。内戦はくり返し起きたが、原則的には軍隊だけが戦った。とばっちりを受けて農民が殺される事態がないではないが、わが国ではほとんどない。他の国では、支那もそうだが、民衆も丸ごと殺戮して奪い取るなり、女を全部強姦したり奴隷にして連れ帰ったりする非道が当たり前。

 だから城というと、他国は街ごと城壁で囲って、住民ごと敵軍の皆殺しから護る。しかし、日本では軍隊だけが戦うから、城は軍隊だけが立て篭る。民衆はときに戦見物をし、なかには戦場で死んだ兵隊から槍や鎧を奪う商売が成り立った。

 なぜこうまで違うのか。日本の常識は世界の非常識とする認識がわが国にはない。だから支那が攻めてきても、皆殺しにされないだろうと能天気でいる。
 アメリカは先の戦争で、鏖殺(みなごろし)は、都市空襲や原爆でやらかしたし、戦後に罪なき将兵を「戦犯」に仕立ててリンチをやった。

 支那やソ連が進駐してきたら、もっとひどかっただろう。また朝鮮人は「第三国人」となって日本人に襲いかかって、強姦、略奪、殺人、やりたい放題をやった。なのに、その事実から日本人は考えない。
 まさかと思うから、助けたい、の善意が通じるとアフリカくんだくりまで出かけてしまう。

 恐ろしさが想像できないから、9条があれば平和が保てると思い込む。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(4) | エッセイ | 更新情報をチェックする