2016年08月16日

伊能忠敬が遺したもの


 伊能忠敬は、江戸時代に日本全図を測量して創った偉人である。寛政12年(1800年)から文化13年(1816年)まで、約16年をかけて全国津々浦々を測量し『大日本沿海輿地全図』を完成させた。幕府が倒されるおよそ50年前の話である。
 むろん私もその偉業に難癖つける気は毛頭ない。
 しかし、彼・伊能忠敬がどうやって測量したかについては、詳細を知らないのである。

 私たちは彼を頭目として、部下の役人(武士)らが手伝って、全国隅の隅まで歩いて測量したと教わっている。果たして本当にそうだったのか? なにせ江戸時代なのである。今とは事情が違う。
 差別社会だったと言えばいいのか…。士農工商があり、その下にエタ・非人がいた。全国地図を創るには、そのエタ・非人のテリトリーにも分け入らねばなるまい。
 それは如何なる方法でなされたのか?

 伊能忠敬も手下の役人も実測して歩いたことに疑いはないが、わずか16年の間に、測量しながら全国の隅から隅まで歩けたのだろうか。井上ひさしに『四千万歩の男』という伊能忠敬を取り上げた長編があるが、それでは「56歳から16年、糞もよけない“二歩で一間”の歩みで日本を歩き尽し、実測の日本地図を完成させた」と言っていた。「糞もよけない」は嘘ではなかろうか?

 私には(想像だが)、穢多・非人の協力なしには不可能だったとしか思えない。例えば、江戸の町の影の部分と言うか、裏社会はご存知の弾左衛門が差配していた。
 弾左衛門は江戸時代の被差別民、穢多・非人の穢多頭として君臨した。江戸幕府から関八州(水戸藩、喜連川藩、日光神領などを除く)・伊豆全域、及び甲斐都留郡・駿河駿東郡・陸奥白川郡・三河設楽郡の一部の被差別民を統轄する権限を与えられ、触頭と称して全国の被差別民に号令を下す権限をも与えられていた。

 こういう人物の協力なしに、いかな糞さえよけない伊能忠敬であっても、測量ができたとは思われない。穢多・非人が測量作業に動員されたことは想像にかたくない。測量するところは平地や海岸線ばかりじゃない。川の中、山の中、湿地などなど役人が踏み入れたくない場所もあったろう。そこへ入るのはやはり下層民ではなかったか。

 さて。この話を念頭に置いていただいて…。
 話は現代に飛ぶ。現在、日本の住宅地図(全国)で最大にして独占で扱う会社がある。Z社としておく。地図が職業上欠かせない人とか役所の人なら誰でも知っているだろうが、一般にはそれほど知られまい。
 地図といえば、国土地理院のものは国家レベルで作成されているが、住宅地の一軒一軒の詳細な地図は、この民間企業の独壇場である。

 Z社は地域の一軒一軒の家の形状や大きさ、細い露地まで事細かく調査して、住人の名前まで調べあげている。それが全国に及ぶ。
 しかも、それこそ毎日刻々と変わる住居地図をまさにリアルタイムで把握している。建て直しや、引っ越しの情報を、Z社の人間が足で歩いて調べている。

 それを役所、警察、消防、電気会社、ガス会社、水道局などなどが購入して活用している。
 人が一軒一軒歩いて、毎日のように確認している。膨大な手間がかかる。それをやってのけるとは、すさまじい。
 官がやるべきを民がやり、それを官が利用している。不思議なシステムではないか?

 この話はある友人から聞いたのだが、驚くべき内容だった。
 この全国住宅地図を作成している独占企業のZ社の社長は、現在は亡くなっているが、代々朝鮮人であった。亡くなったのは2005年だった。その人物は、在日朝鮮人でありながら、彼で4代目であった。つまりおそらく江戸時代から日本にいた朝鮮人だったのであろう。

 彼はWikipedia にも項目があるほどの有名人で、あの卑しかった前都知事がパトロンとして頼った人物である。Z社の社長の財力にすり寄った自民党の政治家は多数いた。前都知事も、競馬好きの社長に自分も競馬が好きだからと近寄って馬主にまでなった男だった。
 前知事も、ほぼ間違いなく朝鮮人であったから、Z 社社長とは同胞である。

 またこの社長は、ダイエーが潰れたときに、九州の財界から頼まれてドーム球場を買ってやったことでも知られる。みんな在日つながりである。住宅地図がいかに儲かっているか、だ。
 話を戻すと、私にこの話を説いてくれた友人は、Z社が4代目の社長だったということは、初代は江戸時代の人で当時から地図製作に関わったはずではないか。とすれば、伊能忠敬の下働きで、地図を創るノウハウを取得したのだろうと言う。

 民間の地図製作会社は、わが国では昭文社が有名である。学校の地図帳なんかも昭文社だろうし、書店で売っている地図、クルマの道路地図なんかもここが大手である。
 昭文社は、国土地理院の5万分1とか、2万五千分の1とかの、正確な地図を元にして編集している。その一方で細かい住宅地図に関しては、Z社を下請けにして発注していた。
 昭文社は人員もカネもかかる測量はしていないわけだ。

 Z社は昭文社などの下請けで、地道に一軒一軒歩いて、それも雨の日も風の日も、大雪が積もった中も炎熱の中も、ひたすら伊能忠敬のやったごとくに路地裏に隅々まで訪ね歩く。そんなことを、普通はやらない。苦労多くして、給料は少なかろう。
 想像するに、今はともかく、こんなシンドイ仕事を言われるままにやるのは、在日なんじゃないかと思える。

 Z社は初代の江戸時代のころから、地図作りに関わってきたのだ。
4代は朝鮮人だった。日陰の職業である。
 ところが、なにせ昭文社は情報を足で稼いできたわけではない。現実に一軒一軒、ときには犬に噛まれながら住宅地を歩いてとってきた情報を握るZ社が次第に実力をつけていくことになる。主従逆転してしまったのが、前知事とも昵懇だったあの社長の時代なのだ。
 これは考えるだに恐ろしい事態である。

 日本の住宅地の地図情報は全部、在日に握られている。さらに5万分の1の地図その他、国土地理院製作の地図は、軍事機密ではなく公開されて誰でも正確無比なものを手に入れられる。
 戦前は、国土地理院の前身、陸軍参謀本部の陸地測量部が統括しており、詳細な地図は当然軍事機密だった。

 一般に地図は売られていたが、軍事関連施設や貯水池など敵の攻撃対象となる区域は白のまま、空白だった。
 今は自衛隊だろうが原発だろうが、建物の正確な位置も大きさも地図上で丸見え。
 そのうえ、在日がつくって日々更新している住宅地の様子までが、在日によって把握されている。住民の名前まで握られている。

 当然、民団や総連にもやすやすと入手できる。
 「ポケモンGO」なんかのGPSにも活用されているのだろう。
 もっとも、今やGPSで上空からなにもかも見えているから、地図で隠したって軍事的には無駄だけれど。それでも、在日が地図作製の名目で、一軒一軒を訪ね歩いて情報を取り続けている、この不気味さ…。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☁| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする