2016年08月17日

葉山町議細川慎一は「法」で裁かれるべき


 法と法律の区別と連関は、ほとんど解かれることがない。誰もがごちゃまぜに使っているかに思える。
 私にも明確な答えがあるわけではないが、このことは、本来的には国家とは何かが解かれることなしには、判然とはしないだろうと思う。

 その考察の一例として、せんだって覚醒剤使用が問題となって失職した神奈川県葉山町の町議細川慎一(42)を取り上げてみたい。
 細川慎一は覚醒剤を使用した罪で逮捕・起訴され、有罪が確定(執行猶予)した。法律上は、刑が確定すれば町議会議員に復職することは問題がない。くどく言うが、あくまで「法律上」は、だ。

 葉山町議会は、刑が確定したのち復職した細川慎一議員に対して、全会一致で除名の処分を下した。
 細川慎一町議会議員は町議会が下した「失職」の決定に不服を申し立て、県知事が法律にのっとって葉山町議会の決定を取り消したことから町議に復職した。

 だがさらに7月20日に行われた特別委員会の中で、“議員控え室の中でも覚醒剤を使用していた”ことを認めたため、これに対し、他の町議が懲罰動議を提出し、本会議で全会一致により除名の処分が決まった。これにより細川は失職。

 ざっとこんな経緯である。
 これに対して、科学者の武田邦彦が7月25日の「虎ノ門ニュース」で異議を述べていた。
 どういう主旨かといえば、細川は法律によって裁かれて、刑も確定している。刑を科された人間が、町議でいてはいけないという法律がない以上、町議会が細川を失職させるのは、リンチ以外の何ものでもない。イジメだ、と武田は言う。

 こんなことを許していたら、日本は法治国家ではなくなる、覚醒剤を使用した人間は町議を失職させたいなら、あらかじめ法律で定めておかなければならない。これは道徳の話ではない、法律を第一義に考えなければならぬ、と言った。
 これを聴きながら、私は武田邦彦は法と法律の違いが分かっていないと思った。

 法律論でいえば、これは武田の言うとおりで、法律にないことで人は罰せられてはいけない。だから細川が町議に復帰することは許されている。
 けれど、だ。細川は法律上で裁きは終わったが、“議員控え室の中でも覚醒剤を使用していた”ことを認めたとなると、これは法に照らしてどうか? の話になる。

 これも議員控え室の中で覚醒剤を使ってはいけないという法律はおそらくない(!)のだから、かまわないのだ、と言えるかどうか。法律的には、控え室で覚醒剤を吸ったとて、決まりがない以上は罰することはできまい。その判断はすべて裁判所が全権的に握っている…、と言えるのかどうか。

 私は、いくら町議会の取り決め(法律)はなくても、それはまさか「人の上に立つ議員」というか「人様に信頼をいただいて町の条例や予算を決める議員」が、暴力団から買った覚醒剤をあろうことか控え室で吸うことが許されるか、という別の、つまりは「法」の観点からの判断になる。まさか覚醒剤を議員が吸うとは思っていないから「決まり」はなかったのであって、法律がなければ何をやってもいいのか、なのだ。

 葉山町の町民は、細川を町の面汚しだと憤り、辞職を要求した。これら怒りは法律がないから、不当だとは言えまい。細川のほうも、覚醒剤で逮捕・起訴されても初犯なら執行猶予だろうし、町議を辞めさせられないと高をくくっていたから、犯行に及んでいる。 
 これに怒るのは当然ではないか。町民を愚弄している。これを放置し許すのは、「法律」には問われまいが、「法」的には町民への名誉毀損にもあたる。
 これは古い言い方をすれば「掟」に反するのである。

 もっと極端に言えば、例えば娘を殺された親が、いくら犯人が捕まって裁判にかけられ、法律の裁きを受けたとしても、犯人を憎む親の気持ちは、「法律だから」では解決しないはずだ。親は「ええ、もうすっきりしました。リンチはやってはいけないし、法律なんですから」と言いきれるか? どれほど苦しむことだろう。

 国家はその統括のために、法の支配を貫徹させる。その規範の条文化というべきか、言語化したものが法律である。法の精神はいわば無限だが、法律は有限であるし、そうなるしかない。法律にはだから、穴があったり抜け道があったりする。それを国家は専門家として判断させるべく司法制度を創るのだ。国家意志を統括させるための機能として司法が創られる。

 司法は、娘を殺された親に代わって報復する(仇をとる)のではない。それが現象的にそう見えるかもしれないが、あくまで国家の統括の一環である。端的にいえば、法による統括が国家なのだ。殺人にしろ盗難にしろ、それを放置すれば社会が歪むから、統括しなければならない。殺人者に殺された側の縁者が報復することも、社会を歪ませるから禁じるのである。

 その精神が法であろうに。したがって、葉山町議会が細川町議の受けた判決とは別に、町議会ならびに町の秩序や品格などを害したと判断して、細川を失職に追い込んだのは、法律上ではやや問題なしとは言えないにしても、法としては間違っていないと言うべきではないか。

 また武田邦彦は、覚醒剤は戦争中や戦後しばらくは許されていたとする。覚醒剤はそもそも日本人の発明で、医療用であった。例えばヒロポン。これは薬局で特別の許可も要らずに買えたものである。だから覚醒剤のなにが悪い、騒ぐなというけれど、今は時代が違う。暴力団の販売ルートからしか一般の人は買えない。覚醒剤はただの薬だ、どうなってもそれは自己責任だと言うのは、いかにも理系の人らしい発想である。

 暴力団は、覚醒剤を北朝鮮や支那あたりの政府やマフィアから仕入れる。日本人が買ったそのカネが核開発や生物兵器開発、日本人拉致などに使われる。だから国家が厳しく禁止するし、使用した者を厳罰に処するのだ。(日本は甘過ぎる)
 覚醒剤をいうなれば、個人が嗜好品のように楽しむもの、と、単体で見るのはどうかしている。全体の害を見なければならない。

 法律では、処罰はここまで、で良かろうが、それは国家が歪んでいて、政治家や官僚やマスゴミなどが反日外国勢力にからめとられていて、国家の正常な統括がなされていないゆえなのである。
 覚醒剤を使用しても、初犯なら執行猶予でいいとか、町議に復してもいいとは、政治家などが裏で支那や北朝鮮の覚醒剤販売を助けているからである。

 サヨクどもは、支那や北朝鮮・韓国の脅威なんてないとうそぶくが、覚醒剤やらパチンコやらで、日本人を廃人に追い込み、日本人からカネをふんだくっているし、それを日本側で手引きしたり優遇してやったりしている政治家らがいる。これでも奴らは侵略してきていないと言えるのか?
 葉山町議だった細川は、こういう闇とのつながりで捉えなければならない。いやしくも地方自治体の議員たるものが、支那や北などの反日勢力の謀略を見抜けないどころか協力的であったのだから、これは「法」の観点から罰するべきである。



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☁| Comment(1) | エッセイ | 更新情報をチェックする