2016年08月23日

男がすたる、女がすたる


 皆さんは篤姫をご存じだろうか?
 2008年のNHK大河ドラマは『篤姫』だった。私は天璋院篤姫を演じた宮崎あおいが大嫌いなので、いっさい観ることはなかった。どうせNHK大河ドラマは史実とは無関係の話をデッチあげるのだし、受験秀才のNHKの職員が演出するんだからバカにしている。
 宮崎あおいについては本ブログで「ドブネズミは汚い!」として、CMに出ていた彼女を批判した。
http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/231834218.html

 さて、そんなことはいいのだが、篤姫は周知のように薩摩島津家の出で、第13代将軍徳川家定の正室になった。この婚儀は、薩摩藩主・島津斉彬が仕掛けたものであった。将軍の正室は、五摂家または宮家の娘しかなれない。徳川の譜代でも難しい。だから島津家は篤姫をいったん近衛家に養女として入ったのちに、建前は近衛家から将軍家に嫁いだ。

 ちなみに西武流通グループの総帥だった堤清二も、昵懇になった芸者をいきなり嫁にするのは見栄えが悪いと思ってのことか、いちど「水野家」の養女にしてから、箔をつけた(汚れをとった?)のちに嫁にした。「水野家」とは、フジTVや産経新聞などの社長だった、水野成夫のことで、その縁で息子の誠一が後に西武の社長になっている。
 財界ってのはこういうことをやる連中さ。

 で、篤姫は将軍家に入り「広大院」となり、大奥を差配した。篤姫が将軍正室になったことは、外様大名が将軍の舅となった極めて異例の事態であり、島津斉彬が時の阿部正弘政権に食い込もうとした野望が見てとれる。篤姫を大奥に送り込んで、御台所として権勢を振るってくれることを期待したのであろう。

 時代は幕末の動乱期に突入する。やがて薩長の下級武士反乱軍が江戸に押し寄せる。そのとき、薩摩軍の西郷隆盛は薩摩から輿入れされた縁で篤姫を江戸城から救出したいと申し出るが、篤姫に一蹴されている。もとは西郷が、篤姫のお輿入れの際に準備に奔走した縁があったから、歴史の巡り合わせの皮肉である。
 徳川慶喜は無能でなにもできなかったが、篤姫は朝廷、薩摩(実家)、西郷軍に対して徳川慶喜の助命嘆願書を提出する。

 しかし冷酷な西郷と朝廷は、篤姫の「従三位」という位階を剥奪して応えた。篤姫は、反薩長の奥羽越列藩同盟に対して「逆賊薩長討つべし」と要請書状も送っている。
 明治の世となって、篤姫は薩摩側の援助の申し出も断っている。そして一生、薩摩には戻らなかった。生活は困窮したと伝えられるが、終生徳川の人間として生きた。

 原田伊織氏の新刊『大西郷という虚像』(悟空出版刊)の冒頭にこの篤姫の話が出て来る。
 原田氏はこの篤姫の生き方を「徳川に嫁いだ身として今更薩摩の支援を受けたら、下種な表現になるが『女がすたる』という想いで生きたのではなかったか。天璋院篤姫。彼女は、紛れもなく『薩摩おごじょ』であった。」としたためている。
 
 また、原田氏は篤姫の生きざまの話の前に、身近に知った薩摩おごじょの例をあげている。
 それは原田氏が広告会社に勤務しているときに、後輩に薩摩出身の女子社員がいたそうだ。STという彼女はもの静かだが仕事においては音(ね)を上げるということがなかった。

 あるとき原田氏が鹿児島に出張になったときに、その女性が「高校時代の親友が串木野でクラブのママをやっているから立ち寄ってくれ」と言って現地の親友に原田氏のことを連絡した。
 原田氏が実際にそのクラブに行ってみると、港町らしく荒くれの男たちがたむろしていたが、店の若いママは完全に男どもを支配していて、原田氏のために数人の男どもをカウンターに追いやり、ボックス席を原田氏のために空けた。
 以後は、原田氏の本からの引用にする。

     *     *

 私のために、奥のボックス席の数名の男たちをカウンターに追いやり、その煽りを受けることになったカウンターの若者数名に向かって。「今夜はお帰り!」と、あっさり命令した。私が恐縮して、慌ててそれを制しようとしたことはいうまでもない。が、彼女は私を制し、
「まり子の大事な方だからね!」
と、私を店中の男に宣言した。「まり子」といったって、店にいた男たちに分かるはずもないのだが、それを質す男はいなかった。

 それは、私に向かっても宣言していたようにも聞こえ、子音の発音の綺麗な威厳に満ちた言い方に、殆ど抗することなく観念したのであった。「まり子」とは、後輩STのことである。
 彼女は最後まで私の席を離れず、両側にも女性を付かせた。この夜は、港町の男たちにとっては実に不運な夜だったとしかいい様がない。観念した私は勧められるままにしこたまハイボールを呷ったのだが、結局、この若いママさんは、頑として勘定を受け取らなかったのである。

「そげんことして、まり子に何ていうね!」
 彼女は、STと私の関係を誤解したわけではない。彼女にしてみれば、親友が知らせてきた一夜限りの客であることは承知しているが、その客に失礼があっては「女がすたる」のである。そういう意味のことを、確かに彼女自身が口にしていたのだ。

     *     *

 原田氏はこのスナックのママを薩摩おごじょの典型ではないかと書いている。なかなかいい話だった。
 篤姫とこの串木野の若いママ、二人に共通するのは「気立てが良くて優しいが、芯の強い薩摩の女」というふうに原田氏は解いている。
 篤姫もこのママも、女の中の女である。レベルの違いはあるだろうけれど、立派としか言い様がない。

 昔は俗に「男がすたる」とか「女がすたる」という言葉はよくつかわれた。今は死語かも。昔の東映ヤクザ映画なんかは、ほとんどテーマは「男がすたる」「女がすたる」…そんなみっともない生きざまはしない、であった。渥美清の寅さんシリーズも、せんじつめれば寅さんは「男がすたる」ことはやるまいと彼なりに頑張る話であった。
 朝鮮人や支那人にはこれはとうてい理解できない「生きざま」であろう。

 本稿最後に述べておきたいのは、私は師と仰いだ方を、何があろうと、組織を仮に離れることがあろうとも、バカにした言いようはしないと決めている。不肖私を弟子にしてくださり、どんな学校だろうが軍隊だろうが受けられない超一級の指導を受けられたことは、なんの取り柄もなかった私にとっては大幸運であったからだ。

 組織を離れたからとか、考え方が違ってきたからと言うレベルで、くさす、揶揄する、嘲笑する、そんなことは「男がすたる」ことなのである。人様のブログにやってきては、南郷学派の悪口を言い、空手組織をはなからバカにせずにいられないゲスがいるが、そんな輩と対話をするなんてことも「男がすたる」のである。

 例に挙げた、串木野のスナックのママであれば、いくら親友の上司の男だとて、料金をちゃんと取るのが「正しい」のである。だが、それとは別の価値観がわが國の民にはハッキリと存在する。どんな野卑な人間ともブログでやり取りするのは「正しい」だろうが、男は「男がすたる」ことはしてはいけないし、女は「女がすたる」ことをしてはいけないのである。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする