2016年09月30日

志士どもと嘘(1/2)


《1》
 明治以降、歴史教科書は“官許歴史”であることは、本ブログでつとに指摘してきた。官許、つまり政府と役人が許している(流布している)歴史の捉え方である。
 権力側に都合が悪いことは省かれ、都合のいいように記述される。
 先に今上天皇の不当な「お気持ち」談話について批判したように、一例として南北朝時代の歴史は歪められたままである。

 今も後醍醐院が英雄扱いである。異を唱えることは歴史学会でもマスゴミでも許されない。北朝が正統であるとする意見は、徹底して排除されている。
 まして幕末から明治に至る激動の時代は、公平に見られておらず、官許歴史のオンパレードで、明治政府側に都合のいい歴史に創られている。教科書がその通りを記述しているから、国民はみんな官許歴史を信じこまされ、歴史学会でもそれしか通らない。

 例えば…として、青山繁晴氏はよく幕末の志士たちこそ、名誉も要らない、カネも地位も要らないという純粋な無私の心で時代を変えようとしたと説き、現代のわれわれも志士に倣って、後世の日本人のために身を捧げてより良い社会を創ろうではないかと訴えている。参院選の街頭演説でも語っていた。

 彼の幕末・維新の時代認識は、官許歴史そのままである。吉田松陰を筆頭に志士たちを崇めている。京都の霊山寺にある坂本龍馬や高杉晋作などの墓に詣でるといつも一陣の爽やかな風が吹くのだなどとオカルト的なことまで口走るのには、鼻白む。
 ちなみに「志士」という言葉は、後世に作られた美名であって、本人たちが自称したものではない。

 青山繁晴氏のブログ「道すがらエッセイ」(8月8日付)にも書かれている。
 
     *     * 

 幕末から明治維新にかけても、まったく一筋縄では進んでいません。
 志士たちの無私の苦闘が、大政奉還から王政復古の大号令というクライマックスに達してもなお、どれほどの行きつ戻りつがあったか。
 慶應3年10月14日 (西暦1867年11月9日) に徳川慶喜が政権の奉還を明治天皇に上奏する大政奉還となってから、同じ年の12月9日 (1868年1月3日) に王政復古の大号令へと進み、江戸幕府が廃止される、そのわずか2か月足らずのあいだに、歴史は、坂本龍馬さんが盟友の中岡慎太郎先生と一緒に京都の近江屋で暗殺されるという犠牲を求めました。 (11月15日)

 そして捻 (ねじ) れ、結び、解 (ほど) けながら明治新国家の誕生に至り、その誇りある明治国家も数多くの深い矛盾を孕 (はら) んでいました。
 現代史がスカッと分かりやすく、胸がすくように進んだりしません。
 おのおのがた、ゆめ、動転なさらぬようにという、龍馬さんをはじめ歴史の先達のかたがたの声が、天から地からたった今、聞こえます。

     *     *

 青山氏は、原田伊織著『明治維新という過ち』を書名は挙げていないが「虎ノ門ニュース」で批判的に語っていたことがある。あんなのは嘘だ、松蔭先生はじめ志士たちは立派な青年たちだったと主張する。
 原田氏は明治維新が薩長の下級武士による、主にイギリスからの支援を受けてのテロとクーデターだったと説いており、私もその見解に与する。

 松蔭や西郷らを英雄に仕立てたのは、まさに明治政府であった。
 実像は全然違う。坂本龍馬は、イギリスの武器商人、悪辣なグラバー商会の手下になっていたゲス野郎であって、死後も長いこと相手にされていなかった。たしか日露戦争のときに、突然名前が出て、やにわに英雄に仕立てられ、サヨク司馬遼太郎が『竜馬がゆく』を書いて一躍知られるようになった。

 吉田松陰については以下の「松蔭のような秀才はいかに創られるか」をご覧下さい
http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/414106657.html

 青山氏は、幕末から明治維新にかけても、まったく一筋縄では進んでいないとしたためてはいるが、さらりと「慶應3年10月14日に徳川慶喜が政権の奉還を明治天皇に上奏する大政奉還となってから、同じ年の12月9日に王政復古の大号令へと進み、江戸幕府が廃止される、そのわずか2か月足らずのあいだ」と書いているが、これこそが間違った官許歴史である。

 歴史教科書にも、はたまたマスゴミの解説でも、こう書くケースが多かろうが、史実を改竄した不当な「歴史」である。
 
 では少々長くなるが、幕末の政局の流れを箇条書きしてみよう。これは島津久光が江戸に来て帰りに生麦事件を起こしたあとからである。当時は京都では尊攘過激派のテロが燃え盛っていた時期である。

文久3(1863)年
 3月 将軍家茂上洛
 4月 家茂、攘夷の実行を5月10日と奏上
 5月 長州藩、関門海峡通過の外国船を砲撃
 7月 薩英戦争
 8月 8月18日の政変(三条実美ら七卿落ち)
文久4年、元治元年
 1月 家茂、再び上洛
 6月 池田屋事変
    長州藩、伏見・天王山に布陣
 7月 禁門の変
    長州藩追討の勅命下る
 8月 四国連合艦隊、下関砲撃
 12月 征長総督徳川慶勝、広島から撤兵
元治2年、慶應元年(1865年)
 9月 長州再征勅許下る
 10月 通商条約勅許となる
慶應2年
 1月 薩長盟約成立
 6月 長州戦争開戦、幕府軍各地で敗戦
 7月 将軍家茂、大阪城で病死
 8月 小倉城落城
    徳川慶喜、長州藩征討の勅書を受ける
    慶喜、征長軍解兵を奏上
    休戦命令沙汰書下る
 12月 慶喜、十五代将軍に就任
    孝明天皇暗殺さる(長州藩による)
慶應3年
 1月 明治天皇践祚(せんそ)
 5月 兵庫開港、長州藩処分勅許
 6月 薩土盟約成立
 9月 薩摩・長州、上方出兵協定合意
 10月 徳川慶喜、大政奉還の上表(じょうひょう)提出
    薩摩・長州に討幕の密勅下る(偽物)
    大政奉還勅許
 12月 薩長による王政復古の大号令(失敗)
    小御所会議で幕府側敗れる
慶應4年
 1月 鳥羽伏見の戦い
 3月 江戸開城

     *     *

 これは原田伊織氏の『大西郷という虚像』(悟空出版)の年表から拝借し、一部を変えた。
 同書はこう書く。
 「この時期の政局とは、あくまで雄藩と呼ばれる有力諸藩の主導権争いであって、討幕を前提としたものではない。後世の薩長史観といわれる後付け史観が語るような、何らかの国家理念を掲げて、それに向かって邁進していったというような動きでは断じてないことを、改めて認識しておく必要がある。」

 「徳川将軍政権の絶対優位を認識しながら、単独では対抗し得ない有志諸藩が雄藩連合を意識し、或は現徳川政権を巻き込んだ雄藩連合を企図して、その主導権を握ろうとした政治抗争なのだ。」


 このつづきは明日。



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2016年09月29日

NHK貧困女子高生の嘘


 NHKが、こどもの貧困を取り上げたニュース番組が、捏造であることが判明しちょっとした騒動になっていた。
「またもやったかNHK」と、当の「貧困少女」の暮らしぶりがネット上で暴かれて炎上する騒ぎに。
 この番組は、8月18日夕方のニュースのなかで「特集」として紹介されたもので、私も偶然見た。
https://www.youtube.com/watch?v=kwoEjfpPnTY

 神奈川県に住む女子高校生は、母子家庭で貧困に苦しんでいると。少女は(おそらくはサヨク系の)集会で、「もっと貧困家庭に目を向けて」とスピーチをした。それを何故かNHKが居合わせて撮影し、さらに自宅に行って中の様子を取材して、放送した。

 これを見た人たちが、ネット上で「やらせだ」「あれが貧困か?」と疑問を呈しはじめ、その少女が特定されて、プライバシーまでが次々にさらされることとなった。少女が嘘つきだとしても、プライバシーをさらすのはいけない。
 NHKは厚労省の発表では、今はこどもの6人に1人が貧困家庭だと断言していたが、そんなバカな。いったいどういう統計なんだかも言わずに、一方的に嘘をバラまく。こういうバカを言うから、ネット上で炎上する。

 委細をご存じない方に事件の概略を申しあげておくと…。

 高校3年生の女子生徒は、両親が小学校5年の時に離婚し、アルバイトの母親と2人で暮らしているという。実名で登場した。
 部屋にはエアコンはなく、暑い夏は首に保冷剤を撒いて凌いでいる。自分が貧困家庭だと分かったのは中学校のパソコンの授業で、自宅にパソコンがないため授業に付いて行けなかったから。(嘘臭!)
 
 心配した母親が1000円ほどのキーボードだけを買ってくれて練習をした。絵を描くのが大好きで専門学校に進学したいが入学金の50万円が払えない。現在は就職するか職業技術校に行くか迷っている、という内容。

 少女は横浜市で学生たちが企画したイベントに登壇し、子供の貧困問題について訴える姿がNHKに放送された。偉そうに「あなたの当たり前が当たり前じゃない人もいる。こどもの貧困の現実を変えるためにまずこのことを知ってほしい」と言っている。
 
 私はまず、嘘だ!と見抜いたのは、少女が顔の色つやもよく、やや肥満だったことである。それに、ネットでも騒がれたように、部屋には物が溢れていたのだ。スマホができるのは、毎月高い費用が払えるからじゃないか。
 貧困だと言う割には、健康そのもので太っているのだから、ただちにこれはNHKと、おそらくは共産党(民青)のやらせとわかっちゃったのである。

 私の子供ころには、同級生にも本当の貧困の子はいくらもいた。着ている衣服からしてみすぼらしかったものだ。
 それを知っているから、少女が教室で弁当を広げて談笑している様子を見れば、ずいぶん豪華な弁当だとわかり、絶対に貧困なんかじゃないと見てとれる。少女の衣服も、とうてい貧困ではあり得ない。

 ついでながら、私も我が家にはエアコンはあるが自室にはエアコンがなく、炎熱の夏には保冷剤を首に巻いて酷暑をしのぐことがある。別に貧困だからではない。あまりエアコンは使いたくないのと、ただのちょっとした工夫だ。団扇で扇ぐのと変わらない。団扇で扇いだら貧困か?(笑)

 それから、この少女は将来デザイン系の仕事をしたいから専門学校に行きたいと言っているが、それならなにも専門学校に行く必要は特段はない。自力で実力を磨く世界である。専門学校に行くのは無駄な出費であって、要は本心は遊びたいのだ。
 時代が違うと言われるかもしれないが、私の父は戦前の生まれだったし、子だくさんの正真正銘の貧困家庭だから、小学校しか出ていなかったが、漫画家を本業とする傍ら、デザインの仕事もこなしていた。家庭を貧困に落とすこともしなかった。

 絵を描く実力は美大や専門学校に行かなくてもやっていけるという実例である。それと大事なのは人間性である。NHKに出ていた少女「うらら」は、進学のことより、もっと良い顔になるよう努力したほうがいい。これは美人かどうかの話ではない。もっとシャキッとした顔にならないと、どこかのデザイン事務所に入りたくても、まずは話し方や顔つきで撥ねられる。また入れても、良い仕事は回ってこない。

 デザイン界も競争社会である。良いスタートにつきたければ、専門学校よりやはり美大に行くべきで、学生の質も教員の質も違うのだから。
 だが、白痴コンサートやアニメ(ワンピース)に夢中になっているようでは、まじめに勉強して上級学校を目指しているとは言えまい。詳しいことは分からないが、スポーツをやってカラダを鍛えている様子もない。それではアタマは良くならず、良い感覚も磨かれない。カネをかけずにできるスポーツはいくらでもある。

 少女の勘違いを誰か大人が正してやるべきである。

 この放送を見た人たちの多くが、ネット上で、女子高生の部屋は物で溢れていて、2万円近くする画材道具が見つかった、などと騒ぎ出した。女子高生のツイッターが特定され、なかには1000円以上もするランチを食べたという報告が幾度もあり、有名グループのコンサートや、アニメイベントに行き、同じ映画を何度も見たとのつぶやきを発見したとし、「これを貧困というのか?」「自分よりも裕福」と騒ぎになった。

 少女自身がツイッターに嬉々として書き込んだものを見るとこれは夥しい浪費ぶりである。文章もバカ丸出し。誰が見たって、進学できない悩みを抱えていると思えまい。

 片山さつき参議院議員も問題視し、ツイッターで少女のありようを見て「おや?」と思った人もいるだろうと書き込んだ。国会議員がそんな下々のことに首を突っ込むべきではないが、誰しも変だなと思っただけのことだ。片山氏は、NHKの多数の虚偽報道を問題視しているのであって、私はそれは支持する。

 片山氏は、進学するカネがなければ奨学金制度もあると勧めている。高校3年生ならアルバイトをやってもいいんだし。母親だって、ちゃんと勤めようと思えば、娘を大学や専門学校に行かせるくらいはさほど難しい話ではない。

 この母親も、もし本当に貧困ならば、自分の家をテレビ局に映させまいに。恥ずかしいとは思わないのか? 放送されても良いとの判断は、ちゃんと物はあるし、そうみっともない家の中ではないと思えばこそ、NHKに許したはずだ。だからたぶん、母親も共産党なのではないか。こんな臭い番組を薄ら笑いを浮かべながら作らせたのでは?

 NHKは番組制作にあたって、不真面目である。こんな嘘くさい特集を流せば、疑問を招くことがあるかも、と、どうして局内で検証しなかったのか。嘘をつくならもっと上手にやれよ。弁当は「日の丸弁当」でも持たせれば、騙される人もいただろうに。
 つまりは、NHK内に共産党員がいるのである。
 集会を主催した神奈川県にも、共産党と在日は入っているのであろう。

 こうやって、貧困家庭の問題をデッチあげて、共産党や在日は活動の一つにし、国会で政府を吊るし上げようとしている。NHKだって取り上げているじゃないか、と国会で取り上げるつもりなんだろう。

 ブログ「BBの覚醒日記」も9月4日付でこの問題を取り上げている。
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/fdb4a00c6cded4f153c110957726d773
 テレ朝がモーニングショーで取り上げたが、逆にNHKの虚偽報道を批判する視聴者たちを批判していたことを、「馬鹿丸出しの浜田敬子、玉川徹、羽鳥慎一」と出演者をなじっている。浜田敬子は朝日新聞の雑誌「アエラ」の前編集長である。玉川徹もテレ朝の社員。卑しい顔をしている。

 ご興味ある方は、動画でご覧下さい。腹がたちますけど。
 「BBの覚醒日記」では、「テレビ朝日では、左翼誌「AERA」の喋る前から何を言うか分かりきっている左翼編集長をゲストに、左翼的番組を最初から作る気で作っているわけです。
 そして、憎い片山議員を叩くという構図は、2日のウジテレビ「グッデイ」で小池百合子都知事を背後から斬りつけるのと全く同じ手法です」と主張されていて、まったく同感である。

 NHKにしろ民法にしろ、最初に結論ありきのサヨク人員集めをして、サヨク在日系の放送作家が原稿書き、それをこの連中がしゃべる。
 仕切っているが電通であり、芸能プロ。
 まじめなはずの報道番組なんかに、コメンテーターとして下品な顔の無教養そのもののお笑い芸人(在日)を登場させる、あのセンスは在日ならではである。




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2016年09月28日

日韓スワップ協定をどうする?


 日本と韓国の財務当局は8月27日、「通貨スワップ協定」の再締結に向け議論を始めることで合意した。締結までの期間については「数カ月かかる」とし、近く実務者レベルの協議を始めることになった。
 スワップ協定は通貨下落などの緊急時にドルなどを融通し合う仕組みだが、事実上日本が通貨危機になる可能性はまったくない。経済崩壊が進む韓国がドル決済できなくなるピンチを救うための協定だから、「スワップ」と言うべきではない。いったい誰の差し金だ?

 日韓の協定は2015年2月に打ち切りになっていた。偽慰安婦問題や竹島問題で日韓関係が悪化したうえに、韓国が忘恩の仕打ちをして、スワップ協定は日本から頼まれてやったとか、迷惑だったとか抜かすものだから、さすがに日本側からも協定延長がなされなかった。

 サヨク朝日新聞などは、「協定が復活すれば、両国の関係改善を表すことになる」と、韓国べったりの評価を勝手にやっている。テメエだけには言われたくない。
 今回は韓国側が、イケ図々しくも「両国間の経済協力を強化する」として提案したものだ。日本側も「地域金融市場の安定を高める」として韓国からの提案を受け入れた。

 韓国の本音は、韓国通貨ウォンの国際信用が地に落ちている現状から、信用力抜群の円の後ろ盾が欲しいだけのことである。このまま推移したら、またIMFのお世話になる屈辱をうけいれなければならなくなるのは必至で、韓国財界はかなりの危機感を抱いているようだ。
 財界の本音は、青瓦台や反日運動家に「いい加減にしてくれ」と思っているのだろうが、それを言えば袋だたきにあうだろう。

 だから水面下で日本に泣きつくのだ。
 またアメリカは、朴槿恵政権が中共への傾斜を強めるなか、なんとかいわゆる資本主義陣営に韓国をとどめさせたい思惑があったろう。もともと日本が近代化して創ってやった朝鮮半島を、アメリカが頂戴して、都合良く支配してきたのだ。だったらアメリカが助けてやれよ。
 それで韓国を締め上げてTHAAD(高高度防衛ミサイル)の配備を容認させたのだから、米国として朴槿恵政権に経済面でのご褒美を用意する、という戦略もあるだろう。

 だからアメリカは日本にも圧力をかけ、韓国に経済援助をしてやれと脅してきているのではないか。

 かといって、日本が韓国を助けてやっても感謝するどころか、余計なことをしやがってと逆恨みし、しばらく経てばもっとほしいとゴテて、無心をはじめる。あるいは偽慰安婦でさらに騒ぎたて、侮辱ざんまいをしてくるのは目に見えている。大統領が代われば、あんなことは前政権がやったことと言い出す。
 日本側に経済的メリットは皆無である。
 
 さて、さはさりながら、ということは考えねばならない。
 私も韓国憎悪は人後に落ちないし、在日特権はすべて剥奪すべきと思うが、いかにあの民族の民度が低く、認識が歪んでいるとはいえ、韓国にはまだ親日勢力もいないではないし、日韓の険悪状態を憂える人もいる。「従軍慰安婦」は嘘だと言っている有識者だって少数ながらいる。

 それに、わが国にとって、喫緊の課題は支那と北朝鮮の脅威にどう対応するか、である。その視点からの考察を無視して、感情的にのみ「嫌韓」ではまずいのだ。むろん、かといって韓国に肩入れするのには感情が許さないが…。
 韓国は政府中枢に北の工作員やシンパが入り込み、反日を職業にしている連中の中にも北の工作員が潜り込む。偽慰安婦で強硬な態度をとり、元慰安婦という怪しげな婆どもを焚き付けている挺対協はまさに北の工作員とされる。

 元々韓国は愚かにもデタラメ反日をやらかしているところへ、北の工作員がさらに火に油を注いで回っているらしい。
 西尾幹二氏が面白い譬えを書いていた。

      *     *

 韓国の近年の対日対応はとてつもなく腹立たしいことではあるが、譬えていえば、我々が一台のバスに乗ったまま、銃砲火器を構えた暴力団に包囲されている状況を考えてほしい。その時、いままで身内だと思っていた乗客の一人、十七歳の少年が突然ナイフを持ってバスのなかで暴れ出した。バスの外の暴徒を警戒する前に、身内の狂人を取り押さえなくてはならない。これは容易ではない。

 いまの東アジア情勢は、こういう比喩が当てはまるのではないか。我々は十七歳の少年犯の性格を解剖したり、彼を道徳的に非難したり、罵ったり、怒ったりしても仕方がない。彼を取り押さえ、馴致し、懲罰し、教育教導しなければこちらの身が危い。

 さて、わが国の韓国論、世に溢れる議論はそういうリアリズムに基づいて論じられているであろうか。つまらぬ悪口罵倒に耽っているのではあるまいか。「十七歳の狂人」は現実に物を考える力がなくなっているのである。自分の姿が見えないために、どうしようもなくなっているのである。われわれの議論も、そのことを直視するところから出発すべきであろう。感情的になっても仕方がない。
  (『日本、この決然たる孤独』徳間書店)


     *     *

 こういう十七歳の狂人になっているのは、韓国人自身の歴史にもよるだろうし、支那、アメリカ、北朝鮮のしからしめている仕儀なのである。みじめなものだが、身から出た錆。
 韓国は反日におだをあげているうちに、経済がガタガタになった。
 ほんま、アホやん。

 ただ、問題は、放っておけばこの十七歳の少年は、ますますバスの中で暴れるのだ。つまり経済破綻が生じれば、いよいよ暴れ、自業自得とは思わずに日本だけを恨む。それは支那や北朝鮮の思う壷である。バスの中という日米韓の連携がぶち壊れる。
 だから…と西尾幹二氏は説く。

 支那の戦略は、北朝鮮と韓国を手駒として、自らは手を汚さずとも日本を攻撃するか、攻撃するとみせかける形成をつくって日本を政治的に動かそうともくろんでいる。「複雑で由々しい構造に東アジアが陥っており、そのなかにわが國の不安な現実が存在することから片時も目を離してはならないのが、日本の論壇の課題」と説いている。

 支那が狙っているのは、韓国の軍事力であって、韓国は日本に向けて敵意をあからさまにしている。中共にとってこんな嬉しい状況はあるまい。
 なんとテロリストでしかない安重根の記念碑を支那領土内に建ててやっただけで、韓国は狂喜乱舞、なんでも言うこと聞くワとなってしまった。

 だから、と西尾氏は言う。韓国の振る舞いに腸(はらわた)が煮えくりかえる思いを日本人は抱くだろうが、彼らを責め、悪口罵倒によって意趣返しをし、理不尽を暴くことで自らの気分を爽快にしたってしょうがないではないか、と。

 もっとも大切なことは、わが国に危害が加えられないようにするにはどうしたらいいか、だ。
 真剣に、今、韓国にどういう対策をいち早く打っていくかが課題だとも。

 それも一理はあると思わなければいけないと私も思う。だから、先祖を侮辱されても耐え忍んで、日韓合意に基づいて10億円を韓国にくれたやり、スワップという名の救援措置をとるのも、致し方ないと言うべきか。
 そうした極東のパワーバランスを読んで、韓国は日本からカネも領土も毟りとろうと画策する。

 とにかく、すべては日本が「交戦権が認められない」状態にあって、まともな軍隊が持てないこと、そして核兵器を持てないことから来る、この屈辱なのである。一刻も早く、再軍備と改憲を実現しなければ手も足も出ない。
 なのにバカなサヨクは、9条を守れしか言わず、日韓の友好が大事と言い、慰安婦の賠償もしろと抜かす。

 まったく、バカにつける薬はない。




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2016年09月27日

東京都民政局長室占拠事件の真相


 8月27日の虎ノ門ニュースを見ていたところ、高山正之氏が衝撃的な“事実”を語った。1950年代に、都庁がまだ丸の内の鍛冶橋にあったころ、「解同」の連中が大挙して都庁に押し寄せ、占拠した事件があった、と。美濃部都政のころだった。占拠は3カ月にも及んだ。彼らの要求は、荒川区と墨田区を自治区にしろと言うものだった。
 しかし、後難を怖れてマスゴミは一切これを報道しなかった。さすがのサヨク美濃部もこれは受け入れなかった、とか。

 早速調べてみた。Wikipedia には、「東京都政不当介入事件」と出ている。または「東京都民政局長室占拠事件」とも言う。ただこの事件の呼称は、共産党が言っているのでも、都庁側が言っているのでもないと注釈がある。マスゴミも報道しなかったから「名前はまだない」という漱石の「猫」みたいなことになっている。
 まず美濃部都政は、1967年から1976年までの3期である。1950年代ではない。また、50年代には解同による占拠事件はなかった。

 1974年8月26日から8月30日まで部落解放同盟の構成員が東京都庁民政局長室を占拠し、「6項目の確認」の受け入れを東京都に要求した事件はあった。3カ月ではなく5日間である。これなら、美濃部都政の3期目での出来事である。

 民政局室の占拠とされるが、高山氏は、解同のメンバーは建物内の階段にぎっしり座り込んでいたという。
 5日間もこんな不届きな連中を排除しないで、座らせていたのは、やっぱりサヨク美濃部のバカさ加減である。

 解同が要求したのは以下の6項目である。高山氏が言うような荒川区と墨田区の自治要求は含まれない。

1.応急生活資金については、部落解放同盟都連を通じて申請したもの(43名)についてはただちに貸与する。その他のものについては「東京都同和対策協議会」(東京都と部落解放同盟都連だけで構成)小委員会で協議し、東京都と部落解放同盟都連で、「自覚、自立の意識」を高める教育をおこなったうえで貸与する。
2.都立産業労働会館(現・東京都人権プラザ)を、狭山闘争本部として、宿泊も含め、約1ヶ月間の使用を認める。

3.部落解放同盟代表と都知事との面会を9月10日までにおこなう。
4.狭山裁判についての決議を、都議会側と協議して、審議を促進、決議するように働きかける。
5.部落解放同盟正常化都連(現・人権連)のビラ(8月30日付)に事実と違うところがあるので、訂正したものを都が出す。
6.過去5年間の東京都の同和行政を総点検する。


 結局、この要求に対して東京都はどんな返答をしたかというと、Wikipedia には以下のように書かれている。

 第1項の生活応急資金融資については、窓口を部落解放同盟に一本化せよ、というのが部落解放同盟の要求であった。ところが都側がそれを拒絶したため、部落解放同盟は民生局にそのまま居座り続けた。そして8月30日までの5日間、民生局長室に立て篭もり、荊冠旗を窓から突き出すなどの示威行為をおこない、その結果、民生局の業務を麻痺させた。
 結局、東京都は第4項と第5項を除いて部落解放同盟の要求を受け入れた。都知事との面談も9月13日に実現した。


 しかしながら、東京都が解放同盟の行動を「都政に対する不当介入」だと主張している訳でもなく、刑事事件・民事事件として立件された事実関係も存在しない。
 高山氏は、当時の民政局長に取材したそうだが、解同との「交渉」の過程で、3度もメガネを壊されたと語ったそうだ。アルミの灰皿を投げつけられたからだ。暴力で要求を通したのだ。

 だいぶ高山氏の記憶違いはあるが、大筋ではあった事件であった。
 報道がまったくなされなかったから、国民は知るよしもなかった。
 トップに立つ都知事が解同のシンパなのだから、一介の局長クラスではとうてい拒否しきれるものではない。知事が警察を呼んで排除し、メディアも報道すればなんとかなっただろうに、これでは言いなりに屈服するしかない。

 みなさん、これがサヨクなんですよ。昨年夏に「安保法制反対」をわめいた連中なんですよ。9条を護れと言っている連中がこれなんですよ。NHKや朝日新聞などが応援しているサヨクの正体なんですよ。

 こうやって戦後、軍隊がないばかりに、在日が暴れ回ったのだ。
 高山氏は、例えば都庁の役人の家にまで大挙して押し掛けて、怒鳴って脅したと証言している。これはその通りだった。
 出版社や新聞社もずいぶんと、「差別語」をネタに解同に押し掛けられて大迷惑した。これを取り締まることは警察もしなかった。彼らは憲法を振りかざして、結社の自由とか、言論表現の自由とか、差別禁止などを楯に、暴力を振るって屈服させたのだ。

 出版社や新聞社に衆を頼んで押し掛けて、大音量で叫び、電話をかけてパンクさせ、著しく業務の妨害をやったものだった。社員はみんな怯えた。会社のほうは誰も護っても取り締まってもくれないから、屈するよりほかなかった。交渉できる相手ではない。
 サヨクに批判的な主張をする作家や評論家にも、圧力をかけて、どこからも原稿依頼がこないように妨害した。

 だから知識人は軒並み、サヨクになるしかなかった。屈しなかったのは、福田恆存氏などごく一部である。その名残りは今も続く。 
 マスゴミや学界では愛国者が排除され、日本が悪かったという自虐史観者たちが、出世階段を上がったのである。今もそういうクズがマスゴミを支配をしている。

 幸いにして、保守論壇の雑誌として「正論」「Will」「新潮45」などが登場し販売部数も増え、保守系ネットテレビもできて、サヨクに批判的な知識人にも食っていける場ができたことは大変喜ばしい。

 解同もほとんどが今や在日に乗っ取られていると聞く。今ある在日の特権はこうして役所から奪われたのである。その事実を語ると、在日やサヨクは都合が悪いので、「ヘイトスピーチだ」と言って、弾圧をかける。

 媚中・副島隆彦はサヨクシンパで、昨夏に国会前でドンチャン騒ぎをやったバカ学生を称讃したくらいだから、こうしたサヨクの狼藉には口をつぐむのだ。

 そうした傾向が大きく変わってきたのが、私は北朝鮮による拉致が暴露されて以降ではないかと思う。NHKでさえ、「北朝鮮…朝鮮民主主義人民共和国」と言っていたのを止めた。
 そして「従軍慰安婦」なんてなかったことが明らかになって、朝日新聞の信用が地に落ちたのも大きい。
 サヨクどもが、いかに嘘つきだったかを国民が知るようになった。
 安倍首相の高い支持率もうなづける。




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2016年09月26日

「軍刀の操法」について


 以前は本ブログにたびたび登場してもらっていた、畏友M参段は空手参段であり、剣道七段の腕前でもある。ひところ、わが道場でも空手の練習をする前に、希望者に「軍刀の操法」を指導していた。
 そのM君が書いたレポートは旧ブログに載せてあったが、埋もれさせておくのはもったいないので、再録することにした。
 大変大事なことが書かれている。再録にあたっていくらか書き加えてある。

      *     *     *

【帝国陸軍編纂「軍刀の操法」について】
 剣道の堕落は今に始まったわけではなく、すでに江戸期から竹刀剣道は華法剣道と言われ、大仰な身振り、けたたましい向こう受けを意識した掛け声、品のない勝ち誇り等、明治以前に批判はされているのです。

 武士ではない者たちが、幕末期大量に町道場に入門し、道場主も食っていく為に弟子達の「武道者としての躾」に手を抜いたと思えます。教えはしたが、武士的教養、挙措動作、言葉使い、町方文化の者には簡単に身に付くものではありません。
 蛤御門の変、鳥羽伏見の戦い、上野の彰義隊、小千谷の戦い、会津の戦い、函館戦争の五稜郭の勇士、神風連の乱、西南の役の抜刀隊剣士達、、、、最後まで戦ったのは武士達であり、お気楽町人達は皆、逃亡しています。

 このお気楽者達は今でも剣の世界にいっぱい入り込んでいます。
 真剣では余程の使い手でなければありえない上段を、非力な女の身でありながら平気で取るもの、突かれただけで激怒し、自制の効かなくなる者、稽古中に足払い体当たりを受けて起きあがり、反則を言い立てる者、道具外れに当てて「ご無礼」の一言も無き者、「ご無礼」と剣を引きたる者の頭をしたたかに打ち据える者、鍔迫り合いからいつまでも離れようとせぬ勝負にこだわる未練者、股に平気で竹刀をはさむ者、切っ先を床に触れて気にもかけぬ者、挨拶もなく人前を横切る者、鞘当てに平然たる者、刀をまたぐ者、刀の受け渡しの作法も知らぬ高段者、ひと様の刀の刃に指先で触れ切れ味をみる者、首から手ぬぐいをかける者、飲んで裸になる者、傘なく雨に降られ走り出す者etcです。

 こうしてマナーが崩れ、技も崩れて行ったのでしょう。私共の頃は上段なぞ許されませんでした。
 ただし上段を取る男女の名誉のために言っておきますが、彼等彼女等はお気楽で取っているわけではありません。上段は中段以上に技化に大変な労力と時間を必要とします。
 なぜ上段が増えるのか、それはあくまでも竹刀による試合剣道に勝つためであり、刀による実戦の途絶えてない今、試合に勝たねばならぬ以上有利な構えとして若年層からの実践者が増えています。
 
 帝国陸軍編纂の「軍刀の操法」は華法剣法が満州の戦場で、青竜刀に苦戦したという、深刻な体験から大正時代に編纂され昭和期に完成しています。したがって大流儀にあるような座り居合は一切ありません。
 正規には野外で演練するものです。

 将校は戦場で軍刀を抜いて指揮をします。後方の兵から見て動作の小さい拳銃は極めてわかり難く、兵は「行け」なのか「止まれ」なのか「伏せ」か「退がれ」か「回れ」か、無言の指揮動作を軍刀の動きで見て取ります。これを古来、武士は「刀の持つ偉大な武徳」とよんでいます。槍は目立ち過ぎて無理です。

 (第一次大戦後、早々と指揮刀を廃止した米軍はわざわざ将校用に小型軽量非力のM1カービンを開発、支給しています。彼等はこの小銃を掲げて指揮をとっています。)

 その将校が自分の軍刀の使い方を知らないでは「士道不覚悟」とされます。
 「軍刀の操法」はテニス部出でもバレーボール部出でも一応、恥ずかしくない程度に操作できる事を目標にしています。難しくて習得に時間がかかり過ぎては困ります。そのためもあり、合計7本に状況想定を絞ってあります。

 剣道の悪口ばかり言いましたが、剣道、剣術が幕末以来の近代日本のサバイバルを助けたことが、少なくとも三つあると思います。

 (引用開始)
 『一つ、日本の政府要人の姿勢と目つきをよくした。江戸幕府の末期、外国との折衝にあたったエリート閣老たちは例外なく、朝は夜明け前に起床して、槍や木刀を千回くらい使ってから登城するのが日課であった。頭脳だけでなく体力および気力でも誰にも負けなかったから、困難な時代の重責を任されていたし、外国人もその目つき物腰を見ただけで、ナメてかかることはできないと悟ったのである。能力主義は、なにも薩長だけの専売特許ではないのだ。(政治家であるアーミーテージやチェイニーらが名門大学のレスリング部出身の巨漢であることと無関係ではない、川口順子元外相など蛆虫ぐらいにしか思っていない)

 二つ、日本の知識人の肝を据えさせた。勝海舟は若い頃にだいぶハードな剣術訓練を受けていた。福沢諭吉は、晩年まで立見流の居合を日課としていた。一見、飄然としたイメージの彼らだが、腕に覚えがあるからこそ脅しにも屈しないし、万事に心の余裕も持てたのだ。

 三つ、最前線の指揮官に、不屈の攻撃精神を与えた。いくら児玉源太郎の頭が良くとも、ヘトヘトの小隊、中隊を叱咤して敵陣に突撃させるのは若い少、中尉である。もし彼らが剣道を早くから捨てていたなら、日本の敗戦はあと数十年早かったろう。そして、そこからの復興は、未だに不可能であったかもしれない。』(引用終わり)

 以上の引用は、兵頭二十八氏著「日本人のスポーツ戦略」からの抜粋ですが、「剣は一生に一度の用立て、殺すを要さば即ち殺す」、剣の実用を自己の武の基本ととらえている者は、最低、自己の所持する真剣で、切れ味と共に自己の技量確認を時々しておくのは、武士たる者の心得であります。

      *     *     *
 以上が、M参段(剣道七段)の「軍刀の操法」講義である。
 最後に書かれている3つの「剣道、剣術が幕末以来の近代日本のサバイバルを助けたこと」はすこぶるつきの大事と言ってよい。
 義務教育で武道を必修とする案が出ているようだが、こうした人間形勢を目指すものでないなら、やる意味はない。武道武術は単なる礼儀作法ではない。中身が重要なのである。

 このわが国独自の刀剣の扱い方や戦い方は、特亜三国にはなかった。ロスケやアメ公にもない。だから大きく民度に差がついたと言ってよかろう。奴らは、ただの戦い、あるいは武器としか見なかったが、わが国では魂の高みを目指したのである。
 それゆえ、わが国では徴兵制が復活しなければならないのである。
 徴兵制を、と言いかけただけで罪人のごとく扱われるけれども、それは軍国主義とは関係がない。

 わが国の民度を落とさないためである。
 一般庶民にはM参段も書いているように、「お気楽」に過ごし、魂の高みを目指すことはなかった。

 他人のブログに押し掛けて、はじめから誹謗中傷するのが狙いである貧寒な輩はまさにこの「お気楽者」でしかなく、武人がまともに相手にするものでは断じてない。そんな輩と平気で相互浸透できるとは、つまりは武人の魂をなくしたということである。
 
 むろんわれわれが修練している空手も同様の意義を持つ。
 「要人の姿勢と目つきをよくする」
 「人の肝を据えさせる。腕に覚えがあれば脅しにも屈しない」
 「指導者に、不屈の攻撃精神を与える」
 この3つは、わが空手流派での論理能力の学びとは別に、習得できる魂である。

 さらに大事なことがある。
 それは幕末・明治期のエリートたちは剣の修業(修行)をしたから頭が良くなったとはいえ、それは結果として、であった。けれどわが流派では、さらにいかにしたら目的意識的に頭が良くなる稽古ができるかを、発明・発見したところが、まさに前人未到の偉業であった、ということである。




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2016年09月24日

築地市場移転では小池知事を支持(2/2)


《2》
 最近よくお邪魔しているブログ「赤峰和彦の『日本と国際社会の真相』」の9月3日付で、築地市場移転に絡んで問いかけをされている。
 「豊洲への移転延期について、江東区の山崎孝明区長が強く反発しています。背後には、山崎氏自身の既得権益にまつわる思惑があるためです」と断言。

 そこで山崎区長に質問書を出したが、無回答だと言う。そうだろう、回答できないのだ。
 築地市場の豊洲移転延期決定について、山崎区長は発言して「都が区に事前相談や報告もせず、移転延期を一方的に公表したことは極めて遺憾。こうした物事の決め方は地方自治の根幹を揺るがしかねないものと危惧している」と報ぜられているそうだ。

 薮を突いて蛇がでてきたようなものだ。
 赤峰氏も質問書で「地方自治の根幹を揺るがしかねない」とのご発言について、具体的には何が問題なのでしょう? と問うているが、まったく山崎区長の頭の悪さが露呈している。地方自治の根幹とは何か、今回の小池知事の決め方のどこが悪いのかを具体的に説明していない。これを「媚中・副島隆彦流」という。

 さらに、赤峰氏は「都知事は都民の食の安全を優先させましたが、区長にはその視点はお持ちではないのでしょうか?」「都民は小池都知事の決定を歓迎していますが、区長が激怒するのは別の理由があるのでしょうか?」「検査結果を待たずに豊洲移転を急がせる理由は何なのでしょうか?」と尋ねている。ごもっともである。

 この山崎の口調がマスゴミと見事に一致しているのは何故?
 事前に相談がなかった、とは良く聞くセリフである。豊洲がある江東区の区長だからといって、何を偉そうに「俺に相談しろ」と言えるのか。無能なくせいに。小池知事は、これから闇を明らかにして情報開示をしますと言っているのだから、その発表を待てばいいだけだ。

 赤峰氏は、信頼すべき情報筋からの見解として以下を公開している。
 「江東区の山崎区長への抗議電話やメール、FAXが9月1日夕方までに数百件に上っています。
 実は、区職員の70%ほどが区長のやり方に疑問を持っています。そのため職員の多くはこうした事実が明るみに出ることを期待しています。

 日ごろから山崎区長は自分自身の立場を維持したり、高めることに執心し、決して区民の生活や安全を考えているわけではありません。
 職員は区長が利権に絡んでいることを感じ取っているので、いずれ区民も知ることになりそうです。」

 国政レベルから都政・県政、市区町村のレベルに至るまで、政治や利権に関しての、いうなれば“潮目”が変わったのであろう。このまま良い方向に展開していくかどうかは分からないが、まさに声なき声が少しだが立ち上がってきた。

 大きくは、支那、韓国、北朝鮮が反日をやらかしてくれて、さずかにおとなしい日本人も怒るようになり、反日メディアに愛想を尽かすようになってきた。大手のマスゴミが信用されなくなった。反日メディアは相変わらず、支那様、韓国様、北朝鮮様と崇めまつっているのだから、バカにされて当たり前だ。

 サヨクの総本山だった、朝日新聞が失態をくり返して凋落し、NHKも不祥事続きで呆れられた。サヨクにはサヨクの利権があることに誰もが気づくようになった。
 もしかして改革をしてくれるのか? と期待した大衆が民主党政権を選んでみたら、自民党より無能で嘘つきだと判明してしまった。

 サヨクと反日に占領されていたメディアの世界に、保守派、民族派のメディアが登場してきた。まだ大きな力は持っていなし、ネットの世界しか浸透していないが、例えばDHCシアター、チャンネル桜、ネット動画サイトなどが、反日マスゴミとはまったく違う視点で報道するようになった。これがじわじわ効いてきているのだろう。

 先の参院選で青山繁晴氏が多数の得票を得て当選したのも、都知事選で小池百合子氏が圧勝したのも、ネットの力に負うところが大きく、昔の大手メディアしかない時代なら、当選していなかっただろう。ネットがなかったら、鳥越のようなクズが知事になっていただろう。

 ブログでも、反日サヨクのブログは人気は出ないが、保守系、民族系、アンチ左翼系のブログは大きな支持を得ている。
 こうした流れがあったから、“潮目”が変わったのだ。それがわからないアホが、この江東区長であったり都議会自民党のドンである。

 江東区の職員の多くが区長のやり方に疑問を持ち、そのため職員の多くはこうした事実が明るみに出ることを期待しているということも、潮目の変化を表わしている。
 東京都では、江東区、江戸川区、墨田区などが海抜ゼロメートル地帯で、とくに江東区はほとんどがゼロメートル地帯である。

 もともと江戸川の河口付近で低地であったところへ、住宅や工場を建てようと、片端から河川や掘りに堤防を造っていった。全部が天井川になった。
 これは科学者の武田邦彦氏が言っていたことだが、天井川(川より陸地が低い)になるのは堤防工事のせいだというのだ。

 江戸川や大阪市内の河川は、上流からの流れだけでなく、満潮や高潮のときには海水が逆流してくる。
 川の氾濫を防ごうと堤防を築くと、川底が上がり、天井川になって大雨のときには水が川から下水へと逆流するようになる。
それで一層堤防を高くし続けるから、川底より陸地のほうが低くなってしまう。

 日本の平野はそもそも川が山から持ってきた土砂で出来ている沖積平野である。それを忘れて、川が氾濫すると住民とマスゴミが「何をやっているのだ!」と首長や役所をバッシングする。役所は説明してまた怒られるより、堤防を築く。だから際限なく高い堤防を築くしかない。
 ヴェトナムはメコン川でも自然の力を借りて、いつも川が下にあるから、大氾濫は起きない。天井川はないだろう。

 ということで、とりわけ江東区では、堤防工事はゼネコンの稼ぎ場なのだ。区民は税金を堤防工事に使うぶんには、苦情は言わない。川底より低い土地でも安心して暮らせるなら、と…。したがって、区長になるような人間は、ゼネコン利権にどっぷり漬かったものがなる可能性は高いのではないか。

 それだから、豊洲市場の建設や道路整備でたっぷりゼネコンが稼げ、それを融通した区長が潤う。オリンピックの選手村や競技会場でも、ウハウハになっただろう。区長ばかりか、都議や都知事にもおししい汁は吸える。
 そこにメスを入れようとする小池知事は当然激しいバッシングを受ける。

 あまり言いたくはないが、海抜ゼロの江東区には裕福な階層の人は住まない。住むとしたらよほどの高層マンションの上階であろう。都心に近いからという理由はあるだろうが。高層マンションが林立して住宅事情は変わったけれど、相変わらず水害に襲われるリスクは極めて高い。洪水に見舞われたら、命拾いはできても陸の孤島になりかねない。

 何度も書いてきたが、高層マンション上層に住むのは、別の意味で危険である。
 高層では地球から著しく離れるため、生物が住んで良い範囲を超えるのだ。磁性体が失われていくからである。健康に影響がないのは、二階までだとも言われる。見晴らしがいいからと言って、上層階に暮らすのは考えものだ。


 

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2016年09月23日

築地市場移転では小池知事を支持(1/2)


《1》
 小池都知事が8月31日、「築地市場移転問題」で記者会見し、移転延期を発表した。さらに9月10日に、なんと豊洲新市場の盛り土工事などで不正が発覚、小池知事の怒りのこもった会見があった。
 いずれの会見も様子を動画で見たが、言っていることは極めて正論である。間然するところはないと思える。

 ところが、メディアは8月末の延期発表について一斉にこの決定に懐疑的で、この期に及んでいまさら何だとか、延期すればより莫大なカネも手間もかかるんだぞとわめいている。
 会見の場で朝日新聞の記者は、偉そうに知事につっかかるようない言い方で質問をしていた。

 豊洲では使わなくとも、11月から毎日700万円も無駄に維持費がかかるそとマスゴミは脅すが、小池知事は、そんな数字に根拠はない、勝手に一人歩きしているだけと切って捨てた。その通りだ。どうせ推進派の流したデマである。

 9月2日と9日の虎ノ門ニュースでは、ジャーナリストの有本香が、「もう何回も地下水モニタリング検査してるんだから、もういいじゃない」「都庁と市場関係者で決めてきた事なんだから」とキンキン声で叫び、十年も二十年も都と市場関係者が検討して進めてきたものを、ここで一気に止めるのはスジが通らないと非難していた。豊洲が問題だというが、築地のほうが不衛生で老朽化して大問題だと言っていたが、小池知事はなにも築地のままでいいとは言っていない。移転はしなければならないが、あまりに利権でがんじがらめで、情報も開示されていないと言っているのだ。

 有本は、番組中に視聴者アンケートで38%が「停止すべき」という結果を見て黙ってしまった。「しまった」と思ったのか…。
 有本も馬脚を現した。しょせん売文家か。9月10日のブログに書いたが、彼女は責任をとって番組は降板すべきだろう。
 
 豊洲市場の全体予算を取り上げてみたい。この中には建物の建設費、土壌汚染対策費、用地取得費、関連工事費があり、その総額は2011年段階では3926億円だったものが、今や5884億円に膨れ上がった。
 その中で、土壌汚染対策費、用地取得費、関連工事費はほぼ横ばいで、高騰はしていない。

 ただ建設費のみが995億円から2752億円に跳ね上がっている。4年間で約3倍である。言い訳としては、資材費が高騰した、人件費が上がったと言われるが、それは役人の屁理屈である。資材費や人件費が4年間で3倍も高騰したというなら、土壌汚染対策費や関連工事費だって同じように上がっていなければおかしい。そこまでインフレが進んだのなら、役人もサラリーマンも同様に給与が上がっていいではないか。そんな実感はない。

 また、小池知事は「坪単価」も証拠に上げていたが、実に豊洲市場は、220万円にも達した。同じ程度の建物なら概ね50〜60万円が相場だそうだ。小池氏は「私もその理由を知りたい」と語っていたが、都民はみんな知りたいだろう。
 有名建築家が“藝術性”を追及した建物なら、建築費が天井知らずに上がっても仕方がないと言えようが、市場に藝術性はまったく不要である。

 地下水モニタリングは、2014年11月から始まり、土壌汚染対策法に基づいて全9回の調査が行われ、すでに8回まで完了している、しかしそれに849億円もかかるか? 

 週刊誌でも報じられたようだが、都議会の内田茂のようなドンどもが画策して、テメエの利権にして、息のかかった業者を選定し、多額のキックバックを得るなどの不正を働いたと見るのが、当たり前である。
 そんな証拠がないのに、と言う向きもあろうが、こういうことは「世間知」というべき過去の無数の経験で裏打ちされた庶民=被害者の視点で十分である。

 小池知事が勧めようとしている調査プロジェクトチームや司直が動かないかぎり、表沙汰にはならないだろうが、都議や役人、それに石原慎太郎、猪瀬直樹、舛添要一ら知事も、税金を使うことに緩いのである。俺のカネじゃない、いくらでも湧いてくる、と思っているから、平気で採算度外視でハコモノをこしらえる。

 それが豊洲移転でも行なわれたと見て当然である。
 多くのメディアや有本香は、その知事、都議、役人、業者による汚職の可能性にまったく言及しないで、延期すればこんなカネが余計にかかるの、業者が迷惑するのとしか言わない。
 政治家からテレビや新聞に手が回っていて、小池を批判しろ、移転をすみやかに進行させろと命じているのだろう。

 視聴者に判断の材料を提供するのではなく、初めから「批判ありき」であり、いつものことながら、国民を誘導しようとしている。
 しかし、9月10日の盛り土不正の件が暴露されて、マスゴミの連中は小池叩きができなくなって醜態をさらした。

 テレビには、築地市場の組合のドンみたいな奴が登場して、俺たちは都に言われたとおり動くしかない、店子なんだ、と言っている。
初めから小池憎しの物言いええ、実に卑しい顔のゲスにしか見えない。信用できかねるご面相の人間が、さっさと移転しろと吼えるのは許しがたい。
 テレビ番組をやるなら、移転反対派の人も公平に呼んでしゃべらせなければならないのに、反対派だけにしゃべらせるのは、明らかにマスゴミが移転利権でもうかる側の味方をしているとわかる。

 こういう市場のまとめ役には、政治家や業者からの工作費が渡されていると見るべきである。これも証拠はないけれど、そうとしか思えないのであって、それが例えば建設費のとんでもない高騰に反映するのである。言うまでもあるまい。建設業者は、そうした工作費や「謝礼」を、政治家や業者や役人に配るためには、予算に上乗せするのである。

 そういうことが全国で慣例になっている世界であるのは、国民は誰でも知っている。マスゴミがカネを握らされて報道しないだけ。
 小池都知事が、そこに果たして斬り込んでいけるのかどうかに、都民のみならず、国民は固唾をのんで見守っているのに、ジャーナリスト有本香は何に怯えてか、語れない。

 小池都知事は、オリンピックの会場新築に関連しても、闇を明らかにしようとしている。ドン森喜朗などは暴力団の手先である。ありとあらゆる脅しを小池氏にかけてくるだろう。週刊誌を使ってのスキャンダル暴露とか。

 小池知事の主旨は、市場移転に関していかなる利権のからみ合いがあったのかを明らかにするのが、築地再整備に関しての公約だったし、また都民優先の考え方だと言っている。
 これまでの知事に絞っていうなら、移転問題を闇に蹴り込んで、ねじ曲げたのは、石原・猪瀬であり、さらに舛添が踏襲した。

 五輪道路(環状2号線)のために、食品安全上疑惑のある豊洲移転を急がせるのは本末転倒、と言う小池知事の主張のほうに、理がある。土壌汚染の検査結果の出る前に急いだ奴らが悪い。
 マスゴミは延期で要らぬ出費が発生すると小池知事を責めるが、それはお門違もいいところだ。先の石原、猪瀬、舛添のせいである。それに都議会の主に自民党が悪い。非難矛先は奴らに、だ。

 この移転での混乱は、零細業者には堪えるだろう。本当に気の毒だ。それを根拠に、築地の業者組合の偉いさんどもは小池知事を非難するが、政治家や建築業者らとつるんで、利権の一部をしゃぶってきた己れの不見識こそが問われるべきである。
 ちゃんと豊洲の問題を取り上げて、反対すべきは反対しないでおいて、利権集団とズブズブになっていたからこそ、この惨状を招いたのではなかったか。




 

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2016年09月22日

ほらふき男爵の末裔


 私はまつ毛が長いとよく言われる。両親とも特に長くはなかったから、いったい遺伝とはどうなっているんだ?

 私は調子に乗りやすいタイプなので、マッチ棒をまつ毛に乗せて、ほらこんなに長いよとおどけて見せることもある。
 あるいは、「うん、私はクレオパトラの生まれ変わりだから」と言ってみたり、「少女マンガの読みすぎでね。主人公たちは長いまつ毛をして、目に星がまたたいているでしょう。あれと相互浸透して、こんなに長くなっちゃった」と答えてみたり…。

 で、今日は久しぶりに笑っていただこうかと、「ほらふき男爵」にならって、まつ毛についてほらを吹いてみたい。『ほらふき男爵の冒険』は知らない人はいないと思うが、誰それ? という人はネットで検索していただきたい。
 子ども時分に『ほらふき男爵の冒険』を読んでずいぶん夢を膨らませてもらったものだ。

 さて。
 熱い紅茶や味噌汁を飲むとき、眼鏡をかけていると湯気がレンズを曇らせるが、私はまつ毛が長いものだから、湯気がたっぷりまつ毛にかかり、結露状態になって、ぽたぽた落ちてくる。
 同様に、スキー場では自分の吐く息で、まつ毛にだんだん凍りつき、重くなって目が開けられなくなる。小さなツララが下がってきたこともあった。

 昔、なにかの間違いで首相になった村山富市は、睫毛の長大さで有名になったが、彼も眉毛が結露したら頭の前面が重くなって自ずとお辞儀するようになったことだろう。

 昔、モスクワに旅行で行ったとき、真冬だったので空港を出たとたんに周囲が闇になった。あれ? 昼間に到着したはずなのに、と思ったが、寒さでまつ毛が凍り、重さで目が開けられなくなった。
 髭も重くなって、口が開けられなくなった。
 春に北京に行ったときも大変だった。黄砂がまつ毛に降り積もり、これもまた重くて目が開かなくなった。

 まつ毛が長いと手入れが大変だ。シャンプーにリンス、ドライヤーを使って乾かさなければならない。枝毛にも気をつけないとみっともない。村山富市は、毎朝起きるとまゆ毛の寝癖を直すのに、1時間もかけてドライヤーで整える、その手間の間に阪神大震災の対応が遅れたんだな。

 夏はいい。まばたきするだけで顔近くに来たハエや蚊を追い払える。しかし、へたをするとハエや蚊がまつ毛にひっかかり、まるで網にかかったみたいに暴れるのが玉にきずだ。
 うっかりすると、ツバメが飛んで来て巣を作ろうとしたり、雨宿りに頬に止まるので、驚かされる。

 壁にかけてあるカレンダーを、「来月はえ〜と」とめくってみるときは、手を使わなくても、まつ毛でめくれる。

 眼鏡がかけられない。かけるとレンズの内側からバサバサと掃いてしまう。あるいはレンズがまつ毛によって上下に動いてしまう。

 恋人と顔を近づけて話をしていると、彼女の髪やまつ毛が揺れている。私のまばたきで風が送られるからだ。いつも恋人には「風を送らないでよ、ムードが台無しだわ」と言われる。それで振られた恋人は数知れない。
 だから、なるべくまばたきをしないようにしていると、目に涙が浮かんでくる。そのおかげで彼女のほうは私の目がうるんで見え、自分との会話で私が感動していると錯覚する。思いがけずムードがよくなる。それで恋人になってくれた女性は数知れない。

 缶ジュースの蓋をまつ毛で開けたことがある。ちょっと姿勢がきつく、下手をすると中身のジュースが顔にドバっとかかる。
 床屋に行くと、理髪師が嫌な顔をする。まゆ毛がじゃまで、顔を剃るのがやっかいだと。

 会議のときに、机の上にある書類に目を落とすとき、うっかりまばたきをすると、風で書類が飛んでしまうことがある。
 一度などは初体面の人と名刺のやりとりをしていると、私のまばたきの風で相手の人のかつらがズレてしまい、ひどくバツの悪い思いをした。

 まつ毛に上手に鳥の羽をくっつけたら、もしかしたら空を飛べるのではないか…。

 空手で闘うとき(組手)は、まつ毛を強くしばたいて相手に強い風を送る。対手がそれでよろめいた隙に、必殺の蹴りを入れる。私の秘技である。
 落語「くしゃみ講釈」では、舞台で語る講釈師に、客が唐辛子の粉を火鉢にくべて、それを団扇であおいで送り、講釈師にくしゃみをさせる趣向だ。私なら目の近くに胡椒粉を置いて、まばたきするだけで講釈師にくしゃみを連発させることができるだろう。


 …どうも、お粗末さま。




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2016年09月21日

鹿児島・三反園知事の不見識をなじる(2/2)


《2》
 そもそも原発は「停止」はできない。構造上そうなっている。現在も点検のためというかサヨクの妨害で「停止中」の原発はあるが、原子炉内で停止しているわけではない。電気を取り出す運転は休止しているだけで、炉そのものは核分裂を続けている。

 つまり「発電」は止めているが、原子炉は稼働状態なのだ。稼働状態は停止させられない。
 これを武田邦彦氏は、譬えるなら新幹線が走っているとき、速度を上げている最中は電気を使ってモーターを回しているが、あるスピードまで来たら、モーターは切って、惰性で走らせているようなものだと解説していた。

 新幹線に限らず、電車はおおむねこういう運転をする。モーターを回すのは速度を上げるまで、後は切って、惰性を利用して走る。だから滑りやすいレールがいいのだ。
 原発もそれと同じで、廃炉にしないかぎり「停止」はない。そういう基礎知識も三反園はないのではないか。

 地震や津波が発生したとしても、発電機を止めていようがいまいが、危険度は全く同じだ。それならば発電・送電して電気料金を下げた方がよっぽど国家・国民のためになる。発電しなければ、日々5億円の損害が出るとも言われる。三反園は知事の権力を振りかざして九電を脅して原発を止めさせたら、法的根拠無しでやらかすのだから、訴えられたら敗訴は明らかだ。

 その九電への損害賠償は、彼がポケットマネーで出すのかい?
 いずれ株主訴訟で訴えられる。対応できるのかね?
 どうせ県の予算だ、税金だ、損はないと踏んでのことだろう。裁判は何年もかかる。そのうちに三反園も知事の任期が終わってトンズラ。敗訴しても県が払えばいい。
 思ったとおりの、朝日系記者らしい無責任体質と尊大な態度。

 早速、毎日新聞は社説で「知事の停止要請は重い」と掲げ、住民の安全を最優先にしろだの「県の意向をおろそかにしてはならない」と言う無責任。三反園の公約「原発のない社会」を称讃している。
 国政と県政の区別と連関もついてないオタンコナスが論説委員か?
 まずは「停止要請は重い」というのではなしに、「知事の要請はトンチンカン」とでも言うべきである。

 新聞が言論機関の一翼を担っていると言いたいなら、ちゃんと本当のことを報じて、国民が考えられるように情報を提供すべきではないか。

 福島第一原発の事故に関しては、反原発派はうそばかり。地震でも津波の衝撃にも原発は耐えたのだ。事実、女川原発はびくともしなかった。福島第一はGE社の不良品を摑まされ、電源の位置が低過ぎたために津波の「海水」が流れ込んで、電気が止まったために溶解を起こしたのだ。

 その意味では、私は原発自体の安全性と技術力は信頼できると思っている。
 だから東日本大震災クラスでも熊本クラスの地震でも、原発は壊れないと言うべきである。
 それすら信じられないなら、新幹線も飛行機も運行できす、高速道路はクルマを走らせられず、高層マンションも住めないことになる。

 しかしながら、そもそも原発推進派の言うことだって、脱原発派と同じような無責任がまかり通っている。
 原発停止を命じられるのは規制委だけだが、その組織はなんと原発の専門家はいなくて、長く委員長をやっていたのは東京大学地震研究所のドンだった。原発のことは分からないご仁である。震災後に就任した現在の田中俊一はこれまた原発の建家の専門家である。おいおい、何やってんだよ。

 さまざまなサイトで、田中は悪評さくさくだ。ほかにもこれまでに、さんざん電力会社の説明は不誠実であった。国民が不信感を抱いて当然だった。
 だからといって、三反園の言う住民の不安の払拭は間違いである。
 熊本地震程度では原発はびくともしないからだ。

 原発はコストが安い、原発で電気をつくれば電気料金が下がるというのは嘘だ。火力発電や水力発電と比べて原発は、トータルコストで遙かに高い。
 安いと主張する根拠(カラクリ)は、電力会社が使用済み核燃料を資産として計上しているからだ。使用済み核燃料、つまりゴミも燃料になるとして資産にしている。

 だから電力会社も政府もプルサーマル計画(核リサイクル)に拘泥している。再処理をしなければ、資産でなくなってしまうからだ。新たに燃料を生産していることにしているから発電コストが安く見えるだけの詐術。やめるにやめられない。

 しかし度重なる事故やミスで、核リサイクルの見通しは立っていないではないか。使用済み核燃料は増え続け、どう処理していいのか決まらず、経費もかかるばかりで、手に負えなくなっている。

 馬鹿げた話である。ここを誰もがごまかしている。原発推進に双手を上げて賛成するわけにはいかず、暗澹たる未来が待ちうける。

 かといって脱原発にすると、いきなり電力会社から膨大な資産が消える。消えるどころか核廃棄物の処理管理費用が計上され、全電力会社が一気に赤字になって倒産する。貸しつけていた銀行も大打撃を受ける。大量の失業者も発生する。
 むろん電気は家庭にも交通機関にも、工場にもこなくなるか、バカ高い料金になる。

 発送電分離なんて施策をやったから、さあ新規に送電事業に参加した企業はどうなる? 投資分は返ってこない。
 太陽光発電や風力発電は、環境破壊につながるし、コストがバカ高くなる。太陽光や風は只のようでも、設備が公害になりコストが高いので、意味がない。

 廃炉したくても、何十年もかかる。その間の費用はもう電力会社には出せない。誰が出す?

 だれもが怖くて言い出せず、問題の先送りをしているだけ。
 核廃棄物の負の遺産を、子供たちに負わせて良いのか。
 三反園はこういう全体で考えなければいけないのに、気安く、ただのスタンドプレーで「脱原発」「ただちに停止しろ」などと言うべきではない。




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2016年09月20日

鹿児島・三反園知事の不見識をなじる(1/2)


《1》
 鹿児島県知事に、元テレビ朝日のサヨク記者・三反園訓(みたぞのさとし)が当選し、早速バカをやらかした。
 何を血迷ったか、九州電力川内原発1、2号機をすぐさま停止し、再点検しろと九電の瓜生道明社長に要請した。それも県庁に社長を呼びつけるという無礼。
 「熊本地震による原発への県民の不安の声の払拭」が理由だと抜かす。

 三反園は、「原発に頼らない社会の実現」を掲げて知事に立候補した。バカ言うんじゃない。それは国の決めることで、地方の知事が公約にすべき事ではない。ボケの鳥越俊太郎とそっくりだ。日本から原発をなくしたいと言うのは構わないが、それなら国会議員になるか、原子力専門科学者になればいい。

 三反園は電力会社のような大企業が嫌いなだけではないか。サヨクだから巨大資本家はすなわち悪だと決めつけ、人民を搾取すると思い込む。そして高い給料をもらっている、と。それへの妬みで、こういう無礼をやってのける。

 知事はせいぜい、原発を踏まえて住民の避難計画策定を知事選の争点にするしかない。テレビ記者として真実を国民に報道もしてこなかった輩が何をぬかすか。
 むろん、知事に原発を停止する法律上の権限はない。だから知事は「お願い」という建前にした。九電は応じない方針をとったが、要請書を受け取ってしまったのは愚かである。突き返せば良かったのに。「何の法的根拠があって、三反園知事はこんな紙切れを渡すのか」、と言えばいい。

 原発に停止命令が出せるのは、あくまで法律上は原子力規制委員会しかない。規制委が1年以上かけて安全審査してOKを出した原発を、また感情的になって停止して、いったい何を「再点検」しろというのか。また、三反園はその結果がどうなら納得して原発を動かすことに同意するのか。何も示さず、原発は危険だと言うサヨクお定まりのバカ騒ぎ。あるいは嫌がらせ。

 そもそも三反園は、実に貧相な顔をした記者だった。私が知るのは、ずいぶん以前に何度かテレ朝の「報道ステーション」で、当時の司会者だった久米宏と、国会記者クラブにいる三反園と毎日やりとりする場面を見た。
 番組では、いかにも政治の現場を取材して回っている国会内の記者クラブにいる敏腕記者と、じかの情報が聞ける、という設定で見せていたが、そのあざとさ、「いかにも知ったかぶり」「さも国会情報を詳しく知っている」ふうに三反園がしゃしゃり出ていた。

 本当の政治記者なら、国会記者クラブでのうのうと油を売っていないで、夜討ち朝駆け、政治家の家に押し掛け、料亭で待機し、奥方に認めてもらい、あるいは役人と付き合い、財界要人を追いかけ…と、席を温める暇もないものである。

 『ペリカン文書』という映画では、新聞記者がホワイトハウスの掃除のおっさんをたらし込んで、廊下や部屋で洩れてくる政府要人の会話を聞いてもらって、毎日ひそかに会ってカネを払って小耳に挟んだ情報を取る様子が描かれていた。 
 記者はそうやってたくみに情報を取るものであって、記者クラブに常駐していたら、アホである。

 だからテレビ朝日としては、三反園は記者の仕事よりテレビに出て、もっともらしいサヨク解説をやれと命じていたのだろう。
 それだから、原発現場を実際に取材したり、技術者に話を聞いたりしていたわけがない。せいぜい他紙を含めて新聞を読むか、雑誌を読むかであったろう。

 嫌な顔をした男だった。ココロの温かさ、滋味、思いやり、他者への敬意、謙虚さ、なにも感じない男に見えた。国会動静の解説もありきたり。蓮舫の岡田代表評じゃないけれど、「つまらない男だな」としか言いようがなかった。世渡りだけが上手くて有名になれたのでは?

 不快な「報道ステーション」をもう何十年も見なくなったから、忘れていたら、なんとこの7月に鹿児島県知事に立候補し、反原発を叫んで当選してしまったのには驚愕した。

 鹿児島県人は人を見る目がよほどないのか。県政への公約がどうので判断する前に、三反園の人間性が見てとれないのか。テレビに出ていた人だから、で投票したのだろうか。アホや。三反園に投票した県民は、原発のことなんか分からずに、有名人だから入れたに過ぎまい。
 案の定、就任と同時に、今度のバカをやらかした。

 池田信夫氏は「アゴラ」のなかで怒って曰く、三反園も悪いが、こんな法治国家を無視した「脅し」を受け取るほうがもっと悪いと。サヨクは立憲主義をわめきながら、何の権限もない知事や、浜岡原発を稼働中止させた菅直人ごときを称讃する。三反園も菅直人も、ファシストだというのである。その通りだ。

 ファシストは国家の法律より権力を握った個人や政党のほうが上で、法を踏みにじっても「俺が法だ」のごときを言う。ナチがそうだったし、習近平もそうだし、フィリピンのドゥテルテ大統領もそうだ。法律より俺の方針が上との考え方。
 こんな無茶なことを、「ごもっとも…」と受け取った九電側も悪いのである。

 権力者の脅しに屈して、平伏し、法を二次的にするから、次々にこういう無法者ファシストが増長して出てくる。発端は、菅直人が権力をかさに中部電力を脅して浜岡原発を止めさせ、電力会社も愚かなことに「首相の要請は重い」などと納得してしまったことから始まった。

 マスゴミも法を蔑ろにしてでも反原発が通りさせすればよしとして、菅直人を応援した。
 三反園も菅直人に倣い、マスゴミも支持してくれると踏んだのである。それで九電社長を県庁に呼びつけ、テレビに取材させるパフォーマンスをやった。権力を握った知事が、私企業の社長を呼びつけ、要請書を受け取らせて頭を下げさせる「絵」をテレビで流すためである。
 卑しい。



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2016年09月19日

蓮舫のいかがわしさ


 最近、どうでもいいような話題の筆頭に挙げられるのが、元民主党の先行きであろう。
 蓮舫が代表になった。元民主党議員とサポーターはみんな大衆の一番人気の蓮舫に乗っかれば次の選挙は乗り切れるのではないかと踏んだはずだ。サヨク新聞も。その低度。

 蓮舫に限らず、代表選挙で候補者らが言っていたことは、何をどうしたいのか、具体性はなかった。マスゴミが書いてくれそうな当たり障りのないことを言っていただけ。
 蓮舫これからは「提案力で勝負する」とわめいたが、その中身を毛ほども言えなかった。

 共産党との合作を進めるかどうかと、9条を断固守るだけ。時代にまったく取り残されている。つまりは、自民党の揚げ足を取るだけしか能がない。
 蓮舫は美貌の範疇に入るのかもしれないが、あのコケティッシュな雰囲気はお断りだ。元タレントだけあって、しゃべり方と表情をそうとう気にしていて、聴衆に良い印象を与えるように練習などしているのだろう。

 見栄えを良くするのは、人間(国会議員にも)には重要だからその点では評価していい。愛想のない、しゃべり方も表情も研究しない者よりは学ぶべきところはある。
 しかし、蓮舫はそれだけであって中身が何もない。あのまるで着たきりスズメみたいに、白いスーツでいつも登場は、あざとすぎだ。
 とうてい元民主党連中を率いていく器はない。

 だから野田佳彦に幹事長を委ねて、「お願いね」とやるしか党内をまとめる実力はない。そのうちに、「野田傀儡政権」と揶揄されるようになるのではないか。元民主党内にいくらかでも良心ある人間がいたら、いたたまれまい。蓮舫の美貌とトークに頼るだけの、ろくな政策も提示できない集団が恥ずかしいはずだから。

 蓮舫・野田を支持しているのは40%にも満たないそうだからこれから党内が一致団結するわけがない。実際、もうすでに離党を画策するグループがいくつか出てきたらしい。
 赤峰和彦氏の『日本と国際社会の真相』ブログ(9月18日付)には、
 「もともと蓮舫代表は、社会の問題や党内の事情よりも、自分自身にスポットライトが当たっていることが嬉しいので、内容はともあれ、話題になったり、カメラを向けられることで満足します。」

 と見てとっている。そのとおりだ。そういう性格だからタレントになろうとした。冒頭に述べたように、彼女が見栄えをものすごく意識しているのは、これだからである。

 そもそも、戦後の教育はその人なりに育てようとしてきた。で、とりわけ元民主党の連中は、その受けてきた教育に反省がなく、それで良しとしている。だから蓮舫が二重国籍で問題にされても、「2位じゃいけないんですか」に倣って「二重じゃいけないんですか?」と平然と言い放っていたことが顕著な例である。

 苟も政治家や官僚ならば、国家とは何か、民族とは何か、歴史とは何かを踏まえて、わが国はどうあるべきかを考えられる実力がなければならない。そんな者はあの党には皆無である。
 自民党だって、ほとんどは保守思想めいた考えに同調しているようでいて、実際は保身と利権の甘い汁を吸いたいだけで議員をやっている。
 
 昔は(戦前までは)、官僚でもまだしも大きな志があった。旧制高校で志を第一に学んだからである。勉強以前に、志高い寮歌を歌い、古今東西の文学を読んだから大きな志を抱いた。みんな日本を背負って立つという気概があったのだ。

 だからまずは、タレント風情が政党のトップになっているようでは、先行きは真っ暗。志がない人間がタレントになり、平気でヌードになる。
 
 新刊の『余命三年時事日記 外患誘致罪』(青林堂)には、2009年の政権交代=民主党政権誕生の背景を解説してある。
 あれはもともと民主党の支援をしていた韓国の民団が、民主党の選挙支援をしたからであった。
 民団の運営予算は6〜7割が韓国政府からの補助金によって賄われている。つまり民団は「親睦団体」ではなく、歴然とした韓国の対日工作機関なのである。

 民団は、民主党に対して、政権を取ったら「外国人の地方参政権」を実現しろと働きかけた、それを約束するなら、在日を総動員して民主党が総選挙で勝てるよう支援すると。
 外国人が日本の政治に介入するのは内政干渉だし、違法である。だが、在日はいっせいに民主党候補のポスター貼りやらビラ配りやら、日本人への投票依頼やらを盛大にやった。

 さらにもっとも重要なことは、韓国・民団が、民主党を支援する代わりに、政権を取ったら円高政策を導入しろと条件をつけたことである。
 その箇所を引用する。
     *     *

 経済界出身で「CEO大統領」の異名を誇っていた李明博大統領は、民主党(現・民進党)に対して、政権交代を支援した見返りとして「外国人参政権」の実現だけでなく、「円高政策」を最優先に行なうことを要求したといわれている。

 このような要求が本当にあったのか、それを証明することはできないが、自民党から民主党(現・民進党)に政権交代した途端に、急激に円高が進んで日本の輸出産業が壊滅に追い込まれ、それによって日本経済全体が大きなダメージを受けたことは事実なのだ。
 そして円高の最大の受益者だったのは、ほかでもない韓国であったこともまた事実なのである。さらにいえば、現在の安倍晋三政権が推し進める「アベノミクス」による円安で、最も苦しんでいるのも韓国なのである。

 韓国が民団を通じて民主党(現・民進党)周辺や日本のマスコミなどにばら撒いた金額はいくらか知らないが、もちろん安くはなかったことだろう。しかし日本に民主党(現・民進党)政権という「傀儡政権」を成立させることに成功し、韓国はその投資額を遥かに超える利益を得ることができたのだから、CEO大統領の名は伊達ではなく、その手腕は大したものだったといわなくてはならない。
  (引用終わり)

     *     *

 これがずばり真相だったはずだ。国家が仕掛けてくるのが当たり前だからである。
 だから韓国は今の安倍政権を何としても倒したいし、アベノミクスを潰したいので、野党にイチャモンをつけさせ、自民党の反主流派にも工作し、マスゴミや韓国の「御用学者」となったサヨク大学教授どもに反対させている。「アホノミクス」などと下品な揶揄をした浜矩子(エコノミスト)もさしずめ、コリアンマネーを食わせてもらったのだろう。

 媚中・副島隆彦も、アベノミクスの円安誘導策は、国際ルール違反だ、安倍は低能だとわめくのだから、やっぱりコリアンマネーを裏でこっそり…?

 今回の元民主党代表選挙でも、サヨク新聞は論点を「共産党との共闘」や9条死守、玉木の男泣きみたいなしょうもない話題ばかりで、いかに連中が無策無能かは一切言わなかった。コリアンマネーに毒されているから、韓国や支那から蓮舫を当選させろと指示に従ったからだろう。





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2016年09月17日

愛子を早く普通の女の子に


 皇太子の娘である愛子については、本ブログでは何度か語ってきたが、私は絶対に女性天皇にしてはならないという立場である。
 私は天皇一般への尊崇の念はあるが、現況の天皇皇后、皇太子夫婦には大きな疑念を抱いており、次は秋篠宮へ譲位し、その後は悠仁を天皇にと願っている。

 明仁の「ボクは疲れちゃったから、生前に退位したいんだもん」との身勝手な発言によって、またぞろにわかに復活してきたのが、愛子天皇擁立論である。自民党の親中クズ・二階俊博が調子に乗りやがって、偉そうに愛子でいいじゃないかと言い放った。 
 いくら党内調和のためかとはいえ、安倍晋三による二階幹事長起用には憤りを覚える。

 女性天皇でいいじゃないか論は、つまるところ日本の破壊である。天皇の血統がやがて途絶えることになる。こんなことは本来は国民の常識であるのに。反日マスゴミは報じない。
 「いわゆる生前退位」と愛子天皇擁立はセットになってマスゴミに登場した。今度の明仁が「読まされた」ご発言は、日本をつぶそうとする勢力の仕掛けたものであることがわかるではないか。

 明仁の「読まされた原稿」には、譲位ではなく、後継をどうするかの示唆はない。そんなバカな発言があろうか。摂政を置かない理由も明らかではない。

 バックには、きっと支那がいて、韓国も北もいる。ロシアやアメリカもいるだろう。鬼畜どもが仕掛けてきている。日本でのエージェントは、緒方貞子や小和田亘、美智子皇后らにつながるだろう。みんなキリスト教徒だ。
 日本を弱体化させるためなら、いくらカネを使おうがやってくる連中である。

 それにつけても、天皇教信徒=天皇皇后盲目的賛美者はどういう認識なのか、わけがわからない。
 女系天皇が天皇の破壊である以前に、保守派の論客も国民の多くも、愛子の異常に目をつむっているのは不可解である。
 心身のハンディキャップはあきらかではないか。皇室の方だからまさか悪いことがあるわけがない、と思っているのだろうか。不信を抱いたら不敬だと思うからだろうか。
 見て見ぬ振りをするほうが不敬であるし、「金糸輝く日本」を貶め、侮辱することだと思わないのか。

 愛子の目は死んでいる。人間のココロの温かさ、他人への親しみ感……何もない、ヘビのような目である。また、彼女の動き、表情、発言、なにもかもが健常者であるとは見えない。
 生まれつきなのか、それとも母親の雅子の育児失敗なのかは判然としないが、おそらく両方なのであろう。

 ブログ「BBの覚醒日記」で告発されるように、愛子は始終「替え玉」を使われているのは事実だろう。替え玉はもう少し、まともな目、まともな表情、まともな女性らしい容姿をしている。

 あの子を天皇にしたら、本人にこれほど残酷な仕打ちはあるまい。
 徳仁・雅子を天皇皇后にしたら、醜態をさらすのは目に見えているけれど、それ以上に愛子天皇はムチャクチャになる。
 愛子と連れ添おうという男もまずは現れまい。
 就いてはならない地位に強引に就かせるのは、反日勢力の悪業そのものである。

 皇太子の娘に生まれてしまった悲劇はもう取り返しはつかないが、天皇の位は秋篠宮家に譲るのが、日本にとってベストである。そうなったら愛子は皇室から離れて、自由で静かな余生を送ってほしい。
 全国の精神科医はなぜ黙っている? 雅子は仮病で、愛子は発達傷害だとか…。きちんと真実を国民に伝えるのが責務だろうに。不作為犯だ。

 あるいはこういう治療をすれば、愛子は正常になりますとでも言う奴はいないのか。真実を言って職を失うのは嫌だ、だからか。
 ならば定年退職した元医者が発言したらどうだ?
 すべて「皇室だから」と、自主規制し、宮内庁などから圧力がかかった、それでもの言わないのだろう。なんたる無責任なのか。メディアの記者どもも、知っていながら、嘘の報道をしている。宮内庁の、つまりは天皇を壊したい勢力の奸計に従うのみ。

 皇室を大事と思えばこそ、私は憂えている。盲目的にただ皇室を賛美し、アンタッチャブルにしては国が滅ぶ。
 誰もが長いものに巻かれろとなり果て、平和ボケである。GHQの洗脳はここまで有効だったとは。
 そして、日本は言論の自由が制限されている暗い国である。
 



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2016年09月16日

公平になりつつあるオリンピック


 オリンピックの大会ごとの日本のとったメダル数を比べてみると、回を追うごとに少しずつ伸びている印象がある。だが、ソウル五輪と北京五輪では、顕著にへこんでいる。少なかったのだ。
 たまたま優秀な選手が少なかった、調子が出なかったなどもあろうかと思うが、これはなんてったって場所が場所だけに、妨害にあった、もしくは不正があったと考えるのが常識というものだ。

 1964年の東京五輪では、日本の獲得メダルが一気に増えたが、これは日本が開催国ということで頑張ったこともあろうし、調整しやすかったこともあるだろうが、多少審判が下駄を履かせてくれた、サービスしてくれたとも考えられる。
 馬術競技なんかは、さすがにメダルに届く実力はなかったが、開催国が惨敗では気の毒というので、入賞になる程度の採点をしたと聞いたことがある。

 話を戻せば、開催国にいくらか花を持たせるのは、サービスだろうが、韓国と支那の場合、あるいはロシアあたりだと、これはもう不正のラッシュになるのは目に見えている。

 支那人と韓国人は、カネを使って審判を買収し、自国選手に有利な判定を引き出すだけでなく、日本選手に不利な判定を要請したのだろう。
 韓国は2002年の日韓共催サッカーW杯でも、審判を買収するなど不正の山を築いたものだった。次の冬期オリンピックでも不正、不正、不正になるだろう。開ければ、の話だが。

 リオデジャネイロ・オリンピックでは、日本選手団の獲得メダル数は金12、銀8、銅21の計41個と、過去最多となった。ロンドンでは金7個、合計38個だったので、金で大幅に増え、合計でも若干増という結果となった。

 国別で見ると、ロシア、支那、韓国が大きく減った。ロシアはソチ五輪の組織的ドーピング事件で多くの選手が出場禁止となり、ロンドンではメダル合計81個だったのが、今回は合計56個と約7割に減少した。

 支那も同様に惨敗した。卓球や体操のように、これまで「お家芸」とされていた種目で不振が目立ったのは、やはりこれまでは審判買収やドーピングで勝っていたことが多かったのだろうと推測できた。
 ロンドンではメダル合計88個で国別では2位だったのが、今回はメダル合計70個で、英国に抜かれて3位に転落するほどだった。

 韓国は前回、メダル合計28個で5位だったが、今回は合計21個に留まり、8位まで落ちた。日本にだけは勝ちたいとの思惑も外れた競技があったように思う。

 支那選手はロシアのようにはドーピングでの出場禁止処分こそ受けなかったが、かつては組織的ドーピングの内部告発があったほど疑わしいのだ。今回は、検査がはるかに厳しくなっており、その影響をもろに食ったちがいない。

 韓国はロンドン五輪では、サッカー、柔道、フェンシングなど、「韓国がらみのおかしな判定」が起きていた。おなじみの光景。今回は「誤審防止」との名目で、判定に異議を唱えたら、ビデオ判定するシステムが導入された。これは画期的である。
 プロの野球やサッカーでもビデオ判定が導入され、公平なジャッジが行なわれるようになったことは大変良いことだ。

 高校野球でも、審判の権威などと下らぬ言い訳はやめて、ビデオ判定を導入すべきだ。審判は大会を盛り上げるためとか、有力校に甲子園に出てもらいたい下心があって、地方大会なんかでは露骨に有力校、常連校に有利な判定をするらしい。

 いずれにせよ、リオ・オリンピックでは、あまりの不正に漬かっていたIOCにいくらか改革の手が入って、とりあえずクリーンになりつつあった。またロシアへの制裁案件のおかげでドーピングや審判買収による嘘が消えて、競技の公平さが保たれて、選手の実力勝負が見られるようになったことは喜ばしい。

 今後の各種国際競技では、とりわけ支那や韓国の不正に目を光らせてほしいものである。まだまだ、スポーツは不正をするものだと奴らは考えて、不正を狙って来るから。



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2016年09月15日

アフリカ開発会議の実態や如何に


 8月27日に安倍首相は、アフリカのケニアに出向き、アフリカ開発会議(TICAD6)に出席した。これは日本の主催である。
 首相は、今後3年間で民間資金を含めて総額300億ドル(約3兆円)規模でアフリカに投資する方針を表明した。
 2013年のTICADでは、日本が5年間で約3兆2000億円の支援を表明したばかり。今回の3兆円について首相は「3年前のプランを充実、発展させる日本の新たな約束」と説明。インフラ整備には3年間で約100億ドル(約1兆円)を拠出する。

 支援の中身は、産業の基礎を支える人材や感染症専門家の育成をはじめ約1000万人の人づくりに取り組む考え。将来の職長、工場長など現場指導者を1500人、感染症の専門家らを2万人育成するほか、基礎的保健サービスを受けられる人口を200万人増やす。
 また、アジアとアフリカをつなぐ二つの大洋(太平洋、インド洋)を平和な、ルールの支配する海に、と訴えた。

 この投資プランがいかほど実現性があるのか、必要性があるのかは、何も語られない。言われないことは国民も関心の持ちようがない。それに我々は慣らされてきた。

 発展途上国を支援して、戦争や貧困をなくしていくのは、結構なことではあるが、日本はずっと歴代の首相が各国を訪問しては、支援を約束して帰ってくる。たいていは、有償無償の経済援助、すなわち税金のバラマキである。
 後進国もいつだってカネの無心である。

 それが溜まりたまって、日本の債権になっていることもあるし、差し上げっぱなしになったこともある。
 国民にはそれが皆目伝わらない。政府も発表しないし、メディアもほとんど無関心…というより隠蔽に加担。
 どこの国にいくらただでくれてやったか、カネを貸してやったかも不明朗なら、その成果もまったくわからない。

 民間会社なら、コストパフォーマンスを考えない仕事なんかはあり得ないけれど、役所仕事はそれで成り立つ。
 そのくせ、財務省はわが国は莫大な借金があって、1049兆円にも及ぶ、これでは国家は破綻してしまうから、消費税を上げるんだとめちゃくちゃを言い、あろうことかマスゴミもそれを右から左へ流すだけで、財務省の片棒を担ぐ。

 しかし、日本国の持つ債権や貯蓄を合わた資産を、連結ベースで考えれば、日本の国家の借金は激減し、せいぜい100兆円に過ぎない。こんな健全な財政運営をしている国はめったにない。
 このことは、6月1日の本ブログで取り上げた。

 諸外国はそれをちゃんと摑んでいるし、日本は金持ちだし、政治家や役人は無責任だから大盤振る舞いしてくれると踏んで、TICADなんかでもおねだりしてくる。官僚も首相もそれでいい気分になって、後進国に支援を打ち出す。

 国家機密もあるだろうけれど、国民の税金をバラまいている以上は、収支報告をきちんと言うべきである。
 A国にはこれだけの有償援助をして、こんな成果があがり、現地の人からも感謝されています。B国にはこれだけの無償援助を行ない、感染症を100分の1に減らし、ダムを造って電力量をこれだけ増やしました。C国には技術援助を行なって、重要な橋を架け、物流がスムーズになって同国の経済に寄与してGDPが何%上がりました、とか。

  D国には日本が無償援助で造った工業団地が軌道に乗り、日本から進出した企業が現地に溶けこみ、現地の人を雇用し、人材育成にも励み、わが国との友好関係に著しく発展がありましたとか。
 あるいは、E国に何年前に貸したカネが満期となって返ってきました。利子は何億円でした、とか。
 こういう報告が、何故なされないのか? 国民も知れば、誇りと自信を持てるし、有意義な税金の活用をしてくれたと喜べるのに…。

 ほとんど公表されないわけは、おそらく一つには、裏取引がおこなわれているからではないか。援助資金のなかから政治家にキックバックがあるとされる。商社なんかにも旨い汁が吸えるようになっているとの噂もある。
 それに、後進国に進出しようとする日本企業にとっては、税金で現地の環境を整えてくれるのだから、ODAなどにたかるのは当たり前だ。

 さらには問題の支那である。支那へのODA支援は巨額だった。投資を加えれば天文学的数字になろう。湯水のように税金を垂れ流したが、あちらはまったく感謝なし。支那の国民は日本の支援をまったく知らない。いまだに日本は悪い国だという教育が続く。
 儲けたカネで軍備を拡充させて日本の領土を奪いに来、世界中に南京虐殺や侵略の嘘をバラまくために、カネを使いまくる。

 韓国も同様。それどころか、日本の援助は本当は迷惑だった、うるさいからもらってやった、との言いよう。
 チャイナマネーやコリアンマネーが政治家や官僚に渡り、ODAを支那、韓国にドッと恵む仕掛けになっているのだろう。なんとか友好協会とか、友好議連などに名を連ねておけば、利権に預かれるし。

 もっと言えば、援助金のかなりは現地国の大統領一族や役人などにピンハネされ、どこかへ消えていくケースもある。日本側は役人には追及する気はないし、うやむやになる。
 こんな実態がバレると、国民が怒ってODAに反対されかねない。そんなもめ事を避けたいから官僚どもは収支報告をさぼる。

 あげくに、日本には1000兆円の借金があると喚いて、債権のほうには目を向けさせない。なんだこれは? もし正義感にあふれたジャーナリストや政治家がいて、この闇を表に出そうとすると、財務省はとたんに国税庁に命じて、そうした人物にマルサを入れて嫌がらせをする。

 家や事務所にあがりこんで、絨毯の裏までひっくり返して、脱税の証拠を集めるふりしていじめる。あるいは、メディアに手を回して出演させないとか原稿を書かせないとかの仕打ちに出る。

 マスゴミに対しても、財務省の逆鱗に触れた会社があったら、税金査定で絞られて報復される。マスゴミのほうも、「ねえ、財務省さん、普段言う通りに報道しているんだから、税金のほう、ひとつお手柔らかにしてくださいな」と揉み手ですり寄る。

 今回の安倍首相主催のTICAD6では、マスゴミ報道では数字(金額)と、具体性などない夢をいくらか記事にしてお仕舞い。それでもジャーナリストか?




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2016年09月14日

アメリカは日本を護る気なんかない


 共同通信、NHK、朝日新聞などの反日サヨクメディアは、親中反米を基調としている。ならばアメリカの主張の嘘を暴くならお手の物であろうに、「それ」を言っちゃうとあからさまに支那を利することになって、日本国民が覚醒してナショナリズムが燃えあがるとまずい、と思ってのことか、真実を隠蔽しようとする。

 アメリカの最近の『新軍事戦略論』つまり、オバマ大統領が2012年に、国防省で発表した新たな国防戦略『アメリカのグローバルリーダーシップの維持: 21世紀における国防の優先事項』 によれば、アメリカは、同盟国に基地を置く権利をオーストラリア以外には求めないと、はっきり断言しているのである。すなわち、日本、韓国、台湾、フィリピンについては、自助努力しやがれ、米軍をあてにせず自分で支那の侵略を防衛しろと言っているのである。

 冒頭に言ったように、日本のメディアはこの重要箇所を国民に隠蔽した。おそらく、こんなアメリカの意向を国民が知ったら、日本の軍国主義が復活するかも、自衛隊が軍になるかも、と怯えるのであろう。だから、ちゃんと日米安保は機能してるよ、日本はアメリカが護ってくれるよと、嘘を続けている。

 またアメリカの戦略がかくまで変わったとなると(否、本音が出てきた)、あらたにメディア自身の編集・報道方針を変えなければならない。面倒である。この事態に的確に評論してくれるサヨクの専門家がいない、困った…となって、だんまりを決め込んだ。

 アメリカが日本に基地を置くのは、そもそも日本から潤沢な「思いやり予算」が出て、軍隊を維持できるからだ。加えて、日本人整備員の超高度な整備能力を失いたくないからである。世界中、どこへ軍隊が出動するにしても、戦闘機や軍艦の整備能力がダメなら稼働率が下がってしまう。

 日本人の優秀な整備士がいたればこそ、アメリカは長駆、中東まで軍用機を飛ばせる。計画がちゃんと立つ。
 
 支那の人民解放軍は、やれ戦闘機を何機もっているとか、ミサイルも多いぞとか言うけれど、著しく整備能力が低いので、はたして実戦で使いものになるか? の不安定要素に悩まされている。兵隊や整備員は、勝手に兵器や椅子、食器に至るまで持ち出して売ってしまう資質なので、とても米軍や日本軍に太刀打ちできない。

 これはアメリカ軍も似たようなもので、日本以外の国、イタリアだのトルコだの韓国だのでは民度が低く、すぐものがなくなる。これは世界の常識である。
 とはいえ、そもそもアメリカにはやる気がない。“戦略”にあるように、同じ流人出身の白人仲間のオーストラリアしか防衛する気はないのだ。日本や台湾など、イエローモンキーなんか知ったことか。騙して占領して、維持費を出させれば良いということである。

 次期米大統領になるはずのトランプが、平然と日本は自分で防衛しろ、あるいはもっとカネを出せと言い出しているのは、こうしたアメリカ全体での戦略を踏まえているのだろう。
 何度も言うけれど、アメリカ人は先住民を皆殺しにし、黒人や支那の苦力を奴隷にして、今日の繁栄を勝ち取った連中であって、まさに鬼畜のDNAが継承されているのだから、あてにするのは間違いである。

 それを国民に騙し続けている自民党も、野党も、マスゴミも、極めて重い背信行為であり、不作為の犯罪でもある。

 媚中.副島隆彦は最近、次のアメリカ大統領はトランプで決まったと言っている。なにせ、オバマが一期目の大統領になった直後に、副島はこう言い切った。オバマは病気にされて任期途中で首になり、代わってヒラリーが就くと断言した。が、あにはからんや、予測は大外れ。その失態に一言の謝罪もないのだから、今度も怪しい。

 さはさりながら、ヒラリーは間もなく逮捕されて獄中から大統領選を戦うことになると予言しているのはどうかと思うが、その根拠に関してはあながちガセではないかも。
 なぜヒラリーが逮捕されるかというと、リビアを攻撃してカダフィ大佐を殺害した作戦はヒラリーがやったのだという。ヒラリーはリビアを壊して国庫から莫大なカネを奪い、そのカネをイラクに運んで「IS(自称イスラム国)を作る資金に充てたのだ。むろんオバマも知っていてトボケたのである。

 この国家犯罪が暴露されて、ヒラリーは逮捕されるらしい。副島は外れてヒラリーが大統領になったらなんと言うのだろう?
 ヒラリーはISを作って、イラクやシリアで暴れさせ、アメリカやイギリスの民間軍事会社に出兵させ、軍需産業に利益をもたらしたのだろうし、中東の麻薬ビジネスなんかも絡んでいるのではないか。

 自分が大統領になりたいだけのために、莫大な選挙資金を調達する目的で、ISに戦争を仕掛けさせ、罪もない中東の人々を殺戮し、難民にし、玉突きのようにして、ヨーロッパの難民・移民の深刻な事態を招き、イギリスのEU離脱にまで発展させてしまった。
 というストーリーかと思う。

 だが、そういうストーリーは直接にはヒラリーが仕組んだにしても、アメリカは国家ぐるみそういう陰謀をやらかしてきた国なのだから、いまさらヒラリーに罪をなすりつけるかどうか。ヒラリーの陰謀はなかったことにして、選挙戦は平常通り続けるのかもしれない。

 あるいは、もうヒラリーは病気が隠しきれない状態だから、死ぬか、再起不能となって撤退するか。入院して逃げるか。

 そういう連中が、アメリカの政界や財界を支配している。ユダヤ教かキリスト教の信徒である。
 やや陰りが見えると言っても、依然としてアメリカが持っている軍事的なスーパーパワーは健在である。だからヒラリーのようなワルがのさばる。




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2016年09月13日

トルコによるアルメニア人虐殺の嘘


 知人に借りてDVDの『消えた声が、その名を呼ぶ』(2014年ドイツ映画)を鑑賞。監督のファティ・アキンはトルコ系ドイツ人である。ヴェネチア国際映画祭ヤング審査員特別賞を受賞した。
 本来のタイトルは『The CUT』である。この作品の重要なシーンである、喉をかき切る、を意味しているのだろう。
 しかし『消えた声が、その名を呼ぶ』とする日本語のタイトルは、頂けない。センチメンタルで、主人公個人に目を向けただけの映画になってしまう。本稿で述べるような、アルメリア人への虐殺事件はあったのかどうかとか、誰が捏造しているか、被害者は誰なのかなどのテーマを、どうしてこうも嫌がり、ただの親子の愛情物語にしたがるのか。

 映画のあらましはこうである。
 1915年、オスマン・トルコ。第一次世界大戦が始まり、トルコはドイツと組んでロシアに攻め込んで、大規模な戦争になる。
 オスマン帝国の田舎町に住む鍛冶職人ナザレットは、愛する妻とかわいい双子の娘と幸せな日々を送っていたが、それは突然終わった。

 トルコ軍はロシアとの戦いに惨敗し、兵力の9割を失うに至っていた。兵力不足を補うために、青年の男子は根こそぎ動員となり、アルメリア人も道路工事など強制労働に従事させられる。
 映画では重要なことが語られないが、トルコではロシアに大敗したことをチャンスと見て、国内のアルメリア人が蜂起してトルコ軍の背後に撹乱を企てた。

 そこでトルコはやむなく、国内のトルコ系アルメニア人を強制的にシリアへ移住させる方針をとった。トルコにしてみれば、正当な国策だった。
 主人公ナザレットは、妻と双子の娘から引き離され、砂漠での強制労働の末に、トルコ軍によって集団虐殺されそうになる。喉をナイフで斬られ、仲間が次々と命を落とす中、奇跡的に生き延びたが、声を失った。たった一人で砂漠の中を歩いてアレッポという都市に辿り着き、アラブ人に匿われて生きる。

 戦争が終わって、ナザレットは家族を捜しまくる。家族に再会したい、それが唯一の生きる希望となり、彼はシリア、レバノン、キューバ、アメリカのミネアポリス、そしてノースダコタの雪積もる荒れ地へと尋ね歩くという物語である。

 しかし、この映画の背景にある「トルコによるアルメニア人虐殺」の事件は、白人どものデッチあげであって、トルコの全否定が正しい。
 監督のファティ・アキンの意図がなんなのかと疑いが芽生える。
 ただフィクションとすれば、この映画は見所があると思う。さまざまな土地の街や自然の様子も興味深かった。
 でも事実をもとにした、といわれると、それは違うだろうと。

 アメリカ先住民も登場するが、制作者たちの理解が乏しい。先住民の歴史が、白人による虐殺の歴史であったことを伏せている。単にダム建設のために移住させられた、と。
 私は監督が、アメリカでの興業を成功させるために先住民の登場を少なくし、とくにアメリカ人を悪く描くことをしなかったのではないかと疑う。

 中東の砂漠からキューバ、アメリカと撮影して回った巨編を創るには莫大なカネがかかる。
 資金を回収するためには、真実は描けないと判断したと思われる。ヴェネチア映画祭でも賞をとって箔をつけたいし、アメリカでも上映されて、興行的に成功しなければ困る。

 そしてアルメニア人虐殺も、あれは欧米の白人がデッチあげた話だから、ファティ監督は虐殺は嘘だとする映画を創れば、欧米で興業できなくなる。

 トルコ軍によるアルメニア人大虐殺は、ナチによるユダヤ人虐殺に匹敵すると言われるが、本当はどうであったかは、YouTubeで「高山正之の変見のつくり方」のシリーズのなかの「ダイヤの輝き」で動画をご覧になってください。
 前半とCMを挟んで後半に高山さんの解説がある。
https://www.youtube.com/watch?v=JR3S_CTcwqc

 アルメニア人虐殺は50万人ほどあったことは事実らしいが、犯行はトルコではなく、クルド人だと述べている。クルドは殺戮と略奪をほしいままにした。
 ならば犯行はクルド人だったと宣伝すればいいはずが、欧米の白人は黙っている。おそらくは欧米にしてみればクルドは使い勝手がいい。イラク、シリア、トルコにまたがってクルド族はいるが、国家を持っておらず、それぞれの国にいわば寄生している。

 クルドは、それぞれの国でも差別されつつ、独立を志向しているが、それは欧米は認めないでいる。クルドが登場する映画はいくつも観たが、概ね西洋の映画ではクルドに好意的に描かれている。国がないかわいそうな民族だ…というのか。
 白人どもはそれぞれの国にクルドという不安定要素を残しておきたいからだ。

 アルメニア人大虐殺は、もしかするとイギリスやフランスが裏で操ってやらせた可能性だってある。それが不思議でもなんでもないほど白人は腹黒い。

 トルコによる“アルメニア人虐殺”は、捏造という意味では、日本軍による“南京大虐殺”と似ている。ありもしなかった“事件”で、戦後、その濡れ衣を着せられた国をずっといたぶり続け、一方で白人の大犯罪を隠すためである。

 映画では、キリスト教は正しくて、イスラムはいけないという主張が入っている。それはおかしいんじゃないか。そのあたりも、興業成功を狙えば、イスラムに評価される映画では全世界では売れない。アルメニア人難民を受け入れた孤児院や修道院のシーンは、いかにもキリスト教は慈愛にみちているという描き方である。ウソつけ。

 制作者たちは、キリスト教国向けの映画にしなければならなかったのではと思うのは、うがちすぎか。
 ファティ監督はドイツで生まれ育ったトルコ系ドイツ人だ。映画監督になれたのも、快適な生活ができているのも、欧米社会にいたればこそなのだから、欧米におべんちゃらを言う映画をつくらざるをえない状況があるのだろう。このDVDを貸してくれた人は、ファティ監督は欧米のポチに成り下がったのかも、と語っていた。

 近年、このアルメニア人虐殺事件が、またぞろ話題になり、なんとローマ法王までが言及してトルコを非難した。西ヨーロッパの白人キリスト教国どもが仕組んで、ローマ法王に言わせたのだ。どうしてかと言うと、トルコがEUに加盟させてもらえず、中東の戦争では常にトルコのNATO空軍基地を使わせろというばかりで、なんのメリットもないことなどにトルコも腹にすえかね、シリアなどで発生した難民を、じゃんじゃんドイツやフランスに送り込んで大問題を起こしておきながら、知らん顔をはじめ、さらにあろうことか西欧が一番嫌がるロシアへの接近までして見せるようになった。

 だからデッチあげだった「アルメニア人虐殺」の過去を持ち出して、トルコ苛めをやらかしている。





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2016年09月12日

中国国家ぐるみの臓器狩り犯罪


 日本のマスコミでは、支那という暗黒国家はほとんど報じられていない。
 日本では自称リベラル(反日サヨク)ならば支那を庇護しなければならないという風潮がある。バッカじゃなかろうか!?

 『中国の移植犯罪 国家による臓器狩り』(デービッド・マタスほか編)は戦慄の書である。
 支那にはドナー制度がない。にも関わらず、国内には堂々臓器移植が行なわれている。は? どうなってんの?
 支那は秘密主義の共産主義であり、何が起きても隠しおおせる国である。ドナーに関する詳細なデータは当然公表されていない。闇のなかである。こんな国に留学に行く奴は(例えば蓮舫)はバカである。

 その闇を暴いた書である。
 この本は広告文には、「6カ国12人の医師等が綿密な調査に基づいて告発!」とある。
 2000年から08年にかけて、無実の囚人6万5000人を臓器収奪のために殺害された。臓器を狩られた対象は、監禁した法輪功学習者(信者?)ら推定で約120万人に及ぶという。

 情報の出所が法輪功なのは、ちょっと信憑性に疑いが生じかねないとは思うが、多くの医師たちが参加して支那の臓器狩りの実態を調査したなら真実であろう。
 法輪功は、支那で爆発的に信奉者が増え、7000万人に達する勢いになり、当時の江沢民が脅威を覚えたため1999年、国家レベルで法輪功を禁止し、弾圧に切り替えた、となっている。脅威を覚えたためか、ただ武装警察に(弾圧の)仕事をつくってやり、上層部が国家予算から蓄財するのが本当の目的だったかもしれない。

 これには、江沢民、薄熙来、王立軍という共産党幹部が関わったとされる。数年前に汚職で無期懲役刑となって失脚した薄熙来は、法輪功迫害の残虐な指導者として知られる。
 むろん共産党の幹部だけでできる犯罪でもなく、奴らがいくつ臓器をもらっても使い切れないわけで、必然、いくつかの医薬品会社が絡んでいると思われる。

 支那の国営というより共産党営の医薬会社だけでなく、ユダヤの大きな製薬会社も関係しただろう。

 巨大な臓器ビジネスが誕生し、それで共産党幹部らは儲けたのである。活動を禁止した法輪功を利用したのか、それとも臓器を取り出すために法輪功を禁止したのか…とも疑われる。つまり、共産党が法輪功の増大に脅威を覚えたのではなく、「しめた! こいつらを非合法にすれば、臓器狩りがいくらでもできるぞ」と手を打ったのではないか。

 こうした実態が暴露されてきているのに、日本ばかりかアメリカもそして欧州の国も目を向けない。日本の害務省もその世界的対応に倣って、だんまりを決め込む。
 アメリカ、イギリスなどヨーロッパ、日本などは、みんなチャイナマネーに侵食され、経済界ばかりかマスメディアも、大学関係者もチャイナのカネにまみれ、人民の塗炭の苦しみなんかどうでもいい。

 その代表が、チャイナマネーに汚れたクリントン一家である。

 たまに支那人の人権派の弁護士をノーベル平和賞でもくれてやって、関心をもってますよというポーズをとりつつ、裏では臓器売買だろうが人身売買だろうが、支那にやらせ放題。
 無断で無実の罪を着せた人間から、臓器を摘出するとか、少々のカネと引き換えに、まだ生きている肉体から臓器を抜き取る。
 それを富裕層の病人に売る。

 支那は、日本やアメリカに甘やかされて資本を流入させ、人民元をひたすら刷って市中にジャブジャブ流し、技術を外国から盗んだり、あるいは盗んだり、はては盗んだり…し、かつ人民を安い労賃で働かせて、見せかけの経済大国をつくったが、資本は撤収し、技術開発の実力も身につかなかったから、これから貧乏になっていくだろう。

 なにも稼ぐ原資がない。労働賃金も上がってしまった。したがって、こうした非合法の資本のいらない臓器狩りをいっそうやらかす事態は想定できるだろう。

 本来なら、日本の首相や与党が、まずはアメリカにもの申して支那の国家犯罪に目を向けろと教え諭すべきである。また支那に向けてくり返し、非道な犯罪をやめろと主張すべきであろうに。
 日本国内には、自称リベラルがごまんといて、冒頭に書いたように、支那は庇護しなければならないと思い込んでいる。
 それが多くの罪もない支那人を苦しめているのに、知らん顔だ。

 支那人には「正義」「信義」などという言葉はない。カネになればなんでもやる、そう思って見れば、臓器を無実の人間から抜き取って商売にするのは、不思議でもなんでもない。




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2016年09月11日

豊洲新市場盛り土対策の虚偽発覚


 本ブログは日曜は休んでいるのだが、昨日9月10日、驚くべきニュースが出てきたので、取り上げておきたい。
 私はまず毎日新聞夕刊で読んだのだが、見出しが「築地移転先、汚染対策の盛り土せず 都、異なる説明」とあった。
 記事中身はこれから述べるが、この見出しは都や都議に対して大甘の書き方である。「都、豊洲市場で虚偽説明」というふうに見出しをつけるべきを遠慮して「異なる説明」としている。

 あとで取り上げるが、朝日新聞WEB版では「豊洲新市場、一部で盛り土せず 都議会答弁とずれ」との見出し。「ずれ」かよ!? 都側が完全に議会や都民を騙したのである。しかも朝日は「一部で」と書いているが、冗談じゃない。水産卸売場棟、水産仲卸売場棟、青果棟−の3棟の建物の下に盛り土がないのだから、これは「一部」どころか、肝心要の食品そのものを扱う場所ではないか。

 こうやって反日マスゴミは、既得権益側に立って報道する。小池知事の言い方にならうなら「都民ファースト」ではない。いかに奴らも裏ガネをもらって口を閉じているか。どこから裏金をもらっているのか? 都議会のドンと言われた内田茂か、その縁故デベロッパーからか?

 さて、まずは毎日新聞の記事を引用する。
     *     *

 東京都中央卸売市場築地市場(中央区)の移転先となる豊洲市場(江東区)で、都が土壌汚染対策として行う予定だった4.5メートルの盛り土を、食品を実際に取り扱う全3棟の建物の下で行っていなかったことが分かった。都が共産党都議団に説明した。小池百合子知事は11月7日に予定されていた移転開場を延期したが、都のこれまでの説明が事実と異なっていたことになり、更に影響が出る可能性がある。

 豊洲市場は土壌からベンゼンなどの有害物質が検出されたため、都は地表約2メートルの土壌を取り除き、きれいな土を4.5メートル盛った上に建物を建てると説明。有識者でつくる「豊洲新市場予定地の土壌汚染対策工事に関する技術会議」に「盛り土の完了を確認した」と説明し、同じ旨の説明を公表していた。

 ところが実際は、水産卸売場棟▽水産仲卸売場棟▽青果棟−−の3棟の建物の下は盛り土がされず、床下は全て深さ5メートルの空洞になっている。都は共産党都議団に「地下にある排水用の配管を管理するため」と説明したという。共産党都議団が7日に水産卸売場棟の地下を確認したところ、盛り土はなく、深さ約2センチの地下水がたまっていた。

 都は毎日新聞の取材に、「3棟の下が空間になっているのは事実。ホームページで公表している図面は盛り土の上に建物があるようになっているが、誤解を招く図面だった」としている。【林田七恵、川畑さおり】

     *     *

 すいぶんとこの記事は共産党都議団をもちあげている。都民ファーストではなく共産党ファーストだね、こりゃ。共産党をヒーローに仕立てようとの意図が露骨に見える。林田七恵、川畑さおりの両名が共産党員なのだろうか。
 豊洲の盛り土が虚偽だったことをメディアにリークしたのは誰なのか。事情を知っていた都職員か、フリーの記者か…。小池知事の臨時会見でも、共産党から聞いたとは一言も言っていなかった。

 で、都の釈明がひど過ぎる。事実盛り土をせずに床下を空洞にしているが、HPではたまたま盛り土の上に建物があるように書かれている。それは「誤解を招く図面だった」と言うわけだ。「誤解」だと? まごうかたなき虚偽ではないか。「誤解」という言い方は、誤解するほうが悪いというニュアンスになる。相手に失礼である。
 まったく役人は徹底して責任逃れを図る。都民が汚染された食品を食べて病気になったって知ったことかッ、なのだ。

 役人のいったい誰が盛り土をしなくていいと決定したのか、それに従ったのは誰か、また虚偽の図面を書いたのは誰かを追及しなければならない。役人の氏名を発表して重罰を科すべきだ。業者も重罪である。
 関係した歴代の、石原、猪瀬、舛添ら知事の責任も問われる。

 次は朝日新聞の記事を引用する。
     *     *

 豊洲市場は約40ヘクタールの敷地に青果、水産卸売場、水産仲卸売場の各棟などが建つ。もともと東京ガスの工場跡地で、2008年に発がん性物質のベンゼンが環境基準の最大4万3千倍の数値で検出。その後、都が約850億円をかけて汚染土壌をとり除き、その上に盛り土をするなどの対策をした。

 都はこれまで、議会での答弁などで「市場敷地の地盤を2メートル掘り下げ、その上に4・5メートル分の盛り土をした」と説明してきた。

 しかし、都幹部によると、食品が取引される売場棟などの地盤で盛り土がされていないという。配管を通すなど設計上の理由で、建物の地下に空間を設ける必要があったためだとしている。
 都によると、該当の箇所はいずれもコンクリート壁で囲まれているという。都幹部は「安全性に問題はないと思うが、これまでの説明と違う状態だったことは事実。設計などの経緯を確認している」と話す。

 築地市場(東京都中央区)からの移転が延期された豊洲市場(江東区)で、東京都が土壌汚染対策として進めた「盛り土」を主な建物の地盤で実施していなかった問題で、小池百合子都知事は10日午後5時から記者会見を開き、「これまでの情報公開などと事実は違うというご指摘があった。訂正をさせていただきたいと思います」と述べた。安全性が確認されていないという認識を示し、「別途あらためて専門家の方々に判断していただく」とした。

     *     *

 朝日の記事には、共産党の文字は出て来ない。なぜ? そして、朝日が独自に都幹部に聞いて問題が発覚したかのように書いているのは図々しい。
 朝日をはじめ、マスゴミ各社は独自に豊洲を取材しなかった怠惰は責められる。あれだけ土壌汚染が問題にされたのだから、本当に汚染土壌をとり除き、その上に盛り土をするなどの対策をとったのかどうかを、自分で取材すべきがジャーナリスト魂であろうに。役人が配るニュースレリースを鵜呑みにした罪は重い。

 都の幹部の発言も、「安全性に問題はないと思うが」には開いた口がふさがらない。東京ガス跡地に安全に問題があると認識されたからこそ、表面の土を除き、盛り土をする手筈だったのだ。専門家でもないくせに、木っ端役人風情が勝手に「問題ないと思う」などと言ってよいわけがない。それを無批判に取材しましたとばかり載せる記者もブタである。

 そもそも豊洲の東京ガス跡地は、東京ガス自体が、食品を扱うには危ないから都には売れないと言っていたものだ。もし市場が出来てから何年か立って、やっぱり毒ガスで汚染されていた、市場を閉鎖しなければとなったときに、塁は東京ガスにまで遡及されるからだ。東京ガスは倒産に追い込まれる。
 なのに、都が強引に買ったのである。ここにも利権の影が見える。

 都が約858億円をかけて汚染土壌をとり除き、その上に盛り土をするなどの対策をしたのは嘘だったのか。その858億はどこに消えたんだ!? 盛り土用の土を買い、運搬代を払い、土木工事して建物が強固に建てられるよう整地するはずのカネを、誰が着服したのか?

 築地移転に関しては9月23日のブログで取り上げる予定にしているが、その前に突然降って湧いたような重大ニュースが入ってきた。
 9月2日と9日の虎ノ門ニュースでは、ジャーナリストの有本香が、「もう何回も地下水モニタリング検査してるんだから、もういいじゃない」「都庁と市場関係者で決めてきた事なんだから」とキンキン声で叫び、十年も二十年も都と市場関係者が検討して進めてきたものを、ここで一気に止めるのはスジが通らないと非難していた。豊洲が問題だというが、築地のほうが不衛生で老朽化して大問題だと言っていた。

 彼女はつまり、とっとと豊洲に移転しろと叫んだわけだ。それがこの盛り土虚偽の発覚で吹っ飛んだ。有本は虎ノ門ニュースを、責任をとって自ら降板すべきである。
 
 赤嶺和彦の「日本と国際社会の真相」ブログの9月11日付けにはこういう暴露がある。
     *      *
 総工費については、当初3900億円が今では6000億円まで膨れ上がりました。
 また、その中に含まれる盛り土の費用は、360億円が650億円に膨れています。
 しかし、実際には盛り土は190億円、総工費は2300億円で済んでいます。

 莫大な差額が不正な方法で、関わった企業や個人に流れています。
 請け負った建設会社は当然ですが、個人では、自民党国会議員2名、自民党都議会議員19名、他に東京都職員7名が関与しています。
 また、このうち三人が豊洲新市場利権のコントロールタワーになっています。
 すでに調査チームでは、問題の概要の把握を急いでいるために、核心に迫ろうとしています。
 金額の大きさから見ても、重大な疑獄事件に発展する可能性が高まっています。

     *     *

 五輪についても疑惑は噴出するだろう。





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2016年09月10日

「口撃」とはなんの謂ぞ


 一流のホテルなりレストランでは、客に正装を要求する。男なら必ずネクタイ着用とか洋風のきわめてフォーマルな服の着用が礼儀である。アラブの人にはどうするんだろうと思うが、まあいいとしよう。これは常識である。
 そんな高級レストランで、乞食のなりをして行き、カネは持っているぞ、俺の味覚は一級だと主張しても受け入れられない。

 この世の中は何も味覚の優劣や、料理の批評ができるだけが価値のすべてではないからだ。
 私も大学を出て社会人になりたてて、給与も低いときに、向学のためにと思いたって、女性を誘って、そうしたネクタイなしには入れない一流レストランに行ったことがあった。
 給料の1カ月分が一晩でふっ飛ぶから、身分不相応とは思ったが、社会の一流の「おもてなし」とはいかがなもの? と知っておきたかった。

 場末の定食屋や小汚いラーメン店でも食べるのに変わりはない、気取って食うなんてバカだ、うまいに限るとする考え方もあるのだろうが、文化はさまざまなのであるし、文化の高みとはいかなることかを分かっている必要はあるというのが、当時の大学出たての若輩者だった私であった。

 しかるに、世の中には、味だけが決め手であって、ほかの価値はみとめたがらないご仁がいて、驚かされる。
 ある医療研究者のHPの掲示板には主宰者の論文やそれへの反論などが載っている。

 私は諸事情あって読むことはないが、親切な人が何人かいて、ときどきメールで、「あなたのことがこんな話題になってますよ」と教えてくださる。メールなので仕方なく、その掲示板の中身を読まされ、やっぱりゲンナリすることになるが…。
 最近は「青雲氏の東洋医学への口撃について」と題して、論争がなされていると聞いた。私の『支那は昔から医書でも嘘つきだった』(8月10日付)への誹謗中傷であるらしい。くり返すが私は下らないから読まない。

 そういうものがあると教えてくれた人は、あれこれ中身を言っていたが、読みもしないものは批評はしないでおく。
 「青雲氏」と勝手に略して人をバカにした言いようをするのも卑しい人間だが、ただ、私はタイトルの「口撃」という言葉が、まるで雑巾で顔をなでられたような不快感をもよおしたものであった。

 「口撃」などという日本語はない。マスゴミに巣食う反日というほどでもないバカが、創った「造語」にしかすぎない。テレビ番組のワイドショーなんかで、あるタレントがほかのタレントを揶揄したり、怒ってみせたりするさまを、口でしゃべって攻撃するから「口撃」としたのである。

 こんな汚い日本語を、平気でつかえる神経に私は反吐が出るのだ。
 某カルト教団が、憲法に「加憲」するなどと言って、妙チクリンな造語を開陳しているが、このおぞましさと同類である。

 いずれこんな言葉でも人口に膾炙していって、権威ある辞書に載ることもあるだろうが、今はまだスラングである。こんな言葉をつかうのは教養ある人間の恥じることである。
 日本語を大切にするマインドを持っていない。言うまでもないが、日本語にはわが国の偉大な歴史も文化も詰まっている。その恩恵を日々蒙り、藝術や学問でも活用できている誇りと感謝がなければならない。だからこんな下品な言葉を創った奴は在日ではないか。

 日本語を心から美しいと思えなければ、学者も作家もジャーナリストも失格である。
 こんなスラング、俗語をつかうことで日本語を汚していいと思える、その文化レベルの低さに唖然とする。
 それをまた、注意するか嗜めることもせずに、議論の中身だけが大事と思ってか、論争に応じる方の文化度が悲しい。

 そもそも私は東洋医学を批判したわけではなく、杉田玄白らが苦労して訳した『解体新書』を取り上げて、彼らが頑張る前の日本では、支那の医書がいわば教科書となっていたが、人体図なんかが嘘ばっかりだったとする逸話を紹介し、やっぱり昔から支那人は平気で嘘をつく連中だったのだな、と言ったまでである。

 それにブログに文章として載せたのであって、口でしゃべったわけではないので、「口撃」なんぞという下品な言葉に当てはまることはしていない。こんな区別もできない輩が、人様のHPやブログに押し掛けてものを言うことに私自身は本ブログで拒否している。

 南ク継正先生のお書きになる論文は、日本語としても美しく、格調高くかつ理路整然である。なのに、弟子の一人だった方が、師の教えを無視して、離れたら罵詈雑言を浴びせこんな汚いスラングをつかう輩と親しく論争する、というほどにやっぱり相互浸透して、落ちたのである。

 たったひとことの「口撃」という言葉ではあるが、そこに文化に対する、あるいは日本語への敬意のありなしが凝縮して現れるものであるから、取り上げた。
 学問的論述が正しければ(本人の主観にすぎないが)、どんな汚いなりをしても構わない、便器で飯を喰ってもいい、みたいな姿勢はあまりに悲しい。

 いうまでもあるまいが、言語は教養の基(もとい)であり、鍵であり、神髄である。人間であれば、何かの意見や情報を人に伝達すればそれで良いのではない。言語を実用面でのみ考えるのが、アメリカ人、支那人、朝鮮人であろう。そういう連中は、結局、野蛮から抜け出せないでいるではないか。言葉をそのように粗略に扱うから、人間をやがて非人間化していく。

 東洋史学の泰斗である岡田英弘氏は、文字と言語に関してこう述べている。
 「漢字は表意文字で表音文字ではない。言葉は音である。」「漢文は言葉を書いているのではない。意味しか表現していない。しかも変化がまったくない。格変化もないし時称もないし、性も数もないし、要するに文法がまったくない」「ありきたりのことしか言えないのが漢文の宿命である。これは論理表現の方法がない、感情表現の方法がないという恐るべきことである」「非常に情報量が少ない。中国史というのは不利な立場にある。伝えられるのが貧弱なのである」「しかし逆にだからこそ漢字漢文は中国で非常に便利である。大雑把なコミュニケーションではあるが、あの広い大陸に漢字で書けば何とか意味が通じさせられるから」

 と、これは西尾幹二氏が記憶で書いたという岡田氏の話である。
 思えば、アルファベットもハングルも似たようなものだ。
 西尾幹二氏は、この支那人の用いる漢字と漢文についての岡田氏の講義を踏まえて、「なぜか十三億の民の寒々とした心理とことあるたびに湧き起こる罵声や怒号、あの国の政治過剰の背景がわかるような気がした」としたためておられる。

 そのとおりである。ついでに言えば、私が「口撃」などという、いかにも漢語らしいインチキ語を用いる神経にも、寒々とした心理状態を感じるのだ。漢字の組み合わせで、いかにも意味は通じないではない。しかし岡田英弘氏が説くように、日本語でいう「言葉」を表現していないのである。



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2016年09月09日

女優と母親の両立


 8月23日に俳優・高畑裕太(22)が前橋市のホテルの40代女性従業員に性的暴行を加えたとして強姦致傷容疑で逮捕された。犯行当時飲酒していた。本人も容疑を認めている。
 本人はさして売れている俳優ではなく、むしろ女優・高畑淳子(61)の長男ということで注目を集めた。
 こんな嫌な話は取り上げるのも気が重いが、簡単に述べておきたい。
 
 報道を総合的に言うと、高畑淳子は38歳で高畑裕太を出産してから離婚。裕太は生まれつき左耳が聞こえづらく、アトピーとぜんそくのため病弱だった。月の半分は熱を出していたとも。
 小学校に上がるころには少年は健康になっていたが、やんちゃでけがが多かった。中学では反抗期になり、不登校になり、親子で怒鳴り合ったことも。テレビ番組で淳子は「自分の更年期も重なって大変だった」と振り返っていた。

 ここから伺えることは、あまりにも高齢出産である。愛する人の子は欲しかろうが、女性のカラダも出産適齢期があって、高齢になれば胎児にも影響が出る。ときには蒲柳の質の子が生まれる可能性は高くなる。そのシビアな認識を彼女がもっていたのかが問われる。無責任とまでは言いたくはないが、リスクは高かったはずなのに…。

 敦子は女手一つで育てたとは言うものの、女優業で多忙で家に居られないことが多かったそうだ。限られた時間に育児に全力投球したと報道では語られるが、なにが全力投球だ。
 高校卒業後、高畑裕太が俳優デビューすると、バラエティー番組でたびたび共演し、息子をバックアップした。仲の良さを披露していたという。都内の自宅に同居していた。

 演劇関係者から「甘やかしすぎ」という声も上がっていた。さもありなん。

 絵に描いたような母親の育児、教育の失敗である。高畑淳子にしてみれば、一人で稼がねばならず、仕事を選んではいられないだろうけれど、沢村貞子さんの例を以前出したが、地方ロケなど外泊する仕事は断って、せめて子供が中学卒業するまでは、子供を家に置きざりにしてはならない。

 高畑淳子のように当人は息子を心配しつつ、子供から見れば放って置かれているのに一方で溺愛されたと思うしかない、そんな育て方をすれば、子供がこうなるのは分かり切っている。
 例えば三田佳子がそうだった。
 不謹慎な言い方だが、多くの女優が育児に失敗して、問題児にする。今も人気のある女優でテレビドラマや映画に出ずっぱりの人が何人もいるけれど、名前は挙げないが、子供が高校生や大人になってから大変なことになるのは、ほぼ確実だと思う。

 子供にしてみれば、母親は女優でチヤホヤされて、いい気になって仕事、仕事に溺れている。子供は捨てられたも同然なのである。自分だけチヤホヤされてボクは放っておきやがって、と思うのは当然である。母親が仕事のためよとか、暮らしていくためよと言ったって、子供はそんなことは望んでいない。ただ側にいてほしいだけなのだ。

 女優で母親になったら、まずは子供が中学になるまでは離婚はしてはいけない。そして仕事も控え、地方ロケや海外ロケなどはもってのほかだ。子供が三歳になるまでは女優は休業して育児に専念すべきである。
 朝は母親が家にいて子供を学校に送り出し、子供が帰るときには家に戻っていることである。

 裕太が小学校に上がる前は病気ばかりしていたというのは、母親の愛情に飢えていたからだ。子供が不登校になったのも、母親の愛情に飢えていたからだ。
 裕太のぜんそくも、この場合は典型的な「自分でなった病気」である。子供は息をゼロゼロやれば母親がかまってくれると“学習”するのだ。だから、ママに甘えてわざとぜんそくになってみせる。ところがそれをくり返すうちに、習慣的になって、やめたいと思ってももう体のほうが勝手に喘息になって止まらなくなる。子供にして見れば必死なのだ。

 アトピーにしても、これは母親の管理が悪い。
 だから裕太の今度の犯行は罰せられねばならないが、私は彼がかわいそうでならない。
 これは100%、母親が悪い。また、高畑淳子の家庭事情を知りながら、仕事のオファーを出したプロダクションも、テレビ局も悪い。そういう芸能界の連中は、高畑少年の苦悩に少しでも思いやったことがあったのか。

 なのに、芸能界は犯罪をおかすとおもしろがって母子を追いかけ回してプライバシーを暴きたてる。
 母親の淳子に謝罪会見を開かせるとは、イジメである。もっとも高畑のほうも、これからも舞台に立つことが「私の贖罪だ」とはバカも休み休み言えである。言うべきは、私は仕事を優先してしまって育児と教育がまともではなかった、と反省する以外になかろう。

 三浦友和と山口百恵夫妻にも2男1女の子供がいて、いずれも俳優や歌手になっていたはずだが、まともに大人になっている。これは山口百恵が立派だった。芸能界を引退して妻と母親に専念したから失敗しなかったのである。それに三浦友和も二枚目俳優なのに、浮気をしなかった。だから家庭に問題が生じずに、ちゃんと子供が幸せに育った。




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2016年09月08日

ドゥテルテ大統領の“英断”


 フィリピンのドゥテルテ大統領がASEANの会議のときに、アメリカのオバマ大統領を「クソ野郎」と口汚く罵倒して、予定されていた米比首脳会談がお流れになった。アメリカ側が激怒したらしい。感情のままに大統領が相手国の大統領を罵倒するとは、あきれた所業であるが、内心は「いいぞ、そのとおり!」と声をかけたい気分にさせられるのは、困ったものだ。

 アメリカはあまりに身勝手で、悪なのだから。しかし、相手国をそういう罵倒したら、それはアメリカ国民全部を敵に回すこととなり、昔なら戦争起きたかもしれない。

 さて。8月21日のニュース。
 
 フィリピンのドゥテルテ大統領は21日未明に記者会見し、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)が、警官による麻薬犯罪容疑者の殺害が同国で激増していると非難したことに「無礼だ。内政干渉だ」と反論、「国連脱退も検討しなくてはならない」と述べた。

 「国連はフィリピンに一体どんな良いことをしてくれたのだ。中国などと別の国際組織をつくってやる」とも発言。フィリピンは台風などの自然災害時に限らず、平時にも国連をはじめとする国際機関から多大な支援を受けている。これを無視するような発言で、見識を疑う声が出そうだ。

 ドゥテルテ氏は長く市長を務めた南部ダバオの治安を劇的に改善したが、強権的手法への批判も根強い。5月の大統領選で勝利後も、容疑者が抵抗したら迷わず射殺するよう警官に呼び掛けており、就任翌日の7月1日〜8月18日に665人が殺害された。(共同通信)

 フィリピンの新大統領の治安に対する強権的施策は、実のところ評価するのは悩ましい。フィリピンの「トランプ」とも言われて、アメリカ大統領候補トランプと良く似ていて、平気で“暴言”を吐く。だが、大衆の本音は代表しており、支持を集める。
 そして実際にフィリピンは、治安が劇的に改善しつつある。

 犯罪者を正規の裁判にも掛けずに、片端から逮捕し射殺してしまうのは、当然、法治主義の立場からは認められまい。しかし、これまでそれをやってきて、フィリピンは治安は悪いまま、政府も警察も無策であった。

 ドゥテルテ大統領が国連を「国連はフィリピンに一体どんな良いことをしてくれたのだ」と罵るのは、正論であって、治安維持や犯罪撲滅には国連はいっさい手を貸さなかった。共同通信が知ったかぶりで、「自然災害時に限らず、国際機関から多大な支援を受けている」と嗜めるのはスジが違う。そんなキレイ事ではない。
 国連が世界に散らばるマフィアなど犯罪組織に対しては無策どころか、きっと影では利用しているはずで、それを共同通信は無視しているのは、卑怯である。

 フィリピンには荒治療は必要であろう。荒治療の遂行のためには、独裁的な大統領が、法律を乗り越えて犯罪組織と戦う以外に手はあるまい。
 日本でも、朝鮮人が支配する広域暴力団には手をこまねいているだけだし、あろうことか政治家は暴力団からも支援を受けているから、取り締まりなんかできない。

 だから日本でも、家田荘子(ノンフィクション作家)のごとく、暴力団にもココロがあるんだ、人権もあるんだと、馬鹿げた贔屓をやってのけるご仁もいて、結局、有効な手が打てない。
 日弁連も厳罰化に反対するから、世の中は歪んだままだ。
 以前にも述べたが、覚醒剤を売ったり、楽しんだりした人間は、死刑にするしか、撲滅の道はない。刑が軽いと思えばこそ、裏社会に手を染めるものがあとを絶たない。

 フィリピンのように、警官が容疑者と見たら殺してしまうのはやり過ぎだろうが、日本では刑罰をもっと厳しくすべきなのである。シンガポールは麻薬に関わったら死刑である。それでいいのではないか。

 私がフィリピン人なら、ドゥテルテ大統領の方針を支持する。
 加えて、ドゥテルテが「国連脱退も検討する」と発言したことも、大いに結構である。日本も、国連が「クマラスワミ報告」とかで、旧日本軍が朝鮮女を拉致して性奴隷にしたなどと、嘘を言って日本を侮辱するなら、「脱退するぞ」と言ってやればいいのだ。

 話は代わるけれど、ご存じのように「フィリピン」という名称は、スペイン国王のフィリペ2世の名から取られたものである。1527年から1598年の生涯で、スペイン帝国の絶頂期だった。フィリピンはおぞましい鬼畜スペインよって蹂躙された過去があるのだ。それがわかっているなら、ドゥテルテ君、まずは国名を変えたらいかがだろうか。いつまでも屈辱の歴史をいだいている必要もなかろうに。

 さらについでに言えば、フィリペ2世と対等に渡り合ったのが豊臣秀吉であった。秀吉はこの鬼畜が送り込んで来た宣教師を放逐し、国内のキリシタンを撲滅した。戦国大名どもが「キリシタン大名」とごまかしつつ、日本の娘を奴隷として差し出して、火薬を手にいれる非道を阻止した偉人である。ドゥテルテ君、秀吉に倣って、アジア人の誇りを取り戻してくれ。

(※ 本稿をアップしたあと、虎ノ門ニュースで青山繁晴氏の木曜日の解説を聞くと、ドゥテルテは、アメリカと仲が悪いようにみせかけて、習近平のおべんちゃらを言うためだったろうと言うのである。ドゥテルテはもう支那の経済協力を受けると決めているから、オバマを罵倒してみせて、習近平に取り入ろうとしたのでは、とアメリカも分析しているそうだ。
 なんだそういうことか。)

(※ さらに追加。「世界の裏側ニュース」によりますと「ドゥテルテ大統領が「putangina」と発言したのはオバマ大統領に対するものではなく、ドゥテルテ大統領に「質問や発言を投げかけただけ」のレポーターに向けられたものだったそうです。)
http://ameblo.jp/wake-up-japan/entry-12198826890.html





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2016年09月07日

「自己の相対化」の大事性(2/2)


《2》
 私はかつて知り合いだったX氏に心底驚いたことがあった。それは映画のDVDを貸した際のことであった。私が見て良いと思ったというよりは、この映画はある先生が評価している映画だからとお見せすることにしたのだ。なんどもそういうことがあった。

 ところが彼から返ってきた感想が実に激しいもので、いつも「こう考えるのが正しい、お前は間違っている」という露骨なものの言い方なのである。異論を許さない「絶対主義」である。
 初めから頭ごなしに、訓戒を垂れ、私の未熟を叱り、俺に倣えと強要してくる。若いころからずいぶんいろいろな友人と、映画や小説などで感想を述べ合ってきたが、こういう人を相手にしたのは初めてだった。

 映画に対する私の感想や批評が完璧なはずがなく、間違いもあるだろう。制作者たちの創作意図とは違う感想を持ってしまうことだってある。
 呉善花氏が言うように私は「未決定な姿勢」を把持したいと心がけてはいる。けれどX氏の場合は、初めから相手を押さえつけるような言い方だった。なんとかならないものかと嘆いたものだった。あんな口の利き方をしていたら、いくら正論でも友人が去っていくだろうと思ったものであった。余計なお節介だが…。

 X氏のことを俎上に上げてはいるが、私の気持ちとしては「自己相対化」の一般性についての大事さを説きたいのであって、X氏の悪口を言いたいのではない。
 話を戻すと、私がそんな思いを抱いていること自体がX氏には著しく不快らしかった。聞いたとたん即座に怒りを飲むのがわかるほどだ。
 私は彼の見解に反発しているのではなく、むしろ彼が「自己の他人化」をしない姿勢に驚き、それでいいのだろうかと思ったまでなのだが…、彼はあいつは俺の見解に勝てないことを妬んで、論争を逃げたという受け取り方をするようである。

 やはり「勝ち負け」か「上か下か」が大問題なのだろうか。
 人それぞれ映画の感想はあるのだろうとか、いろんな見方があってもいいよね、とか君は君で興味を抱いたところがボクと違うね、というのが、普通の人間関係だと信じてきたが、X氏の押し付けの強さに辟易した。
 感想を言うなというのではない。感想を述べ合うのも映画を鑑賞する楽しみや学習なのだが、彼はそんな「味わい」を拒絶していた。

 呉善花氏が評する韓国人のように、自己相対化をしない人なのだなと悟ったのである。まさにお前と俺とどっちが上か下かを迫られるのである。彼は私が論争から逃げたとか、俺の正論に勝てないから妬んでいるとでも思うのだろう。そういう判断しかできないことこそX氏が自己の他人化があまり出来ない証だと思える。私としては、こんな自己を相対化できない人と感想を言いあうのは無駄だと決断しているだけなのだ。

 x氏は、私が紹介した友人ともすぐさま論争、というよりケンカになってしまって、往生したことが何度かある。
 例えば飛行機の操縦についても、現役の機長に対して「こう考えるのが正しい、お前は間違っている」とやらかして、相手の機長が「あんたは一度でも旅客機を操縦したことがあるのか?」と驚く始末だった。一般論だけで押しまくる。
 
 自己の相対化をまったくなしで、相手に詰め寄っていく。
 また、他人を誹謗中傷することが大好きな輩とも、延々と論争を繰り広げるのがお好きなようだ。
 論争相手が、自己の相対化や自己の他人化が身に付いていないものだから、そういう人と延々とやらかせば、いよいよ相互浸透していく恐ろしさを、彼は認めない。残念なことである。

 はじめに産經新聞の記事を紹介したが、韓国のスポーツ放送では、アナウンサーと解説者が一緒になってやたら絶叫し、「こうしなければいけない」…を連発し、選手にしきりに注文をつけ、叱ったり、諭したりして威張っている感じ…、それがX氏と瓜二つだと思えたものだった。

 韓国人や支那人は自己の相対化ができないゆえに、これから退潮していかざるを得まい。カネで他人の顔をひっぱたけば能事足れりとするやり方を永遠に繰り返し、抜け出せなくなる。なにも日本がその連中の犠牲になることはないのだと、みんないい加減に気づくべきではないか?

 「自信を持てばずっこける」とは、わが流派における金言であるが、韓国人の絶対主義的“自信”も、X氏の決然たる自信も、やはり「ずっこけ」を生んだ。こういうものは、「自信」と「反省」の対立物の統一でなければならないし、そうでないといずれ相手にされなくなる。それがまっとうな人間関係である。だからそれを理解しないと韓国のように、ずっこけることになる。

 「対自」とはいうなれば「自信」と「反省」の対立物の統一であろうが、それを実践できないでいて、どうして弁証法でも世界観でも俺は一番だなどと言えるのか? 脚下照顧を忘れず、自己の相対化を維持するべきなのではなかろうか。

 以前、「米粒写経」の居島一平さんが、司馬遼太郎は嫌だ、彼はいつも上から目線でものを語る、と批判していることを本ブログで紹介したことがあった。歴史上の人物が、後世の人からみて「失敗」と思われても、その人物も一生懸命にやって、運がなくて成功しなかったこともあるだろう、そういう人物にまずは寄り添うべきではないかと居島一平さんは言っていた。優れた着眼だと思う。
 
 これが自己の相対化である。司馬遼太郎は自分のサヨク史観に自信を持ち過ぎたのである。

 日本人は自己の相対化ができる人が多い、と呉善花氏は言ってくれるけれども、例えば一流大学を卒業したような受験秀才にはそれが出来にくい。受験の成績が絶対に思い込んでしまうからだ。算数の得意な人もいれば、社会科の得意な人もいる。運動が得意な人もいれば、人を笑わすのが得意な人もいる、裏方をやらせたら抜群の仕事ぶりという人もいる。

 ところが受験秀才の成れの果ては、それが知識ではわかっていても、身に染み込んでいないから、人間それぞれの価値が認められず、相対化して見られなくなる。秀才だけが偉いと断定する。
 かつて帝国海軍では江田島兵学校のハンモックナンバーの高いものほど出世はするが、実戦ではからっきし作戦が下手であった例をよく聞く。実戦は教科書どおりにはいかない。

 それに「俺は江田島で超優秀だった」との自信が災いして、戦争ではずっこけるのである。
 日本が日清、日露の戦争で勝てたのは、まだ自信を持っていなかったから必死に戦ったが、大東亜戦争では将軍どもは自信を持ち過ぎたからずっこけたとも言えると思う。

 戦後、アメリカは日本人に絶対主義を押し付けた。洗脳し、教育を徹底させた。日本は侵略国だ、日本人は野蛮だ、間違っていた、と摺り込んだ。民主主義だけが絶対的に良いのだと。それにみんな騙された。吉永小百合みたいなサヨクは、絶対主義に凝り固まって、9条さえ守れば日本は世界に認められるとしている。

 日本人は非道なる白人支配を身を犠牲にして戦って、解放したのだという側面を、まさに相対的に見て取ることができない。




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2016年09月06日

「自己の相対化」の大事性(1/2)


《1》
 「自己の相対化」という概念に基づけば、人間の性格にはざっくり言って2つあるように思われる。
 わかりやすくは、おおむね、であるが、韓国人や支那人にはこの自己相対化が苦手、ないし一顧だにしない者がほとんど。言うなれば「自己の絶対化」がほとんどであろう。
 日本人は基本的に自己相対化ができている。

 自己の相対化とは、哲学用語でいうなら、「即自」と「対自」の概念に相当する。いずれの用語も本ブログで何度も繰り返して紹介してきた。なんだっけ? という人は本ページから検索してみていただきたい。
 
 あるいは、海保静子先生が説かれた「自己の他人化」ができるかどうか、「自己の自己化」しかできていないのではないか、の問題でもあると言い換えることもできよう。

 ところでリオ五輪では、韓国は大きくメダル数で日本に遅れをとった。したがって、日本に優越感を持てず、いちじるしく盛り上がりに欠けたという。日本はメダル数で韓国に勝ったなどと喜ぶ者は一人もいない。それに関して、産經新聞の黒田勝弘記者が記事にしている。それをちょっと読んでみたい。

     *     *

 韓国のテレビで韓国が出場する場面を見ることが多かったが、韓国のスポーツ放送であらためて気付いたことがある。
 アナウンサーと解説者が一緒になってやたら絶叫するのはうんざりだし、「いいぞ!」とか「ダメ、ダメ!」「がんばれ!」など激励が多いのも仕方ない。ただ「こうすべきだ」「こうしなければいけない」…を連発し、アナウンサーや解説者が監督みたいに選手にしきりに注文をつけ、叱ったり、諭したりして威張っている感じは韓国的だ。

 つまり、試合の現状や双方の選手の闘いぶりという客観的な事実の伝達より、「わが選手はこうすべき」という“べき論”に熱を上げているのだ。
 これは韓国マスコミの体質に通じる。国内政治でも対日関係でも客観的な情報提供より、いつも「こうすべき」「ああすべき」と批判、扇動ばかりしている。(8月20日付)

     *     *

 面白い観察である。さもありなん。スポーツ中継が目に浮かぶようだ。上から目線、という好例だ。
 そこで思い出したのが、西尾幹二氏と呉善花氏の対談本『日韓悲劇の深層』(2015年 祥伝社新書)である。
 これは日韓関係がひどく悪化した背景を、両国の国民性や文化から読み解こうするものだった。

 呉善花氏は韓国人の“歴史認識”を次のように説く。
 「デタラメな基準で生きている日本人は真の価値が理解できないから、いつも頭を叩いておかないと彼らは何をするか分からない。双方の国民がそれぞれ意見を主張し合って互いに歩み寄る、というものでは決してないのです。日本人がやることは、韓国の主張をただ受け取るだけ。反論や異論などとんでもない。繰り返しくり返し、韓国の言うことを、日本人は心して聞けということです」


 韓国人の“歴史認識”こそ絶対で、日本は真実を知らないんだと、決めつけているらしい。だから話が噛み合ない。
 この本で再三問題になったことが、韓国人は自己相対化ができない民族だということだ。日本人は自己相対化ができる。
 これはどういうことかというと、日本人の場合、何かで他と対立・対峙したときに、いったんは自分を置いておいて、違う見方があるかも、もしかして自分が間違っているかも、相手の意見に耳を傾けてみようと、多角的に考えることができる。

 子供のころからこれは「即自」から社会的認識で磨かれて「対自」になって成長できていないと、自己の相対化ができにくい。自分をまずは置いて、外のものごとを相対化して見られる(対自)、これが多くの日本人の優位性である。
 自己の相対化ができる人のマイナス面は、自己主張の弱さや押し出しの貧弱さにもつながるだろうが、客観性も身に付いている。

 呉氏はこう語る。
 「私が日本に来て身に沁みて感じさせられたのは、『自分はこれが正しいと思う』という考えを持っていながらも、いま言ったような未決定の姿勢を失わず、できるだけ物事を相対的に見ていこうとする人が、日本人にはとても多いということです。ですから自分に忠実であろうとするほど強い自己主張ができなくなるのだろうと思います」

 「私もそうでしたが、韓国人には自己相対化がなかなかできません。とても自己中心的で、……他者に照らして自分を省みるようなことがないのです。比較ということでも、関心はもっぱら、『どっちが上か下か』になります。」


 さすがにするどい比較文化論を展開している。なるほど、だからスポーツでも学問分野でも、韓国人は日本に勝つか負けたかだけに関心を集中させる。

 西尾幹二氏は、こう言う。
 「自分を捨てて客観性を知ることは法意識の確立につながる。それがない韓国人は人治主義から抜け出すことができず、法治主義が育たない。王様の独断に頼ったり、独裁制になったりする。王様の人格で善悪が決められる。」

 支那もそうだし、北朝鮮も見事にそうである。北朝鮮の「首領様」への熱狂はただ強いられているだけでなく、民族性なのであろう。日本は人治主義から脱しているから、天皇を絶対君主としてこなかった。ゆえに相対化が出来るようになり、逆に相対化ができるから天皇をいわば象徴としていられるのではないだろうか。



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2016年09月05日

タックス・ヘイブンの闇の闇(3/3)


《3》
 自民党政権は、戦後70年以上にわたって官僚と組んで国家経営をしてきた。
 国の借金は1千兆円以上(実は百兆程度)と言われるが、この巨額借金をつくった責任には、政治家も官僚も一言も触れない。しかも債務だけ騒いで資産は黙りをきめこみ、「財政再建は急務」「福祉予算がなくなる」「外国の圧力がある」とウソをつく。どの政党も省庁に絶対にある裏金を暴いて国民に分配するなどとは決して言わない。
 
 自民党が巨額の借金をつくっても、なお本気で困らなかったのはなぜなのだろう。借金を後世に残してもなんとかなる、という思惑があったればこそなのではないのか?
 表向きは、財政危機なのだが、官僚や自民党政治家どもに悲壮感が見えない。
 高橋五郎氏の『天皇の金塊とヒロシマ原爆』をまた紹介する。

     *    *

 日本は1945年9月2日に正式に敗戦を迎えた。
 ところが実際には、そのほぼ2年前の1943年5月5日(先述の投下目標を日本に決定した日付で)戦争は終わっていた、と筆者は推測している。その理由は、原爆の完成と日本投下のタイミングは結社のいわば家庭の事情による。つまり、本書で述べている事柄すべてに含まれている。

 いってしまえば、19世紀中ごろから日本が朝鮮、清国、ロシア、満州、中国、インドシナ、東アジアで強奪して貯め込んできた「天皇の金塊」=「金の百合」を横取りするタイミングを、結社が1945年まで待ちつづけたということなのだ。
 日本の皇室会議は、戦争遂行を次のように策定していた。「占領東南アジア地方における軍事行政方針」と題した「戦略物資の取得、占領陸軍の自給自足の確立、および法と秩序の回復」がそれだ。

 つまり、日本が占領して決めた法律に現地人を従わせるその方針を連合軍は察知した上で黙認し、日本軍の略奪を看過しつづけたのである。
 戦時略奪で手を汚すのは、日本の役目。アジア全域での略奪、殺人、処刑などの犯罪行為の責任は日本に任せるのがいい。そして、後世まで日本人の蛮行を歴史にとどめさせるのだ。

 財宝を日本軍にさらに貯め込ませるために終戦を長引かせた結社は、財宝の分配については連合軍のソ連、中国にはひとまず遠慮させ、原爆完成と投下が実行可能な時点まで終戦のタイミングを引っぱった。そしてころあいを見計らって、日本に原爆を投下。結社は「金の百合」の押収と日本の完全占領を果たすその計画を、1943年5月5日までには確立していたのである。

 「金の百合」の分配をソ連と中国が要求しなかった理由は、両国の戦費を結社の金融カルテルが負担していたからだ。それでも戦後のソ連は、北海道以北の樺太ほかの諸島を確保した。一方、中国、朝鮮は後世の対日戦略カード、すなわち「日本による蛮行の歴史」を手に入れた。

 日本が強奪した財宝は18世紀からイギリスとアメリカが支配してきた中国に蓄えられていたものだ。中国全土の銀行や国民個人が、何世紀にもわたって所持してきた金塊を英米が強奪し、それをさらに無理矢理日本が奪ったのだから、持ち主に返還させて何が悪いのか、というのが国際金融カルテルの大義名分なのだ。

 もともとロマノフ王朝の金やダイヤモンド、アラブの石油、ソ連の地下資源など、結社の理想の実現を大義名分にして結社の“軍隊”とその手下たちに強奪させたものは数多くある。戦争計略にひた走る結社の「正義」が、原爆神話に影を落とし、後世に疑念を残さないはずはない。

     *    *
 
 「戦時略奪で手を汚すのは、日本の役目。そして、後世まで日本人の蛮行を歴史にとどめさせる」という策謀をユダヤは仕掛けた。それに乗ったのがヒロヒトその人である。
 だがヒロヒトは、俺だけはそういう「蛮行」とは無縁だった、知らぬ存ぜぬだった、を貫いて、「あ、そう」と愚鈍を装って逃げおおせたのである。その彼の演出が、例の「靖国にはA級戦犯が祀られているから参拝しない」であった。

 戦後の自民党政権は、朝鮮・韓国、支那の反日行動を黙認してきた。決して自分たちの歴史の正当性や、韓国や支那の無理難題にも反論してこなかった、という事実がある。
 安倍政権でさえも、昨年暮れの日韓合意の際にも、「慰安婦の強制連行の記録はなかった」と言うのみで、韓国の言うことはウソだと言い切ることをしなかった。そしてまたカネを払う約束をした。

 保守派からは腰抜けと罵倒されながらも、主に自民党が支那と韓国に叩頭し続けてきたのは、実は過去の後ろ暗い「天皇の金塊」があったからだと解釈すれば、疑問は氷解する。

 つまり、自民党政権は、中共と韓国に対していくらでも反日をやってくださって結構です、いくらでもお詫びします、その代わり「金の百合」だけはわが国の金庫とさせてください、という協定(密約)ができていたのではないだろうか。
 その「金の百合」から、韓国や中共にODAその他、お金を差し上げますから、と。

 そうやって韓国、中共にすきなだけ反日をさせておいて、つまり国家の尊厳を踏みにじらせておいて、「金の百合」のおこぼれを自分たちで、つまり官僚と与党政治家で山分けしたり、産業界へ融資したりしてきたのではないだろうか。
 米軍とくに米海兵隊への思い遣り予算などの原資は、きっと「金の百合」から手当しているのかも…。

 冒頭に紹介したように、高橋五郎氏は、日本の戦後経済復興と躍進の原資は、日本軍がアジア各地で、天皇の名のもとに略奪してきた金塊や財宝(いわゆる「金の百合」)であると断定している。
 したがって、もしも財務省の裏金なるものが暴かれることになった暁には、「金の百合」にまでもしかして、話が波及しないでもないのである。そんなことが起きるわけはない。

 さらに言えば、天皇家がそこにどれほど深い関与をしてきたかが白日のもとにさらけ出されることにもなる。天皇家が政治に関わってこなかったなどという「証言」はすべてウソだということが明らかにされる。
 だが、国家権力の闇がわれわれに立ちはだかる。決して「金の百合」は公にはされないだろう。

《4》
 最後にタックス・ヘイブンで儲けているらしい新興宗教について触れておく。
 媚中・副島隆彦は『お金で騙される人、騙されない人』(幻冬舎新書)で、宗教法人への課税に反対している。
 彼はなんと、医療法人、教育機関、宗教団体は利益を追求しない非営利団体で、公共の福祉と人々の幸せのための存在だから、憲法でも無税か極めて低い税率で事業を行うことを許されているのだと、解説している。

 ふざけるな、だ。日本のカルト教団は、非課税特権を与えられているから、その闇の汚いカネのやりとりをブラックボックスを経由することで、マネーロンダリングしている。今話題のタックス・ヘイブンのお得意様は新興宗教である。その本質は宗教ではない。

 つまり、ヤクザの汚いカネがカルト教団に入り、それをカルトが請け負ってニューヨークやブラジルなどで麻薬に投資される。麻薬は周知のようにCIAが取り仕切っているが、さらに元締めはユダヤ金融財閥=マフィアである。ヤクザが稼いだカネは、ロックフェラーなどが運用してくれて増え、マネー洗浄されて、ふたたび日本カルト教団を通ってヤクザに戻る。

 マネーロンダリングの装置としてカルト教団は存在する。つまりカルトは裏の金融システムなのである。今もだろうが、キリスト教団とかバチカン市国とかは、闇金融機関であろう。だから佐藤優だけではないが、「私はクリスチャン」ということが、どれほど恥ずかしいか、考えられたい。

 古来、宗教は表立っては、まあ一言仏教的用語で言って、衆生才度、安心立命が目的であるかに装って大衆を誑かすが、本質的機能は国家権力の闇の部分の代理人であろう。
 なのに、宗教団体には全面的自由を、とはなんたる無知。





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2016年09月04日

本ブログへコメントいただく方へ


 いつもコメントいただきありがとうございます。
 コメントしたいのに、「エラー」が出て投稿できない、との声をよくいただきます。申し訳なく存じます。Seesaaブログの不具合なのでしょうが…。

 で、最近気が付いたのは、メールアドレスの入力する際に、たいていの場合は、アルファベットが先にくる方が多いと思うのですが、私がふと試しに数字を前に出したアドレスを入力したら、エラーが出なくなったのです。

 例えば、
  bvczas@…
 だと跳ねられやすく、
  3298pyte@…
 のように数字が頭にくると良いようなのです。

 メールアドレスはご自分のものでなくても大丈夫です。適当につくって入力してみてください。その際に数字を先頭にしてお試しください。
 それでもダメ、となるかもしれませんが…。

 それから「バカ」「アホ」というような言葉が入ると、私のほうで禁止用語に指定してある場合は、投稿できませんので悪しからず。
 お手数かけますが、よろしくどうぞ。


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2016年09月03日

タックス・ヘイブンの闇の闇(2/3)


《2》
 私はわが国にとって問題なのは、特別会計の闇なのであり、さらにもっと巨大な闇として、巨額な隠し資産が日本にはあるはずである。
 これは自民党にかぎらず野党も同罪であるが、巨大な闇にはいっさい触れないできた。特別会計すら闇のなかに置いたままである。

 マスゴミではほとんど報じられず、民主党政権のときは特別会計176兆円の抜本的な見直しのため特別会計の検証チームが発足したと報じられたことがあったが、雲散霧消。
 一般会計の2010年度予算は約92兆円。特別会計は約381兆円で、4倍規模。特別会計の歳出純計は176兆円である。

 特別会計は、各省庁が特定の事業を行うために設けられた予算(会計)である。原資は税金や保険料となってはいるが、一般会計と違って国会のチェックが甘い。もしも国会議員がチェックしようとでもしようものなら、その議員に国税庁が入って徹底的に嫌がらせをし、疑惑がちょっとでもあれば週刊誌にリークして、辞職に追い込むだろう。

 所管官庁は好き勝手に特別会計を使い、余剰金を貯め込んできた。ここから天下り先の独立行政法人に予算が回されるデタラメがまかり通ってきた。

 高橋五郎氏は、戦後の日本経済は、日本軍が天皇の名のもとにアジア各地から簒奪してきた財宝をマネーロンダリングし、多くをユダヤ結社とユダヤ国際金融資本に奪われながらも、なお天文学的巨額の資金で賄われてきたのだと説くのである。
 事実とすれば、財務省の裏金以上かもしれない。

 私はこの闇の「天皇の金塊」が使われるとすれば、特別会計をカクレミノにするのではないかと想像している。ノーチェックなのだから、まぎれこませやすいのではないか。
 これは当然のことながら、マスゴミや経済学界でも完全無視である。陰謀論だと嘲笑されて歯牙にもかけられない。

 私はこのマスゴミの態度からも、高橋氏の説くところは真実ではないかと思うのだ。なぜかなら、わが国のマスゴミは、そもそもはユダヤ結社の機関なのであり、報道の独立、報道の自由などはない。それに経済研究者もほとんどが体制の御用学者であり、またそうでなくとも陰謀論に加担したとなれば公の発表場所を失う。だから飼いならされた羊である。

 マスゴミ、新聞・テレビ大手メディアから流される情報は100%嘘・デマ・扇動と疑うべきである。しいて役だつとすれば、嘘・デマ・扇動の中から行間を読んで隠された事実を推察していく、反面教師的な参考資料の程度にしかならない。

 都市の暴動なるものがよく起きるが、一般に、裏でアメリカもしくはユダヤ結社が糸を引いている。暴動派にカネを渡して、国を混乱に陥れる策略だ。本当は暴動に発展するほどの事情はないのに、演出している。
 そこで一人の大手メディアに所属していないフリーのカメラマンあたりがターゲットに選ばれ、銃殺される。あたかもその国の騒擾が本物であるかのような印象を、内外に示すためであろう。

 報道の自由のために、平和のために戦ったカメラマン、というストーリーが出来上がる。そういうストーリーをメディア自身がほしかったのである。だから多くの事件は嘘・デマ・扇動と見る視点が必要になる。そうやってマスゴミはいかにも、自分たちは真実を身を呈して国民に提供しているんですよと、装うことができるのだ。

 ゆえに、そんな御用学者や手先評論家が無視してみせるなら、逆にこれは本当のことなのだと言える。彼らは本当のことを隠すためにカネをもらって言論、報道活動をさせてもらっているからにほかならないからだ。
 地球温暖化のウソ一つとっても、学者やマスゴミが信用できないのは確実なのだ。

 もう一度、高橋五郎氏の『天皇の金塊とヒロシマ原爆』から読んでみよう。
     *    *
 
 結社の金融カルテルは、18世紀ごろから20世紀中ごろの戦争終結までに、英国と枢軸国が集めてきた以上の財貨(文化財を含む)を、終戦と同時に「回収」している。その回収を見越して企画実行されたのが「ブレトンウッズ協定」だ。むろん表面上は、結社が唱える「平和と民主主義」や「共産主義から国を守るため」などというお決まりのスローガンを活用した成果だ。

 60年前の1945年までに、連合国が敗戦国から強奪した財貨と権益が、実は現在の世界の金融、経済を支える原資になっている。結社の最終目標が“崇高”であるほどに、結社の一部メンバーとその系列企業の経済活動もまた膨らむのである。

 戦火を拡大して得た原資は、戦後60年を越えた現在では、おそらく次の戦争事業を計画しなくてもすむほど膨らんでいることだろう。戦後の世界経済は、結社の一部メンバーたちの「努力」の上に咲く“あだ花”なのだ。

 では、どこに膨大な富が存在していたのか。もはや、誰もが知っていることだが、17世紀末から始まった中国とインドを結ぶアヘン貿易。この商売が、結社の系列会社に巨額の利益をもたらしていた(先述したように、アメリカ東海岸のエスタブリッシュと呼ばれる一族は、アヘン貿易によって莫大な富を得た成金たちだ)。

 結社の金融カルテルが過去から保有管理してきたアジア・中国での権益と財貨を、結社は日本に錯覚させて狙わせた。結社の戦争シナリオは、戦争を通して富と権益を貯め込む日本民族を、最後には丸ごと「回収」して富を継続支配する方向で編まれた。日本は戦争を通して、富を貯め込みつづけている成金国だったからだ。

     *    *
 
 本当なら子ども手当や高校無償化も、高速道路の無料化、年金救済や社会保障でも、なんでもござれなのではないかと思われる。
 親が分限者ならば、息子がどんなに放蕩三昧しても小遣いにまったく不自由しないようなものなのだ。

 この「天皇の金塊」が生み出す資産が消えないかぎり、日本が経済破綻することはない。本当はたとえばJALだって楽勝で救済できたはずなのだ。そうしないで潰したには潰しただけの訳があると思わねばなるまい。
 つまり、始めから外資に売り払うために仕組まれたのだ、と。

 高橋五郎氏は「アメリカ東海岸のエスタブリッシュと呼ばれる一族は、アヘン貿易によって莫大な富を得た成金たち」と書いている。同様に、日本でも軍部が密かにアヘンで儲けて、そのカネで満州などの駐留費用を賄い、また兵器生産などにも回したことは、一部で囁かれているのだが、なかなか公にならない。
 「天皇の金塊」とは、略奪した財宝もあろうが、主としてアヘン売買による巨利であったのではなかろうか。

 ちょっと話はずれるが、アメリカ映画に『天国の門』があった。西部開拓時代のワイオミングでの私闘を描いた大長編である。この映画の話はいずれ書きたいと思うが、冒頭に当時のハーバード大学(ロースクールだった)の卒業式の乱痴気騒ぎから始まる。登場する学生の顔や振る舞いの卑しいことといったらない。つまりハーバード大学に行く連中もその親も、みんなアヘンで儲けていたのである。映画ではアヘンのことはオクビにも出さないが…。

 高橋五郎氏が、明治以降に日本が海外派兵で金銀財宝を奪ったというが、日本が侵略する前に白人がすでに侵略支配していたわけで、日本が行くころにはみんなもうとられていたのではないかと疑問が湧く。金銀財宝というより、アヘンの利益だったのではないだろうか。

 高橋五郎氏は、そうした略奪やアヘン貿易は軍部が直にやるのではなく、ヤクザにやらせたのだと説いている。これなら軍部に傷はつかないからである。むろん、天皇は承知の上であり、表向きは知らなかったことになっているはずである。

 以前にもブログで書いたが、天皇家は日本海運業の隠れた大株主であった。明治初期から「からゆき」として、多くの日本婦女子を東南アジアやハワイ、アメリカ、カナダなどに娼婦として売った。彼女らを乗せた船で天皇家は儲けたのであった。
 慶応義塾を創立した福沢諭吉は、日本は貿易で儲けるにもモノがないのだから、女を売り払えばよい、人口を減らせるし、一石二鳥じゃないか、と提言するような恥知らずであった。

 その連中が、最も儲かるアヘンに手を染めないはずがあろうか。




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2016年09月02日

タックス・ヘイブンの闇の闇(1/3)


《1》
 パナマ文書騒動が持ち上がり、右や左の旦那様がたはうろたえておられるやに推察はされるけれど、私は、ま、大山鳴動して鼠一匹かと思っている。
 わが国におけるタックス・ヘイブンとの関わりで、多くの人が大企業や超富豪に疑いの眼差しを送っているだろうが、まさかあり得ないと思っているのが、財務省、天皇家、加えて巨大新興宗教も関わっているはずだ。
 そんな名前が、百年経とうが五百年経とうが、暴露されるはずがない。

 以下は2010年4月にブログに書いたものに大幅に書き改めてある。

 『どらえもん・ジャーナリスト松田光世氏が今度は財務省に宣戦布告! 財務省に「裏金」疑惑。2010⁄04⁄02 』
http://www.asyura2.com/10/senkyo83/msg/554.html
の要点を転載させてもらう。

 松田氏は、月刊テーミス誌で『外為特別会計なんと21兆円 財務省「裏ガネ作り」の全貌がわかった!』を書いているそうだ。
 「今日からウソつき犯罪者集団・財務省と全面戦争スタートです。消費増税の前に歴代財務事務次官を逮捕せよ!」

 検察の裏金を大阪高検の公安部長の三井環氏が告発したら、ただちに彼を獄につないで口を封じた事件があった(2002年4月)。
 だが、財務省の裏金となれば、これは巨額なんてものではなく、わが国経済の根幹が揺さぶられる大事態になりかねない。

 なぜ経済の根幹が揺らぐのかは後述するが、まずは松田光世氏の言わんとする中身を読もう。

     *    *   *
 
 みなさん。財務省に情報公開請求しましょう! 過去の各会計年度決算時の外国為替資金特別会計の為替差損の内訳とその裏付けとなる説明資料。購入レート別米国債保有高とその推移。決算適用為替レート。・・・黒塗りの資料をたくさんくれるはずです。

 「為替差損」の中身を公表できない財務省。このご時世にまだ青天井でタクシー乗り放題の財務官僚。あのノーパンしゃぶしゃぶご乱交のツケはどこへツケ回されたのか? なぜ円安の時でも「国政選挙の年に為替差損が拡大する」のか? この国最大の権力の闇に、あらゆるメディアを通じて迫っていきます。

 その答えは、彼のケイマン島の「隠し口座」に眠っています。外資系ファンドからの入金がザクザク。
 結局、竹中平蔵は誰の為に? 何がしたかった? とお考えですか?
 あと、村上ファンドからも。村上ファンド発足時からのVIP口座。日経ビジネスなどで「私募ファンド解禁」を主張して、村上ファンド設立時にVIP扱いに。村上ファンドのバックは、オリックス宮内。かんぽの宿は・・・。

 最近、CIAは、ヘッジファンドなどの私募ファンドを通じて、狙った相手にカネを回して、いろいろ工作しているようですよ。

     *    *

 松田氏は民主党政権時代、枝野幸男行政刷新担当大臣の会見の際、「財務省の裏金問題、調査をしますか?」と質問すると、枝野大臣は「非公式にすでに調査を開始しています」と答えたそうだ。
 そう答えはしたが、どだい民主党ごときが本気で財務省の裏金に手を突っ込めるわけがなかった。

 さて、何ゆえ財務省の裏金暴露が、わが国経済の根幹が揺さぶられる大事態になると思うのかを述べていく。
 著述家の高橋五郎氏は、『天皇の金塊』や『天皇の金塊と広島原爆』(いずれも学研)などで、日本の戦後経済復興と躍進の原資は、明治から昭和20年の敗戦までに、日本軍がアジア各地で、天皇の名のもとに略奪してきた金塊や財宝(いわゆる「金の百合」)であると断定している。

 戦後経済のいわば台所は、この略奪資金で賄われてきたのだと言うのである。それは今もだ。
 一度集められた「天皇の金塊」は、その多くはアメリカ、つまりはユダヤ資本に奪い取られはするが、マネーロンダリングされてスイスその他のタックス・ヘイブンの銀行に預けられたマネーは、運用されて金利がずっとついてまわるのである。「いらないと言っても(日本に)入ってくる」と高橋氏は暴露している。

 また、高橋五郎氏は「戦争で失ったものは生命。そして得たものはマネーだった」と簡潔に述べる。
 初耳の人には、にわかには信じられまいが、以下が彼の説明。

     *    *
 
 結社の連合軍はなぜ、一気に日本を降伏させなかったのか。その理由は、結社がつかんだ秘密の「果実」が熟するのを待つためだったのである。
 「果実」とは、19世紀前半から1945年の終戦まで、日本が100年がかりでアジア全域から貯め込んできた「天皇の金塊」=「金の百合」のことだった。
 朝鮮、清国、満州、中国、ロシア、東アジア諸国で日本は長期にわたって略奪押収をした、膨大な財宝を、自国とフィリピンに貯めていた。それが「天皇の金塊」である。

 「金の百合」は国際金融カルテルにとっては、垂涎の果実だった。被略奪国の中国は長期の対日戦争を経て、1943年には米英同盟国の一員として、日本への反撃グループに加わっていた。むろん、国府軍の蒋介石も共産軍の毛沢東も、ともに結社を後ろ盾にして金融トラストから資金援助を受けた結社メンバーだ。

 ナチス・ドイツ軍も、戦時下の自国内と占領地で、銀行、商人、個人が所有していた金やダイヤモンド類を根こそぎ略奪押収している。俗にいう「ナチスの財宝(含む書画骨董品)」だ。結社は連合軍に押収させた。その財宝を「ブラック・イーグル」と呼んで極秘に扱ってきた。
 財宝「ブラック・イーグル」を、金融カルテルは中立国スイスの系列銀行に基金として密かに蓄えた。金塊は鋳造して通過として流通、あるいは、金融担保商品として金利を稼いだ。書画骨董類は、世界中の美術館や金融カルテル・メンバーの役員室の壁を飾られた。

 だが、「金の百合」の推定金額は「ブラック・イーグル」の比ではなかった。「金の百合」を日本が貯め込んで戦争を続けている間、米英は密かに傍観して、日本の敗北の日、つまり根こそぎ奪いとるその日を待ちつづけたのである。
 さらには、略奪行為を日本軍に任せることで、その悪行を末長く歴史に留めさせる狙いもあった。日本に略奪財宝を目一杯貯め込ませたうえで、日本との戦争を終結させ、待ちわびた「金の百合」を押収するそんな作戦は成功する。

 金融カルテルは連合軍の対日戦争を、45年半ばまで長引かせつつ、その間に新しい国際金融制度の導入を準備した。
 新金融制度は、財宝を秘密勘定で運用できる制度でなくてはならない。金融カルテルは日本が密かに貯めつづける財宝を原資と見込んで、そのための金融制度をブレトンウッズ協定という公の形でまとめ上げる。

 日本から押収する「金の百合」を、極秘に押収、国際協定を使って運用する制度である。
 以上は、ルーズベルトが大統領として、結社から負わされてきた「歴史的」事業の根幹だ。

     *    *
 
 私は高橋五郎氏のいうことは本当だろうと睨んでいる。
 だとすれば、この「金の百合」を日本で管理していた(いる)のは財務省であろう。国家予算の一般会計や解く別会計をかすめ取ったレベルの話ではなく、すさまじいばかりの裏金である。だから松田氏が財務省の裏金を暴いていくとしたら、「天皇の金塊」問題が明るみ出てしまうかもしれない事態なのである。



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2016年09月01日

天皇の「深い反省」を糾弾する


 恒例の8月15日の戦没者慰霊祭で、明仁はまたも先の大戦の「深い反省」を述べた。私は腑(はらわた)が煮えくり返る。
 反日サヨクメディアは一斉に、安倍首相の式辞の中に大東亜戦争における「加害責任」に言及がなかった、と報じた。歴代の首相はみんな「加害」を入れていたのに、やっぱり安倍は極右だと言いたいのである。

 青山繁晴は「虎ノ門ニュース」で、昨年の戦没者慰霊祭での天皇の発言は、メディアが天皇による安倍批判だと騒いだ影響で、今年の式辞は、安倍批判と受け取られるような文言は大きく削除してあった、と指摘。だから天皇の「御心」はただ平和を祈念しているだけなんだ、見事だとべた褒めした。

 天皇側の真意は分かりかねるが、どうせあんなものは宮内庁の役人が書いていて、昨年はやり過ぎたと思って今年はやや穏やかにしただけではないか。明仁は相変わらず自虐史観に変わりはない。

 とにかく支那や韓国、その他アジア諸国に「謝れ」「謝りつづけろ」が反日マスゴミの姿勢であり続ける。もう71年も経つのに、いまだにこれだ。
 その風潮に、愚か過ぎる明仁までが乗った。あるいは乗らされた。だから「深い反省」とわざわざ言って、安倍首相をも暗に批判している。

 厳密に言えば、天皇が慰霊に託しての個人的史観を表白することは憲法違反である。そのうえ「反省」という政治的言辞は、明白に支那、韓国、アメリカなどへの媚び追従である。首相への批判を含んでいる。

 どうせ、明仁には歴史や国家のなんたるかを思考する実力は期待できない。学習院でさえ卒業できなかったほどの「ご学力」なのであるから。
 息子も長男はもう廃太子寸前の木偶の坊となり、弟夫婦だけがまとも。嫁の雅子の不行跡にも一言も言えないくせに、戦争になると「反省」か? 反省だけならサルでもできるぞ。

 「深い反省」と言ったなら、それは明仁が大東亜戦争(明仁は太平洋戦争と言いたいだろうが)を、サヨクが言うように「加害者」としてしか見ていないことを証立てている。裕仁も明仁も「大東亜戦争」という正式呼称を「お言葉」のなかでつかったことはあるまい。そこにも明白に自虐史観の持ち主であることが見てとれる。

 反省など慰霊祭でされたら、あの戦争で亡くなった人たちは皆「過ち」のために、犬死したのだと宣告していることになる。あるいは加害者だった、と。
 いったいどのツラ下げて、英霊をそこまで侮辱できるのか。
 天皇皇后は、自分たちの思想信条にそぐわないからとて、靖国にも参拝を拒否し続けている。

 戦中も、敗戦後のものがない時代も、明仁は何不自由なく暮らしていたから庶民の気持ちはわからない。また、やんごとなきご身分では、白人の植民地にされ、奴隷扱いされたアジアの人々の塗炭の苦しみなど解りようがなかった。

 明仁はパラオへ私情優先で「慰霊」にわざわざ出向き、海保の巡視船を手術室完備の1泊だけのホテルに国費を使って改修させた。わが国の海防の一翼を担っている艦を、任務を奪ってパラオまで行かせた。予定になかった「韓国人の碑」に勝手に立ち寄って首を足れる愚挙まで。

 植民地から解放された国々の人たちは、みんな日本に感謝したのだ。直接感謝しないまでも、日本が白人支配を打ち返したおかげで、虐げられていた国は次々に独立することとなり、今や支那の属国以外には植民地らしいところは皆無になった。
 この偉業のどこが「深い反省」になるんだか、明仁に尋ねても答えられまい。どうせあの式辞は役人が書いたものを棒読みしているだけだろうから。

 しかしながら、天皇崇拝者や愛国を標榜なさる自称保守の者どもは、このことを何も語らない。天皇がしゃべればなんでも許しちゃう、なんでも崇めちゃう。アホか。
 かつては天皇のために死んでいった英霊が、ほかでもない現天皇によって犯罪者呼ばわりされ、侮辱されている事態を、自称保守の連中は平気でいられるのか。
 「反省」では英霊が嘆き悲しむことが分からないのか。

 自称保守の人々は明仁夫婦の慰霊の旅を、やたら持ち上げているが、あれは英霊への慰霊旅ではなく、サヨク的反省と日本悪しの自虐史観の旅である。だから8月15日にも、性懲りも無く「反省」と言ってしまう。



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