2016年09月26日

「軍刀の操法」について


 以前は本ブログにたびたび登場してもらっていた、畏友M参段は空手参段であり、剣道七段の腕前でもある。ひところ、わが道場でも空手の練習をする前に、希望者に「軍刀の操法」を指導していた。
 そのM君が書いたレポートは旧ブログに載せてあったが、埋もれさせておくのはもったいないので、再録することにした。
 大変大事なことが書かれている。再録にあたっていくらか書き加えてある。

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【帝国陸軍編纂「軍刀の操法」について】
 剣道の堕落は今に始まったわけではなく、すでに江戸期から竹刀剣道は華法剣道と言われ、大仰な身振り、けたたましい向こう受けを意識した掛け声、品のない勝ち誇り等、明治以前に批判はされているのです。

 武士ではない者たちが、幕末期大量に町道場に入門し、道場主も食っていく為に弟子達の「武道者としての躾」に手を抜いたと思えます。教えはしたが、武士的教養、挙措動作、言葉使い、町方文化の者には簡単に身に付くものではありません。
 蛤御門の変、鳥羽伏見の戦い、上野の彰義隊、小千谷の戦い、会津の戦い、函館戦争の五稜郭の勇士、神風連の乱、西南の役の抜刀隊剣士達、、、、最後まで戦ったのは武士達であり、お気楽町人達は皆、逃亡しています。

 このお気楽者達は今でも剣の世界にいっぱい入り込んでいます。
 真剣では余程の使い手でなければありえない上段を、非力な女の身でありながら平気で取るもの、突かれただけで激怒し、自制の効かなくなる者、稽古中に足払い体当たりを受けて起きあがり、反則を言い立てる者、道具外れに当てて「ご無礼」の一言も無き者、「ご無礼」と剣を引きたる者の頭をしたたかに打ち据える者、鍔迫り合いからいつまでも離れようとせぬ勝負にこだわる未練者、股に平気で竹刀をはさむ者、切っ先を床に触れて気にもかけぬ者、挨拶もなく人前を横切る者、鞘当てに平然たる者、刀をまたぐ者、刀の受け渡しの作法も知らぬ高段者、ひと様の刀の刃に指先で触れ切れ味をみる者、首から手ぬぐいをかける者、飲んで裸になる者、傘なく雨に降られ走り出す者etcです。

 こうしてマナーが崩れ、技も崩れて行ったのでしょう。私共の頃は上段なぞ許されませんでした。
 ただし上段を取る男女の名誉のために言っておきますが、彼等彼女等はお気楽で取っているわけではありません。上段は中段以上に技化に大変な労力と時間を必要とします。
 なぜ上段が増えるのか、それはあくまでも竹刀による試合剣道に勝つためであり、刀による実戦の途絶えてない今、試合に勝たねばならぬ以上有利な構えとして若年層からの実践者が増えています。
 
 帝国陸軍編纂の「軍刀の操法」は華法剣法が満州の戦場で、青竜刀に苦戦したという、深刻な体験から大正時代に編纂され昭和期に完成しています。したがって大流儀にあるような座り居合は一切ありません。
 正規には野外で演練するものです。

 将校は戦場で軍刀を抜いて指揮をします。後方の兵から見て動作の小さい拳銃は極めてわかり難く、兵は「行け」なのか「止まれ」なのか「伏せ」か「退がれ」か「回れ」か、無言の指揮動作を軍刀の動きで見て取ります。これを古来、武士は「刀の持つ偉大な武徳」とよんでいます。槍は目立ち過ぎて無理です。

 (第一次大戦後、早々と指揮刀を廃止した米軍はわざわざ将校用に小型軽量非力のM1カービンを開発、支給しています。彼等はこの小銃を掲げて指揮をとっています。)

 その将校が自分の軍刀の使い方を知らないでは「士道不覚悟」とされます。
 「軍刀の操法」はテニス部出でもバレーボール部出でも一応、恥ずかしくない程度に操作できる事を目標にしています。難しくて習得に時間がかかり過ぎては困ります。そのためもあり、合計7本に状況想定を絞ってあります。

 剣道の悪口ばかり言いましたが、剣道、剣術が幕末以来の近代日本のサバイバルを助けたことが、少なくとも三つあると思います。

 (引用開始)
 『一つ、日本の政府要人の姿勢と目つきをよくした。江戸幕府の末期、外国との折衝にあたったエリート閣老たちは例外なく、朝は夜明け前に起床して、槍や木刀を千回くらい使ってから登城するのが日課であった。頭脳だけでなく体力および気力でも誰にも負けなかったから、困難な時代の重責を任されていたし、外国人もその目つき物腰を見ただけで、ナメてかかることはできないと悟ったのである。能力主義は、なにも薩長だけの専売特許ではないのだ。(政治家であるアーミーテージやチェイニーらが名門大学のレスリング部出身の巨漢であることと無関係ではない、川口順子元外相など蛆虫ぐらいにしか思っていない)

 二つ、日本の知識人の肝を据えさせた。勝海舟は若い頃にだいぶハードな剣術訓練を受けていた。福沢諭吉は、晩年まで立見流の居合を日課としていた。一見、飄然としたイメージの彼らだが、腕に覚えがあるからこそ脅しにも屈しないし、万事に心の余裕も持てたのだ。

 三つ、最前線の指揮官に、不屈の攻撃精神を与えた。いくら児玉源太郎の頭が良くとも、ヘトヘトの小隊、中隊を叱咤して敵陣に突撃させるのは若い少、中尉である。もし彼らが剣道を早くから捨てていたなら、日本の敗戦はあと数十年早かったろう。そして、そこからの復興は、未だに不可能であったかもしれない。』(引用終わり)

 以上の引用は、兵頭二十八氏著「日本人のスポーツ戦略」からの抜粋ですが、「剣は一生に一度の用立て、殺すを要さば即ち殺す」、剣の実用を自己の武の基本ととらえている者は、最低、自己の所持する真剣で、切れ味と共に自己の技量確認を時々しておくのは、武士たる者の心得であります。

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 以上が、M参段(剣道七段)の「軍刀の操法」講義である。
 最後に書かれている3つの「剣道、剣術が幕末以来の近代日本のサバイバルを助けたこと」はすこぶるつきの大事と言ってよい。
 義務教育で武道を必修とする案が出ているようだが、こうした人間形勢を目指すものでないなら、やる意味はない。武道武術は単なる礼儀作法ではない。中身が重要なのである。

 このわが国独自の刀剣の扱い方や戦い方は、特亜三国にはなかった。ロスケやアメ公にもない。だから大きく民度に差がついたと言ってよかろう。奴らは、ただの戦い、あるいは武器としか見なかったが、わが国では魂の高みを目指したのである。
 それゆえ、わが国では徴兵制が復活しなければならないのである。
 徴兵制を、と言いかけただけで罪人のごとく扱われるけれども、それは軍国主義とは関係がない。

 わが国の民度を落とさないためである。
 一般庶民にはM参段も書いているように、「お気楽」に過ごし、魂の高みを目指すことはなかった。

 他人のブログに押し掛けて、はじめから誹謗中傷するのが狙いである貧寒な輩はまさにこの「お気楽者」でしかなく、武人がまともに相手にするものでは断じてない。そんな輩と平気で相互浸透できるとは、つまりは武人の魂をなくしたということである。
 
 むろんわれわれが修練している空手も同様の意義を持つ。
 「要人の姿勢と目つきをよくする」
 「人の肝を据えさせる。腕に覚えがあれば脅しにも屈しない」
 「指導者に、不屈の攻撃精神を与える」
 この3つは、わが空手流派での論理能力の学びとは別に、習得できる魂である。

 さらに大事なことがある。
 それは幕末・明治期のエリートたちは剣の修業(修行)をしたから頭が良くなったとはいえ、それは結果として、であった。けれどわが流派では、さらにいかにしたら目的意識的に頭が良くなる稽古ができるかを、発明・発見したところが、まさに前人未到の偉業であった、ということである。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする