2016年10月21日

朝鮮通信使は鶏泥棒(3/3)


《3》
 本稿冒頭に書いたが朝鮮通信使の“奇習”が始まったのは足利義教(よしのり)の時代であった。義教は室町幕府第6代将軍で、義満の五男だった。足利家は義満のあと、後継者が常にすったもんだをくり返して弱体化していくが、義教は僧籍に入っていたものを還俗して、さらにクジ引きで決まったものだから「籤引き将軍」と揶揄された。

 話を戻すと、義教のころから朝鮮通信使はやってくるようになった。李氏朝鮮2代目のころである。当初は短期留学生のようなものであった。いろいろ文化を吸収してこいと言われていたようだ。
 彼らは灌漑用の水車の作り方、メッキの仕方、紙の漉き方などを教えてくれと言ってきたのだった。

 しかし高山正之氏は『日本に外交はなかった』で、こう説く。
     *     *

 高山:それを教えたんだろうけれども、全く教え甲斐がなくて次に来るとまた同じことを「教えてくれ」だった。せっかく日本から文化を学んでも駄目だった。それは筑波大学の古田博司教授が指摘しているように、文化がどんどん後退、衰退していったらしい。昔は木工もできたのに、とうとうそれもできなくなった。木を丸めて車輪を作ることもできなくなった。

 ただ、これは想像なんだけど、彼らはひらがな・カタカナの機能を学んだのではないか。漢字を使いながらひらがなを使って日本語として咀嚼しているのを見て、それで、諺文(おんもん)、今で言うハングルを世宗が思いついたんじゃないか。「ではウチでも朝鮮平仮名を作ってみるハムニダ」とかね。

 要するに、日本式かながハングルになるわけだ。宮脇淳子さんにその推測を話したら、諺文文字はモンゴル語系のパスパ文字をまねたものだという。
 彼らはこの生き、漢字を自分たちの言葉で読むという、ひらがな・カタカナの考え方を学んだ。ただ、独創性がないからパスパ文字を利用したのだろう。

 この朝鮮通信使が二言目に言っているのは、「ああ、悔しい」だった。「こんないいところを日本が持っている」とか「こんな瓦葺きの家々があって悔しい」とか。
 要するに、嫉妬と嫉みに狂っているわけだ、世宗が「これはいい」と諺文を生み出したけれど、次の代になると「何だ、諺文のヒントは日本かよ」という独特の彼ららしい反応が出てくる。

宮崎:日本から教わったなって「恥スミダ」と思ったわけですか。
高山:だから、そう考えると、非常に理屈にかなっている。世宗のあと諺文をパッタリ使わなくなった理由がそこにあったんじゃないのかな。

     *     *
 たしかにネットで「パスパ文字」を検索してみると、ハングルはこれを真似たと一目瞭然。

 今は嘘つきの朝鮮人どもが、なにもかも日本の文化は朝鮮が教えたと叫ぶが、大嘘である。 
 最近では、熊本城は朝鮮人が造り方を教えたんだとほざくアホな日本人が出てきて顰蹙を買ったようだが、話は逆である。

 陶工にしても、技術が向こうから来たわけではない。
 たしかに秀吉が朝鮮人陶工を連れてきはしたが、無理矢理拉致したわけではない。
 日本側は良質の粘土の山を与え、畑まで供与し、高い待遇をもってした。絵付けの技術なんかも日本が全部彼らに教えたのである。

 日本側がもう故国に帰っていいよと言っても、誰も朝鮮に帰らなかった。居心地が良かったからだ。そもそも朝鮮では、職人や技術者は貶められていたから、厚遇した日本が良かったに決まっている。
 今も韓国では技術者は尊敬されないらしいから、自力で技術革新ができない。
 
 日本のサヨク歴史研究家がいかに、自虐史観に固まっていて、朝鮮ごときに叩頭しているか…、呆れた話である。
 こうした朝鮮に対する基本認識が歪まされるから、サヨクどもは、「日韓併合は悪いことをした」「竹島を奪われてもしょうがない」「慰安婦は本当だったろうから、いつまでも謝るべきだ」、あるいは「重要な隣国だから日韓スワップにも応えなければ」などと言うことになる。

 本稿最後のエピソード。
 新井白石のときにいったん縮小した朝鮮通信使への接待だったが、ずるずる続いていて、やっと終わったのが寛政の改革のころだった。寛政の改革をやった大バカ者の老中松平定信は徳川吉宗の孫だった。
 吉宗も経済オンチで財政を苦しくしたが、孫の松平定信は輪をかけてアホだった。

 新井白石、吉宗、松平定信らは、質素がすべてで景気が良い状態は異常だとする考えで、「米などの農産物は貨幣より貴く、お金は卑しいもの」として、農業は尊重されるがそれ以外の産業、とりわけ商業や金融は仮の仕事だとする「貴穀賤金」という思想である。

 したがって、荻原重秀や田沼意次がやったデフレを解消し、自由な商売を認める施策は悪であって、「貴穀賤金」という思想からは許しがたいものだった。緊縮財政をする政治家は真面目で良心的だが、カネをバラまいて活性化する財政支出を増やす政治家はバカと考える風潮は、現代でも見受けられる。マスゴミに巣食う記者どももサヨクだから、みなこの考えに染まっている。

 朝鮮通信使は江戸まで来なくてよろしい、対馬で対応して帰らせろということになった。朝鮮側は反発し、物見遊山させろ、江戸まで行かせろと騒いだが、1811年に対馬で聘礼(へいれい)しただけで追い返したら、朝鮮側はそれっきり来なくなった。
 めでたしめでたし。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする