2016年11月30日

答えは風に吹かれているか(2/3)


《2》
 軍歌は好きでよく口ずさむけれど、反戦歌は好きではない。
 その反戦歌(詩)といわれるものを今回は3つほど取り上げてみよう。


Blowin' In The Wind (風に吹かれて )
      作詞・作曲/ボブ・ディラン
How many roads must a man walk down
Before you call him a man?
Yes, 'n' how many seas must a white dove sail
Before she sleeps in the sand?
Yes, 'n' how many times must the cannon balls fly
Before they're forever banned?

The answer, my friend, is blowin' in the wind,
The answer is blowin' in the wind.

どれだけ道をあるいたら 一人前の男としてみとめられるのか?
いくつの海をとびこしたら 白いハトは
砂でやすらぐことができるのか?
何回弾丸の雨がふったなら 武器は永遠に禁止されるのか?
そのこたえは、友だちよ、風に舞っている こたえは風に舞っている
(訳詩/片桐ユズル)


 誰でも知っている歌だと思う。
 ケイティ・メルア(Katie Melua)の「 Blowin' In The Wind」をYouTubeで見つけた。彼女はグルジア出身で、幼少期に迫害されて英国へ逃げた過去があり、こういう歌は身にしみて、感情がよくこもるのだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=5AKiQzxWgLA

 元祖、 ボブ・ディランのラリっているような歌い方は好きではなかった。あれが受けたのは、時代性とでも言うべきなのか。まあユダヤに仕掛けられたわけだが…。

 さて歌はともかく、どれだけ大砲の弾が飛び交ったら平和になるのかという答えは、決して風に吹かれてなんかいない。答えははっきりしている。
 歴史を自由につくる人間がこの世界には存在するからであり、彼らの恣に(ほしいままに) cannon ballsが飛び交い、dollarも飛び交い、よって無辜の民が殺されるのである。
 Wikipedia を読むと、ディラン自身はこう言っている。

 「この歌についちゃ、あまり言えることはないけど、ただ答えは風の中で吹かれているということだ。答えは本にも載ってないし、映画やテレビや討論会を見ても分からない。風の中にあるんだ、しかも風に吹かれちまっている。

 ヒップな奴らは『ここに答えがある』だの何だの言ってるが、俺は信用しねえ。俺にとっちゃ風にのっていて、しかも紙切れみたいに、いつかは地上に降りてこなきゃならない。でも、折角降りてきても、誰も拾って読もうとしないから、誰にも見られず理解されず、また飛んでいっちまう。世の中で一番の悪党は、間違っているものを見て、それが間違っていると頭でわかっていても、目を背けるやつだ。俺はまだ21歳だが、そういう大人が大勢いすぎることがわかっちまった。」


 ディランの文言は、彼らしいというか、投げやりな、斜に構えて訳知りのこういう態度には嫌悪感が募る。
 だが、若い大衆は彼が「なんだのかんだの言ってるが、俺は信用しねえ」なんていう不貞腐れた言葉に魅力を感じてしまうのだろう。自分はなんの努力もせず、刹那的に生きているくせに、努力する人間や、いい子ぶって、優等生ぶって世をまじめに渡っていこうとする人間を毛嫌いしてだろうが、ディランを英雄に持ち上げた。

 私にはただ格好だけ付けたがっているノータリンにしか見えないが。
 偉そうに言っているが、中身はなんにもないではないか。
 どうもこの手の歌が反戦歌には多かったのではないか。きちんと、これこれだから戦争に反対だ、というのではなく、ムードで反戦なのである。

 ディランは、歴史を自由につくる人間がこの世界には存在すると知っていたはずである。
 ディランはアメリカを麻薬社会にするために利用された、と鬼塚英昭氏は『20世紀のファウスト』で書いている(238ページ)。

     *       *
 
歌手ビング・クロスビーはCBSが育てた代表的なスターであろう。ユダヤ人のボブ・ディラン(本名はロバート・アレン・ジマーマン)をスターにしたのはタヴィストック研究所とハリマンたちだった。
 アメリカを麻薬社会にするためにボブ・ディランが利用された。あのビートルズも、ファンには申し訳ないが、黒い貴族たちの演出であった。

     *       *

 The answer is blowin' in the wind.どころではない。バカな大衆に The answerがどこにあるかを、隠すためにボブ・ディランは、「反戦」のキツネの皮をかぶって登場したのだ。

 次。
 カントリー・ロックのグループCCR(Creedence Clearwater Revival)の「雨を見たかい?(Have you ever seen the rain?)」は、世間では名曲ってことになっているそうだ。
 歌詞の「晴れた日に降る雨(rain on a sunny day)」というのが、時こそベトナム戦争の頃だったから、米軍のB52がナパーム弾をベトナムに降らせている隠喩だと解釈されて“反戦歌”の仲間入りしたようだったが、歌詞をよく聞けば、そんなことは何も言っていない。仮に米軍機が投下した爆弾を歌っていたとしても、反戦でもなんでもない意味のない歌詞である。
http://www.youtube.com/watch?v=mS3lp6j52zs

 日本でも、下品で無内容な桑田佳祐や氷室京介がカバーしたくらいだから、くだらない歌なのであろう。

 和訳の歌詞(一部)はこうだ。どこにも爆弾のことなんか言っていないじゃないか?

昔、誰かが俺に言ったよ
嵐の前には静けさがあると
知ってるよ そいつはやって来たよ 時々
その後で こう彼らは言う
雨が降るだろう 晴れた日に
知ってるよ キラキラ降り注ぐんだ
知りたいよ 君がその雨を見た事あるかって
知りたいよ 君がその雨を見た事あるかって
晴れた日に降る雨

 まあおそらくは、CCRもディランと同じく、タヴィストック研究所に仕立てられた音楽グループだったのであろう。
 それにしても、「風に吹かれて」や「雨を知っているかい?」は、詩、つまり文学のなかの作品と言えるようなものなのか? 支離滅裂ではないか。どこに論理性があるというのか?




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(3) | エッセイ | 更新情報をチェックする

2016年11月29日

答えは風に吹かれているか(1/3)


《1》
 ボブ・ディランが今年のノーベル文学賞を受賞したとか。
 発表があってから2週間ほど、ディランは知らん顔し、連絡が取れず、取らずで、いろいろな憶測を呼んだ。ノーベル賞委員会が、アタマに来てもう連絡は取らないとか取り消しだとか言い出し、「奴は傲慢無礼だ」と怒り始めた。

 で、やっとディランと連絡がとれたら、「賞を受けるかって? もちろんだ」と受賞の意向を伝えた、と新聞に出ていた。このいかにもディランらしいゾンザイな口の利き方のように記者が訳しているのがバカバカしい。
 だが、なんで授賞を知りながら知らん顔していたかについては答えなかったらしい。

 私は別にこんな話はどうでも良かった。彼の歌は嫌いだからであるし、ノーベル賞もけったくそ悪くてならないからだ。
 つまり、言うなれば白人支配側(ユダヤ人)にとって、ユダヤ人のディランはいささかも反体制ではなかったし、レコードなどの売上げで稼がせてくれたし、若者の体制への不満を一部逸らせる役割を果たしたから、ご褒美をくれたのである。

 ボブ・ディランもビートルズやローリング・ストーンズなどと同じく、ユダヤによってつくられた歌手だったのであって、仲間うちでの表彰でしかあるまい。
 なんでディランが、長く授賞に返事をしなかったかどうでもいいが、日本のマスゴミは非難しなかったことが、なんとも浅ましい。
 拒否するならするで返事をしろと、誰でも思うのに、それもディランらしいとか言っちゃって、アホか。

 ただバカなだけの男なのだ。
 ちょっと話がマスゴミ批判にいくけれども、大手新聞社はあれで先輩後輩の序列がきつくあるらしい。これは産經新聞出身の高山正之氏が「放言バー・リークス」(10月29日付)の中で語っていたことである。
 新聞社の中というのは、ある分野について詳しい先輩がごまんといて、若手が書く(書こうとする)記事になんやかんやとものを言う。忠告だったり、アドバイスだったり。

 例えば中曽根内閣について若手の記者が記事を書こうとすれば、中曽根内閣担当だった先輩記者がいるわけで、若手は先輩に話を聞きに行くし、先輩のほうからも飲みに誘われたりして当時の話を聞かされることになる。
 それを無視して若手は記事を書けない。出世にも妨げになるし、苛めも受けかねない。
 高山氏によると産經新聞が朝日や読売ほど大新聞ではないので、先輩からのそういう縛りというか、空気は少なかったそうだ。

 実際、若手にすれば先輩の詳しい話は貴重である。書いた方がいいことも、書いてはまずいことを教わることができる。
 楽に記事が書ける。だから延々とその新聞社の「色」というか、主張の傾向が引き継がれていく。
 こういう問題についてはA大学のなんとか教授の意見を載せろとかアドバイスも受けるから、その問題ではいつもA教授の見解がその新聞には載る。A教授のほうもその新聞社が何を書いてほしいかが分かっているから、ご用立てもツーカーだ。

 さて、話を戻すと、朝日新聞でも毎日新聞でもNHKでも、ボブ・ディランについての原稿を若手が書こうとすれば、ディランに熱狂した世代の先輩がまだ残っているだろうし、先輩は詳しく知っているわけだから、当然どういう記事にしたらいいか、お伺いを立てる。
 当時のディランのファンである読者に受ける書き方も教えてもらえるし、愛好していた音楽専門家も教えてもらえる。

 都庁の職員が、豊洲新市場の闇を知っていても、こうした先輩後輩の関係性も大いに関わって、悪をやらかしたのであろう。

 そういう仕組みだから、ディランのファンだった先輩たちは、極めてディランに好意的な見地を披瀝するだろう。わざわざ目出たいノーベル賞の話について、批判的な見解はまあご法度だ。
 そして、返事もしなかったディランの無礼は咎められることがなくなる。偉大なミュージシャンだった、とか、それもまた彼らしいというおべんちゃらが紙面を踊る。

 冒頭に紹介したディランの発言「賞を受けるかって? もちろんだ」のようなもの言いは、そうした先輩どもの知恵が反映していると思われる。むろんディランは日本語でそう言ったわけではない。
 たぶん尋ねられて「of course」と答えたにすぎまい。それを訳すときに、彼らしい行儀の悪い(敬語になっていない)言い方に脚色したのである。だからマスゴミは下劣だと言っているのだ。

 明日は2010年に旧「心に青雲」に書いたボブ・ディランについての論考を掲載する。



posted by 心に青雲 at 05:00| 東京 ☀| Comment(1) | エッセイ | 更新情報をチェックする

2016年11月28日

韓国人の低い民度


 ひさしぶりに哄笑することがあった。やや嘲笑に感じは近いけれど。
 あの社民党の福島瑞穂のことである。
 「みずほ」と聞けば、うつくしい響きがあるが、漢字で書けばこれは我が国の美称である。
 「豊葦原千五百秋瑞穂国」(とよあしはらの ちいおあきのみずほのくに)を省略して「瑞穂の国」と言う。

 地名、駅名では珍しくはないが、自分の名前にそのものずばりこの漢字を使う例はあまりない。「水穂」「ミズホ」「夢穂」などに変えるものだ。
 まあ、庶民は自分の子供に「裕仁」とか「徳仁」とかは付けないもの、と、似ているだろう。

 わが国(それも美称)と同じでは畏れ多いと、日本人なら思う。
 福島瑞穂は、昔から在日帰化人と噂される。そうとう確かな情報と言われる。
 不法入国した在日の末裔ならば、通名を勝手に使える。だから帰化する際に、勝手に通名そのままか、ないしは日本人に成りすませそうな「いかにも」という名前にするのだろう。

 つまり、福島の場合は韓国人なのだから、祖国への尊崇の念はない。瑞穂なんていう、日本人ならやや憚られる名称は遠慮するのに、そんな思いはハナからない。
 高山正之氏の新著『朝日は今日も腹黒い』(新潮社刊)のなかのエッセイ「日本人にあって韓国人に絶対ないもの」
にそれがあった。
 
 「日本人は慎み深さを大事にする。日本人名を名乗るときもそれは心がけねばならない。
 例えば瑞穂。日本人は畏れ多いから、名前にするときは水穂とか当て字にする。
 そういう慎ましさに欠けると「やっぱり」とか思われる。」

 さずがコラムの名手である。これは結語のところ、あるいはオチのところなのだが、見事に皮肉を聞かせている。
 読めば誰でも、あの泡沫政党と化した左翼政党の女とわかる。
 で、哄笑する。
 言うまでもないが「やっぱり」のあとには、「在日だったか」が隠されているわけだ。

 ま、日本から奪った竹島を「独島」と言い換えて、強襲揚陸艦に付けるのだから、恥知らずのうえに傲慢で、身の程知らずに挑発的であった。そういう民度なのである。

 ちなみにこの軍艦が就役したのは、2年ほど前だったが、最新鋭のレーダーが役に立たず、機関砲を発射すれば甲板上の自軍ヘリに命中するという設計ミスが判明。さらに平時の海上で浸水や火災を起こして漂流し、長期修理でドッグ入りしてしまう事件があった。その後、このポンコツがどうなったか噂は聞かない。



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(5) | エッセイ | 更新情報をチェックする

2016年11月26日

“日本になかった不幸”(2/2)


《3》
 この意見には多くの反論があるであろう。しかし、例えば「株」の取引というものがある。あれはいかにも一般投資家が参加して、公平なルールに従って売買が行われていると思われているが、そうだろうか。

 株価は、ある会社の業績が上向くから上がる、業績が悪くなるから下がるのではない。そんなことは素人の勘違いというか、騙されているのだ。売り買いの動きというのは、多くはブローカーが仕掛けている。ブローカーが売りに出せば、個人投資家が買う。ブローカーは売ったものは回収しないと儲けにならないから、今度はその株を下げていき、下がったところで買い戻すのだ。

 ある銘柄についていかにも活発な商いが生じているかに見せる演出をしつつ、株価を下げていき、個人投資家ががまんできなくなって手放す頃合いを見て買い戻して儲ける。ただいつも個人投資家から奪うばかりでは、みんな株をやらなくなるので、多少は儲けさせるのである。こんなことは教科書には書いてない極秘事項だ。この仕掛けを私は「日本人が知らない恐るべき真実」というブログサイトで学んだ。同ブログにはカラクリが親切丁寧に説かれている。日本人必読である。
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/

 ちょっと個人にも儲けさせるのは、競馬競輪などのすべての賭け事の常道であるし、マスコミなどでも視聴者に少しだけ意見を言わせるのも同じだ。
 長期的に見れば、個人投資家の90%が損をする仕組みである。だが、証券会社は莫大なディーリング益を上げているのだから、そういう仕掛けに気がつかなければならない。これが株式制度をつくりだしたユダヤ支配者の遠大なる陰謀であった。結果として株屋がこういうワルを思いついたのではなく、こういう仕掛けとしてユダヤがはじめから作ったのである。

 例えば最近は短期ディーリングが流行していて(させられて)、100万円を元手に5年で3000万円にした主婦の本が出たりして、甘い誘惑で新たな個人投資家を募ろうとしているが、こういうことはみんな株屋どもの陰謀であるから、騙されないようにしましょうネ。

 こういうことは例えば、清水一行の小説とかで勉強するといい。われわれの流派では経済のことはこういう小説でも学んだと教えていただいたので、私も清水一行の小説を読んだものだ。具体的な像がつくりやすくなる。

 この株価の真実からもわからなければならないことは、先ほどから述べているように、民衆はカネを持たされ(自分で稼いだように思わされ)、やがて稼いだ分を見事に奪われる存在だということである。いかにも民衆は、奴隷状態でないような自由な環境で働いて、カネを稼げる。しかしそれは支配者どもがあとでわれわれを太らせておいてから、カネを巻き上げる仕掛けにほかならない。

《4》
 ちなみに、例えばサラリーマンは実際に働いた分のどれくらいを自分のものにできるとお思いか? 給与とは、その人間の生産と再生産にみあって払われる、会社はその差額で儲ける。だから、実際に会社員の給与は、1週間に対して平均して2日分くらいしかもらっていない。派遣社員やアルバイトはさらに少ない。あとは全部会社の取り分になるのだ。こうやって(マルクス主義流に言えば)搾取された労働者は、さらに株に投資すればかっさらわれ、ユニセフやらWWFやら義援金に寄付してはダマされ、最大のものはむろん税金としてごっそり持っていかれる。

 1週間7日働いて、たった2日分しか給与(再生産分)をもらえず、そのわずかな給与からさらに税金やら年金やら社会保険やらでふんだくられてしまう。今度はホワイトカラー・エクゼンプションで、残業代すら召し上げようという魂胆なのだ。昔の奴隷とちっとも変わらんじゃないか!

 実に巧妙な仕掛けでしょ? これが大きく歴史をみた場合の、フランス革命とやらで民衆が勝ち取ったものの真実の姿(成れの果て)なのだ。

 『逝きし世の面影』(渡辺京二著)から、幕末から明治初期に来日した外人が日本どのように見たかを紹介したことがある。それを読んでくださった方はわかるだろうが、まさに林秀彦さんが言うとおり、日本人には、あの「逝きし世」=江戸時代には、ヨーロッパの人々のような激烈な「不幸」はなかった。「私たちにとって、自由がないこと、平等がないこと、博愛がないことが、彼らのように恐怖の対象にならない環境だったから」なのは、まさにわれわれの先祖の時代には、ユダヤ=イルミナティの支配が及んでいなかったからにほかならない。

 「自由・平等・博愛」は、フリーメスン(イルミナティ)の標語そのものである。ユダヤ人らは、「自由・平等・博愛・ヒューマニズム・民主主義」などの概念をいかにも民衆のためであるかのように装ってつくり、あるいは「選挙.報道・裁判」を世界に広め、また新たな、巧妙な支配の仕掛けを民衆に押し付けたのである。結果を見れば明らかではないか。この概念=仕掛けを民衆に押し付けたおかげで、彼らはいっそう巨万の富を独占できるようになったのである。

 しかし、彼らユダヤ支配者どもは、こうした「自由・平等・博愛・ヒューマニズム・民主主義・選挙・報道・法律」などを媒介に巨額のカネ(富)を動かし、その仕掛けによって巨万の富を入手したのであるが、それと直接にやはり民衆の一部を目覚めさせずにはいかなかった。それが彼ら支配者にとっての矛盾である。

 ある程度目覚めさせなければ、民主主義は広まらず、そうしないと富は生み出されないかわりに、民衆もまたそうした「建前」を実現させようと覚醒してしまう。覚醒させつつも騙す(という矛盾を成立させる)ために、民主政府をつくり、裁判をつくり、秘密結社を強化し、スパイ網を巡らせ…しなければならなくなった。すべては統治の二重構造維持のためである。

 矛盾をつくりだしたならば、それが弁証法でいう「運動」をもたらさずにはおかないのである。その「運動」が激化して行くことは、もしかすると必然なのであって、それが果たして、次にどんな矛盾を生み出していくのであろうか…。



posted by 心に青雲 at 03:00| 東京 ☀| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする

2016年11月25日

“日本になかった不幸”(1/2)


 本稿は2007年1月に旧ブログにアップした原稿の再録である。

《1》
 作家・林秀彦さんの『非婚のすすめ』(フォー・ユー社刊1987年刊)というエッセイのなかに、「日本にはなかった不幸」と題した箇所がある。概略は以下である。

     *     *

 明治以前の日本人は、自由の概念も、平等の概念も、博愛の概念ももっていませんでした。これらの言葉は、すべて明治維新後に外国語の対訳としてつくられた日本語です。つまりそれまでの日本人は、こうした考えを持っていなかった。なぜでしょう? 私たちにとって、自由がないこと、平等がないこと、博愛がないことが、彼らのように恐怖の対象にならない環境だったからです。つまり、その反対のもの、不自由、差別、憎しみや嫉妬、といったものが日本の環境には希薄だった、あるいは彼らに比べ、ほとんどなかったのです。

 どれほど当時の一般フランス人が身分制度でがんじがらめになっていたか、どれほど貧富の差が激しく、差別が過酷だったか、どれほど人々の間に優しい気持ちが枯渇し、憎しみが全土を覆い、搾取が度を越し、奴隷的残酷な運命のなかにあったか(つまり極端に不幸だったか)は、日本人には実感としてわかないでしょう。想像を絶する不幸が、彼らにあったのです。私たちにはなかった。なぜ?
 なぜなら日本人は神代の時代から平和で、他民族の侵略もなく、豊かな自然のなかで、繊細な人情をもち合って生きつづけてきたからです。
 (引用終わり)
     *     *

 フランス人は不幸だったから、封建領主を倒す革命を起こしたのだ、というのであるが、ここは教科書に書いてあるような簡単な話ではない。
 フランス革命(1787年)は(ピューリタン革命やのちのロシア革命と同様に)ユダヤ=イルミナティの陰謀によって起こされたものである。民衆が「不自由、差別、憎しみや嫉妬」からの解放を叫んで自発的、自律的に立ち上がったわけでは必ずしもないのである。

 民衆が不幸な境涯に置かれていたことは林さんの指摘のとおりなのだが、虐げられた民衆には革命を起こす実力はない。あると思うのは、サヨクの勘違いである。

 当時のヨーロッパの庶民は、いかにも貧困、差別、搾取が度を越し、奴隷的残酷な運命にあったけれど、それを強いていたのはなんと、革命を計画し実行した闇権力と同じなのである。ここがわかるか、わからないかで、歴史の様相が一変する。

 昔の欧米諸国がアジアやアフリカの国々を奴隷化し、植民地にして虐げてきたが、20世紀後半に植民地体制からいかにも独立国家にさせたかに見えて、実は新たな支配形態を築いただけのことであった。それとフランス革命は同じである。支配形態が(彼らのいう資本主義に)変わった、それだけのことだ。フランス革命は、市民革命とか民主主義革命とか思われるだろうし、さらに社会主義革命ものちに起きることになるが、地球上のトップ(寡頭支配)はずっと変わっていないのである。

 いかにもピューリタン革命でチャールズ1世は処刑され、フランス革命でルイ16世は断頭台の露と消え、ロシア革命でロマノフ王朝は皆殺しにされた。そのおかげで革命は成功し、民衆が権力を握ったというのは大ウソであって、あたかもそう民衆には見えるように、彼ら国王たちが処分されただけである。つまり、支配体制が変わったかに見えるよう、従来の国王を消すことで印象づける役目を果たしただけのことである。


《2》
 民主主義とは何かを簡単にいえば、民衆に幾ばくかのカネを持たせることであった。あるいは主権が民衆にあるかのごとく錯覚させるところにあった。それが資本主義(それも国際金融資本にとっての)に便利だったからである。

 なぜ中世封建体制を続けてきたユダヤ=イルミナティ(黒い貴族)は、それまでの体制を変えようとしたのか。それは民衆にもある程度資産を持たせないと、中世的体制では彼ら闇権力が発展できなくなったからであった。民衆が貧乏なままではもう絞りとるものが限界にきたのである。

 彼ら本当の闇支配者は、民衆をさんざん「貧富の差が激しく、差別が過酷で、人々の間に優しい気持ちが枯渇し、憎しみが全土を覆い、搾取が度を越し、奴隷的残酷な運命」に置いて、搾取しまくったのだが、産業革命で飛躍的な金儲けができる目処がたった(世界規模の資本制が成り立つ目処)ころから、方針を変えるのである。

 例えば、民衆を虐げて貧しいままにしておいたのでは、鉄道や蒸気機関がせっかく発明されても宝の持ち腐れになってしまう。民衆がカネが持っていなければ、鉄道に乗らないし、蒸気機関を使って織物工業を盛んにしようにも衣服を買ってもらえない。だから、あえて革命を起こして、民主主義を導入して、民衆にも幾ばくかのカネを自力で儲ける道をつくって、カネを持たせることにしたのである。

 だから一見すると世界が「ブルジョワとプロレタリアート」という対立図式を抱え込んだかに思わせる働きを民衆に思わせ(実際そうではあるが)、本体であるユダヤの闇支配を隠す宣伝をさせたのが、マルクス主義であり共産主義運動なのだった。この問題はさらに複雑になるので、いずれまた機会を得て述べたい。

 民主主義はまた、民衆も政治にあたかも参加させるかのような幻想を持たせることにも成功した。議会制民主主義なんていう大仰な装置をつくったのも、むろんユダヤ=イルミナティの支配者どもである。
 すなわち、ヨーロッパの封建時代はいわば一重構造での支配形態だったものを、近代以降は二重での支配形態にしたのである。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする

2016年11月24日

ドローンによる戦争を見る


 アメリカ軍の最先端無人機の実態の一端を知りたいと思って、アメリカの映画を2本観た。
 いわゆるドローンである。
 操縦者はアメリカにいながら(家から基地に通いながら)、中東の戦場に無人機を飛ばして監視・偵察して、機をみてミサイル攻撃を行なう。

 『シン・ゴジラ』を観た人は、米軍のドローン(グローバルホーク)が飛んで来てゴジラを攻撃するシーンを覚えておられるだろう。一瞬ではあるが、ああいうところに最新の戦争の実態が垣間見える。
 だからもし、中共が尖閣諸島に侵略してくるときは、空からは、戦闘機がやってくると思うだろうが、実際は衛星画像で偵察しながらこうした無人機が攻撃してくることも考えなければならない。

 映画は、一つは『ドローン・オブ・ウォー』(2014年)で、もう一つは『ドローン 無人爆撃機』(2013年)。
 どちらも同じような内容とテーマで、秀作とは言いがたかった。兵士の心理描写がありきたりである。映画では、無人機自体は戦闘区域の近くの米軍基地から飛ばし、高空から攻撃対象を監視し続ける。

 登場人物は、かつては戦闘機パイロットで鳴らした男であり、その補助者が女性という同じシチュエーションだった。
 どういうものか、アメリカの基地の機械室は砂漠のなかのコンテナの中である。窓もトイレもない。実際がそうなのだろうが、狭いコンテナのなかに1日座って、コンピュータの画面を眺めている。
 もっと広い部屋で快適に作業をやったらいいだろうに、なんで?

 彼ら兵士が見つめているのは、中東上空からの衛星画像で、地上の工作員からの情報をもとにテロリストが現れるのをじっと待つ。やることは、衛星画像を対象に合わせることと、ドローンを遠隔操作して上空を飛翔させ、ミサイルの発射ボタンを押すことである。
 当然、操縦者には危険はまったくない。コンピュータゲームをやっている感覚である。

 しかしゲームをやっている様でいて、実際は中東で人が一瞬で死んでいる。終われば上官から「よくやった」と褒められ、時間がきたら、自宅へ帰ってシャワーを浴び、一家団欒。翌日も家から出勤して、コンテナに入ってコンピュータゲームをやり続ける。
 自分が死の危険にさらされてはいないものの、日がな衛星画像を見続けて、攻撃対象の家を監視しつづけるのは、きつい仕事だろう。敵がいつ現れるかわからない。ミサイル発射を行なうのはそうめったにはない。

 上からとは言え、他人の生活は丸見えだ。野外でセックスしているのまで見える。鮮明なカラー画像である。
 これは映画の空想の話ではなくて、現実に米軍がやっていることで、私たちは気象衛星で日本列島全体が見られると思っているが、はるかに精密に見られている。
 アメリカだけでなく支那やロシアもやっているだろうし、日本も衛星を打ち上げているからやっているのだろう。

 ならば金正恩の動静なんかも手に取るように刻一刻分かっているのであろう。どの国も分かっていても手のうちは見せない。
 で、いざ攻撃チャンスが来ても、近くに家族がいる場合は攻撃できない。テロリストだけを殺したいからだ。家族を巻き添えにすることは一応戦争法規違反だという認識は米軍側にもある。
 ミサイル発射ボタンを押す兵士は迷うが、上官は構わず撃てと命令してくる。逆らえば命令違反で軍法会議だ。

 それで兵士は苦しむ。というのが映画の中の話である。
 だから兵士は、こんな仕事は嫌だ、危険でも実際の戦闘機に乗って戦場に出た方がましだと思うようになる。
 戦闘機を飛ばすには莫大なカネがかかるし、死のリスクも高いから、人工衛星や無人機を飛ばすことにしたが、新たなリスクがうまれる。
 まさに人間は矛盾を創出しないではいられない存在である。

それでも、あと10年もしたら、この映画のようなこと、つまり人間が判断してミサイル発射したり、悩んだりすることはなくなり、全部AIがやってのけるようになるだろう。
 そうなったらなったで、AIに支配される人間の苦しみをテーマにした映画が創られるだろうけれど。

 私がとくに女性の知人に、戦争映画の話をすると、たいてい「戦争映画は見たくない」と拒絶される。残酷なのは嫌とか、殺される映画は見たくない、とか。
 たしかに最近の戦争映画はリアル過ぎる。四肢が飛散して苦しむ兵士や、傷口がぱっくり開いた胴体とか、「こんなものは見たくないぞ」と言いたくなるものが多い。刺激が強い。

 だけど、戦争の実態は知っておくべきである。
 そうでないと、「心構え」ができないのだ。
 平穏な日常に慣れきっていると、心の危機管理が疎かになる。
 先日、石巻市大川小学校の3・11津波で多数の児童や教員らが亡くなった事件での判決があった。彼らに限らず多くのあの津波で亡くなった方たちは、災害に対して「高をくくっていた」から死なずにすんだものを、ぬかったのである。

 戦争もそうだ。まさか戦争になるわけがないと思っている。9条さえあれば戦争にならないと…、そう思っているのはキチガイ沙汰だ。現実に、この映画のように、シリアやイラクではアメリカ軍が飛ばす無人機から罪もない婦人や子供が殺されている。
 なのに日本人だけが、それは関係ないと思えている。
 
 日本ではいかにも米軍から無人機で襲われる事態ではないが、監視衛星は上空に飛んでいる。私たちは常時見張られながら暮らしていると思わなければなるまい。
 そういう「備え」のためにこそ、こうした最新の戦争を扱った映画で勉強しておく必要がある。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする

2016年11月23日

徳川幕府は経済失政で滅びた


 幕末の徳川政権の外交は、ロシアやイギリスがちょぼちょぼ来てはいたが、本格化するのは嘉永6(1853)年にアメリカのペリーが浦賀にやってきて砲艦外交をやられてからであった。
 そしてアメリカを皮切りに各国と通商条約を結んだ。幕府の閣僚が無能でひどい不平等条約を押し付けられ、ために明治新政権が苦労してそれを改正しなければならなかった。

 と、教科書では教わるがこれも官許歴史のひとつである。不平等であったことは疑いがないが、それでも幕府の閣僚たちは国益のために頑張ったのだ。圧倒的武力の差があって、外交手腕を知らなかった幕府にしては精一杯の抵抗をし、条約の形はとったのだ。
 明治政府は、なにせ長州のチンピラ下級武士がクーデターで奪ったものだから、幕府より無能であった。

 だから明治政府の主要な行政は、幕府の役人が引き継いで行なった。そのおかげで、不平等条約の改正が時間はかかったが成ったのである。
 官許歴史では、新政府は優秀で、幕府はなにもかもダメと説くが、そんなことはないのである。

 しかし、幕府の閣僚の最大の失敗は、為替レートで騙されたことである。金銀の交換レートを迂闊に設定して、莫大な損失を出したことは良く知られる。幕閣の誰も経済に疎かった。
 日本の金1に対してメキシコ銀4で交換することにさせられた。
 額面は同等のようでいて、日本の金貨は金の含有量が多く、不利だった。

 詳しいことは省くが、仕組みを簡略に書くと以下のようになる。
@ 日本ではメキシコドルラル4枚を一分銀12枚と交換する
A 日本で一分銀12枚を小判(金貨。天保小判)3枚と交換する
B 香港で小判3枚をメキシコドルラル12枚に交換する
C @に戻る

 これを1回やるごとに金貨が3倍に化けた。
 欧米人らは、日本で為替交換し、金の含有量の多いそれを香港に持っていって為替交換する。そのカネをまた日本に戻って交換するという繰り返しだけで、労せずして(貿易もせず)ジャブジャブと儲けていった。だから日本の金がまたたく間に消えてしまった。

 幕府は慌てて、貨幣改鋳をやって、金の含有を減らした万延小判を発行したが、日本が備蓄していた金の3分の1(約100万両)が流出したと言われる(額は諸説ある)。
 万延小判は天保小判と同じ額面1両のまま、金の含有量を3分の1に減らした。

 しかし、金の流出は止まったけれど、国内的には粗悪な貨幣にしたために激しいインフレを招き、武士も民百姓は苦しめられ、一揆なども起きるようになった。
 でも武士にも庶民にも突然生活が苦しくなった原因などわからない。
 彼らに幕府憎しの気分が起きるのは当然で、薩長討幕勢力も、これは開国したのが悪かったのだと騒擾を引き起こすに至った。

 井伊直弼大老が暗殺されるのも、経済的困窮は開国した責任者とみなされ、正義の攘夷派を処刑した悪者とされたからである。
 それがやがて幕府は戊辰戦争での敗北へとつながっていく。

 つまり、幕府の為替政策、金融政策の失敗が、ついに討幕に至るのである。薩長に討幕の大義名分なんかなかった。彼らは徳川の力を弱めて列藩同盟のような形に持っていこうとしていただけ。
 ところが幕府自らの経済政策の失敗で大衆の支持すら無くしていった。
 この捉え方は、上念司氏の『経済で読み解く明治維新』(KKベストセラーズ)で知った。そのとおりだろうと思う。

 幕府にそれを強いたのはイギリスだったのかもしれない。為替で騙せば、幕府は倒れると踏んで着々と手を打ち、意のままになる薩長のテロリストに政権を取らせる計画だったかもしれない。
 決して、吉田松陰とか坂本龍馬とか西郷隆盛の“理想”が、新時代を開いたわけではなかった。

 昨日に続けて…であるが、高山正之氏と宮崎正弘氏の『日本に外交はなかった』から紹介したい。
 初代駐日公使になったハリスについての言及である。
 
     *     *

宮崎 これも悪どい商売で成り上がった人物で、それで政権に近づいて公使の特権をもらって、やったことは何かといったら金銀の交易、貿易で金をえらい儲けたらしい。

高山 一説には、これでアメリカにはほとんどプール一杯の金が流れこんだ。
 そしてあの時期に南北戦争が起きた。連邦政府側、つまり北軍には、たっぷり金があり、それで熾烈な戦争をやっていけた。 
 言ってみればあのリンカーンを支えてやったのは日本ということになるわけだ。

 宮崎 勝った時の武器がまた日本に輸出されて、戊辰戦争が起こり、西郷隆盛軍を殲滅する時の官軍の武器になった。
 
     *     *

 これが裏話である。西南戦争で使われた武器は、南北戦争のお古であった。
 ついでに当時の銃について語っておくと、戊辰戦争当時はまだ元込め式スナイドル銃は少なく、先込め式のゲーベル銃が主力であった。スナイドル銃は南北戦争で大量に使われ、中古が日本に輸出されて西南戦争に使われた。

 スナイドル銃は後装式で便利で安全にはなったが、ゲーベル銃のように銃身内部にライフルが切ってなくて、照準しにくかった。また鉛玉が薬莢とセットだから扱いやすかったが、銃身のなかで鉛が溶け、銃の先からブラシを入れて鉛をかき出さなければならず、不便だったようだ。

 とは言っても、当時は機関銃はなくて、戦争での撃ち合いもお互いにそういう手間をかけられる状態だったし、アメリカ人にしてみれば、インディアンや野牛を殺すにはそれで良かったのだろう。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする

2016年11月22日

内閣法制局こそ法匪


 司法界は東大法学部が今も牛耳っている。司法界で出世したければ、東大法学部に行くしかない。
 京都大学法学部とか、私学では中央大学法学部も司法試験に通ることはできるが、この業界に入るなら、東大法学部出でないと、偉いさんにはなれない。

 だものだから、学生は誰もが東大法学部を目指し、よって競争率がバカ高いものになり、極端に偏差値なるものが高い学生以外には入れなくなった。つまりは、東大法学部と東大医学部は受験の最高レベルとなった。最も受験秀才の君臨する学部である。

 ということは、極めてアタマが悪い人間が揃う。中には健やかに育つ人間もいるから、全部がダメとは言わないけれど、絶対に友だちにはなりたくない輩が多くなる。恋愛ができない、人の気持ちがわからない、ともかく偉そう、人を見下す、傲慢不遜…とろくでもない。受験勉強以外は無能。

 日弁連は法匪である。左翼の巣窟だ。弁護士界も東大法学部が仕切る。弁護士になったら日弁連に強制入会させ、そうでないものは開業させない。こういう非道をやるのも、東大法学部の権威を揺るがせないさせないためである。もろに学閥が幅を効かす。
 そもそも、東大法学部は戦後、左翼が牛耳ってきた。GHQに負けたからである。

 司法界が揃いも揃って左翼になるのは奇観だが、さらに奇観なのは、彼らが国家意思を棄て、法の精神を棄て、日本国に否定的になったことである。左翼なのに反米でもないのは妙だが、サヨクの意味は国を嫌い、反日を標榜することなのである。
 先日も紹介したばかりだが、高山正之氏と宮崎正弘氏の対談本『日本に外交はなかった』のなかで司法界に言及した箇所がある。以下は高山氏の発言である。

     *     *

 内閣法制局というのは、いまは左翼の巣窟みたいになっちゃった。まるで「聖職」だ。戦前は単に「法制局」といってすこぶる権威のある政府の機関だったんだ。万人を納得させる法理論を展開させていた。これが占領下で占領軍と衝突することになる。特に占領軍と対立する意図はないけれども、筋を言うものだから占領軍が怒って解体したんだ。昭和23年、1948年のこと。そして占領軍のイエスマンばかり集めて別の組織をつくるんだよね。

 占領解除となって、昭和27年、1952年に再度「内閣法制局」として復活するんだけど、もうかつての法制局じゃない。腰抜けばかりが集まっているのが新しい法制局です。
 思い出すよね。この前の安倍内閣で集団的自衛権で、憲法九条の政府解釈を変更しようとしたら、歴代の法制局長官がみんな反対した。彼らは第九条の解釈にかかわって一番大切なのは我が国の安全をどう守るかということなのに、それに対する配慮はまったくしないで、文言の解釈ばかりしていた。滑稽きわまりない状況。これがまさに「法匪」ってやつでしょう。

     *     *

 高山氏の言うとおりで、だから受験秀才は常識がない。与えられた答えしか出せないバカになりおおせている。9条をそのままにしていたら、国民をどうやって守るんだ。その答えが自分で考えられないくせに、偉そうな権威だけにはしがみつく。
 GHQのイエスマンを集めた組織が東大法学部と法曹界としてスタートしたから、GHQ好みの反日で一貫している。

 おそらく現今の司法界の連中は三権分立を勘違いして、立法権、行政権が「国」であって(国そのものであって)、司法は「国」とは独立排除的に存在していると思い込んでいるのではないか。
 国家がわかっていない。
 三権分立は、国家のいわば分業レベルである。
 例えば司法試験は国家が行なうし、大学法学部は国家がつくり資金援助も行なう。

 司法はやさしく言うなら、日本社会を良くするため、良い秩序を保つためにある。なのに、司法の連中はあろうことか「保身」そして閥をつくって利権を守ることに血道をあげる。
 自衛隊は違憲、9条は守らねばならぬ、などと言うのは、そういう主張にならないとあの業界で身を処していけないからだ。国民の安全や幸せなんかどうでもよくなる。

 弁護士になると、日弁連と県単位の弁護士会に強制加入させられる。
 日弁連会費が168,000円、日弁連特別会費が59,500円、新会館臨時会費が120,000円、さらに東京にいるなら東京弁護士会に所属し、東弁会費が222,000円で、合計年額596,500円となっているそうだ。
 実に年間60万円もの会費を払わざるをえない。
 世界一高額なんだとか。

 登録年数の短い弁護士については会費の減額措置(5年ほど)が採られ、病気の場合は会費の免除があるとか。
 東京弁護士会の会費はこれでも一番低く、田舎の弁護士会に登録すると会費負担はさらに高くなる。
 まさに世間の常識は弁護士界の非常識だ。

 なぜこれほどまでに高い会費を支払わなければならないのかというと、弁護士会の答えは、「わが国の弁護士制度は他国に類を見ない行政から独立を保障された自立権能を有し、弁護権の独立を維持するとともに、国民から負託された多様な人権擁護活動を担っていることにより、多額の経費がかかる」なんだそうだ。なにこれ?

 あまりに抽象的すぎる。本当の具体的なことは言えないから、要はごまかすためである。そんなことも弁護士はわからないでやっているの? おかしいならおかしいと言えばいいのに、こんなデタラメがまかり通っていて、なにが「正義」だ。
 これも東大法学部が決めたことゆえ、誰も逆らえないのだろう。

 弁護士会費が何に使われるかといえば、例えば国政選挙があるたびに、各地方ごとに、「1票の格差が解消されていない今度の衆院選挙は違法で無効だ」と主張して、訴訟が起こされる。あるいは原発稼働差し止めの訴訟とか。
 これをやらかすのは弁護士会だ。そういうバカらしい仕事の費用を、この潤沢な会費で注ぎ込む。

 それを仲間の反日マスゴミが煽る、ほめそやす。選挙にイチャモンがつけられたおかげで「合区」なんて妙な仕組みになってしまった。国会でもそんな審議で無駄な時間が費やされる。まったくろくなことをしない。
 裁判所にいるバカも同調して、「これは違憲状態だ」と決めつけるが、選挙が無効とまでは言えない、と、毎度おなじみの結論となって終わる。

 さらに、弁護士会費がバカたかくなるのは、弁護士自治の名の下に、本来、国で処理すべき公益活動を多数抱え込んでいるからだと言われる。弁護士自治とは、弁護士の業務活動が行政によって制限されないよう確保することを目的にしている。
 一般的には、行政によって執行される懲戒などの処分が、弁護士の場合は弁護士会によって行われる。しかも他業種と異なり懲戒請求は誰でも可能のため、さしたる理由のない懲戒請求も少なくない。

 各弁護士会には、申請された懲戒案件をふるいにかけるための綱紀委員会と、綱紀委員会からのぼってきた懲戒請求案件を審査する懲戒委員会があり、さらに懲戒の決定に対しては日弁連への異議の申出、そのうえ綱紀審査会に対する綱紀審査の申出をすることができる。これらの懲戒機関の運営はすべて弁護士会の経費による。懲戒手続に関しては、その調査を担当する嘱託の弁護士がいるほど業務量が多いので、これだけでも相当馬鹿にならない金額がかかっている。

 内情の詳細は知らないけれど、弁護士同士が互いをチクリあうから、その対応費用が莫大にかかっているって? アホか。これもおそらくは東大法学部の利権を守るために、すべての弁護士に睨みをきかせているのであろう。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする

2016年11月21日

サヨクはなぜ「国家」が嫌い?


 サヨク元祖といえば共産党である。日本では共産党は共産主義社会の実現をめざし、権力の奪取を狙っているはずだが、なんと国会のみならず県や市の議会にも議員を送り込み、憲法護持の立場をとって、わけがわからないご都合主義である。
 一応非合法活動は否定し、暴力革命は棄てたかに装う。暴力革命を標榜した連合赤軍や中核派、革マル派などがあったが、もうほとんど力を失い、相手にもされない。

 その元祖サヨクと近いのが、現在の民進党やかつての社民党であった。今では「リベラル派」などとカタカナを使うが、今はただの自民党への揚げ足取り、嫌がらせで生きているだけ。共産革命は目指していないが、心情はそちらに近い。

 さて、10月22日のブログでも掲載したが、元祖共産党のバイブルである『共産党宣言』の言わば綱領は以下のとおりである。
1. 社会の歴史は階級闘争の歴史である
2. 私有財産の廃止
3.家族の廃止
4.祖国と国民性の廃棄(労働者は祖国を持たない)
5.宗教と道徳の廃棄
6.万国の労働者団結せよ

 この綱領を端的に申せば「国家の否定」、これである。
 国家を自由なる個人にとっての最大の束縛とみなし、さらに加えて家族も私有財産も宗教も否定している。マルクスがいたころのヨーロッパは、国家は産業資本と結びついて、庶民をドレイとして扱ったゆえに、労働者とその家族らは自分たちが搾取され、自由を束縛され、貧困に突き落とされている、と思ったのは(感情的には)無理もないことではあった。

 だから新興勢力の共産党は、大衆の支持を得るべく、口当たりのいいことを吹聴して歩いた。悪いのは国家と資本家だといって。
 要は、共産主義とは理論ではなく、思想である。その名残りがいまだに尾をひいている。

 したがって、日本共産党やその仲間どもは、国家を否定ないし悪いものという認識で共通すると言ってよいかと思う。
 これは政治活動をもっぱらとする連中にかぎらず、東大を頂点として研究者の脳みその主要部分は国家を否定的に捉える傾向が極めて強い。
 バッカじゃなかろうか。

 高山正之氏と宮崎正弘氏の対談本『日本に外交はなかった』(自由社刊)を読んでいて、以下の文言に当たった。
 これは韓国を、歴史的に見て宮廷政治、事大主義、独立自尊の主体性がない国と批判したあとの宮崎氏の発言である。
 
     *     *

宮崎 結局、「国家」とは何かという認識の大いなる齟齬でしょう。彼らにとっての国家とは自らの利権のメカニズム、支配機構でしかない。末端の庶民の幸せをまったくかんがえていないわけですからね。
 田中英道『天平に華咲く「古典文化」』(ミネルヴァ書房)は次の指摘をしています。

「『国家』の問題を出すと、必ず左翼の歴史家たちは、それが『国民国家』として近代にしか存在しないとする(中略)」「しかしその考え方が誤りであることは、日本のような、古い島国の例を挙げれば明らかである」。
 従来、日本の戦後論壇でも「国家」イコール「悪」という意味で論じられてきた。国家を肯定するのは右翼と攻撃されたが、田中氏はこう反論する。

「『国家』と言えば悪い意味での『権力』機構ととらえ、打倒の対象であるかのように否定した社会主義の理論は、ソ連や中共の成立で完全に崩壊してしまった。ソ連や中共がナショナリズムの『国家』として、ドイツ・ナチ『国家』よりひどい全体主義国家であったことは明らかである。そのような一党独裁の国際主義の『国家体制』は、決して価値ある文化は生まれない」。

 日本には古来、古事記や日本書紀が成立し、世界初の恋愛小説『源氏物語』が生まれ、そして世界史初の憲法が聖徳太子によって制定された。「聖徳太子の『十七条憲法』の最初の三条に示されている事柄は、共同体のあり方、個人のあり方、そして日本の政治のあり方を論じている。『近代法』のように市民革命を経て、市民の権利や自由を法律化したものではなく、人間の自然のあり方から発して、その陥りやすい欠陥を克服しながら、運営していく方向を示している」。

     *     *

 ここに紹介された田中英道氏が端的に書かれているように、国家=悪とする思いが染み込んでいるのがサヨクなのだ。
 それを考える前に、田中英道のいう国家論はエビデンスが弱い。日本の国家の特殊性としては聖徳太子を例に挙げるのは結構だが、人類史においての「国家の誕生」をこのような近代国家と、はるか昔の古代国家とを並べるだけでは不十分過ぎる。現象論レベルである。

 プラトンから始まって、ヘーゲルに至る国家論の流れ、加えてマルクス主義者による国家観を踏まえなければ、サヨクどもの国家=悪は論破できまい。これは国家論の大家・滝村隆一氏の欠点でもあったようだが、近代国家を正面に据えて論じてしまう失敗を、サヨク研究者や活動家はおかし続けている。だから田中英道がそこを指摘したのは正しい着眼だが、ただ聖徳太子の昔から…と反論しただけでは不足だと言っている。

 そもそも、国家とはむろん原初形態としては共同体(サルからヒトになっていった過程でも維持された集団)が統括するため、そして他共同体との対峙(戦争)のために、共同体と直接にできたものである。それが集団が大きくなり、外敵との対峙が深刻になるにつれ、今日言うところの国家へと量質転化を遂げたのである。

 われわれ人間の生存は、国家の存在(統括)なしには不可能である。
 そこをサヨクは誤解している。
 国家がなければ、税金も取られないし、戦争に駆り出されることもない、政治家のワルも見なくて済むと思うのだろう。アホだねホント。
 国家がなければ安心して道も歩けない、日本語も通じない、電車にもクルマにも乗れない、とすぐ分かる。
 国家なしには私たちは1秒も生きていられないのに。
 
 本ブログ10月14日付「朝鮮通信使は鶏泥棒」に「ずぶ濡れクミコ」さんがコメントをくださった。
 「青雲さまに聞くのもおかしいのですが、どうしてサヨクな人たちは日本を悪く言うのでしょうね? ああいうのがかっこいいとおもっているのでしょうか?」
 これなどもまさしく、サヨクは国家を骨がらみ嫌いだからである。
 日本を悪く言うこともそうだが、日本の代表たる国家を認めたくない。

 安倍総理が今国会の所信表明演説の際に、現場で苦労されている自衛隊、警察などの諸君に敬意を示そうと訴えたら、自民党の議員がスタンディングオーベーションで応えたことがあった。すぐさま野党と公明党が反発し、議会にふさわしくないとバカを言った。独裁国家のようだとか、共産主義国家みたいだと言って…。あれも、自衛隊や警察を国家の権力機構と見ているからの反発である。
 
 左翼どもが尖閣諸島に侵入する支那や、竹島を不法に占拠しつづける韓国に文句を言わないのも、そこに「国家」の匂いを嗅ぐからだろう。国の主張する案件は許せないのである。
 昔は「国益」という言葉すらタブーで、使えば右翼とされた。
 そのため、自衛隊は災害支援隊にすればいいなどと狂ったことを言う。それなら、国家抜きの、ただのお助け隊ですむと思うからだろう。

 そうしたサヨクをカネをバラまいてでも支援してきているのが、支那、南北朝鮮らである。国家はいらないとするバカ人間が多ければ多いほど、交戦権を否定した憲法が守られ、奴らが有利になるからだ。
 サヨクどもが憲法9条を守りたがるのは、そこに戦力は持たない、交戦権も認めない、と国家を完全に否定する縛りが書かれているからだ。だから9条が大好きなのである。

 何かにつけて、サヨクは国家の介入を嫌い、悪と断じる。その意味でバカはバカなりに一貫はしている。
 



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする

2016年11月19日

日本では何故言葉がダラクするのか(2/2)


《2》
 「幽」という漢字の意味は、
1. 暗くて見えない。かすか。
2. 奥深い。
3. 世間から離れてひっそりしている。
4. 人を閉じこめる。
5. 死者の世界。
 となっている。

 「玄」も深奥の真理、深遠な趣き、天地万象の根源、黒、などである。
 なので、「幽玄」といえば、この2つの漢字を合成した像になる。よって、辞書的には、「Goo辞書」から引用すると、
     *     *
1 物事の趣が奥深くはかりしれないこと。また、そのさま。
2 趣きが深く、高尚で優美なこと。また、そのさま。
3 気品があり、優雅なこと。また、そのさま。
4 中古の「もののあはれ」を受け継ぐ、中世の文学・芸能の美的理念の一。言葉に表れない、深くほのかな余情の美をいう。

㋐和歌では、言外に感じられる王朝的な上品で優しくもの柔らかな情趣をいう。
㋑連歌では、艶でほのかな、言葉に表されない感覚的な境地をさしていう。後に、ものさびた閑寂な余情をもいうようになった。
㋒能楽では、初め美しく柔和な風情をさしていったが、後、静寂で枯淡な風情をもいうようになった。
     *     *

 なるほどそんなことかとわかるけれど、この言葉がいかなる時代的変遷を経て、どういった藝術的営為と相互浸透しながら、高みの認識として人口に膾炙してきたのかは、わからない。それは辞書の役割でないと言えば、そのとおりだ。
 しかし、竹内好の論考に戻れば、どうやら、歴史的には本来の支那の漢字の用法が、本邦に来てから大きく発展したことがここからもうかがえる。

 和歌、連歌、能では味わい(像)が深まったのである。
 竹内が言う「精神の自己運動」は、近代以前には「それらしきもの」はあった。その例が、和歌、能、茶道、華道、禅などなど日本文化と誇るに足るもの等である。だが、明治以降はダラクの一途。
 近代以前には、「幽玄」のように言葉が「のび、みのり、内容の重みで自然に割れて、そこから新しい芽が出たという言葉が」あったのに、近代以降は絶えてなくなったようだということだ。それが辞書では書かれていない。

 11月10〜12日の「鎌倉薪能をより高みに」で書いたように、能舞台にマイクを立てて市長の挨拶をするわ、ミス鎌倉に案内をさせるわ、地謡に超デブがいるわ、終わったら拍手をするわ、「幽玄」が台無しである。つまり、興行的に成功させればよくて、「幽玄」の像を深める、発展させる意志はない。先達の真似だけ。古いことだけが自慢。

 まさに「文化」がアパートや鍋にダラクするがごとし、である。若い人にはなんの事だか分からないかもしれないが、戦後に「文化アパート」「文化鍋」が登場した。安っぽいものだった。
 ほかにもいくらでもある。ひどいのは「哲学」」だろうか。哲学とは「原点的に世界のすべてを知るための学問」(南ク継正先生の言葉)なのに、昨今では「経営哲学」だの「料理の哲学」だのと言い出し、ある個性的な考え方低度を称して恥じない連中ばかりになった。全員がダラクしているから、平気でダラクした言葉が使える。


《3》
 竹内好の論文「日本の近代と中国の近代」はサブタイトルが、「魯迅を手がかりとして」となっている。魯迅論が需要なファクターとなっているなかで、魯迅の『賢人とバカとドレイ』と言う寓話を紹介している。

 ドレイは、仕事が苦しいので、不平ばかりこぼしている。賢人がなぐさめてやる。『いまにきっと運が向いてくるよ。』しかしドレイの生活は苦しい。
 こんどはバカに不平をもらす。『私にあてがわれている部屋には窓さえありません。』『主人にいって、あけさせたらいいだろう』とバカがいう。『とんでもないことです』とドレイが答える。

 バカは、さっそくドレイの家へやってきて、壁をこわしにかかる。『何をなさるのです。』『お前に窓を開けてやるのさ。』ドレイがとめるが、バカはきかない。ドレイは大声で助けを呼ぶ。ドレイたちが出てきて、バカを追い払う。
 最後に出てきた主人に、ドレイが報告する。『泥棒が私の家の壁をこわしにかかりましたので、私がまっさきに見つけて、みんなで追い払いました。』『よくやった』と主人がほめる。賢人が主人の泥棒見舞にきたとき、ドレイが『さすがに先生のお目は高い。主人が私のことをほめてくれました。私に運が向いてきました。』と礼を言うと、賢人もうれしそうに『そうだろうね。』
 と応ずるという話である。

 竹内好氏はこの魯迅の寓話を、「呼び醒された状態について書いているものと考えていいと私は思う。『夢からさめて行くべき道がない』『人生でいちばん苦痛な』状態について、逃れたい現実から逃れることのできぬ苦痛について、書いていると思う。」と述べている。
 私は高校時代には竹内好が何を言っているのか、わかっていなかった。その意味するところがわかってきたのは、社会人になって仕事をするようになってからだった。

 いささか強引にこの魯迅の寓話を私自身に当てはめれば、バカが私になる。ドレイも賢人もだれでもいいが、多くのわが流派を知ろうともしない人や南郷学派に否定的なご仁である。
 良い年こいて「心に青雲」などと言って、ブログを書き、青春のものであるはずの(?)空手をいまだにやっているなどという人間は「バカ」以外の何ものでもあるまい。

 世の中、それなりに出世してまあ優雅に暮らしているインテリは「賢人」であろう。放射能は健康状態を保っていれば怖くない、とか、インフルエンザは予防注射をするだけ意味がない、とか、台風は生物学からも見なければならない、とか、後醍醐院は卑劣で光厳院こそ歴史に残る偉人だなどと言う私はバカそのものと見られるだろう。
 だからドレイで居さえすれば、なんとか食っていける。会社でも多少の出世はさせてくれる。だから「醒めない」ほうがいい。醒めれば行くべき道がないことに愕然とする。
 
 大仰に言えば、わが流派の空手に出会うまでの私はそうであった。完全に醒めていたかどうかはべつとして、行くべき道がわからなかった。ある程度の志は抱いたが、その先に行けない。それがわが流派の空手のおかげで進むべき道を教えていただけたのだった。
 譬えていうなら、ある意味でドレイからバカになれたようなものだった。むろんそれで良かったと思っている。

 今回の一連の能や幽玄についての考察も、世には受け入れられまい。例えば鎌倉薪能を楽しく高尚な気分で鑑賞できればいいとしている人たちは、私にはドレイに思えるが、本当のことは誰もが知りたがらない。知ればとたんに仲間はずれにされる恐れが出てくる。
 当たり障りなく、マスゴミや「学識経験者」や、教科書にあることだけ信じていれば、「賢人」が褒めてくれる。

 さて、本稿はもう少し深入りしたいところだったが、ややくたびれたので、ここらで能に関わる論考はいったん終わる。
 竹内好の論文も、機会があればまた論じたいが、とりあえずはここで終了とする。





posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする

2016年11月18日

日本では何故言葉がダラクするのか(1/2)


《1》
 先週の「鎌倉薪能をより高みに」のなかで、こう述べた。
 「鎌倉薪能はそこそこに鑑賞できる水準ではある。感動もさせられるだろう。だがどこに発展の芽がある? あるいは鑑賞者をして(平俗な言い方をすれば)、「よし、おれもやるぞ!」と奮い立たせるものが出せたのか?
 能は幽玄でござりまする…と言うかもしれないが、その幽玄という言葉、あるいは像を、伸ばし、実らせ、内容が充実していってその重みでそれこそ自然に割れて新しい種や芽が出たわけでもない。

 ただなんとなく「解釈」しているだけ。
 日本人のほとんどが、そんなことには無関心だ。解釈しただけで満足している。藝術、芸能の鑑賞とはそういうものだと思い込んでいる。」
 このことを、もう少し考えたい。

 私があの原稿を書きながら一つの論文を思い出した。それは支那文学者の竹内好が昭和23年に書いた「日本の近代と中国の近代」である。私は高校2年生のときに雑誌『中央公論』昭和39年10月特大号の特集「戦後日本を創った代表論文」の中に収録されていた。
 当時の一級の学者、文学者が書いた論文なるものを、生まれて初めて読んだもので、大きな衝撃を受けた。

 竹内好の「日本の近代と中国の近代」は、現在ちくま文庫『日本とアジア』のなかに収録されている。弁証法や認識論を学んだあとでは私のなかでは色褪せたものはあるが、それでも竹内が提起した問題は今も重いと思う。

 私はたまたま「幽玄」を例にだしたが、彼は日本の言葉全体を批判して、ダメになるのは何故かを解こうとした。
 例えば、「武道」も、創られた当時の概念は決して、伸び、実り、発展することがなく、現今の剣道や柔道に見るごとくの堕落につぐ堕落、スポーツでございと取り繕ってはいるが、もはや名前だけ。
 そんな言葉の現象があらゆるところで起きる。

 だから「幽玄」も同じだと思ったのだった。
 では「日本の近代と中国の近代」なかなら引用したい。少々長くなるが辛抱してください。

     *     *

 ヨーロッパでは、物質が運動するだけでなく、精神も運動する。精神が物質の影であるのでなく、また物質が精神の影であるのでもなく、それぞれに自己運動の主体としての実体であるように見える。たしかに精神の自己運動が認められるように思う。たえず自分を超えていこうとする動きがある。あらゆる概念が概念の場所に止まっていない。それは将棋の駒を進めるように進められていく。駒が進むだけでなく、駒を動かしている盤そのものが、駒が進むにつれて進むように見える。

 駒の進みは一様ではないが、止まった駒は、止まったところからまた必ず動き出す。止まり切りになることはない。理性、自由、人間、社会、どの駒もみなそうだ。おそらく進歩という観念は、このような運動のなかから、自己表象として飛び出してきたのだろう。

 東洋には、このような精神の自己運動はなかった。つまり、精神そのものがなかった。もちろん、近代以前には、それに似たものはあった。儒教や仏教のなかにはそれがあったが、それはヨーロッパ的意味の発展ではなかった。近代以降はそれさえない。

 その証拠には、日本の言葉の歴史を見ればよくわかる。言葉は必ずダラクするか消えてしまう。「文明」はカステラになるし「文化」はアパートや鍋になる。そのアパートだって、鉄筋から木造にダラクする。木造から鉄筋への方向にはけっして進まない。新しい言葉が次々にうまれはするが(言葉がダラクするから新しい言葉が必要になるのだが、同時に新しい言葉が古い言葉をダラクさせている)、それはもともと根がないので、うまれたように見えても、うまれたのではない。

 のび、みのり、内容の重みで自然に割れて、そこから新しい芽が出たという言葉があるだろうか。もちろん、ダラクもせず消えもせぬ言葉がないわけではないが、そのような言葉は、よく見ると、ほかから栄養を与えられているので、栄養がきれぬあいだだけ生きられるのだ。それ自体に生産性があるのではない。

 言葉は意識の表象だから、言葉に根がないということは、精神そのものが発展的でない(したがって文化ではない)ということになるのではないか。もっとも、このような疑問を提出してみても、私に答えがあるわけではない。

     *     *

 竹内好のこの論考は、突っ込みどころが多々あって、今ではおかしなところがあると思うけれども、彼が言葉は(東洋では)ダラクする、ダラクしない言葉は(近代以降)ない。との提言は、今でも重いと思う。竹内は、大東亜戦争の敗北を念頭に置いているのだ。なぜかくもみじめに日本は負け、文化もボロボロになっていくのかを深刻に捉えたのだ。
 
 彼は、精神は運動だと言ったのはヘーゲルの「絶対精神の自己運動」を意識しての展開だろう。その概念の咀嚼が不十分だが、それは無理というべきで、最も欠けているのは、脳への考察である。精神は脳細胞の機能であることが押さえられていない。
 竹内自身がこの論文で、自分は認識論が分かっていない、文学的直感でしたためていると書いているが、そのとおり、彼には認識論の研鑽がなかった。
 
 ヨーロッパが発展的であったのは、認識がそういういわば前進マターであると直接に、実体たる脳までが発展的な構造をもったものになっていったからである。機能も実体も、東洋の停滞的ありようとは質が違ったのだ。

 それはさておき、竹内がこの論文で引用した箇所で言っていることはかなり当たっている。
 ただ、彼は残念なことに南ク継正先生を知らずに没した。竹内が今生きていたら、自分がここで書いたことが南ク継正先生によって嘘にされたことに愕然としたであろう。

 空手という言葉、武道という言葉、あるいは認識、弁証法、論理、哲学、藝術などなどが、ダラクするどころか見事に伸び、実り、発展的にあることを知るだろう。
 けれど、剣道も柔道も、能も、明治の隆盛期からこのかた、ダラクの一途であるのだから、竹内好が説いた現象レベルでは間違いではなかったと言ってよいだろう。

 以前、本ブログで書いたが、鰹節はもう絶滅状態である。毎朝、母親が台所で、削り器でシャカシャカ音をたてて鰹節を削り、それを味噌汁にしてくれる。その高い上品な香りは絶えてしまった。

 鰹節の形あるいは味さえしたら鰹節を見なす社会、これは竹内が指摘したとおりなのだ。先月に書いた醤油の問題もそうである。本物の鰹節や醤油がいいのは分かっているけれど、高いからとか近所で売っていないからとかで断念している人はまだしも、ほとんどは意識すらしていない。多くの日本人は「出汁」は生きていても、インスタントになったことを文化の発展だと信じている。すべてそうなってダラクする。

 「幽玄」にしても、これはダラクする運命にある。極端に言えば、暗闇にろうそくの灯が一つともっているだけで「幽玄」としているようなざまになっている。テレビや新聞はそう言うものだから、大衆もそんなものだという知識で、対象を反映する。
 「幽玄」という言葉を考えた先人は、いったいどれほど苦しんで、努力してこの概念に辿り着いたか、誰も考えない。何度も言うが、誰もが「幽玄」があると思っている。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(1) | エッセイ | 更新情報をチェックする

2016年11月17日

幽玄とは何か(2/2)


《2》
 それで「幽玄」であるが、新潮国語辞典では「(『玄』は理の深淵微妙の意。もとシナ古典や仏教用語) @奥深く微妙で容易に知り得ないこと。趣が深く味わいがあること。A日本の、とくに中世の和歌、連歌、謡曲などの文学理念。言外に深い情緒、余情があること。また、そのものによって見られる気分、情調。平安時代の『もののあわれ』の理念の発展として生じ、近世における芭蕉の理念『さび』に進展した。」

 と、まとまっている。わかったような…わからないような…。
 辞書だからしょうがないとも言えるが、これは言語概念の構造を説かないからだ。
 幽玄とは端的には認識である。認識とは唯物論の定義では、対象の頭脳における反映=像である。反映だけにとどまることなく、問いかけた反映になったり、記憶が混じった反映になったり、感情としての反映になった像である。

 ある知人が鎌倉薪能の話を私から聞いて、薪能の写真をネットで見たそうだ。そして「幽玄ってこのことか」と言ってきた。
 で、さらに曰く「幽玄とは、命が発生した最初の暗闇。エーテルみたいなものかな…根源、原初、『御言葉』『ロゴス』だけが存在する・・・そこから、すべてが始まる。そういう「無」であると同時に『すべて』であるもの。『永遠』であると同時に『一瞬』。それは、おぼろな光とかすかな闇・・生と死・・ひとのすべての営み、の真髄をつらぬく光と闇不動のなにか」と。

 私はそれをせせら笑って「それは観念論でしかなく、唯物論的認識學」でなければ、幽玄は解けない」と返信した。訳の分からないことを言われても困る。
 これはデタラメではあるが、良く言えば観念論である。幽玄という観念的実体があると思うのが観念論者だ。唯物論での認識學を分かろうとしない人には説いても無駄。
 知人に「幽玄の概念は『そよ風』とは何かと同じで、『そよ風』が解ければ幽玄も解ける」とメールして、打ち切った。
 鎌倉薪能のパンフレットにも、幽玄、幽玄と書いているご仁がいたが、何もわかっていないだろう。

 そよ風なんて風はない。風速何メートルだったらとか、気温何度だったら…などと定義でききない。なのになんとなく皆わかった気でいる…。幽玄も同じく、幽玄なんてない、でもある、この矛盾。
 矛盾として正しく捉えないから、知人のように幽玄はあるはずだと思ってしまう。

 そよ風とは何か。
 風という空気の運動はある。それを人間がどのように反映するか。すなわちこれは「問いかけ的反映」の際たるものと言える。
 そよ風として反映するのは、最初は親か教師がそう教えたか、何かの文章なり映画などで知って、それを誰かから「これがそよ風だよ」と教わって理解する。

 気持ちのよい風、強過ぎもせず、無風でもない。気温も暑くもなく寒くもない、心地よい風を感じている。しかも自分の体調も良く、気分的にも悪くない。そこで、気持ちのよい風、すなわちそよ風と反映する。
 これがそよ風とか、心地よい風と、過去に感覚したことがあるから、その認識で対象たる風を反映する。

 同様に、幽玄もこれは問いかけ的反映である。
 過去に、幽玄とはこんなもの、とする知識がある。生で、あるいは映像で教えられている。だから、薪能の場合は、周囲が夜で真っ暗ななか、舞台と能役者にだけ明るい照明が当たっている。そういうシチュエーションにしている。
 暗闇は、人間にとっては素朴に言えば怖い。死の世界にも通じているような知識もある。静寂にも包まれている。地味な空間になっている。

 それを見るから、簡素、侘しい、余情がある、おごそか、死の雰囲気、などを感じる。その反映を、知識として事前にある「幽玄」という概念を当てはめ、ないし合体させて、像が確定する。
 さらに言えば、能の話は死と結びついている。おどろおどろしい話と演出、音楽も地謳もそれらしく奏でられる。それはそうだろう、死とか怨霊とかのテーマなのだから。

 そのテーマを、しかし上品に演じられるのだ。演じる側もこれでもかとやって見せ、見る側もこうなると待ち構えている。
 ところで。
 幽玄を解くにあたっては、私は谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』を抜きにしては語れないのではないかと思う。これは作家の“感覚”で説いているもので、認識學も弁証法もないのは残念だが、日本人なら頷けることが多いはずだ。

 例えば、
 「われわれは一概に光るものが嫌いと云う訳ではないが、浅く冴えたものよりも、沈んだ翳りのあるものを好む。それは天然の石であろうと、人工の器物であろうと、必ず時代のつやを連想させるような、濁りを帯びた光りなのである。」
 「われわれが歯医者へ行くのを嫌うのは、一つにはがりがりと云う音響にも因るが、一つにはガラスや金属製のピカピカする物が多過ぎるので、それに怯えるせいもある。」


 日本人は昔から様々な陰りのあるものが好きなのだ。その感覚がどこから来たものかはわからないが、谷崎が書いているように、歯医者のようなガラスや金属製のピカピカする物には拒絶反応がある。
 だから全面窓ガラスで広い庭とか遥かな太平洋の水平線が見える部屋は、一瞬は感嘆の声を上げても、ずっと住みたいとは思わず、やはり陰翳のある床の間が落ち着くのである。

 私はこの陰翳好きが幽玄を好む、なにやらココロ落ち着く性向につながるのではないかと思えるのだ。
 これは関係があるかどうかは分からないが(私は関係あると思う)、韓流ドラマを何度かチラッと(数秒)見たことがある。テレビを見ながら、チャンネルを換えたら偶然やっていたというだけで、あんなものを見るほどバカじゃない。

 韓流ドラマは、照明過多である。やたらに画面が明るい。陰翳なんかない。すごく違和感がある。だから日本のドラマか韓国のドラマか、チラッと見ただけですぐわかる。あんなやたらに明るい画面を見ていられるのは、日本人の感性が乏しいご仁である。だから、韓流ドラマは電通が流行させようと企んだが、すぐ廃れたのだ。
 韓国には日本人のような陰翳を好む感覚がないのではないか。どうしてそうなっているのかは、韓国の歴史は風土をしらべないとわからないし、比較文化論としては成り立つだろうが、興味はない。

 大まかにいえば、韓国人は対象がそのまま反映していればそれでよく、日本人は対象をそのまま反映するのではなく、弁証法でいえば、対立物の統一で捉えてきたし、それを好むのであろう。だから対象の理解も深まるし、弁証法的ないろいろな角度からの捉え方ができる。

 日本の墨絵も、空白を描くというか残すというか、全部を描き込まないところに魅力を感じる。支那の絵は西洋の油絵ほどではないが空白は残さない。西洋画はキャンバスを全部埋める。
 墨絵の場合は、描いたところと空白との対立物の統一を目指しているのだと思われる。
 光と影を大事にするから、谷崎の書いたように「陰翳礼賛」になる。また和歌や俳句が短詩形であるのは、表現しない部分をあえて残すためであろう。

 影は想像力をかきたてる。和歌や俳句の短詩は、余韻や表現しないところを考える。墨絵も空白を想像する。そうやって日本人はアタマを使うことをやったのである。それは「あいまい」なのではなくて、だから情感が豊かになり、本物の自由自在な認識の変化に対応しているからだ。

 日本の軍歌(戦時歌謡)はただ勇ましいだけではない。たいていは影が、陰翳がある。ドイツ軍の軍歌はやたら勇ましさを鼓舞するだけで、こんな奇妙は軍歌は日本にしかない。

 日本語で言うと、助詞や助動詞があるのも、より陰翳や空白をもたらす。例えば、「私は」「私が」「私も」「私って…」「私に」などなど、主語につく助詞しだいで、述語を言わなくてもある程度相手に通じる。
 支那語は、ただの漢字という記号化したものの羅列である。

 こうした日本の文化ないし認識の特質は、墨絵、詩歌、建築、庭、華道、茶道、そして能など、みんな根っこでつながっているのである。その根っこは何かを探求するのは、能が最もふさわしいものなのかもしれない。
 それを踏まえないで、現代の藝術において、西洋とコラボしてみただの、誰もやらなかったことをやってみただの、新しいことにチャレンジしたことに価値がある、などと言うのはナンセンスである。

 この民族差は大きい。おそらく科学の分野や藝術の分野でも、ノーベル賞を韓国が取れない(研究成果があがらない)理由の淵源であろうし、実際新しい技術開発もできないし、屹立する藝術もできない。

 おそらく、韓国にかぎらず支那もその他も、「幽玄」とか「わび、さび」「軽み」が理解できまい。
 能に話を戻せば、原初は祝福芸や怨霊を退散させる神事であったものが、そこに単に舞曲を加えて芸能化しただけではなく、他の民族にはないヒューマンな要素をじっくりと表現できるようになった謎がある。

 韓国や支那なら、能でいうシテは祟りをする悪い奴でしかなく、何をしても退治すればいいとなるのであろう。だが、日本ではまったく違う。怨霊を悪い奴とはむしろ捉えないで、非業の死への同情というより無常観を覚え、霊魂にはお気の毒とか、成仏できずに迷っておられるから、救って差し上げる、今のお立場を私たちもわかってあげるし、霊にもわかっていただいて共生しましょう、と、そんな中身になっている。

 だから見事な「心」の藝術たり得ている。



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする

2016年11月16日

幽玄とは何か(1/2)

《1》
 能に関連したテーマを続ける。
 ちょっと余談を言うと、「お能」なんて言い方はゾッとする。あの高慢ちきな白洲正子が言い出したことで、ただの気取りでしかない。
 「能」で良いのだ。それ以外は日本語ではない。
 先日アホな看護婦が「お血圧を計らせていただいてよろしいでしょうか」と言った。そんな日本語はない。ただバカ丁寧に言えばいいと思っている。
 ならば「おカレーライス」「おキス」「おウンコ」…というのか。

 白洲正子が「お能」と言ったのは、わたしどもハイソな人種はお上品でござあますのよ、と鼻を高くしたいのである。なんと下劣な!
 これをあざとい、というのだ。じゃあ「お狂言」「お地謡」と言うのか?
 ちゃんと正しい日本語をつかうことこそが教養、品格である。品とはなにかを知らない者が、「お」を付ければ上品だと思い込む。

 さて今日のテーマは能に関わって「幽玄」である。
 能といえば幽玄、幽玄といえば能と相場が決まっている。教科書にもそんな記述があるだろう。能は幽玄の世界を表現している、などと。
 さて、では幽玄とは何か。答えられる人はどれほどいるだろうか。辞書的な答え、受験的な答えを聞いているのではない。

 これは芭蕉の言った「わび」「さび」「軽み」も似ている。わかったようでわからない。でも皆が使っている。
 子供にはわからないとか、外国人には難しいだろうとか日本人は偉そうに言うけれど、さてその構造や如何に?

 幽玄を語る前に、芭蕉や千利休が提唱したとされる「わび・さび」について。どちらも日本独自の像=認識で、しいていえば美意識の一種と言えようか。
 「わび(侘び)」とは、は動詞「わぶ(侘ぶ)」の連用形で劣った状態や不足すること、思い通りにならないことからの寂しさを表す言葉であった。その概念を俳諧や茶道で用いられるようになって、否定語から肯定的になった。

 芭蕉や利休が主となって、中世以降は簡素で寂しいような趣を意味するようになり、そうした認識を得る(像を描く)ことが喜ばれるように変化した。
 利休の茶室の演出がそうした華美でない、慎ましやかで、落ち着いた雰囲気がそうだと認められるようになった。

 「さび(寂び)」は、これも動詞「さぶ(寂ぶ)」の連用形で、時の経過によって劣化した様子、であった。そこから、古びて味わいのあること、枯れた渋い趣、寂しげな趣を表すようになった。
 芭蕉が創造した俳諧では、物静かで落ち着いた奥ゆかしい風情が、あざとくではなく、洗練されて自然に滲み出るという感覚が好まれた。
 さびは古く枯れて渋みのある静かな趣だから、「渋み」とも言えようか。

 また芭蕉は「軽み」という概念も用いた。
 『猿蓑』のなかに路通(ろつう)という弟子が「鳥共も寝入ているか余呉の海」と詠んだところ、芭蕉はこれを「軽みあり」と言って褒めた。路通は乞食だったが、芭蕉が拾った人だ。
 江戸時代の人だから、いうなれば国語力がこの程度だったのかもしれないが、まだ芭蕉自身も日本社会も言語については未熟だったのだ。

 だからこうとしか言えなかったのだろう。でも当時としては、最優秀の頭脳、最先端の言語力だったと見なければいけない。
 ただ、現代人からあえて言わせてもらえば、芭蕉は説明が足りなかった。本ブログでも再三述べていることだが、例えば「なんとかの音楽は素晴らしい」と言う人がいるが、「どう素晴らしいのか」「なぜ素晴らしいのか」をまったく説かない。
 でも自分は「論考」を述べたつもり…。

 芭蕉も「鳥共も寝入ているか余呉の海」のどこがどう「軽み」なのか、ないし「わび」とはどう違うのかを認識論を踏まえて説かなければいけなかった。むろん彼にはまだその実力はなかったのは仕方がない。
 問題は、後世のわれわれがその言葉をまったく深めないことにある。芭蕉の認識はこうだと論理で言わないで、ただ神棚に上げて押し頂くようなザマである。

 武道でいえば、剣道も柔道もそうであって、先人の金言なんかを「はは〜っ」と平伏して、わかっていないのにわかったつもりで使う。
 これは南ク継正先生が『武道の理論』を世に問うて以来の、武道界の課題であるはずなのに、誰もまともに考えようとしてこなかった。『武道の理論』の衝撃を、まともに受けた人間は今も少ない。

 例えば、嘉納治五郎の言葉を鵜呑みにするのではなく、さらに上達論、勝負論、指導論、極意論のごとくに探求していくことはなかったようである。解釈はしているかもしれない、またノウハウは進歩したかもしれないが、論理構造を深めた話は聴いたことがない。
 西郷四郎、三船久蔵、木村政彦のように、嘉納治五郎より強い達人は出たけれど…。

 「わび、さび」のような芭蕉の一言隻句を、そのまま適当に解釈するのではいけないのではないか。われわれが辞書を引くのは、手がかりを得るだけ。
 なかなか本題の「幽玄」に行かないのは申し訳ないが、これは準備運動なのだ。

 「鳥共も寝入ているか余呉の海」を創った路通は、何を反映し何を像として描いたかを、俳人なら、あるいは国文科の研究者なら説かねばならない。
 同じ『猿蓑』のなかに路通の作として「いねいねと人にいはれつ年の暮」がある。「いねいね」とは「去れ去れ」であって、路通は乞食だったから、自分が京都の街で人様に門前払いされた過去の経験がある。その辛さがフッと浮かんだのだろう。

 それを踏まえると、「余呉の海」の句も、湖面で寝入っている野鳥の様子に、かつての自分の辛さ、淋しさを重ねての反映だと知れる。芭蕉は、路通の境遇を知っている。だから「いねいねと…」の句は辛かった過去がいわば生で表現されているけれども、「余呉の海」の句は、そうした生々しい体験を心の奥にしまって、水鳥が寝入っている湖面を描写しながら路通の内面を語っているところを芭蕉は評価したのであろう。

 あえて言うこともないが、これは弁証法でいえば「否定の否定」の手法が生かされている。個人の経験をじかに表現するのではなく、遠回りして例えば風景を描くことで、人間の心的状態の一般性を獲得しかつ鑑賞者に「かくあるべし」と説いている。

 だから乞食の暮らしの辛さは「重い」が、水鳥の様子に変えて心を表現したのは「軽い」のである。それを芭蕉は「軽みあり」と褒めた。芭蕉はそれが文藝の価値なんだと認識していたと思う。和歌の伝統もそこにあった。だから芭蕉は、本物の和歌を追及した『風雅和歌集』を読んでいたのではないかと想像される。

 一例を挙げれば、「忍ぶれど 色に出にけりわが恋は ものや想ふと人の問ふまで」(平兼盛)は和歌の最高傑作と言われる。これも、露骨に(今の歌謡曲みたいに)「好きだ」「愛してる」と言うのではなく、奥ゆかしくというのか…婉曲にというか…、それゆえかえって鑑賞者の想像をかきたて、弁証法的にいえば「否定の否定」を経ることで、より見事な感興、心的状態の一般性を掘り起こす出来映えとなっている。

 「幽玄」とは何かも、こうした捉え方がなされなければならないと考える。



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(1) | エッセイ | 更新情報をチェックする

2016年11月15日

能は神事であった(2/2)


《2》
 能には「修羅能(しゅらのう)」というジャンルがある。『箙(えびら)』などがそれだ。主として源氏の武将が登場する能で、修羅ものは御霊が主人公になる。『箙』の場合は、梶原景季が登場する。彼は源氏方であったが、鎌倉幕府によって滅ぼされたので、御霊になる。『経正』『敦盛』は平家の武将、『屋島』は源義経、いずれも源氏方にとっての御霊になる。

 足利幕府、徳川幕府は一応源氏ということになっているので、平家や源氏が倒した武将=御霊を鎮魂することになる。そのゆえに江戸時代にもずっと能は、お城や本願寺のような寺で演じられてきた。能は武士だけのものであり、庶民などは四条河原や隅田川で勧進能として催されるときに隠れてみた程度である。

 仏教の葬式では死者の一代記などは葬式で述べないが、神道の葬儀では、通夜に神主が遺族から亡くなった人間の一生を聞き取り、葬儀の際に神主が死者の一代記(誄(るい)という)を細かくしゃべる。子どものときかから大人になってどんなことをしてきたかを語り、最後に○歳をもって「神上がりなさった(神になった)」としめくくる。これが仏教でいう成仏してもらう儀式にあたり、魂を鎮めているのだ。この死者の一代記は、神道の葬儀の核心である。

 だから神道である靖国神社には遊就館が附設してあって、明治から昭和の戦争史が展示され、英霊がいかにお国のために戦ってこられたかの「一代記」が顕彰されるのである。
 したがって、靖国には能舞台があるが、祟り神ではない明治天皇を祀った明治神宮には能舞台は不要で、ないのだ。

 靖国神社の歴史認識をアメリカや支那が文句をつけるようだが、日本の神道の伝統にのっとれば、あの展示はどうあっても英霊が信じた皇国史観にしなければ鎮魂にならないのである。靖国神社側が遺族の献金欲しさに、媚びて皇国史観の展示をしているわけではないのだが、そういう皮相な批判をするご仁がいる。

 御霊信仰を知らぬアホな代議士や官僚や創価どもが、すぐに米中に媚態を示して展示を変えようなどと言いだす。遊就館の展示を「太平洋戦争」にして、日本が侵略ばかりしてきました、などと変えたら、祖霊、御霊は鎮まらない。

 話を戻して、神道で言う誄(るい)=一代記が芸能と結びついて能に発展したのである。能ではワキが登場したあとで、主人公たるシテが登場するが、このシテが過去の亡霊である。義経のものであれば、彼の一代記のハイライトである五条の橋の上で弁慶と出会う場面とか、壇ノ浦の合戦の場面などが設定され、そこで義経の亡霊=シテが出てきて、ワキの僧侶などがこれをお慰めして再び霊界に戻っていただく、というようなストーリーになっている。

 この死者をお慰めする、生涯のハイライトを顕彰する、この世の未練を断ち切らせる、ということを芸能で演じてみせるありかた、これがやがて明治期になって、鎮魂の要素が薄まって、いわば純粋な芸能=芸術となってきたのである。そのわけは、近代西洋の藝術との相互浸透というよりは、やはり時代が変わるという強烈な背景に沿ったものだったのだろう。

 最初は祟りへの恐怖だったものが、時が経つにつれてその意図が忘れられ、死者に対する眼差しの温かさが把羅鉄抉(はらてつけつ=美点を探し出して用いること)されてヒューマンな中身となっていった。
 御霊をシテとして登場させて、それを僧侶などが祈祷するなどして成仏していただき、鎮かにおごそかに恨みを、この世の恨みを消し去って、あの世にお帰りいただく。

 これは死者の祟りを怖れつつ、死者に幸せになっていただきましょう、成仏とはそういうことですから、現世の私たちだけでなく、まだ迷って現世への執着を絶てないあなたも仏の力を借りて安穏な世界に行ってください。こんな思いやりある死者への接し方は、支那や朝鮮、インドネシアなどにはないのではないか。
 それが私たちの太古からの先祖の崇高で優しい認識であった。

 全能の神だの悪魔だの、戒律だのを柱とする外国の宗教とは神道は大きく異なる。神道は布教はしない。教義も戒律もない。だからというべきか、多くの宗教に特有の異教を蔑身、排斥する心根の狭さ卑しさは持ち合わせない。
 そこに淵源があるのだから、能が祟りを怖れつつも怨霊を「退治」することはない。静かに成仏していただくだけである。
 それがまた日本人の心の根幹を為すから、人を騙したり虐げたりするのが苦手である。

 それが連綿と、千年も二千年も続き、さまざまな要素(仏教とか支配体制とか農業形態の変化とか…)と相互浸透しながら、洗練され、中身のいっぱい詰まった芸能となって今日に至っている。
 それを読み取ることが能の価値であり、文化そのものの意義ではないか。ストーリーさえ分かればいい、小太鼓や横笛の清澄な音色に酔うだけでもない、人間にとって極め付き大事なココロを、能は教えてくれようとしている。

 能だけではなく、太古からの神道はそうなのである。だから日本人が、支那人や朝鮮人、アメリカ人、ロシア人どもと全く違う民度の高みを誇るのである。こんな高みを誇る神道も能も、外国人にはわかるものだろうか。

 ささいな日常を振り返ってほしい。日本人はキレイ好きでよく掃除をすると言われる。家の中だけでなく道路も掃き清める。それは他人を不快にしないためであったり、街の美観を整えるためであったりであるが、そのココロのありようは、根っこは能と同じく、太古の日本人が自然神、祖霊、御霊を大事にして生きようとしたからである。

 雨の日、傘を指して歩いていて向こうから人がやってきたとする。お互いすれ違うときに傘を傾けて邪魔にならないようにする。これは法律で決まっていることではない。だが、私たちがほとんど無意識的にそうやるのは、実に太古の私たちの先祖が対象との関わり方で創ってきたものである。
 こんなことは数えきれないほどある。
 それに外国人は感動して帰り、日本を好きになってくれる。能はその最高形態なのだと言えば、お分かりいただけようか?

 江戸時代までの能では、むろん男が演じるが、女性の役柄でも着物から毛ずねを出し、脚を開きながら平気で演じていたのである。そのくらい雑な芸能であったものが、明治になって素晴らしい美の要素として完成したのである。
 したがって、現在の能から世阿弥の『風姿花伝』を読むほど愚かしいことはない。世阿弥は世阿弥として、当時の水準での芸能観をものしただけである。

 現在の日本的美の極地とも言える能は、初代梅若実(100年ほど前)から始まったものである。女を演じる場合に足先をピタリと揃えるというような水際立った美しい所作などは、昔はなく、衣装も含めて梅若家が創ったものなのだ。近代能の創設者にして、能を本当の意味で芸術に高めたのは梅若実にその栄光は帰せられるべきなのである。そしてそのさらなる完成は昭和になってなのだ。 

 梅若実については、本ブログで検索していただければ、論考がある。


posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする

2016年11月14日

能は神事であった(1/2)


《1》
 先週の能の話に続けてもう少し述べてみたい。
 本稿は、2013年1月10日から12日にかけてアップした「能の歴史性を問う」を一部援用しながら新たに書き加えたものである。

 2006年ごろのことだったが、国立能楽堂(東京・千駄ヶ谷)では、座席字幕システム(日本語、英語)が設置された。座席の背に1台ずつ画面が取り付けられ、能や狂言を鑑賞しながら手前の椅子の背に表示される台詞が見られる。
 また最近は、スマホの画面でも能を鑑賞しながら台詞が見られるサービスもできたそうだ。
 たしかに能は、あらかじめ筋と台詞を知っていないと、何を言っているのか皆目……だが、こんなバカなサービスをしてよいものだろうか。

 テレビでも、やたらと字幕が出るのがうっとうしいと思っているが、なんと伝統芸能にもこういうハイテク(?)を使って過剰サービスをする。こういうことをしないと、若い客層が来てくれない、という意図なのだろうが、本当に日本の教育水準が落ちた証左のような話である。やや暗い座席で、青白い電光が目の前でチラチラしたら、鑑賞の邪魔になるのではないか。

 能は日本の文化遺産であるが、その前に神事なのだ。普通の観劇ではない。今では観劇の一つとして鑑賞するのは構わないと思うけれど、過去、猿楽から発展し、明治以降に藝術として完成の域に足した芸能なのだから、そこから日本文化ないし日本人の原点(ルーツ)を汲み取るべきなのである。

 能の世界が、今日の私たちに訴えかけてくるもの、それは藝術の本質でもあるが、「鑑賞者が要求するものに応えることと、鑑賞者が要求していなくても本来要求しなければならないものに応えることなのである。それには電光掲示で台詞を示してやることは、ただ「鑑賞者の要求に応える」レベルで終わらせることになりはしないか、なのだ。

 しかし、今日あるような能鑑賞のありかたの多くは、まったくの受け身的な姿勢である。あるいは有名な寺に出かけて仏像を拝んで来るのと変わらない。
 能は日本の誇る伝統芸能だと自慢するだけでは意味がない。あるいは、「自分は能を知っている教養人」とうぬぼれるだけでも意味はない。

 われわれがこの伝統芸能を誇るに足る日本人になること、これ以外にないのではないか。そうなってこそ、能の神髄が感得されるのであり、伝統保存の意義があるのだ。これはすべての藝術に共通する鑑賞のあり方、あるいは藝術保存のありかたの根幹である。

 藝術の目的は、ずばり精神の能動性の獲得である。感動することも悪くはないけれど、ただ感動してもしょうがないではないか。
 だから、国立能楽堂の座席字幕システムやスマホで読めるのは、苦渋の決断なのかもしれないが、進むべき方向が逆である。努力して能の世界によじ登るしかないものを。

 さて。
 能は、伝統の総合藝術とか言われるが、もともとは今日言う藝術ではなくて、集団(共同体)にとっての儀礼ないし神事でありつつ芸能(愉しみ)であったものである。発生当初は儀礼・神事と直接・不可分に芸能であったものが、後年、藝術的要素が相対的独立を果たす流れのなかで明治から昭和にかけて「能」としての完成をみたものと言えるだろう。

 教育とは個人が個性を発揮できるようにするためのものではなく、社会をきちんとするために行なうものであるように、芸能もかつてはそういうものとして発生した。すなわち「社会をきちんとするために行なう」ものである。
 社会に禍いが起きないように、社会や家族に良いことがありますようにとの目的で行なわれた。
 根本的には、藝術も個性を発揮するためにだけあるのではないのだ。

 能は儀礼と言ったが、もっと正確には、神道に淵源をもつ主として霊魂を鎮める芸能である。源は神道、と言ってもよいかもしれないが、神道という概念すらなかった太古日本人の「思い」とでも言いたいところである。神道は周知のように、日本独自の観念世界を形成してきた。

 それはあくまで日本人の共同体の観念的伝承性なのであって、個人の信仰ではない。
 すなわち、太古以来の日本社会をきちんと保つ目的で発生した。
 やさしく説くならば、神道における人と神の関係は、祖霊、御霊、自然神に分かれる。祖霊は先祖の霊魂。御霊は先祖の霊のうちの祟り神。自然神は月、風、樹木、岩石などである。

 神道では人が神になる。この場合は主に3つある。一つは祖霊で単純に亡くなった祖父母とかで、もっと著名なところでは徳川家康を祀る日光東照宮や明治神宮などがある。思うに、個人を祀ってある神社は東照宮にせよ明治神宮にせよ品格が乏しい。
 もう一つは天皇のような現人神である。新興宗教の場合は生き神といわれる。

 3つ目が御霊であって、これは祟り神である。非業の死を遂げた人、戦争や謀殺などで亡くなった人が、死後霊魂となって、この世に祟りを及ぼすという考え方である。菅原道真を祀った天満宮は代表であるが、靖国神社も本来そうだと思うが、祟り神というと現在では印象が悪くなるせいか、口にされない。戦前に、国学院大学でこの説を唱えた教授が、学内で居心地が悪くなったとか。

 『源氏物語』は、藤原氏が倒した政敵の御霊を鎮めるために書かれた“一種の芸能”であるとする作家・井沢元彦氏が核心をついた論及がある。能も同様の要素がきわめて大きい。
 室町時代に足利義満の保護のもとに世阿弥が出て、能がそれなりの完成を見たのち、戦国から安土桃山、江戸時代末までは武士たちの娯楽でありつつ、宗教(神道)的儀礼=神事であった。

 能は、それを鑑賞する武将らが、自ら手をかけて殺した御霊の祟りを恐れ、それを鎮めることを目的として、御霊が満足してくれるような音楽付きの劇を猿楽師や能役者に演じさせたものである。
 靖国神社にも能舞台があるのは、そういう伝統にのっとっている。戦争で亡くなった英霊を慰め、鎮魂するためである。夏に全国各地で行なわれる盆踊りは、盆に帰ってくる祖霊を慰めるためであり、また御霊となって祟らぬように、守護してくれるよう祈願するものである。

 さはさりながら、日本人の宗教心は二重構造、ないし三重構造になっている。純粋神道を探そうにもほとんどない。仏教とまじっている。
 まだ仏教伝来以前からあったいわば古層の認識、それが原始神道というべきもので、能の源流になっている。それは祖霊、御霊、自然神である。これが日本人と神との関わり方(認識)の基本である。
 その上に強制された外来の宗教である仏教が日本人の認識に入ってきた。
 宗教であるとともに、これは国家統治の道具として入ってきたし、貴族の死後の世界への恐怖を和らげる要素も加わった。それが証拠に、平安仏教は国家宗教(貴族が信仰する宗教)であり、国民の戸籍管理のようなことは寺がやった。

 その仏教に対してまつろわぬ一団がいて、それらが大和朝廷への抵抗勢力であり、また朝廷に敗れて賤民に貶められ、あるいは東北や北海道に追いやられた人たちである。その民の一部が山の民として、古来の神事を継承し、例えば門松とか榊とかしめ縄とかを都に売りに来たり、祝福芸をやって見せる獅子舞とか琵琶法師とかになり、猿楽をやってみせたりした。それらがやがて能役者らになっていく。もしかすると竹取りの翁なんてのはそうした賤民だったのかも。

 それで支那から来た支配者(藤原氏)に屈して、みんな下界の人たちは仏教を信じるようになっていった。だから大多数の日本人は原始神道と仏教の二重構造を持たせられたのである。それが長い年月続いたので、神道と仏教がごちゃ混ぜにされるようになった。
 能も神道の要素だけではなく、仏教の加持祈祷なんかの要素も加わるようになった。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする

2016年11月12日

鎌倉薪能をより高みに(3/3)


《3》
 鎌倉薪能では、金春流の解説者が能には四大流派がある。それは観世、金春、宝生、喜多で、なかでもわれわれ金春流は一番歴史が古く、聖徳太子からその名を頂戴したうんぬん…と語っていた。
 それはそれでまあ好きに言っていたらよろしかろうが、いささか手前味噌すぎる。

 能の四大流派とは世間がいうことであって、「能を完成させたのは、傍流とされて蔑まれていた梅若流です」、くらいのことは説明して、謙虚さを示すべきであった。
 能の四大流派の違いは、ネットででも調べていただければと思うが、ざっくり言えば以下のようになる。

 観世流は観阿弥世阿弥の直系とされる。室町時代には足利氏の本拠である京都奈良に基盤を置いた。足利氏が衰えて戦国時代になると将軍家や寺社の勢力低下のため、各地の武将を頼って京の都から地方へ流れていき、観世は駿河へ落ち延びた。
 その影響で家康が観世に親しむことになり、 江戸幕府でも各座の筆頭の地位を与えられて隆盛を誇ったのだ。
 梅若はその傍流だった。江戸幕府が倒れると、最大パトロンを失った観世は駿河に引きこもってただ呆然としていた。
 
 しかし初代梅若実がひとり頑張って能を今日の藝術性の高いレベルに引き揚げ、やがて能が復活して、観世も幕府に頼らずに一般大衆を観客として受け入れて東京に再度出てきて、現代につながっている。
 今日の能の隆盛の基盤を創ったのは梅若流である。しかし、四大流派は心が狭く、それを頑に認めない。だから大衆も、その真実の事情を知らない。
 もしも、四大流派の能関係者に、現代の能は梅若流が創ったのですか? と尋ねたら、断固否定するだろう。

 足利氏が衰えて、能の各流派は幕府からの公的扶助=禄米を頂くことが受けられなくなっていた。苦しいところに追い込まれていたのだ。それを復活させ隆盛にもっていったのが、豊臣秀吉である。
 秀吉自身が賤民の出で、能の連中はいわば同胞だったからかもしれない。また、なにせ天下を取った男だから、政敵を押しのけ殺してのし上がったわけだから、誰よりも怨霊を怖れたのではないかと思う。

 秀吉は大変な能贔屓になり、なんと自分でも能を創って自ら演じた。それは「明智退治」といった(笑)。
 金春流は、当時名人とされた金春大夫が金春であったことから、 秀吉は彼を召し出し、その後援で流勢を大きくした。
 宝生流は、 江戸期の第五代将軍綱吉がひいきにしていたため、盛んになった。綱吉は大の浪費家であったから、宝生のパトロンになることで、国家財政を傾けてしまった。それを必死に経済再生をなし遂げたのが荻原重秀であった。綱吉といえば犬公方の話ばかり流布されるが、荻原重秀を忘れるべきではない。

 宝生流は、今でも石川県=加賀で盛んである。出は金春だったのが、加賀の前田家に仕えていた。豊臣の時代は金春だったのが、江戸時代になって、前田家は最大の大名とはいえ外様にさせられた。そのために綱吉に迎合すべく宝生流に変えた。要は、秀吉が贔屓だった金春じゃありませんと言って、徳川家に忠節を誓ったわけである。

 喜多流は、徳川秀忠の時代に新しく認められた流儀である。
 金剛流というのもあるが、この流派はそうした権力者によるひいきの恩恵を受けたことがない。

 いずれにしても、能は世阿弥が猿楽を洗練させて大成したと言われる。しかし、世阿弥が今日見られるような能にしたわけではなく、今となっては見ることは叶わないが、もっと素朴なものだったろう。
 それがざっくり言えば、戦国時代の各派が資金的にも興行的にも苦労したなかで、神事性や藝術性のようなものは深まっていき、江戸時代に入って大名がパトロンとなって安定期に洗練の度を高めていったものであろう。

 だが、パトロンの庇護を受け、さしたる向上の意欲がなくても代々継承していけるとなれば、増長や怠惰を生むのもまた人の常である。
 四大流派たちは大名の庇護を受けて安穏としていられた。だから徳川幕府崩壊によってパトロンを失うと、これからどうしようという意欲も失っていたのだろう。
 唯一、そうした庇護を十分には受けられなかった傍流の梅若流のみが、苦しさをバネにして再起していったのである。

 なぜ梅若流が成功したかについては、また別の興味深い意味があろうかと思われる。推測でいえば、幕末から明治にかけて、ヨーロッパ文化が“侵入”した結果ではないかと思われる。東洋の(日本の)近代化はヨーロッパの強制によるものだ。資本主義も軍事力行使もそうだし、巨大産業化、金融市場化など無数にある。
 ヨーロッパは自己改革して封建的なものから自己解放をし、自由な資本の発生、国民国家の誕生(市民の出現)、独立的・平等的個人の成立などなどが、一気に日本に流入した。
 能もその相互浸透を拒否できず、いわば強制的に改革の波を被ったのだ。梅若だけがそれを前向きに捉えたのだと思う。

 能の流派は、今はなんとか復活して、国からもおそらく伝統芸能として支援を受けるなどしているだろうが、世阿弥の昔から続いている日本文化の粋で…と言って、古いことだけ自慢しているのは恥ずべきことではないのか。
 四大流派は昔は大名の庇護に頼り、現代では梅若が完成させた藝術的要素を真似ている。これを伝統に胡座をかく、というのである。

 なにも能にかぎらない。華道、茶道、剣道、柔道、和歌、俳句、日本画……どれもこれも、文化や思想性、美などを人類の文化遺産たるべくランクを上げる努力をなしていると言えるのだろうか。
 最高の見本が、空手界にはある、日本武道空手玄和会が。
 しかし、誰もがその血のにじむ苦難の過程と成果から学ぼうとしない。無視である。

 無視していれば安泰だからだ。マスゴミも取り上げてくれる、大衆もなんだかわからないけど、日本文化なんだと思ってカネを払ってくれる。なまじ変革させたら、人がついてこられなくなる…と怖れるのだろうか。

 世阿弥が創ったころの能は、むろん時代性ゆえに今より素朴だったり、野卑だったりしただろう。それをバカにしたり軽んじたりしてはならない。彼・世阿弥は命懸けで創造したのである。その意気、野望、あるいは歴史性の理解が現代の能関係者には皆無ではないか。
 何度か本ブログで書いたが、バレエにしても、昔は猥褻な踊りでしかなかった。それをアンナ・パブロワとかマイヤ・プリセツカヤなどが、藝術として完成させたのである。

 われわれが真にそうした藝術から学ぶべきは、ただ鑑賞し、ただ感動することではないのである。
 世間には「わたしは仏像を見るのが好き」と言うご仁がいるが、仏像にしても見る?拝む? それ何やってんの。仏像を見るとは、自分もその精神性の高みを仰ぎ見て精進するためである。あるいは自分がその先達の魂を誇れるに足る日本人になることではないのか。

 今回観た鎌倉薪能は、むろんそこそこに鑑賞できる水準ではある。感動もさせられるだろう。だがどこに発展の芽がある? あるいは鑑賞者をして(平俗な言い方をすれば)、「よし、おれもやるぞ!」と奮い立たせるものが出せたのか。
 能は幽玄でござりまする…と言うかもしれないが、その幽玄という言葉、あるいは像を、伸ばし、実らせ、内容が充実していってその重みでそれこそ自然に割れて新しい種や芽が出たわけでもない。
 ただなんとなく「解釈」しているだけ。

 日本人のほとんどが、そんなことには無関心だ。解釈しただけで満足している。藝術、芸能の鑑賞とはそういうものだと思い込んでいる。
 だが、おそらくは世阿弥は、または梅若実は、他に類がない発展性を自己としていたのであろう。
 そのうち、現代風にとか言い出して、ジャズとコラボ、歌舞伎とコラボ、なんて言って、それをもって新しい!などと言うのだろうか。現に能と現代音楽のコラボはある。

 梅若の功績を、悔しいからと言って、無視し大衆に隠しているようでは、絶対に発展はない。梅若から学ぶべきはただの能の姿形ではなく、意気であり、魂なのだ。
 だから流派の違いなんかどうでもいい。そんなことはアホな新聞記者にでもやらせておけ。

 ヨーロッパの本質は無限の前進、発展であるが、東洋にはそんな精神がない、と記したのは、評論家の竹内好だった。だから東洋は西洋の侵略に実体的にも精神的にも負け、今も負け続けていると説いた。
 ヘーゲルが典型であろうが、人間が自己運動する運動の主体であった。真理そのものが生成発展的であると西洋では認識されている。

 しかし東洋にはない(近代以前にはあった)。かろうじて日本には何人かが出た。聖徳太子、義経、信長、秀吉。藝術分野なら、世阿弥、芭蕉、梅若実、光厳院と永福門院などもそうだろうか。でも、支那、朝鮮、東南アジア、中東、誰もいないだろう。モンゴルにチンギス・ハーンは出たけれど、他に絶無と考えれば、やはり日本の英雄・義経があちらで再起したと思う方が自然である。

 悔しいけれど、ヨーロッパにはキラ星のごとく…ではないか。
 それがやっと、近代で初というより史上初めて登場したのが南ク継正先生その人だった。

 この続きはまた来週に。



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする

2016年11月11日

鎌倉薪能をより高みに(2/3)


《2》
 肝心の鎌倉宮での薪能に入っていきたい。本来的にはその前に能とは何かの全体像を説いておかなければならないところだが、それは稿を改めて説くことにして、鎌倉薪能の感想を述べていく。

 鎌倉薪能のパンフレットを読むと、何人かのご仁が「作文」を載せているが、本気で能がわかっている人はいないように思う。
 開演前に金春流の者が解説していたが、これをご覧になって日本の古来の文化に思いを馳せ、優れた文化を味わってほしい、みたいな当たり障りないことを語っていた。

 へえ、じゃあその味わうべき日本文化の中身は? と問えば、おそらく答えられまい。神秘的とか、幽玄でとか、聖徳太子の時代からあった芸能だとか、そんな低度のことしか言えまい。
 観客も、能は世阿弥の創出した藝術だと思い込んでいる。それ以上、勉強しようとしない。
 高尚な能を鑑賞するほどの教養があるざあます、と自慢したいために、どうせ途中で居眠りをするだけなのに、見栄をはるのみ。

 あるいはテレビのCMで狂言の野村萬斎を知っているから生で見てみたいとか…。
 ある人から愉快な話を聞いた。知人から能のチケットをあげるから観ていらっしゃいと誘われたという。でも能のことなんか知らないというと、では詳しいおじいさんがいるから隣りの席に座らせてあげる、彼から話を聞きながら観れば大丈夫と言われた。

 で、能の会場に行って、件の老人に解説をよろしくと言ったら、その老人はなんと「能のいいところは良く眠れるんです」と答えたそうだ。結局、事前の知識なしに聞いていたって何を言っているのか分からないし、やっぱり眠ってしまった。終わって目をさますと「ほらご覧なさい、良く眠れたでしょう」とにっこりしたとか。

 鎌倉薪能での能の演目は「葵の上」であった。
 これは御霊信仰にもとづく能である。御霊とは祟り神である。非業の死を遂げた武将や女が祟り神となって登場する。それがシテである。それを仏の法力で成仏させてさしあげ、現世への思いを断ち切って、二度と祟らぬように…とする神事なのである。

 祟り神として出て来るものには、武将なら修羅物と呼び、女なら狂女物と言う。「葵の上」は御霊であり、狂女物と分類されよう。狂女物としては「道成寺」とか「井筒」「砧」などがそうである。
 「葵の上」はご存じ『源氏物語』からとった題材だ。光源氏の正妻・葵の上が物の怪に憑かれて伏せている。葵の上に取り憑いているのは今や容色衰えて光源氏が通ってきてくれなくなった六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)が生き霊として祟っているからだと判明する。そこで比叡山の小聖(こひじり)を呼んで来て祈祷をさせ、最後はめでたく成仏させる物語になっている。

 『源氏物語』では六条御息所は生霊だが、能では死霊に替えられている。
 能を鑑賞したものは武将で、パトロンにもなっていた。武将たちは政敵を陰謀やら戦争やらで殺しまくり、財産を奪ってきたから、まあ寝覚めが悪いのである。殺した相手が祟るのが一番恐ろしい。それで古来伝統をひきついでいる賤民に神事をやらせて、鎮魂というか成仏してほしかったのだ。

 それが修羅能である。「葵の上」のような狂女物は、男どもにしてみればたいてい女に恨みをもたれている身であって、愛人や女房にどうも疾(やま)しいことがある。だから男を恨んで祟られては怖いから、これも神事として、生霊や死霊を追い払ってほしい。そういうものだった。

 しかし、能を鑑賞する人のほとんどはそんな由来は知らなかろう。古来の芸能とか藝術なんだと思って観ているのではないかと思う。だが、何を言っているのもストーリーもさっぱりだから、やっぱり眠くなるしかない。
 私に言わせてもらえば、能を「今の能」からしか理解しようとしないからである。広く捉えれば、日本に人の集団が登場したときから、狭く捉えても室町時代から続く神事が何がしかと相互浸透し、量質転化して今日の「藝術的能」になっているのである。

 その縦横の過程的構造を理解せずしては、わかるはずもない。「ああ、これが幽玄か」とか「なんか神秘的」というあやふやな像を描いている。
 今回の薪能では、開演前に能舞台に主催の鎌倉観光協会や市長がずかずか上がって、マイクで祝辞だか挨拶だかを行なったが、そもそもそれからして、能を行なう意味すらわかっていない「暴挙」である。

 金春流の連中も、それはやめてくれと言わなかったのか。プライドがないねえ。舞台は神聖な場所だから「俗」をもちこんではいけない。「翁」にしても、演者はそれなりに出演前は斎戒沐浴、別火物忌(べっかものいみ)をするものだ。今は簡略化されているらしいけれど。なにせ神を演じるのだから、歌舞伎や新劇なんかとはわけが違う。

 観客のほうも、ほとんどの人が狂言と能が終わったあとに拍手をしていたが、これも能をまず神事と認識していないことからくる無作法である。
 例えば地鎮祭でもいいし、子供の七五三参りでもいいが、神主が祝詞を言ってお祓いをした後で、庶民側が拍手するか、というんだ。それと同じことである。

 能を今日的に藝術として鑑賞することは、許されているし、大いに結構ではあるが、拍手はもとは西洋のシキタリであって、日本ではなかった。そんなことをしなくても、日本では客も主演者も、良いか悪いかは伝わったのだ。また、それを理解できる者が能を観る資格があるのである。拍手したければ大衆芸能の歌舞伎にでも行け。

 歌舞伎は、終わると緞帳が引かれ、拍子木が打たれ、派手にさあ大団円という演出だが、能はゆったりと役者や地謡などが退場して行き、静かに余韻を残しながら終わるものである。
 それに御霊や祖霊の場合は、やすらかに成仏していただいて、納得して黄泉の国へとお帰りいただくのだから、終わって拍手して騒ぐのはまったくぶち壊しである。

 主催する能の演者側も、わかっていないのか、大衆におもねているのか。事前に、能には拍手は似合いませんので、ご遠慮ください、と放送すればいいのに。そのほうが、はるかに余韻を味わいながら帰宅の道を辿れるだろうに。



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(3) | エッセイ | 更新情報をチェックする

2016年11月10日

鎌倉薪能をより高みに(1/3)


《1》
 10月初めに鎌倉市の鎌倉宮にて「鎌倉薪能」が催され、観に行った。能は能楽堂で何度か観たが、野外で行なわれる薪能は初めて。
 その薪能について書くつもりだが、その前に鎌倉宮について記しておきたい。

 鎌倉宮は、明治2年に偽明治天皇の指示で造られたことになっている。
 祭神は後醍醐天皇の皇子護良(もりなが)親王である。父とともに鎌倉幕府を倒し建武中興を実現した勲があり、征夷大将軍に任ぜられた。その後、足利尊氏との対立により足利方に捕えられて鎌倉に送られて東光寺に幽閉された。建武2年(1335年)の「中先代の乱」が起き、尊氏の弟の直義の命令で殺められ万事休す。

 そして、明治維新となって幕府から天皇中心の国家統治へ復帰したことを言わば祝して(増長して)、いにしえの建武中興に尽力した護良親王の功を賛えるため、明治天皇が護良親王を祀る神社の造営を命じたのである。

 しかしながら、そもそも今から過去をうんぬんしても詮無いことながら、建武の中興はおよそ歴史に逆行し、ナンセンス極まるクーデターであった。もう武家社会になっているのに、平安時代に何もかも戻そうと企んだ愚か者が後醍醐院である。統括能力もないくせに。
 おかげで戦乱に巻き込まれて罪もない人々が亡くなった。
 それへの反省も鎮魂もなく、護良親王たった独りを顕彰し慰霊するとは、歴史への冒涜である。

 足利尊氏のほうが歴史の流れからすればまっとうであった。正統である北朝をよく守ってくれた。江戸時代までそういう認識で、とりたてて尊氏が悪党ではなかった。
 ちょっと脱線すれば、現代になぞらえれば、後醍醐院は財務省の財政健全化派であり、足利尊氏は自由経済で成長戦略重視派であろう。江戸時代でいえば、後醍醐院は新井白石、水野忠邦、松平定信らの財政規律・緊縮財政派で、尊氏は荻原重秀や田沼意次らのような経済成長路線派である。

 天皇親政が理想の政治って、そんなものは後醍醐院の妄想で、平安時代だって天皇親政ではなかった。せいぜい天智・天武の時代の話である。そんなものにすがろうとした薩長ゴロツキテロリストがいかに国家ビジョンがなかったかの証左が、この鎌倉宮であり、護良親王を祀ることだった。

 話を戻すと…。
 維新政府の愚物どもが、護良親王を殺したのが足利尊氏だったとして、一躍尊氏を最大級の悪者、天皇を蔑ろにした逆賊とレッテルを貼られた。武士の風上にも置けないようなゴロツキの楠木正成を、忠臣に祭り上げて、稀代の英雄にさせた。
 あえていえば、江戸時代には荻原重秀や田沼意次は悪者にされて、緊縮財政論者が正しいとされたのと似ている。

 国民に天皇に逆らい、護良親王を殺した尊氏を憎めと宣伝して、教科書で教えこもうとした。
 その一環で、鎌倉宮は建てられ、護良親王が祀られた。イカサマである。

 鎌倉宮には護良親王の墓所と、幽閉された土牢がある。しかし、あの土牢は『太平記』にあった記述をもとに明治維新後に復元したものだから、デタラメもいいところ。
 『太平記』は『平家物語』や『義経記』などと同じく、正式の歴史書ではない。ただの三文小説みたいなものである。
 蒙古の『元朝秘史』も、嘘で固めた物語である。
 こんな類いのものを本当の歴史と思って研究する研究者はバカである。

 いくらなんでも、鎌倉宮のあんな防空壕のできそこないみたいな土牢では、人は三日と生きられるはずがない。
 行ってごらんになればすぐわかる。ただ剥き出しの地面で、布団も敷けない、トイレもない、それでは何カ月も閉じ込めておけない。

 なんで無理矢理そんなイカサマをやって、今も見せ物にしているのか。
 江戸時代の最後、孝明天皇と本物の明治天皇は北朝である。それを明治政府は覆したかったのだ。
 明治政府が南朝正閏説を取り入れて、後醍醐院を祭り上げるために、息子の護良親王を悲劇の人に仕立てたかったのだろう。

 護良親王は確かに非業の死を遂げた人物であるが、後醍醐院にも逆らったのであり、もし明治維新になっていなければ、見向きもされなかっただろう。
 神社に祀るのは英雄の場合(東郷神社や乃木神社)もあるが、菅原道真の天満宮とか靖国神社のように祖霊ないしは怨霊を鎮めるために造る場合もある。

 だから本来の神道流の考えなら、護良親王は御霊=怨霊になりかねない存在である。しかし明治政府が大英雄に仕立てたかった後醍醐院の息子だから、怨霊として扱うことは憚られたのではないか。なんせ皇族だから。
 にもかかわらず、鎌倉宮に護良親王を祀った手前、能の神事はやらないと格好がつかない。

 能のジャンルのなかでも、源氏方の亡霊(祟り神。義経や梶原影季など)が出て来る修羅能(しゅらのう)ではこれまた格好がつかない。護良親王は源氏と敵対した人物だったし、源氏に殺された。
 かといって、平家を鎮魂する能でもおかしい。

 私が観たときは「葵ノ上」という源氏物語を題材にした演目であった。修羅能はやりにくいし、ただの祖霊でもないし…。
それでしょうがなくて、狂女物を選んでいるのかな、と…。宮中の物語だから、宮中の人だった護良親王にはなんとかこじつけられると思ったのか…。裏読みしすぎかもしれないけれど。

 鎌倉宮に行くと誰でもわかると思うが、鳥居を見ればなんとも品がない。魂が入っていないのだ。明治神宮なんかも、そこはかとなく格が落ち、屋根なんかはペラペラのブリキみたいな感じだ。驚くべきは明治神宮の参道にずらり酒樽やぶどう酒樽が並んでいる。
 大昔からある由緒正しい神社はそれを造った人の入魂の作なのである。当時としては最高の文化であるし、大工などにとっては名誉なことであった。

 今風にいえば、国家の高みとしての造営であった。
 だから隅々にまで気持ちが入っている。熊野神社、出雲大社、下鴨神社、天満宮などなど、変だなと思わせる姿形にしていない。
 言いにくいけれど、靖国神社も明治の創建だから、やや落ちる。
 ばかでかい鳥居、大村益次郎の銅像、貧弱な能舞台、裏にある池…などは入魂していない感じを受ける。

 なのに鎌倉宮には、「ま、形ばかりは…」の神社である。単に新しいからではなかろう。造る動機がよこしまだったからだ。ゲスの薩長テロリスト、最下級の教養もない武士がクーデターで無理につくった政府だからだと、この神社からも見てとれる。品のなさは隠しようがない。
 青山繁晴氏が絶賛する京都の霊山観音・霊山神社も、明治になってからのものだから、どことなく品がないではないか。

 もし神しろしめすのなら、やはりそうした不純な動機でつくられた神社は許さないであろうに。



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(3) | エッセイ | 更新情報をチェックする

2016年11月09日

自然の友だち地衣類


 あるとき、友人と鎌倉の切り通しを散歩しているときに、サクラの木やウメの木の幹に薄緑色した地衣類がこびりついているのを見つけた。そばには堀になった小さな小川も流れていて、その壁面にもいっぱい地衣類があった。
 たぶんなんだか知らないだろうと思って、「あれはなんだか知ってますか?」と尋ねた。

 「コケ?」と言うから、そら来た!(笑)とばかりに、ミ二講義をしてさしあげた。
 「あれは、外見はコケに似ているけれど、地衣類という植物です」と。「へ? 地衣類? 聞いたことない…」
 
 学校でも教わることはほとんどないだろうし、食べられたり害になったりするものでもないから、誰でも見ているのに、知らない気の毒な植物である。動物にもこびりつく植物にも害はない。
 サクラ、ウメ、ブナなどの樹皮や湿った家の外壁、ドブの壁などにいくらでも貼り付いている。
 たいていの人は「コケの一種だろう」と思い込んでいる。

 生長が極めて遅い一方で、長寿だから、みなさんもウメやサクラの古木が絵に描かれているのを見たことがあるだろうが、その幹に描かれている。若木にはほとんど付いてないのはそういうわけである。

 あるいは、深い山奥なんかの樹木の枝に、緑色の薄布状のものがたくさん垂れ下がっているのを見たことがあるのではないか。ちょうど樹木に寄生しているかのようだし、クモの巣の壊れたもののようでもあって、気味が悪いと思われるかもしれない。不気味な恐怖映画に出て来るみたいである。だが、あれはサルオガセの仲間の地衣類である。
 ほかの地衣類と同じく、水分と光合成だけで生育し、栄養を他からとることはない。

 地衣類とは、菌類のうちで、藻類やバクテリアを共生させることで自活できるようになった植物であり、一見ではコケ類などにも似て見え、名前に「なんとかゴケ」と付いていることが多い。
 しかしコケとは、形態的にも、構造も全く違うものである。

 地衣類が好む環境は、コケや単細胞緑藻類(例えばクロレラ)、シダ類と重なるので、それらとよく混在している。
 初めて聴くという方は、ネットで検索して写真をご覧いただければ、すぐに「ああ、あれか」と分かるだろう。

 なにせ、超地味な植物だから、人にもあまり気づかれない。
シベリアの荒野では冬の間にトナカイも食べるものがなくなり、地面の雪を除いて地衣類を食べていると聞いた人もいるだろうが…。
 有用になるものは少ないが、身近なところではイワタケは食用になる。乾燥させたものを水で戻して、炒めたり酢の物にしたり。サルオガセは漢方薬になるものもある。

 リトマス紙の原料になるのは「リトマスゴケ」だ。染料に使われるものは結構ある。
 でも、ここで私が言いたいことはそう大仰なことではないし、単に知識を披瀝するためでもない。

 あんな目立たない、益になるケースは少なく、それこそ存在をコケにできるほどのものに、私たちの先祖はちゃんと名前を付けたことである。ウメノキゴケ、サルオガセ、ヤマヒコノリ、マツゲゴケなどなど。コケ類と混同したのはしょうがない。
 地位類やコケだけではない、すべての植物に名前がつけられている。サクラや松ならともかく、こんな小さな地衣類にまで目が届いてかわいらしい名前が付けられている。

 これはすごいことだと思いませんか?
 散歩中に私から地衣類の講釈を聴いた人は、「今まで完全に知らなかったけど、知って眺めてみると、愛着というかかわいらしいとも思えますね」と言っていた。
 そのとおりなのだ。名前を知ると、にわかに親しみが湧くと思う。
 ささいなことながら、この感性に私は自分自身でも感動する。

 遠い、どこの誰とも知れぬ先祖が、みんなで決めて名前を付けたり、有用にしてみたりしたのだ。
 わが国には独特の、自然神信仰がある。これを「信仰」と、西洋風に呼ぶのはおかしいとは思うが、まあ仮にそう呼ぶしかない。
 山川草木すべてに神が宿るとか、人は死ぬと神あがりなさるとかが、神道の基礎である。
 
 端的にはその考えと「直接に」、まったく取るに足らないような地衣類にも、親しみを込め、あるいは神性のようなものを感じながら命名したのだろうと想像する。
 それを日本人の「優しさ」と考えてもいいのかもしれない。

 もちろん、元は自然への恐怖、すなわち食べると死ぬとか、災害をもたらすとかを知ろうと努めた人類が、それに名前をつけることで仲間や子孫に危険性を教えるため(あるいは有益なものを伝えるため)だったかもしれない。

 しかし、そのいわばプラグマティックな意図だけに日本人は終わらせなかった。
 細やかな、自然と対立しない共生的な、考え方が、千年二千年の時の流れを辿って、現代の私たちに脈脈とつながっている。

 私もそうだが、友人が「知ってみると地位類に愛着が湧く」とする、その感覚、感性は実に千年二千年の歴史性を背負っているのである。
 でも、往々にして最近は、受験秀才ほどその大事な感性が枯渇しきっている「新人類」が登場していることが悲しい。
 「これはウメノキゴケと言って…」と説明しても、なんの興味も示さない人もいる。

 それどころか、「モミジが色づいて秋になりましたね」とか言っても、まったく無関心。それがどうしたという態度をとる人もいるのには心底驚かされる。たいてい、こういう人は「他人の気持ち」がわからない場合が多い。
 日本人は、世界でも稀な民度の高さを誇るが、人の気持ちがわかる感性も秀でていると思う。それは昔昔の人が、優れた感性を磨いて(互いの人が磨き合う社会だったので)、例えば土着信仰の形で、例えば和歌を残すことで…、のように子孫の私たちにつないでくれたからである。

 その意味で、私たち個人が今、神道や仏教に背をむけていたとしても、深いところで認識に反映している(沈潜している)はずなのだ。
 私たちは、地衣類なんか興味ないよと忘れてしまうだろうが、そんな地衣類にも、たとえば健気に存在しているんだなと温かい眼差しを向けて、良い品のいい名前をつけたり、やたらにいじめたりしない、その見事な自然との共生の意識は、嫌でも私たちの感性となっているということを考えてほしいと思う。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(8) | エッセイ | 更新情報をチェックする

2016年11月08日

日本独自の“オリンピック”を開催しよう


 オリンピックに関して一つの提言をしておきたい。
 現在のカネまみれ、利権まみれのオリンピック、パラリンピックはもう止めるか、一部のアホにやらせておけばいい。
 どうしてもやりたいアメリカとか、ロシア、支那でやったらいい。日本でも参加したい人は自費で行きなさい。政府の援助は期待するな。

 貧乏な国はどうあがいてもメダルに届かない。こんなバカな話があるか。そもそものキレイ事ではあるが、オリンピック精神はどこにもない。醜くカネを使って、メダルを奪い合うばかり。

 それで、日本は「本当の五輪」を新たに創るのである。2020年東京五輪に莫大なカネを使うくらいなら、その何万分の1かの予算で、世界中の人を抽選で招待して、東京だけでなく各地で運動会をやるのだ。
 駆けっこ、大玉ころがし、玉入れ、障害物競走、パン食い競争、リレー、こういう普通の日本の小学校でやっている運動会の種目をやればいい。特別のトレーニングは不要だ。

 ドーピング検査もいらない。
 「微妙な判定」の場合は、どっちも勝ちにしたらいい。選手どうしが恨んだり、やれ提訴だ抗議だボイコットだとの醜い騒ぎになったりしない。楽しければいいのだ。
 ちょっと介助すれば障碍者だって楽しくできる。
 別にマスゴミが大々的に宣伝・報道してくれなくていい。あんな奴らはクズなのだ。

 優勝した人には、日本のどこかの温泉に無料招待する。古代ギリシャに敬意を表して、月桂冠を差し上げるくらいならいい。後は全員に参加賞として、日本独自のお土産をさしあげる。
 オリンピックではとうていメダルも報奨金も得られないような、アフリカとか南米とか、中東や太平洋や大西洋の島嶼の人たちにはぜひ来てもらう。

 これは一度ブログで書いたことがあるかもしれないが、ヒントは日下公人氏が言っていたことだ。
 昔、日本が南洋の島々を信託統治していたころのこと。日本人は各地で原住民を招いて運動会をやったそうだ。むろん、原住民はなんのことだかわからない。でも面白そうだと、小さな小舟を漕いで会場の島にやってきて、みんな参加して裸足で運動会をやった。

 大いに盛り上がり、原住民たちも大喜びで、日本人との距離が一気に縮まったそうだ。
 当時を知る古老に聞くと、なつかしそうに「あれは楽しかった」と言うのだ。
 南洋の原住民たちは、スペインやドイツ、アメリカなどに植民地にされて虐待を受けた。ところが日本人は仲良くしたいとやってきた、と。

 その再現を21世紀にやればいい。支那や韓国、欧米の白人どもが言いつのる「日本が悪い国だ」のデタラメがなくなっていくだろう。日本人が南京で虐殺をやっただの、慰安婦を性奴隷にしただののも消えてゆく。奴らの邪悪な工作は失敗する。
 それに同調する日本の反日サヨクも、根拠を失う。
 世界中の人たちが感動とともに、日本を理解する。

 毎年、秋にでも1万人単位くらいでご招待したらいいではないか。政府主催でやるのだ。たいしたカネはかからない。観客は立ち見でいいし、野外でいい。秋晴れの大空の下でみんなで楽しく運動すれば、日本はなんとすばらしい国だと感想を抱いて帰っていくだろう。
 その様子が、ビデオで撮られて世界中に動画で拡散する。何億という人たちがそれを見て、みんなが日本の運動会に来たいと思うだろう。

 支那人だけは呼ばない。主旨が理解できない連中だからだ。北朝鮮も拉致被害者を返さないのだから、呼ばない。
 アメリカや韓国、ロシアなんかも呼びたくないが、まあ我慢してやってもいい。

 昼飯は日本人と一緒にゴザを広げて座って、おにぎりを頬ばってもらう。屋台の焼きそばや綿飴を食べてもらってもいい。
 フークダンスも全員でやる。夜は夜で、全員で盆踊りだ。おいしい日本酒や焼酎を振る舞い、家庭料理を堪能してもらう。

 唱歌も合唱したらいい。日本の美しい歌を覚えてもらって、国に帰って広めてもらうのだ。世界中に日本人のココロが染み込んでいくだろう。
 
 これが本当の「おもてなし」ではないか。
 そういうことをやっていれば、日本がテロリストに狙われるようなことにはなるまい。日本の製品も買ってくれるようになるだろうし、また自費で旅行に来ようという人も増えるだろう。
 豪華な競技施設を造ったはいいけれど、のちのち維持費用を子供孫の世代に押し付ける愚をやらかすのではなくて、世界の人に喜んでもらうことこそ「レガシー」というべきだろう。
 



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(1) | エッセイ | 更新情報をチェックする

2016年11月07日

オリンピック出たけりゃ自費で行け


 スポーツ庁は、東京オリンピックとパラリンピックへの援助ならびにもっと先の日本のスポーツ育成のために、どんどんカネを使うと公言している。
 聞くところによると、2020年の東京五輪まで年に100億円、4年間で400億が文科省から計上されているそうだ。
 パラリンピックにも同様に大幅に増額を計っているらしい。

 メダル獲得数が多い国ほど、莫大な強化費用を費やしている。日本はその点で少な過ぎるとスポーツ関係者は憤っているようだが、カネをかければかけるほどメダルが取れると考えることが狂っている。
 バカみたい。
 スポーツしたけりゃ自費でやれよと言いたい。

 日本は現在、韓国、ロシア、支那に領土を侵されていて、国防が喫緊の課題になっているのに、自衛隊も海上保安庁の予算も削られている。海保の巡視艇の3分の1は寿命の終わった老朽艦で、新しく出来ないでいる。それなのに、スポーツにはしこたまカネをつぎこんで、結局ドブに棄てるようなことをやらかして、アホか。

 東京五輪は3兆円を超える!? そんなお遊びに蕩尽しちゃってどうする。国防費につかえ。

 2020年東京五輪のカヌーとボートの競技会場建設にかけるカネが、最初の予算69億円が7.5倍の491億にも膨れ上がった。明らかに都とゼネコンと政治家の癒着談合が背景にあると誰でも見て取れる事態になった。さすがに選手たちのなかから、「まずい」「これは俺たちに逆風だ」と察した賢い者が出てきているようだ。

 そんな贅沢三昧の施設を造っても、日本選手が大活躍する目途は立っていない。税金使ってふざんけんなよと国民から批判を受けかねない。
 ボートの愛好家は都心にそういう豪華施設がほしかろうが、そこまで税金にたかって(人様のお恵みで)、好きなスポーツをやる意味がどこにある? お前等は乞食か。なにがレガシーだ。

 カヌーやボートの選手が海の森でやるのを嫌がるのはまだまともだ。森喜朗を筆頭に、もう決めたことだからとブー垂れているやつらこそ、後々選手が気の毒なことになるという配慮は皆無だ。

 オリンピックは巨大な利権である。昔はこじんまりやっていたパラリンピックが巨大化し、大騒ぎするようになったのは、そこにも関係者どもが利権を広げたからだ。
 障碍者の人もスポーツを楽しむことは大変結構だが、パラリンピックは、人の世話になりすぎじゃないのか? 全部を、健常者の係員や審判にやっかいになって、それで嬉しいのか?

 マスゴミは、障碍者と健常者の「共生」などと妙な美辞麗句をつかって煽るが、透けて見えるのは障碍者に競技をやらせて、それに利権としてたかる有象無象がいるということだ。

 余談ながら、リオのオリンピックでもパラリンピックでも、勝った選手の派手な振る舞いには私は顔をしかめたものだ。
 金メダルが決まった瞬間に、床に寝転んだり、万歳したり、「チョー気持ちいい」「最高で〜す」を叫び、もらったメダルをカメラマンに言われるままに噛んでみせたり、あれは日本人のマインドではない。

 毎日新聞はパラリンピックの入場行進をする車椅子の選手が、大口をあけて叫んでいる写真を1面トップに掲載した。なんというはしたないことをやるのか。大口を開けながらわめき、片手を突き上げているざまは無様で、やったバカも悪いが、その写真を当たり前のように選んだ新聞記者もみっともない。

 そんなことは「車夫馬丁」がやることなのである。オリンピックに、他人様のカネを恵んでもらって出るなんていうのは、そもそも車夫馬丁の所業なのである。

 しかし、「悪貨は良貨を駆逐する」だ。日本文化は世界のブタどもと付き合いを深め、広めて相互浸透して、理解できる人が激減した。

 9月26日のブログで「軍刀の操法について」を掲載した。あの中で、町人風情が剣道場に入ると、とたんに武人の礼儀や美意識が失われ、ひどいありようになったことが説かれていた。
 今のオリンピックなどは勝負だけに拘泥し過ぎである。あれだけ税金から援助してもらっているからにはメダルを取らなければ、の思いに駆られるためか。

 たとえ勝てなくても、礼儀の良さや潔さ、相手を思いやる気遣い、スポーツマンシップ、それが発揮できていればいいではないか。とくにパラリンピックは、健常者に世話になってのことなのだから。
 メダルを取ったの取らないのよりは、選手は全員参加賞、介助者にも賞をあげ、どれほどきれいな戦い方をしたかで競ったらいいではないか。

 本ブログでは何度か五輪批判をしてきた。2014年2月19日付ではフィギュアスケートを俎上あげて批判した。
 http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/389093844.html
 そのとき、日本で最初に水泳で金メダルをとった鶴田義行さんのエピソードを紹介した。
 鶴田さんの息子は、父親が日本最初の金メダリストだったことを知らず、亡くなって新聞記事で初めて知ったのだ。

 鶴田さんは海軍水兵だったが、泳ぎが好きなのを見込まれてオリンピックに出た。さすがにオランダまでの旅費と宿泊代は国が出してくれたのだろうが、強化費なんか1銭ももらっていない。家族に自慢しなかった。これは凄いことだ。その態度を、死んでも子供にしっかり伝えた。
 そして、わかる人にはわかるよう、天の配剤とでもいうか、私たち後世の日本人にも生き様を示したのだ。金メダルより価値があるではないか。

 それほど昔の人はつましかった。
 彼にはコーチもトレーナーも管理栄養士も、データ分析のパソコン係などがいたわけじゃない。すごい選手だった。今は選手だけに脚光が浴びるが、メダルを取るような有力競技なら、チーム構成でやっている。それが全員で世界各地で合宿したり試合に出たりしているんだから、莫大な費用がかかる。選手の努力もあるだろうが、裏方に頼っての勝利なのだ。

 そんなのはおかしいだろ。
 そのうえ、今はメダルを取ると地元でパレードをやり、出身学校に迎えられては大歓迎を受ける。裏方チームはなかったがごとき顔している。少しは鶴田さんの爪の垢でも飲んで、派手なことを恥ずかしいという思いを味わったらどうか。
 なのに、選手どもは口を揃えて、障碍者のみなさんに勇気を与えただの、被災地域の方々に勇気を与えただのと自慢するのは、思い上がりもはなはだしい。





posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(3) | エッセイ | 更新情報をチェックする

2016年11月05日

東大地震研を廃止せよ


 東日本大震災のときに壊れたとされる福島第一原発は、地震ではびくともしなかった。しいて言えば津波の被害だったが、それでも津波の力で建家も原子炉も壊れたわけではなかった。
 津波で海寄りの原発周辺のものやクルマが壊されたけれど、問題は海水が建家地下に入り込んだため、愚かにも地下に設置してあった電源が使えなくなり、電気を使った制御が不能になった。

 同じく地震と津波に襲われた女川原発はなんでもなかった。
 また新潟の地震による柏崎原発でも、先の熊本地震で鹿児島川内原発も、何事もなかったのであって、原発は地震には極めて強い構造を持つことが明らかになっている。

 そういう事実があるのに、サヨクの原発反対派どもは、日本は断層だらけなのだから、地震が起きる可能性が高い、ゆえに原発は全廃しろと騒ぐ。
 断層ばかりが話題になるが、福島第一は今度3・11並みの津波が来たらただでは済まない。簡易防波堤が応急処置であるだけだからだ。こちらの心配は、「断層が、断層が」と騒ぐ連中は言及なし。

 そもそも地震が、断層で起きると決まったわけではないのに、東京大学地震研を中心に、この迷妄がまかり通っているし、サヨクメディアもそれを担いでいる。

 高山正之氏が週刊新潮に連載しているコラム「変見の作り方」(#59)では、「不都合な権威」と題して、東大と朝日新聞を俎上にあげて叩いておられる。どちらも権威をかさに、間違った判断で世の中に迷惑をこうむらせている、と。

 さて、そのなかの一節。以下のYouTube動画で見られる。
https://www.dhctheater.com/season/55/

     *     *

 原子力規制委がいま原発再開の安全性の目安にしているのは地震だ。M9が襲った東電福島も、直下型地震に遭った柏崎原発も揺るぎもしなかった。なのになぜ地震が問題になるのか。東大地震研の権威 佐藤比呂志が原発の下に断層があればダメを出しているからだ。
 断層の有無は目下、佐藤のもつ地質調査会社だけが調べている。

 魚群探知機のように音波の反射で断層かどうか判断する。それを彼が勘で断層かどうか判断する。で、佐藤の勘の精度だが、2年前、彼は立川の断層の調査をやった。斜めに走る灰色の筋を断層と読み、東京に大地震が来ると断じた。
 後にそれは埋まったコンクリート製電信柱と判明した。こんな男が今、日本の原発の明日を握っている。

     *     *

 この佐藤比呂志教授のバカ騒ぎが起きたのは、2013年のことだった。東大地震研の佐藤は、このとき、うろたえたであろうが、「完全に催眠術にかかっていた」と予断を持った判断が誤りにつながったことを悔いていると報道された。当人は「結果の公表を急いだことが影響した」とも明かした。

 あくまで自分の理屈は正しい、ただちょっと公表を急ぎ過ぎたせいだと弁解した。「催眠術にかかった」などと小学生並みの言いわけ。じゃあ誰が佐藤に催眠術をかけたんだか言ってみろ。みっともない弁明である。
 それを嘲笑うメディアはなかった。追及皆無。
 そして依然として、政府もマスゴミも「もうこんなバカは首だ」とはならないで、相変わらず権威として崇めている。

 東大地震研究所は、これまで一度として地震を予知したことなんかない。東南海大地震が来るぞ、首都直下型地震が来るぞと脅しながら、巨額の研究費を税金からふんだくり、全部予測は外れた。阪神淡路、新潟、奥尻沖、中部、3・11東北、熊本、などなど、彼らが予測もしなかった場所で起きた。

 一度やニ度ならまだしも、全部外れるのだから、いまだ研究途中で…との言い訳はできまい。
 責任をとって地震研は閉鎖すべきである。また佐藤も責任をとって辞職し、これまでせしめた研究費を弁済しろ。こんなデタラメ研究がまかり通れば、未来の日本人に顔向けができまいに。

 立川断層帯は「首都直下地震」の震源の一つになり得るとされ、地震研どもは、首都圏に震度7の揺れをもたらす可能性も指摘していた。それを元にした東京都の想定では、地震が起こった場合、規模はマグニチュード7.4に及び、死者約2600人、負傷者約3万1700人、ピーク時の避難者約101万人を見込むとした。
 都庁のクズどもは、なんの根拠もない試算を、よくもまあ偉そうに出して来る。

 しかし、そもそも断層の定義もメカニズムもデタラメ、それと地震の関係もデタラメ、むろん予測なんかデタラメ、それで死者が何万人出るぞと脅されたって、誰が信じる?
 熊本では、「本震」が起きたあと、あとは「余震」と言っていたのに、同じレベルの「本震」が続けて起き、緊張を解いた住民が犠牲になった。

 ここでも、地震発生=断層説がまったくデタラメだったではないか。占い師のほうがまだましだったりして?

 むしろ東大地震研を廃止し、地震も津波もいつどこででも起きるのだからと、全国民が準備を怠らないようにしたほうが、まだ対応は真面目になる。
 東大地震研がむさぼる予算を、橋や道路などの強化補修費用に充てたほうがずっと良い。

 ちょっとついでに言わせてもらうと、東京都の豊洲新市場移転問題において、市場棟などの地下に盛り土が行なわれず、勝手に職員が地下空間を造ってしまった。さまざまな配管が地下空間に収まっているようだが、電源なんかはどうなっているのか。マスゴミには報道が現れない。

 豊洲は海を埋め立てて造った造成地であるし、海に面している。もし3・11のような津波が来たら、ひとたまりもなく地下空間は海水に浸り、電源が失われるはずだ。そう心配するのが、3・11を経験した私たちの知恵ではないか。
 豊洲の「島」までは電線で電気が来ているとしても、配電設備などは少々の津波でも耐えられるようになっているのかどうか。

 生鮮食品を扱う市場の電気が止まれば、全部おじゃんだ。現在の築地市場も海際だから心配だが…豊洲を映像で見るかぎり、津波対策はゼロのようだがどうなのか。
 豊洲に関しては、地下のベンゼンやヒ素の心配と、液状化現象はいくらか語られるが、津波対策はどうなっている? はじめから諦めか? 話が怖過ぎて、誰も言い出せない?

 こんなときこそ、東大地震研が調査を(これまでのお詫びを込めて)自腹でやって、都民に注意を喚起したらどうなの。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(6) | エッセイ | 更新情報をチェックする

2016年11月04日

放射線「直線仮説」こそ諸悪の根源(4/4)


《5》放射線ホルミシス
 さらに藤野氏の本では、支那広東省の長江には自然放射線量が他と比べて高い地域で、年間5.45ミリシーベルトもある。支那の平均的自然放射線量は約2.0ミリシーベルトだから、突出して高い。
 ここでもガン死亡率は、一般地域の平均死亡率を100%とした場合に、肺がんで73%、胃がんで48%となっている。
 こういうものを「ホルミシス効果」と呼ぶ。
 
 「ホルミシス」とは何かを 藤野薫氏の『放射線ホルミシスの話』から紹介する。

     *      * 

 高濃度であれば有害、ないし致命的であるはずの物質が、低濃度で用いられると有効な刺激作用を果たすという現象を「ホルモン」という語を改変して作った「ホルミシス」という新しい用語で表すことにしたのです。「ホルモンのような働きを果たすもの」といった含蓄で使われますが、一般には「ホルミシス」とは、ある物質が低用量で用いられたときに起こる誘導的な、あるいは有益な効果を指します。
 同じ物質が大用量で用いられたときに見られる有害、あるいは致命的な影響からは推定がつかない現象です。

     *     *

 この「ホルミシス」が放射線にも起きるのである。それを「放射線ホルミシス」と呼ぶ。だからラドン温泉などはこの「放射線ホルミシス」なのである。
 ネット上では、「ホルミシス臨床研究会」のHPがある。
http://www.thar.jp/contents/hormesis.html
 
 原子力発電も、本来はこうした「ホルミシス」的な効果で役立てているのである。
 しかるに現在は、あげてマスゴミが原子力=悪というキャンペーンを張って、大衆をヒステリー状態に追い込んでしまったから、とにかく原発を中止しろの大合唱である。電力会社をこれでもかといたぶる。
 もはやこの喧噪状態では「放射線ホルミシス」の話も聞き入れられず、原子力利用も聴いてもらえない。常規を逸しているとしか言いようがない。

 こういう状態を創りだしているのは、むろんユダ金ということになるわけだが、彼らにとっては「ホルミシス」が世界中に浸透しては困るのだ。大きな儲け口である薬品が売りさばけなくなる。〈彼ら〉は大衆を薬漬けにして、それが医療だと思い込ませ、利益を独占したいのである。だから温泉治療だとか「低線量率療法」などは大衆に知らしめたくないから、決してマスゴミでは大々的に取り上げさせない。

 原子力利用についても、〈彼ら〉は自分たちの掌に乗せておきたいのである。どうせ経済活動を行うためには電力が膨大に消費されるのだから、原子力発電をやめられるわけがない。だが大衆には恐怖でしばりつけておいたほうが御しやすいから、マスゴミを使って「危ない、危ない」と騒ぎたてさせる。

 その甲斐あって、本稿で述べてきたように、行政機関は権益をしっかり握って離すことがなく、「仕事」をつくることができ、大衆を支配することが容易に可能となる。
 行政はどこの国でも、ユダヤ勢力の下僕なのだから、役人が利権を握れば握るほど、〈彼ら〉の利益が守られる。

 いずれにせよ、こうした放射線の問題を考えるときに、もっとも問題なのは、いまだに学問が力を持ち得ていない現実があることである。学問がちゃんとしていれば、福島県民が苦しい目にあわずに済んだはずなのに、右往左往したばかりである。

 一連の放射線量の騒動では、弁証法の量質転化すらがわかっていない学者ばかりだという現実を目の当たりにして、情けなくなるばかりであった。
 例えば、原子力という力もそうだけれど、力にしても量質転化はあるのに、それがわかっていないから大混乱である。
 科学者たちの、天体同士なら万有引力、元素レベルなら電気力、核のなかでは核力などと分けて考えるアタマが困りものだ。力は一つであって、それが量質転化するのである。だから元素にない力が星に出てくるわけはなく、放射線の力にしても同じことなのに、「直線仮説」などという愚劣な捉え方をして恥じることがない。

 内閣官房参与を辞任した小佐古敏荘東京大教授が、「カンナオトがボクチャンの言うことを聞いてくれない」と言って泣きじゃくった。
 今動画で見ると、お笑い三文劇場だ。
https://www.youtube.com/watch?v=yFg2IxD7mvs&spfreload=10
 このニュース動画を見れば、当時の菅直人首相が福島の小学校の校庭の土が20ミリシーベルト以下(年間)に決めたこと自体は、そう間違ってはいなかった。小佐古は己の不明をもっと嘆くべきであった。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする

2016年11月03日

放射線「直線仮説」こそ諸悪の根源(3/4)

 
《3》放射線はDNAを傷つけるが…
 日本では自然放射線だけで年間1.5ミリシーベルトを浴びている。これは浴びても大丈夫という話ではなくて、浴びなければならないという話なのだ。生命体は放射線なしにはおそらく生きてはいけないのである。
 郡山市では小学校や保育所の校庭の表土を3〜5センチ削り取った(2011年4月)。校庭に積もった放射線量を軽減する目的だった。
 文科省が設定した暫定基準値(毎時3.8マイクロシーベルト)を上回っているとして、郡山市が独自に行なった。これで放射線量は半分以下になったとか。
 取り除いた表土は、新聞では処分場に運んだとあったが、テレビのニュースではなんのことはない、校庭の隅に積んであるだけなんだとか。
 これなどは神経質になり過ぎである。

 また同日には、サヨク穀潰しの日弁連が、福島県の小中学校や幼稚園での屋外活動を制限する文科省の目安について、「法令で定める放射線管理区域の基準より甘く、安全性に問題がある」として見直しを求める声明を発表した。
 法令では、放射線作業をする施設では、3か月の積算で1.3ミリシーベルト(年間で5.2ミリシーベルト)を超える恐れがある範囲を放射線管理区域と設定する。ところが文科省の福島県の学校への「目安」はこの4倍にもなるので、日弁連がしゃしゃり出て、甘すぎると非難したというわけだ。もっと低い基準にしろと。

 なんで科学者でもない素人の弁護士がもの申すのか。彼ら真性サヨクには困ったものだ。朝鮮学校の女学生が通学電車のなかでカミソリでチョゴリを切られたなどというデッチアゲを、この連中は大仰にも電車内の広告にして「憂慮」して見せたこともあった。ろくでもない連中である。

 毎日、新聞、テレビで「放射能が怖い」といっている。

 では放射線の何が問題なのかというと、たいてい答えられない。ただ怖がっているだけである。端的には、放射線はDNAを傷つけるから問題になるのだけれど、それだってちゃんと細胞は傷を修復する実力を持っているのである。これは生命体が太古の誕生以来、獲得してきた実力なのである。

 コバルトやヨードなどの放射能の半減期が話題になっているが、現在の値が心配だというのなら、その半減を逆にたどっていったとすれば、ずっとずっと前、太古の地球ではどれほどすさまじい放射線に満ち満ちていたか、ではないか。
 生命体としてまともな活動ができる状態、すなわち健康ならDNAは放射線で傷つけられてもちゃんと修復する力がある。このことをいっさい言わずに「危険、危険」の連呼をしている連中はどうかしている。


《4》三朝温泉の例
 日本には古くからラジウム温泉があって、さまざまな病気に著効ありとされてきた。
 ラジウムという元素は、キュリー夫妻によって発見されたことで有名である。「放射能」という言葉もキュリー夫人が作ったとされる。
 ラジウムが崩壊して生じるガスをラドンと言う。ラジウム温泉の効能は、この放射性ガス・ラドンを体内に取り込むことである。

 ラジウム温泉として有名なのは、秋田県玉川温泉、鳥取県三朝温泉、静岡県畑毛温泉などで、いずれもラドンの含有量が多いとされる放射能泉である。
 このなかの三朝温泉について書いてある文章を紹介しよう。藤野薫・編著『放射線ホルミシスの話』(せせらぎ出版)から引用する。

      *     *

 三朝町のホームページは「都会で薬漬けになった重症の慢性患者も、温泉物理療法併用で免疫機能を回復し完治」とうたい、「温泉療法の特長は、温泉等を利用した物理療法で、薬に治らない病気を治すことができることです。岡山大学医学部付属病院三朝分院では、温泉療法で気管支ぜんそくや慢性の呼吸器疾患と変形性膝関節炎や五十肩、腰痛など、関節が痛む病気の治療に効果を挙げています」と公報しています。

 三朝温泉の放射線量は1リットル当たり平均約400ベクレルで、温泉地の屋外放射線量も周辺の農村地帯の2.4倍に達します。また三朝温泉の浴室内は1立方メートル当たり200〜8000ベクレルですから、米国環境保護局の定めた室内基準値150ベクレルを大きく上回っています。つまり、米国の基準に従えば、浴室内への立ち入りを禁じなければなりませんが、温泉が発見されたとされる平安時代からこの方、現実に癒しと療養の湯として利用されてきました。

     *     *

 実際、三朝温泉地域では「ガン死亡率」が、全国平均を1.0として、男が0.54、女が0.46となっている。温泉周辺の農村地域でも、男が0.86、女が0.77と大差をつけている。このことからも、ラドンが癌の死亡率を低下させている要因と考えられているのだ。
 温泉周辺どころか、原発の周辺ですら癌死亡率が低下することは統計で明らかになっている。



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(3) | エッセイ | 更新情報をチェックする

2016年11月02日

放射線「直線仮説」こそ諸悪の根源(2/4)


《2》低線量率なら無害
 国連科学委員会と国際放射線防護委員会が提唱し、押し付ける直線仮説(無しきい値)が間違いだとすると、では適正な(人間の健康に資する)放射線量はどれくらいなのかと言うと、これも近藤博士の本では「自然放射線の強さの100倍くらいまでの低線量率なら、生涯浴びても無害と言えそうである」としている。

 ただしこれは動物実験である。人間ではどうかは難しい問題である。
 なぜなら目安となるデータが少ないからだと言われる。このくらい被曝するとこういう害が生じるという例がすくないから困っているらしい。けれどだからこそ弁証法、だからこそ学問ではないか。

 しかし、人間ではどうかの問題が難しいのは、認識がからむからであり、社会性を加味しなければならないから、ラットの実験とは同じにできない。

 自然放射線の強さの100倍とは、100〜200ミリシーベルト/年くらいである。
 今や福島原発のあたりはざっと言って1マイクロシーベルト/hに下がっているのに、立ち入り禁止にすると当時の民主党政府は息巻いていた。「対策はとっています」といいたいだけのパフォーマンスで福島県の県民はひどい目にあっている。呆れてものも言えない。

 私の推測では、100〜200ミリシーベルト/年以上を浴びたとしても、生活過程を整え健康良好なら、さらに心配ないということであろう。
 もうちょっと条件が緩やかで良い領域があってしかるべきである。つまり譬えていうなら、玄米を食べ、1日8時間の睡眠をとっている人間なら、300ミリシーベルトでも問題ない、というようなことになるのだと思う。

 それに、認識がイキイキしている人間と、被災して落ち込んでいる人間とでは一律にはいかない。福島第一原発に張り付いて闘っている作業員や自衛隊員らは、使命感に燃えていれば少々の基準値を超えても大丈夫で、逆に嫌々作業に従事していれば基準値以下でも危ないかもしれないのである。

 だから、「一般人の人工被曝の年間限度量(累積)」を1ミリシーベルトにしているのは、どうかと思う。
 文科省が2011年4月26日に東京電力福島第一原発から放出される放射性物資による周辺の汚染状況を予測した地図を公表した。これによると、2012年3月11日までの予想累積線量は、福島県浪江町(原発から24キロ地点)で235ミリシーベルトに達するという。

 福島市でも10ミリシーベルトに上るとか。
 これは毎日新聞(事故後の4月27日)の記事であるが、こうやっていい加減なデマを新聞は垂れ流して、大衆を恐怖に追い込んでいた。
 この数値は「現在の水準で放出が続いた場合」でしかなく、なんでそんなものを今の段階で予想して発表する必要があったのか。幸い、みんな忘れちゃっただろうが。

 だいいち何で文部科学省が調査を? 文科省もやれば、環境省もやり、経産省もやり、さらには農水省も、厚生労働省もやり、国土交通省もやり、とそれぞれ独自に木っ端役人どもが調査とやらをやらかすに決まっている。さらには内閣府の特命担当で防災担当大臣もいるからこれも独自にやっているかも… 。県も独自にやれば、市町村でも勝手にやる?
 縦割り行政にわざとしてあるから、それぞれの省庁が勝手に「仕事」をこしらえる。

 それぞれの省庁に御用研究者が巣食っていて、役人主導で「会議」やら「機関」やらを設けて、税金を使っている。
 その発表を使って、マスゴミは原発や東電への反感を煽る。
 こうやって大衆に不安をいだかせることで、ますます木っ端役人は調査だ会議だ、広報だと仕事が増える。

 ところがそうした会議では、低線量の放射線が照射された生物は、放射線の影響に対して適応する対応を起こすことには、誰も口を閉ざしてしまう。そんなことを言ったら袋だたきにあうとてか? “趨勢”とちがうことを言う科学者は仲間に入れてはもらえない。怖い怖いと煽る本ばかりが売れるから、出版社も真実はスルーしてしまう。

 近藤宗平博士の『人は放射線になぜ弱いか 〜放射線恐怖症をやわらげる』(講談社ブルーバックス)にはこうある。チェルノブイリ原発事故の件である。
 当時のソ連も危険だからと住民に立ち退き(疎開)を命じたが、頑として危険地域に残った住民がたくさんいたそうだ。そのことについて近藤博士はこう説く。

     *     *

 私はこの放射線防護委員会専門家のリスク予測よりも、疎開に抵抗している住民の正義のほうに賛成である。すなわち、疎開の命令に反対して村に居のこった住民のほうが、疎開した住民よりも長生きする可能性が高いと、私は思う。
 なぜなら実際の資料によると、低レベルの放射線を浴びた人は、あびてない人よりも、健康状態がよい場合が多いからである。(中略)
 ここでは、高汚染地域で疎開しないで頑張っている勇敢な人に、つぎのような激励の言葉を贈りたい。自分の家や土地や食べ物がどれだけ汚染されているかについて、個人的に心配することはやめたほうが賢い。汚染の心配を今日から忘れなさい。
 
 なぜなら、汚染したミルクも、汚染肉も、汚染した麦でつくったパンも、汚染している野菜も、汚染していないものと味も栄養も変わらない。体内が汚染しても、いたくもかゆくもない。汚染は、やがて排泄される。

 ただし、少し節制しなさい。タバコの喫煙本数を半分に減らし、ウォッカの量も少しへらし、食べすぎないようにし、過労や心配のしすぎをやめ、新鮮野菜を食べ、適当に運動をし、住み慣れた土地で、いままでどおり自然の生活を楽しみなさい。これは、よく知られているがんの予防の心得である。

 こうすれば、疎開した人より、長生きするでしょう。疎開したらさまざまなストレスがふえ、習慣のちがいに適応しなければならない、ストレスは、がんの進展を助長する。
 節制した生活をすれば、放射線をあびたほうが長生きするという証拠は、次節以降に紹介する。

     *     *

 この近藤氏の本は1991年の改訂新版であるが、まさに今の福島の住民へのメッセージになっている。私は福島県民はぜひ、政府の命令に抵抗して、自分の家にとどまっていただきたいものと願っていた。民主党政府も方針を入れ替えて、即刻安全宣言をするべきだったのである。



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする

2016年11月01日

放射線「直線仮説」こそ諸悪の根源(1/4)


〈目次〉
1. 直線仮説の非弁証法性  
2. 低線量率なら無害    
3.放射線はDNAを傷つけるが… 
4. 三朝温泉の例      
5.放射線ホルミシス    

《1》直線仮説の非弁証法性
 マムシやハブは猛毒の蛇であるが、それを丸ごと焼酎に漬け込んで、エキス(?)を飲んで強精効果を期待する向きがある。マムシ酒、ハブ酒と呼ぶ。
 むろん毒蛇に噛まれれば致死であるが、極微量なら生体にプラス効果(薬)になるとされる。この種の酒は気分的なものであって、本当に強精効果があるわけではなかろうが、譬えとして出した。

 放射能も同じことである。すべてが悪い(猛毒)なわけではない。
 鉄、銅、コバルトなどの元素は人体に必須の微量元素である。しかし体内に取り入れる量が多ければ有毒になる。

 巷間、マスゴミで報道されるような「○○ミリシーベルトだから危険だ」などという根拠ははなはだ薄弱で、それらは「直線仮説」から導き出された非科学的妄想なのである。
 直線仮説とは、LNT仮説(Linear No-Threshold Theory)とも言う。
 どういう事かというと、癌死亡率と高線量率高線量の放射線とには直線的関係があるという説である。高線量率とはヒロシマ・ナガサキの原爆やチェルノブイリ原発事故のような例外的な高線量の被爆のことである。放射線量と死亡率とが直線的な比例関係にあるというのだ。

 まったく非弁証法的な捉え方で、呆れるばかりだ。量質転化はないというようなものである。つまり、お湯を沸かしていくと際限なく水の温度があがっていき、100℃で沸騰して蒸発するという量質転化を起こすこともなく1000度にも5000度にも(直線的に)なっていくというのである。逆に冷やしていっても0℃以下になっても氷という固体に量質転化することはなく、水のままどんどん低温になっていく、ということを主張するのと同じなのだ、この LNT仮説(閾値なし直線仮説)は。

 閾値(しきいち)とは、「それ以下なら悪影響の恐れは無い」とされる数値である。これは事実的にも放射線に関しては閾値があることが証明されている。
 小出裕章氏(京都大学助教・京大原子炉実験所)がひところ反原発陣営ではもてはやされていたけれど、彼はこの直線仮説のようである。だから弁証法がない。
 要するに、放射線には一切の安全な線量域はないというのが直線仮説なのである。
 酒は少量なら薬になるが、一気に大量にのめば致死…という考えはできないのがこの直線仮説である。つまり酒を一気飲みして急性アルコール中毒になった人間を基準に、酒は1滴でも猛毒だというようなもの。そんなバカなと思いませんか?

 小出氏は、放射線が健康に与える影響については素人同然で、原子炉の専門家でしかない。
 だが困った事に、国際放射線防護委員会(ICRP)はLNT仮説を採用している。だから日本もその意向に逆らえない。日本の御用学者どもは、国際学界で良い顔をしたいから、福島原発事故でもLNT仮説にしたがった暫定規制値を出して恥じるところがなく、福島県民がどれほど困惑しようが知ったことではない態度を貫くのだ。

 しかしこれは『人は放射線になぜ弱いか』(講談社ブルーバックス)の著者・近藤宗平博士によれば、「先進国で法律にまで採用されている放射線のリスク値は、実際の資料にもとづいていないあてずっぽうである。つまりニセの情報が採用されている」という事態になっている。そのとばっちりを日本国民、なかんずく福島県民はこうむっている。
 
 微量放射能は無害である以上に、一定範囲の線量は人体の健康に有効であることを証明してみせているのである。それをやれ東大の「教授」じゃないからダメとか、医師じゃないからウソだ、東電から研究費をもらっているにちがいないからインチキだなどと反論する向きもある。
 物質が変化(量質転化)しないとほざくほうが、よほどアホの科学者ではないか。

 放射線だけは弁証法の例外だってか? 弁証法は宇宙の森羅万象すべてに貫かれる法則なのに! だからどんな微量の放射線や放射能でも異常に怖がるのはどうかしている。

 先の近藤宗平博士は『人は放射線になぜ弱いか』でこう言っている。
 「国連科学委員会と国際放射線防護委員会は、低線量域の実際のデータを無視して、直線仮説(無しきい値)にもとづいて、微量の放射線を厳重に管理するように具体的案を各国政府に勧告してきた。これは二〇世紀最大の科学的スキャンダルである意見に賛成せざるをえない。」

 むしろ恐ろしいことは、風評被害とかノイローゼ、心身症的障害を引き起こしている事実があることである。チェルノブイリでもそういうことが多くみられた。福島県では放射能の実害より風評被害に苦しんだ。
 放射能が心身症の原因にはなり得ないから、これは明らかに 直線仮説が元凶で、みんなが怯えてしまうからである。

 原子力関連の御用学者がアホなら、政府もなにも勉強しないで事なかれ主義を貫くから、これまた無知な大衆がひどい目にあわされる。

 さらに近藤博士博士はこう説いている。
 「現実には、日本人は世界の常識を超えて放射線を怖がりすぎている。放射線は微量でも危険だという証拠がないことを、政府は国民に知らせないで、危険を防ぐための便宜的放射線の量的規制を行なっている。政府の放射線管理規制の行き過ぎと無駄づかいが少なくない。正しく放射線の影響を理解するための教育はなされていない。」(『人は放射線になぜ弱いか』)


 この本は、今度の震災が起きるより遙か以前(1985年)の出版であるのに、あたかも今次の混乱を予見したかのような中身になっている。
 つまりは、こういう「迷信」がはびこるのは、行政が(役人が)既得利権を手放したくないからであるらしい。国際的機関に決めていただいた「数値」にのっとっているというお墨付きを固持して、ものごとを進められる。住民のことなど知ったこっちゃない。

 放射線も放射能も怖がらなくていいんだよ、となると、木っ端役人が出しゃばる「場」がなくなってしまう。行政による監視もいらなければ、許可もいらなくなる。役人というものは民草の自由にはどうしてもさせたくないものなのだ。規制したくてしょうがない。だから直線仮説にしがみつき、他説を許さない。



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする