2016年11月15日

能は神事であった(2/2)


《2》
 能には「修羅能(しゅらのう)」というジャンルがある。『箙(えびら)』などがそれだ。主として源氏の武将が登場する能で、修羅ものは御霊が主人公になる。『箙』の場合は、梶原景季が登場する。彼は源氏方であったが、鎌倉幕府によって滅ぼされたので、御霊になる。『経正』『敦盛』は平家の武将、『屋島』は源義経、いずれも源氏方にとっての御霊になる。

 足利幕府、徳川幕府は一応源氏ということになっているので、平家や源氏が倒した武将=御霊を鎮魂することになる。そのゆえに江戸時代にもずっと能は、お城や本願寺のような寺で演じられてきた。能は武士だけのものであり、庶民などは四条河原や隅田川で勧進能として催されるときに隠れてみた程度である。

 仏教の葬式では死者の一代記などは葬式で述べないが、神道の葬儀では、通夜に神主が遺族から亡くなった人間の一生を聞き取り、葬儀の際に神主が死者の一代記(誄(るい)という)を細かくしゃべる。子どものときかから大人になってどんなことをしてきたかを語り、最後に○歳をもって「神上がりなさった(神になった)」としめくくる。これが仏教でいう成仏してもらう儀式にあたり、魂を鎮めているのだ。この死者の一代記は、神道の葬儀の核心である。

 だから神道である靖国神社には遊就館が附設してあって、明治から昭和の戦争史が展示され、英霊がいかにお国のために戦ってこられたかの「一代記」が顕彰されるのである。
 したがって、靖国には能舞台があるが、祟り神ではない明治天皇を祀った明治神宮には能舞台は不要で、ないのだ。

 靖国神社の歴史認識をアメリカや支那が文句をつけるようだが、日本の神道の伝統にのっとれば、あの展示はどうあっても英霊が信じた皇国史観にしなければ鎮魂にならないのである。靖国神社側が遺族の献金欲しさに、媚びて皇国史観の展示をしているわけではないのだが、そういう皮相な批判をするご仁がいる。

 御霊信仰を知らぬアホな代議士や官僚や創価どもが、すぐに米中に媚態を示して展示を変えようなどと言いだす。遊就館の展示を「太平洋戦争」にして、日本が侵略ばかりしてきました、などと変えたら、祖霊、御霊は鎮まらない。

 話を戻して、神道で言う誄(るい)=一代記が芸能と結びついて能に発展したのである。能ではワキが登場したあとで、主人公たるシテが登場するが、このシテが過去の亡霊である。義経のものであれば、彼の一代記のハイライトである五条の橋の上で弁慶と出会う場面とか、壇ノ浦の合戦の場面などが設定され、そこで義経の亡霊=シテが出てきて、ワキの僧侶などがこれをお慰めして再び霊界に戻っていただく、というようなストーリーになっている。

 この死者をお慰めする、生涯のハイライトを顕彰する、この世の未練を断ち切らせる、ということを芸能で演じてみせるありかた、これがやがて明治期になって、鎮魂の要素が薄まって、いわば純粋な芸能=芸術となってきたのである。そのわけは、近代西洋の藝術との相互浸透というよりは、やはり時代が変わるという強烈な背景に沿ったものだったのだろう。

 最初は祟りへの恐怖だったものが、時が経つにつれてその意図が忘れられ、死者に対する眼差しの温かさが把羅鉄抉(はらてつけつ=美点を探し出して用いること)されてヒューマンな中身となっていった。
 御霊をシテとして登場させて、それを僧侶などが祈祷するなどして成仏していただき、鎮かにおごそかに恨みを、この世の恨みを消し去って、あの世にお帰りいただく。

 これは死者の祟りを怖れつつ、死者に幸せになっていただきましょう、成仏とはそういうことですから、現世の私たちだけでなく、まだ迷って現世への執着を絶てないあなたも仏の力を借りて安穏な世界に行ってください。こんな思いやりある死者への接し方は、支那や朝鮮、インドネシアなどにはないのではないか。
 それが私たちの太古からの先祖の崇高で優しい認識であった。

 全能の神だの悪魔だの、戒律だのを柱とする外国の宗教とは神道は大きく異なる。神道は布教はしない。教義も戒律もない。だからというべきか、多くの宗教に特有の異教を蔑身、排斥する心根の狭さ卑しさは持ち合わせない。
 そこに淵源があるのだから、能が祟りを怖れつつも怨霊を「退治」することはない。静かに成仏していただくだけである。
 それがまた日本人の心の根幹を為すから、人を騙したり虐げたりするのが苦手である。

 それが連綿と、千年も二千年も続き、さまざまな要素(仏教とか支配体制とか農業形態の変化とか…)と相互浸透しながら、洗練され、中身のいっぱい詰まった芸能となって今日に至っている。
 それを読み取ることが能の価値であり、文化そのものの意義ではないか。ストーリーさえ分かればいい、小太鼓や横笛の清澄な音色に酔うだけでもない、人間にとって極め付き大事なココロを、能は教えてくれようとしている。

 能だけではなく、太古からの神道はそうなのである。だから日本人が、支那人や朝鮮人、アメリカ人、ロシア人どもと全く違う民度の高みを誇るのである。こんな高みを誇る神道も能も、外国人にはわかるものだろうか。

 ささいな日常を振り返ってほしい。日本人はキレイ好きでよく掃除をすると言われる。家の中だけでなく道路も掃き清める。それは他人を不快にしないためであったり、街の美観を整えるためであったりであるが、そのココロのありようは、根っこは能と同じく、太古の日本人が自然神、祖霊、御霊を大事にして生きようとしたからである。

 雨の日、傘を指して歩いていて向こうから人がやってきたとする。お互いすれ違うときに傘を傾けて邪魔にならないようにする。これは法律で決まっていることではない。だが、私たちがほとんど無意識的にそうやるのは、実に太古の私たちの先祖が対象との関わり方で創ってきたものである。
 こんなことは数えきれないほどある。
 それに外国人は感動して帰り、日本を好きになってくれる。能はその最高形態なのだと言えば、お分かりいただけようか?

 江戸時代までの能では、むろん男が演じるが、女性の役柄でも着物から毛ずねを出し、脚を開きながら平気で演じていたのである。そのくらい雑な芸能であったものが、明治になって素晴らしい美の要素として完成したのである。
 したがって、現在の能から世阿弥の『風姿花伝』を読むほど愚かしいことはない。世阿弥は世阿弥として、当時の水準での芸能観をものしただけである。

 現在の日本的美の極地とも言える能は、初代梅若実(100年ほど前)から始まったものである。女を演じる場合に足先をピタリと揃えるというような水際立った美しい所作などは、昔はなく、衣装も含めて梅若家が創ったものなのだ。近代能の創設者にして、能を本当の意味で芸術に高めたのは梅若実にその栄光は帰せられるべきなのである。そしてそのさらなる完成は昭和になってなのだ。 

 梅若実については、本ブログで検索していただければ、論考がある。


posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする