2016年11月17日

幽玄とは何か(2/2)


《2》
 それで「幽玄」であるが、新潮国語辞典では「(『玄』は理の深淵微妙の意。もとシナ古典や仏教用語) @奥深く微妙で容易に知り得ないこと。趣が深く味わいがあること。A日本の、とくに中世の和歌、連歌、謡曲などの文学理念。言外に深い情緒、余情があること。また、そのものによって見られる気分、情調。平安時代の『もののあわれ』の理念の発展として生じ、近世における芭蕉の理念『さび』に進展した。」

 と、まとまっている。わかったような…わからないような…。
 辞書だからしょうがないとも言えるが、これは言語概念の構造を説かないからだ。
 幽玄とは端的には認識である。認識とは唯物論の定義では、対象の頭脳における反映=像である。反映だけにとどまることなく、問いかけた反映になったり、記憶が混じった反映になったり、感情としての反映になった像である。

 ある知人が鎌倉薪能の話を私から聞いて、薪能の写真をネットで見たそうだ。そして「幽玄ってこのことか」と言ってきた。
 で、さらに曰く「幽玄とは、命が発生した最初の暗闇。エーテルみたいなものかな…根源、原初、『御言葉』『ロゴス』だけが存在する・・・そこから、すべてが始まる。そういう「無」であると同時に『すべて』であるもの。『永遠』であると同時に『一瞬』。それは、おぼろな光とかすかな闇・・生と死・・ひとのすべての営み、の真髄をつらぬく光と闇不動のなにか」と。

 私はそれをせせら笑って「それは観念論でしかなく、唯物論的認識學」でなければ、幽玄は解けない」と返信した。訳の分からないことを言われても困る。
 これはデタラメではあるが、良く言えば観念論である。幽玄という観念的実体があると思うのが観念論者だ。唯物論での認識學を分かろうとしない人には説いても無駄。
 知人に「幽玄の概念は『そよ風』とは何かと同じで、『そよ風』が解ければ幽玄も解ける」とメールして、打ち切った。
 鎌倉薪能のパンフレットにも、幽玄、幽玄と書いているご仁がいたが、何もわかっていないだろう。

 そよ風なんて風はない。風速何メートルだったらとか、気温何度だったら…などと定義でききない。なのになんとなく皆わかった気でいる…。幽玄も同じく、幽玄なんてない、でもある、この矛盾。
 矛盾として正しく捉えないから、知人のように幽玄はあるはずだと思ってしまう。

 そよ風とは何か。
 風という空気の運動はある。それを人間がどのように反映するか。すなわちこれは「問いかけ的反映」の際たるものと言える。
 そよ風として反映するのは、最初は親か教師がそう教えたか、何かの文章なり映画などで知って、それを誰かから「これがそよ風だよ」と教わって理解する。

 気持ちのよい風、強過ぎもせず、無風でもない。気温も暑くもなく寒くもない、心地よい風を感じている。しかも自分の体調も良く、気分的にも悪くない。そこで、気持ちのよい風、すなわちそよ風と反映する。
 これがそよ風とか、心地よい風と、過去に感覚したことがあるから、その認識で対象たる風を反映する。

 同様に、幽玄もこれは問いかけ的反映である。
 過去に、幽玄とはこんなもの、とする知識がある。生で、あるいは映像で教えられている。だから、薪能の場合は、周囲が夜で真っ暗ななか、舞台と能役者にだけ明るい照明が当たっている。そういうシチュエーションにしている。
 暗闇は、人間にとっては素朴に言えば怖い。死の世界にも通じているような知識もある。静寂にも包まれている。地味な空間になっている。

 それを見るから、簡素、侘しい、余情がある、おごそか、死の雰囲気、などを感じる。その反映を、知識として事前にある「幽玄」という概念を当てはめ、ないし合体させて、像が確定する。
 さらに言えば、能の話は死と結びついている。おどろおどろしい話と演出、音楽も地謳もそれらしく奏でられる。それはそうだろう、死とか怨霊とかのテーマなのだから。

 そのテーマを、しかし上品に演じられるのだ。演じる側もこれでもかとやって見せ、見る側もこうなると待ち構えている。
 ところで。
 幽玄を解くにあたっては、私は谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』を抜きにしては語れないのではないかと思う。これは作家の“感覚”で説いているもので、認識學も弁証法もないのは残念だが、日本人なら頷けることが多いはずだ。

 例えば、
 「われわれは一概に光るものが嫌いと云う訳ではないが、浅く冴えたものよりも、沈んだ翳りのあるものを好む。それは天然の石であろうと、人工の器物であろうと、必ず時代のつやを連想させるような、濁りを帯びた光りなのである。」
 「われわれが歯医者へ行くのを嫌うのは、一つにはがりがりと云う音響にも因るが、一つにはガラスや金属製のピカピカする物が多過ぎるので、それに怯えるせいもある。」


 日本人は昔から様々な陰りのあるものが好きなのだ。その感覚がどこから来たものかはわからないが、谷崎が書いているように、歯医者のようなガラスや金属製のピカピカする物には拒絶反応がある。
 だから全面窓ガラスで広い庭とか遥かな太平洋の水平線が見える部屋は、一瞬は感嘆の声を上げても、ずっと住みたいとは思わず、やはり陰翳のある床の間が落ち着くのである。

 私はこの陰翳好きが幽玄を好む、なにやらココロ落ち着く性向につながるのではないかと思えるのだ。
 これは関係があるかどうかは分からないが(私は関係あると思う)、韓流ドラマを何度かチラッと(数秒)見たことがある。テレビを見ながら、チャンネルを換えたら偶然やっていたというだけで、あんなものを見るほどバカじゃない。

 韓流ドラマは、照明過多である。やたらに画面が明るい。陰翳なんかない。すごく違和感がある。だから日本のドラマか韓国のドラマか、チラッと見ただけですぐわかる。あんなやたらに明るい画面を見ていられるのは、日本人の感性が乏しいご仁である。だから、韓流ドラマは電通が流行させようと企んだが、すぐ廃れたのだ。
 韓国には日本人のような陰翳を好む感覚がないのではないか。どうしてそうなっているのかは、韓国の歴史は風土をしらべないとわからないし、比較文化論としては成り立つだろうが、興味はない。

 大まかにいえば、韓国人は対象がそのまま反映していればそれでよく、日本人は対象をそのまま反映するのではなく、弁証法でいえば、対立物の統一で捉えてきたし、それを好むのであろう。だから対象の理解も深まるし、弁証法的ないろいろな角度からの捉え方ができる。

 日本の墨絵も、空白を描くというか残すというか、全部を描き込まないところに魅力を感じる。支那の絵は西洋の油絵ほどではないが空白は残さない。西洋画はキャンバスを全部埋める。
 墨絵の場合は、描いたところと空白との対立物の統一を目指しているのだと思われる。
 光と影を大事にするから、谷崎の書いたように「陰翳礼賛」になる。また和歌や俳句が短詩形であるのは、表現しない部分をあえて残すためであろう。

 影は想像力をかきたてる。和歌や俳句の短詩は、余韻や表現しないところを考える。墨絵も空白を想像する。そうやって日本人はアタマを使うことをやったのである。それは「あいまい」なのではなくて、だから情感が豊かになり、本物の自由自在な認識の変化に対応しているからだ。

 日本の軍歌(戦時歌謡)はただ勇ましいだけではない。たいていは影が、陰翳がある。ドイツ軍の軍歌はやたら勇ましさを鼓舞するだけで、こんな奇妙は軍歌は日本にしかない。

 日本語で言うと、助詞や助動詞があるのも、より陰翳や空白をもたらす。例えば、「私は」「私が」「私も」「私って…」「私に」などなど、主語につく助詞しだいで、述語を言わなくてもある程度相手に通じる。
 支那語は、ただの漢字という記号化したものの羅列である。

 こうした日本の文化ないし認識の特質は、墨絵、詩歌、建築、庭、華道、茶道、そして能など、みんな根っこでつながっているのである。その根っこは何かを探求するのは、能が最もふさわしいものなのかもしれない。
 それを踏まえないで、現代の藝術において、西洋とコラボしてみただの、誰もやらなかったことをやってみただの、新しいことにチャレンジしたことに価値がある、などと言うのはナンセンスである。

 この民族差は大きい。おそらく科学の分野や藝術の分野でも、ノーベル賞を韓国が取れない(研究成果があがらない)理由の淵源であろうし、実際新しい技術開発もできないし、屹立する藝術もできない。

 おそらく、韓国にかぎらず支那もその他も、「幽玄」とか「わび、さび」「軽み」が理解できまい。
 能に話を戻せば、原初は祝福芸や怨霊を退散させる神事であったものが、そこに単に舞曲を加えて芸能化しただけではなく、他の民族にはないヒューマンな要素をじっくりと表現できるようになった謎がある。

 韓国や支那なら、能でいうシテは祟りをする悪い奴でしかなく、何をしても退治すればいいとなるのであろう。だが、日本ではまったく違う。怨霊を悪い奴とはむしろ捉えないで、非業の死への同情というより無常観を覚え、霊魂にはお気の毒とか、成仏できずに迷っておられるから、救って差し上げる、今のお立場を私たちもわかってあげるし、霊にもわかっていただいて共生しましょう、と、そんな中身になっている。

 だから見事な「心」の藝術たり得ている。



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする