2016年12月30日

年末の休み

今日、大晦日、元日は休みます。
新年2日から再開します。
本年もありがとうございました。
どうぞ、良いお年を。
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2016年12月29日

プロ野球選手に筋トレは有害か(2/2)


《2》
 昨日紹介したイチローとダルビッシュの話では、ダルビッシュのほうが間違いであるが、彼はすでにして身長、体格がアメリカ人並みであるから、ウエイトで筋肉を付ければ球速が増すという効果は得られるだろう。大谷翔平投手もウエイトは有効だと言っているようだが、彼らに共通しているのは長身だということだ。
 果たして40歳を超えてまで選手生命が続くか、である。

 私はとりあえずはイチローのほうに軍配はあげるけれど、彼も理論的には正しいとは言えない。彼ももともとの才能とか持って生まれたカラダとかがあると思い込んでいる観念論者である。
 イチローは筋肉は鍛えられるが、関節や腱は鍛えられないと言うが、それは間違いである。鍛え方はある。わが流派ではちゃんと教わる。

 プロ野球選手が筋トレに励みたくなるのは、おそらくこういう事だろう。例えば投手が筋肉を5キロ付けたら、球速が130キロから140キロになったとする。これは本当だろう。では、と、筋肉をもう5キロ付けたら球速が145キロ出るようになった。これも良しとしよう。では大谷投手みたいに常時150キロが出せる投手になりたいから、筋肉をもう10キロつけたとする。球速がそうやって正比例して上がっていくだろうか。

 そこに量質転化があることを彼らは考えない。量の積み重ねが常に量の上昇になるとは言えないのだ。体が壊れるという質の変化をもたらしてしまうからだ。

 問題は、筋肉と一緒に関節や腱、それに骨、さらには神経や血液や…を鍛えないことがバランスを壊し、ケガの元になるのである。
 つまり「人間とは何か」の一般論がないから、無駄な試行錯誤をしなければならず、多くの選手はその過程で目覚めることなく失敗していくのだ。
 人間は筋肉だけで動くものではない。骨も神経も関節も…が連動して全部が合成されて鍛えられなければいけないのに、ダルビッシュのように筋肉だけ大きくすればいいと考えてしまう。

 先に大谷やダルビッシュならある程度は筋トレも有効と言ったのは、彼らは長身ですでに体重も重く、ランニングだけでも骨が一緒に重みと衝撃で鍛えられるからだ。だから筋肉と一緒に骨も丈夫になる。
 イチローは野球選手としては小柄なほうだから、ランニング程度では骨が鍛えられない。ウエイトでは筋肉だけが大きくなるだけで骨がそれに見合って丈夫にならない。それがケガの原因になっていく。

これは「虎ノ門ニュース」で武田邦彦が解説していたが、新幹線のスピードはモーターの性能をあげればまだ速くなるが、一番の鍵は車体の車軸になるという。車軸が高速回転に耐えられない。そこが限界になってしまうそうだ。
 つまり、モーターが筋肉、車軸の強度が骨の強靭さと譬えられよう。

 今以上に新幹線のスピードを上げるには、レールの上を走るのでは振動で車軸が壊れてしまうから、これ以上はリニアにして、浮かせて回転する車軸をなくすしかないのであろう。

 ほかにも神経も血液も、筋トレで鍛えられる神経や血液と、実際のスポーツで使われるあり方に見合った神経と血液になるとは違う。そんなことはダルビッシュ投手が読んだ市販されている本には解説されていないはずだ。気の毒に。

 その意味では、イチローが言った「トラやライオンは筋トレをやらない」は正しい。トラやライオンは、全体で強力なのであって、局所だけ強いのではないからだ。バカバカしいから取り上げないが、ダルビッシュはこの件についても反論しているが、ナンセンスである。

 また、野球は結構特殊な運動が多い。走者は反時計回りに走るしかない。内野手は1塁手以外はみんな右手でファーストに投げなければいけない。投手はむろん右利きは徹底して右だけで投げる、というように。全方向的に筋肉は動かさない歪んだスポーツである。
 これもまたウエイトだけやっていると、逆方向や瞬間的に力を入れたり、スピードをあげたりに対応できるカラダになり損なう。

 野球選手のケガを減らし、寿命を長くするには、1試合ごとに逆方向をやればいいだろう。打者は打ったら3塁へ走り、野手はゴロを取ったら3塁へ投げる。右打者は試合事に左打席に立つ。そんなことでもすればいくらかは有効であろう。

 野球はバランスとリズムとタイミングだと昔を知るコーチなどは指導するが、現役の子はウエイト信仰が強く、なかなか言うことを聞かないようだ。
 清原とか巨人の阿部は体を大きくすればいいとしたから、ケガに泣かされ失敗した。
 そのバランス、リズム、タイミングと大まかに言われるものは、子供のころに培われるのである。むろん野球を始めてからつくるのは当たり前だが、大本は赤ん坊のときの基本中の基本にある。

 そこをトレーナーもコーチも振り返らない。甲子園でスターだったのだから何をいまさら「立つ」「歩く」なんてことを言うのか、となる。誰でもほとんどは、幼児が立てばいい、歩けばいいである。本人も立てるからいい、歩いているからいい、で貫く。本当はだれもが自己流だというのに。
 その赤ん坊のときにちゃんと、バランス、リズム、タイミングができることが、将来の運動選手のレベルや寿命を決めているのだろう。

 昔日、日本では徴兵制で誰もが軍隊で行進させられた。日にち毎日、行軍、行軍…。一糸乱れず、繰り返し歩き方を同じにさせられる。あれで昔は相当程度、自己流だった立ち方、歩き方が矯正されたはずである。しかも重い装備を担いでだから、バランスもよくなる。
 だから兵隊に行くとアタマが良くなった。

 こういうところにも徴兵制復活の意義はある。何度も言うが、徴兵制を軍国主義の復活だとか、あれは人権無視の苦役だという奴はアホである。プロ野球選手は入団したら、早速バットを振って、ピッチングをして…が当たり前のようだが、まずは行進を連日やらせて、歩き方の基本を徹底的に叩きこんだ方がいい。それも手に何かそれほど重くなくていいから物を持って歩くことだ。それも足だけ動かすのではなく手も同時に動かすことを連動してやらせられる。

 新入団選手をまず1月の寒いなかで、三千メートル走なんかやらせて、誰が一番速かっただの、身体能力が優れているだのと新聞記事になっているようだが、愚かな筋肉信仰である。
 本当はスピードを競わせるべきではなく、正しい姿勢でどう走るかをまずは徹底して教えるべきであり、また関節を鍛えるランニング、骨を鍛えるランニングと、いろいろ指導するほうが良い。

 冬のさなかは、短パンで走るのはどうかしていて、頭から足先までしっかり温かい服装にし、暑いところと寒いところのアンバランスが起きないようにすることがケガの防止なのであるが…。
 2月からのキャンプで早く1軍で目立ちたいとばかりに、寒いところでバットを振ったり、ピッチングしたりするのは愚かである。

 以前、天寿堂稲村さんの弁証法ゼミで、稲村さんがまず受講生たちに行進をさせたら、一斉に受講生から反発があった。「なんでいきなり行進なんだ? 弁証法とも指圧とも関係がない」と。これはきちんと目的を説明しない稲村さんがいけなかった。

 正しい立ち方、歩き方ができるということは、頭脳もその正しい、バランスのとれた肉体を統括するように発育発達するのであるから、赤ん坊のときから(いつからでもだが)この運動の基礎中の基礎を疎かにしてはまっとうな脳細胞の発育は望めない。つまりアタマはよくならない。受験で記憶力は身に付いても。記憶力や知識を貯め込む能力は、脳細胞にとっては一部の機能でしかない。

 こういうことをわが流派では教わっている。
 カラダをきちんと病気にならないよう、ケガしないように統括し、健康で感性豊かで、しっかりものを考えられる実力をつけることなのである。

 そのスタート地点が、赤ん坊のときの幼児語であったり、ハイハイや立ち方や歩き方なのである。



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2016年12月28日

プロ野球選手に筋トレは有害か(1/2)


《1》
 今日は昨日の論考に関連して、赤ん坊のときの運動のありかた、ないし教育のありかたの問題である。

 野球評論家になった稲葉篤紀が、イチロー選手とダルビッシュ投手にインタビューをしている動画を見た。
 イチローとは
https://www.youtube.com/watch?v=-Y3CeaamAoA
 ダルビッシュとは、
https://www.youtube.com/watch?v=-dW0uo2wBgI

 私が興味を持ったのは、この二人のトレーニングの考え方であった。
 稲葉篤紀は昨今のプロ野球選手が、ウエイトトレーニングをしてカラダを大きくして(筋肉を巨大に付けて)、バットのスイングを速くしたり、豪速球を投げられるようにしようとする傾向があるが、どう思うかと2人に尋ねている。
 イチローはそんなトレーニングは全然ダメだと言い切り、一方ダルビッシュはウエイトやらなければ速い球は投げられないし、バットの鋭く力強い振り方はできないと言う。

 どっちが正しいのか。多くの選手は筋トレをやればうまくなる、強いカラダになると思い、そうしたことに関する知識は豊富なようだ。筋トレをすれば、というけれど、たいていの場合はいわゆる器具を使ってのウエイトトレーニングである。
 
 一点考えてほしいのは、往年の名選手は筋トレなんかやっていないことである。なのに、今の選手よりスタミナはあったし、ホームランもかっ飛ばしていた。それが今ではなんで筋トレが大流行しているのか。一つは、アメリカでは筋トレが盛んで、みんなボディービルダーみたいな筋肉をつけている。アメリカから来た選手の影響と、日本人がメジャーに行くようになって情報が溢れるようになり、また日本人のトレーナーもアメリカの方法を勉強するからだろう。
 またそうでないと日本のプロ野球やプロサッカーで雇ってもらえない。

 しかし、アメリカには「理論」はない。学問がない。いかにもサプリメントをガバガバ摂り、筋トレをやれば筋肉モリモリにはなるが、それはいわば現象論レベル、あるいは経験論レベルである。 
 アメリカ人には「人間とは何か」の一般論はない。だからそのままトレーニング法を鵜呑みにするのは危険である。

 まず、イチローの言い分を紹介しよう。
 最近では肉体改造とか言って、筋肉をつけるのが流行しているけれど、「そんなの全然ダメ」と言い切っている。
 人間には持って生まれたカラダがあって、筋肉をつけても関節や腱は変えられない、これではバランスを壊す。ケガにつながる。
 イチローも若い頃は、シーズンオフにウエイトトレーニングをやったそうだ。春先は筋肉がついて嬉しくなったが、そうするとバットのスイングスピードが落ちると。
 春先はウエイトで大きくなったカラダなので、カラダの回転がかえって邪魔されてしまう。

 シーズンに入って忙しくなるしウエイトもできなくなるので、夏頃には筋肉が落ちてくるので、やっと正常なバッティングができるようになる、その繰り返し(失敗)を6〜7年はやった。
 そもそもトラとかライオンはウエイトしないじゃないか。本来のバランスを保ってやらないとダメだ。人体を理解することが大事で、そうすれば動きとかトレーニングにだいぶ差がでる。

 実際、イチローは40歳過ぎても現役で活躍しているし、ケガもほとんどない。ケガ無く超一流を続けている、これが事実である。

 一方のダルビッシュ有投手。プロになって2年目くらいから自分なりにトレーニング方法を勉強し、ありとあらゆる方法を試してきた。栄養学の本、生理学の本をたくさん読んでいるそうだ。大量のサプリメントも飲んでいる。
 結果として、ケガから回復した今年も以前以上に速い球が投げられている。最高球速(158キロ)も出ている。だから自分がやっている筋トレは正しいと確信できる、というのだ。

 しかし、ダルビッシュがこの2年ほど肘の故障をし、肘の再建手術まで受けたことも事実である。私はダルビッシュは筋トレの失敗と食事をサプリに頼り過ぎが原因ではないかと思う。
 この件ではわが空手流派では、映画「ロッキー4」を見ろとよく指導される。シルベスタ・スタローンが演じるボクシングの話だ。
 本ブログでも取り上げたことはある。
 YouTubeで予告編を見ると、いくらか見て取れる。

 ソ連の選手と世界タイトルマッチを行なう。ソ連の選手はいろいろな生理学研究者やトレーナーがつきっきりで筋トレを、室内の機械でやって、モリモリの筋肉を付ける。
 スタローン(ロッキー)のほうは、山ごもりをして、機械は一切使わずに、材木を伐ったり、樹々の間をすり抜けたり、雪山を登ったり、自然を相手にカラダを鍛え俊敏さを養う。

 結果は、むろん主人公が勝つわけだが、スタローンのやり方が本物の筋トレだとわが流派では教わる。
 稲葉篤紀が2人に問うている筋トレは、もちろん映画「ロッキー4」で言えば、ソ連選手の筋トレについてである。たしかに筋肉は隆々と付きはするが、なぜボクシングでは、自然の中で鍛えたスタローンに負けるのか、そこが3人ともわかっていない。

 いわゆる機械を使った筋トレの欠点は、機械では縦方向なら縦方向、横なら横の決まった動きの繰り返しになる。ダルビッシュは動画のなかで鉄のチェーンをウエイトに乗せてスクワットをすると補完できると説いているが、それは一つの工夫ではあるが、やはり機械の欠点を克服したとまでは言えまい。詳しくは動画をご覧あれ。

 自然の中で、主人公ロッキーがやったトレーニングは、動きが千変万化するところが良いのである。とりわけ地面が真っ平らでないのが良いが、屋内では床は平らで安心していられる。
 屋内で、バーベルを上げ下げする決まった動きよりは、凸凹の山道や砂浜を人を背負って歩くほうが、はるかに起伏に富み、あらゆる方向に筋肉が動かされる。一刻一刻、微妙に負荷も動きも変化する。

 野球選手でもそうだし、相撲力士なんかしょっちゅうケガをするのは、野山の駆け巡りや砂浜のランニングをしないからである。野球も相撲も実際の試合では動きは思いもかけない動きにならざるを得ないのに、機械式筋トレではそれへの対応が不十分になる。
 解説者なんかがテレビで、あれだけ筋トレして頑強なカラダになっているのに、どうしてケガばかり…?と不思議がるが、簡単なことである。

 往年の稲尾投手は、子供のころからの舟を櫓で漕いで強靭柔軟な足腰をつくったのであって、機械で筋トレをしたのではない。初代若乃花は、室蘭港で沖仲仕をやっていた。船と岸壁の間に渡した細い板の上を重い荷物を担いでバランスを取りながら歩いたからこその、強烈な足腰ができていた。
 そんなことは昔の男の子ならみんな知っていた。

 そもそも筋肉は、〈生命の歴史〉のなかのどこで誕生し、発達したかといえば、魚類からである。魚類は海流や波に流されないようにするために強烈な筋肉の運動をしなければならない。その運動と生理機能を統括するために脳細胞は発達し、見事になっていった。
 しかし、自然に見合った運動でも筋肉だけなら強烈に歪んで行く。まして自然の動きは強烈で千変万化であるから、歪みが激しくなる。それでは生命体が壊れてしまうから、歪みをおさえるために骨ができた。

 筋肉の運動が千変万化に対応できる柔軟性と強靭さをもつために、脳細胞は統括しなければいけない。
 しかるにスポーツ選手は、いわゆるジムでの筋トレは先に言ったように同じ方向の運動の繰り返しで筋肉をつけていく。千変万化に対応できる柔軟な筋肉や骨あるいは脳細胞ができていかない。

 スポーツ選手が実際の真剣な試合の場となると、これは決まった動きだけでなく、激変する。しかも練習以上の強烈な動きをさせられることは必定である。だからその瞬時の歪みに耐えられずに、肉離れやたなんやらを起こすことになる。筋トレは筋肉と同時に骨や脳細胞の柔軟性と強靱性を連動させないと、失敗するのだと思われる。


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2016年12月27日

幼児語と幼稚語の構造の違い


 昨日は言葉を話すのが遅い赤ちゃんの話題にしたが、今日は関連で、幼児語と幼稚語を取り上げたい。赤ちゃん言葉には2種類あって、どこがどう違うのかに関してである。
 親は赤ちゃんに1日でも早くしゃべらせたい、または歩かせたい、と願って、我が子の成長にやきもきする。その「這えば立て、立てば歩めの親心」はよく分かる。
 だが、「早く、早く」を焦って、無理に「歩行器」なんかを使わせてはいけない。ハイハイをするのも重要な赤ん坊の運動である。

 同じように、言葉であるがこれも急がせるあまりに「幼稚語」を親も赤ん坊も使うことは、慎まなければいけない。
 「幼稚語」とは、「おやすみ」と言うところを「おやちゅみ」と言ったり、「さよなら」を「ちゃいなら」、「いただきます」を「いただきまちゅ」と言う、あれである。

 しばらく前にダイワハウスのCMで役所広司が「ダイワハウチュ」と発音するものがあった。あれをCMのなかでは「噛んでいる」などと言っていたが、あれは噛んでいるのではなくて、大人が言うのはみっともない幼稚語である。不快なCMであった。
https://www.youtube.com/watch?v=mHekpwtmYMc

 赤ん坊が幼稚語をしゃべるのは、やむを得ない。まだ舌や唇の動きが正しい発音にならないからだ。いわば訛っている。
 これに対して「幼児語」とは、犬を「ワンワン」、自動車を「ブーブー」というがごときである。

 この件について、瀬江千史先生は『育児の生理学』(現代社刊)で、幼児語は積極的に使ってよろしいが、幼稚語は使わない方がよろしいと説いておられる。画期的な論考であった。
 幼稚語はできるだけ正しい発音になるように親が努めるべきで、かといって強制的に押し付けてはならないと述べている。

 一方で「ニャーニャ」のような幼児語は、表象レベルで対象を覚えやすくするためであるから、子供が言葉を覚えていく過程で必要な言葉なのだ、と。
 なぜなら、幼児語は対象の特徴を表現しているからで、その言葉から鮮やかにイメージを描くことができるからだ。
 イヌというより、ワンワンと言ったほうが、赤ちゃんは生き生きと犬の像を思い描くことができやすい。

 幼稚語は、子供がやがて正確に発音できるようになる過程で、まだ正しく発音できないだけのことで、それを親が一緒になって認めてよいわけがない。幼稚な言い方が定着しないように、親が正していく必要がある。
 赤ちゃんが「おやちゅみ」と言っても、親が「おやすみ」と正しく発音していれば、赤ちゃんはその発音を本物と理解して、努力して親と同じ言い方を意識して繰りかえすことになる。

 正しい発音を親が赤ちゃんに聞かせることが大事である。
 「幼稚語が完全に身に付いてしまいますと、劣等感の原因ともなり、今度はそれを直すのに大変な苦労をしなければなりません」と瀬江先生は説かれている。

 ちなみに私は我が子には「パパ、ママ」と言わせなかった。「おとうさん、おかあさん」であった。私自身もそう話した。それで話すのが遅れたわけではない。良い年になってもずっと「パパ、ママ」は幼稚語である。赤ん坊は初めは「おとうさん」ときちんと発音できずに「とうたん」「ちゃーちゃん」などと言うしかできないが、無理強いはしないが親はちゃんと言わせようとした。「パパ、ママ」と教えればいかにも若干早く言えるだろうが、それは幼稚語だからである。

 幼児語と幼稚語は世間では混同され、幼稚語は幼児語の中のひとつの形であるかに分類されているようだが、それは論理がわかっていないからだ。
 親は早くしゃべらせたい、「かわいいから」といった感じで特に育児上の問題として意識されない。新聞紙上の育児相談なんかでも、いずれちゃんとするから気にしなくていい、と無責任に語るセンセイもいるようだ。Wikipedia でも「幼児語」はあっても「幼稚語」の説明はない。
 もしかすると、幼児語と幼稚語をきちんと論理的に、かつ「人間とは何か」を踏まえて区別して説いたのは瀬江先生をもって嚆矢とするのではないか。

 「人間とは何かから説く」とはを瀬江先生はこう説かれている。
 「赤ん坊を含めて一般的に人間の行動は、『…しよう』という意志が出発点になっています。そしてこの意志は『したい』という欲望から生まれてきます」と。
 赤ん坊が言葉で話そうとする場合も、意志が出発点になっている。

 これが「人間とは」の一般論から対象の構造を解くということである。
 だからその意志を上手に母親が教育してやる必要があるのであって、大きくなれば誰でもしゃべるようになる、ふうな育児観では失格である。

 これは南ク継正先生が、『“夢”講義』の最後のほうで、しきりに「立つ」「歩く」がまともにできていないスポーツ選手は、ダメになるのが早いと説かれていたけれど、発音にしてもこの赤ん坊のときの指導のいい加減さがのちのちになって決定的な欠陥となるのである。

 例えば、大相撲ではなぜ近年日本人の力士はダメで、横綱になれないか、モンゴル力士が強いのかの謎の大本にこの「立つ」「歩く」のまっとうな訓練のあり方があるのだろう。
 発音のほうで言うと、安倍晋三首相の滑舌の悪過ぎるしゃべり方、日本のこころの党の中山恭子の「蚊の鳴くような声」も赤ん坊のときの親の教育がおそらくはまずかったのだ。

 作家の百田尚樹とか、チャンネル桜の水島聡のあの聴きにくいしゃべり方も、根源は赤ん坊のときの親の教育の失敗にあるであろう。

 以上で幼児語と幼稚語の違いの論考は終わりにして、以下は別件であるが、「『人間とは』の一般論から対象の構造を解く」に関わって一言言っておきたい。
 本ブログ2015年11月13・14日に掲載した「スジを通した音楽批評とは」について、いまだにしつこくコメントしてくるご仁がいる。同じ人間がHNを替えて投稿しているようだが、うんざりしている。

 ある音楽ブログを書いている知人に向けて、個人的に諭しつつ、かつ不特定の本ブログ読者に理解していただきたく、音楽批評をする場合のスジの通し方を説いたものであった。
http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/428594001.html
 ところがこの音楽ブログを書いている人物は、自分がまともなスジを通した批評が書けないのに、人の文章を盗作だ、盗作だとしか言わないから、いささかたしなめたことであった。

 私に反論してくるコメントも、盗作はどうした! いいのか! とそればかり。私が主題としているのは、批評を書くにはスジを通そうとしなければダメだと言うのみ。それには「人間とは何か」あるいは「人間にとって音楽とは何か」の一般論を構築し、そこから個別の作品論、作曲歌論を展開しなければならないのである。

 そこを素直に学びもしないで、己れが優位と勘違いしている「盗作非難」にしがみつくのはみっともないことどもである。



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2016年12月26日

言葉が遅い赤ちゃんは心配か?


 知り合いの母親から、子供が2歳になるのに話すのが遅いというボヤキを聞いた。心配な様子であったから、安心なさいと言っておいた。
 2歳になる子は「ママ、パパ」程度しか言わないそうだが、親のいうことは分かっている。

 こういう場合、子供が親の言葉がわかるのなら問題はない。知恵遅れや自閉症ではない。「ママ、パパ」と片言がしゃべれるなら、発声の問題もない。ただ遅いだけである。
 人間は、言葉を聞き分け言葉をしゃべる機能が、サルから進化して人間になる過程で努力によって獲得されてきて、それがDNAともなり、また口や喉などの構造もしゃべれるようになっている。

 また、赤ん坊のときから日本語をしゃべれば、口も舌もその言語と相互浸透して日本語化する。だから英語の発音が苦手になる。われわれの言語機能はこういう二重構造になっている。

 人間は、生まれつき話せるのではなく、教えられて言葉を話すようになるものである。日本人の子供でも、親がフランス語しかしゃべらなければフランス語しかしゃべらない子になる。
 2歳になってもまだカタコトしか話せないのは、構造も機能の整いもあるのに、母親を中心とした子供への働きかけが少ないのが主な原因である。

 母親が無口で、しゃべらない人だと、子供も話すのが遅れる。だんまりのまま母乳をあげ、黙々とおむつを替え、童謡も歌わずに寝かしつける…といった言語を介した交通関係が希薄だとダメである。
 母親は赤ちゃんに育児の喜びとともに、「○○ちゃん、おっぱいよ」とか「お尻ふきましょうね」とか「かわいいワンワンがいるね」とか、日常生活のなかでの単純な話しかけが、重要な言葉の教育なのである。

 なかにはどうせしゃべっても赤ちゃんにはわからないから、などと、話しかけない親がいるらしく、驚くほかない。
 絵本を見せて、お話しする。童謡を歌ってあげる。そういう働きかけこそが、人間の言語修得の過程である。

 そもそも2歳になる我が子が、話すのが遅いと思ったときに、やきもきすること自体が信じられないことである。医者に相談するのも、やむを得ないのかもしれないが驚きである。自分が産んだ赤ん坊がかわいくないのか? 毎日の育児が、歓びで満ちていて、幸せの絶頂と言う感情になっていないから、赤ん坊に話しかけたり、歌ってあげたりしないのだろう。

 おそるべき感情の薄さではなかろうか。つまり母親の育ちに原因があって、感情薄い人間になっている。おそらく、受験勉強に邁進してしまって、豊かな感性を育てそこなっているのだ。
 赤ちゃんは夫との愛情の結晶であり、自分の分身でもあり、理屈抜きの愛情を注げる対象であるのだから、赤ん坊が分かってくれようがなにしようが、働きかけ、話しかけずにいられなくなって当たり前である。

 だが、そうならない母親が出現するとは、いったいどういう社会関係なのだろうか。
 言葉は自分を表現したい、なにかを訴えたいという必要に応じて発声するものだと分かっていれば、自ずと親は赤ん坊との間にそんな環境を作らねばならない。言葉を話すのが遅い子の場合は、親がそんな環境を自ら閉じている、壊している、と思われる。

 例えば、子供が何かを欲するときに、親がパッとわかって「はい、これでしょ」とやってしまうことがある。赤ん坊の欲求とかある思いが、言葉になる前に「はい」と親が行動してしまうとか。赤ん坊は思いを言葉に変えることはすぐには出来ない、時間がかかるばあいもあれば間違えることもある。

 それをまどろっこしいとばかりに、さっさと親がやってしまう、手伝ってしまう、それでは赤ちゃんは自分から積極的かつ努力して話そうとしなくなる。
 ひどい親になると、子供が話しかけてくるのをうるさがって、叱ったり、無視したりする。これはいたく子供のココロを傷つけ、ココロを歪ませることにつながっていく。

 幼少期にそうやって親からココロを傷つけられた子が、長じて自分が親になると、赤ん坊に同じ目にあわせるようになり、代々歪んだ性格が連鎖していく。
 日教組や文科省がやった「個性大事」と「受験重視」の方針による戦後教育がもたらしたものは、こんな育児にも現れてきている。

 感情豊かに育っていない親が、感情薄く育児をやらかし、その子が学校に入って教師に感情薄い教育を施され、無惨な成人となり果てる。

 今年はとりわけ保育園の「待機児童」問題が騒がれた。「保育園落ちた、日本死ね」というセリフを吐いたバカ親が話題になって、それとつるんだ民進党や共産党が、自民党が悪いと文句を言っていた。
 たしかに保育園に入れないのは問題であるが、入れないならそれをチャンスに変え、親は自分の手に置いて育てられるではないか。




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2016年12月24日

寺社はフィナンシャル・グループだった(3/3)


《3》
 本稿は、大村大次郎著『お金の流れで見る戦国時代』(kadokawa刊)に拠っている。
 最後に付け加えておくと、寺社がこれだけ権力を握れたのは、寺社のなかに「貴人」が多くいたからだと大村氏は説く。

 「古代から貴族の家においては、世継ぎ争いを避けるために次男や三男などを出家させるケースが多かった。そのため有力寺社には「貴人」がけっこういたのである。たとえば、4度も天台座主(ざす 延暦寺の最高責任者)の地位についた慈円大僧正は、摂政関白・藤原忠通の子だった。

 武家の世になっても、そのような慣習は続いた。室町幕府の第六代将軍足利義教(よしのり)は、元々は延暦寺に入れられて僧になっていたのだ。
 (中略)
 つまりは、寺社には有力貴族や有力武家の子弟が多々在籍していたのである。また、高貴な家柄の子どもの場合、家から大きな支援を受けることも多い。多額の金品を贈られたり、荘園を与えられたりして、それがまた寺社の勢力拡大に結び付いたのである。
 そのため、政権といえども、厳しい口出しができないような状態が生まれたのだ。」


 寺社はおそるべき権力を握っていたのだ、信長が破壊するまでは。
 八切止夫は、日本は白村江の戦いで敗戦したあと、唐に占領されたのだと説いている。唐から来た進駐軍だから「藤(とう)」を名乗った藤原氏が天皇を抑えて君臨したのだ、と。
 貴族(公家)は、その一味である。
 天皇は、それ以前の土着の王朝を形だけ踏襲させ、そのうえに藤原氏が支配体制を敷いた。

 その唐の兵隊を、同時に「伝来」と言っている仏教の僧として全国に配置した。そもそも寺院は藤原氏=進駐軍が日本民族を支配する体制の中核であって、信仰させることは唐の体制に従わせることであった。
 それにまつろわぬ者は僻地(東北)へ追いやられるか、別所すなわち山間部の辺鄙な、稲作もできない土地へ閉じ込められ、変遷をしながらも賤民=部落民にさせられたのだ。

 支配体制に屈した多くの日本人たちは、大きくは2つに分類された。一つは平家系で、南方から渡来した民族の末裔で、稲作や漁業を持ち込んだ者たちである。もうひとつは、源氏系で北方から渡来した民族で、馬を扱い、商業や運輸業を担当した者たちであった。
 藤原氏はそれぞれの民族を色分けして、支那から唐軍がつれてきた者=僧侶は黒、平家系は赤、源氏系は白とした。

 なにしろ日本列島は人種の吹きだまりで、太古から北方系、南方系、支那系などが入り交じっていた。顔つきでは区別がつきにくい。
 それで、支配者はまた苗字でも区別できる(八切止夫は「姓の方則」と呼ぶ)ように、平家系(古代海人族/南方系)は「あかさたな」系、源氏系(沿海州蒙古系)は「おこそとの系」、朝鮮系が「いきしちに系」が韓国系、支那系は「うくすつぬ系」はとなっているそうだ。

 「えけせてね」は、藤原氏が反抗する者どもを差別するためにつけた。例えば「江戸、江藤、蝦夷、恵那、江田」といった苗字は、藤原政権の追及迫害を逃れた人が隠れた(追いつめられた)土地からきたのであり、「エの民」と呼ばれたようである。

 この件は本ブログで何度か取り上げた。
 「苗字の仕掛けにみる日本の素顔」(1〜4)
http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/308192020.html
 「名古屋における『四』と『八』の民の違いの実態」(1〜4)
http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/309050172.html
 を参照されたい。

 で、何が言いたいかと言うと、本稿で縷々紹介してきた中世の寺社の横暴、支配体制をみるに、八切止夫がひもといたような日本のありようがうなずけるのではないか、なのである。日本の寺社が経済面で巨大に権力化し、商業や金融を牛耳ってきたのも、元はといえば、彼らが藤原氏と同じ民族で、いわばツーカーの関係にあったからではないのか、である。

 寺社がすさまじい権勢を把持し得たのは、ただに人々の信仰を利用したからではないように思えるのだ。権力機構との一体性が問われても良いと思われる。くどく言うが、藤原氏は支配者として支那からやってきた。そしてそれまでの日本の人種のるつぼ社会の上に、いわばそっと乗ったのである。

 唐の進駐軍は、日本を占領したものの、本家の支那では唐は早々に滅亡してしまう。帰るところがなくなる。である以上は、この国で支配をうまく続けるほかなかった。国家をバラバラにしたり、原住民の叛乱を押さえ込むには、平安時代の体制、すなわち政教一致がベストだと考えられたのだろう。
 それが平家系、源氏系に分けて職業で区別させ、反抗勢力は賤民に落とすなどして、いわゆる「分割して統治」したのである。

 その分割したものを、常に統括体制に置くために仏教が活用されたのであり、寺社が経済を統括したのではないか。政治権力たる藤原氏と一心同体であったものが、藤原氏が滅亡しても残った仏教寺院が相対的独立をたもって経済分野で権勢をふるった。
 時代は武家社会に移行しても、その武家の強さは経済感覚や経済政策が決め手になっていたから、寺社は信長に破壊される(以後政教分離が進む)までは日本社会を牛耳ったのだ。

 こうして寺社の成立の目的、その変遷などに着目してみると、もしかして、天皇が「万世一系」で続いたわけも意外にそれらと密接に関わっていたのではないだろうか。
 天皇家は歴代、仏教であった。光厳院が出家して常照皇寺に隠遁したのも皇室が仏教信者だったからである。

 別のいい方をすれば、天皇家の存続は寺社が経済的に支えたのである。先に述べたように、日本の経済活動、金融は寺社が担ったのだから、天皇家の存続も間接的にかもしれないが、寺社が支えたと考えられる。政治的支配体制だけで天皇が存続したはずがないではないか。

 例えば、京都の御所は城郭ではなく、乗り越えようと思えば簡単な塀に囲まれているだけ。それは天皇が民衆のために存在したからなどと言う者がいるが、案外、比叡山や京都市内の寺社が守っていたから、外敵が襲うことがなかったのかもしれない。

 戦国時代が出来したのは、後醍醐院が鎌倉幕府を倒して建武の中興をやらかしたからだった。そこから室町幕府ができたりしたが、足利氏も財政基盤が弱いままで、戦国大名を輩出させるに至る。後醍醐院は平安朝の復興を画策したわけだが、鎌倉幕府を倒そうにも、あるいは足利尊氏を倒したくても、武力は皆無、財力もなし。で、どうしたかと言うと、比叡山の寺社勢力に頼んだのである。

 寺社勢力は領地を巡っては武士階級とは敵対関係にあったから、後醍醐院に味方して、自分たちも既得権益を護ろうしただけ。その邪な打算が社会混乱を起こして南北朝の騒乱を長引かせた。後醍醐院もワルなら、寺社勢力もワルだった。日本の現代保守勢力や天皇教信者は、あろうことか後醍醐を天皇を祭り上げる。アホか。
 
 しかし別の角度からいえば、こうした寺社の体制で成り立った社会が、日本人のココロの形成、文化の生成にどれほど関わったかである。
 岩本裕著『日常仏教語』(中公新書)を読むと、膨大な数の単語が仏教用語から来ている。例えば、挨拶、くしゃみ、乞食、だらしがない、バカ、人間、内緒、根性などなど。つまりは仏教用語が流布しているのは、日本人のココロに相互浸透したのである。

 あるいは、今日日本の伝統文化と呼ばれるもののほとんどは中世、とりわけ室町時代が圧倒的に多い。司馬遼太郎も現代日本の文化の母は室町時代だと言う主旨のことを書いていたと思う。それは中世寺社に起源がある。カネがあったから、文化にも回ったのである。

 本稿の冒頭で述べたが、京都に祗園のような花街が出来たのは、だから比叡山があったからであり、坊主どもがカネを持っていたから、酒と女で蕩尽しつくしたのだ。祗園祭りは中世が発祥である。
 京都の料亭、割烹の味はまさに珠玉である。祗園の茶屋の料理は食べたことはないけれど、その茶屋が観光客目当てにランチの店をやっていたりして、そういうところに行くと、それはもう隔絶した旨さなのである。
 比叡山その他、京都中の寺社がありあまるカネに任せて、いい素材を取り寄せさせ、料理人の腕を磨かせたからであろう。
 
 料理には美しい皿などの容が必要で、こうした陶器も極上品を競ってつくらせたのだろうし、舞妓芸伎が着る衣服にしても、染めにしても、アクセサリーにしても…と、贅を尽くすことができる財力があったおかげである。これで文化の華が咲かないわけがない。

 例えば能の世阿弥は興福寺の出である。生け花の池坊は延暦寺が発祥だ。茶道も、作庭も寺社がもとになっている。
 古代以来脈々と続く文化は少ないものだ。
 日本には大昔の仏像がよく残されていて、支那や朝鮮のようには壊されてもうない、なんてことは少ない。そういう幸運が起きたのは、寺社が裕福だったからではないだろうか。

 ところが「日本論」「日本人論」には、経済の問題、とりわけ寺社による支配はまったく欠落していて、タブーである。
 こんなことでは、未来に役立つ人間学が成り立つわけがない。
 タブーを撃ち破って、宗教を単にココロの問題や政治との関与だけにとどめずに、経済との深い関係や、仏教が行なった悪辣をもっと解明していってほしいものだ。
 悪辣非道の半面で、富の蓄積があって、京都から文化が生まれていった。

 今回は取り上げなかったが、伊藤正敏氏の『寺社勢力の中世』という秀作もある。彼は「江戸時代以後の歴史書は、中世史を幕府と天皇の対立としてしか描いてこなかった。その姿勢そのものが間違っている」としたためている。
 そのとおり、日本史は歪んでいる。




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2016年12月23日

寺社はフィナンシャル・グループだった(2/3)


《2》
 では歴史を尋ねてみよう。
 平安、鎌倉、室町…と続いてきたことだが、とりわけ顕著になったのは、戦国時代である。信長が比叡山や石山本願寺と戦争をやったことがその典型であるが、寺社は当時強大な勢力であった。
 官許歴史教科書では、比叡山や本願寺が巨大な勢力で、信長の政治に対立したから紛争になったとしか言わない。寺社がどのようなものだったかはタブー視されている。

 だからなぜ比叡山や本願寺が徹底して破壊されたか、わけがわからず、信長って乱暴な人、宗教迫害だったとの印象しか与えない。教科書ではそういう教え方をする。
 しかし、その寺社勢力の内実を知れば、信長ならずとも焼き討ちしたくなるし、信長に感謝せずにはいられまい。

 往時の寺社勢力は、国家の政治経済(社会)の中枢に位置していた。財閥勢力であり、治外法権を把持する特権階級だった。なぜなら、寺社は莫大な財とそれを維持するための武力を持っていたからである。
 いまでもバチカン市国は、その財政が闇のなかで、マフィアともつながり、巨大な金融組織となっている。同じようなものだったろう。

 室町時代から戦国時代にかけて、日本の資産の大半は寺社が所有していた。当時は八大財閥があって、自治都市の堺と大山崎、それに細川高国、大内義興、あとは寺社が4つ。しかもその4つのうち3つが比叡山関連だった。
 最大の寺社は比叡山延暦寺であったが、ほかにも東大寺、興福寺、高野山、青蓮院(しょうれんいん)、多武峰(とうのみね)、金峯山(きんぶさん)、南禅寺などがあった。
 全国に多数の荘園をもっていた。比叡山の荘園数は285か所。信長の焼き討ちで台帳はかなり焼失していて、これしか把握できていないが、実際にはもっとあったはずである。

 比叡山は荘園の農地だけでなく、京都の繁華街にも3ヘクタールもの領地を持っていた。あの悪辣無比の後醍醐院が所有していた領地より広かったそうだ。地代で儲けていたのだろう。
 現在の奈良県では、興福寺など寺社が所有してない土地はなかった。したがって室町幕府も代官を置くことができなかった。
 
 ではどうして寺社が莫大な財力を持つに至ったか。昨日、触れておいたが、寺社は農地や金銭などの寄進を受け、それが荘園となっていった。寺社がそれほど寄進を受けていたのは、当時の上層階級の人々にとって「寺社に寄進すれば救われる」と考えていたからだ。 
 そして寺社は余ったカネで貸金業も始めた。

 荘園からとれる米、寄進される米は、寺だけでは食いきれないから、余った米を高利息で貸した。これを「出拳(すいこ)」と言う。国家の事業だったが、私的に神社や寺院が行なうのを「私出挙」と呼ぶ。
 この習慣は世界各地に見られるもので、太古からの農業社会では、領主などが小作農に対して播種期に種子を貸与し、秋の収穫期に利子を付けて返済させる慣行が生まれた。利子の起源であろう。
 やがてそれは米からカネに代わっていった。
 
 現代で言うシニョリッジ、すなわち国家が紙幣を刷って市中に流すのも、その発展形態か。紙幣を刷る原価が仮に1枚1円であっても、市中ではそれが1万円として流通させることができ、その差額が国家の資金となる。

 ユダヤ人はアメリカに寄生してFRBを押さえ、ドルを無尽蔵に世界中にバラまくことで、莫大なシニョリッジを得ているわけで、ユダヤにとって、アメリカのドルを基軸通貨から外すことだけは絶対に許さない。そして、アメリカに逆らう国は、戦争でアメリカの青年の血を流させてつぶすのである。

 話がそれたが、戦国時代は室町幕府が弱体化し、各地に戦国大名が出来して経済的統制が取れなくなったことが背景になって、比叡山延暦寺は日本最大の金貸し業者にのしあがった。幕府がだらしなく、機能していないのだから、法治ができず、それをいいことに比叡山などの寺社は悪辣な営業形態をとった。
 高利で貸して、延滞すれば容赦なく僧兵を差し向けて取り立てにかかる。

 比叡山と日吉大社の標準的利息は、年利48〜72%だったというから、現代の闇金でも真っ青である。人の弱みに付け込んで、ここかで阿漕をやったか。
 武装取り立て人は、公家だろうが百姓だろうが容赦なく家に押し入って強硬手段に訴えた。

 義経の従僕となった弁慶は僧兵だったから、要するに借金取り立て人だった。
 借金が払えなくなったものは、田畑を売り渡したし、娘は売られたであろうし、それで賤民に落ちていった者もいたのではなかろうか。

 奇怪なことに、比叡山にある日吉大社は延暦寺の守護神社である。滋賀県大津市坂本にあり、全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称、山王権現とも呼ばれる。古事記のころからあった神社で、「私出挙」をやっていた。
 日吉は、今では「ひよし」と呼ぶことに統一されているが、昔は「ひえ」と読んだ。つまり「日吉=ひえ」は比叡山=「ひえの山」なのである。両者は表裏一体で、カネ稼ぎを行なっていた。

 比叡山は、平安遷都以後に最澄が天台宗を興して延暦寺を建てたことになっているけれど、最澄は「日吉の山」にあえて広大な寺をつくったのも、日吉大社の金銭力を当て込んだのかもしれない。
 こういうことは、官許歴史教科書では教えないし、現今の観光案内にも記されない。多くの人は知らないまま。

 日吉大社が全国に2000もあったことからわかるように、手広く金貸し業を行なっていた。全国に「神人(じんにん)」を派遣しては、公卿から物売り女に至る階層に、日吉大社の米を借りませんかとセールスして歩く者である。古代では稲だったものが中世にはカネを貸すようになった。貨幣経済になったからである。

 こんなおいしい商売を他の寺社も手をこまねいて見ているだけのはずがなく、比叡山にならって猖獗を極めたのである。やがて寺社同士で利権争いが起き、騒動に発展したこともあった。

 その利権の一つが、「市」である。昔は常設の店舗を構えて売買がなされなくて、定期的に開かれる「市」が商業の中心だった。そこに寺社は大きな影響力を持った。土地を貸すこともそうだし、市の開催権も寺社が握っていた。
 今でも祭りのときに、神社仏閣の境内で出店があるのはその名残りで、昔から寺社の縁日に市が開かれたのだ。

 出店するほうも、寺社境内の中なら、無法に強奪される心配もなく、定期的に商売ができるのだから、安心である。ショバ代を払ってもいいとなる。
 博打場も開かれたし、庶民に大麻を吸わせていい気分にさせて信仰に引き込むこともあったようだ。
 だから寺社は金貸業だけでなく、商品流通も支配するようになっていった。

 「座」は寺社が幕府に働きかけて独占販売権を得たり、気に入らない業者を締め出すために創られた。当時の生活必需品であった、酒、麹、絹、油はみんな寺社の手の内で流通した。
 京都の南禅寺は豆腐料理で有名だが、南禅寺は油のシェアを握っていた。油は大豆を絞るわけだから、大豆から豆腐をつくって売ったものであろうか。

 それが中世である。
 それをブチ壊した男が織田信長だったのである。楽市楽座とは、寺社に独占的に仕切られた閉鎖された商業を解放することだった。
 これは勝手な想像だけれど、イスラム世界では教徒になることで、商品流通に参加でき、有利になることから信者が増えていったのだ。今もそうだろう。
 
 すなわち、イスラムはいまだに中世までの日本のように、宗教が商売やなんやらの利権を握っているのであろう。たとえば、イスラムは1日に何度もメッカに向かって遥拝するし、断食月がある。これに参加しない変わり者は、あの世界では商売できない(生きていけない)。その利権をイスラムの僧侶が握る。
 それでは貧しいままじゃないかと、「近代化」=「脱イスラム」を計ったのは、トルコのアタチュルクやイラクのフセインだったのであろう。

 世界中どこでも、宗教とは要するにカネである。宗教はまた利権である。世俗にまみれるしかない。



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2016年12月22日

寺社はフィナンシャル・グループだった(1/3)


《1》
 京都の常照皇寺には、季節それぞれ何度も足を運んだ。6〜7度は行っているだろう。
 常照皇寺については何度も本ブログで書いてきたが、再度言えば、京都の市街中心部からクルマで1時間ほどの丹波山中、右京区京北にある。北朝の光厳院が創立というか、隠遁され、亡くなった寺である。

 正気(せいき)漂う静謐、高潔な寺である。京都から遠過ぎて人影はいつ行ってもまばらだ。
 京都在住の畏友をともなって最初に行って感動して以来、繰り返し行っても飽きない。京都で一番好きなところ、あるいは感動したところは?と聞かれれば、常照皇寺しかない。

 京都在住の畏友は、東京などから観光に来る友人らに、「京都もいろいろ観光地は巡ったけれど、何か面白い特別な所はないか?」と言われたとき常照皇寺に連れて行く。するとみんなが感動する、と言っていた。
 光厳院と常照皇寺については、本ブログで『風雅和歌集』を検索していただければと思う。

 常照皇寺に行けば、明白にわかるのは、京都で観光地と化した有名寺院とはまったく雰囲気が違うことであろう。京都中の神社仏閣は俗化が激しいが常照皇寺にはそれがない。
 観光地かそうでないかの違い、と思われるだろうが、これはそうとは言い切れない。

 今回はこの謎を考察してみたい。
 皆さんは京都の祗園とか宮川町をご存じだろうと思う。夜の華やかな、庶民には縁遠い一見さんお断りの、舞妓芸妓がはべる超一流茶屋が並ぶ。他にも上七軒にもこの類いの花街はある。
 なぜ、じゃあ祗園のような花街が、京都に集中して存在するのか。

 むろんどの都市にも繁華街はある。色街もあったろう。しかし京都はその規模も高級感も図抜けている。誰でもそれは京都が都だったから、といった程度に片付けることかもしれない。
 
 でもこれは、なぜ京都には神社仏閣がたくさんあるのか、と答えは直接である。「直接」すなわち、切り離せない。
 そもそもの両者の成り立ち、歴史をこれはひもとくしかない。
 今でも、花街の一番の上客というか多いのは、京都の寺の僧侶である。これは、「そもそも」の名残りだからであって、現今の寺社が観光で(入館料・拝観料で)ぼろ儲けしているから、だけではない。

 そもそも仏教は、往時の権力者が持ち込んで広めた(広まった)宗教である。鎮護国家として、そして次には死んで極楽浄土へ行きたい人たちが信仰するようになっていった。
 なにしろ死は怖い、怨霊に祟られるのも怖い、地獄に堕ちるのも怖い、身内に不幸が襲われるのが怖い。天変地異も怖い。病気になったらケガをしたら、病院がないのだから人は簡単に死んだ。

 頼れるものは加持祈祷をしてくれる仏教しかなかったのだ。
 だから人々は、せっせと土地や財産を寺社に寄進した。今もその人間の心理は変わらない。キリスト教だって同じようなものである。
 僧侶どもは、祈るだけでガッポガッポと人々が土地やカネをくれるのである。どんどん儲かっていく。
 
 そうなれば、寺社のほうだってそれを利用して儲けようとなる。法名、戒名を付ければ、あの世で極楽に行けますよだとか、お墓を建てて先祖を祀らないと祟りが…などと人々を誑かす。
 そうやって、寺社はカネまみれになっていった。実に平安時代には全国各地に荘園をもらい受け、カネもあり余るようになって、寺社は金貸しを商売にするに至る。

 寺社が金貸しとして隆盛するのは中世になって、である。
 みなさんは比叡山に行かれたことがあるだろうか。行けばわかるが、ひどい山の中なのに、寺社は巨大で豪華で圧倒される。荘厳といえば荘厳…。これでも織田信長が一度は焼き払ってくれたおかげで、小さくはなっているようだが、なんでただの仏教の寺が? と疑問が湧くであろう。
 それは比叡山が中世最大の金融センターだったからである。

 比叡山に限らず、どの仏教宗派でも本山があり、全国津々浦々に支社(末寺)がある。その田舎の寺社も、とりわけ広大な土地を持ち、立派な建築物を持っている。なんで?と思いませんか?
 現代では、お寺も経営に苦労しているのか、墓地、戒名、法事、あるいは幼稚園、駐車場、仏像拝観料なんかで多角的に稼ぎ、宗教法人の資格で無税にしてもらっている。
 
 だが、近代以前は広大な土地を管理し、巨大な建物を建て、維持していくのも、僧侶を住まわせて食わせるのもバカにならないカネがかかったはずで、その経費はどこから捻出したの? となるのである。ただひたすら、衆生に仏の道を説くために、な〜んて訳がない。
 今でも、新興宗教の創価にせよ立正佼成会にせよ真如苑にせよ、信者のお布施や会費だけで、巨大すぎる建物を維持しいよいよ大きくしていかれるわけがなく、しっかり投資で儲けているのである。

 ところが。
 こういう真実は語ることはタブーである。仏様のことだから、とか、ご先祖のため、とかで、一切語ることはない(許されない)。罰が当たるとでも言うのか。

 日本が核兵器を持ってはいけない、日本はアジアを侵略した、性同一性障害はかわいそう、人権はなにより大事、教育は個性大事、祝日に日の丸を玄関に掲げるのは極右、…こういう「空気」に日本は支配されている。それと同じく、仏教批判はしてはいけないという「空気」がある。
 議論してはいけない、話題にしてもいけない。

 私は、死んでも葬儀はやらないし、墓もいらないし戒名もつけるつもりはない。だが、そういう人間はまだ「変人」扱いされる。
 寺で僧侶と会うと、手を合わせて拝む人がいる。賽銭箱があれば小銭を入れたがる。それを信じるのは勝手だが、私はただ、どうしてどの寺も俗臭に満ち、僧侶の顔つきが卑しくなるのかを問うているのである。

 私の知るかぎり、京都の常照皇寺だけが例外なのである。その訳は、昔から寺社も坊主もカネまみれで汚れきっているからだと言いたいのである。
 以前、本ブログにも書いたが、毎年お盆の季節になると、東京には地方から大挙坊主がやってくる。地方から東京に出てきた人が郷里の坊主を呼んで、法事をやってもらうためにこうなる。
 そうした坊主は、夜になると吉原へ買春に行き、銀座などのクラブで豪遊する。

 みんな知っている。でも黙っている。
 本来、仏教は人のココロ、その清廉さ正しさ高潔さなどを希求する一つの考え方であったものが、広大な土地を持ち、巨大な建物を持つ贅沢をし、法事、戒名、拝観料で稼ぎまくり、坊主は花街へ押し寄せるようになっているから、俗臭ふんぷんなのであって、嫌でもそこが目に入るではないかと言いたいだけのことである。



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2016年12月21日

武人の誇りを想う


 本稿は、2009年10月27日に関門海峡で起きた、海上自衛隊の護衛艦「くらま」と民間商船「カリナ・スター」(韓国籍)が衝突、双方とも炎上した事件を取り上げて旧ブログに書いたものである。
 事件をネタにしているが、「武士の魂」がテーマになっており、それを見事に指摘しているわが道場のM参段の見解を埋もれさせておくのはもったいないので、再録するものだ。

 もうだいぶ忘れられた事件とは思うが…、海上衝突事故の被害は「くらま」のほうが大きく、船首部分が大破した。
 この件について、わが空手道場のM参段に、感想を尋ねたところ、返ってきた返事が以下である。彼は「カリナ・スター」のことを「キムチ号」と呼んでいる。

     *     *
 (引用開始)
 いずれ裁判で明らかになるでしょうが、港則法違反はキムチ号であることはすでに概略明白の様子です。
 この狭い水路(追い越し禁止区域と思われますが)で10ノット以上など、追い抜くためとしても危険な高速であり、無理な追い越しと一般的に考えられるスピードです。
 管制にも責任はありますが、最終的には船長の責任であり、航空管制と違い、管制にはこの場合権限はないのではないかと思います。
 単なるサービス行為かどうか不明です。

 明治以来、法さえ整備すれば事故は減ると考える古い法哲学は、屋上屋を積み重ね、人間の暗記能力を超えた施行規則の数となっており、もはや不慣れな外国人には自力航行は無理であり、日本人水先案内人の独壇場でありますが、彼等も己の目視と経験に頼り、管制の強制力と訓練が必要な業界事情と思います。

 あまりに航空に比べ、衝突事故が多いのです。レーダーとGPSが発達した今日、主要港は強制管制を開始すべき時期と思います。
 人間はミスを犯すことを前提とした、安全対策が必要と思います。伝統と慣習とプライドに縛られており、海技試験も法体系も大きな変化がありません。

 艦船は船首部分の余白を倉庫として使うことが多く、当然ペイント類は戦時には一切の可燃物と一緒に陸上に降ろします。
 この点の徹底は日米の艦船はヨーロッパの諸海軍より太平洋における過去の戦訓は徹底しており建造時からして、木造部分などほとんどありません。
 大和出撃の際もイスやテーブルなどの可燃物は全ておろし、状況によっては艦のペイントまで剥がして出撃しています。

 ただダメージコントロールは各国海軍の見せ場であり、被弾被雷に際しての火災訓練は、各国海軍の実力の内と測られ、なんとしても自力で消火すべき所でした。世界は注目していたでしょう。
 大名屋敷の出火に町火消しの手は借りられぬこと、武士の誇りであり、軍人としてはなんとしても保安庁の手は借りず、自己完結すべき状況であったと思います。安全第一は商船なら当然ですが、火災の規模と勢いに艦長としては安全サイドを取ったものと思います。

 なんにせよ、軍艦としては大問題であり、今後は平時であっても艦首前方後方への衝突を考慮し、揮発性可燃物の搭載は規制されるでしょう。
 ソウルではキムチ号の快挙を祝う提灯行列が行われたことでありましょう。艦首に菊の御紋がなかったことは不幸中の幸いでした。陛下の御艦なら切腹でありましたね。軍隊と自衛隊の違いでありましょうか。
(引用終わり)


     *     *

 さすがM君は古今東西の戦史に詳しい。感嘆した。不勉強なマスゴミ記者にはない鋭い視点で見ている。それが艦自力で消火すべきだった、との見方である。

 また、「大名屋敷の出火に町火消しの手は借りられぬこと、武士の誇り」の一節にも皆さんは目を瞠ったのではないだろうか。こういう日本人のスピリットに関しては、敗戦後は地に墜ちたのである。
 子どもには英語なんか教える暇があるなら、こういう日本人の魂を教えねばならぬ。

 さらに、M参段からは追伸がきた。阿修羅掲示板に「くらま」が軍艦のくせにコンテナ船より船首部分の強度がないのかと嘲る投書があったが、それへの注釈である。それが以下。

     *     *
 
 (引用開始)
 護衛艦も一般商船も同じく、艦首船首艦尾船尾付近は対波構造で強く造られた特別構造(パンチング構造と言います)になっていますが、衝突ではひとたまりもありません。イギリス艦では犯罪者反抗水兵などの独房になっており、波で打たれる太鼓の中の“快適”生活です。
 構造は20〜25ミリ程度の鋼材の骨組み合わせに過ぎず、昔の軍艦も突撃用のラム型艦首の頃は今より強度はあったでしょうが、日露戦争前には廃止されています。

 現在の護衛艦に相当する旧海軍駆逐艦でも、当時の15トン程度の中型戦車ですら搭載は無理だったと思います。甲板強度がありません。
 現在の50トンを超える重戦車を搭載できる船舶など、各国とも保有数はたかが知れています。中国海軍も同様でしょう。
 (引用終わり)

     *     *

 まったくイギリス海軍は船首部分が独房になっているなどと、なんでも良く知っていること! 

 さて。
 「陛下の御船なら切腹」とM君は書いているが、当の陛下が敗戦時に生命惜しさに戦争責任を回避して、ぜんぶ東条英機におっかぶせた、あの見苦しい振る舞いゆえに、日本人は無責任になっていったと私は思う。そこが天皇家や公家どもと、武士の魂の違いである。
 まさに昭和天皇とその側近どもは、天下人たる「誇り」をかなぐり捨てて、「大名屋敷の出火に町火消しの手を借りる」ごとくに、戦争の責任を陸軍上層部になすりつけたのであった。

 まさか昭和天皇がそんなことを、と疑う人は、豊下楢彦著『昭和天皇・マッカーサー会見』(岩波現代文庫)を読まれたい。
 昭和天皇はマッカーサーとの11回にも及ぶ極秘会談で、何を言ったかを見事に検証している。
 有名な第1回目の会見で、昭和天皇がマ元帥に言ったとされる言葉、「私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねる」「一身はどうなっても…責任は私にある」などと語ったとされ、人口に膾炙しているセリフは、大ウソである。

 それは当たり前で、第二次世界大戦はまるごと言ってみれば連合国や枢軸国の「八百長芝居」であったからだ。始めから天皇は免責される手筈なのだから。

 国家のトップが、ただ戦犯容疑を負わされることから逃げたいために、自分は知らぬ存ぜぬを言い通して、罪を陸軍幹部に負わせたのだから、下々が魂をなくすのは当たり前であった。
 歴代天皇と公家が無責任で通したなか、唯一、南北朝時代の光厳天皇だけが立派に責任を取ったのだと、本ブログで以前紹介した。

 つまりは、M君の言う「大名屋敷の出火に町火消しの手は借りられぬこと、武士の誇り」の一節を自らも体現した、唯一の天皇が編んだ和歌集だから、『風雅和歌集』は日本古典文学の金字塔なのである。
 現代の天皇家にとっては、光厳天皇のような方が脚光を浴びては困るのであろう。だから南朝正閏説をとり、北朝・光厳天皇の偉業を国民に知らせない。

 M君のこの「武士の誇り」が大きく欠落して、サラリーマン化しているから、今回の海自護衛艦の“他力消火”の一件が起きる。
 江戸時代の武家屋敷が火を出したら、いわゆる町火消しには頼れないのだから、いかに日々隙を見せない生活を律していたかがわかる。護衛艦にはその緊張感がないのであろう。

 家屋敷から絶対に火事は出さないという緊張感ある生活を送っていた武家ゆえに、庶民にも尊敬されたはずである。花嫁修業をさせるなら武家屋敷に奉公に行かせたいと、庶民が願ったのもうなずける。だが、今なら、そんな窮屈なバイトなんか嫌だわ、となってしまった。

 そして自分だけ早く行きたいと、勝手な船の運航をして、他の船にぶつけてしまう韓国人の「キムチ号(カリナ・スター号)」に象徴されるように、日本人も彼ら在日と相互浸透して、「誇り」を失ってしまった。




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2016年12月20日

孔子も孟子も、デッチあげ(2/2)


《2》
 秦の始皇帝が漢人でないことを冒頭に書いたが、彼もどうやらユダヤ人であった。秦とはそもそもバクトリア王国のことだと言われる。バクトリアがどれだけの地域を支配したか私にはまだよくわからないが、中央アジア一帯から現在の支那あたりに広がっていたのだろうか。この秦の歴史を書いた『秦本紀』という“歴史書(?)”は、アヤメネス・ペルシア史の漢訳だそうである。

 現在、始皇帝の墓とされる西安の兵馬俑は、調査したいから写真を取りたいと申し出ても禁止になっている。理由は明らかではないが、中共政府が自分たちの歴史の真実が暴露されることを恐れたのであろう。実際、06年に兵馬俑の眠る始皇帝陵の陪葬墓から出土した人骨は、ペルシャ系のDNAが見つかっている。このことから、秦の時代の軍隊は諸民族の混成隊だったと思われているようだが、そうではないだろう。兵馬俑の兵士像の顔を見ただけでも明らかなように、あれはギリシャ人だったと素直に考えるべきではなかろうか。

 以下に「秦始皇帝兵馬俑博物館」の展示が見られる。
http://www.joyphoto.com/japanese/abroad/2003xian/heibayo01.html

 鹿島氏はペルシャの史書には、古代中国大陸はトルコ人が占拠しており、アレクサンダー大王がバクトリアから洛陽に侵入して市民たちを殲滅した、と書いてあると記している。むろん支那史にはどこにもそんな記述はない。それは一つには隠したからであり、全部を借史にしたからであろう。かつてはトルコ民族は一つだったものが、大きく分かれ、一つは現在のトルコへ、一つは現在のウイグル(東トルキスタン)になった、と同様であろう。

 秦陵墓や兵馬俑とは、実は漢民族の先祖の遺跡ではなく、バクトリアから侵入したギリシャ侵略軍(アレキサンダー軍)の遺跡だったのである。これが世界にバレれば、当然支那の歴史は全部がデタラメになる。となれば中共政府が主張する領土の根拠がまったく失われる。例えば支那は、尖閣諸島は支那の領土だとか、南沙諸島は昔から支那領土だとベトナムやフィリピンを脅す根拠、満州も漢民族のものだという根拠も、み〜んな消えてなくなる。そればかりか、奴らがいう「南京大虐殺」もやはり捏造と世界中で見なされる。(ザマミロ!)

 しかしながら日本も(朝鮮も)同様であって、関西などにある天皇の巨大古墳は天皇家が絶対に調査させない。調査すれば天皇家が万世一系だとか神統が一系などというウソが全部バレてしまう。
 昨日紹介した鹿島氏のインディアンの譬えでわかるとおり、支那人(多くの混血の結果としての支那人)が、自民族の歴史を必要としたところから生じたこのウソつき手法が、やがてあらゆる王朝でも採用され、ニセの史書としてゴロゴロと今も残る。

 現今の支那共産党もそれを踏襲している。国家のトップがこれなら、民族全体が嘘つきになるのも当然である。だから現在の支那の食品やら工業製品やらで偽造ばかりやる国民性を抜本的に直すには、自民族の恥ずべき歴史を全部ウソだったと告白するしかない。そうしないかぎり、小手先で偽造犯人を捕まえて厳罰に処したとしても、効果はない。

 われわれ日本人も天皇制の万世一系などというウソは、全部ご破算にしなければならない。そういうウソをウソと認めたくないと言い張るかぎり、日本の再生はあり得ない。

 林秀彦氏は『この国の終わり』(成甲書房)で、「荘子とプラトンはほぼ同時代である」とさらりと書かれている。しかし鹿島昇氏の見解はこうなる。
 荘子は、道教の始祖の一人とされているが、実はアリストテレスのことを漢字で書いたものだ、と。アリストテレスの先生にあたるプラトンは、列子と漢字で書いた。さらにプラトンの師ソクラテスは壷丘子林(コクリ)である。

 支那のこれら“学者”は、道教の説くところでは、「列子は列御寇といい、前五世紀に生まれ、壷丘子林(コクリ)を師として虚の哲学を学んだ。また荘子は荘周といい、前四世紀に生まれた」としている。要するに、列子、荘子などは、みんなギリシャの“哲学者”の焼きなおしである。だから林秀彦さんが荘子とプラトンは同時代と書いたのは間違いで、そもそも荘子はいなかったのだ。

 伝えられているところでは、ソクラテスは紀元前469年頃生まれで前399年没。プラトンは前427年〜前347年。アリストテレスは前384年〜前322年。
 一方、列子は紀元前400年前後の70年間に生きたと伝わる。だからほぼプラトンと重なる。荘子は不明ながらも前369年〜286年とされる。これもアリストテレスとほぼ重なる。重なるというより、重ねたのであろう。

 列子が創ったとされる故事成語で有名なのは、「杞憂」「朝三暮四」「愚公山を移す」「疑心暗鬼」などがある。プラトンが似たようなことを言っているのかどうか…。また、荘子で有名なのは、どなたも漢文でならっただろうが「胡蝶の夢」である。荘子は老子とともに彼らの思想が道教に発展したといわれる。

 では老子はといえば、二人の人物の合成だと鹿島氏は説く。
 孔子は老子に会って教えを乞おうとして追い払われているが、その老子は予言者サムエルがモデルである。『道徳教』を残したとされる老子は、イスラエルの北朝サマリア人の神官だそうで、この人物はアッシリアの捕虜となって支那に来たという。

 老子は儒教を嫌う。儒教は老子を嫌う。それはこの来歴を知ればおのずと理由が明らかになる。つまりもとの民族が違うのであろう。
 他に有名どころでは孟子がいるが、これはやはりレプカ人の予言者アモスという人物と、古代ギリシアの“哲学者”イソクラテス(プラトンに影響を与えた人物)を合成した人間である。アモスは北朝イスラエルの滅亡を予言したとして有名だそうだ。孟子は孔子と並ぶ儒教の祖であり、性善説を唱え、政治は王道でなければと説いたとされるが、そんなことはとうの昔にオリエントやパレスチナで頭の良い人間が説いていたのだ。
 
 こうしてざっと見ただけで、ギリシャ哲学といわゆる東洋思想とが、かなりその登場人物において重なることが見てとれる。ちなみに秦王朝=バクトリア王国は紀元前221年から206年までである。とはいえ、この年代ですら怪しい。全部支那人は歴史を捏造してわからなくしてしまうからだ。

 古代の支那に亡命なり遠征でやってきたオリエントの民族やユダヤ人は、漢土で、故国の歴史をなぞって、あたかも独自の歴史や思想ができたかのように繕ったのである。だから儒教や道教は、そういうギリシャ思想から頂戴した捏造の思想であった。その意味で、東洋思想などはウソっぱちである。

 私は先ほどからあえて“東洋哲学”とは書いていない。儒教や道教は哲学ではないからだ。せいぜいが思想である。その思想も最初は見てきたようにウソっぱちではあったが、長い年月を経るにしたがい、それらに騙されつつも「良く解釈しよう」との善意(?)のおかげで、それなりにギリシャ哲学とは相対的に独立して発展を遂げたのだと思われる。

 今回紹介した支那史が全部借史だった説は、にわかには信じられないかもしれない。私が紹介したのは、鹿島氏の本のごく一部である。詳しくは『孔子と失われた十支族』を読んでほしい、国家あるいは民族の興亡史からそれが豪快に説かれている。





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2016年12月19日

孔子も孟子も、デッチあげ(1/2)


《1》
 支那人は徹底した嘘つきである。食品、薬品、コピー工業製品、土木建築物、骨董、さらには領土、歴史、統計、国家間の条約に至るまでありとあらゆるものがウソのかたまり。それが骨の髄までしみ込んだ民族性である。したがって、彼らの書き残したとされる史料は、まったくすべてと言っても言い過ぎではないほどにウソ、偽造のかたまりであることくらいは承知していなければならない。

 それにしても、古代国家についても全部が偽造だったとは恐れいる。支那で最初の統一帝国とされる秦ですら支那人が創った国家ではなかった。秦の始皇帝はいわゆる漢人でもなければ、蒙古人でも匈奴でもない。
 とはいえ日本も朝鮮も、支那を嗤う資格はなく、書かれて信じられている歴史はウソが多い。それでも支那ほどはひどくないのでは、と思わせるほど、支那は全部がデタラメで、驚くほかない。

 今日の話のタネ本は、鹿島昇著『孔子と失われた十支族』(新国民出版社)である。この本は、私が浅学にして知らない古代の国家名や皇帝の名前が、次から次に出てきて、もうろうとさせられたが、それでも世界史がこうだろうと教わってきたものが、全部ちがうと分からされる衝撃はかなりのものである。世界史はユダヤがつくったと知ったときも衝撃だったし、日本の庶民がどんな生活をしていたかを八切止夫の本で知ったときもショックはあったが、鹿島昇の古代史考察にも目からウロコどころか目玉そのものが落ちるほどの激震であった。

 今日の主題である孔子は、実は本当はイスラエル人の予言者エリヤ(エリア、イリア、イリヤとも表記される)だったのであり、支那には孔子などという儒者は存在していなかったと言われて、みなさんはどう受け取られるだろうか? 端的には、支那古代の歴史をつづったとされる、例えば『史記』は、全部が偽造の書であって、すべてイスラエル地方の歴史、ずばり言えば『聖書』などの引き写しでしかなかった!

 『史記』は、あまりにも有名で、司馬遷が紀元前91年ごろ(前漢の武帝の時代)に完成した“歴史書”とされるが、大ウソなのだ。司馬遷は南朝イスラエルの(支那地方に亡命してきた)予言者が己のイデオロギーを説くために偽造したデタラメ本で、決して史実をつづった“歴史書”なんかではない。

 よくよく考えてみれば、司馬遷なる人物が一人でいろいろな史書を読んで、支那の歴史を書いたという話だが、そもそも彼が参考にした史書なんてものが、本物の事実を書いていたとは全く言い切れない。
 昔、作家・武田泰淳が『司馬遷』という小説を書いたが、泰淳坊主も見事に騙されたクチである。

 『論語』もしたがって、孔子は架空の人物だから、孔子がしゃべった言葉をまとめたものではなく、予言者エリヤの書なのである。エリヤの言ったことを書き留めたものらしく、それをいわば適当に翻訳したものが『論語』なのである。予言者エリヤは『旧約聖書』に登場する人物である。
 
 孔子(エリヤ)の弟子とされる子路はやはり予言者エリシャである。エリヤとエリシャはともにイスラエル地方にいたレプカ人の指導者であって、『論語』に「孔子は礼を説いた」とある「礼」とはこのレプカ人のことだった。
 儒教とか儒者というのは、つまり「じゅ」という音でわかるように、ユダヤ人を意味する「Jewジュー」のことである。「じゅ者」とは、ユダヤ人のことだ。ユダヤ人がイスラエル地方から支那にまで来ていたのである。

 鹿島昇は、支那人の古代史はすべてオリエント史を“借史”したものだと断定している。つまり支那の史書作成の目的は、儒者=ユダヤ人が儒教のテキストとすることにあった。歴史上こうだったのだからこうすることが正しいとか、こういう施政をやれば暗愚な皇帝といわれて排斥されるぞ、とかを分からせるためのテキストなのである。
 支那ではよく焚書が行なわれたが、これはよく言われるような前王朝を否定するというよりも、“借史”を隠すためだったそうだ。

 鹿島昇はこうしたオリエント史を支那史に移し替える手法を以下の譬えで説明する。
 「アメリカインディアンが、ある日クーデターを起こして白人を皆殺にしたとしよう。そして国家を作り、史書を必要としたとして、この人々が口伝した自族の歴史はもはや再現できまい。また指導者の多くはすでに白人との混血であった。そこで史官がアメリカにおける白人の文明史をすべてインディアンの歴史に書き換える作業をしたとしよう。自動車もジェット機もインディアンがつくったということになる。

 そのうちこの史官は、アメリカのアングロ・サクソン人が、ヨーロッパから渡来したことを扱うとき、蒸気機関車をつくったヨーロッパの歴史もまた、アメリカ大陸で起きたことにしたいと考えるかもしれない。突然、インディアンが自動車を発明したというのでは説明がつかないからである。また、もし地球が猿の惑星になったら、猿は人類の歴史を猿の祖先の歴史にするかもしれない。……このような過程が、秦の焚書のあと、漢の武帝が行なった史書作成までに生じたのではないか。
 司馬遷が王家の命に服して、バビロン、アッシリアの史書を中国史に書き換える姿は、彼に施された宮刑とともに悲痛なロマンがある。」


 さらに『孔子と失われた十支族』にこうある。
 「エリヤと孔子を比較すると、『旧約』にエリヤが登場するのは、イスラエル王アカブの前に“予言者エリヤ”が現れたのが始まりである。してみると、昭公時代の孔子に関する説話は、『旧約』に失われた部分であるか、または『論語』の作者が付け加えたものか、のいずれかである。

 また『旧約』は『アハブの弟ヨラム(悼公)が王となったあと、エリヤは弟子エリシャを従えて、死期をさとって遺訓を伝えたエリコを出て、ヨルダン川を越えた。そのとき火の車と火の馬が現れて二人を隔て、エリヤは大風に乗って天に昇った。エリシャは《わが父、イスラエルの兵庫よその騎兵よ》と呼んだが、エリヤは再び姿を見せなかった』と述べているが、孔子もまた火車に乗って昇天したとされている。
 ところが『旧約』は『エリシャはエリヤの死を看取った』と述べているが、『論語』は『子路は孔子に先立って死んだ』と述べている。中国の儒家は要人は長生きしなければならないと考えて孔子の命を延ばしたのであろう。」


 鹿島昇氏によれば、『論語』とは、アラム語で書かれたエリヤの書であって、『旧約聖書』の内容に酷似している。漢時代の儒者(ユダヤ人)は厖大なアラム文書から、政治に有益な部分を抽出して今日の『論語』に仕立てたのだと言う。
 「だからこそ『論語』によって人民をも支配することに成功したのであろう。『旧約』から『論語』を作ったのが漢王家に仕えた亡命ユダヤ人で、同じ人々が中国史を作ったとすれば、それがオリエント史の借史であることは決しておかしくない、むしろ当然なのである。」
と鹿島氏は断言する。

 鹿島氏は、「『旧約聖書』の大洪水からアブラハムに至る説話は、ユダヤ人のものではなく、おおむね先住民族のシュメール人やアッカド人の神話と歴史であった。『旧約聖書』の前半はオリエント史の借史なのである。」と言っている。つまり、ユダヤ人自体が流浪の民と化してユーラシア大陸を転々とする間に、都合のいいように自分たち民族の歴史を捏造してまわったということである。支那史もその一環であった。



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2016年12月17日

成功できない子、成功する子を分けるもの(2/2)


《2》
 昨日の冒頭の話に戻れば、プロスポーツの世界に飛び込んだ新人の多くがもらす最初の感想は、異口同音に「プロに憧れて入ってみたが、こんなに高いレベルとは思わなかった、自分はついていけるのだろうか」「今までの学校や地域では俺が一番だと自信があったが、まず鼻をへし折られた気がする」「自分なんかやっていけるのだろうか」「才能がないかも」と言ったことである。

 これは正直なところだろう。誰もがここで一度はショックを受ける。「ん?」というわずかな認識のズレが生じる。
 そこから立ち直って、なにくそと練習に励めば自分も一流プロへの道がひらけるだろうが、私は案外、成功するか挫折するかの剣が峰は、この最初の一撃(認識のちょっとしたズレ)が大きいのではないかと思う。

 最初にビビってしまえば、その認識と脳細胞で練習に挑むことになるからだ。そう言う初心者の像は、「ダメだったらどうしよう」「ああやっぱりダメか…」という像が、やる前からできている。
 野球であれば甲子園にまで行ったような子は、本人的にも周囲も自信満々だからこそ、プロに入って「ん?」となったときが怖い。

 指導者は、ここの最初の新人のショックを重大なものと捉えない。たいした事じゃない、誰もが思って当たり前、で済ませる。お前等はスカウトがちゃんと見込んでプロになれると保障しているんだから、言われたとおり頑張ればいいんだ、となる。俺も最初はそうだたんだ、と。これだから、プロ野球の2軍は金のタマゴたちの死屍累々となっている。

 指導者もたいていは、成功するかどうかは才能次第としか考えてないから、その新人には才能が埋もれているかどうか、埋もれているなら指導して発掘してやればよく、成長しないのは才能がないからだ、としてしまう。
 失敗すると、スカウトの見る目がなかったんだと言うことにする。

 わが流派の場合、指導者は新人(入門者)に最も気を遣う。どういうふうに導入してやるか、そこが大変なのだ。
 技や、カラダの動かし方の見本を新人に見せるわけだが、あまり高段者のすごい技は見せてはならない。新人よりちょっと上手な者(初級者)にやってみせさせる。すると新人は「あれなら俺にも出来そうだ」と前向きになれる。

 いきなり高度な技を見せると、萎縮したり自信をなくしたりするものだ。まずは「俺にも出来そう」と思われることが肝心である。
 海水浴デビューの赤ん坊も同じであって、親が海にちょっと入って戯れてやり、赤ん坊ながらに楽しそうだ、出来そうだ、と興味を持たせることが重要なのである。
 
 その意味で、我々の流派では、新人の指導は原則として指導者(道場主)自らが行ない、半端な上級者には任せないようにする。半端な上級者では、つい「どうだ先輩の俺の技はすごいだろう」と見せてしまいたがる。あるいは自分がどういう過程を経て上達したかを忘れて、新人に対して「こんな簡単なことがどうしてできない?」という態度を取る。

 上級者ならなんでも指導ができる、任せられる、というわけがない。
 同じことが、例えば試合に出て負けて帰って来た選手に対しても当てはまる。指導者が殴ったり、なんでいわれたとおりやらないんだ、バカなどと罵ることは最悪の指導である。
 どういうフォローをするかがすこぶる大事である。
 プロスポーツの世界では、そんな選手には、すこぶる冷たかろう。プロなんだから自分で考えろ、で突き放してしまうのではないだろうか。

 プロの世界は厳しいだろうけれど、最初の導入を疎かにしている指導者、コーチが多いのではないだろうか。最初につまずかせたり、失敗したりしたときにそれを生かせないままだから、成功しないで辞めていく。

 指導者は被指導者(弟子)を突き放して、這い上がってくれば根性がある奴となろうが、これもまた、怒鳴られても突き放されてもくいついてくる被指導者は、それなりに、そうなるべく根性が、闘争心が養われていなければならないのだ。
 学校教育はまさに「アタマ」の学びだけでなく「ココロ」の学びも合わせて行なわなければならない理由がここにある。

 教師なればこそ、本来は日常のなかで、学業以上にそういったへこたれない根性、負けじ魂、といった認識をしっかり育んでいかなければいけない。なのにしょっちゅうテストをやって児童生徒を締め上げ、怯えさせて頑張らせるばかり。
 だからちょっといじめられるとイジケる子ばかりになる。あるいは不貞腐れてグレていく。

 学校時代を思い返してみると、英語とか数学とかで、単元や章が変わって新しいレベルに上がるときに、意外に緊張感があった。急に難しくなるような気がするものである。例えば跳び箱なんかでは、5段が楽に跳べていたのに6段になるととたんに自信をなくして、むずかしくなって跳べなくなることがあるではないか。ほんのわずかに高くなっただけなのだから、跳べるだろうと教えるほうは思うが、当人にしてみるとこれは認識が邪魔しているのである。
 再三言うように、わずかな「ん?」という認識のズレなのである。

 そんなことが英語や数学ではしょっちゅうある。この切り替わりのときに、教師は失敗するのではないか。英語でいえば、中学1年生で、現在形で授業をやっていたものが、過去形の文章を扱う単元になり、ちょっと難しくなったなと思っているところへ「過去完了」の単元になると、いきなりハードルが高くなった気がしてビビるのだ。

 ここでも認識の「ん?」というズレが起きる。テストで赤点を取った像、母親に叱られる像、ぶざまな自分!という像ができあがっていく。
 数学でも何でも、1章から2章に行くときは難しくなった、2章から3章になったときはもうダメだと思った、そして4章にいたって「やっぱり俺は…」になった、と、こうなる。
 これで多くの子供が挫折し、やる気をなくし、おれはどうせダメだの像ができていく。そして落ちこぼれる。

 はじめに生じる「ん?」という認識のズレを軽んじたがために、ついに…になっていく。生徒自身が壁をつくっていく過程である。
 こういうときの、対処法、乗り越え方、自信の付け方、などには教師はまったくの無頓着である。今の教師は、「子供の個性」としてしまうから、教育論も指導論もできていない。

 生徒にどんな「ん?」という認識のズレが生じるか、どんな壁を認識に築いてしまうか、それは自分がどういう働きかけをした結果なのかを教師は反省しなければなるまい。
 プロ野球のコーチも同じことだろう。指導者がこういう技を身につけろという像と、選手が描く像を一致させなければいけないところを、闇雲にしごくだけであったりする。

 最近の教科書は見たことないけれど、昔とそう変わってはいまい。教科書というかカリキュラムは、上から降ろしてくるものだ。最終的に大学を出て社会人になるときはこれだけの量の知識を持つようにという頂上が決まっていて、そこから高校までにはこれだけ、中学までにはこれだけと、割り振っている。
 だから、高校なら高校3年間の時間で割って、1単元、2単元…と区切るだけ。それを一定時間内に納めようとする。
 生徒は一度で分かる子もいれば、2回やらないと分からない子もいるし、5回言われないとわからない子がいるのに、そんなことはお構いなし。

 これで落ちこぼれを出すなというほうがムチャである。
 教師は生徒が描いている像を、自分も描いてみなければいけないのに、それ行け、やれ行け、これをやらなきゃ受験に失敗するぞと煽るのみ。
 安倍首相も「一億総活躍社会」を目指すのなら、教育の課題にも目を向けるべきであるが…。



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2016年12月16日

成功できない子、成功する子を分けるもの(1/2)


《1》
 毎年、秋になるとプロ野球のシーズンが終わり、戦力外通告を受けて去って行く者、引退するものがいて、新しくドラフトにかかって各球団に入団していく選手もいる。
 サッカーでも相撲でもみんな同じ、成功するもの、ダメだったものが出る。

 人間、体格的にはそれほど変わっていないように見え、同じ厳しい練習に耐えながら、華やかなスターになれるものがいる一方で、ほとんどのものは落伍していく。
 昔からこれを、才能がなかったんだとか、練習が足りなかったからだとかで誰でも片付ける。

 今回はいくらか違う視点で、この成功しなかったものたちの原因を考えてみたい。
 プロスポーツの世界が特殊なのではなく、私たちが誰でも経験する学校や職場でもこれは共通する問題であろうか。

 まず、海水浴の話からしてみる。幼児の海水浴デビューのことだ。
 何年か前、泳ぐより砂浴をしに海岸に行ったときのこと、何組か1〜2歳の赤ん坊を連れてきた家族が、その子を海につからせようとするのを目撃した。
 どの親もほとんど例外なく、その幼児を抱いていきなり海につけることであった。どの子もわーっと泣き出す。親が幼児の足を海につけようとすると、足を縮めて、足が海面に付かないように必死に抵抗する。

 たぶん幼児は生まれて初めて海を見て、海に体を触れたのだろう。あるいはせいぜい海に入るのが2度目か3度目かだとしてもいいが、それでいきなり親に見た事もない海にいきなり連れてこられて、抱かれてというよりまるでとっ捕まえられて海に連れて入っていかれる。親はむろん、幼児の足がつくぐらいのところで立っているのだが、それでも幼児にとっては恐怖なのだ。それがどの親にもわからないらしい。
 恐怖が大げさなら、認識のわずかなズレが起きる。

 「恐くないよ」としきりに親は言うが、もう幼児は言うことなど聞きゃしない。あまりに幼児が泣くので、どの親も諦めて海から戻ってくる。二度と子どもは海に入ると言わないで、べそをかきながら母親にずっと抱かれている。
 そりゃそうだわな、と私は呆れた。彼らはたぶん地元の人間ではあるまい。都会から週末にやってきて、さあはりきって子どもに海デビューさせようとしたのだろうが、みんな泣かれて失敗する。

 その話を知り合いの女性に話したら、その女性も1歳くらいの幼児を夏に海水浴デビューさせようと、海に連れていったそうだだが、やはりいきなり抱いて海に入っていって子どもに泣かれ、失敗した、と語っていた。
 これはまさに弁証法がないやり方である。

 地元の子なら、それこそ「生まれて潮で湯浴みして♪ 波を子守りの歌と聴き♪」なんだから、まずことさらな海デビューはいらない。いつの間にか子どもは海に入ることを覚えている。といって、地元の子だって、それなりの順序を経て海に入れるようになっているのだが。
 都会から来た親は焦り過ぎである。せっかく連れてきたのだから、海の楽しさを味わわせてやりたい親心はわかるが、いきなり海に連れて入って大はしゃぎする子は少ないだろう。

 幼児は、まず自宅の風呂場や簡易プールで水遊びに慣れさせ、海に連れてきたら最初は波の来ないあたりで砂遊びをさせ、そのうち慣れたら、波打ち際で足がわずかに波にさらわれる程度のところで、波というものを実感させることである。足の裏を波によって砂が移動することを、恐いと思わせないように、楽しい、愉快だ、もっとやってみたいという認識に(親が働きかけて)もっていかなければならない。
 それが、赤ん坊の認識を親と一致させることだ。

 それに十分慣れたら、親がもう少し深いところまで入ってみせ、危なくないことを十分みせるのだ。それで子どもが自分から多少の深いところに自発的に進んでいくようにする。それも膝くらいのところで遊ばせ、波が恐いものでなく面白いものだと分からせることなのだ。
 子どもの様子しだいだろうが、親が抱いていき、子どもがとても足がつかない深さのところで浮き輪に入れて遊ばせるようなことは、1〜2歳の子どもには無理である。親は速く浮き輪で遊ばせたという親心はわかるけれど、最初は無理しないほうがいい。

 しっかりと子どものココロが海に対して量質転化するべく順序を踏んでいき、辛抱強く待たなければならないのである。
 こうやって、砂場で慣れる=量質転化をさせ、次にごく浅い波打ち際で量質転化をさせ、つぎに膝くらいの場所で楽しいという実感を量質転化させるのである。

 この幼児の海デビューは優れて「ココロ」の問題である。ココロをいかに育てていくかの一例なのだ。あるいはこれが、リハビリをしなければならないのに、それを嫌がる脳梗塞などの老人を介護していく過程の問題でもある。

 昨日も紹介した南ク継正先生による「ココロ」と「アタマ」の問題をもう一度引用しておく。
 「読者のみなさんの中学・高校での授業内容を思いだしてみてください。『ココロ』の授業より『アタマ』の授業だったでしょう。つまり、みなさんの『ココロ』に、社会的にではなく自分勝手に社会性をもたないままの『ココロ』を創ってしまっているはずです。だから勝手な個性を創出してしまっており、当然にそれに浸透された『アタマ』に育っているということなのです。」

 この『夢講義』で説かれているように、われわれはとかく学校での勉強を、例えば数式を解くとか英語を暗記するとか、ほとんどが「アマタ」を創るために学んできていて、例えば恋愛にしても友情にしても、はたまた自分が親になってからの子育てにしても、みんな自然成長的に育ってしまっている。学校で友だちとの付き合いが大事だとか、部活で先輩後輩の間柄を学ぶとか言っても、それはまったくの自然成長性に任されている。

 友情とか恋愛とか志とかはこうあるべきだなどということさえ、教師は教える実力がない。せいぜい周辺教科と蔑まれている(?)体育や音楽、図工あたりでわずかながら…の状態だが、それさえも技術的な教育ばかりで、音楽や体育を通しての「ココロ」の教育を直接に行なうことは少ない。あるいは良くて良質の文学から学ぶだけである。その良質の文学さえも、好き勝手に任されてしまう。

 だからやや飛躍はあるが、この自分の子どもの海水浴デビューにみんな失敗する。「ああ、一事が万事なのだろうな」と嘆息するのである。海水浴といえども人間は社会的に学んでいくのだから。
 しかしながら、いちいち学校で、将来の自分の子どもの海水浴デビューの仕方なんてことを授業でやるわけにはいかない。

 では初めて映画を見せるときは?とか、花火を初めてやるときは?などと言ったら、きりがない。だからこそ「ココロ」の問題は一般性として学校で教えつつ、一方で弁証法を教育すべきなのである。例えば量質転化を知っていれば(使える実力が養成されていれば)、この場合のような、生まれて初めて海に入る子どもをいかに導くべきなのかの答えは自分なりにだせるのである。




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2016年12月15日

家庭教師の思い出


 テレビのCMで「家庭教師の○○○」と宣伝しているのを見ることがある。なかには「アルプスの少女ハイジ」のアニメにかぶせて、いかにも子供受けするか、親の世代があのアニメに熱狂した世代だったことを利用して、注目させようという阿漕なやりくち。

 別にCMはどうでもいいのだが、あのような家庭教師派遣の会社が、実は日教組の教師の隠れ蓑になっていること知ると、あの連中の「やり口」には顔を背けたくなるのである。

 教師は学校を辞める(または辞めさせられる)と潰しが効かない。俺は聖職者だったんだ、偉いんだの思いがあるから、食っていくためなら何でもやりますとはいかぬものらしい。
 子供を教えていた経験が生かせるのが、塾講師や家庭教師の派遣員である。教師だった資格を生かすには最適の職種ではある。

 日教組の教師が、跳ねっ返りすぎて懲戒免職を受けると、そういう職種に潜り込む。塾講師や家庭教師派遣なら思想信条も逮捕歴も問われない。
 そういう元日教組連中が、受験勉強を教えつつ、さりげないところで子供に反日を教える可能性は否定できない。

 親のほうも、子供が志望校に合格できれば「いい先生」なのだから、思想信条が左だろうが構わないであろう。
 少し個人的な思い出を書いてみたい。

 私は小学校のときに、家庭教師を親から押し付けられた経験がある。はじめは年長の従姉妹が東京芸術大学の大学生になって上京し、私の家にしばし下宿していたこともあって、勉強を教えてもらったのだが、その彼女が事情が出来てできなくなったからと、友人の早稲田大学の学生を紹介された。この青年は、私の母の郷里の人でもあり、従姉妹とも近所の友だちだった。

 早稲田の青年は人格的に非常に優秀で、勉強を教えてくれつつ、人の生き方も何かつけて教えてくれたものだった。とくに道徳的なことを強いるとか、叱るとかではない。教え方そのものが明るくて誠意があって、情熱的で…といったありようだった。
 もうその細かいことは忘れてしまったが、私は非常に多くのことを学んだ。1〜2年間だけの付き合いだったけれど、子供ながらに兄のように慕い、尊敬した。
 
 今にして思えば「旧制高校生」の良き伝統を体現していた青年だったのではなかったか。
 勉強しながらも点取り虫にならないありかた、なぜ勉強するのかを含めた学習、そんなことを算数とか国語とかを学びながら教わったのだと思う。後年、私が高校生くらいになって彼に手紙を送ったことがあって、感謝を伝えたら、彼から返事が来た。

 「あのころは自分でも手探りで家庭教師をやっていて、この小学生に正しい勉強のありかた、人の生きざまを教えるにはどうしたらいいかを考えていた。高校生になった君が、ボクの意図を十分汲んで感謝してくれ、立派な青年になったことを大変嬉しく思う。」
 とあった。

 南ク継正先生が『夢講義』のなかで、「ココロ」と「アタマ」の問題を取り上げておられる。
 「読者のみなさんの中学・高校での授業内容を思いだしてみてください。『ココロ』の授業より『アタマ』の授業だったでしょう。つまり、みなさんの『ココロ』に、社会的にではなく自分勝手に社会性をもたないままの『ココロ』を創ってしまっているはずです。だから勝手な個性を創出してしまっており、当然にそれに浸透された『アタマ』に育っているということなのです。」
 とまり、私の小学校のときの家庭教師は、「アタマ」と「ココロ」と合わせた指導をしてくれたのだと思う。

 小学校の教師は3人替わった。低学年の担任はシベリア抑留帰りの人で、思想は真っ赤っかだった。日教組だったのだろう。親が心配したほど私は左翼に染まった。しかし最も人間的には好きな尊敬していた教師だった。
 2人目は短期間で、冷たい教師だった印象しかない。3人目は卒業まで3年間世話になった担任で女性だった。

 この女性教師は成績至上主義に近く、私は成績は悪い方ではなかったがどうも合わない人で、嫌いだった。その分、家庭教師の早稲田の青年に傾斜して、影響を受けたのだと思う。親が家庭教師を付けてくれていなかったら、担任と気が合わずに小学校で落ちこぼれていたかもしれない。

 家庭教師は、今はどうか知らないが、当時は贅沢だったし、何か特別扱いされた子という嫉妬も周囲から受けた。別にわが家は裕福な家でもなかったが、親が子供の教育にカネをかけてくれたのだろう。
 子供仲間の間では、要するに、カネで家庭教師を雇って、勉強を教えてもらっている卑怯な奴と見られた。
 
 あるいは家庭教師がつかないと勉強ができないバカという思われ方もあったと思う。
 どうも肩身が狭かった。でも、私は早大学生の家庭教師のおかげで今日があると確信している。算数や国語のことなんか忘れてしまったが、彼の教えは今もどこかに生きているからだ。

 こんな昔話をしたのは、はじめの話に戻るが、今は「家庭教師の○○○」などと、派遣の家庭教師が盛んで、それを憂えてのことである。
 私が小学生のときに来てくれた家庭教師は、従姉妹の紹介で、それゆえ人間的に確かな青年が選ばれたと思うが、派遣の家庭教師はそうではあるまい。

 成績を上げる、有名進学校に合格させる、それだけが問われる。点取り虫をいいこととして教える。しかも、その教師が日教組崩れで何やら腹に一物持っているような人間である可能性があると来ては、子供にどんな悪影響が出るのだろうかと心配になるではないか。

 教師は、学校で担任もやりながらであれば、要は全人的に子供と関わる。一緒に飯を喰い、一緒に遊び、躾も行ない…となっているのに、家庭教師でしかも派遣では、受験勉強に特化している。
 子供も不幸、家庭教師も不幸と思われるのだが…。

 

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2016年12月14日

話すときも書くように


 文章を書くときは、ちゃんとしたものを書こうとすれば手書きで行なう。ブログ原稿はついついPCのワープロで、になる。
 音声入力で原稿をPCに書かせるともっと効率的になるとは承知しているが、どうもなじめそうになく、やっていない。

 アメリカの小説家トルーマン・カポーティは、『冷血』を書くときに、実際にあった殺人事件をネタにしたので、各地に取材に出かけた。そのとき美人の秘書を伴って行った。で、原稿は口述筆記で秘書にタイプさせた。むろんまだPCもなく、音声識別機能もない時代だった。
 うらやましい所業である。いつかそんなことをやってみたいと願いつつ、もう年をとってしまった。嗚呼。

 国際エコノミストの長谷川慶太郎氏は、実に二百数十冊の本を書いたが、手書きの原稿は一つもなく全部テープに吹き込んだものを文字に起こさせたものだそうだ。
 こう書いている。

 「手書きで原稿用紙の升目を埋めると1時間で二千字が限度だ。ワープロを使えば四千字、テープに吹き込むと1万三千から四千字である。この生産性の差は大きい。」


 いかにもそうだろうけれど…。長谷川氏の場合は、文章の魅力や深みで勝負していない。情報一点張りというべきか。本を出して印税で儲けるか、会員に情報を提供することで食っているし、それを政府の人や財界人が読んではアドバイスを依頼してくる。海外その他に取材に回る時間も十分とれる。
 ま、よく計算されている。

 つまり、文章の味わい、深み、もとを問えば像=認識の厚みなどは犠牲にして、ビジネスに徹しているわけである。
 実際、長谷川慶太郎の本は、文章自体は薄っぺらである。名文として残らない。それでいいのである。彼は出が新聞記者だったから、そういう文章になじんできたし、それが文章だと自負しているのだろう。

 さらに彼はこう述べる。
     *     *

 今から三十年以上前、私はこう考えた。コンピュータが発達して、そのうちに音声識別装置が実現する。そうなったらコンピュータに向かってしゃべると、そのまま文章になって出てくる。「ならば」と、しゃべる訓練を始めた。何をやったかというと、テープに吹き込んで聞き直すのである。最初は使い物にならないレベルだったが、改善できた。

 大事なことはまず声だ。言葉尻がはっきりしていて、一つひとつの単語が明確に聞き取れる言葉をしゃべる。また、ニ度、三度、同じ言葉を使ってはいけない。それから、論理的な組み立てが必要である。いずれも訓練で、できるようになる。
 (『2017年世界の真実』WAC刊)

     *     *

 これはなかなか含蓄のあることを言っている。
 わが空手流派でも、しゃべるときは「ゆっくりと、力強く、正確に」と話し方三原則を叩きこまれる。また学者になろうとする人間は、書くようにしゃべる訓練をしろ、とも。

 長谷川氏が説いているのも同じようなことだ。
 なにしろ長谷川氏は、日本の言論界でただ1人、ソ連邦の崩壊を予測し、オイルショックのときも日本はまったく心配いらないと言い切った人間である。しっかりした情報を得ているとともに、アタマが良いからである。

 そのアタマの良さを創って来た要素の一つが、書くようにしゃべるこの訓練であったことは間違いない。
 ただ、テープに吹き込んで、スタッフに文字起こしをさせる、ないし今ではコンピュータに音声識別させるのは、早いし生産性はあがるが、像が熟成されない。
 
 たとえば「幽玄」という言葉を原稿用紙に書き付けるときに、文字を書きながら私たちは、像を膨らませるのである。その何秒間かに、あれこれ想い描いているのだ。そこに厚みができるようになる。
 ところが音声を吹き込んでそれが原稿になると、いわば余計な像の「遊び」のようなことが行なわれないから、文章が浅いものになる。

 昔、編集者だった友人が、作家・開高健の所にインタビューに出向いて、見解を聞こうとした。すると開高はしゃべったことがほとんどぴったり原稿用紙何枚という予定の分量どおり、なおかつ文字に起こせばそのまま文章になったと言っていた。

 しゃべり言葉では話さず、過不足するところがなかった。
 開高も、書くようにしゃべる訓練をしたのだろう。

 わが畏友・天寿堂の稲村氏は、治療中に質問してもなかなか答えてくれないという悪癖(?)がある。治療に集中しているからだとは承知してはいるけれど、内心、それはもったいないんじゃないかと常に思っていた。
 質問されたら間髪を入れずに、書くようにしゃべる、それも長谷川慶太郎氏が言うように、であれば、もっとすごい実力を身につけたであろうに…。

 私は自分の空手道場では、よく講義をする。まあせいぜい10分間程度であるが…。年配の弟子が多いから休みを多く入れるためでもある。そのときに、一応、書くようにしゃべることは意識していた。

 他事ながら、虎ノ門ニュースに出て来る作家・百田尚樹は、実に聞き取りにくい話しぶりである。今や流行作家らしいが、とても彼の小説を読む気にならない。しゃべり方がドブスすぎる。アタマの中を整理しながらしゃべっていない。早口で、アタマに浮かぶよしなしごとをそのまんまポンポンと口に出す。
 あれでは大衆小説は書けても、後世に残る純文学は書けまい。




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2016年12月13日

鏡は何のために見るか


 日本人の顔つきの話である。
 良いほうの話からすると、ときどきNHKTVの「サラメシ」という番組を見ることがある。もとはサラリーマンの昼飯を取り上げる主旨だったのが、ネタ切れのせいか、農業者や職人の昼飯もよく取り上げられている。
 で、そうした場合、やや年配の人たちや真面目に仕事に打ち込んでいる人たちの顔が良いのである。

 「サラメシ」の中で登場する、フォトグラファーの阿部了(さとる)氏が撮影した人たちの顔が実にいい。ランチを食べているときや、仕事の様子を写したときの、みんなハニカんだ表情が素晴らしい。あのカメラマンはそうとう良い腕というか感性をお持ちだと見受ける。人様の昼飯には興味がないが、登場する日本人の良い顔を見るのが愉しみである。

 さて、悪いほうの例になる。
 テレビで国会審議の中継をやっているときに、議員もそうだが後ろに控えている役人の顔が無惨である。小池都知事が登場して、都庁の役人もよく映るようになったが、これがまたあきれるほど悪い顔だ。目が死んでいるというか腐っているというか…。

 全体的には日本人の顔つきが悪くなった。これは作家・林秀彦氏が書いていたことだが、林氏が暮らしていたオーストラリアで、観光に来る日本人と支那人・韓国人を見れば、かつては、日本人はすぐわかったという。支那や韓国に比べて良い顔をしていたからであった。それが近年、見分けがつかなくなり、うっかりすると支那人や韓国人よりひどい顔の同胞がやってくるようになった、と書かれていた。

 このことは、林さんに指摘されるまでもなく、われわれも国内にいて、ひしひしと感じることであった、年々悪くなるという事態が、肌身に感じられる。絶望的にさせられる。昔の映画なんかで俳優、女優の顔を見ると、もう現今のテレビに出ているタレントは無惨そのものだ。
 
 子どもの顔も、なんとか見られるのは小学生までで、中学生になったとたんに崩れ、頭の悪そうな何も考えていない表情、若い力を感じさせるような目の輝きを失う。高校生ともなれば、ほとんどが出来損ないのチンピラ然となり、大学生となると、まさかこれが大学生? となるに至る。

 そういった軍団が毎年4月になると、やにわに男はスーツを着てどこかの会社の“フレッシュマン”になる。東京にいるとそれが4月いっぱいくらいは、ひどく目立つのである。昨日まで、腰をぎりぎりまで下げたジーパンを履いて、頭に真夏でも毛糸編みの薄汚い帽子を深くかぶっていた乞食風体の連中だから、およそスーツが似合っていない。見るも無残な格好である。それが毎年ようやく夏頃になると、会社で礼儀作法を教わるせいか、やっと目立たなくなる。

 かつてはそれなりに欧米でも尊敬を集めた日本人がほとんど消えた。しかしこうなった一番の責任が学校の教師であり、文科省役人である。直接的には彼らが日本人の顔つきをダメにした。むろん、彼ら役人をしてそういう行政をなさしめたのは、おさだまりのユダヤ世界権力の陰謀であるが。
 親も子供に良い本を与えて読ませないからでもあろう。

 ときどきテレビの報道で、海上保安官養成学校とか、警察学校とか自衛隊レンジャー部隊とかの新人訓練の様子を放映している。昨日までゲームセンターで遊びほうけていた若者が、男も女もしごかれて行く様子が映しだされる。ほうけた顔つきの連中が、みるみる良い顔になっていく。物腰もキビキビとして立派になる。そうした訓練の様子を見ると、まだ日本も捨てたものではないなと、かすかな希望が湧く思いがする。

 だから私は日本には徴兵制が必要だと主張している。徴兵では実戦で役にたたないからダメだと言われる。それを承知で、最低でも半年や1年は軍隊生活をし、合宿生活をやらせることで、若者の顔つきが良くなればと思うからである。

 鏡を見ることは頭をよくすることだと、わが流派では説かれる。鏡をみるのは、顔つきを変えるため、立派にするためである。

 顔つきを変えるとは、顔つきを変えることが目的なのではなく、顔を変えようと実践することが大事であって、それにより脳細胞が変わり、立派になることにあり、そうすれば顔も変わる、とわが流派では指導される。それで、いつも鏡をにらんでは顔つきを鋭くする練習をしなさいと。鏡はそのためにある、と。
 やらなければ? …人はそうやって人生のチャンスを逃すというだけの話である。

 つまり、顔つきが悪くなるのは、端的に頭が悪くなることなのだ。顔つきと頭の良さは直結している。頭が良くなれば顔つきも良くなるし、逆に、顔つきをよくすれば頭もよくなる。むろん頭はいいのだが、性格の良し悪しももろに顔に出るものだ。例えば郵政民営化選挙でのしあがってきた、自民党の片山さつき議員などは、受験秀才であっても顔つきは最悪である。あの方も自分でしっかり目的意識的に鏡を見ることがないので、顔つきを創る意識が薄弱なのだ。

 自分でブスを自覚している女はほとんどいないのだけれど…。
 女は得てしてそうだが、自分勝手な美意識、美的センスで己の美醜を判断し、鏡を見ては「わたしって、きれい?」と問いかけるだけで、私って品があるかしら?とは問いかけないらしい。片山さつき嬢も鏡を見て、厚化粧はするようだが、鏡に己の品格を問いかけることはないと見えて、相も変わらず品性下劣な顔つきで平然とテレビに出演する。よくそんな図々しいことができるものだ。

 どんなブスでも、品のある顔には努力しだいでなれるのだから、その意味でも鏡を見て治すべき努力はしなければならない。





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2016年12月12日

「工学」なんてどこにある


 日本には「工学部」がある。「工業大学」もある。誰もが「工学」という名称に疑問を抱いてはいないようだが、私はかねてから、そんなバカな…と思ってきた。
 あんまり引用したくはないのだが、Wikipedia を見ると、「工学」の定義としてまず「エネルギーや自然の利用を通じて便宜を得る技術一般」とある。

 ほらごらんナ、学問じゃなくて「技術」じゃないか。
 さらに、「日本の国立8大学の工学部を中心とした『工学における教育プログラムに関する検討委員会』の文書(1998年)では、次のように定義されている。
 『工学とは数学と自然科学を基礎とし、ときには人文社会科学の知見を用いて、公共の安全、健康、福祉のために有用な事物や快適な環境を構築することを目的とする学問である。』」


 こういう“定義”である。引用した検討委員会の言い分は、メチャクチャである。これで工学部の人たちは納得できるのだろうか? 
 最初に引用した「エネルギーや自然の利用を通じて便宜を得る技術一般」は、正直なところであろう。いささかも「学」ではないと知っている様子だからである。そもそも「工学」と言って「学」の文字を冠するのはおかしいのである。

 「工学」を英語で言うと、Engineeringであるから学問としては認識されていないかに思える。技術を研究するところ、技術を学ぶところ、これである。
 検討委員会でも苦し紛れに「数学と自然科学を基礎とし」と書いていて、数学や自然科学という「学問」を基礎とした「技術研究」と言うべきを、あろうことか、結語に「〜目的とする学問」とやっちゃったのだ。

 最後の文字を見て「ガクッ」とこけない人はいないのだろうか。
 例えば、「オバタリアン」の定義は、として言うなら、「なりふり構わずマナーを無視して公共の場でやりたい放題をする…」と来て、最後の結語が「貴婦人」となっていたら、誰もが「ガクッ」とずっこけるはずだ。貴婦人はないだろうよ、これは皮肉か?と。

 「工学」と自称するからには、それは科学の一分野であるとの認識は学究たちも持っているのだろう。ならば、科学とは何かを、そういったご仁は定義してみたことがあるのだろうか。
 わが流派の教科書である『空手道綱要』には、科学とはを定義して間然するところがない。

 「科学とは、〈事実〉をありのままに見、かかる事実を構成する、かかる事実をつらぬく〈論理〉を導きだしてき、それを本質にまで高めることによって体系化された認識である。それはあくまでも〈事実〉、すなわち客観的な世界が対象的な出発点である。」

 さらに、論理とはも説かれていて、論理とは狭義ではものごとの性質であるけれど、それはありのままに対象を見ることだけでは認識し得るものではない、と。

 「他の事物との比較検討による作業から、対象とする事物の〈共通性〉が見いだされ、そこではじめて〈性質〉すなわち〈論理〉が導かれてくるのである」

 こうしたすでに見事に定律されている概念規定にならえば、「工学」とはなんぞやの答えはわかるであろう。

 話は飛ぶけれど、「工」の文字の字源は、諸説あって、泰斗たる白川静氏は、工作用の台の形から来ているとしている。一方でこれは「巫」(かんなぎ)の字が省略されたとする見解もある。巫も工も、上下2本の横棒は天と地を意味し、縦の棒ないし「人」2つは、天と地を仲立ちする人、或は神に仕える人という意味になる。だから「巫女」がそれに当たる。

 よってEngineeringとは、天と地(自然)の法則を人が利用して役立てる技術といったニュアンスになろうか。あくまで字源であるから、昔の人間の認識で言語化されているものだが。
 この場合の法則が既存の学問である、物理、化学、数学などである。自然科学、社会科学を基礎として、その応用たる技術を学ぶ、研究する、創造するのがEngineering、日本語でいえば「工学」なのである。

 自ずと工学部とか工科大学に行けば、物理、科学、数学、工業の歴史などを広く学ぶことになる。だが、独立的に「工学」なるものはない、もしくはまったく完成されていないのである。
 まして「体系」などどこにもありはしない。だから「工」とは言っても「工学」と称するなど、おこがましいにもほどがある。

 科学は認識であり、論理なのであって、応用たる技術をいうのではない。論理を暮らしのなかに役立てるものを作るにあたって、応用するのである。その限りでは、技術の体系化はなされるとしても、論理の体系化は関係ない。

 例えばジェット機をつくって飛ばすのは、最先端の技術の集積であり体系であるが、その作り方は運用の仕方そのものは科学でも学問でもない。
 本当の完成されるべき「工学」があるとするなら、あくまでもその太古からの技術の歴史の事実から問うて、そこに普遍的に見られる〈性質=論理〉は何かを認識のなかにすくい取ることではなかろうか。

 技術とは、自然の人間化である。それはいったいいかなることかを「工学」はまず問うところから始まるのではないか。自然が人間化すると地球はどうなるか、とか。水車を発明して動力として利用したあたりが、技術のはじめだろうが、それを物理、すなわち物質の理(ことわり)を探る方向ではなく、自然の人間化に絞って論理構造を解くことが「工学」になるのではと思う。

 また技術の成り立ちについていえば、人類にとってまずは道具の発見があったのだ。石ころや木の枝を見つけて、使ううちに道具を作りだした。それと相互浸透する形で、人間の手が道具を使える手に変化したのである。そこから労働が始まる。そもそもはサルの手だったものだから労働の手、道具を使える手ではない。

 ヒトの手から道具を使える手に変化し、その新たにつくり出された手が次々と技術を生んでゆく。これは私たちの手を空手では武器化するための論理構造を説かねばならないから、わが流派では教えられるのだが、それはここでは置いておく。
 これが「工学」の淵源であろう。というようなことぐらいは大学の工学部で教えられなければならぬだろうに。ものづくりのやり方や理屈ばかりやっている。

 例えば、建築技術は、日本でもヨーロッパでも寺院・教会が担った。日本では中世の寺院(比叡山を中心に)が先端の「工学」を行なった。建築、土木、造園、武器製作、工芸品などは寺院がつくり、発展させた。だから自然の人間化という場合の「人間化」を宗教が進めた面も取り上げなければならない。
 そんなことは「工学」とは関係ないとでもいうのだろうか。

 医学の論理構造は、瀬江千史先生が措定している。学問誌『学城』などで見たことがある人もいるだろうが、三角形を描き下半分が(土台が)「常態論」である。三角形の上半分をさらに左右に2分し、片方が「病態論」残りが「治療論」である。
 この中の「治療論」をさらに区分けすると「現象論」「構造論」そして一番上位に「一般論(本質論9)位置する。

 「工学」も「学」と言いたいのならこういった構造で解かれるべきであろう。

 だが、現実にどこの国でも、産学協同でしか大学は生き延びられないのであって、新しい技術の開発を担える実力を学生に身につけさせることが目的になるか、研究所でまさに新技術を研究することにしか向かわない。

 似たようなことは、ほかにもある。社会科学では「法学」がそうであって、これもまた人類の太古からの「掟=法」の論理を学び、学として体系化するのではなく「法律」の研究をするばかりなのが、大学法学部である。おそらく誰も「法」と「法律」の区別と連関が解けないであろう。
 医学でもそうで、「医学」と「医療」の区別と連関が混沌としたままである。

 つまり工学部、医学部、法学部なんかは、中身は「専門学校」でしかないのに、大学では専門学校より試験をむずかしくし、学部ではより難しいことをやって箔をつけているだけの話である。それが役に立たないなどとは言っていない。レベルが違うと言っているのである。

 現状を見れば、国家の要請としてそういった専門家の要請を前提にするなら、多くの大学や専門学校のままでよしとしても、ごく少数の超エリートを選りすぐって、工業化や産業化、じかに社会の役にたつ人材ではなしに、あるいは研究者ではなしに、学問の構築を目指す「最高学府」をこそ日本は創るべきなのである。

 いうまでもないが、それを成し遂げつつある「最高学府」は、南ク継正先生の主宰する「日本弁証法論理学研究会」しかない(!)のである。
 本来なら、世界の文化をもリードすべく日本こそが、東京大学や京都大学などに限って、最高学府にならねばならないのである。



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2016年12月10日

思想性の高みを今一度問う


 これはだいぶ以前のわが空手道場で講義したことである。

 われわれ流派の人間ならば、アタマは訓練でよくなる、が共通認識になっていなければならない。アタマの良さが先天的だと巷間信じられている向きはあるが、間違いである。
 諸君らのなかには、年配になって入門してきた者もいるが、よく体は固いし、型の順番も覚えられない。いくら練習しても前蹴りがうまくならないので、やはり私には才能がないのでしょうか? と相談にくる者がいる。

 そういう諸君は、南ク継正先生の『武道の理論』シリーズも、教科書として指定されている『空手道綱要』も読んでいないのだろうか?
 きちんと勉強してから、そういう質問はするべきである。南ク先生の本を読んだが、まだよく理解できない、というのならいいが、初めから読まずに才能がないのでしょうかもあるものか。

 頭の良さも、初めから(生まれつき)決まっているのではないことぐらい、南ク継正先生のご著書を読んでいれば、理解していなければならない。私はうまれつき音痴だ、などという人もいるが、それも間違いである。すべて訓練しだいである。

 南ク先生の著作は、定年退職後に時間ができたら読みます、それまで愉しみにしてますと言う者がいたのには仰天したことがある。120歳まで位来るつもりか? それでは暇つぶしにはなっても、人生手遅れである。

 感情像も訓練で育ち、それで脳細胞が創られるのだ。逆に疑いながらやれば、その感情を通して脳が覚える。そうすると訓練するほどに頭が悪くなる。「嫌だ」が増幅されていくのである。
 空手部にせっかく入っても辞めていった人は、「こんな練習やって強くなるのか」とか「なんでこんなことをやるのか」とか「くたびれた、もうやめたい」とかの感情を抱きながら稽古をやったから、もうやめた!となったのだろう。

 難しいことを修得するのだからその訓練は辛いに決まっている。しかしその辛さが「快」になる感情でやらないとものにならない。この辛さを克服すれば夢がかなう、といったことがあるから皆がんばっているのだろう。
 指導者たるものは、辛さを「快」の感情を抱かせながらやらせる、というのが大事である。

 先日、メールで私に質問してきた者がいた。
「“10年後の豊かな自分”、それを明確にイメージすることが辛さを“快”とする原動力になるということでしょうか?」との質問であった。
 それはそうだ。だが、それだけではない。
 思想性の高み、誇り、大志、情熱、論理性のような精神もありようが、辛さを克服する原動力となるのだ。

 あるいはわが流派ではよく言われるのは、「恥を知らないやつはがんばらない」「がんばる原動力は恥を知ることだ」「劣等感がなければ人間はがんばらない」といったことである。
 先週の稽古で、Aに皆の前で足腰の鍛練をやらせたのは、彼自身あまりの足腰の弱さを恥じるようにするためであった。恥ずかしいと思ってくれただろうか…。

 つまりわれわれの掲げる「玄和精神七か条」のような自分になっていないことを恥じればよい。玄和精神七か状は、市販されている『空手道綱要』にも掲載されているが、「大志を忘るなかりしか」「情熱消ゆるなかりしか」などの項を言う。恥じなければ何もしない。
 思想の高みは、思想の高みとして実在はしない。例えばBが乗っているジャガーはジャガーそのものが思想の高みである。諸君なら当然に前蹴が思想の高みになるはずである。

 例えば時計でも、セイコーのものなら諸君は買うだろうが、支那人が作ったセイコーの偽ものを、諸君は買うか? これは諸君が思想の高みゆえに買っているのだ。こう言うと、日本製は性能が良いから買うのでは? と言う人がいるだろうが、それは当然のことだ。われわれが例えば時計一つ買うにしても、性能だけ見てとか、美人が広告に出ているからという理由だけで買えないことはないけれど、それだけではいけない、と言っているのである。

 それだけではいけない、とあえて言うのは、別に一般大衆は安いとか性能がよいだけで購入していい。しかし何がしか、己が人生をワンランクあげたいと希求するならば、思想性の高みの堅持は必須である。

 思想性の高みのことを、私がブログで書いたら、「おれは人から生き方をとやかく言われたくない。思想の高みなんかなくていい」と文句を言ってきた人がいた。別に私はそんな人に語りかけるつもりはないのだ。お好きにどうぞ、である。

 支那には思想の高みはない。だからサッカーの観戦のあり方一つにも思想性はでる。ペットボトルを投げ込む観客は、マナーだけの問題ではなくて、その国の思想性の高みの有無によるのだ。
 しかしセイコー社のように、思想の高みを堅持するのは辛い。努力が必要だ。支那人はそんなものがないから楽ではあるだろう。ドローボーさえしてたらいい、というのが支那人だからだ。恥を知らない連中だ。しかしセイコー社の人たちは、ただ辛いだけなのか?

 われわれの流派の空手をやる、ということは、こうした思想の高みを堅持するということである。だから前蹴ひとつが思想の高みになる。
 冒頭の話に戻せば、何かがやれないことを、たいていの人は才能のせいにして弁解するのだ。そう思ったほうが楽であるからだ。才能のせいにしたのでは、唯物論の堅持という思想性の高みは把持できない。できないことを才能のせいにするのは、それは逃げであって、要は努力すればいいだけのことである。

 加えて我が流派では「大志は少年期に創っておかないと、大人になってからではビビる。十代までは『それ行け!』になるから、憧れが強い。脳細胞の像が大きい。ヤクザだって、十代からなるだろう。ヤクザになるには20代からではむずかしい。それはもう世間がわかる年齢になるからだ」と教えられる。

 かく言う私も、十代で大志を創っておかなかったから、苦労した。これはまさに反省を含めての話になる。
 私の道場でも冒頭に取り上げた弱気の男は、しょっちゅう自分は空手を続けて黒帯になれるでしょうか、と自信なげに言ってくる。ちょっとした演武会に出場するようにと言っても、自分はまだ型もよくできないから出場は見合わせたいのですが…などと、いつも後ろ向きの話をしてくる。この人物は一流国立大学を出て、一流の会社に勤めている者なのだが、「なんでいつもお前はそう後ろ向きになるんだ」と叱責することになる。

 まさに十代なら『それ行け!』『やったれ!』になるものを、別に誰かに取って食われるわけでもないのに、失敗したことばかり予想してビビっている。受験秀才ではあったが、大志を抱きそこねたせいである。負けてもいいから組手で闘ってこいと言われると、きっとビビるだろう。負けても勉強になると思えばいいのに。度胸がない。



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2016年12月09日

ナチの制服に似せた舞台衣装の何が悪い?


 ハロウィンの行事は実に下らないが、年々賑やかにされて、アタマの良くない若者が騒ぎたて、バレンタインデーのごとくに定着されるに至っている。
 そんななか、「欅坂46」という少女の歌手グループが、10月22日に開催されたハロウィンイベントにおいて着用した衣装について、「ナチスドイツの軍服がモチーフではないか」とクレームが付けられた。

 少女等が所属する音楽会社「ソニー・ミュージックエンタテインメント」が、自社のホームページに「私どもの認識不足により、衣装の色やその他を含む全体のデザインが、そのようなイメージを想起させる部分があり、ご不快な思いをさせてしまったことに対し、心よりお詫び申し上げます。また、当該の衣装に関しては、今後一切着用いたしません。」と謝罪した事件があった。

 「欅坂46」をプロデュースしている秋元康も、同HPで「ニュースで知りました。ありえない衣装でした。
 事前報告がなかったので、チェックもできませんでした。スタッフもナチスを想起させるものを作った訳ではないと思いますが、プロデューサーとして、監督不行き届きだったと思っております。」と謝罪(弁解?)した模様である。

 秋元康は、在日の噂がかねてからあって、しかもあの中学生高校生くらいのタレント志望の女の子を、商品に仕立てるあくどい商売をしている。女の子に「枕営業」をさせているとの噂もある。
 この無責任で、プライドのかけらもない発言を聞くと、さもありなんと思わされる。「俺は知らない」「スタッフが勝手にやった」これは日本人のマインドではない。

 さて、苦情を言い立てたのはユダヤ人協会である。
 そういうことを言うなら、ナチスの映画は良いというのか。ユダヤ人が牛耳っているハリウッド映画界では、これまでさんざんナチを悪者に描いた映画を創ってきた。ナチの制服、ドイツ軍の軍服を着せなければ映画になりゃしない。

 それは許して起きながら、日本の歌手がナチの制服に似ているかも…という服装をしただけでいきり立つとは、ユダヤ人も狂っている。
 少女たちがハロウィンの仮装でナチの制服に似た衣装を着たって、彼女等がナチの信奉者になったわけではないし礼賛したわけでもない。そもそもナチがなんだか知るまい。

 別に芸能プロも秋元も謝る必要はまったくなかった。「は?それが何か?」と言い返せば良かったのに、屈してしまったあたりが「河原乞食」とバカにされる所以である。

 宇野正美氏(国際時事問題評論家)も、ナチのホロコーストに疑問を呈したら、さんざっぱらユダヤ人協会から脅された過去があったが、謝らなかった。

 欧米では、少しでも真実を知ろうとする人がいれば、ユダヤ人の団体によって潰される。知ろうとしただけで犯罪にされる。ホロコーストに疑義を唱える本は発禁処分を受ける。
 厳しい法律があるのだ。
 なぜそんなにまでして? と問うならそれはユダヤ人がカネを儲けるためであると、宇野正美氏は解く。
http://www.youtube.com/watch?v=JYBFJ0qHrcY&NR=1

 たとえばドイツでは、ユダヤ人の企業は無税だそうだ。それはユダヤ系ドイツ人がドイツを支配しているから出来る。もしドイツ人が、ユダヤの企業にも税金を払ってちょうだいな、とお願いすると、「貴様らドイツ人はヒトラーとともに俺たちユダヤ人を迫害して、600万人も虐殺したじゃないか、それを忘れたんか!」
 と、すごむのである。これでドイツ人は参ってしまう。
 問答無用がまかり通る。
 
 600万人という数値はニューヨークのユダヤ人協会なる団体が発表したものである。いささかも科学的裏付けがあるものではない。日本軍の「南京大虐殺」と同じプロパガンダである。
 戦時中、ナチドイツだけでなく、フランスもアメリカもユダヤ難民を受け入れなかった。フランスはナチに占領されて命令されたとの口実で、せっせとユダヤ人狩りをやって強制収容所に送り込んだ。アメリカは船でやっと逃げ延びてきた人たちを船ごと追い返している。
 そういうことをしなかったのは日本だけであった。
 その恩を仇で返すのがユダヤ協会である。

 東条英機はユダヤ難民をずいぶん救って、上海などで戦争終結まで住まわせた。その事実を隠したいから(戦後利権を奪いたいから)極東裁判で東条を殺したのかもしれない。
 戦時中、欧米諸国はユダヤ難民を受け入れなかった後ろめたさがあったから、無理矢理ユダヤ人たちがパレスチナの地にイスラエルを建国して、パレスチナ人を追い出したことに異議は言えなかった。

 むしろ、イスラエルを創るためにホロコーストを捏造したのではないかとも言われるほどだ。
 もし本当にナチが600万人もユダヤ人をガス室で殺していたのなら、私なら戦後ドイツには戻れない。ドイツ人は恐ろしいと思うだろうし、迫害の像が強烈だからだ。

 だが、ユダヤ人たちはすぐに戻った。つまりユダヤ人たちは、本当のことを知っていたから平気だったのだろう。むしろ捏造したユダヤ人迫害を逆手にとって、金儲けができると踏んだからではないか。

 このユダヤ人の真似をやらかしたのが韓国人どもで、日本に不法入国した難民のくせに、強制連行されたの、20万人も慰安婦で連れていかれたのとウソをデッチあげ、日本からカネをゆすろうとしてきた。
 バカで不勉強な日本人が騙され、また、事を荒立てたくないとの弱腰になって、奴らの横暴を許したのがいけない。

 今度のソニー・ミュージックエンタテインメントがユダヤの言い掛かりに屈したのも、それらと同類で、後々禍根を残す仕儀であった。もっともああした芸能関係は在日がやっているから、平気でユダヤに謝ってしまうのかもしれない。

 それにつけても。
 日本のマスゴミはこの「欅坂46」の事件に関して、ユダヤを批判する言説はいっさい書かない。これではユダヤの言い掛かりをそのまま認めるのと同じである。



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2016年12月08日

特攻拒否者が得たもの、失ったもの


 今日はたまたま日米開戦記念日であるけれど…。大東亜戦争の話をしたい。
 女性の友人からこんな話をメールで聞かされた。
 94歳になるご長寿の男から、ディナーに誘われたそうだ。これだけ高齢なので断るのも気の毒と思い、受けることにした。
 この94のご仁は、当然、軍隊の経験がある。その時代のことをよく自慢話としてしゃべる。
 だが、その友人女性は戦前の空気がわからないから、話を聴かされてもどうもピンと来ないと嘆いていた。

 東京帝国大学の学生で、昭和18(1943)年に学徒動員された。
 第1回学徒兵入隊を前にした昭和18年10月21日、東京の明治神宮外苑競技場では文部省学校報国団本部の主催による出陣学徒壮行会が開かれた。
 しかし彼は、軍隊が嫌いで東条英機のキンキン声も嫌いだったとかで、この雨の中の壮行会をさぼった。

 軍隊に入って戦闘機乗りに配属され、特攻に行くかと問われたが彼は紙にバツをつけて出撃を拒否。だから生還できたのであった。
 件の友人は、そういう自慢をされても、知識はあるが意味がわからないと言うのである。
 そこで簡単に私なりに「意味」を説いて差し上げた。

 94歳の男のように、軍隊は嫌いだったというのは、『きけわだつみの声』があるくらいで、冷めていた奴はいたとは思う。
 特攻を志願せよと言われても、任意なんだからとの建前で断ったのもあり得る話だが、戦後になってガラッと態度を変えた可能性はある。三笠宮みたいに。

 話を進める前に、ここで書いた『きけわだつみの声』と三笠宮について述べておきたい。

 『きけわだつみの声』は戦後、光文社カッパブックスから出版された戦没学生の手記、遺書をまとめた本で、当時、ベストセラーになった。ただ、左翼全盛の時代を背景にして、そのほとんどが反戦思想の持ち主の学生の手記で埋め尽くされ、いわば偏向していた。

 靖国神社が発刊している『英霊の言の葉』も、戦没者の遺書を集めたものだが、『きけわだつみの声』と真逆で、戦争に行くのは嫌だとか軍隊は理不尽だなどと愚痴をいうものは皆無である。
 お国のために喜んで逝きますなどと書いた戦没者は、軍と天皇に騙されたバカで、軍国主義者だとレッテルを貼られた時代が長く続いた。

 私は『きけわだつみの声』を、中学のときに読んで、戦前の日本はひどかったと摺り込まれたクチであるが、後年、自虐史観の縛りから溶けて思うのは、『きけわだつみの声』には戦後創作された“遺書”が相当あったのではあるまいかということだった。

 戦後、日本は間違っていた、軍部が暴走した、日本は侵略国家だったとGHQから押し付けられ、官民あげてそれこそ「一億総懺悔」状態だったから、みんなが『きけわだつみの声』に涙した(させられた)のである。
 戦前、戦中に「お国のために」と戦った人たちは口をぬぐって、自分は戦争に反対だった、特攻なんて犬死にだった、軍部にはひどい目にあったと平然と考えをひるがえした者ばかりであった。

 先きごろ死んだ三笠宮は、陸軍少佐にまでなった軍人だったが、戦後には「私は間違っていました」とか「悔いています」と著書に書いて、戦没者を裏切った。昭和20年8月14日から15日の二日間に発生した「8.15宮城事件」、世にいう「日本のいちばん長い日」、これは昭和天皇が起こしたクーデターでもあったが、三笠宮は天皇の指示のもとに動いた男である。

 鬼塚英昭氏の『日本のいちばん醜い日』は、皇居内で発生した近衛連隊による玉音版強奪計画は、三笠」によって仕掛けられた巧妙な偽装クーデターであるとするものであった。
 その犯罪行為をごまかすために、戦後、三笠宮は「古代オリエントの研究者」の面を被って逃げおおせたのだ。

 話を戻せば、94歳の元軍人も、こうした輩と同じく、戦後に変節したのではないかと思われる。
 さらに聞けば、復員してから高等学校の教師になったとか。日教組に染まったのだろう。
 「反戦」と「民主主義」信奉者に変節し、戦争中から軍には反抗的だったんだと言うために、学徒出陣壮行会をさぼったの、特攻には志願しなかったのと、話を作ったのではなかろうか。その可能性は高いと思われる。

 神宮外苑競技場で行なわれた学徒出陣壮行会に参加しなかったのなら、勝手ではあるが、学歴のない小学校しか行けなかった多くの兵隊をバカにしている。俺は東大のエリートだから、さぼってもいいんだということだ。一兵卒はそんなわがままはできない。赤紙1枚で決められた。
 当時は、学生はわずかしかいなかったし、エリート中のエリートであった。

 多くの一兵卒は家が貧しく、成績が良くても大学になんか行けなかった。
 学徒動員で軍隊に入ったものは、いきなり少尉である。戦争末期になればそれは優遇でもなくて消耗品としか見られていなかったものの、将校は将校である。叩き上げの兵卒から見ればどう映るか。

 軍隊で、兵隊たちは戦争反対の、冷めた少尉殿が自分の隊の上官に来られたら、不愉快だったろうし、憎むだろう。その94歳のご仁はわかっているのだろうか。自分の考えを持つのは構わないけれど、自慢するとか変節を隠して「おれはもともと平和主義だった」とうそぶくのは卑劣ではないのか。

 もう一つ言わせていただく。
 特攻隊で出撃した若者は、戦後の日本の精神を支えた面は絶対にある。一方で特攻を忌避したその男のような存在は、生命は長らえたし、「平和主義者」を標榜することはできたが、日本民族に何も残せず、貢献もできなかった。

 白人と支那人は特攻をやった日本人を怖れた。最終的には日本は敗北したが、緒戦ではイギリス、オランダ、アメリカ、オーストラリアの軍隊を圧倒して勝った。支那も同じく、個別の戦いではほとんど日本軍に勝てなかった。
 そして日本軍は、全部がそうではなかったにせよ、白人の植民地を解放して独立を果たしている。
 
 アジア諸国は日本を尊敬した。戦後になって、歴史は大きく動いて、アジア、アフリカ、南米などが次々に独立国家になっていった。日本が白人支配を覆したのである。人類史に燦然と輝く名誉である。
 
 この94歳のご老体のように死ぬのは嫌だと逃げた奴は、日本の尊厳や歴史性については何も言う資格はない。その人の勝手ではあるが、特攻の死はかくも偉大であった。
 特攻は、作戦的には愚策であったが、白人どもの言うようなクレイジーではなかった。

 己れを棄ててでも、公のために生きる道を選んだ若者の志、そして決断こそ、我々日本人の誇りである。
 94になった反戦老人が高校教師だった時、教え子だったある女性は「あの先生は自分勝手な人で嫌いだった」と言っているそうである。「あの自分勝手さが彼の長生きの秘訣だ」とさえ言われている。
 
 さもありなん。学徒出陣に冷ややかで、特攻にも志願しなかったのは、そのときの判断だとしても、それを戦後に自慢するとは愚か過ぎだ。自分勝手さが前面に出ただけのことであったのだから。

 壮行会に出て雨中の行進をした学徒のココロ、特攻を志願して亡くなっていった同世代の青年たちのココロに、どうして少しでも寄り添うことがないのだろうか。だから「自分勝手な人」という侮蔑を浴びせられる。



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2016年12月07日

石巻大川小学校訴訟に異議あり


 本ブログ2013年9月18日付で「津波犠牲、石巻・園児死亡訴訟は正しいか」と題して、3・11津波での幼稚園児が犠牲になった問題を取り上げた。
 今回は、同じ石巻市の大川小学校の訴訟問題を取り上げたい。

 津波で犠牲になった大川小学校の74人の児童のうち23人の児童の遺族が訴えた裁判で、1審の仙台地方裁判所は、10月26日、石巻市と宮城県に対し、原告全員に合わせて14億円余りの賠償を命じた。裁判では「津波が到達するおよそ7分前までに、市の広報車が避難を呼びかけたのを教員らが聞いた時点で、津波が到達する危険を予測できた」と指摘。石巻市と宮城県は、津波は想定外の大きさで予見はできなかったとし、この判決を不服として7日仙台高等裁判所に控訴。これを受け、原告の遺族たちも仙台高等裁判所に控訴した。

 宮城県石巻市立大川小学校では東日本大震災の大津波で全校児童108人のうち74人の児童が死亡・行方不明となった。地震発生の午後2時46分から津波到着の3時37分までの51分間もあったにも関わらず、教職員たちは有効な避難行動をできなかった。
 教職員13名やスクールバス運転手も犠牲になったが、裁判は起こしていていない。

 大川小では地震発生後、子どもたちを寒空の下で校庭に座らせ先生の指示を51分間待たせていた。「校庭にいてはだめだ」「山に逃げよう」と何度も先生に訴えていた子供もいたそうだ。なのに、教員たちはなす術を知らなかった。
 子供は地元の子で、祖父母や親から、地震後の津波の恐ろしさを日常聞かされていたから、とにかくもっと高台へと思っただろうに、教員たちはそれがなかったのではないか。

 宮城県も石巻市も昭和三陸大津波レベルなら大川小学校には津波が来ないことを公言し、それ以上の大津波への対応は全く考慮していなかった。もし大津波が来たらここは危険との意識が住民にも希薄だったようだ。大地震だったにもかかわらず、教員たちは10分で完了可能な裏山への避難が選択肢の後方へ押し下げられてしまったのは、大川小学校に集まった人々のほとんどに危機意識が欠けていたためだろう。

 そのように仕向けてしまった大きな要因は行政にあった。大川小の裏山へ避難して、土砂崩れにでも遇ったら自分たちの責任にされると教員たちは怯えたのかもしれない。だから裏山への避難は誘導できなかった。
 行政は、大川小が高台だから安心と言っておきさえすれば良かった。それ以上の津波は想定外と言えば訴訟は逃れられるからだ。

 犠牲になった子供の親たちの無念の想いはわからないではない。
 しかし、私には訴訟に訴えるやりかたはどうも納得できない。それは冒頭に触れたように、石巻市の幼稚園児の訴訟についてブログに書いたときと変わらない。

 訴訟で親側が勝てば、税金から支払われるのだ。県や市の行政官が獄につながれるわけではない。税金を回せばそれでお仕舞いになる。親たちは行政の責任を明らかにしたいと言うけれど、勝訴になってもそうはなるまい。

 武田邦彦氏が11月11日の虎ノ門ニュースで語っていたが、最も責任があるのは、地震研究所と研究者たちだから訴えるなら彼らを、というのも一理ある。
 地震の予知はできるとウソを言って、国家予算を4000億円もぶんどり、東大と名古屋大学で分けあって、東海地震や首都直下地震がくるとさんざんウソを言って、東北、熊本、鳥取など大地震が来たところへの警鐘を鳴らさなかったのだから、一番の責任は奴らにあり、それを鵜呑みにして予算をつけている政府や官僚にある。

 上がそうやっていい加減に「やったこと」にして責任逃れ体制を敷いているのだから、県や市のレベルも右へならえになる。そこを問題にしないで、小学校の教師の責任にするのはいかがなものかと思う。
 親も、本当に責任のある地震研究者を訴えずに、行政や学校を訴えるのは、弱い立場の教員のほうを狙っているのだとも武田氏は語っていた。

 たしかに後になって思えば、教師たちにもっと的確な判断が求められたかとは思うけれど、それは後付けである。彼らとて、子供たちを救わなければと必死であったはずだ。
 それを訴訟によって糾弾する性質のものではないのではないか。教師は助かって児童が放置されて死んだのなら重大な責任があるだろうが、先生たちも犠牲になっているのだから。
 
 大川小の訴訟についていえば、行政側と親とが話し合って和解に持って行くべきではないか。もしかして左翼の弁護士が裏でとことんやれと煽ってはいないだろうか? 
 また武田邦彦氏は、石巻市のハザードマップやマニュアルに不備はあったが、子供を守るのは第一に保護者であって、行政に全部任せるのはおかしいと指摘していた。

 親たちはなぜ地震の前に市や学校に出向いて、マニュアルが不備であることにクレームを付けなかったか。
 大津波が来ると予測できたときは、裏山へ避難すべきと学校と親とで合意できていたら、万一に備えて裏山へ登る階段をつくるとか、避難所を親の手で建てておくとかすれば良かったのである。つまり親としても打つべき手はあったというのが武田氏の主張である。
 私もそう思う。

 私は強いていえば、大川小学校の悲劇は日本全体を覆っているいわば「空気」のせいであろうかと思っている。
 今年7月11日に「出汁が消えた日本への絶望」としてブログに書いたことにつながる。
http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/438734306.html
 
 主旨としては、本物の鰹節や煮干し、昆布などできちんと出汁を取るべきなのに、ほとんどの家庭では、インスタント顆粒出汁の素で済ませている、として嘆いたものだった。
 出汁なんか安ければいい、化学調味料でも味さえ出ればいい、手軽が一番、そういう考えが偽物をはびこらせるのである。

 だから。
 石巻市にしても、行政がハザードマップをつくってあればそれで良しとする思考になってしまう。おそらく「防災デー」なんかも設けて地域で避難訓練もやっていたろうが、それがかえってアダとなっている可能性もある。避難訓練しているからもういいや、と。念には念をいれて万一を考えることをしない。

 もしも大川小学校の親御さんのなかに、熱心に防災意識を問い、裏山への避難も訓練しようとか働きかけていた人がいたなら、学校や行政にきっと煙たがられ、そこまでやらなくてもいい、かえって混乱や不安を煽るとか言って忌避されたであろう。それが「空気」である。
 要するに、悲劇が起きてからあとで責任をいわばなすり合うのは本筋と外れている。



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2016年12月06日

アメリカ大統領選は誰が敗北したのか(2/2)


《2》
 昨日はトランプ勝利を予測した識者を取り上げたが、彼らは今回のアメリカの大統領選で最も問題だったのは、マスゴミの腐敗が露呈したことだと異口同音に語っている。
 私も同感である。昨日も書いたが、マスゴミがこぞってヒラリー勝利を予測するだけでなく、彼女を支持してトランプを罵倒し続けたことが、彼らマスゴミ自身の怠慢と偏向によることを見抜いていれば、結果は予測できたのである。

 大きな変化は、やはりインターネットの力である。新聞テレビが如何に誘導、洗脳しようとしても効かなくなった。ネットがなかったら、メディアの思惑どおりヒラリーだったかもしれない。

 武田邦彦氏は11月11日の虎ノ門ニュースのなかで、「もう報道は要らない、ということだ。報道とは、事実をわれわれに伝えることによって、われわれが正しい判断をできるよう、根拠を与えてくれる役割を担うものである。今回の大統領選挙でマスコミが挙げて間違えたのは、もうマスコミは解散しなければならない」と言い切っていた。

 選挙が終わっても、日本のマスゴミはトランプでは先行き危ういだの、これは大衆迎合だとか居丈高になって、反省の弁なし。
 私たちは情報提供を間違えました、と言うべきをしらばっくれる。
 最低でも、アメリカに駐在する記者が、もっと社会にまんべんなく浸透してピープルの声を集めていれば、はじめからヒラリーだけがふさわしいなどと言い続けることはなかったろうに。

 もっとも傑作だったのは、日本の左翼系新聞が、トランプが大統領になったら日米安保が揺らぐ、大変だと言い出したことだ。昨夏の安保法制騒動で政府をクソミソに罵っていた連中が、である。
 は? 日米安保に反対だったんじゃあ? 沖縄の米軍基地に反対だったんじゃあないの? なのに、日米安保で東アジアの安定が保たれていたのに、米軍が撤退していくと不安定になるって言い出した。
 お前ら、それほど節操がないのか?

 アメリカのマスゴミもそうだが、日本のマスゴミは真実を見ようとしなかった。奴らはトランプは暴言を言うの、女性差別だの、イスラムやヒスパニックに偏見があるの、政治は素人だの、大衆迎合だのと決めつけていた。
 アメリカでも日本のメディアでも、自分たちは政治や社会体制をこういう方向に持って行きたいという願望で報道していた。

 それに加えて、いかにアメリカ大統領選挙に支那の介入があったかでもある。日本で言えば、(おそらく)産経以外はチャイナマネーが注ぎ込まれていたからヒラリーを応援していた。クリントン家はチャイナマネーで汚れきってる。支那はなんとしてでも多額のカネをつぎ込んだヒラリーに大統領になってもらって、いいように世界にのして歩こうとしていたから、日本のサヨクメディアにも働きかけて、ヒラリー大統領実現への期待を煽っていたのである。

 だから世論調査も、意図的にねじ曲げた数字を公表した。支持率が常にヒラリーが優位になっているように操作したことも明らかであった。ユダヤ金融資本だけでなく、支那が国ぐるみヒラリーへ誘導しようとしていた。トランプになって支那は落胆したろうし、慌てている。
 藤井厳喜氏は、アメリカの世論調査でもいろいろある。どこが公平で正確な数字をだすかが見抜けるかどうかにかかっていたんだと言う。
 大手のメディアはみんな操作された数字を出していたのだ。

 そして勝負が決着してもなお、全米各地で反トランプのデモが起こり暴徒化しているということばかり報道している。トランプに期待していると喜んでいる人の声は取り上げない。

 馬淵睦夫氏は、昨今の世界ではグローバロズム対ナショナリズムの戦いになっていると指摘していた。それが争点だと。
 英国のEU離脱でもマスゴミはグローバリズム支持だから、英国のEU離脱はあってはならぬという思いで、離脱はないと予測していた。だが、ナショナリズムが勝って英国がEUから抜けることとなって、EUの存続が怪しくなった。

 大統領選もそれと構図は同じで、グローバリズムを掲げるヒラリーが勝つに決まっている。ナショナリズムを掲げるトランプは間違っている、引っ込むべきだとして、トランプ排撃のキャンペーンを張った。それがユダヤ資本右派だか左派だかの意向だからでもある。

 マスゴミは、トランプがTTPに反対を表明していることをもって、保護主義への回帰だとわめいた。当選しても尚、保護主義は時代に逆行すると主張している。またヒラリーなら移民はどんどん受け入れると言い、同性愛者にも優遇してくれる。それが正義だと抜かす。
 毎日新聞ではトランプ勝利を報じる日の1面で、性的マイノリティの女学生を登場させ、トランプになったらアメリカにはいられないわと言って泣いているなんて愚劣な話を載せていた。

 マスゴミは自分たちが掲げる価値観やグローバリズムだけが正しい(すなわちワン・ワールド・オーダーに向かうべきだ)、世界はそうなるべきだ、そうなるように報道を通じてバカな大衆を正しく導いてやるのが俺たちの使命だと自惚れ、上から目線で大衆を指導しようとした。
 それが英国のEU残留か離脱かでも、アメリカ大統領選でも同じ間違いを奴らは犯したのである。

 馬淵氏は、この英国とアメリカでの出来事の本当の敗者は、メディアだったのだと語っている。(DHシアター「和の国の明日を造る」第29回)
 馬淵氏は、日本の最近の国政選挙でも、マスゴミは民進党を応援したが、いずれも安倍首相の自民党が勝った。これは野党が負けたというより、本当はメディアが負けたのだと言う。そのことが、今度の大統領選でも証明された。

 私は馬淵氏の見解は半分しか賛同できない。昨日紹介した武田邦彦氏の「メディアは出直せ」もそうだが、メディアの敗北は当たっているが、メディア自身の腐敗と、メディアを支配する勢力(つき詰めればユダヤ資本)との二重構造なのである。

 トランプがどこまで本気かわからないけれど、彼はホワイトハウスに乗り込んだら、ワシントンのドブ泥を浚って浄化するんだと宣言している。ユダヤとそのオコボレにあずかりたい既得権益にしがみつくワシントン政界の(民主党も共和党も)、腐った連中を一掃するというのである。
 
 そうされては困る連中が、メディア界にも大勢いる。だから既得権益を破壊するトランプを罵倒する。しかしアメリカのサイレントマジョリティは政界のドブ浚いをトランプに期待して彼に投票したのである。
 日本にも、アメリカとの軍事的同盟という既得権益にどっぷり漬かっている連中はいるのであって、そういう輩にとっても利権が壊されては困る。これから熾烈な戦いが始まるのだろうか、それともやっぱりトランプも既得権益の意向を受けるロボットになるのであろうか、これまでどおりに…。




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2016年12月05日

アメリカ大統領選は誰が敗北したのか(1/2)


《1》
 本稿は11月11日、アメリカでトランプが大統領になった直後に書いている。ブログにアップするのは、1カ月後になる。それまで原稿が予約投稿してあるからだ。
 後から言うのもなんだが、私はトランプが当選するだろうと予測していた。ただ、どうしてもヒラリー・クリントンを大統領にしたい勢力(チャイナマネーも含め)による、投票の不正操作が行なわれて、彼女を当選させる恐れがないではなかった。

 マスゴミでは大方がヒラリーを支持し、期待していたが、いつも言うように《マスゴミだから間違う》のである。
 私はトランプが好きなわけでもないし、支持しているわけでもない。ただ、洩れ聴こえて来る情報を素直に、かつ合理的に見てとれば、トランプが大統領になると予測できただけである。
 
 どっちに転んでも、しょせんは悪党のアメリカ人どもの大統領なのだから、善人が就任するわけがない。いくらかの個性は出るだろうが、大本のユダヤ資本の判断次第なのである。それにトランプはひどい差別主義者でもある。
 でも、トランプは下品だがまあ比較的まともな人間で、表向きは財界やチャイナからのマネーは受け取っていない。一方、ヒラリーはとんでもいない犯罪者である。チャイナともズブズブ。これまで悪いことをやり過ぎた。

 選挙戦は日本でも大変な関心を集め、メディアでは多くの識者が「どっちかわかりません」とか「ヒラリー優勢でしょう」などと言っていたが、なんたる不勉強かと驚くほどだった。
 例えば私がいつも見ている「虎ノ門ニュース」では、出演者の青山繁晴、百田尚樹、有本香、須田慎一郎、ケント・ギルバートら全員がトランプ勝利を予測できなかった。

 まず素朴に言って、オバマが民主党だったので次は共和党から大統領になる“順番”なのである。民意がそのように動く可能性というより、アメリカのいわゆる「奥の院」というべきユダヤ資本勢力が、そう決めていると思われるからである。

 しいて民意を問うなら、大統領に共和党がなろうと民主党がなろうと、選挙ではこれからこうすればアメリカは良くなると言って、大衆に期待させておいて、常に裏切ってもっと悪い社会にし、戦争をして若者の血を流し、ついには1%の富豪が社会の富の半分を奪う社会にしてきた。
 だから現職大統領とその政党は大衆から反感を買う。その繰り返しだから、民主党のあとは共和党が、となるだけのことでもある。今度もきっとそうなる。

 次に、先に《マスゴミだから間違う》としたためたが、これは感情で言うのではなく、彼ら特派員はニューヨーク、ワシントンDC、ロサンゼルスにはべっていて、アメリカの田舎には出向かないのだ。
 超大都市に居座って、アメリカの主要メディアの記事を眺めたり、せいぜい懇意にしている政府高官や財界人、ジャーナリストなどから情報をもらうばかりなのである。普段は日本語がしゃべれる記者仲間も飲んだくれているほうが多いようだ。

 とりわけアメリカの主要メディアは左翼系が強く、日本でもメディアは左翼が強いから、お仲間だけで情報を得た気分になっている。
 これは昔からそうだった。
 日本の外務省も大使館も同じで、田舎の情報なんか取らないのだから、今度もヒラリーに間違いないと思い込んで、安倍首相とヒラリーの会談を設定する大失態をやらかした。

 産經新聞記者だった高山正之氏だけが、ご自身がアメリカ駐在中に見聞きした体験から、日本の特派員のだらしなさ、怠けぶりに言及していた。
 また日下公人氏も体験上、日本の記者はニューヨークやワシントンの快適な大都市に居座っていて、本当のその国の民の声は集めようとしていないと批判していた。

 だからアメリカの大統領選挙の予測も、いわゆる草の根の声など知ろうともしないで、米国メディアの受け売りをしているに決まっていて、だから間違えるしかないのである。
 むしろ日本の商社マンなんかのほうが、正しく予測していたのではないだろうか。

 そんなわけで、取り立てて探したわけではないが、日本でも何人かはトランプの勝ちを予想した識者がいることには気づいた。
 藤井厳喜氏、馬淵睦夫氏、宮崎正弘氏、増田俊男氏がそうだった。元衆院議員の西村眞悟氏も「トランプだ」と断言していた。言いたくはないが、媚中・副島隆彦もそうだった。ただし、副島はヒラリーは、彼女の財団が勝手に「中東の春」を仕掛けて紛争を惹起させ、多くのアメリカの若者を殺した咎で10月中に逮捕されると言い切っていたが、外れたではないか。

 アメリカ大統領はユダヤ資本が決めるとわかっていれば、外すことはまずあるまい。こうしたトランプを言い当てた人たちは、口には出さなくてもそれを知っていると思われる。はっきり奥の院がユダヤ資本であることに言及していたのは、増田俊男と副島隆彦であった。
 増田俊男氏は、「もとよりトランプ候補の勝利は決まっていたが、大きく政治を変えるには劇場での『大騒ぎ』が必要なのである」と言っていた。こんなことは毎度のことなのだ。
 以下は増田氏の「時事直言」1117号(2016年11月7日号)からの引用である。

     *     *

米大統領選とは何か

 私は「時事直言」(10月21日)で「アメリカの大統領は時代を決める者が決める」と述べ、オバマ大統領が何故選ばれたかについても説明した。
「小冊子」(Vol.83)で「誰がアメリカのオーナーなのか」を合衆国憲法に基づいて行政責任を負う政府と、通貨の自由裁量権を持ち、政府に貸し付け、金利、雇用、物価を調整して経済と市場をコントロールするFRB(連邦準備理事会)との主従関係を明確に説明することで、誰が何のためにアメリカを動かしているかを解説した。

 アメリカのオーナーはFRBのオーナーであることが分かる。
さて今回の米大統領選であるが、クリントンとトランプの争いは川面の笹舟の戦いで、勝ち負けは水底のうねりがどちらを沈めるかで決まる。

 The Deep Stateとはアメリカ議会、ペンタゴン(国防総省)、CIA(中央情報局)、軍需産業の総合体のことでアメリカを動かす主流のこと。
 2008年から今日までアメリカ支配してきたのはユダヤ資本左派で、今や金融も財政も行き詰まったので今後はユダヤ資本右派による支配が望ましい。
 しかし左派はまだ右派に譲りたくないので右派と争っているのである。クリントンは左派、トランプは右派の代理人で、大統領選はイスラエル左派と右派の代理戦争である。

 (中略)
 The Deep Stateは一貫してクリントンを支持してきた。
 ところが終盤になってメディア王マドックがトランプ支持を表明、傘下のFOX-TVやニューヨークタイムズが、クリントン財団がFBI長官の奥さんに(間接的:テネシー州知事を通して)20万ドル渡した事実や同財団とサウジアラビアとカタールとの金銭のやり取りがIS支援のためであったことなど暴露、このままだとニクソン大統領のウォーターゲート事件どころではなくなりそうである。

 CIAやペンタゴンのインサイダーのMr. Jim Rickardsは、「クリントンがアメリカ人の命を金で売ったようなスキャンダルがある」と言っていたが、やがて明るみになるだろう。
 Jim曰く、The Deep Stateはトランプに鞍替えしたと言う。
 (引用終わり)

     *     *

 増田氏言うところのThe Deep Stateは、あのヒラリーの体調の悪さを見れば、とうてい4年の任期をまっとうできる状態ではないと踏んだであろう。また、しょせんはアテ馬のつもりで出馬させたトランプが大衆的人気を得たので、じゃあトランプにやらせようかとなったのではないかと私は思った。




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2016年12月03日

戦後立ち直った日本から新時代へ


 昨日のテーマから続く。
 日本は大東亜戦争に負け、社会も経済も大打撃を被った。被害総額は当時の金額で約1340億円、これは国民全体の正味資産の41.5%に当たった。
 終戦直後の製造業生産能力は、昭和10〜12年ごろの10%以下にまで落ちた。また1000万人以上の失業者が街に溢れた。

 そのうえ、卑劣なGHQによって二度と工業国として立ち上がれないよう、極東の貧しい農業国にされる施策を押し付けられたわけだった。それがみるみる復興したばかりか、世界トップクラスの経済力を持つに至った。
 なぜそんなことが可能になったのだろうか。

 その理由を私は、上念司氏の『経済で読み解く大東亜戦争』(KKベストセラーズ)で学んだ。
 上念氏は、その秘密を「比較優位」という概念で解いている。
 まず、世界に日本とヴェトナムの2つの国しかなく、取引する品物が「靴下」と「自動車」しかないという状況を仮定する、として解いていくのだ。

 当然、我が国は靴下でも自動車でもヴェトナムの生産性を上回っているから、日本がヴェトナムと貿易すれば圧倒的に有利に見える。しかし実際には日本の労働力は有限であるために、靴下をつくった分だけ自動車生産に回せる労働力が減る。
 詳しい計算は省略するが、以下のように話は進む。

     *     *

 日本が靴下1万足を生産するには自動車1.5台分の労働力が必要ですが、ベトナムは自動車0.5台分の労働力で済みます。この状態を「ベトナムは靴下に関して、日本に比較優位である」と言います。
 逆に、日本が自動車1台を生産するには靴下0.66万足の労働力で済みますが、ベトナムは靴下2万足分の労働力が必要です。この状態は、「日本は自動車に関して、ベトナムに比較優位である」と言えます。

 このとき、各国は比較優位である財を輸出して、比較劣位である財を輸入することで、双方とも今までより得をすることができます。
 (引用終わり)

     *     *

 そして、例えば、日本とベトナムが年間に、自動車1万台、靴下1万足ずつ必要だと仮定すると、貿易しないとすれば双方とも合わせて17万人の労働者が必要だが、貿易すると12万人の労働力で済むのである。「より少なく働いてより多く財を得られるということは、それだけ豊かになったということ」になる。
 詳しくは、上念司氏の本を読んで学んでください。
 続けて上念氏はこう書いていく。

     *     *

 また別の言い方をすれば、日本とベトナムのように圧倒的な技術力の差があっても、それでも技術力の劣るベトナムは、日本に対して売るものがあるということにもなります。
 もちろん、靴下と自動車でも成立するこの法則は当然、原油と自動車でも成立します。自由貿易をする限り、技術力がなくても、生産性が低くても、必ず売るものがあるのです。

 大東亜戦争によって焼け野原になった日本は、当時資源もなく、技術的にも欧米諸国に後れを取っていました。しかし、この比較優位を使って貿易を盛んにし、結果的に「高度経済成長」を成し遂げたのです。

 仮に、高度成長によって日本人が搾取されていたのなら、生活レベルは改善しないどころか悪化したことになるはずです。ところが、実際はまったくそうではありません。交易を通じて、貧しくて技術力のない日本はどんどん発展して、生活水準は劇的に改善しました。

 当時はまだ欧米のほうが技術力が上だったにもかかわらず日本の輸出産業が伸びたのは、まさにこの比較優位のおかげです。高い技術力で良い製品をつくらないと貿易競争に勝ち抜けないなどというのは、企業間の競争を描写しているだけであって、国と国との貿易について語る場合は不適切であるとしか言いようがありません。
 (引用終わり)

     *     *

 つまり、敗戦直後もマッカーサーによる日本をいじめて劣等民族にしておく施策は間違いだった。現実に裏切られたと言ってよいのだ。
 上念氏の「日本とヴェトナム」の譬えでいえば、当時はアメリカと日本の関係であった。

 日本が戦後、経済復興ができたのは、朝鮮戦争の特需で立ち直ったからだと左翼経済研究者が言い、韓国が「人の不幸で儲けやがって」という憎しみを抱く。朝鮮特需はあったろうが、復興はそれだけではなかったことを私たちは知るべきである。
 日本のマスゴミは、どうしても日本が悪い話にしたいのである。

 支那もケ小平による「改革開放路線」以降、この比較優位をも使って凄まじい発展を遂げたが、共産党幹部が人民を搾取するだけでカネを儲けては国外に持ち逃げし、技術革新に資本を投じないなどのために、成長がストップしたのだ。
 すなわち、21世紀は支那が覇権国になると予言したあの媚中・副島隆彦は、経済がわかっていなかったのである。

 貿易といえば、黒字になることだけが正しくて、赤字になるとすぐに政府の無策をなじるのがマスゴミの常であるけれど、そんなに単純なものではないのだ。
 輸出が増えれば「勝ち」、輸入が増えれば「負け」なんていう考え方が頭にこびりついている連中ばかり。

 アメリカは、「双子の赤字」で大変だ、と言われて久しい。貿易赤字と財政赤字が深刻だ、と。だが、いろいろ問題はかかえつつも、なんとか国家運営ができていて、世界一のGDPを維持しているではないか。しわ寄せは大衆に向かうからむろん状況は悪いけれど。

 日本でも、輸入を増やせば悪くて、輸出が盛んなら「貿易立国」日本は万歳なのだとするが…。輸入を増やせば、相手国は儲かって豊かになるから、その分今度は日本から良いものを買ってくれるので、日本の輸出が増える。
 そういう「Win-Win」でいいではないか。

 そもそも円高になると日本企業が倒れるから悪いとか、輸出が不利になるとマスゴミが言うのは、マスゴミの広告スポンサーに輸出関連の企業が多かったからだ。だから輸出産業寄りの記事を書く。輸入の会社は当然喜んでいる。

 朝日新聞やNHKを筆頭に、マスゴミはとにかく日本は悪い、権力は悪い、そして政府はいつも間違っているという社会観や史観に基づいてものを語る。
 終戦後の対外貿易で見ると、何が原因で成功したかをきちんと語らないで、特需だけで片付ける。

 また、終戦直後の「闇市」ばかりが強調され、政府は無策だったとか、生きるに必死だった庶民を官憲がいじめたとだけ言う。
 NHKの朝ドラなんかでは繰り返し、戦争中や戦後の闇市での、国家の横暴ばかりを表現する。しかし、闇市は翌年には終息し、インフレも解消していった。政府は闇市を放っておいたわけではなかった。

 GHQによる妨害にも関わらず、政府も官僚もがんばって見事に内政と経済を立て直していった。それをやってのけたのは現在の自民党につながる政治家である。
 彼らは戦前からの人間だったから、「国家」がちゃんとわかっていたし、国家のために、の志があった。

 それゆえ、日本国民は自民党に政権を委ねたとも言えよう。
 だが、その自民党と東大官僚の統括体制も、変わらなければならない時期が来ているのだ。世界の変化に対応し、かつこれから世界をリードして行く責任が日本に負わされてきているのだから、変革はなされなければなるまい。




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2016年12月02日

スイスという国の嫌らしさ


 カミーユ・ゴルジェは第二次世界大戦中、駐日スイス公使を務めた。1924年から27年まで日本の外務省に法律顧問として赴任。日本が気に入ったのか…(そんなわけないだろう)、13年後の40年に希望して公使として再び日本に着任した。戦争直前だ。41年に日米戦争が始まると、スイスが中立を維持したため終戦まで赴任を続けた。軽井沢の別荘に疎開していた。終戦後はスイスに帰国し、1978年に亡くなった。

 そういう人物として紹介されるが、中立国スイス公使の立場であったから、日本側とともに交戦相手の米英などの利益代表となって、双方の主張をひそかに相手に伝える仲介役も担った。
 最も有名なのは、終戦秘話に属するもので、ゴルジェは終戦工作をする日本側の以降を受け、日本が終戦の条件として出した「国体護持」すなわち天皇制の維持を、連合国が承認するかどうかのルートを受けていた。

 ゴルジェが「軽井沢は爆撃するな」との謎の電文(暗号)を、ドイツ降伏後の1カ月あとから、何度もしきりに(19回も)連合国宛てに発信していた。この謎の電報のやり取りが、日本の降伏を伝えたと考えられている。
 中立国スイスが米英から国体護持ができることを聞き出して日本側に伝え、昭和天皇が確信をもって終戦決断の根拠の一つとした可能性があるらしい。

 実際、1945年8月14日、日本政府はポツダム宣言を受諾する旨、中立国スイスを通じて通告し、それから勅語を発布することで降伏した。
 スイスが中立だなんてことは、半ば嘘である。テメエたちの利益になることなら平気で、二股かけたりスパイをやったりしたに決まっている。

 ゴルジェ駐日公使は、1945年10月にマッカーサー司令官を訪ねて会談している。マッカーサーは会談で、戦後の日本が安い製品をアジア各国などに 大量輸出する「経済面での新たな侵略行為」に懸念を示した。
 日本の輸出大国化を阻止するため、労働組合の組織化を通じて労働者の貸金を上昇させ、 日本製品の価格を引き上げる必要性を説いたと。

 またマッカーサーは第二次大戦中の「日本軍の 残虐性」を強調し、敗戦後の日本が「軍事的には重要でなくなることを保証する」とのたまい、国際社会で 悲惨な地位を占めることになろうと述べた。
 これはゴルジェがスイス本国へ送った報告書に書かれている。
 マッカーサーのならずもの性が発揮されている証言は、よく知られるけれど、一方でゴルジェがなぜマッカーサーに会いに行ったかというと、スイスの国益のためである。
 
 まずは、マッカーサーは日本の時計工業を潰してくれと頼んだのである。それにマッカーサーが応えて、労組を強くして賃金を上げさせることで、国際競争力を殺ぐことにしたのだ。命令された幣原喜十郎に労賃を上げさせた。
 時計工業では、日本がのしてきてスイスを脅かしはじめていた。
 こういう妨害にも負けずに、日本の時計工業はよく頑張った。

 それからゴルジェはまたマッカーサーを訪ね、あろうことか交戦していないのにスイスは対日戦時賠償請求を算段した。
 当時のカネで11億円をスイスは、どさくさに紛れて奪っていった。
 だから。われわれが子供のころにスイスは永世中立国です、日本も真似ましょうなどと学校で教えられたが、こういう邪(よこしま)な国なのである。

 そして戦後70年を経て、悪をやったスイスは時計工業において日本に負けた。また、マッカーサーが諮った日本の産業の弱体化も、むしろ逆効果で、日本はまたたく間に経済復興を成し遂げ、世界2位のDGPを誇るまでになった。
 
 これは端的には日本人が悔しさをバネにがんばったとも言えるにしても、ゴルジェやマッカーサーの経済知識はお粗末だっからにほかならない。
 マッカーサーは、日本は戦争で産業が壊滅してもなお潜在的な輸出競争力は残っていて、危険だと指摘した。日本が廉価な粗悪製品でアジア市場を独占することに懸念を示し、「賃金や生活水準を向上させるために労働組合を組織し、日本の労働者を奴隷状態から解放すれば、日本の製品はコストが上昇して他国の製品と競争することはできなくなる、と踏んだのだ。

 経済に素人の軍人だから当たり前とは言え、こういうイジメをやれば日本は負けると思うのは浅はかであった。
 当時、アメリカは圧倒的な工業力があった。自信満々だったろう。これで邪魔な日本を叩き潰した、と。日本はアメリカからすべてを輸入しなければならなくなり、アメリカは日本をアジア市場から駆逐して悠々と金儲けに勤しめる、というつもりだった。

 アメリカが対日戦争を企んだ背景もそうであったろう。
 だが、70年たって、事態はまったく当時のアメリカの予想を裏切り、日本は見事に復活した。アメリカはなんと巨大な貿易赤字で苦しんでいる。
 今度大統領になるトランプも、マッカーサーと同類の経済オンチで、貿易不均衡がアメリカの経済力を殺いでいると思い込んでいる。

 敗戦によって、日本は大打撃を蒙ったし、技術力も欧米に圧倒的に差をつけられていた。
 なのに、日本は高度経済成長を遂げることができた。
 その訳を、明日は稿を変えて考えてみたい。





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2016年12月01日

答えは風に吹かれているか(3/3)


《3》
 さて、話は飛ぶが、新聞広告に詩人・辺見庸の詩文集『生首』があった。なんて嫌なタイトルをつけるのかとゾッとした。
 その辺見庸が早稲田大学で講演会を催したときに、寄席の出囃子みたいに昨日話題にしたCCRの「雨を見たかい?」をかけながら登壇したんだとか。ということは辺見氏は、「雨を見たかい?」を反戦歌と思っていて、自分も反戦のジャーナリストだという自負を誇示しようとしたのであろうか。

 私は辺見庸という作家の作品は読んだことがない。共同通信社の外信部に居た、というだけで信用ならないからだ。1991年に小説を書いて芥川賞をとり、文筆業で食っていける目処がたったからか、96年に共同通信を辞めて執筆活動に専念するようになった。
 共同通信社にいたくらいだから、かなりの左翼である。「9・11のテロ事件」は、イスラムの兵士が自爆テロをやったと今も思い込んでいる、というかユダヤ・マフィアどもの意図どおりの、マスゴミ見解に与している。

 あるサイトで見つけた辺見庸作『生首』の中の「秋宵」という詩。

秋立つ宵のこと
蒼穹を西の方によこざまに
一個の生首が飛んでいった
軍鶏のちぎれたあたまみたいな
筋ばった人の首であった
紺瑠璃の空を
東から西へ
首がわたりきるのに
三分と四十一秒を要した
その間赤いものは
なにも滴ることがなかった
雷はなかった
楽の音もなかった
首は喘いでいるようであった

あれは憤怒の顔ではなく
忍苦の形相でもなく
口を半開きにして
世の中をなめたみたいに
ヒャラヒャラと
笑っていたようである
真相はつまびらかでない
飛ぶ首にかんしては
それ以外の諸現象は事実ではないので
他に伝えるべきではない
一個の首が蒼天を西の方に
ビュービューと飛んでいった
ただそのことのみを想像せよ
首が天翔(あまがけ)た
秋立つ宵
私はじっとそれを見あげていたのだ
私の生首を 

     *      *
 
 わけのわからん詩である。
 ところが新聞にこの詩集の広告があった。版元は毎日新聞社だ。
 「2010年、日本文学を震撼させた異形の作品集!」とあって、推薦文みたいなのが添えられている。
 「高橋源一郎  行儀の悪さ、圧倒的な迫力、情熱、ジコチュー(?)、なんでもありのごった煮に、ギョッとする。詩という領域に確信犯的侵攻を企てた作品集」
 「平田俊子  ときに呪い、ときに嘆き、ときに静かに語る著者の声が充満している。堅固な壁にからだをぶつけ、噴き出す血で書かれたような詩集」

 そして毎日新聞自身の広告には、「見当識をあらかた失いながらさも狂いなき定位にあるかのようにふるまう人と世界への呪詛と敵意をうたいあげています。天翔る生首とはなにか。切断された身体と記憶、実存から剥がれ無化された言葉はどこに流れていくのか・・・まがまがしい予感にみちた一冊。」
 とくる。なにを馬鹿げたことを言っているのかねえ。
 みなさんは、こういう広告を見て、1785円も払って読みたいと思いますか? 私はなりません。
 あくまで高橋源一郎(作家)や 平田俊子(詩人)の捉え方とはいいながら、広告に使われるくらいなので、ほぼ作者の意図を汲んでいると見なされているのだろう。行儀が悪くて、自己中心で、読むとギョッとするんでしょ? カネを出してまでそんな体験はしたくない。

 辺見は、脳梗塞と癌をかかえて闘病生活をしているらしい。その病に倒れたことの原因というべき、自らの生活過程を反省することはないようである。行儀が悪くて、自己中心だから、そんな病に倒れたんではないのか。
 『しのびよる破局」というエッセイでは、闘病する己の内面みたいなものと、現代の日本人が直面している社会不安というか、存在意義みたいなものを捉えられないもどかしさを語っているそうな。

 おかしいと思いませんか、この所業を。脳梗塞や癌は自らの生活がダメだからなっただけのことである。どうもこの人も、脳梗塞や癌という病気があると勘違いしているように見える。
 「 堅固な壁にからだをぶつけ、噴き出す血で書かれたような詩集」というのは、つまりそういう闘病のことを言っているのだろう。「噴き出す血」で詩なんか書かなくていいから、体を治しなさいよ、と言いたくなる。

 心も精神も、かってに体に宿るのではない。体が鍛えられていないと、精神はないのだ。記者や作家どもの多くは、毎夜紅灯の巷で飲んだくれてオダをあげていて、ろくなものも食わず、きとんと運動もしない連中である。辺見もそうだったからこそ癌になったはずであって、だからそんな体には「精神」は宿らない。
 
 宿っていない精神で、よく作家でございの、書を上梓しましたのと言うものだ。

 それはさておき、私が不思議でならないのは、辺見庸もそうだが、高橋源一郎や 平田俊子もいったい文学とは何かというのがないことである。あれもこれも文学で、これといって定義はないんだから自由に書いて、それで何かを訴えられればいいんだ、とでもいうのか?

 今も多くの空手流派がそうであるし、他の武道もスポーツも同じであるが、どこにも論理性はなく、理論的に教えてくれるところはない。
 で、何がいいたいかと言えば、文学の世界もいっこうに「文学とは何か」を理論的に説いてみせる文学者はいない、ということである。
 「風に吹かれて」も「雨を見たかい?」も、そして辺見の詩にしても、こういう世界には「いささかも論理性がないということ」である。

 だから、先に例としてあげた高橋源一郎や 平田俊子の広告文のデタラメさがある。文学とはこういうものだと論理的に説き、だからこの辺見庸の詩こそが文学と言えるのだ、というような推薦文にはとうていならない。それは何故? である。
 つまり、文学の世界も、あるいは歌の世界でも、確固として理論的に説かれたものがないのである。
 だから辺見庸のごとく鬼面人を驚かす、「生首」なるタイトルをつけて人の気を引くだけのことだ。

 まさにほとんどの空手流派に理論がないのに、稽古をやり、有段者になり、大会で強ければ優勝し…というだけのことだ。
 これぞまさに Blowin' In The Windではないか。



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