2016年12月08日

特攻拒否者が得たもの、失ったもの


 今日はたまたま日米開戦記念日であるけれど…。大東亜戦争の話をしたい。
 女性の友人からこんな話をメールで聞かされた。
 94歳になるご長寿の男から、ディナーに誘われたそうだ。これだけ高齢なので断るのも気の毒と思い、受けることにした。
 この94のご仁は、当然、軍隊の経験がある。その時代のことをよく自慢話としてしゃべる。
 だが、その友人女性は戦前の空気がわからないから、話を聴かされてもどうもピンと来ないと嘆いていた。

 東京帝国大学の学生で、昭和18(1943)年に学徒動員された。
 第1回学徒兵入隊を前にした昭和18年10月21日、東京の明治神宮外苑競技場では文部省学校報国団本部の主催による出陣学徒壮行会が開かれた。
 しかし彼は、軍隊が嫌いで東条英機のキンキン声も嫌いだったとかで、この雨の中の壮行会をさぼった。

 軍隊に入って戦闘機乗りに配属され、特攻に行くかと問われたが彼は紙にバツをつけて出撃を拒否。だから生還できたのであった。
 件の友人は、そういう自慢をされても、知識はあるが意味がわからないと言うのである。
 そこで簡単に私なりに「意味」を説いて差し上げた。

 94歳の男のように、軍隊は嫌いだったというのは、『きけわだつみの声』があるくらいで、冷めていた奴はいたとは思う。
 特攻を志願せよと言われても、任意なんだからとの建前で断ったのもあり得る話だが、戦後になってガラッと態度を変えた可能性はある。三笠宮みたいに。

 話を進める前に、ここで書いた『きけわだつみの声』と三笠宮について述べておきたい。

 『きけわだつみの声』は戦後、光文社カッパブックスから出版された戦没学生の手記、遺書をまとめた本で、当時、ベストセラーになった。ただ、左翼全盛の時代を背景にして、そのほとんどが反戦思想の持ち主の学生の手記で埋め尽くされ、いわば偏向していた。

 靖国神社が発刊している『英霊の言の葉』も、戦没者の遺書を集めたものだが、『きけわだつみの声』と真逆で、戦争に行くのは嫌だとか軍隊は理不尽だなどと愚痴をいうものは皆無である。
 お国のために喜んで逝きますなどと書いた戦没者は、軍と天皇に騙されたバカで、軍国主義者だとレッテルを貼られた時代が長く続いた。

 私は『きけわだつみの声』を、中学のときに読んで、戦前の日本はひどかったと摺り込まれたクチであるが、後年、自虐史観の縛りから溶けて思うのは、『きけわだつみの声』には戦後創作された“遺書”が相当あったのではあるまいかということだった。

 戦後、日本は間違っていた、軍部が暴走した、日本は侵略国家だったとGHQから押し付けられ、官民あげてそれこそ「一億総懺悔」状態だったから、みんなが『きけわだつみの声』に涙した(させられた)のである。
 戦前、戦中に「お国のために」と戦った人たちは口をぬぐって、自分は戦争に反対だった、特攻なんて犬死にだった、軍部にはひどい目にあったと平然と考えをひるがえした者ばかりであった。

 先きごろ死んだ三笠宮は、陸軍少佐にまでなった軍人だったが、戦後には「私は間違っていました」とか「悔いています」と著書に書いて、戦没者を裏切った。昭和20年8月14日から15日の二日間に発生した「8.15宮城事件」、世にいう「日本のいちばん長い日」、これは昭和天皇が起こしたクーデターでもあったが、三笠宮は天皇の指示のもとに動いた男である。

 鬼塚英昭氏の『日本のいちばん醜い日』は、皇居内で発生した近衛連隊による玉音版強奪計画は、三笠」によって仕掛けられた巧妙な偽装クーデターであるとするものであった。
 その犯罪行為をごまかすために、戦後、三笠宮は「古代オリエントの研究者」の面を被って逃げおおせたのだ。

 話を戻せば、94歳の元軍人も、こうした輩と同じく、戦後に変節したのではないかと思われる。
 さらに聞けば、復員してから高等学校の教師になったとか。日教組に染まったのだろう。
 「反戦」と「民主主義」信奉者に変節し、戦争中から軍には反抗的だったんだと言うために、学徒出陣壮行会をさぼったの、特攻には志願しなかったのと、話を作ったのではなかろうか。その可能性は高いと思われる。

 神宮外苑競技場で行なわれた学徒出陣壮行会に参加しなかったのなら、勝手ではあるが、学歴のない小学校しか行けなかった多くの兵隊をバカにしている。俺は東大のエリートだから、さぼってもいいんだということだ。一兵卒はそんなわがままはできない。赤紙1枚で決められた。
 当時は、学生はわずかしかいなかったし、エリート中のエリートであった。

 多くの一兵卒は家が貧しく、成績が良くても大学になんか行けなかった。
 学徒動員で軍隊に入ったものは、いきなり少尉である。戦争末期になればそれは優遇でもなくて消耗品としか見られていなかったものの、将校は将校である。叩き上げの兵卒から見ればどう映るか。

 軍隊で、兵隊たちは戦争反対の、冷めた少尉殿が自分の隊の上官に来られたら、不愉快だったろうし、憎むだろう。その94歳のご仁はわかっているのだろうか。自分の考えを持つのは構わないけれど、自慢するとか変節を隠して「おれはもともと平和主義だった」とうそぶくのは卑劣ではないのか。

 もう一つ言わせていただく。
 特攻隊で出撃した若者は、戦後の日本の精神を支えた面は絶対にある。一方で特攻を忌避したその男のような存在は、生命は長らえたし、「平和主義者」を標榜することはできたが、日本民族に何も残せず、貢献もできなかった。

 白人と支那人は特攻をやった日本人を怖れた。最終的には日本は敗北したが、緒戦ではイギリス、オランダ、アメリカ、オーストラリアの軍隊を圧倒して勝った。支那も同じく、個別の戦いではほとんど日本軍に勝てなかった。
 そして日本軍は、全部がそうではなかったにせよ、白人の植民地を解放して独立を果たしている。
 
 アジア諸国は日本を尊敬した。戦後になって、歴史は大きく動いて、アジア、アフリカ、南米などが次々に独立国家になっていった。日本が白人支配を覆したのである。人類史に燦然と輝く名誉である。
 
 この94歳のご老体のように死ぬのは嫌だと逃げた奴は、日本の尊厳や歴史性については何も言う資格はない。その人の勝手ではあるが、特攻の死はかくも偉大であった。
 特攻は、作戦的には愚策であったが、白人どもの言うようなクレイジーではなかった。

 己れを棄ててでも、公のために生きる道を選んだ若者の志、そして決断こそ、我々日本人の誇りである。
 94になった反戦老人が高校教師だった時、教え子だったある女性は「あの先生は自分勝手な人で嫌いだった」と言っているそうである。「あの自分勝手さが彼の長生きの秘訣だ」とさえ言われている。
 
 さもありなん。学徒出陣に冷ややかで、特攻にも志願しなかったのは、そのときの判断だとしても、それを戦後に自慢するとは愚か過ぎだ。自分勝手さが前面に出ただけのことであったのだから。

 壮行会に出て雨中の行進をした学徒のココロ、特攻を志願して亡くなっていった同世代の青年たちのココロに、どうして少しでも寄り添うことがないのだろうか。だから「自分勝手な人」という侮蔑を浴びせられる。



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(4) | エッセイ | 更新情報をチェックする