2016年12月24日

寺社はフィナンシャル・グループだった(3/3)


《3》
 本稿は、大村大次郎著『お金の流れで見る戦国時代』(kadokawa刊)に拠っている。
 最後に付け加えておくと、寺社がこれだけ権力を握れたのは、寺社のなかに「貴人」が多くいたからだと大村氏は説く。

 「古代から貴族の家においては、世継ぎ争いを避けるために次男や三男などを出家させるケースが多かった。そのため有力寺社には「貴人」がけっこういたのである。たとえば、4度も天台座主(ざす 延暦寺の最高責任者)の地位についた慈円大僧正は、摂政関白・藤原忠通の子だった。

 武家の世になっても、そのような慣習は続いた。室町幕府の第六代将軍足利義教(よしのり)は、元々は延暦寺に入れられて僧になっていたのだ。
 (中略)
 つまりは、寺社には有力貴族や有力武家の子弟が多々在籍していたのである。また、高貴な家柄の子どもの場合、家から大きな支援を受けることも多い。多額の金品を贈られたり、荘園を与えられたりして、それがまた寺社の勢力拡大に結び付いたのである。
 そのため、政権といえども、厳しい口出しができないような状態が生まれたのだ。」


 寺社はおそるべき権力を握っていたのだ、信長が破壊するまでは。
 八切止夫は、日本は白村江の戦いで敗戦したあと、唐に占領されたのだと説いている。唐から来た進駐軍だから「藤(とう)」を名乗った藤原氏が天皇を抑えて君臨したのだ、と。
 貴族(公家)は、その一味である。
 天皇は、それ以前の土着の王朝を形だけ踏襲させ、そのうえに藤原氏が支配体制を敷いた。

 その唐の兵隊を、同時に「伝来」と言っている仏教の僧として全国に配置した。そもそも寺院は藤原氏=進駐軍が日本民族を支配する体制の中核であって、信仰させることは唐の体制に従わせることであった。
 それにまつろわぬ者は僻地(東北)へ追いやられるか、別所すなわち山間部の辺鄙な、稲作もできない土地へ閉じ込められ、変遷をしながらも賤民=部落民にさせられたのだ。

 支配体制に屈した多くの日本人たちは、大きくは2つに分類された。一つは平家系で、南方から渡来した民族の末裔で、稲作や漁業を持ち込んだ者たちである。もうひとつは、源氏系で北方から渡来した民族で、馬を扱い、商業や運輸業を担当した者たちであった。
 藤原氏はそれぞれの民族を色分けして、支那から唐軍がつれてきた者=僧侶は黒、平家系は赤、源氏系は白とした。

 なにしろ日本列島は人種の吹きだまりで、太古から北方系、南方系、支那系などが入り交じっていた。顔つきでは区別がつきにくい。
 それで、支配者はまた苗字でも区別できる(八切止夫は「姓の方則」と呼ぶ)ように、平家系(古代海人族/南方系)は「あかさたな」系、源氏系(沿海州蒙古系)は「おこそとの系」、朝鮮系が「いきしちに系」が韓国系、支那系は「うくすつぬ系」はとなっているそうだ。

 「えけせてね」は、藤原氏が反抗する者どもを差別するためにつけた。例えば「江戸、江藤、蝦夷、恵那、江田」といった苗字は、藤原政権の追及迫害を逃れた人が隠れた(追いつめられた)土地からきたのであり、「エの民」と呼ばれたようである。

 この件は本ブログで何度か取り上げた。
 「苗字の仕掛けにみる日本の素顔」(1〜4)
http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/308192020.html
 「名古屋における『四』と『八』の民の違いの実態」(1〜4)
http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/309050172.html
 を参照されたい。

 で、何が言いたいかと言うと、本稿で縷々紹介してきた中世の寺社の横暴、支配体制をみるに、八切止夫がひもといたような日本のありようがうなずけるのではないか、なのである。日本の寺社が経済面で巨大に権力化し、商業や金融を牛耳ってきたのも、元はといえば、彼らが藤原氏と同じ民族で、いわばツーカーの関係にあったからではないのか、である。

 寺社がすさまじい権勢を把持し得たのは、ただに人々の信仰を利用したからではないように思えるのだ。権力機構との一体性が問われても良いと思われる。くどく言うが、藤原氏は支配者として支那からやってきた。そしてそれまでの日本の人種のるつぼ社会の上に、いわばそっと乗ったのである。

 唐の進駐軍は、日本を占領したものの、本家の支那では唐は早々に滅亡してしまう。帰るところがなくなる。である以上は、この国で支配をうまく続けるほかなかった。国家をバラバラにしたり、原住民の叛乱を押さえ込むには、平安時代の体制、すなわち政教一致がベストだと考えられたのだろう。
 それが平家系、源氏系に分けて職業で区別させ、反抗勢力は賤民に落とすなどして、いわゆる「分割して統治」したのである。

 その分割したものを、常に統括体制に置くために仏教が活用されたのであり、寺社が経済を統括したのではないか。政治権力たる藤原氏と一心同体であったものが、藤原氏が滅亡しても残った仏教寺院が相対的独立をたもって経済分野で権勢をふるった。
 時代は武家社会に移行しても、その武家の強さは経済感覚や経済政策が決め手になっていたから、寺社は信長に破壊される(以後政教分離が進む)までは日本社会を牛耳ったのだ。

 こうして寺社の成立の目的、その変遷などに着目してみると、もしかして、天皇が「万世一系」で続いたわけも意外にそれらと密接に関わっていたのではないだろうか。
 天皇家は歴代、仏教であった。光厳院が出家して常照皇寺に隠遁したのも皇室が仏教信者だったからである。

 別のいい方をすれば、天皇家の存続は寺社が経済的に支えたのである。先に述べたように、日本の経済活動、金融は寺社が担ったのだから、天皇家の存続も間接的にかもしれないが、寺社が支えたと考えられる。政治的支配体制だけで天皇が存続したはずがないではないか。

 例えば、京都の御所は城郭ではなく、乗り越えようと思えば簡単な塀に囲まれているだけ。それは天皇が民衆のために存在したからなどと言う者がいるが、案外、比叡山や京都市内の寺社が守っていたから、外敵が襲うことがなかったのかもしれない。

 戦国時代が出来したのは、後醍醐院が鎌倉幕府を倒して建武の中興をやらかしたからだった。そこから室町幕府ができたりしたが、足利氏も財政基盤が弱いままで、戦国大名を輩出させるに至る。後醍醐院は平安朝の復興を画策したわけだが、鎌倉幕府を倒そうにも、あるいは足利尊氏を倒したくても、武力は皆無、財力もなし。で、どうしたかと言うと、比叡山の寺社勢力に頼んだのである。

 寺社勢力は領地を巡っては武士階級とは敵対関係にあったから、後醍醐院に味方して、自分たちも既得権益を護ろうしただけ。その邪な打算が社会混乱を起こして南北朝の騒乱を長引かせた。後醍醐院もワルなら、寺社勢力もワルだった。日本の現代保守勢力や天皇教信者は、あろうことか後醍醐を天皇を祭り上げる。アホか。
 
 しかし別の角度からいえば、こうした寺社の体制で成り立った社会が、日本人のココロの形成、文化の生成にどれほど関わったかである。
 岩本裕著『日常仏教語』(中公新書)を読むと、膨大な数の単語が仏教用語から来ている。例えば、挨拶、くしゃみ、乞食、だらしがない、バカ、人間、内緒、根性などなど。つまりは仏教用語が流布しているのは、日本人のココロに相互浸透したのである。

 あるいは、今日日本の伝統文化と呼ばれるもののほとんどは中世、とりわけ室町時代が圧倒的に多い。司馬遼太郎も現代日本の文化の母は室町時代だと言う主旨のことを書いていたと思う。それは中世寺社に起源がある。カネがあったから、文化にも回ったのである。

 本稿の冒頭で述べたが、京都に祗園のような花街が出来たのは、だから比叡山があったからであり、坊主どもがカネを持っていたから、酒と女で蕩尽しつくしたのだ。祗園祭りは中世が発祥である。
 京都の料亭、割烹の味はまさに珠玉である。祗園の茶屋の料理は食べたことはないけれど、その茶屋が観光客目当てにランチの店をやっていたりして、そういうところに行くと、それはもう隔絶した旨さなのである。
 比叡山その他、京都中の寺社がありあまるカネに任せて、いい素材を取り寄せさせ、料理人の腕を磨かせたからであろう。
 
 料理には美しい皿などの容が必要で、こうした陶器も極上品を競ってつくらせたのだろうし、舞妓芸伎が着る衣服にしても、染めにしても、アクセサリーにしても…と、贅を尽くすことができる財力があったおかげである。これで文化の華が咲かないわけがない。

 例えば能の世阿弥は興福寺の出である。生け花の池坊は延暦寺が発祥だ。茶道も、作庭も寺社がもとになっている。
 古代以来脈々と続く文化は少ないものだ。
 日本には大昔の仏像がよく残されていて、支那や朝鮮のようには壊されてもうない、なんてことは少ない。そういう幸運が起きたのは、寺社が裕福だったからではないだろうか。

 ところが「日本論」「日本人論」には、経済の問題、とりわけ寺社による支配はまったく欠落していて、タブーである。
 こんなことでは、未来に役立つ人間学が成り立つわけがない。
 タブーを撃ち破って、宗教を単にココロの問題や政治との関与だけにとどめずに、経済との深い関係や、仏教が行なった悪辣をもっと解明していってほしいものだ。
 悪辣非道の半面で、富の蓄積があって、京都から文化が生まれていった。

 今回は取り上げなかったが、伊藤正敏氏の『寺社勢力の中世』という秀作もある。彼は「江戸時代以後の歴史書は、中世史を幕府と天皇の対立としてしか描いてこなかった。その姿勢そのものが間違っている」としたためている。
 そのとおり、日本史は歪んでいる。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(1) | エッセイ | 更新情報をチェックする