2017年01月09日

政治はしょせん束の間の「結果」にすぎず(1/2)


《1》
 ある友人から、メールをいただき、そのなかに政治の話題があって、野党のありように疑問・批判を呈してあった。
 「TPPをめぐり、『トランプさんが、やらないとはっきり言っているのに、議論する自体が、時間の無駄じゃありません?』と、党首が言い立てるようなら国会って何なんだと思うわけです。
 戦争推進法案、年金カット法案……。そう名付け、マスコミも乗せ、議論らしい議論がまるでない。」

 もうあまりに哀れで話題にもしたくないし、ほかに大勢の人が野党をバカにしているから言うには及ばない。
 友人の見解はまずはそのとおりで、民進党の醜態ここに極まれりである。
 しかし、そもそも民進党は、国会議事で“議事”をやる気はさらさらないようだ。自民党や安倍政権の足を引っ張るか言葉尻をとらえての揚げ足とりしかできない。

 たしかに、自民党と政府には驕りがあって、言ってはならぬ失言はあったが、それで審議を妨害し、欠席し、罷免を要求して国会を空転させるのは愚かである。それだけ駄々をこねて国会の経費だけで何億円を無駄にする。
 昨年末の「IR法」と「年金改革」の採決をめぐっては、不信任案を提出するなどして妨害し、深夜1時まで国会を延長させ、実にそれだけで1億円が無駄にふっとんだやに聞く。

 審議を採決結果はわかりきっているのに、深夜まで及ばせれば、国会スタッフも役人もみんなが帰宅できずに足止めをくらい、睡眠不足を強いられるわけだ。野党のただの嫌がらせと身勝手でこうなる。
 それも実のある議論をするなら、お国のためと我慢もできようが、威張りくさった国会議員には馬耳東風。

 民進党も共産党も、支持母体の労組の顔色をうかがっているだけ。それだけと言ったら、それだけ。支持母体にご満足いただけるよう、国会で政府に逆らってみせる。そうすれば、次の選挙でまた票を入れてくれるから。国家をどうするかの気概もなければ、責任感もない。
 むろん自民党のほうも顔は支持母体に向いてはいる。でも野党より国家運営の責任を自覚しているから、まあなんとかなっている。

 野党は、まちがって議論なんかして、与党に言い負かされでもしたら恥をかいて、支持者にダメと烙印を押されたら選挙に差し障る。だから揚げ足取り。イチャモン、勝手なレッテル貼りでお茶を濁らせて任期を務める。
 その顕著な例が、冒頭の、トランプがTTPはやらないと言ったから、もう議論してもしょうがない、の野党の言いようである。

 ちゃんと説明をしない安倍首相もよくないが、アメリカの都合で状況がどう変わろうと、どうあるのが国益に適うのか、では今後どうやって日本が世界のイニシアチブを取って行くか議論すればいいだけのことである。野党どもには国家観がない。ただその場しのぎで揚げ足をとるしかやらないからこうなる。

 友人が言う通り「戦争推進法案、年金カット法案……。そう名付け、マスコミも乗せ、議論らしい議論がまるでない」のは、実に野党の不勉強であり、国家とは何かがわかっていないからこその醜態を晒している。

 野党は、昨年、「国際平和支援法案」と、自衛隊法改正案など10の法律の改正案を一つにまとめた「平和安全法制整備法案」なのに、それを「戦争法案」と言い、「年金制度改革法案」も「年金カット法案」とぬかし、「IR法案」を「カジノ法案」と言い換え、あるいは沖縄普天間基地を辺野古に移転させることを「新基地建設」とウソをつく。それをマスゴミがグルになって大衆洗脳を図る。

 マスゴミの場合は、これも左翼購買層におべんちゃらを言うために(情報を買ってもらうために)、政府に対し「なんでも反対」をやらかしているだけ。そういうことによって、まともな議論がいつまでたってもできず、民主主義が成熟していかない。

 正月にアップした「戦争とは何か」でも書いたように、たいていは「政治」にしか頭が行かないようである。クラウゼビッツの「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」を取り上げて、どこがどう足りないかをしたためておいた。同様に、国会議員もマスゴミも、このレベルで思考を停止させているのがいけない。

 戦争とは、でいうなら、政治の継続とか延長とかでは不十分なのである。むろん政治と戦争の関連が一番大きな要素であるのはいうまでもないのだが。
 人間は社会的存在であるところから踏まえ、その社会にとって国家形態の必然性、そして自然も文化も経済もなにもかもが全体を形成している、そのなかの切り離せない要素として戦争があるのだということである。

 だから民進党と親和性の高い「市民団体」で「戦争させない○○委員会」「非戦○○会議」なんて言っているザイニチ系の連中は、そもそもの誤謬をかかえている。まあ実態は誤謬というより、やつらはただ日本を滅亡させたいだけだが、理屈が根底から幼稚である。
 
 南ク継正先生の『武道哲学講義』には世界史とは何かが解かれているのだから、それを読んで国家とは何か、世界史とは何かを学習してほしい。それも怠けておいて、政治や国家を語るなよ。





posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする