2017年01月13日

息抜きに読む本であっても


 先日、ある人から私のブログを読んで、「あなたは野球選手ごとき人の本を読むんですか」と揶揄された。イチローや桑田真澄の話をブログで書いたから、バカにしたのだろう。
 私は高校時代から、さまざまなジャンルの本を読んできた。息抜きに読んだものもあるし、苦労して読んだ本もある。
 あまりこだわりはない。ただ、巷間大受けしているベストセラーとか、見るからに著者の顔つきが卑しいなんて場合も遠ざけている。

 私がイチローや桑田の本を読んだのは、息抜きのうちである。普段はクラシックを聴いているがたまには歌謡曲や唱歌を聴きたくなるようなものだ。
 はじめから全てを受け入れようと思って、いわば眦(まなじり)を決して読みにかかるのは、師たる南ク継正先生の著作か南ク学派の方の著書である。

 そうではない、例えば先日紹介した桑田の本などはどう読むかと言えば、この著者が言っていることの、どこをどうすれば正しくなるか…と考えながら読んで行くものである。私の友人が揶揄したように、桑田ごときの本を熟読するわけも、座右の銘にするわけもないではないか。

 元巨人の桑田は高卒で、野球選手のなかでは学業もちゃんとやったようだし、専門の野球とその周辺をよく勉強しているのは褒められていいし、人間的にもなかなか優れている。
 しかし、高卒ではいかんせん一般教養がない。彼自身もそれを痛感してだろうか、引退後に早稲田大学大学院に入って勉強しているようだが、二十歳前後の頭脳がみずみずしいうちに、大学で一般教養を身につけなかったことは、大きな欠陥となっている。

 例えばそんなことをしみじみ思いつつ、彼の本を読んだことである。彼がもし野球を学問的に究明したいのなら、二十歳前後のときに一般教養をしっかり身につけておかねばならなかった。その大事なときに、彼はジャイアンツのエースとして活躍していたのだからしょうがない。

 エンゲルスは、事業家の家に生まれ紡績業で身を立てていた。大学に聴講に行ってそこで共産主義にかぶれるわけだが、一般教養の点では残念ながら…のレベルであった。その点ではマルクスはギムナジウム(高校)でもボン大学でもちゃんと勉強し、一般教養を身につけている。徐々に革命へ傾いて行くが、幅広い学問を真面目に履修していた。

 だから、思想的は共産主義という今では間違っている考えを信奉したが、世界史に残る学者の片割れとはなっている。
 例えば『共産党宣言』には、マルクスとエンゲルスの2人の“宣言”が載っているが、マルクスの文章の格調の高いことは、エンゲルスの遠く及ばないものである。あれが一般教養のあるなしの、際立った証拠というべきであろう。

 日本で言うと、旧制高校で学んだ者と戦後の新制大学で学んだ者のレベルの違いである。作家でも歴然とした教養の深みの差がみられる。
 作家でいうのなら、学校に行っていない松本清張と、旧制高校を出た高木彬光の差であろうか。こういうことは、ただ聴いて知るだけではなく、実際に両者の推理小説を読んでみなければわからないことである。



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☁| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする